(その1)
http://katanogawara.blog.jp/archives/35531227.html

山陽本線のラスト、新山口-下関間は、ほぼ内陸を走り単調な景色が続きます。ただ、宇部・小野田など工場地帯も多く、宇部線、小野田線、そして美祢線とユニークな支線に接続しており、意外に変化に富んだ区間と言えそうです。小野田線の長門本山支線には最近まで旧型国電クモハ42形が残っていたようですね。

埴生あたりから再び周防灘の海岸寄りを走るが、長府付近で再び内陸に入り、新下関駅で山陽新幹線と交差ののち、進行方向右側に山陰本線が寄り添い合流すると幡生。これまで進行方向左側が海寄りだったのが、幡生-下関間は右側が海寄りに変わり、日本海側・山陰の一部でもあることを物語ります。国道9号線(山陰道)は、面白いことに下関市内の単独区間で2号線(山陽道)と位置関係が逆転、瀬戸内海(周防灘)の海岸線を走り、かの有名な壇ノ浦を通って、下関駅前が終点となります(2号線は北寄りのルートを取りつつ、壇ノ浦付近からトンネルで関門海峡を渡り九州に入る)。

下関に着く頃には大雨が降ってきました。この年の夏は天候不順で梅雨明けが遅く、お盆明けまで雨の多い冷夏でした(その後は一転、9月中旬まで猛暑が続く)。

山陽新幹線は下関駅には乗り入れません。新下関駅から長いトンネルで関門海峡をぶち抜いて小倉駅へ回ります。

下関といえば、ふぐを忘れてはいけませんね。もしかしたら、下関の名物駅弁「ふくめし」を買って食べたのかもしれません。そういえば、この頃、下関のふぐを味わう観光客のために、広島~下関間のキハ181系ロングラン臨時快速が運転されていましたね。ちなみに下関に乗り入れる最後のキハ181系は、山陰本線の特急【いそかぜ】でした(関門海峡を通って小倉まで直通、2005年廃止)。

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宇部線から下関へ乗り入れる105系

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下関に停車中の415系
JR西日本115系旧・瀬戸内色と塗装がよく似ている

下関から先、JR九州エリアに入ります。さっそく小倉行き415系に乗り換え。九州のJR電化路線は筑肥線を除いて交流方式で、下関駅が交直セクションに当たるため、関門区間には国鉄型の交直流両用車両415系が現在も使用中です。JR九州の新型電車は、筑肥線用を除いて交流専用(700~800番台形式)で統一されています。国鉄末期~JR初期頃、下関発着の日豊本線485系特急【にちりん】もありましたね。

関門トンネル抜け、門司の次が小倉です。山陽本線の終点は門司で、ここから鹿児島本線に入ります。かつて山陽本線ばかりか山陰本線の列車も関門海峡を渡り九州まで旺盛に直通していたが、下関で列車系統が分断され、寂しくなったものです。鹿児島本線の起点は門司港で、もともとここが九州の玄関ターミナルして賑わったそうで、鉄道文化遺産の町として活性化が図られています。

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小倉駅にて 右の列車は日豊本線の特急【ソニック】

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883系特急【ソニック】

小倉からいよいよ九州本番。鹿児島本線の快速に乗ってしまえば博多まであっという間だけど、ゆっくり座りたいこともあってあえて普通電車に乗りました。門司港へ寄ってみてもよかったけど、時間がなかったので・・・。

福岡県といえば温暖な気候のイメージがあるが、関門海峡~対馬海峡沿岸は地形的に日本海側、山陰地方の延長であり、冬は北西の季節風の影響で雲が広がりやすく、雪が降ることも珍しくないようです(ただし、気候型としては準・瀬戸内型で雨量は少なく温暖)。

小倉から博多までの間、日豊本線、筑豊本線、香椎線、篠栗線などが分岐。筑豊本線~篠栗線は2年前に電化されたばかりで、電化まで50系客車が残っていました。筑豊本線に接続する折尾駅の駅弁「かしわめし」は有名ですね。沿線は八幡製鉄所に代表される北九州工業地帯をバックに大学などが多く、福岡・北九州都市圏に入ったことが実感されます(「○○大前」の駅名が3つもある)。

