京都府では、新型コロナ感染拡大の影響で利用客が減少している府内の公共交通の活性化を図り、観光需要を喚起するため、「もう一つの京都」キャンペーンを展開中。2020年8月29日より、お得な「もうひとつの京都 周遊パス」の発売が開始されます。発売期間は2021年3月31日まで(売切れ次第 販売終了)。

周遊パスには以下4種類があります。

1)「海の京都エリア」 1日乗車券 大人2,200円 2日乗車券 大人3,000円
(利用範囲)京都丹後鉄道、丹後海陸交通、京都交通バス

2)「森の京都エリア 亀岡・南丹版」 大人1,500円(小児運賃の設定なし)
(利用範囲)京阪京都交通、南丹市営バス(有効期間内に限り、各社路線でそれぞれ1日ずつ利用可能)

3)「森の京都エリア 美山京北バスたびきっぷ」 大人2,300円
(利用範囲)西日本ジェイアールバス(京都駅前~周山)、京北ふるさとバス、南丹市営バス

4)「お茶の京都エリア」 大人1,000円(小児運賃の設定なし)
(利用範囲)京都京阪バス、京阪バス、奈良交通(和束木津線、JR加茂駅~岩船寺・浄瑠璃寺間)


詳細は下記のページをご覧いただければ幸いです。
http://www.pref.kyoto.jp/ktr/news/20200801.html



紀勢本線東部(主にJR東海の亀山-新宮間)の国鉄時代末期の急行列車について。

紀勢本線では電化区間も含め、気動車急行が運行されていましたが、1985年3月ダイヤ改正で【志摩】を除いて全廃。同改正まで東側の区間では【紀州】(名古屋-紀伊勝浦:亀山経由)2往復と【はまゆう】(鳥羽-紀伊勝浦)1往復があったが、特急【南紀】(キハ80系)に統合される形で廃止されました。 【紀州】には名古屋機関区(名ナコ)のキハ58系が使用されるが、信越本線碓氷峠のアプト式区間対応に製造された特殊仕様のキハ57形、そしてキハ65形も連結され、何気に異彩を放っていました。【はまゆう】は西側の【きのくに】と共通の和歌山機関区(天ワカ)が担当、キハ58・28にキロ28を組み込む4両のオーソドックスな気動車急行の編成スタイルでした。

同改正で【紀州】【はまゆう】がなくなり、寂しくなった感じがします。京都と伊勢市・鳥羽を草津線経由で結ぶ【志摩】が奇跡的に2往復に増強され辛うじて華やいだ雰囲気を保つものの、グリーン車(キロ)の連結は廃止。これも長く続かず、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正で全廃されました。よって、紀勢本線の定期急行列車は消滅。紀勢本線東部はJR東海の管轄となります。

その後、名古屋-紀伊勝浦間には臨時の急行列車が設定され、時にユーロライナーの客車なども使用されるが、【南紀】へのキハ85系投入後(1992年)は臨時急行の運行もあまり見られなくなったようです。

* * * *

比較的最近の面白い急行列車として、2009年紀勢本線全通50周年イベントで新宮発亀山行き1本が挙げられます。引退間近のキハ181系をJR西日本から貸し出しで運用されました。折りしも姫路方面から伊勢への修学旅行列車としてキハ181系が毎年紀勢本線・参宮線(亀山-鳥羽間)に乗り入れていた時代で、特に多気→亀山間は走り慣れたルートでしたね(紀勢本線多気以南でのキハ181系は初めてだったのでは)。

