京阪バス枚方営業所に所属していた日野大型車、K-RC301シリーズについて。

枚方営業所には前期型1981~82年初頭製造のグループが集中的に納車されました。該当する車両の社番は、

A-3378、3387、3388、3389、3390、3391、3392、3401、3402、3403、3404、3405、3409、3410

です。このうち、A-3387~91の5台はクーラーユニットが車両中央部に試験的に搭載されたグループ(日野車体)、A3409・3410は富士重3E、他は日野車体標準的モデルでした。

K-RC301について1982年初頭までのグループはフロントガラスが標準サイズのもので、富士重3E架装のものもありました。1982年夏~84年初頭に納車されたグループ(後期型)は、日野車体に一本化、かつフロントガラスは拡大サイズ、および前扉横に小窓、という京阪バス特注仕様となり、以前のグループに比べてスタイリッシュな印象に仕上がっていました(似たような仕様として京王帝都のRCがある)。K-RC301の後期型は路線・観光兼用のB-3460・3461を除いて枚方営業所には納車されず(1982~86年までの間、枚方営業所への日野大型車Aタイプの新製配置はごくわずかだけ)、香里団地・交野・寝屋川・門真・洛南の各営業所に配置されました。

ただ、K-RC301後期型も後年、枚方営業所へ何台か転入しました。
きっかけは、1985年12月の洛南営業所管内一般路線の枚方営業所への移管。A-3416・3417・3458の3台が洛南から転属しました。その後、1986~87年の招提線路線再編(【28】<枚方市駅~樟葉駅>系統新設、樟葉長尾線枚方カントリー乗り入れ、ほか)絡みで、寝屋川・香里団地・門真などからも転入。該当する車両は、

A-3422、3426、3430

の3台だったようです。A-3422・3426については、のちに門真営業所へ戻ったようです。したがって、最後まで枚方営業所に残った後期型RC301シリーズは、

A-3416、3417、3430、3458、B-3460

の5台ということになります。

さて、枚方に在籍していた後期型RC301シリーズについて、その運用路線がどうだったのか気になります。洛南からの転入組(A-3416・3417・3458)は、引き続き淀宇治線を中心に洛南地区路線の運用にも入っていました。洛南地区路線運用に入る車両は、招提線・樟葉長尾線・八幡地区・中書島線の運用もこなす一方、枚方尊延寺線(枚方市駅南口~津田・長尾・穂谷・新田辺方面)の運用に入ることはなかったようです(理由は方向幕・幕式運賃表のコマ数の都合と思われる)。大阪地区内転入組のA-3422・3426・3430も招提線や樟葉長尾線などに入ることが多かったようで(旧【28】号経路のイメージが強い)、末期は出屋敷線で見かけることが多かったと記憶しています。路線・観光兼用のB-3460・3461も招提線などで見かけることが多く(B-3461は寝屋川営業所へ転属)、最後まで残ったB-3460は1994年7月枚方北部地区ダイヤ改正まで招提線の運用を全うしていました。

これらいずれの車両も枚方尊延寺線の運用に入っているのを見た記憶がないのが気になるところ。尊延寺線については1986年ごろまで前期型のRC301(富士重3Eを含む)をしばしば見かけたと思うが・・・。その後は招提線・樟葉長尾線に活躍舞台が移ったようです。


今月、京阪バス大阪地区に新型LV290が続々納車されています。

N-6266・6267・6268 交野
N-6269                           男山
N-6270・6271                 枚方
N-6272                           交野

特に男山の代替が気になります。幕エアロスターW-1987・1988、もしくは宇治交からの引継ぎブルーリボンシティあたりでしょうか?