およそ90分ほどで博多に到着。夜の8時ぐらいだったかな。いゃ~、広島からの「青春18きっぷ」の旅は本当に長かったです。ただ、列車はさほど混んでいなかったのが救いだったかな。私個人的に経験値の低いエリアで、単調な景色という印象のある山陽本線の旅だけに、単純な乗り鉄記録に終わると思いきや、ネットや地図で沿線の見どころや駅弁その他面白い情報を調べながら振り返ると、なかなか濃密な旅行を脳内で再現することに(笑)

翌日以降の九州での行動については、また別の機会ということにしましょう。


活発化する梅雨前線の停滞で局地的豪雨が続き、九州地方では広範囲で「数十年に一度」の甚大な被害を受けました。また、京都府や岐阜県・長野県などでも河川の増水氾濫やがけ崩れなどが発生、山間部は交通寸断で孤立状態になるなど、全国的に影響が広がっています。コロナ感染との複合災害が心配です。今後少なくとも一週間、日本付近に梅雨前線が停滞する予報なので、気をつけましょう。

* * * *

さて、久しぶりに「青春18きっぷ」の旅の回顧録を書いてみようと思います。

2003年夏、九州へ旅行したときのこと。往復とも新幹線と「青春18きっぷ」を併用しました。

往路は、新大阪~広島間は新幹線、広島から先は「青春18きっぷ」で山陽本線の普通列車を乗り継いで関門海峡を渡りました。

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広島までは新幹線 「新幹線の原型」0系は健在だった

広島まで新幹線に乗車した理由の一つは、姫路・相生-岡山間のラッシュを避けるためだったと思います。仮に大阪駅から「青春18きっぷ」だったら、 もっと疲れていたことでしょう。東海道新幹線に比べ山陽新幹線はトンネルが多いです。新大阪~西明石間は六甲山を長いトンネルでぶち抜き、西明石からは海岸寄りのルートなのは面白いですね(もっとも海が見えるのはごくわずかだが)。

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広島駅に停車中の可部線105系
国鉄型車両ばかりだった広島も今は227系ばかり

広島駅あたりで駅弁を買ったかは覚えていません。さっそく広島から115系電車を何本か乗り継ぎます。広島市街地を抜け、宮内串戸あたりからしばらくの間、瀬戸内海と宮島の景色を楽しむことができます。宮島口までは広島電鉄と並行。宮島口といえば名物駅弁「穴子めし」も忘れてはなりません。大竹を過ぎると山口県に入り、岩国で乗り継ぎ。この先、山口県区間が非常に長~いです。

岩国と徳山を山中を短絡するローカル線、岩徳線が分かれます。単線非電化ではあるが山陽本線の旧線であることから、駅やホームなどに本線時代の栄華を伝える遺構が残っているようで、岩徳線を訪ねる価値はありそうです。海岸沿いに現在の山陽本線が敷設されたのは、トンネルや坂道が苦手なSL時代の名残もさることながら、海岸沿いのほうが沿線人口が多いことも理由のようですね。岩国といえば、日本三名橋の一つ、名勝・錦帯橋(きんたいきょう)はぜひ訪れるべきでしょう。

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山陽本線を走る旧・広島色115系

山陽本線は周防半島の海岸沿いを回ります。それゆえ、引き続き車窓から瀬戸内海を楽しめるが、柳井港から柳井・田布施を経て光まで少し内陸側を通ります。そして、この先、海岸に寄ったり離れたりで、特に防府以西は海から離れた内陸部が続くせいか、山口県が長く感じられる「難所」かもしれません。

新山口(旧・小郡)で下関行きに乗り換えました。新山口は山陽新幹線と山口線、そして宇部線が接続する鉄道の要衝です。山口県の県庁所在地(山口市)へは、山口線の気動車に乗り換えます。新山口駅のある旧・小郡町も平成の大合併で山口市に編入されましたが・・・。