もう一つ気になる列車として、奈良発着の臨時【紀州】。1985年3月定期【紀州】廃止後、86年5月ごろまでなぜか奈良-紀伊勝浦間にて臨時の【紀州】を運行。そもそも奈良市周辺から三重県東紀州への旅客流動があるとはあまり考えにくく(かつて奈良交通の特急バスが吉野・大台ケ原経由で熊野市・新宮まで運行されていたが)、これまた謎な列車でした(国鉄時代末期はとにかく行先が迷要素の列車が多かったですね)。松阪以南への近鉄からの乗り継ぎを想定したものなのでしょうか(名古屋-松阪間は近鉄と完全並行するため、早くて便利な近鉄特急に乗り換えるケースも多かった)。奈良-亀山間はもちろん関西本線を走行。【かすが】(名古屋-奈良)が1往復に減便される中、臨時【紀州】こそが【志摩】とともに辛うじて関西本線の最後の輝きを保っていたと言っても過言ではないでしょう。


瀬田駅発着の近江鉄道バス・滋賀医大線。

運行系統は次の3つが存在します:

1)瀬田駅~一里山~瀬田公園前~文化ゾーン前~滋賀医大西門前~東大津高校~大学病院前
2)瀬田駅~一里山~瀬田公園前~文化ゾーン前~滋賀医大西門前~東大津高校~大学病院前~東大津高校~大津営業所前
3)瀬田駅~一里山~瀬田公園前~県立アイスアリーナ~大津市公設市場


上記路線系統の運行エリアは帝産湖南交通と競合するエリアで、特に基本系統の1)瀬田駅~滋賀医大系統は帝産湖南交通と共同運行という形態となっています。運行本数は帝産湖南交通が15分ヘッド(朝の登校時間帯は1時間に8~9本)なのに対して、近江鉄道バスは1~2時間に1本。帝産湖南交通のシェアが大きいです。

瀬田駅~一里山~瀬田公園前間には、帝産湖南交通の龍谷大学線も走っています。龍谷大学といえば京都市伏見区の深草を連想されるかと思いますが、大津市にも瀬田キャンパス(理工学部、社会学部、国際文化学部、農学部)があります。龍谷大学線の一部便は県立アイスアリーナを経て大津市公設市場まで運行されます。

近江鉄道バス大津営業所は大津市公設市場西側に隣接しています。

JR瀬田駅には新快速は止まらないので注意。

(追記)
龍谷大学の国際文化学部は深草キャンパスに移転、理工学部は「先端理工学部」に改組されました。


大阪バスが、2020年8月24日より東大阪市のJR・近鉄俊徳道駅~近畿大学東門前間のシャトルバスを運行開始。

所要時間15分(ノンストップ)、運賃は大人100円。しかも大阪初の市内路線バスとしてスマホ決済PayPayが利用可能です。

近畿大学東大阪キャンパスへの最寄り駅は近鉄大阪線長瀬駅。駅前から大学まではいわゆる「学生街」であり、安くて美味い食堂が並んでいます。

現在ではJRおおさか東線開通に伴い、おおさか東線経由での通学ルートも成立。ただ、おおさか東線の駅からは少し離れており、やや不便ではあります。

今回、俊徳道駅~近大東門系統の運行開始は、JRおおさか東線経由で通学する近大生には朗報でしょう。

http://www.osakabus.jp/wp-content/uploads/2020/08/202008171427.pdf



大阪府四條畷市は生駒山系の清滝峠によって東西に事実上分断されている状態で、清滝峠(清滝トンネル)より東側は地形的に奈良県生駒市との結びつきが強く、田原台地域からは近鉄生駒駅への奈良交通バスを運行。田原台をはじめ東部地域からは四條畷市の公共施設が遠く、その負担軽減が課題でした。市内を東西に結ぶ路線バスに京阪バス田原線や近鉄バス清滝線が存在するが、あまり利用しやすいものではなかったように思われます(かつて、京阪交野市駅と京阪大和田駅を結ぶ京阪バス【18】号経路があったが、田原台地区で系統分割され、大和田~田原台地区は【48】号経路として運行)。