京阪バス寝屋川営業所についてはあまりよく知らないが、同営業所に所属したことのある面白い車両について思いつくままに挙げてみたいと思います。

◎B-1508・1509(大阪22あ3832→、大阪22あ3833→)
三菱ふそうブルドックK-MP118MのBタイプ車(路線・定期観光兼用)。1980年式で通常の路線車Aタイプと同様の2段窓ながら、サブエンジン冷房のため側面窓中央部の太い柱が特徴でした。枚方・交野ではあまり見慣れない車両で、時折【16】号経路・<枚方市駅~寝屋川市駅>などで見かけたような記憶があります。1986年ごろ、日野のB-3461、3488の2台に置き換わり、京滋地区へ転出。

◎A-1515(大阪22あ3862)
寝屋川営業所に配置された数少ないブルドックK-MP118M・Aタイプ。1981年初頭に納車と思われます。寝屋川管内でのブルドックについてあまりはっきりした記憶はなく、上記Bタイプぐらいしか印象に残っていません。後年、他の営業所へ転出したものと思われます。

◎A-1557・1558(大阪22あ4277、4278)
三菱ふそうブルドックK-MP118M(呉羽)。1982年式(フロント窓標準タイプ)で寝屋川に2台だけ納車されました。寝屋川エリアで三菱ふそう車はあまり見かけることなく、この2台ものちに高槻営業所へ転出しました。A-1559(洛南→枚方)以降のブルドックは、フロントガラスの左半分拡大&前扉横の補助窓付きの京阪特注仕様となります。

◎A-3430(大阪22あ4393)
寝屋川営業所の主力だった日野K-RC301の1台。1982年式で京阪特注のフロントガラス大型化およびセーフティウィンドウ付き。新製時は香里団地営業所に配置され、のちに寝屋川、枚方の順に転属しました。枚方営業所のK-RC301は1982年初頭以前のフロントガラス標準サイズが集中していたが、1985年の洛南地区移管以降、同営業所には1982~83年式のRC301が数台転入しました。

◎B-3461(大阪22あ4990)
京阪バス初の日野Bタイプ車、K-RC301P(1984年式)。モノコック最終の車両で、メトロ窓となり、路線・観光兼用らしい颯爽たるスタイルで、車内の座席もエンジ色のハイバックシートなる豪華なものでした。当初B-3460とともに枚方営業所所属だったが、B-3488の納車と同じ時期にB-3461は寝屋川に転属、ブルドックBタイプを置き換える形となりました。時折【16】号経路・枚方寝屋川線で見かけることもありました。

◎A-1032・1037・1038・1039・1040・1041・1042・1050・1057・1060

三菱ふそう中型・エアロミディU-MK218J。1993~95年にかけて大津・山科・枚方営業所に配置されたが、1995年ごろより京都奈良線(山科営業所担当)廃止等で余剰となった車両がかなりの数だけ寝屋川に転入し、準主力の車両グループとなりました。1980年代後半~90年代前半、寝屋川営業所には三菱ふそう車は在籍していなかったと思うが、このエアロミディを皮切りに再び三菱車が増殖。ナンバー登録替も多く、A-1038のように山科→寝屋川→山科→大津→京田辺→・・・と配置と登録ナンバーが目まぐるしく変わるものもいました。2007~08年までに寝屋川営業所から引退しました。

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◎W-5003(大阪200か400→京都200か2572)
京阪バスでオンリーワンの日産ディーゼル(富士重8E)中型車、KK-RM252GSN(2000年式)。京阪バスで富士重車体が導入されたのは1983年の定期観光車C-3451以降のこと。16年ぶりに小型車S-5001・5002が山科営業所に納車、そしてこのW-5003も導入するが、富士重工のバス車体製造から撤退する動きもあり、その後は続きませんでした。晩年、男山営業所に転属し特定輸送専用して活躍。除籍後、京都京阪バスに移籍しました。

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◎W-3792(大阪200か376→滋賀200か695)
日野ブルーリボン・ワンステップ車・KC-HU2MMCA(2000年式)。ブルーリボンシティになる前のグループで、主に枚方・交野・香里団地に配置され、寝屋川にも1台だけ在籍。既に中型車が主力の時代とあって下記W-3800と同様、影が薄く後年大津営業所へ転属。

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◎W-3800(大阪200か475→滋賀200か1055)
京阪バス初のブルーリボンシティ・ワンステップ車、KL-HU2PMEA(2000年式)。交野のW-3801と同期で2016年まで交野営業所生え抜きで活躍を続けるのに対して、W-3800は寝屋川管内で使いづらかったのか影が薄かったようです。かつて、寝屋川営業所は日野大型車が多く配置されていたが、管内の需要低下により中型車の比重が高まり、大型車は三菱ふそうエアロスターが2004年に交野営業所より転入、どちらかといえば三菱ふそうのイメージが強くなったようです。このW-3800は運用に入ることも少なくなり、2015年大津営業所へ転出。高槻(営)からのレインボー・ロングN-3146に代替しました。