山口線といえば、「SLやまぐち号」が1979年から40年以上にわたって復活運転が続いており、ファンや観光客に人気です。最近では戦前型旧型客車を特別に復刻製造したもの(35系4000番台)が投入され、「やまぐち号」はSL時代当時に近い姿に生まれ変わりました。

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山口線のキハ40系 旧・広島色


国鉄急行型気動車でお馴染みのキハ58系。

キハ58系の方向幕について一つ気になることがあります。

キハ58系といえば、シンプルな「急行」幕表示の姿がポピュラーでしょう。

国鉄時代のキハ58系の方向幕は、165・455系急行型電車と同様、「急行」のほか「準急」「快速」「普通」「臨時」など列車種別のみのコマを表示、行先表示はサボを使用するスタイルが一般的でした。 

ただし、一部例外があります。

それは天王寺鉄道管理局管内。

天鉄局管内の気動車は、キハ35系投入以降、キハ45系やキハ40系等の方向幕に行先を表示する方式が徹底。同局所属の103・113系電車等と同様、普通・快速列車には独特の丸ゴシック書式で「奈良-湊町」「奈良-京都」「王寺-和歌山」などと運転区間を表示するのが一般的でした(サボは方向幕機器のないキハ10・20系以外では基本的に使用せず)。

問題は急行型のキハ58系。

普通列車専門の亀山・伊勢区所属の分は、キハ35系等と共通の幕を使用していました。「貴生川-信楽」「松阪-伊勢奥津」「亀山-新宮」などのコマがよく使われた模様です。亀山のキハ58系といえば、当初は広島・米子地区から転属の初期タイプが多く、特に元・広島局所属の車両には、なぜか車体中央にサボ受けが増設されたようです(その後、和歌山・奈良から大量に転入)。

急行運用のある和歌山・奈良所属分は、行先の入った天鉄仕様とは違うもの、すなわち種別のみの全国標準タイプだったようです。基本的にキハ35系ほか一般型気動車とは厳格に使い分けていたが、キハ58系とキハ35系との混結も珍しくなく、特に奈良・和歌山線電化直前頃には混結編成も多かったようです。

急行編成が間合い等で普通列車に入るときは、方向幕は白幕、サボ使用で運用されました(キハ35系ほか一般型編成と連結する場合も同様)。



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京阪1000系。

京阪の通勤車の一形式ですが、どちらかといえば地味な印象を受けます。

しかし、1000系のルーツにはものすごい歴史が刻まれているんですよ。

1000系という形式自体、1977~78年に登場。7連×6編成の42両が2020年現在も運用中です。

1000系は実は旧700系の代替新造なんです。すなわち、車体そのものは1968~69年に700系として新造されたもの。700系は車体こそ新しいが、走行機器・足回りは旧式の吊り掛け駆動というものでした(旧・600系も同様の出自でしたね)。

700系の機器は戦前生まれの流線型1000・1100形などからの流用なんですね。当時、高度経済成長期にあって沿線人口が急増、戦前生まれの小さい車体では急増する旅客を捌ききれないことから、車体だけを大型化更新することで急場を凌いだわけです。
 
そこで新しく造られた700系は、吊り掛け駆動ながら7両固定編成を基本とし(これに加え600系増結用の2両を製造→700系消滅後600系に編入)、急行・準急などの優等種別を中心に運用されました。

700系の車体構造は、同時に並行して量産中の卵形通勤車2200・2400系とは異なり、角張ったスタイルで側面中間窓は、国鉄103系などと同じ「田の字」型が特徴です。ドア配置も他の3ドア通勤車と異なります。

京阪線の架線電圧1500V化(1983年)に合わせ、旧式の吊り掛け車は全廃することになります。700系もその対象に含まれるが、車体は新しいのでそのまま廃車するにはもったいない。

そこで、700系の車体を再利用し、走行機器・台車は新しいものに取り替え、合わせて冷房化・行先種別幕設置などの工事を施され、1000系として生まれ変わることになりました。いわゆる「代替新造」というものです。

