かつて、阪急バスは三田市にも多く乗り入れていたように記憶しています。
有馬温泉からの西宮市山口地区を経由し三田への路線もあったが、現在はその残滓であろう【17】系統<金仙山口~三田>が1日2往復のみです(他に宝塚-三田系統もあったように思いますが)。これとは別に、三田駅北口から宝塚市西谷地区へのバス(旧・西谷バス→阪急田園バス)もあるが、本数は1日3~4本のみと少ないです。

さっそく、三田線【17】系統ですが、運行経路・主な停留所は、

金仙寺口~山口センター前~下山口~天上橋~名来(ならい)~平田~新道場~宅原口~八景(はっけい)中学校前~三田本町~三田

「金仙寺口」バス停は兵庫r82・西宮市山口町上山口1丁目に設置。走行経路の大半は有馬川の流路に沿う形です。有馬川は六甲山系北麓に源流を発し、有馬温泉および西宮市山口地区を経て、神戸市道場地区で武庫川に合流、武田尾・宝塚を経て西宮浜で大阪湾に注ぎます。さっそくr82を北へ辿り、R176交点・「新明治橋」を左折、三田市内までそのまま北へ進路を取ります。名来~平田間で神戸市北区(道場地区)に入り、宅原交差点の先で三田市に越境。ほどなく八景中学校前交差点を左折、兵庫r17~r141を辿りながら神戸電鉄三田線と並行、終点・三田駅前(南口)です。

三田駅はJR福知山線(宝塚線)と神戸電鉄の共同駅であり、ここから神姫バスの路線が三田市内をはじめ、神戸三宮への特急バス、そして三木・社方面への長距離路線が発着する拠点ターミナルで賑やかです。阪急バス【17】系統は(南口)1番のりばからの発車です。大阪方面へはJR福知山線のほうが早くて便利です。

有馬温泉と三田を結ぶバスは、もともと系列会社・神鉄バスの路線だったが、2002年10月阪急バスに移管。その後の度重なる減便・運行区間短縮の結果、現在の阪急バス三田線【17】系統の形に落ち着きます。


南海電鉄の車両は、少し前まで首都圏の東急車輛に発注製造してきました。
現在量産中の8300系より、近畿車輛で製造することになっています。

工場から南海電鉄への搬入は、基本的に国鉄・JRの甲種輸送で行われます。東急車輛で竣工した南海車両は、東海道本線を西へ下り、京都駅でスイッチバックおよび牽引機をDD51に付け替え、 奈良線・関西本線・阪和貨物線・阪和線を南下、和歌山駅で再びスイッチバックののち、紀勢本線末端区間を辿り、和歌山市駅構内の南海車両基地に渡るという経路でした。京都や奈良で南海の車両を拝める、唯一のチャンスでもありました。関空特急ラピート(50000系)も、このルートで搬入されました。奈良線も紀勢本線末端区間も電化区間なのにDD51に牽引されるのは、和歌山市駅構内のJR・南海渡り線が「非電化」のため。

阪和貨物線は2004年営業停止・廃線になり、百済貨物駅(大阪市平野区)から関西本線・和歌山線経由で搬入されるようになります。そして近畿車輛に発注先を変更後、徳庵から片町線・おおさか東線経由で吹田貨物駅に立ち寄り、梅田貨物線~大阪環状線~関西本線~和歌山線経由での搬入ルートを採用。先日デビューしたばかりの高野線用8300系は、深夜時間帯に和歌山線を通過したようです(和歌山線に夜行列車が運転されたことはなかったはずだが)。和歌山線経由だと、橋本から南海高野線に入れたらよさそうにも思えるが・・・。

国鉄時代だったら、片町線~城東貨物線(おおさか東線)~関西本線~和歌山線という搬入ルートになるでしょう。実際、近鉄南大阪線用の車両は、このルートを使い、吉野口で近鉄線に渡っていました。ちなみに近畿車輛製の京阪京津線80形も、台車を履き替えながら、吉野口~橿原神宮前~丹波橋~三条~錦織車庫(京阪と近鉄京都線が相互乗り入れ中だったのでレールが繋がっていた)という、伝説の大回りルートで搬送されたことがあります(このルートは最初だけで、以降片町駅で京阪に引き渡すという形になる)。


紀伊半島を一周する紀勢本線は、和歌山県側の和歌山市-新宮間はJR西日本の電化区間、三重県側の新宮-亀山間はJR東海の非電化区間であり、両者を跨いで直通する列車は特急【南紀】<名古屋-紀伊勝浦>を除いて存在しません。

