京阪バスでは、2019年12月、「ドライバー異常時対応システム(EDSS)」を装備した新型路線車を導入した、と報じられました。該当する車両は、京田辺営業所N-6304・6305・6307(いすゞ製ノンステップ)の3台です。本年3月までに18台導入が予定されています。

EDSSとは、走行中、運転手が急病等で運転できなくなったとき、乗客あるいは運転手自身が「非常ブレーキスイッチ」を押すことで、段階的に速度を落とし停車する機構です。


ドライバー異常時対応システム(EDSS)搭載 新型路線バスデビュー
https://www.keihanbus.jp/news/sysimg/00646/link_mqojp.pdf



国鉄時代の面白い気動車急行をまた一つ紹介したいと思います。

山陰と九州を結ぶ【あきよし】。

運行経路・区間がとてもユニークなもので、

江津 ~浜田~(山口線経由)~博多
   浜田~(美祢線経由)~小倉~(日田彦山線経由)~日田~天ヶ瀬

(江津-浜田間普通列車)

なぜか、島根県の山陰本線から美祢線を経て日田彦山線・久大本線に入り、「西の軽井沢」・温泉街で知られる由布院(大分県)の手前、日田や天ヶ瀬を結んでいました。グリーン車無し・普通車オンリーのローカル急行ながら、片道の運行距離は310kmと地味に長く、気になる存在です。

当初、山口線経由博多行きも設定され、美祢線経由編成と浜田~益田間併結運転が行われました。山口線経由はのちに【つわの】として独立(→1980年10月1日廃止)。美祢線・日田彦山線経由編成は、1985年3月まで残るが、1980年10月改正で日田~天ヶ瀬間廃止および上りは益田止まりに。小郡機関区(広コリ)のキハ58系が使用されました。

1985年3月改正で、【ながと】に改称の上、浜田~下関・小倉間に短縮され、さらに美祢線経由は廃止(山陰本線経由に変更)。同改正で山陰本線下関口の優等列車は大幅に整理されました。新大阪~博多間ロングランの特急【まつかぜ】は米子以西の【いそかぜ】に短縮され、キハ80系食堂車連結の貫禄ある姿からキハ181系普通車4両の身軽な姿に変わり、格落ちした印象でした。鳥取・米子と北九州を結ぶ急行【さんべ】も1往復に減便されるとともに、グリーン車連結廃止、小倉折り返しのローカル急行に転落。その後、1997年までに【さんべ】【ながと】は全廃、【いそかぜ】も度重なる運行区間短縮を経て2005年に廃止されました。現在、山陰本線下関口(益田-幡生・下関)を走行する優等列車はありません。


くずはモール内で閉店が相次いでいます。

今月に入り、

つるはん
キデイランド
スルーピータウンショップ
Muu Muu Diner


などが既に閉店しました。続いて今月中に、

パーツクラブ(1月29日閉店)
coen
SOUP
un dix cors
エイミーパール


が閉店予定です。

なぜ、こんなにも立て続けに閉店なのかといえば、くずはモールのリニュアルとの期待もあるが、昨年10月消費増税による売上げ落ち込みの影響も考えられそうです。


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最近、京阪2600系0番台先頭車に変化がありました。

貫通扉の渡り板が撤去されています。理由は不明ですが、もはや編成組み換えせず、そのまま現在の7両固定編成で使用するということでしょう。

2600系0番台には、旧2000系1次流用車が2両(Mc2624、Tc2818)残存しており、新造から60年を経過しました。老朽化も目立ち、今後の去就が気になります。


185系の余命宣言が出され、臨時快速【ムーンライトながら】(東京-大垣)も昨年末限りではと思われていましたが、今春も運転すると発表されました。

3月下旬に計18本運転、運転日は

●下り(大垣行き)
3月20日~28日

●上り(東京行き)
3月21日~29日

(運転日は始発駅基準)

の予定です。

今春より、 特急【踊り子】には豪華仕様の新型車両E261系(全グリーン車)を導入すると同時に、レギュラークラスの列車にE257系を改造転用し、185系などを置き換えることが決まっています。車両代替に伴い、JR東海区間(熱海-三島間)に跨る修善寺【踊り子】の存廃が心配されていたが、修善寺直通にも対応した仕様に改造されているようで、ひとまず安堵というところでしょう。

