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実は2016年8月から別のブログを立ち上げています。

ブログのタイトルは「いい旅チャレンジ50000km」
 http://challenge50000.blog.jp/

です。今回、「いい旅チャレンジ50000km」を当ブログの姉妹ブログと位置づけることにしました。

こちらでは、風景写真やグルメ(食べログ)を中心として、健康・医療、節約術、ファッション、そして日本の未来を考える話題などをアップしています。

「いい旅50000km」のほうへも、遊びに来てあげてください。
どうか宜しくお願い申し上げます。



京都府京丹波町蒲生のドライブイン「丹波の里やまがた屋」が2020年11月末で閉店するそうです。

「丹波の里やまがた屋」は国道9号と27号の交差する要所に立地。すぐ側に京丹波町役場があり、京都府立丹波自然公園も近いです。1960年にトイレを併設した食堂として開店、今年60周年を迎えました。現在は土産物売り場やフードコート、ベーカリーカフェなどが入っています。多くの観光バスや大型トラックの休憩所として親しまれ、またここで一息つくドライバーやライダー、観光客で賑わいを見せてきました。 

私もバイクで丹波・丹後半島方面へ走るときなどは、時々ここで一服しました。

しかし、京都縦貫道の全線開通(2015年)で一般国道(下道)の交通量が激減。私もここ近年、国道9号線の蒲生以西をバイクで走る度に、交通量が少ないと感じますね。また、周辺に道の駅が相次いで開業していることもあって、縦貫道全通後の5年間で売り上げが5割も減ったそうです。今般の新型コロナの影響が売上減に追い討ちをかけ、先行き不透明さが一層深まり、閉店へ踏み切ったとのこと。

閉店後は、代替店舗として道の駅「丹波マーケス」(現店舗より9号線を京都方へ600mほど)などを利用することになります。

周辺の公共交通としてJRバス園福線があります。一昔前は京都交通の長距離快速バス(四条河原町~和知・東舞鶴・天橋立ほか)もここを通っていましたね。


京都の名物ドライブイン「やまがた屋」閉店へ
縦貫道開通で交通量減少、コロナ禍が追い討ち(京都新聞)

https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/305199



引退済みの南海6000系がこのほど、譲渡先の大井川鉄道(静岡県)に向けて輸送されました。

今回の譲渡となった該当車両は6905F(6016-6905)の2両編成。

今度の譲渡は製造から半世紀を超えた車両ということで注目を集めています。

南海6000系は1962~69年に東急車輛で製造。高野線用の20m4ドア通勤車です。ステンレス車体で2019年まで1両も廃車が発生しなかったことから、相当頑丈に作られていることが伺えます。その頑丈さゆえにスカウトされたのでしょう。

同じく古豪のステンレス車・東急7700系が養老鉄道(旧・近鉄養老線)へ譲渡され、それよりも古くない近鉄丸屋根車を置き換えているのも、同じ理由のようですね。

大井川鉄道には元南海ズームカー21000系が活躍中。同じく高野線の名選手であり、6000系との再会を果たすことになりそうですね。21000系とともに新天地での活躍が期待されます。

6000系譲渡で置き換えとなる車両は、元近鉄16000系のようです。

(参考記事)
南海6000系が大井川鉄道に譲渡!C#6016陸送
https://train-fan.com/nankai6000-oigawa/



京阪七条駅と京都駅を結ぶ京阪バス「ステーションバス」 。

昨年4月運行開始しましたが、2020年7月23日より梅小路へ延伸すると発表。

https://www.keihanbus.jp/news/sysimg/00767/link_uB4Q9.pdf

運用ルートは、

梅小路・ホテル エミオン京都→(七条通)→(河原町通)→(塩小路通)→七条京阪前→(七条通)→(東洞院通)→京都駅(ザ・サウザンド キョウト前)→(塩小路通)→七条京阪前→(七条通)→梅小路・ホテル エミオン京都

に変わります。

運行ダイヤは7時~21時台まで15分間隔。運賃は230円ですが、京阪電車または「ホテル エミオン京都」利用客には片道100円で乗車が可能です。

運用車両(W-3017、3018)には京阪特急色のラッピングが施されます。

今度の新路線系統開通により、京阪沿線から京都水族館や鉄道博物館が便利になります。

七条通を走る京阪バスといえば、かつての淀桂線【22】号経路を思い出します。京阪淀から京阪国道を走り東寺から七条大宮を辿って七条通を西に走り、阪急桂駅を結んでいました。1995年に廃止されるが、10年後の2005年、七条通~桂方面を走る京都交通が京阪バス傘下の京阪京都交通に生まれ変わり、以降京阪バスカラーの車両が頻繁に行き交うようになります。

