P9170006

P9170007
9月中旬の日曜日の午後、京阪特急プレミアムカーに乗ってみました。
淀屋橋-枚方市間でしたが、台風接近の影響もあったのか空席が多く、これをチャンスと思ってプレミアム券(400円)を購入。

プレミアムカーの感想を一言で申し上げると、やはり落ち着いた車内で優雅な旅行気分を味わえる、ということでしょうか。JRや近鉄特急よりもよく出来ているとすら思えます。確実に座れるのは何よりだと思います。

PA180006

高槻市営バス北西部山間部の終点、萩谷。

JR富田駅(摂津富田)から大阪府道115号線を北上、南平台西口、奈佐原、関西大学、萩谷総合公園を経て萩谷に至ります。途中、少しだけ茨木市へ越境するが、この間にバス停は存在しないので、事実上高槻市内のみで完結していることになります。

萩谷から先は林道として田能方面へ通じているが、車両乗り入れはあまりおススメできないと思います。


今年5月末で閉店した山之上のローソン100。

http://katanogawara.blog.jp/archives/17537177.html

11月2日より、ローソン100のあったところに「ほっかほっか亭」とコインランドリーがオープンしました。

「ほっかほっか亭」はここ数年、枚方市内で閉店の動きが相次いでいましたが、山之上に開店するとは少し驚きました。同じバス通りの近く、宮ノ前橋に店舗があるが1年以上休業しているようです。

山之上付近のバス通りも30年ほど昔はのどかな田園風景が広がっていたが、ロードサイドに商業施設や病院が相次いで立地、かなり雰囲気は変わっています。キリン堂の入っている建物は1984年、書店としてオープン、鉄道雑誌などを立ち読みによく寄っていました。しかし、いつしか書店がなくなって別の店に代わり、キリン堂がやってきて現在に至ります。

ただ、山之上~香里団地界隈にコンビニがなかなか定着しないのは気になります。以前、桑ヶ谷と変電所前バス停前にファミマがあったが、いずれも過去のものに。バス利用客には便利でも駐車スペースの狭さなどが理由かもしれません。


国鉄・西日本JRバス近城線。

「近城」とは近江・山城を結ぶという意味で、奈良駅から京都府南山城のお茶どころ、木津・加茂・和束町を経て滋賀県信楽・水口(甲賀市)を結ぶ長距離路線だった。主な機能は関西本線奈良・加茂駅と信楽線(信楽高原鉄道)信楽駅ことであり、大阪南東部および奈良方面から陶都・信楽への交通ルートとしての活路があった。国鉄信楽線は信楽から加茂へ延伸する計画だったという。もし、加茂まで延びていたら、関西本線加茂以東よりも信楽線のほうが先に電化され、大和路快速が信楽・貴生川そして草津まで直通運転していた可能性が大きい。

さて、近城線について、最盛期は奈良から水口まで一本で結ばれていた。水口(水口新町)では草津と亀山を国道1号(旧・東海道)経由で結ぶ亀草線と連絡していた。国鉄末期1985年3月改正の時点では信楽で系統は分断されていたが、それでも奈良と信楽を直通する便は何本か残っていた。その後、府県境を越えて運行する便は減らされ、2002年には西日本JRバス(加茂営業所)が撤退する。加茂~和束町小杉間は奈良交通に継承され現在に至る(当初は京都営業所が担当していたが、近年平城営業所に移管)。なお、近城線の運行経路は、主要地方道5号線<木津信楽線>をそのまま進むものと思っていたが、和束町の清水橋から信楽町朝宮・石倉橋へ抜け(和束町小杉はr5号の道なりに)、R307を東へ向かいつつ、国道からまた外れて信楽駅前へ至るルートだった。和束と並んで朝宮のお茶は全国的に有名。面白いことに、加茂町と信楽町は奈良時代聖武天皇の頃、一時的に都(恭仁京と紫香楽宮)が置かれた地でもあり、近城線はこの2つの旧都を結んでいたことになる。信楽は滋賀県にあって奈良の影響が強い町だと感じられる。

近城線の支線系統として、

加茂~南加茂台~岩船寺~浄瑠璃寺
信楽~江田~多羅尾
石山駅~(国道422号経由)~石倉橋~信楽

などがあった。加茂営業所の車両は平成初期まで大津市・石山駅にも足を伸ばしていた(2002年信楽町→甲賀市コミュニティバスに転換)。石山付近では京阪バス・京阪宇治交通・帝産湖南交通・近江鉄道バスと行き交っていた。また、加茂~岩船寺~浄瑠璃寺系統は奈良交通(エヌシーバス)が引き継いでいる。

