JR誕生(1987年)から2000年ごろまで福知山地区で使用されていた、キハ47・福知山色の画像をアップしました。

kinosaki1996
城崎(現・城崎温泉)に停車中の浜坂方面行き
117系福知山線色も一時期城崎まで乗り入れていた

sonobe1996-1
園部駅に停車中の福知山行き普通列車
園部-綾部間電化開業直前の頃(1996年)

scan079
ワンマン改造前の姿 国鉄時代の面影が色濃く残っていた頃(1988年)
 


1985年のある日、家の用事で川西能勢口を訪れました。

当時、川西能勢口駅前(阪急宝塚線・能勢電鉄)は、高架化工事が始まって間もない頃だったと思います。 能勢電には小型旧型車(吊り掛け)の置き換え用に大型車1500系(阪急2000・2100系の改造)が続々登場、遅れ気味だった冷房化も漸く始まったところです。

能勢電は1981年まで、川西能勢口から国鉄福知山線の川西池田駅(=川西国鉄前)にも線路が伸びていました。この区間が廃止されたのは、利用客が少ないことに加え(廃止直前は1日2往復だけだった)、川西能勢口駅立体化および再開発の一環でもあったようです。川西国鉄前行き専用車50形の塗装(白と青のツートンカラー)が、現行5100系5124Fで復刻しています。

川西能勢口で降りて、さっそく駅前のジャスコに入り、昼食タイム。カレーとクリームソーダーを注文したと思います。

この当日、私個人的に一番印象に残っているのは、「篠山町後川行き」の阪急バス。この行き先のバスに興味をそそられました。篠山町といえば丹波の城下町で有名で、福知山線に「篠山口」駅があり、川西市の北側・猪名川町からさらに奥のほうではないですか。篠山町は現在の丹波篠山市(1999年「篠山市」誕生ののち、2019年に「丹波篠山市」に改名)。川西能勢口から終点まで全長30kmを超えます。阪急バスにこんなロングランの路線があるんだな、と驚きました。「後川」は「しつかわ」と読み、丹波篠山市最南端、武庫川支流・羽束川の谷中集落です。

あれから数年後、川西バスターミナル、川西阪急開店および川西能勢口~JR川西池田間連絡デッキなどが整備され、町の様子も大きく変わりました。



P8310084

越美北線のキハ120・ラッピング車です(2014年)。

キハ120はJR西日本のローカル線用に作られた小型気動車(16m)。初期に製造された200番台は普通鋼製車体で、越美北線と木次線に投入。側面窓も2次車以降と異なり、2段式ユニット窓です。
 


DSCN8064a

高槻市営バス「出灰(いずりは)」バス停。

JR高槻駅北と北部山間部の樫田地区(田能・中畑・二料・杉生)を結ぶ、1日数本のバス(樫田線)が止まります。大阪・京都府道6号【枚方亀岡線】上に設置されています。

樫田線は、道路の関係上、空谷橋~出灰間のおよそ1kmにおいて京都市西京区を通過します(「空谷橋」バス停は西京区)。出灰から北は樫田地域で旧・丹波国に属し、かつて京都府南桑田郡樫田村でした。 したがって、出灰付近は摂津・山城・丹波3国の国境ということになります。「出灰」という地名は、高槻市と京都市西京区の両方に存在します。

市営バスは昔、京都府亀岡市(国鉄亀岡駅前)まで乗り入れていました。現在、府県境(亀岡市境界)手前の杉生が市営バスの最北端です。


minobu115

身延線で活躍していた115系です(1991年、甲府にて)。

身延線はかつて、飯田線とともに旧型国電の巣窟でした。身延線に115系が投入されたのは1981年。身延線用には暖地用の2000・2600番台が投入されました。広島地区用の2000番台と基本仕様は共通ですが、身延線の低断面トンネルに対応してモハ114-2600番台が作られました。塗装は、国鉄としては珍しい地域色「ぶどう色」が配され、ぶどうの盛んな甲州地方をイメージしたものでした。

しかし、JR東海に移管後、在来の国鉄型車両はJR東海カラーに統一される方針となり、113・115系については国鉄標準色である「湘南色」に統一されました。身延線用の115系ももちろんこの湘南色に塗り替えられ、早くも「ぶどう色」が姿を消すことになりました。

身延線用115系は1981年製造にもかかわらず非冷房で登場(冷房搭載準備はなされていたが)。JR東海に移行されて冷房改造が行われ、クーラーの形は国鉄タイプの集中型AU75ではなく、JR東海独自の分散型クーラーが搭載されました。