この車両更新手法は、その後も昇圧に間に合わせるべく、2600系や2代目1800系の新造にも応用されました。

700系と瓜二つのスタイルだった600系は、車体が頑丈でなかったことから冷房化工事が難しいとされ、1983年の昇圧で廃車されました(一部は2代目1800系に生まれ変わるが、やはり冷房化が困難ゆえ、わずか6年ほどで全廃)。

1000系は1991~95年にかけて、車体更新が行われ、顔がスタイリッシュに変わりました。


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阪急バス加島線【17】【18】系統(梅田~加島駅前・西川)は、2020年7月19日の運行を最後に廃止されることになりました。合わせて加島出張所も廃止されます。

https://www.hankyubus.co.jp/news/images/20200719k.pdf

加島線は歴史の深い路線で、JR東西線開通前は利用状況が旺盛で大型長尺を充当されるぐらいだったそうです。しかし、東西線開通後、運行本数は徐々に減便され、2018年年末のダイヤ改正で日中40分間隔に半減されたばかり。廃止後、大阪シティバス【97】系統を利用することになるが、これも以前に比べて本数は減っているはず。

梅田(大阪駅前)には、阪急バスのほか近鉄バス(阪奈生駒線)も乗り入れていたが、近鉄バスは軒並み撤退しており、阪急バスも加島線廃止後、阪北線豊中方面系統が残るのみとなります。

もともと需要があるはずなのに、大阪シティバスとの共通定期でなかったのも災いのようです(同区間を並行するシティバスのほうが利用客が多い)。 

なお、【64】系統<加島駅前~柴原(市立豊中病院前)>(平日のみ)は存続です。


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大阪メトロ御堂筋線の10A系(旧10系1117~1126編成)の引退が始まっています。

既に1118Fは引退しており、このほど1117Fも緑木町へ回送されたことが報告されています。

30000系第15編成が間もなく営業運転を開始する見込みで、1117Fは廃車濃厚ですね。
 


(その2)
http://katanogawara.blog.jp/archives/35468947.html

しかし、転んでもただは起きない受験生だった自分。

前回の抜け道は失敗だったと反省。遠回りではあっても走りやすい道から回るほうが、確実に目的地にたどり着けるはずだ。受験でも同じだろうが、とお説教を食らったようでした。

ということで、8月上旬、予備校の夏期講習休みの日に、再度名張へ挑戦。受験勉強そして文化祭の準備練習よりも、サイクリングへの執念は尋常ではありませんでした。2年前の高1のとき、風邪で寝込んだり雨の多い天候不順とかであまり思うように動けなかったりして、その私怨は根強かったと思います。

実は、この日、家族で映画を観にいこうと誘われたんだけど、断りました。しかし、後になってみればこの選択に悔いを残すことに。

今度は、R168~奈良r5~奈良r14~R165、すなわち法隆寺・田原本・桜井・榛原経由で、近鉄大阪線に沿うわかりやすいルートを往復しました。R165はもちろん坂道も多いが、比較的走りやすかったです。宇陀市榛原以東は宇陀川(淀川水系・名張川の支流)の流路に従い、名張までは標高を下げてゆきます。目の前を近鉄特急が賑やかに行き交い、小さい頃、志摩半島まで海水浴に連れて行ってもらったことを懐かしみながら、ひたすら国道を走り続けました。

目的地・名張への到達はめでたく達成。名張市は伊賀盆地南西部の都市(人口7万人)で、三重県にして珍しく大阪のベッドタウン。近鉄の列車ダイヤも一般列車は大阪志向で、特急での着席通勤も珍しくありません。大阪通勤圏のほぼ東限に当たるため、名張以東はローカルムードが濃厚です。名張といえば、探偵小説家・江戸川乱歩(1894-1965)の生誕地として有名。名張市周辺の見どころとして、赤目四十八滝や香落渓などがあります。