<関連サイト>
国鉄バス資料室
http://cortina.hakuba.ne.jp/~tsubame/jnrbus/6kinjo.html

バスでいこ! お茶畑と日本の原風景を訪ねて
http://www.h5.dion.ne.jp/~busiko/kinjyou.htm



京阪バス洛南営業所(京都市南区)は現在、主に観光・貸切車が配置されているが、かつては一般路線も担当していました。

1985年以前は、淀・宇治・山崎・伏見区・桂方面および京都奈良線を担当していたが、京都奈良線は山科営業所、他は枚方営業所にそれぞれ移管。京都奈良線は1996年3月に廃止。淀・宇治・山崎方面の路線は同年2月、洛南営業所が再び担当するが、1999年より子会社「京阪シティバス」に運営移管ののち、2014年には淀~久御山団地~大久保~宇治方面の路線は京都京阪バス(旧・京阪宇治交通→京阪宇治バス)に一本化、淀山崎線・京都南部線(中書島・竹田・京都駅八条口方面)は京阪バスに復帰しました。京阪バス移管後は京田辺営業所が担当ののち、本年3月より男山営業所が担当しています。

現在、洛南営業所担当の一般路線は、京都けいはんな線(奈良交通と共同運行)です。

さて、1985年12月の運用移管時の洛南営業所の車両の動きについて書いてみたいと思いました。

現在、皆様の情報提供にもとに随時更新中の京阪バス過去車両リスト(主に1982年以前)
http://katanogawara.blog.jp/archives/21003704.html
などから、当時洛南営業所に在籍していた一般路線車を挙げると、

<三菱ふそう>
(大型)
A-1559、A-1580、A-1581
(中型)
A-1013

<日野>
(大型)
A-3346(富士重)、A-3347?、A-3354、A-3416、A-3417、A-3458
(中型)
A-3019、A-3020

ぐらいだったようです。

当時の京滋地区一般路線といえば三菱ふそうというイメージが強いが、洛南営業所には日野車も配置されていました。

路線移管時の動きですが、ふそう中型A-1013(京22か3609)は山科に転属、京都奈良線で引き続き使用されました。日野レインボーも2台(A-3019、3020)配置されていたとは意外で、2台とも交野へ転属。ふそう大型車A-1559・1580・1581はいずれもブルドックK-MP118(呉羽)で、1559・1580は枚方、1581は高槻へそれぞれ転属。日野大型車のうちA-3346は富士重(RE121)、他は日野純正車体。A-3416・3417・3458はK-RC301でいずれも京阪特注の拡大フロントガラス。日野大型車は全て枚方へ転属しました。

洛南から枚方へ転属した車両たちは、引き続き淀宇治線・京都市南部地区路線(「洛南地区」と表記する)で運用することも多かったかと思います。K-RC301系の拡大フロントガラス車が枚方に配置されたのもこのときが初めてでした(観光兼用のB-3460・3461を除いて)。その後、【28】号・<枚方市駅~樟葉駅>(現・【39】号)の新設も絡んで、香里団地や寝屋川などから拡大窓RCが転入。

枚方営業所における洛南地区路線運用車両は、方向幕および幕式運賃表のコマ数の関係などにより限定されていたようです(それだけ管轄範囲が広かったということ)。該当する車両は洛南からの転入組と、大型Bタイプ車(B-1596・1597・3460・3461)、中型車(エアロミディ)、その後に納車された大型車の一部(エアロスターKとブルーリボン)だったようです。実際、淀宇治線【11】号経路でエアロスターKに乗車したこともあります。車内には枚方営業所管内路線図・運賃とは別に、樟葉以北八幡・中書島・洛南地区の路線図、そして淀宇治線ほか洛南地区路線の運賃表も掲示されていました。主に招提線・樟葉長尾線・八幡地区・樟葉中書島線と洛南地区路線に限定(ごく稀に出屋敷線も?)、枚方尊延寺線などに入ることはなかったかと思います(ただし三菱ふそう大型車については尊延寺線から洛南地区路線まで広範囲の運用をこなす車両があったような?)。洛南地区運用に入らない車両については、尊延寺線・出屋敷線を中心に八幡地区および樟葉中書島線まで(すなわち元の枚方営業所管内全体)をカバーしていました。1994年よりLED式運賃表に取替えられ、多区間・対キロ区間制運賃の洛南地区運用車両には3段24コマ表示(および熱転写式整理券発行機)、それ以外は基本的に大阪地区標準の2段12コマ表示が取り付けられました。

