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近江鉄道の「赤電」。

「赤電」とは820系822Fのことであり、西武401系431Fを種車として1997年に登場。
 2012年~16年までは滋賀県警・JR共済滋賀県本部のラッピングが施されました。その後、近江鉄道創立120周年を記念し、赤電の塗装に変わりました。

顔はJR西日本の食パン型113・115系、特にあのサンパチによく似ていますね(笑)


高野線で60年にわたって活躍を続けてきた20mステンレス通勤車・6000系。

6000系は通勤車としては最後の片開き扉であることが特徴です。

その6000系たちも、8300系に置き換えられることが決まり、既に廃車が発生しています。

過去に撮影した6000系の画像を数点アップしてみました。撮影時期は2014年です。


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天下茶屋に到着するなんば行き

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天下茶屋で6000系どうしの離合

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山間部区間用2300系と対面(橋本にて、JR和歌山線ホームより)



国鉄末期、1970年代末~80年代半ば(87年3月)の新車について。この頃、分割民営化などが視野に入り、各地域ごとの輸送実態に合わせ、個性的な新形式が相次いで登場。京阪神新快速用117系、201・203・205系通勤型電車、電化ローカル線用105系、185系特急型電車、キハ183系特急型気動車、・・・。

ここでは、上記の新形式たちよりも、むしろ同時並行で最終増備された標準的な従来型形式(103系、113系など)を中心に書いてみたいと思います。 


関西圏では、1979~80年にかけて新快速用117系を製造、旧来の153系急行型電車を置き換えました。

一方、1978年より113系2000番台が東海道・山陽本線快速用に順次投入され、阪和線・紀勢本線(青帯)にも6連×1本だけ製造されました。

また、1980年3月草津線・桜井線・和歌山線(王寺-五条)電化の名目で新造された車両もあります。それは、

113系2700番台(湘南色)
113系2000番台(春日色)

で、2700番台は700番台とともに湖西線・草津線(そして東海道・山陽本線)で共通運用。2000番台春日色(6両×3本)は主に関西本線(大和路線)快速で使用され、朝夕を中心に和歌山・桜井線に直通運転を実施。2000番台春日色のうち、中間モハ2両×2本は、後年紀勢本線御坊-紀伊田辺ローカル用としてワンマン仕様にクモハ化改造され、最後の活躍を続けましたが、本年3月、およそ40年の寿命で引退したばかりですね。


関西ではお目にかかれなかった103系高運転台車も、1979年にようやく登場しました。まず、大阪環状線・片町線・桜島線にオレンジ色が数本登場。片町線は四条畷-長尾間の複線化完成と東寝屋川(→寝屋川公園)・藤阪駅の開業に合わせ、非冷房101系ばかりだったところに高運転台車103系が加わり、当然冷房車で利用客には喜ばれたことでしょう。

翌年1980年夏には、阪和線にも高運転台103系(青色)が6連×3本登場。阪和線は関西で最初に103系の運用が始まった路線で、首都圏からの中古車が多く、非冷房車もざらでした。阪和線の103系は主に普通電車で使用されるが、快速・区間快速での運用も少なからず存在しました。

1981年4月、福知山線大阪-尼崎-宝塚間電化開業に合わせ、関西初の黄色103系が新車でデビュー。編成単位での103系基本形式としては福知山線用が最後だったようです(その後、首都圏に中間車の最終増備や、筑肥線~福岡市営地下鉄直通用1500番台が追加されるが)。もちろん高運転台・冷房付きで大阪-宝塚間の普通電車専用に投入されるが、篠山口・福知山以遠への旧型客車や気動車普通列車と共存というミスマッチな顔ぶれとなり、ある意味面白かったです。3年後の1984年、6連から4連に短縮、一部のモハユニットは片町線などに転用されました。


115系も1983年まで各地で増備が続きました。1978年以降、115系は寒冷地用1000番台(113系2000番台に相当)を基本仕様とし、北関東の東北・高崎線系統、新潟・長野地区、山陽本線岡山地区までの広範囲に投下。岡山地区への1000番投入は、1982年伯備線電化まで続きました。1000番台はJR東日本・西日本のほか、JR東海(中央西線山間部ローカル用)にも継承されました。

温暖地向けには2000番台として、山陽本線広島地区と身延線用に投入。身延線用はトンネル内架線高さの関係などにより、広島地区と一部仕様が異なります。

さらに広島地区には、1982年11月ダイヤ改正より、「広島シティ電車」として国電型ダイヤを導入、これに合わせ3000番台が登場。3000番台は115系と117系の「合いの子」でした。すなわち、顔立ちは115系ながら、117系と同じ2ドア・転換クロスシートという「珍車」で、好評を博しました。その後、関西地区221系投入で余剰となった117系中間車を岡山地区115系に組み込む、という「迷車」まで出現します。