問題は、【ムーンライトながら】。185系が引退すれば、そのまま自然消滅になってしまうのでは、との見方が有力ですね。臨時列車化以降、年々運転日数は縮小傾向にあり、「青春18きっぷ」以外の利用者が減少しているとのことで、先細るばかり。JR東海区間乗り入れE257系が後任にとの期待もあるが、如何に・・・

臨時夜行快速「ムーンライトながら」今春は計18本運転(乗りものニュース)
https://trafficnews.jp/post/93019




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京都市バス【204】系統・北部循環線。

204系統は北大路バスターミナルを起点に、北大路~西大路~丸太町~白川通~東鞍馬口通などを循環する路線系統です。主な停留所は、

北大路BT~ 大徳寺前~船岡山~千本北大路~金閣寺道~衣笠校前~北野白梅町~西ノ京円前(JR円町駅前)~千本丸太町~堀川丸太町~府庁前~烏丸丸太町~丸太町京阪前~熊野神社前~東天王町~錦林車庫前~銀閣寺道~北白川校前~上終町京都造形芸大前~高原町~田中大久保町~高野~洛北高校前~植物園前~北大路BT

で、京都駅や四条河原町には乗り入れていないものの、京都市街地北部の主な鉄道駅・ターミナルや観光地(金閣寺、銀閣寺、大徳寺、平安神宮、京都御苑ほか)を巡り、利用状況は概ね良好と言えます。左回り・右回り両方とも同じ「204」系統です。一見、京都駅・北大路BT発着の【206】系統を北半分に縮小したような路線だが、運行ルートがかなり異なります(【206】系統は東大路通・北大路通・千本通経由)。

一つ面白いのは、上終町京都造形芸大前~高野間のルート。メインストリートの白川通~北大路通を素直に通らず、やや裏道的な東鞍馬口通に入り、東大路通へ抜けます。

運行ダイヤは15分間隔、烏丸営業所担当です。

烏丸営業所といえば、かつて西工ボディ+日産ディーゼル(UD)という、癖のある車両が所属していましたね(特にモノコック「カマボコ」「ハンペン」のUDは、ルーバーの形状やクーラーユニットの形などで特徴が目立っていた)。


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京阪2200系2210Fです。

2210Fといえば、もともと、

2210-2304-2354-2260

の4連であり、かつて3連2600系2629F(2629-2729-2829)を大阪側につなげ7連を組んでいました。2210Fが4連ユニットだった時代、特に2629Fの登場前(1982年)は、4連単独で運用(すなわち普通および宇治線)をこなすこともしばしばでした。当時非冷房・旧型車のたまり場だった宇治線における2210Fは、貴重な冷房車として「別格」の存在でした。2210Fは1981~83年、交野線にも時折姿を見せました。

相方の2629Fは2600系でありながら、竣工当初は正面行先・種別表示幕が装備されず、2200系の仕様に合わせて方向板使用でした。その後、2200系更新工事を機に、2629Fも2200系と同じスタイルに変わり、Mc2629の運転台は撤去、実質M2700形に。 2629Fは他の2600系(30番台含む)と編成を組んだことはなく、2200系増結用の扱いでした(一時期、2400系と7連を組んだこともあるようです)。

2005年ごろ、2629Fは併結相手を2218~2373に変更するが、2009年に2218~2829編成は廃車されました。

2210Fの現在の編成は、

2210-2304-2354-2378+2336-2325-2364

の組成となっています。


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JR山崎には、阪急バス【80】系統(阪急東向日行き)と京阪バス【13】号経路(京阪淀駅行き)が発着。

京阪バス【13】号経路(男山営業所管轄)の本数は非常に少なく、朝と夕方の時間帯のみに偏っています。

ただし、京阪バスは臨時便2系統も発着します。

京都競馬開催日の競馬シャトルバスと、正月3が日のみ運行の八幡山崎線です。

上の写真は競馬シャトル運用に入るエアロスターW-1227(高槻営業所所属)です(2019年8月撮影)。競馬シャトルバスでは「1Dayチケット」の利用は不可なので注意。