しかし、国鉄時代には、1959年の紀勢本線全通を機に、紀伊半島を一周して天王寺と名古屋を結ぶ直通列車が多く設定されました。高度経済成長期にあって、南紀が新婚旅行のメッカであり、伊勢志摩~紀伊半島~奈良~京都という観光ルートも定番化。特にキハ80系で新設される特急【くろしお】は、食堂車にグリーン車(キロ)2両連結という、観光地向けのデラックスな列車で高嶺の花でした。急行【紀州】(キハ58系)ともども天王寺(・紀伊田辺)-名古屋間の直通運転を実施。【紀州】には和歌山・名古屋のほか美濃太田区の気動車も使用され、美濃太田所属編成は天王寺到着後、折り返し【きのくに】に入る面白い運用もあったそうです。

ほかに、夜行普通列車も天王寺・和歌山市ー名古屋間に設定、夜行区間の天王寺-新宮間では寝台車も連結され、大阪方面からの釣り人に重宝されるほか、新宮以東の三重県側では高校生の通学、東紀州方面から松阪への買い物など地元客に利用されていました。

紀勢本線が最も耀いていたのは、1978年和歌山-新宮間電化の数年前と言えるでしょう。
新宮付近を跨いで紀伊半島を一周する普通列車も、1973年以降は順次気動車化が進んだため、徐々に減少。 関西本線大阪口電化で捻出されるキハ35系が紀勢本線西側に進出、和歌山付近を中心に新宮までのロングラン運用も生じました。紀伊田辺-松阪間を直通する気動車普通列車もあったが、そちらのほうは亀山機関区持ちでキハ55形などが組まれることも多かったようです。

1978年の電化では、特急【くろしお】は381系電車化に伴い、名古屋直通は廃止。急行【紀州】は名古屋-紀伊勝浦間に短縮され、天王寺直通の頃に比べローカル色が濃くなりました。名古屋側にはキハ80系の特急【南紀】が新設されるものの、食堂車無しで編成も6両に短縮、格落ちの印象でした。普通列車は新宮で系統分割されるが、夜行【はやたま】1往復だけ紀伊半島1周列車が辛うじて残存。ほかに、参宮線鳥羽発天王寺行きの急行【きのくに】も片道1本だけ残りました。電化後も主に新宮以西をカバーする【きのくに】は、南海直通などもあるため、気動車で残りました。このほか、紀伊半島一周ではないが、新宮発和歌山経由和歌山・桜井・関西本線経由の大回り名古屋行き【しらはま1号】(片道のみ、和歌山までは【きのくに】、柘植-名古屋間【平安】とそれぞれ併結)も、1980年まで残ります。名古屋【しらはま】の前運用は、【紀州】夜行便で名古屋から紀伊勝浦まで下ります。

電化後もしばらくこの体制が続くが、1982年5月関西本線名古屋口電化に伴うダイヤ改正で、紀勢本線特に三重県側の優等列車も整理されます。鳥羽発の【きのくに】は廃止され、夜行【はやたま】は天王寺・和歌山市-亀山間に短縮(したがって関西本線名古屋直通は廃止)。紀伊半島一周の体裁だけは辛うじて保たれました。その【はやたま】も、1984年2月、12系化と引き換えに、寝台車連結廃止とともに運転区間も天王寺-新宮間に短縮され、紀伊半島一周列車は消滅しました。合わせて寝台特急【紀伊】<東京-紀伊勝浦>も廃止。分割民営化を意識した列車ダイヤ再編が、1978年の電化時点前後から進んでいたように見えます。


津田のアルプラザ枚方(平和堂)1階、フードコートのお店が全部閉店となった模様です。

店の入れ替わりが激しいが、今年秋に入って閉店が相次いだそうです。
10月に入り、たこ焼きの「千成屋」、続いて「和楽庵」「コドモカフェ」が閉店となり、フードコート内のお店はゼロに。
10月1日実施の消費増税10%と軽減税率の影響だと察することができます。イートインで消費税10%、持ち帰りで8%は、相当デカイでしょう。

http://www.hira2.jp/close/alpla-20191209.html

 


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東北地方の某駅です。1990年代前半です。
左側のキハ110系は急行【陸中】なので、山田線の駅でしょうか。
右側・留置線のキハ52ともども、懐かしいツーショットですね。
 