七条大宮以西へ乗り入れる京阪バス本体の路線としては、淀桂線廃止以来25年ぶりということになりますね。



(その1)
http://katanogawara.blog.jp/archives/35531227.html

山陽本線のラスト、新山口-下関間は、ほぼ内陸を走り単調な景色が続きます。ただ、宇部・小野田など工場地帯も多く、宇部線、小野田線、そして美祢線とユニークな支線に接続しており、意外に変化に富んだ区間と言えそうです。小野田線の長門本山支線には最近まで旧型国電クモハ42形が残っていたようですね。

埴生あたりから再び周防灘の海岸寄りを走るが、長府付近で再び内陸に入り、新下関駅で山陽新幹線と交差ののち、進行方向右側に山陰本線が寄り添い合流すると幡生。これまで進行方向左側が海寄りだったのが、幡生-下関間は右側が海寄りに変わり、日本海側・山陰の一部でもあることを物語ります。国道9号線(山陰道)は、面白いことに下関市内の単独区間で2号線(山陽道)と位置関係が逆転、瀬戸内海(周防灘)の海岸線を走り、かの有名な壇ノ浦を通って、下関駅前が終点となります(2号線は北寄りのルートを取りつつ、壇ノ浦付近からトンネルで関門海峡を渡り九州に入る)。

下関に着く頃には大雨が降ってきました。この年の夏は天候不順で梅雨明けが遅く、お盆明けまで雨の多い冷夏でした(その後は一転、9月中旬まで猛暑が続く)。

山陽新幹線は下関駅には乗り入れません。新下関駅から長いトンネルで関門海峡をぶち抜いて小倉駅へ回ります。

下関といえば、ふぐを忘れてはいけませんね。もしかしたら、下関の名物駅弁「ふくめし」を買って食べたのかもしれません。そういえば、この頃、下関のふぐを味わう観光客のために、広島~下関間のキハ181系ロングラン臨時快速が運転されていましたね。ちなみに下関に乗り入れる最後のキハ181系は、山陰本線の特急【いそかぜ】でした(関門海峡を通って小倉まで直通、2005年廃止)。

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宇部線から下関へ乗り入れる105系

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下関に停車中の415系
JR西日本115系旧・瀬戸内色と塗装がよく似ている

下関から先、JR九州エリアに入ります。さっそく小倉行き415系に乗り換え。九州のJR電化路線は筑肥線を除いて交流方式で、下関駅が交直セクションに当たるため、関門区間には国鉄型の交直流両用車両415系が現在も使用中です。JR九州の新型電車は、筑肥線用を除いて交流専用(700~800番台形式)で統一されています。国鉄末期~JR初期頃、下関発着の日豊本線485系特急【にちりん】もありましたね。

関門トンネル抜け、門司の次が小倉です。山陽本線の終点は門司で、ここから鹿児島本線に入ります。かつて山陽本線ばかりか山陰本線の列車も関門海峡を渡り九州まで旺盛に直通していたが、下関で列車系統が分断され、寂しくなったものです。鹿児島本線の起点は門司港で、もともとここが九州の玄関ターミナルして賑わったそうで、鉄道文化遺産の町として活性化が図られています。

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小倉駅にて 右の列車は日豊本線の特急【ソニック】

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883系特急【ソニック】

小倉からいよいよ九州本番。鹿児島本線の快速に乗ってしまえば博多まであっという間だけど、ゆっくり座りたいこともあってあえて普通電車に乗りました。門司港へ寄ってみてもよかったけど、時間がなかったので・・・。

福岡県といえば温暖な気候のイメージがあるが、関門海峡~対馬海峡沿岸は地形的に日本海側、山陰地方の延長であり、冬は北西の季節風の影響で雲が広がりやすく、雪が降ることも珍しくないようです(ただし、気候型としては準・瀬戸内型で雨量は少なく温暖)。

小倉から博多までの間、日豊本線、筑豊本線、香椎線、篠栗線などが分岐。筑豊本線~篠栗線は2年前に電化されたばかりで、電化まで50系客車が残っていました。筑豊本線に接続する折尾駅の駅弁「かしわめし」は有名ですね。沿線は八幡製鉄所に代表される北九州工業地帯をバックに大学などが多く、福岡・北九州都市圏に入ったことが実感されます(「○○大前」の駅名が3つもある)。

およそ90分ほどで博多に到着。夜の8時ぐらいだったかな。いゃ~、広島からの「青春18きっぷ」の旅は本当に長かったです。ただ、列車はさほど混んでいなかったのが救いだったかな。私個人的に経験値の低いエリアで、単調な景色という印象のある山陽本線の旅だけに、単純な乗り鉄記録に終わると思いきや、ネットや地図で沿線の見どころや駅弁その他面白い情報を調べながら振り返ると、なかなか濃密な旅行を脳内で再現することに(笑)