そこで、四條畷市は2000年より無料の公共施設巡回バス「くすのき号」「さつき号」を運行開始。前者は近鉄バス、後者は京阪バスの担当でした。しかし、前述の京阪バス田原線など既存の一般路線バスの乗客を奪う結果となり、2004年運行の見直しを実施。無料巡回バスは有料化したコミュニティバスとして運行されることになり、同時に既存の一般路線バスは廃止。運用担当は京阪バス(門真営業所)に一元化され、近鉄バスは清滝団地・四條畷電通大以東から撤退。清滝トンネルを抜ける一般路線は、現在も京阪守口市駅・大和田駅からの飯盛霊園臨時バス(京阪バス)が残っています。

四條畷市コミュニティバスは、四条畷駅~清滝峠~田原地区系統をベースに(系統数は複数存在、便によっては経由地・経路が大きく異なる)毎時1~2本が確保され、利用しやすくなりました。山間部を走るにもかかわらず、2015年までは均一運賃(220円)だったが、2015年以降は2区間制(清滝峠を境に運賃が変わる。1区220円、2区250円)に改定。

コミュニティバスは京阪バス「1Dayチケット」では利用できないので注意(飯盛霊園臨時バスでは利用可能)。


2020年12月より、JR東日本秋田支社に新型電気式気動車GV-E400系が導入される予定です。

GV-E400系は2019年8月新潟支社に導入され、交直流セクションを跨ぐ羽越本線などで運用中。続いて、秋田支社管内にも23両導入される流れで、五能線・津軽線(秋田-東能代間、弘前-青森間)・奥羽本線で運用開始する予定です。 現在運用中の国鉄型気動車キハ40・48形は引退する見込みです。

昔、「東北ワイド周遊券」で五能線に乗車したことあります。確か深浦あたりのYHで一泊したと思います。日本海の絶景が最高ですね(^-^)


五能線などへ新型電気式気動車を導入 JR秋田支社(河北新報)
https://www.kahoku.co.jp/tohokunews/202008/20200823_43023.html



京阪バス高槻営業所に新車2台が入ったと報告されました。

N-6327・6328(エルガLV290)です。今年夏に同営業所に投入された新車はN-6323と合わせ3台。

一時期高槻管内でかなりの勢力を占めていたエアロミディ10.5m車も、残り1台だけとなった模様です。数年前は、エアロスター幕車、ブルーリボンシティのほか、レインボー10.5mまで配置され賑やかな顔ぶれだったが、今後は高槻営業所もJ-BUSのLV290またはKV290に置き換えられて行くのでしょうか?

現在、「みつひでライナー」運行用にJ-BUSトップドア車(H-3208、3244)が転入しています。

(追記)代替はN-1103、1104です。N-1103は門真に転属、N-1104は廃車。

(追記2)N-6329も高槻に納車されました。これにより高槻のエアロミディは消滅した模様です。


イズミヤ枚方店は今年で開店から50周年を迎えました。

現在、同店の2階(住居関連・衣料品フロア)が改装工事中です。8月29日に衣料品売り場のみ改装オープンする予定。秋には2階フロアの改装が完了する見込みです。改装に伴い、8月24日~28日は食料品売り場を除いて休業となるようです(2階住居関連売り場は16日から休業)。

近隣店舗で直営店の売り場を縮小、あるいは食料品スーパーに建て替える動きが相次ぐ中、改装後の枚方店がどうなるのか気になりますね。枚方店も50年を迎え、そろそろ建て替えの動きがあっても不思議ではありませんが・・・。




先日、大阪~宝塚間のバス乗り継ぎで大阪国際空港に寄るルートを取る場合、空港から先の乗車ルートをどうするかという記事を投稿しました。
http://katanogawara.blog.jp/archives/35736058.html

大阪国際空港から先、

【90】宝塚行き
【25】【26】JR伊丹(伊丹市営バス)