気動車・客車について。1977~82年にかけて、全国各地にキハ40系(キハ40・47・48形)を800両以上新造投下され、旧来のキハ10系などを置き換えました。その後、JR発足直前にキハ32とかキハ54などの軽快気動車が四国・九州・北海道向けに製造されるが・・・。

客車はローカル輸送向けに50系(レッドトレイン)を新造、旧型客車を置き換えます。車内の雰囲気は同期のキハ40・48と同じでしたね。関西圏では草津線・山陰本線・播但線・姫新線・和歌山線などに投入されました。しかし、郵便・荷物輸送廃止などに伴い、普通列車は電車・気動車化で余剰気味に、10年にも満たず廃車されたものもあったようです(せっかくの新形式なのに冷房無しということも災い)。一方、青函連絡線開通に伴い、快速【海峡】号に50系客車が充当されることになり、リニュアル工事で活性化した例もあります。



京阪バス寝屋川・守口営業所管内について、 1980年代後半ごろのことを思いつくままに書いてみることにしました。

このエリアは、実を言えば、私個人的にさほど印象の強いところではありません。

一番乗車する機会の多かった系統は、寝屋川【11】号経路ほか摂南大学寝屋川キャンパス関連の路線だったと思います。全国模試などを受けることが目的でした。当時、寝屋川管内では中型車の比率が少しずつ増加しつつあったものの、大型車もまだ多く活躍。三菱ふそう車の姿は見られず(寝屋川名物だったブルドックB-1508・1509は既に大津へ転属)、日野ばかりだったと思います。モノコックのRE・RCもまだ現役でした。摂南大学からの帰り、寝屋川市駅行きでたまに整理券発行のバスに当たったとき、どこから来たやつのか興味がありましたね(たぶん古川橋からの【13】号経路)。

ちなみに、五木模試の会場は大阪電通大寝屋川キャンパスが多かったが、寝屋川市駅から徒歩でした(高宮四条畷線のバスが通るが、本数は少なかったはず)。

寝屋川管内の面白い路線系統として、【16】<枚方市駅~寝屋川市駅>などもあったが、これも機会を見つけて乗っておいたほうがよかったですね。枚方市駅北口で時々【16】号経路を見かけることもあり、Bタイプ(B-3461・3487)での運用が多かったように記憶しています。

* * * *

原付免許を取るために初めて門真自動車試験場へ行く時、古川橋駅から試験場前行きのバスは、富士重3EのRCでした。富士重のRCといえば、枚方営業所に1・2台だけの少数派という印象が強く(末期は主に招提線や樟葉長尾線などで運用)、門真(営)にもいるとは知りませんでした。

門真営業所には1985年ごろまで、四條畷市清滝地区運用の関係上、三菱ふそう車も3割近く所属していたようだが、枚方・高槻および京滋地区へ転出、日野ブルーリボンHT(大型車)やレインボーHR(中型車)に置き換えられました。

あと、門真管内で実際に乗車した面白い路線として、吹田八尾線【52】号経路があります。JR吹田~京阪守口市駅間で、寝屋川管轄【9A】号経路とは運行経路が異なり、千里丘から摂津市役所を経て、中央環状線・鳥飼大橋を渡り、大日から守口市駅に至るルートでした。阪急バスとの共同運行でした。


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JR西日本越美北線(九頭竜線)のキハ120。

九頭竜線のキハ120は初期に納車された200番台で、車体は普通鋼製、側面窓はユニット窓で、以降の0番台・300番台と仕様が異なります。普通鋼製車体のため、塗装が施されているが、後年の単色化路線により、キハ120-200番台も国鉄タラコ色に塗り替えられました。

画像のキハ120は、特別ラッピング車です。
 


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一時期、JR忍ヶ丘駅前(四條畷市)には近鉄バス(清滝線)も乗り入れていました。
2010年当時の画像があったのでアップさせていただきます。

忍ヶ丘駅は四條畷市唯一の鉄道駅。寝屋川市との境界すれすれのところです。隣の「四条畷」駅の所在地は大東市です。


南海高師浜線(羽衣-高師浜)が高架化工事のため、来年5月より3年間運休することになりました。運休中はバス代行輸送が実施するとのこと。

バス代行輸送にしてまで高架化工事を行うのは、工期短縮と経費削減のためだとされます。ただ、バス停留所は駅とは離れた場所に設置されるため、所要時間も電車の約5倍かかり、不便になるとのこと。

西洋風ステンドグラスの高師浜駅舎はどうなるのでしょうか?