◎W-1975・1978・1979・1980・1981・1985・1986・1990
三菱エアロスター・ワンステップ車、KL-MP35JM。2001~02年に交野営業所に納車されたが2004年4月ダイヤ改正時に寝屋川営業所へ転属。以降、寝屋川の大型車といえば、このエアロスターが主役となります。W-1975・1978は同年夏、枚方営業所へ再転属。後年、1985は高槻、1979~81は大津営業所へぞれぞれ転属しました。

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◎N-6260・6261・6262
2017年冬に登場したいすゞエルガ大型車、LV290。前年夏より交野・高槻・香里団地・門真に納車され、年が明けて2017年寝屋川にも3台配備されました。寝屋川営業所では久しぶりの大型車(かつ初のノンステ)で、上記幕エアロスター(W-197x・8x)の一部を置き換えました。ただ、このグループの車両は高槻営業所管内では使いづらいようで、京田辺・交野に転属、代わりに古いブルーリボンIIが高槻へ続々転入しています。N-6260~62は高槻営業所と共同管轄している寝屋川茨木線でも運用されているが、高槻営業所においては終日混雑しやすい枚方高槻線の運用で問題があったようです。このグループは2017年秋、男山・枚方営業所にも登場しています。



私の小学校の修学旅行は伊勢志摩でした。

主な交通手段は近鉄特急。京阪沿線からなので、丹波橋で近鉄に乗り換え、特急|賢島行きに乗車するため、京都駅までUターンしました(当時、特急は丹波橋に止まらなかった)。京都駅からおよそ2時間、伊勢市駅で下車、伊勢神宮外宮へ参拝。本来、伊勢神宮参拝の巡路は外宮→内宮の順とされています。ただ、内宮へは相当距離がある(宇治山田駅からバス)ためか、行程には含まれませんでした。

伊勢市駅へ戻り、ここから国鉄参宮線に乗って二見浦へ。複線電化で大阪・名古屋・京都各方面から特急が頻繁に行き交う近鉄の賑やかさとは対照的に、参宮線は単線非電化のローカル線で優等列車は京都から草津線経由の急行<志摩>ぐらいしかなく、閑散としていました。急行<志摩>は京都駅を朝9時20分ごろ発って3時間程度で伊勢市に到着するので近鉄特急よりも1時間余計にかかるが(実は京都からの賢島行き特急も発車時間は大体同じだったと思う)、時間的には<志摩>を利用しても良かったのではと思ったりもします。

二見浦で降りて、海辺へ出て夫婦岩などを見物したあと、砂浜で潮干狩りを楽しみ、近くの旅館に宿泊します。二見浦は日本初の海水浴場として有名、大正天皇もここで泳いだと言われています。夜には旅館近くの通りへお土産を買出しに行きました。なお、名物の赤福は消費期限の都合上、学校で事前に予約注文を受け付け、翌日の帰りに鳥羽駅あたりで受け取ったように記憶しています。

翌朝、二見浦から鳥羽まで参宮線に乗車。キハ58が先頭の普通列車(キハ35などと混結だったと思う)、鳥羽まで2駅の短時間ながらキハ58系を楽しみました。松下-鳥羽間では車窓左手に海が見えて最高の景色です。近鉄鳥羽線が右側から寄り添いアンダークロスすると終点・鳥羽に到着。近鉄鳥羽線はトンネルの連続する山側を走っています。鳥羽・志摩線ローカル用の680系という古風なスタイルながら冷房付き・クロスシートという個性的な車両もいました(元・京都線特急車だった、数年後に惜しまれて廃車)。

鳥羽では鳥羽湾に浮かぶミキモト真珠島などを見学しました。ミキモト真珠島はもともと無人島だった「相島」だったところ。相島は明治期の実業家・御木本幸吉が世界ではじめて真珠養殖に成功した舞台として知られるようになります。幸吉は御木本真珠店を創業して外国人客の人気を集め、海外にも店舗網を広げます。「ミキモト真珠島」は相島に見学用養殖施設を設置することで観光客に開放することにより生まれたものです。