さて、問題はその後。行きで燃え尽きたのか、今度は帰り道で死にそうになりました。炎天のもと熱射病寸前のヘトヘトで、地獄でしたね。目的達成の喜びよりも孤独感と疲れだけが残り、家族との誘いを断って遠くへ飛び出したことを後悔する始末でした。みんなで揃って出かけたほうが美味しくて涼しい楽しみを満喫できたのに、後の祭り・・・。

* * * *

しかし、これに懲りることなく、夏休み最後の日には、また別のところへ自転車で走ったのです。

やはり丸一日炎天下を走ったため、今度も「疲れるだけの旅」でしたね。

本当は文化祭の練習に来るように電話があったんだけど、サボりました。炎天下の孤独のもと、後ろめたさもあって、結局疲労感だけが残りましたね。

今思えば、当時の自分の不徳が実に恥ずかしい限りです。自分のやりたい目標を意地でも達成しようという姿勢は良いが、現実社会においてやるべきことは多く、TPOを弁える必要があります。そもそも、あの酷暑のもと、一人無理を押し通しても、寂しい思いをして疲れるだけでいいことはなかった。それよりも高校最後の文化祭の練習にみんなで力を合わせるほうが利徳が大きいはずで、悔いを残すことなく高校を卒業、幸先の良い大学生活のスタートを切ることもできたでしょう。


(その1)
http://katanogawara.blog.jp/archives/35467015.html

で書いたように、6月初旬の伊賀上野への自転車の旅は比較的軽々とこなせて快調でした。

これを弾みに、今度は夏休みに同じく伊賀盆地南部・名張市への遠征を計画。

しかし、真夏の炎天下ゆえ、それは決して甘くはありませんでした。

さっそく、7月半ば・試験休みの日に実行。梅雨明け間際の夏空が広がり、奈良市街地~(奈良r80)~山添村経由で名張を目指します。奈良市まではR168(磐船街道)~阪奈道路を快調に全力疾走。JR奈良駅で一服、駅の立ち食いうどんで小腹を満たします。寺院風の駅舎が健在で古都の玄関にふさわしい佇まいでした。

駅前で京都行きの京阪バス(京都奈良線)を目にして、少しびっくり。京阪バスが奈良まで来ていることに改めて驚きを感じました。JR奈良駅には平成初期まで加茂・和束・信楽方面へのJRバス(近城線)も乗り入れていましたね。大阪梅田・京都から奈良までの近鉄バス長距離路線もありました(ちなみに奈良交通の京都駅~大和八木系統も1往復だけ存在)。

さて、問題はここから。名張への最短経路ということで奈良r80【奈良名張線】を走り大和高原に突入。山道ゆえ急坂が多く、炎天下のもとでは思ったよりもハードでめげかけました。梅雨入り前にR163を伊賀上野まで走ったときとは気象条件や道路状況が大きく異なるので、当然といえば当然でしょう。とにかく汗びっしょり、喉が渇くばかりで死にそうでした(苦笑)

幾つかの峠道をこなし、山添村までは何とか頑張れたんだけど、あまりに疲れたので結局名張市まであと一歩のところで断念。ただ、同じ道をそのまま戻ってもしんどいだけなので、月ヶ瀬村から南山城村へ抜けるルート(奈良/京都r82ほか)を取りました。国道25号(非名阪)を少し東へ走り、奈良/三重県境の五月橋から名張川に沿って、梅林で有名な月ヶ瀬村を通り、高山ダムから大河原へ。ここから国道163号線を西へ走りました。前回、伊賀上野まで走ったときの道ですね。

山城町(木津川市)からはR24を山城大橋まで北上。途中、奈良交通上狛車庫がありましたね。元々近鉄バスの車庫だったようで、京都奈良線(近鉄バス)の区間便がここで折り返していました。その近くにドライブインもあり、一服するにはちょうど良いところでした(これもいつの間にか消えてしまった)。京田辺市の国道307号線では、京阪バス【12】号経路・枚方市駅発新田辺行きにばったり出会いました。