せっかくなので、阪急バス【80】系統の写真も追加させていただきます。

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阪急バスと京阪バス停留所標識の組み合わせも、少し妙な感じがしますね。


高槻市営バスの北部山間部直通路線を一つ紹介したいと思います。

山間部への路線系統といえば、

○JR高槻駅北~原大橋~樫田地区(田能線)
○JR高槻駅南~阪急高槻駅~成合~川久保(成合・川久保線)
○JR高槻駅北~JR富田駅~関西大学~萩谷(萩谷線)


の3系統があるが、ここでは、3番目の萩谷線をレポートすることにします。

萩谷線は、樫田方面(田能線)ほどの長距離路線というわけではないが、少しだけ茨木市に踏み入れたり、終点・萩谷から続く道路(大阪r115)がダート(林道)となるなど、なかなか面白いネタがあると思いました。

運行経路・主な停留所は、

JR高槻駅北~JR高槻駅西~高槻橋~サンスター前~明治大阪工場前~JR富田駅~宮田~氷室~南平台西口~奈佐原~上奈佐原~西の口~月見台~関西大学~阿武山口~変電所前~萩谷総合公園~萩谷

で、JR高槻駅北~JR富田駅間はR171を走行、JR富田駅から先は大阪r127・115を北へ進み山間部へ分け入ります。

JR高槻駅西には、かつてバス広場があり、富田方面のほか日吉台方面行きなどのバスも発着していたが、駅前再開発に伴い、北口ロータリーに統合されました。上奈佐原より先、山間部運賃(対キロ区間制)が適用されます。「西の口」は景勝・摂津峡の西入口。摂津峡への観光にも使えそうですね。関西大学高槻キャンパス前を経て、変電所前付近で少しだけ茨木市に越境ののち、萩谷総合公園を経て(萩谷総合公園での折り返し便あり)、山あいの集落・萩谷に到着。r115はここから先、ダート(林道)として田能とつながっています。

萩谷または萩谷総合公園への直通便は大半がJR富田駅からの発着であり、運行ダイヤは概ね1時間に1本で、そこそこの本数が確保されています。JR高槻駅北からは1日4便の設定です。

関西大学へは、萩谷線とは別に、JR高槻駅北から郡家本郷・南平台小学校・平安女学院大学経由もあり、そちらのほうが本数が多いです。


東京都区内で最後まで残った気動車急行(キハ58系)は、常磐線系統の【ときわ】【奥久慈】。

1982年11月15日ダイヤ改正で、上野発着東北本線系統のロングラン気動車急行【いいで】【おが】【出羽】ほかが消滅し、残るは常磐線系統のみになりました。 

常磐線上野口の末期の気動車急行は、水郡線直通の【奥久慈】2往復と、それに併結される【ときわ】でした(水戸機関区所属)。【ときわ】は基本的に455系ほか交直流電車使用の大所帯急行で、485系特急【ひたち】とともに上野口優等列車の主力ラインナップを飾るが、気動車運用も2往復存在していたことは興味深いです。どちらかといえば中距離のローカル色が強く、花形的なロングランの東北本線系統ほどではないにせよ、最後までグリーン車(キロ28)を連結し、首都圏において主要幹線の気動車急行らしい姿を保っていたことは、特筆に価するでしょう。私個人的に、阪和線・紀勢本線の【きのくに】に近いような雰囲気だったように思います。

1985年3月ダイヤ改正で【ときわ】は【ひたち】に格上げされ、全廃。もちろん常磐線内の気動車運用も廃止されました。ただ、同年春~秋開催の筑波科学博に向けた各種臨時列車で、余剰となった気動車なども総動員でした。その後もしばらく、上野発着水郡線方面への臨時列車が設定される機会も少なくありませんでした。

常磐線では1982年11月改正まで、上野発着の客車普通列車も残り(しかも旧型客車!)、仙台までの長距離を通すものもありました。水戸以北の区間では、普通列車は客車や気動車が大半だったが、急行列車廃止で余剰となった455系などが転用され、1985年3月ダイヤ改正で電車化を達成しました。


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