なお、桂方面への路線(【22】・<京阪淀~阪急桂駅前>)は洛南営業所に復帰することも無く、1995年12月に廃止されました。

一つ気になったのは、旧式の小型方向幕車。1978年以前の車両で1987年までに引退したかと思いますが、仮に枚方営業所へ転属して洛南地区路線で使用するとなると、どんな行先表示を用意したのか気になるところです。




1980年代ごろの京阪バス交野営業所の車両について、私個人的に印象に残っているものを思いつくまま書いてみたいと思います。

P7160011

P7160016
昭和の交野営業所といえば、「グリーンシティ」の看板も忘れられない

◎B-13??
三菱ふそうの路線・観光兼用車でした。形式はMR470、1977年式。2段窓でしたが冷房付き、座席モケットは赤色で補助席もあって豪華仕様でした。サブエンジン冷房のため、冷房稼動の音はすごかったです。1960年代以降生産の続いたMR系末期、ヒューンという静かな音に変わりMP系の登場を予感させるものだったように記憶しています。納車当時、交野営業所開設(1978年)前なので、どこから転入してきたのか気になります。平日昼間の【10】号・釈尊寺団地線でよく見かけました。貸切運用に使用されることも多く、また休日は京都定期観光の応援等に出張していたようです。このタイプの車両は京阪バス各営業所に最低1台は在籍していました。

◎B-13??
1982年秋~83年春の一時期、なぜか枚方(営)から転入。上記B-13??とともに【10】号・釈尊寺団地線で見かけることが多かったと記憶しています(1983年正月の休日ダイヤでも運用に入っていました!)。交野では一時的にBタイプ車2台体制となりました。形式は例によって同じMR470ですが、こちらのほうが1976年式で少し古く、走行音はものすごかったです。このタイプの車両は枚方・山科・香里団地などに配置されていました。

◎A-12??
バス窓の三菱ふそう・呉羽ボディ車、形式はMR470でした。左側2人掛けシート、右側ロングという特徴的な座席配置だったかと思います。【18】号・田原線<京阪交野市駅~私市~田原地区~清滝団地~京阪大和田駅前>で使用されることも多く、もちろん非冷房車ですが、ロングシート車もまだ多く残っていた当時、この車両に当たると得した気になり遠足気分が味わえました。交野(営)開設前の配置は不明。1981年ごろまで活躍していました。

◎A-3224?(大阪22あ1798?)

日野RE120、1973~74年式、金産車体でした。窓は確か2段サッシ(「バス窓」時代の名残か、下段窓が大きかった)だったがロングシート。1982年まで活躍していました。これよりもう少し古いものになると「バス窓」で、1981年までには引退したかと思われます。

◎A-1005(大阪22あ2356)、
A-3001~3004(大阪22あ2357、2358、2359、2360)
A-1005は三菱ふそう・呉羽ボディ短尺車MR410(1976年式)。日野短尺車RE101の4台(A-3001~3004)とともに、笠松-正縁寺間の狭隘区間を走行する星田線【41】【43】号経路対応に投入。交野営業所開設前は枚方(営)の担当、交野(営)の開設とともにそのまま転属しました。A-1005には確か「ピザハット」の看板が付いていたようです。これらのグループは交野転入後も枚方(営)時代と同じ看板(「枚方自動車教習所」「(株)ヤツカ」「ひらかたパーク」・・・)だったようですね。1984年まで活躍ののち、日野レインボー中型車に置き換えられ、遅れていた冷房化も完了。

◎A-14??(大阪22あ3219)
初期の三菱ブルドック(三菱自工製)。前面方向幕小型の1978年式(MP117M)でした。もともと交野(営)は他の営業所と比較して三菱ふそう車は少なく、これはその貴重な1台でした。【18】号・田原線での運用を目的に配備されました。当時、田原線は三菱車限定でしたが、その理由は四條畷市清滝地区の急勾配対応だと思われます(当時の主力・日野RE系は平坦路線向けだったようだが)。門真(営)に三菱ふそう車がかなり多く配置されたのも同じ理由と考えられます。