に乗り継ぐことになるが、【90】系統は近年のダイヤ改正で夕方時間帯以降のみの運行に減便され、乗車しづらくなりました。

* * * *

さて、空港には阪急バスの路線系統がもう一つ乗り入れています。

それは【1】系統・池田行き

運行経路は、

大阪国際空港~空港一丁目~阪急石橋北口~井口堂~緑丘~旭丘~呉羽の里~石澄(渋谷高校前)~畑四丁目~東畑~渋谷中学校前~五月丘~五月山公園・大広寺~綾羽町~池田

走行区間の大半は池田市(空港ターミナル付近で豊中市にも乗り入れる)。見晴らしの良い山麓の大阪r9を回るもので、これまた乗ってみたい路線です。池田市の観光名所である五月山公園へも便利ですね。

運行ダイヤは2時間に1本と少な目です。運用担当は石橋営業所で、井口堂が最寄バス停です。

池田市内には「呉服」「綾羽」など、呉服に因む地名が多いのも興味深いですね。大阪・兵庫の県境でもある猪名川には絹延橋と呼ばれる橋も架かり(能勢電にも「絹延橋」駅がある)、池田が古くから織物業の町として栄えたことが伺えます。

池田市ゆかりの有名企業にはダイハツ、日清食品、とよすなどがあり、阪急阪神ホールディングスも登記上は池田市です(阪急創立の父・小林一三ゆかりの地)。それに因んだ観光施設も多く、小林一三記念館、カップヌードルミュージアムなどユニークな博物館が多いのが特徴です。


P1010090

京阪神の「新快速」電車開始から今年で50周年。

新快速が誕生したのは1970年大阪万博開催の年。京阪神間の東海道・山陽本線における快速列車の種別の一つであり、私鉄王国関西における都市間輸送を担う「料金不要の最速達列車」として、「新快速」が設定されました。当初は京都-西明石間の運転だったが、現在では敦賀・米原-姫路・播州赤穂までの広範囲にわたって終日運転され、転換クロスシート車223・225系を使用。通勤・通学・観光・旅行に快適便利で、多くの利用客に支持されています(さらに2019年より試行的に有料座席車両「Aシート」を一部の編成に導入)。

さっそくですが、2020年秋の京都鉄道博物館では、新快速50周年記念をテーマとしたイベントが開催される予定です。
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/200817_00_50.pdf

* * * *

さて、1970年誕生当時の新快速に使用された車両といえば、なんとスカ色の113系も使用されていたそうです! もともと首都圏の横須賀線で使用されていたものが転属したわけですね。

ただ、1972年には山陽新幹線岡山開業で余剰となる急行形電車153系が関西の新快速に転用されます。塗装はいわゆる関西オリジナルの斬新な白灰色に青帯を配する「ブルーライナー」とされました(阪和線の113系も新快速運転に合わせ同じ塗装となる。阪和線の新快速はわずか6年の短命に終わるが、113系のこのカラーデザインは2012年の引退まで受け継がれる)。元々優等列車で使用されていた分、113系より高速・快適に違いないが、やはり老朽化が目立ち、阪急・京阪などの私鉄特急に苦戦する状況。

そこで大阪鉄道管理局が新快速専用車両の設計開発を特別に手がけ、ちょうど新快速誕生10周年に合わせるように、1979~80年、117系近郊型電車を登場させます。私鉄特急との競争力をつけるべく2ドア・転換クロスシートとし(ただし近郊型ゆえ「デッキ無し」とする)、スピード感のある外観デザインと落ち着いた快適な車内に仕上げ(ここは阪急電車を意識したものだろう)、従前の急行・特急列車をも上回る破格の接客サービスを実現したもので、好評を博しました。

その後、国鉄がJRに生まれ変わり、新快速車両は221系→223・225系へと代々受け継がれ、現在に至ります。221系以降は3ドア車となり、停車駅増加とともに年々混雑が慢性化し、快適性の確保が課題となっています(そのため、試行的に「Aシート」が取り入れられているが)。

↑このページのトップヘ