PA150009

PA150010

今春、突然の旅立ちを迎えた京阪2400系2452F。

2452Fの写真が見つかったので、アップさせていただきます。

2400系も引退は意外に早いかもしれません。

ちなみに今週末、1本だけ残る5000系(5551F)が特急運用に入ったみたいですね。


1998年某日の午後、京都洛西へ現実逃避の旅に出ました。

乗車ルートは、

~河原町~(阪急京都線?)~四条大宮~(京福嵐山本線)~帷子ノ辻~(京福北野線)~龍安寺

だったと思います。もしかしたら京都駅前から四条大宮までバスだったかもしれません。なぜこのルートを選択したのか覚えていません。

確か龍安寺駅で下車したようです。龍安寺駅前の一角に豆腐屋さんがあり、何気に寄ってみたいと感じました。ここから東へ向かって立命館大学衣笠キャンパスまで歩いたものと思います。あの当時、よく立命館衣笠周辺を徘徊したものです。

北野線の「等持院」駅は2019年「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」に改称され、読み仮名26文字にものぼり、日本最長の駅名として一躍有名になりましたね。しかし、2021年1月に富山地方鉄道軌道線に「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前」という新しい駅名(読み32文字・表記26文字)にトップの座を譲ることになりました。ただし、路面電車の停留所を除けば、当駅が引き続き日本一長い駅名となっています。

立命館衣笠キャンパスは北区。北区は一般的に「洛北」に分類されるが、西大路通沿線の北野白梅町・大将軍・平野・衣笠・金閣寺一帯は、右京区との結びつきが強く(もともと同じ旧・葛野郡だった)、どちらかといえば「洛西」として扱われるようです。

立命館大学から三条京阪まで市バスに乗車したと思います。

randen9802
北野線103号 帷子ノ辻駅にて

scan083
ここ龍安寺駅で下車したと思う

myoshinji1998-1
たぶん龍安寺駅前だったかと

ritsumeikan-kinugasa1998-3
墓地の背後には立命館のキャンパス
 


国鉄末期の117系・新快速の姿です。

koseisen117-1

shinkaisoku117

117系も京阪神の新快速運用から退いて20年以上経過しました。各地方で単色カラーに塗り替えてローカル運用で活躍中です。関西では「抹茶色」の塗装で湖西線・草津線普通電車の運用に入ります。117系はやはり新快速時代の姿が一番耀いて見えますね。

新型車両の投入で一部廃車も発生しているようだが、寝台電車「West銀河」に生まれ変わった編成もいます。West銀河は昨年秋から山陰・山陽へ運行されて好評を博しており、今夏には紀州路にも足を伸ばし、新宮まで運行される予定です。


京都市バス【91】系統。

これも地味に面白い路線と思いました。主な停留所は、以下の通り。

四条烏丸~四条大宮~西大路四条~西大路御池~西ノ京円町~妙心寺前~花園駅前~太秦映画村道~常盤・嵯峨野高校前~嵯峨中学前~嵯峨嵐山駅前~嵯峨瀬戸川町~嵯峨釈迦堂前~大覚寺

四条烏丸から四条通へ西へ進み、西大路四条(阪急・嵐電西院駅)から西大路通りを北上、西ノ京円町(JR円町駅)から再び西に進路を変え、丸太町通りを道なりに進みます。嵯峨嵐山駅前の次、嵯峨瀬戸川町停留所通過後、右折し終点・大覚寺に到着。

四条烏丸と妙心寺・太秦映画村・大覚寺方面が一本で結ばれているので、都心部から嵯峨野・嵐山観光の穴場的路線と言えます。嵯峨嵐山駅前では保津川トロッコ列車に乗り換えることもできます。運行本数は概ね毎時3本です。

京都駅から嵯峨野・嵐山への観光ルートとして、地下鉄烏丸線(四条乗り換え)+市バス【91】系統という使い方もできます(市バス【28】系統などよりも、こちらのほうが早くて快適ではないでしょうか)。

洛西営業所(近鉄バス委託)の担当です。以前、【91】系統は整理券路線(調整系統)だったが、2014年に嵐山地区が均一運賃区間に編入されたため、現在は均一系統(青系統番号)です。
 


阪急バス杉生線【22】系統・<日生中央→阪急川西能勢口>

この系統は南行きのみ片道運行です。

猪名川町役場前・清和台営業所前・多田大橋などを経由し、兵庫県道12号の旧道を走行する【12】系統と運行ルートは似ているが、 川西市街地区間の滝山~阪急川西能勢口間の経路が異なります。【22】系統は滝山を出ると、「出在家町」「絹延町」「川西市役所前」の3停留所に止まります。

【12】系統については以前レポートしましたが、阪急川西能勢口~日生中央間を通しで運行する便は1日4本です。【12】系統の日生中央発着便は、実は北行きのみの片道運行で、南行きは川西市役所前を経由する【22】系統が担っているということになります。

【22】系統の運行本数も1日4本です。


阪急バス【12】系統 <川西能勢口~清和台・紫合方面>
http://katanogawara.blog.jp/archives/36131898.html

↑このページのトップヘ