◎A-1466(大阪22あ3470→滋22か1170)、1459(大阪22あ3454)
三菱ブルドックで前面方向幕大型化。1979年式、形式はMP117Mでした。翌年1980年以降のK-MP118系とは後面の窓形状が異なっていました。上記A-14??と同様、【18】号・田原線運用向けでした。1台の側面看板は「守口自動車教習所」、もう1台のほうは「香里自動車教習所」だったと記憶しています。田原線【18】号経路は閑散路線ということで1984年より中型レインボーに置き換えられ(ごく短期間だけふそうエアロミディA-1001が入ったが)、三菱ブルドックは撤退。1986年ごろ、A-1466は大津営業所へ転出。

◎A-1501(大阪22あ3750)
交野に1台だけ配置された三菱K-MP118Mです(MP118系はその後、2台転入)。同じブルドックでありながら上記3台とは異なり、こちらは田原線運用に入らず、他の一般路線で汎用的に運用をこなしていました。後面の広告看板は「グリーンシティ」だったと記憶しています。

◎A-3372(大阪22あ3780)、3373(大阪22あ3781)
汎用の日野K-RE121(1980年式)です。K-RE121は京阪バスではREとK-RC301シリーズの間の過渡的な位置づけの形式で、1980年のみ主に大阪地区(特に寝屋川・門真)へ集中投下。後面ルーバー(排気孔)は廃止され、エンジン音もK-排ガス規制以前のREとはかなり異なり、カリカリという音が特徴的でした。A-3372・3373は交野(営)に配置された日野車体純正で、意外に少数派でした。その代わりK-RE121の富士重3Eが4台ほど配置され、交野のK-RE121といえばどちらかといえば富士重というイメージがあります。

◎A-3393(大阪22あ4121)、3397(大阪22あ4136)
汎用主力の日野K-RC301ですが、交野(営)では意外に少なかった前面窓標準サイズの前期タイプ(1981年式)です。なぜかこの2台は印象に残っています。基本スタイルこそ旧来のRE系と同じだが、このあたりの車両よりエンジン音が大きく変わり、日野のイメージを刷新(RE系に比べてRC系は力強く高音域のうなりが特徴だった)。内1台の側面看板は「月桂冠」と星田にある「大阪病院」、もう1台の後方看板は1982年当初は「幸福米」だった記憶が今も残っています。

◎A-3377(大阪22あ3864)
上記A-3393・3397より少し古いK-RC301(1981年初頭あたり納車)で、スタイルは同じです。後面看板の枠の取り付け方が旧来のREと同じでした(A-3393ほか1981年後半期以降、RC系の後看板枠は車体密着型となり、排気孔も廃止されスッキリした後スタイルに!)。元々門真(営)の配置で後年交野に転入。1980年代後半~91年初頭まで時々見かけりするが、残念ながらこれに乗ったことはありません。側面広告は「守口自動車教習所」だったかと思います。

◎A-1548(滋22か909→大阪22あ5093)
三菱(K-MP118M)+富士重3E(1982年式)。交野管内では見慣れない車両で、1984年夏、突如大津から転入。交野での富士重といえば、日野RE120・121の印象が強く、三菱ふそう車はこれ1台だけでした。側面看板は「京阪スポーツセンター郡津」だったと記憶しています(ちなみに後方看板は「ステーキの赤とんぼ」だったとのこと)。

c0188757_65209
諏訪バスに移籍した富士3E・K-MP118M


◎A-3436(大阪22あ4529)ほか
1983年初頭に納車されたK-RC301たちです。前面窓視野拡大化・セーフティ窓付きの後期タイプで、スタイリッシュな印象となり、1982年夏以降に納入されたグループと合わせ主力勢力群でした。1983年初頭のグループについては、後年寝屋川(営)との入れ替わりもかなりあったようですが、中でも香里団地けやき通りの写真(枚方市発行)に映りこんでいるA-3436、および側面看板が「月桂冠」「大阪病院」だった1台(A-3440あたりか)は今も印象に残っています。

kori-keyakib


◎A-1579(大阪22あ5094)
A-1548と同時に交野に転入した三菱ブルドック(K-MP118M、呉羽、1983年式)。前配置は山科営業所。交野管内では貴重な呉羽製ブルドックでした(1982年以降、京阪三菱ふそう車のボディは呉羽製に一本化)。側面看板に「大阪病院」が付きましたが、交野・寝屋川エリアではあまり見慣れない車両だけに違和感がありました。末期は【43A】号経路・<枚方市駅~交野車庫>などの運用に入っているのを見かけたことがあります。