翌日以降の九州での行動については、また別の機会ということにしましょう。


活発化する梅雨前線の停滞で局地的豪雨が続き、九州地方では広範囲で「数十年に一度」の甚大な被害を受けました。また、京都府や岐阜県・長野県などでも河川の増水氾濫やがけ崩れなどが発生、山間部は交通寸断で孤立状態になるなど、全国的に影響が広がっています。コロナ感染との複合災害が心配です。今後少なくとも一週間、日本付近に梅雨前線が停滞する予報なので、気をつけましょう。

* * * *

さて、久しぶりに「青春18きっぷ」の旅の回顧録を書いてみようと思います。

2003年夏、九州へ旅行したときのこと。往復とも新幹線と「青春18きっぷ」を併用しました。

往路は、新大阪~広島間は新幹線、広島から先は「青春18きっぷ」で山陽本線の普通列車を乗り継いで関門海峡を渡りました。

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広島までは新幹線 「新幹線の原型」0系は健在だった

広島まで新幹線に乗車した理由の一つは、姫路・相生-岡山間のラッシュを避けるためだったと思います。仮に大阪駅から「青春18きっぷ」だったら、 もっと疲れていたことでしょう。東海道新幹線に比べ山陽新幹線はトンネルが多いです。新大阪~西明石間は六甲山を長いトンネルでぶち抜き、西明石からは海岸寄りのルートなのは面白いですね(もっとも海が見えるのはごくわずかだが)。

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広島駅に停車中の可部線105系
国鉄型車両ばかりだった広島も今は227系ばかり

広島駅あたりで駅弁を買ったかは覚えていません。さっそく広島から115系電車を何本か乗り継ぎます。広島市街地を抜け、宮内串戸あたりからしばらくの間、瀬戸内海と宮島の景色を楽しむことができます。宮島口までは広島電鉄と並行。宮島口といえば名物駅弁「穴子めし」も忘れてはなりません。大竹を過ぎると山口県に入り、岩国で乗り継ぎ。この先、山口県区間が非常に長~いです。

岩国と徳山を山中を短絡するローカル線、岩徳線が分かれます。単線非電化ではあるが山陽本線の旧線であることから、駅やホームなどに本線時代の栄華を伝える遺構が残っているようで、岩徳線を訪ねる価値はありそうです。海岸沿いに現在の山陽本線が敷設されたのは、トンネルや坂道が苦手なSL時代の名残もさることながら、海岸沿いのほうが沿線人口が多いことも理由のようですね。岩国といえば、日本三名橋の一つ、名勝・錦帯橋(きんたいきょう)はぜひ訪れるべきでしょう。

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山陽本線を走る旧・広島色115系

山陽本線は周防半島の海岸沿いを回ります。それゆえ、引き続き車窓から瀬戸内海を楽しめるが、柳井港から柳井・田布施を経て光まで少し内陸側を通ります。そして、この先、海岸に寄ったり離れたりで、特に防府以西は海から離れた内陸部が続くせいか、山口県が長く感じられる「難所」かもしれません。

新山口(旧・小郡)で下関行きに乗り換えました。新山口は山陽新幹線と山口線、そして宇部線が接続する鉄道の要衝です。山口県の県庁所在地(山口市)へは、山口線の気動車に乗り換えます。新山口駅のある旧・小郡町も平成の大合併で山口市に編入されましたが・・・。

山口線といえば、「SLやまぐち号」が1979年から40年以上にわたって復活運転が続いており、ファンや観光客に人気です。最近では戦前型旧型客車を特別に復刻製造したもの(35系4000番台)が投入され、「やまぐち号」はSL時代当時に近い姿に生まれ変わりました。

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山口線のキハ40系 旧・広島色


国鉄急行型気動車でお馴染みのキハ58系。

キハ58系の方向幕について一つ気になることがあります。

キハ58系といえば、シンプルな「急行」幕表示の姿がポピュラーでしょう。

国鉄時代のキハ58系の方向幕は、165・455系急行型電車と同様、「急行」のほか「準急」「快速」「普通」「臨時」など列車種別のみのコマを表示、行先表示はサボを使用するスタイルが一般的でした。 

ただし、一部例外があります。

それは天王寺鉄道管理局管内。

天鉄局管内の気動車は、キハ35系投入以降、キハ45系やキハ40系等の方向幕に行先を表示する方式が徹底。同局所属の103・113系電車等と同様、普通・快速列車には独特の丸ゴシック書式で「奈良-湊町」「奈良-京都」「王寺-和歌山」などと運転区間を表示するのが一般的でした(サボは方向幕機器のないキハ10・20系以外では基本的に使用せず)。