帰りは鳥羽から近鉄の修学旅行専用列車(特急車で運行)で丹波橋まで直行。途中、新田辺にも停車したような記憶があり、主に京都線および京阪沿線の小学校を対象に仕立てたもののようでした。

この小学校の修学旅行は翌年からバスに切り替わり、その数年後には広島に行き先変更となりました。


枚方市北東部に立地する枚方家具団地

大阪と京都のちょうど中間地点、国道1号線(枚方バイパス)洞ヶ峠付近の南東側一帯、「長尾家具町」「長尾峠町」などの地域が該当します(ちなみに「長尾峠町」は洞ヶ峠が由来)。

枚方家具団地には個性的な家具店が連なり、売り場面積40,000㎡(甲子園球場の約3倍に相当)を誇ります。京阪樟葉駅から京阪バス(ポエムノール北山方面行きほか)が毎時6本発着していて便利です。本数は少ないがJR学研都市線長尾駅からもバスが出ています。

枚方家具団地は大阪市内の家具製造工場をはじめ家具に関わる企業・職人が集まって、1962年に家具の工場団地として街開き。もともと家具の製造・卸を行う工場の町だったが、時代の移り変わりとともに小売り需要が高まり、家具を売る街へと発展、京阪神各地から訪れる人も多かったといいます。

しかし、昨今の長引くデフレ・不況のもと、大型家具チェーン店の増加などにより、枚方家具団地も大きな影響を受けるようになりました。さらに以下2つの事情により、枚方家具団地の存亡さえ危ぶまれています。

一つには、近隣地域(北山1丁目)の国道1号ロードサイドにニトリモール枚方が出店したこと。
例によって安い量販チェーン店で家具を購入する消費者が多く、残念ながら枚方家具団地のお店は客足が遠のいているように見えます。ニトリモール枚方の開業は枚方家具団地の苦境に拍車をかけることにつながっています。

もう一つに、新名神の建設による立ち退き問題。
2024年までに八幡京田辺IC~高槻JCT間が開通する計画であり、枚方市域は家具団地~枚方企業団地(招提田近)~船橋本町~樋之上町を通る予定となっています。家具団地のメインストリート(バス通り)は国道1号線から新名神へのアクセス道路として片側二車線に拡幅されることになっており、家具店の立ち退き・売り場縮小が強いられています。

仮に枚方家具団地が移転もしくは消失することになれば、「長尾家具町」という町名は変わるでしょう。もちろん周辺地域のバス路線への影響も大きいだろう、どうなるのか気になります。

https://www.prdesse.com/posts/view/16167


昭和末期の頃の枚方家具団地CM




京都市バスの個性的な過去路線系統を一つ紹介したいと思います。

【80】系統・<京都外大前~山科団地前>および【特80】系統・<醍醐車庫前~京都外大前>

【80】【特80】系統は、山科区から右京区まで五条通(国道1・9号線)を東西に通る路線という特色がありました。運行経路は、

【80】京都外大前~西京極~<五条通>~山科西野(→ /←山階校前←)山科団地前
【特80】醍醐車庫前~醍醐高畑町~東野~山科団地前~山科西野~<五条通>~京都外大前


で、1983年までは右京区の梅津営業所が担当、その後醍醐営業所に移管され1997年10月地下鉄東西線開通まで運行されていました(東西線開業と同時に醍醐営業所は廃止)。醍醐営業所管内路線系統としては、系統番号に「東」が付かない路線という点でもユニークな存在でした。1997年10月以降、【特80】系統は廃止、【80】系統は<四条河原町~京都外大前>に変更と同時に梅津営業所に移管。

【80】系統の山科側の代替として、京阪バス【82】号経路・<四条大宮~大宅>(一部便のみ山科団地経由)などが挙げられます。また、【80】系統と似たような路線として、京阪バス・旧【31】号経路<阪急東向日駅~久世橋~大宮五条~小栗栖団地>もありました。


兵庫県南西部の小学校の修学旅行は伝統的に「奈良・伊勢」が多かったが、姫路市では本年度よりほぼ全校で伊勢を断念、「京都・奈良」に変更となった模様です。

https://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201612/0009714467.shtml