◎A-3465(大阪22あ5001)
1984年初頭に納車されたK-RC301。上記1982~83年式と基本スタイル・仕様は同じ(座席背面が大理石模様入りとなるなど細部の仕様変更が見られた)、モノコック車最末期であり、バスコレ第12弾のモデルにもなりました。その後、同グループのA-3466(大阪22あ5002)も門真から転入、最終のA-3470(大阪22あ5006)は香里団地配置でした。A-3465と同時期にスケルトンの中型P-RJ172BA(2代目A-3003・3004)も交野に納車、登録ナンバーはA-3465の手前の「あ4999・5000」で、モノコックからスケルトンへの移行期であることを示しています。

P4170007w


◎2代目A-1001・1002(大阪22あ5250、4995)

京阪初の三菱ふそう中型車(呉羽車体)、K-MK116J、通称・エアロミディ。A-1002は交野に直接納車、A-1001は山科営業所から転入しました。京阪バス初めてのスケルトン車ですが、このA-1001・1002のみ排ガス規制はK代で、ともに交野営業所に配属したことになります。ただ、ほどなくして枚方営業所へ転出、交野管内には1年あまりしかいませんでした。星田線用1代目A-1005およびA-3001~3004の置き換えで、星田線の冷房化促進に貢献しました。星田線のほか田原線【18】号経路の運用に入ったこともあります。その20年後、交野営業所にはエアロミディ長尺(10.5m)ノンステップ車と中型車ワンステップ・ノンステップを大量導入して現在活躍中です。まさかエアロミディ系が交野管内の一大勢力になるとは思いもよりませんでした。

◎A-1025、1026(大阪22あ5199、5200)
上記2代目A-1001・1002と同じ三菱ふそう中型車、1985年式エアロミディ。形式はP-MK116Jで新排ガス規制に対応したものです。このグループは大津・山科・枚方に多かったが、交野にも2台配置されました。星田線などの運用で見かけた記憶があります。ただ、A-1001・1002と同様、交野に在籍していた時期は短く、ほどなくして枚方営業所へ転属。

◎A-3019、3020(大阪22あ5346、5331)
日野中型車P-RJ172BA(1984年式)。このグループは1984~86年にかけて交野営業所に多く配置されたが、A-3019・3020の2台は京都・洛南営業所から転入したため、登録ナンバーが少し離れています。洛南時代は京都奈良線や淀山崎桂線などで活躍していたものと思われます。

◎B-3486(大阪22あ5392)
日野ブルーリボン1986年式Bタイプ車、形式P-HU235BA。モノコック三菱B-13xxの代替。納入当初、京都定期観光使用も前提で路線・観光兼用にふさわしく、メトロ窓、座席モケット暖色と豪華仕様でした。Bタイプ車は1980年代半ばの頃のものが最高のグレードでした。ただし、通常の交野営業所管内一般路線では専ら釈尊寺団地線【10】号経路で限定運用されていた印象が強かったです。サブエンジン冷房のため、冷房稼動時の音はかなりすごかったです。

◎A-1757(大阪22あ6205→京都22か5185)、1765(大阪22あ6251→京都22か5186)
1990年、久しぶりに交野に納車された三菱ふそう車。形式はP-MP218M、新呉羽車体で通称「エアロスターK」。当時の主力・ブルーリボンHTとともに汎用でしたが、およそ半年後、山科営業所へ転属。津田香里線、釈尊寺団地線、寝屋川北部線ほかで見かけることも多く、一度乗ってみたかったが叶わず、交野を去りました。ちなみに、京阪のP代エアロスターKはバスコレ第19弾のモデルになりました。

◎W-3801(大阪200か476)
ブルーリボンシティ・ワンステップ車、KL-HU2PMEA、2000年式。2016年までの16年間、一貫して交野に所属。それまでのブルーリボンとは顔の印象が変わり(以前のブルーリボンのほうがイケメンだったように思う)、「キーン」というエンジン音に。このグループは2001~05年にかけて交野・香里団地・枚方営業所を中心にかなりの台数を投下、2003年のW-3831・3832以降はLED行先表示機となりました。その後、ブルーリボンIIなどが続々投入される中、いつ消えても不思議ではなかったが、2016年秋ごろまでしぶとく活躍を続けます。