問題は急行型のキハ58系。

普通列車専門の亀山・伊勢区所属の分は、キハ35系等と共通の幕を使用していました。「貴生川-信楽」「松阪-伊勢奥津」「亀山-新宮」などのコマがよく使われた模様です。亀山のキハ58系といえば、当初は広島・米子地区から転属の初期タイプが多く、特に元・広島局所属の車両には、なぜか車体中央にサボ受けが増設されたようです(その後、和歌山・奈良から大量に転入)。

急行運用のある和歌山・奈良所属分は、行先の入った天鉄仕様とは違うもの、すなわち種別のみの全国標準タイプだったようです。基本的にキハ35系ほか一般型気動車とは厳格に使い分けていたが、キハ58系とキハ35系との混結も珍しくなく、特に奈良・和歌山線電化直前頃には混結編成も多かったようです。

急行編成が間合い等で普通列車に入るときは、方向幕は白幕、サボ使用で運用されました(キハ35系ほか一般型編成と連結する場合も同様)。



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京阪1000系。

京阪の通勤車の一形式ですが、どちらかといえば地味な印象を受けます。

しかし、1000系のルーツにはものすごい歴史が刻まれているんですよ。

1000系という形式自体、1977~78年に登場。7連×6編成の42両が2020年現在も運用中です。

1000系は実は旧700系の代替新造なんです。すなわち、車体そのものは1968~69年に700系として新造されたもの。700系は車体こそ新しいが、走行機器・足回りは旧式の吊り掛け駆動というものでした(旧・600系も同様の出自でしたね)。

700系の機器は戦前生まれの流線型1000・1100形などからの流用なんですね。当時、高度経済成長期にあって沿線人口が急増、戦前生まれの小さい車体では急増する旅客を捌ききれないことから、車体だけを大型化更新することで急場を凌いだわけです。
 
そこで新しく造られた700系は、吊り掛け駆動ながら7両固定編成を基本とし(これに加え600系増結用の2両を製造→700系消滅後600系に編入)、急行・準急などの優等種別を中心に運用されました。

700系の車体構造は、同時に並行して量産中の卵形通勤車2200・2400系とは異なり、角張ったスタイルで側面中間窓は、国鉄103系などと同じ「田の字」型が特徴です。ドア配置も他の3ドア通勤車と異なります。

京阪線の架線電圧1500V化(1983年)に合わせ、旧式の吊り掛け車は全廃することになります。700系もその対象に含まれるが、車体は新しいのでそのまま廃車するにはもったいない。

そこで、700系の車体を再利用し、走行機器・台車は新しいものに取り替え、合わせて冷房化・行先種別幕設置などの工事を施され、1000系として生まれ変わることになりました。いわゆる「代替新造」というものです。

この車両更新手法は、その後も昇圧に間に合わせるべく、2600系や2代目1800系の新造にも応用されました。

700系と瓜二つのスタイルだった600系は、車体が頑丈でなかったことから冷房化工事が難しいとされ、1983年の昇圧で廃車されました(一部は2代目1800系に生まれ変わるが、やはり冷房化が困難ゆえ、わずか6年ほどで全廃)。

1000系は1991~95年にかけて、車体更新が行われ、顔がスタイリッシュに変わりました。


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阪急バス加島線【17】【18】系統(梅田~加島駅前・西川)は、2020年7月19日の運行を最後に廃止されることになりました。合わせて加島出張所も廃止されます。

https://www.hankyubus.co.jp/news/images/20200719k.pdf

加島線は歴史の深い路線で、JR東西線開通前は利用状況が旺盛で大型長尺を充当されるぐらいだったそうです。しかし、東西線開通後、運行本数は徐々に減便され、2018年年末のダイヤ改正で日中40分間隔に半減されたばかり。廃止後、大阪シティバス【97】系統を利用することになるが、これも以前に比べて本数は減っているはず。

梅田(大阪駅前)には、阪急バスのほか近鉄バス(阪奈生駒線)も乗り入れていたが、近鉄バスは軒並み撤退しており、阪急バスも加島線廃止後、阪北線豊中方面系統が残るのみとなります。

もともと需要があるはずなのに、大阪シティバスとの共通定期でなかったのも災いのようです(同区間を並行するシティバスのほうが利用客が多い)。 

なお、【64】系統<加島駅前~柴原(市立豊中病院前)>(平日のみ)は存続です。


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大阪メトロ御堂筋線の10A系(旧10系1117~1126編成)の引退が始まっています。

既に1118Fは引退しており、このほど1117Fも緑木町へ回送されたことが報告されています。

30000系第15編成が間もなく営業運転を開始する見込みで、1117Fは廃車濃厚ですね。
 

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