姫路をはじめ兵庫県南西部の小学校では、「伊勢・奈良」の修学旅行が約60年間続きました。姫路から伊勢までおよそ300km、国鉄・JRの修学旅行専用列車が毎年運行されてきました。JR発足後以降では2001年までキハ58系、以降<はまかぜ>用キハ181系が使われたが、キハ181系の引退に合わせ2010年で中止。JR西日本・JR東海にまたがることもあって代替車両は見つからず、列車での移動は断念(奈良のみの修学旅行専用列車では後継のキハ189系が使用されているが)、2011年よりバスに切り替わりました。

ところが、児童の車酔いが相次いで問題になります。列車内は自由に動き回れたが、バスはシートベルトを着用しなければならず、車酔いで体調を崩す児童が増加。この事態を受け、行き先の変更が検討されるようになります。その結果、移動距離の短い「京都・奈良」に決まったとのこと。

折りしも阪神なんば線が開通、阪神と近鉄との相互乗り入れが始まり、近鉄特急車を使用した山陽電鉄から伊勢志摩への修学旅行専用列車も期待されたが、なかなか実現の目処は立っていません。

「祖父母の時代から修学旅行は伊勢だったのに・・・」と惜しむ保護者の声も相次いだようだが、「児童の体を第一に考えた苦渋の決断」と受け止めるしかないのでしょう。

なお、JRの修学旅行専用列車は、往路は奈良を訪れるため山陽本線→東海道本線→奈良線→関西本線→紀勢本線→参宮線、復路は参宮線→紀勢本線→関西本線→草津線→東海道本線→山陽本線でした。


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八幡市男山南地区某地点より北方向の遠景を撮影してみました。

左手に天王山、右手には男山(石清水八幡宮)に挟まれ、晴れた日には遠く京都西山~愛宕山~北山連山の山並みもはっきり見えます。天王山と男山に挟まれたところには淀川~桂川・宇治川・木津川が貫いており、一つの地峡をなしています。

天王山は京都西山・北山~北摂・丹波・東播磨・若狭の山々に、男山丘陵は生駒山系~金剛・和泉山脈にそれぞれ連なります。


国鉄時代の列車について、特に地方では行先表示は優等列車を除いて方向幕は「普通」などと固定的表示、側面サボを使用することが典型的でした。例外として天王寺鉄道管理局管内(ほか京阪神地区113系、長野地区115系、福岡地区401・415系などは方向幕に行先表示)などが挙げられます。

現在、JR東海管内となっている名古屋・静岡鉄道管理局管内も基本的にサボ使用、中央西線用103系の前面幕には「中央線」の固定板で塞いでサボを使用、といった状況でした。名古屋駅に乗り入れる関西本線の気動車(天王寺管理局所属分)のみが例外的に方向幕で「名古屋」「亀山」「奈良」などと行先表示をしていて、まるで国電的のようでした。

ただ、1982年の広島シティ電車を皮切りに地方都市圏に国電型ダイヤ導入(等間隔ダイヤ、高頻度、短編成)の動きが広がり、名古屋都市圏においても117系シティライナー投入、関西本線亀山電化など、都市型鉄道への脱皮をめざす動きが活発化します。脱・汽車型ダイヤを意識したのか、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正より、名古屋・静岡両鉄道管理局管内では急行列車および東京(JR東日本管内)直通用113系など一部を除いてサボ使用を廃止、方向幕の使用開始となります。対象車両は、113・115・119系近郊型電車(119系は登場時から行先表示幕使用)、103系通勤型電車、165系急行型電車、そして気動車(キハ40系、キハ58系)。このエリアでは既に客車普通列車は廃止されていたこともあって、サボ廃止を実施しやすかったのでしょう。

旧・天王寺鉄道管理局管内の一部である三重県内の紀勢本線・参宮線・名松線もJR東海に継承されることに決まり、JR発足直前には名古屋鉄道管理局へ移管されました。伊勢運転区の気動車は当面そのまま天鉄局書式の方向幕を使用しましたが、1990年ごろよりJR東海書式の英文字入りゴシック体に取り替えられました。

急行「東海」「富士川」(165系)、「かすが」(キハ58系)についても、1990年ごろより「急行|東京」「急行|静岡」「急行|奈良」などの方向幕コマが設定されました(その後も急行列車はサボを使用)。

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