◎N-3104(大阪200か966→京都200か2332→大阪200か3715)
日野レインボー中型長尺(10.5m)車(KL-HR1 JNEE)です。2002年夏、枚方営業所に投入、京阪バス初のノンステップ車でLED行先表示機が採用されました。2010年、樟葉長尾線の京田辺(営)移管に合わせ、京田辺へ転属。2014年秋、交野営業所へ転入しました。このタイプの車両は相当数交野営業所に配置されているが、N-3104は初期タイプ(前面「ノンステップバス」の字が青色)で登録ナンバーの数も後へ離れており、独特の遍歴をたどったことを物語っています。N-3104は現在も交野に在籍しているが、新型ブルーリボン・エルガに置き換えられるのも時間の問題でしょう。

PB220006


◎W-3831(大阪200か1290→京都200か2864→大阪200か4027)
2000年代前半の交野管内の主力、日野ブルーリボンシティ(ブルシチ)・ワンステップ車。2003年末に納車。ブルシチ・WタイプのLED行先表示機はこのW-3831・3832が初めてでした。2台とも交野に配置されたが、内1台W-3831は2014年、京田辺(営)に転属。京田辺唯一のブルシチでありながら、枚方尊延寺線、八幡田辺線、樟葉長尾線、淀長岡京線など満遍なく幅広い運用をこなしていたが、結局枚方(営)に転属、大阪ナンバーに再登録されました。しかし、枚方転属後のW-3831はすっかり影の薄い存在。なお、相方のW-3832は除籍された模様です。

W-3831
京田辺在籍時代のW-3831

◎W-1204(大阪200か1359→京都200か2206)
2004年初頭にデビューした三菱エアロスター・ワンステップ車。2001~04年にかけて、交野(営)にはエアロスター車がかなりの数が配備されたが、この1台だけ行先表示機がLEDでした。ただ、エアロスターが交野に在籍していた時期は短く、寝屋川および枚方営業所に全て転属。このW-1204が交野にいたのはわずか半年間、枚方(営)→京田辺(営)の順に転属しています。W-1204は交野・枚方・京田辺配属時代のいずれも津田駅に顔を見せており、興味深いです。また、2013~14年の一時期、津田サイエンス線関係で河内磐船駅や京阪交野市駅に乗り入れたこともあり、まるで交野に里帰りしたかのようでした。

P8050021
枚方時代のW-1204


DSC_0009

枚方市長尾の菅原公民館・図書館前(京阪バス「長尾口」下車)にある多田製茶
今月初め、ここの喫茶室(茶通仙)で抹茶シフォンケーキセットを味わってみました。
夏の間はかき氷が人気メニュー、訪問当日はかなり蒸し暑かったのでかき氷もかなり売れそうでしたが、10月ということでかき氷の販売は終了でした。
価格は概ね500~700円ですが、テイクアウト限定で300円の抹茶ソフトクリームもあります。モーニング・ランチのお値打ち軽食セットメニューもあり、今度の機会に味わってみたいと思います。


前からずっと気になっていましたが、近畿(関西)の政治勢力について、京都・滋賀~大阪北部~兵庫阪神地区は左派・リベラル系、大阪南部(大和川以南)・奈良・和歌山は保守系が強いという構図が見られます。

まず、京都は昔から共産党が日本一強い地域で、かつて7期28年間(1950-78年)も故・蜷川虎三が知事を務め、共産党与党の京都府政が続きました。現在、京都で共産党が特に強い地域は、左京・北・右京区と乙訓(向日・長岡京・大山崎)ぐらいで、八幡・城陽市以南の南山城、および亀岡市以北の地域はあまり強くはないようです。亀岡・南丹市など口丹波地域(京都4区)は自民党の実力政治家・野中広務、中丹・丹後地域(同5区)は福知山を拠点とする谷垣氏が強いところです。南山城の京都6区は、民主党系の候補が連続当選していましたが、今回希望の党から立候補し、自民党の若手に競り負けました。京都南部は意外に民主党(民進党)が強い地域です。2区(左京・東山・山科区)はあの前原氏が強いですからね。