自転車で三重県へ遠征したときのことを書いてみようと思いました。

初めて自転車で三重県に踏み入れたのは高3の6月初旬。目的地は伊賀上野(伊賀市)でした。

大阪府民にとって三重県といえば遠いところと感じられると思います。しかし、枚方・交野・寝屋川など北河内から伊賀へは国道163号線で東西一直線に結ばれて意外に近く、大阪府最東端の枚方市尊延寺から伊賀市島ヶ原(京都 / 三重府県境)までの直線距離はわずか20km台ですね。

鉄道利用だと、JR学研都市線+(木津・加茂乗り換え)+関西本線が最短経路にあたります。実はこのルートが大阪・名古屋間の最短距離経路だったりします。

今回、自転車で走ったルートも、学研都市線・関西本線にほぼ沿ったものでした。もう少し詳しく言えば、

R307~大阪/京都r71~京都r65~R24~R163

で、伊賀上野(上野市駅前・上野城)までだと60kmほど。木津川に沿った道のため坂道もさほどきつくなく、意外に快調に走れました。通過府県は大阪・京都・三重の3府県ですが、京都と三重が隣接していることを知らない方も多いようです。もっとも京都府と三重県との境界は南山城村のわずか数キロほどなので、両府県が隣接していることは少々認識されづらいのかもしれませんね(ちなみに三重との隣接府県は北から順に愛知・岐阜・滋賀・京都・奈良・和歌山)。

伊賀地方を流れる木津川・名張川ほかの支流は全て淀川水系に属しています。伊賀盆地・大和高原からの木津川、琵琶湖と繋がる宇治川、および京都丹波高原(京都市左京区広河原に源流)から保津峡・嵐山・嵯峨野を辿る桂川が、八幡・大山崎で集まって淀川となり、大阪湾(瀬戸内海)へ流れます。

三重県は行政・経済の面では基本的に名古屋志向の東海地方ですが、伊賀地方は自然地理的にも文化・経済・通勤の面でも大阪志向(関西圏)です。伊賀地方を通る関西本線(亀山以西)はJR西日本管轄、近鉄は新青山トンネル(伊賀・伊勢国境)が大阪・名古屋管轄部局の境界です。ただし、伊賀地方も名古屋への中距離高速バスが発着するなど、名古屋志向の側面もあるように感じます(大阪・京都~伊賀間の高速バスが運行されたこともあるが、軒並み撤退)。

あの当時、近鉄京都線の山田川駅と上野市駅(近鉄伊賀線→伊賀鉄道)をR163経由で結ぶバス(奈良交通)、また天理から名阪国道を走って上野市までのバス(奈良・三重交通)などがありましたね。

帰りの走行ルートは木津川市までは行きと同じR163で、さらにR163を西へ進み、清滝トンネルをぶち抜いて四條畷市街地を廻りました。

当日の天気は曇り空でした。帰りの精華町~生駒高山あたりを走っている頃に雨が降り出し、ずぶ濡れになったものの、全体的に凌ぎやすい気候でひどく疲れることなく快適でした。


京阪バス大津営業所の車両に大きな動きが報告されています。

今回の目玉は、自動運転実証実験用に新車N-9003(エルガミオ)。登録ナンバーは滋賀200か1350。外観スタイルは普通のエルガミオですが、実証実験用ということで一般の車両と異なり真っ白な塗装となっています。行先表示機は京阪バス初めてのフルカラーLEDで、以降の新車に導入されるのかが気になるところ。

エアロミディW-1106・W-1109が大津へ転属しました(前配置は門真、京田辺?)。登録ナンバーは順に、滋賀200か1353・1352。大津でのエアロミディは久しぶりということで、注目を集めているそうです。石山駅近辺では帝産湖南交通のエアロミディとの美しいショットも狙えそうですね。

この玉突きとして、レインボーIIの2台(W-3017・3018)が洛南へ転属。洛南の代替車は今のところ確認されていないようなので、近いうちにダイヤ改正が実施され、増発または新路線の設定があるかもしれません。

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