西日本ジェイアールバスと全但バスは、2019年12月21日より、京都~城崎温泉間の直通高速バスを運行開始すると発表。

京都駅烏丸口発着で、途中春日ICなどに停車することから、新名神・舞鶴若狭道・北近畿豊岡道経由のルートのようです。京都縦貫道~(綾部JCT)~舞鶴若狭道経由の可能性もありそうですね。

1日2往復の運行、所要時間3時間30分~45分、片道運賃3,900円。

JRの特急【きのさき】への影響も注目でしょう。

https://trafficnews.jp/post/92016





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紳士服のツキムラですね(^-^)
 


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今月開通の「高田1丁目」バス停です。大阪r18【枚方交野寝屋川線】の水春前に設置。

【21A】号経路<寝屋川市駅~寝屋川団地~高田1丁目>の終点です。
昼間時間帯毎時1本が発着します。 
高田1丁目での折り返しは、回送となって交野営業所に入庫します。
したがって、北行きの停留所はおりば専用です。

ここから「高田」バス停へ徒歩10~15分ほどで乗り継ぐことも可能です。


京阪宇治交通(→京阪バス)の気になる過去路線を一つ。

【77D】号経路<京阪八幡~松井山手駅>

【77】号経路<京阪八幡~男山車庫>(大芝・松花堂前経由)の派生系統として、1992年9月に新設されました。運行経路・主な停留所は、

京阪八幡~八幡市役所前~広門~久保田~御幸谷~南八幡高校(現・京都八幡高校南学舎)~美濃山口~きんめい台西~山手中央~松井山手駅

で、御幸谷~松井山手駅間は【67B】号経路のルートそのものでした。

八幡田辺線【74】号経路などとは経路が異なり、京都r735・r251で八幡市街地と美濃山・松井地区を短絡。走行区間の大半は八幡市域(松井山手駅周辺のみ京田辺市)であり、美濃山・きんめい台地区住民の八幡市役所への用務利用、および松井山手駅から南八幡高校への通学利用を意識したものと考えられます。

運行本数は少なかったものと思われます。2007年11月に廃止されました。

その後、2008~09年の半年間、上記【77D】号とは異なる経路で、「八幡市南北線」として、京阪八幡~松井山手駅間の試験運行が実施されました。【67D】号と同じ本郷経由でした。これも利用状況が低かったようで、本格運行に至らずに廃止。



京都市バス横大路営業所管内のユニークな過去路線を一つ。

【21】系統<横大路車庫~小野>(六地蔵線)。 運行経路は、

横大路車庫前~府道横大路~国道大手筋~西大手筋~中書島~観月橋~桃陵団地前~桃山南口~六地蔵~町並~石田~醍醐三宝院~醍醐新町 / 醍醐北団地~小野

で、伏見区中心部(中書島、西大手筋)と同区醍醐地区を東西に結ぶ路線でした。観月橋~六地蔵~町並間は、京都r7を辿り(京阪宇治線およびJR奈良線に並行)、町並付近で宇治市に越境。町並以北は、京阪バス山科六地蔵線・三条六地蔵線(【12】【22】号経路など)とほぼ同じルートでした。1997年10月地下鉄東西線開通時、伏見区醍醐地区&山科区からの市バス撤退に伴い、本系統は廃止。京阪バス【6】【6A】号経路(西大手筋~醍醐バスターミナル)に継承されます。京阪バス移管以前も、【8】号経路(日野誕生院線)が桃山南口を経て観月橋・御香宮まで運行されていました(1995年ごろ京阪六地蔵発着に短縮され、京阪バスは桃山南口方面から一時的に撤退)。

伏見区中心部と醍醐地区を結ぶ数少ない市バス路線(他に【南6】【南7】があった)でした。

もともと醍醐営業所(廃止)が管轄していたが、1976年より横大路営業所が担当。その後、1983~88年にかけて、醍醐車庫乗り入れが一時的に復活することもありました。横大路担当として、唯一醍醐地区に足を伸ばす路線系統であり、同地区において市バスの三菱ふそう車は貴重な存在でした(醍醐営業所所属車両は日野車に統一)。

京阪バス【6】【6A】号経路は、後年西大手筋から油小路通(第二京阪側道)を北上して竹田駅西口へ延伸。さらに2018年には、龍谷大学前・稲荷大社前を経て京都駅八条口乗り入れが実現します。元来、山科営業所の担当だったが、京都駅乗り入れを機に洛南営業所に移管されました。

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