近畿の水がめ・琵琶湖を抱え、また原発銀座の若狭湾に隣接していて環境問題への意識が非常に高いと言われる滋賀県は、近畿で唯一非自民・非維新系の知事で、2006年の嘉田由紀子初当選はサプライズでした。2006年知事選では、草津線と交差する場所に新幹線新駅が一大争点となりましたね。嘉田氏が2期8年間務めたあと、同じ民主党系の三日月氏が当選。滋賀県は東海地方と北陸地方に隣接しており、東海地方は民主党が強い反面、北陸地方は自民党が圧倒的に強い地域です。

大阪はかつては京都・蜷川知事の影響も相当に受け、共産党・社会党の支援する黒田了一氏が2期8年間(1971-79年)知事を務めていました。全国人口の4割(主に大都市圏)が「革新自治体」と言われた時期でもあり、新幹線の止まる駅はほぼ革新自治体でした。しかし、1970年代末より革新自治体は徐々に後退、その後は自民党(オール与党)、そして橋下徹以降の「大阪維新」へと続き、とりわけ大阪では左派リベラル系は苦戦を強いられています。ただ、大阪はもともと反権力、自民党が全国で一番弱い地域で、基本的に野党系が強いところ。横山ノック氏や西川きよし氏のような無所属タレントの知事や国会議員を輩出し話題を呼んできたのも、大阪独自の「お笑い」文化に支えられてのことでしょう。橋下徹知事および市長が誕生したのも、一面ではもちろんその延長線上だとは思われます。自民党の補完勢力で右翼的とされる大阪維新の支持者も、元は共産・社民・民主系支持だった人たちも多いようです。

大阪は北部へ行くほど左派リベラル系が強いと見えます。特に高槻市を含む大阪10区は、旧・社民党系の辻元清美氏が強く、今回も立憲民主党で当選。高槻市は大阪北摂の主要都市でありながら京都の影響力が強く、独特の風土があり、共産党の大阪府会議員もいる数少ない地域です。辻元氏は兵庫阪神地域を拠点とする憲法学者、故・土井たか子氏の後継者とも見られ、コープこうべ(旧・大阪北生協も統合)の影響力もバックにあると言われています(というか、コープこうべが全国で一番規模の大きい生協なのは、神戸・阪神地域のリベラルな市民に支えられてのものだろう)。

淀川対岸の大阪11区(枚方・交野)も伝統的に社会党→民主党の強い地域ですが、10区とはかなり事情が異なり、パナソニック城下町であることがかなり大きいです。今回も平野博文氏が無所属で当選。枚方・交野地域は、大阪市内や京都南部と比べて残念ながら共産党はあまり強くはないようです。

なお、大阪市内では共産党の強い行政区(西淀川・福島・此花・大正区など)も結構あります。福島区出身の清水ただし氏は元・漫才師のユーモアな方で、「お笑いの大阪」に見事マッチ、従来の共産党のイメージを打ち破る期待の存在です。

兵庫県の阪神地域は、憲法学者・土井たか子氏で有名であり、リベラルなインテリ層が多いと言われるところ。宝塚市長もリベラル系であり、また公明党の牙城で工場地域の尼崎の市長も野党系若手が当選したこともあります。尼崎(兵庫8区)といえば、2009年衆院選で田中康夫(元・長野県知事)が公明党に殴り込みをかけて当選したことも特筆すべきでしょう。今回、8区には共産党の堀内照文氏が立候補したが、残念ながら及ばずでした。

兵庫県南西部の西播地域でも共産党首長の町が複数存在した時期があります。特にひまわり畑で有名な旧・南光町(→佐用町)で共産党員町長が1980年から25年余り続いたことは有名です。

大阪南部の政令都市・堺は自治都市の伝統を受け継いで、都構想に反対する非維新系の竹山氏が3期連続市長を続けています(初当選の時は橋下徹氏の支持があったが)。ただ、左派リベラルと言うよりは保守色が強く、それゆえに「住民目線で大切なものを守る」を貫いておられ、共産党の応援・協力があっても全然不思議ではなく、良い意味での保守政治家だと言えます。保守系の強いイメージのある泉州地域も、岸和田や貝塚では共産党与党の市政が20~30年続いたかと思います。

奈良・和歌山は基本的に自民党の強い「保守王国」。奈良は高市氏、和歌山は二階氏が有名。しかし、奈良県生駒市からは民主党系の若手、中村てつじ氏が何度か国政選挙に当選、2014年には小政党の「生活の党」から奈良2区に立候補、高市氏に善戦しています。その後、佐賀県に国替えしました。現在の生駒市長も非・自民系だったかと思います。

↑このページのトップヘ