南海・高師浜線1.5キロ、バス代行で所要時間5倍 高架工事で3年間休止(毎日新聞)
https://mainichi.jp/articles/20200514/k00/00m/040/041000c


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京阪香里園駅前・旧広場です。

狭い広場の中をバス・タクシーが出入りしていましたね。

バスのりばは、府道(r21)東側に移転しました。ここは、今もタクシーループに活用されています。
 


(その1)
http://katanogawara.blog.jp/archives/35145646.html
のつづき。

佐々里峠区間が一段落すると、若狭湾へ流れる由良川の旅となります。

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佐々里峠区間 冬季は通行止


西へ20kmほど走り、茅葺き屋根の民家群が視界に入るようになり、美山まで来たことを実感。

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かやぶきの里 美山

R162(周山街道)との交点(「安掛」交差点)が京都r38の終点です。R162を小浜方面(北行き)へ3kmほど走らせ、「静原」交差点を左折。京都r12を西に進み、由良川の旅は続きます。

京丹波町和知(旧・船井郡和知町)との境界手前には大野ダム。京丹波町の「市場」交差点を右折し、R27を綾部・舞鶴まで走り続けます。

* * * *

問題はこのあと。綾部市に入る手前までは、景色も良くて頗る快調だったが、ここから先、所々で渋滞に巻き込まれ、不快感を喫する「地獄の旅」となってしまいました。

さっそく、綾部市街地へ近づくにつれて、R27は渋滞。綾部市街地を過ぎて舞鶴市内までは流れは普通だったけど、西舞鶴(「大手」交差点)でR178(R175重複)に入り、由良川河口の丹後由良あたりで再び渋滞。そして天橋立付近は大渋滞・・・。さすがにGW中盤とあって当然でしょう。

今から思えば、R27~R178ルートを取ったのは大失敗でした。そもそも舞鶴市に寄る目的・理由などなく、ただ鉄道の走るルート(JR舞鶴線~京都丹後鉄道宮津線)に惑わされただけのようですね。綾部市街地から、引き続き由良川の流れに沿うルートを取る、すなわち府道で福知山市内を経て、R176経由で加悦谷に抜け、宮津市へ回るほうが、風景も良いし渋滞も少なく快適だったでしょう(由良川は福知山市からR175のルートで大江を経て丹後由良へ流路を取る)。京都~宮津・天橋立方面の特急列車も、今では福知山から京都丹後鉄道宮福線経由なので(急行【丹後】の時代は、ご丁寧に西舞鶴から宮津線を回っていた)。京都縦貫道(R478)も、綾部JCTから舞鶴市街地を通らず(舞鶴大江ICは通るが)、宮津・丹後方面へ短絡していますね。

岩滝口(「消防署前」交差点)からR178で丹後半島を周回。

「舟屋の町」で有名な伊根町の「道の駅」で、遅い昼食をとりました。時刻は確か午後2時を回っていたと思います。三条京阪からの走行距離は190km近く、同じ京都府内とはいえ随分遠くまで来たことを実感。というより、わざわざ花背・佐々里峠を大回りしたことが大きいのですがね。あと、伊根町に入る手前あたりは、狭隘区間だったため、渋滞に嵌りました。

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伊根の舟屋

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今回、かやぶきの里・美山と、舟屋の町・伊根を走行ルートに入れながらの丹後半島周回の目的の一つは、「京都府の魅力」を堪能することだったと思います。京都府は丹後半島から奈良県境にまで及ぶ、南北に細長く伸びる都道府県の一つですが、「京都府」を実感できるのは、せいぜい京丹波町より南側の地域でしょう。綾部・福知山・舞鶴以北の中丹・丹後地域まで「京都」というには、少し違和感があります。このあたりは、隣の兵庫県北部・但馬地方と合わせて一つの県にするほうが、一体感があるように思われます。

* * * *

経が岬を経て、強い西日を浴びながら、網野・久美浜(京丹後市)を通り過ぎ、やっとこさ兵庫県(豊岡市)に越境。三条京阪から兵庫県境までの走行距離は260km程で、京都府の広さを改めて実感。奈良・三重県境の南山城村から走るとすれば、300kmを超えることになるわけですが、それでも京都府の面積はさほど広くありません(面積ランキングは31位)。

豊岡市街地に着く頃には、もう日が暮れていました。これから、R312・R9・R427・R176経由で、ひたすら兵庫県を縦断して大阪市内まで走り続けるわけですが、まずR312で渋滞。和田山からR427で丹波市へ抜け、R176を快適に進んだと思えば、三田市内から長い渋滞。西宮北ICから、兵庫r82に脱して市街地へ抜けようとしたところ、またもや渋滞に呑まれるばかり・・・。山道の暗闇の中、方向感覚を失いつつも、何とか山を下りて、高級住宅地の甲陽園・夙川にたどり着きます。阪急電車の走る音が耳に入るや、ようやく大阪に帰ってきたと実感。R2に入り、日付が変わる頃に大阪梅田に着きました。

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この旅行の感想について一言でいえば、「疲れるだけの旅だった」。

あちこちで渋滞に嵌って苛立ちや焦りを感じながらの旅になったわけですが、仮に綾部~宮津間のルートをR176・加悦谷経由に取れば、もう少し快適だったことでしょう。

ただ、どうも天の神様からは、何かしら叱責を食らったようでもあります。渋滞に遭ってペースを乱されるのも、「天罰」の一つだったのではと勝手に妄想してみたり、後ろめたさは感じましたね。



今から22~23年ほど前のGW、バイク(小型二輪)で丹後半島一周の旅に出ました。

当日の天気は爽やかな五月晴れでした。さっそく、三条京阪に立ち寄り、【川端通り】を北に進みます。朝の鴨川の風が心地良かったです。出町柳駅前の三角合流点のところで、高野川と鴨川(賀茂川)を渡り、賀茂川左岸沿いの【加茂街道】を快走。青々とした若葉に包まれる「緑のトンネル」で、最高の気分(^-^)

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出町柳の三角合流点 右が賀茂川、左は高野川
両河川を挟んで糺の森・下鴨神社がある

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【加茂街道】の「緑のトンネル」

御薗橋(加茂川)を渡り、京都r38(旧道区間含む、別名【鞍馬街道】)を南丹市美山町までひたすらトレース。京都産業大学前を経て、叡山電鉄二軒茶屋駅付近から鞍馬まで、電車と並走。

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叡山電車貴船口付近
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鞍馬の町並み

鞍馬の町並みをゆっくり進んで間もなく、勾配の角度を上げ、本格的な北山の山岳道路に。「百井別れ」からしばらくR477との重複区間となります。この交差点を右折するとR477最大の酷道区間で、百井峠を越えて大原に。R477は途中を経て、琵琶湖大橋を渡り、近江盆地を東に向かって鈴鹿山脈を越え、三重県四日市市に至ります。なお、百井別れ交差点でR477をそのまま道なりに進路を取るなら、鋭角カーブが必要で、初心者ドライバーは避けるほうが無難。

百井別れを過ぎると、花背峠も近く、高度をさらに上げつつ、カーブも連続するようになります。

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花背峠

花背峠も京都市左京区。この先も、まだまだ左京区が続きます。

花背の里には茅葺き屋根も何軒か見られるが、大半はトタン屋根に張り替えられています。やはり茅葺きの手入れが難しく、職人が激減しているためでしょう。
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花背の里

下り坂が一段落し、桂川の谷間にたどり着いたところ(花背大布施町)で、R477が左(西方向)へ別れます。R477は桂川の流路にほぼ沿う形で京北町(右京区)から亀岡・園部を経て、大阪府能勢町・池田市を目指します。

ここから再びr38の単独区間となって、美山(南丹市)方向、すなわち桂川の流路と反対の進路を取り、京都市最果ての山里・広河原に。京都バス【32】系統が出町柳駅から広河原まで、1日3往復運行されています。広河原には京都市唯一のスキー場があり、京都府内有数の豪雪地帯です。

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花背~広河原あたりの風景 中央の川は桂川

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広河原バス停

ここから佐々里峠区間に差し掛かり、急勾配・カーブがしばらく続きます。佐々里峠が中央分水嶺にあたり、太平洋側と日本海側の境目です。峠で京都市(左京区)は終わり、南丹市(美山町)に。

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佐々里峠

佐々里峠を越え、茅葺きの里・美山をのんびり走り続けます。やがて、由良川に出会い、河口のある丹後由良まで、この川に ”五合目ほどまで” 寄り添う旅となります。由良川の源流は、美山町の北東・芦生原生林にあり、滋賀・福井との府県境(丹波・近江・若狭三国境)に近いところです。


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