かつて、毎年夏休みに枚方市駅・樟葉駅から藤阪にある王仁(わに)公園プールへの臨時バスが運行されていた。

最寄のバス停は「藤阪」であり、【63】【64】号経路・<枚方市駅南口~長尾駅>系統の通るところだ。
ただし、枚方市駅からの便は北口からの発車で、須山町・出屋敷・長尾口経由(当時運行されていた大循環系統【20】・<枚方市駅北口~長尾駅~枚方市駅南口>とほぼ似ている)だった。私も一度だけこの臨時便に乗車したことがある。

また、樟葉駅発着便についてはよく知らないが、運行経路は企業団地(現・中の池公園)・招提大谷・既製服団地・長尾口だった。運行経路が樟葉長尾線とほぼ同じでしかも「藤阪」行きゆえに、定期運行の【35】(現【95】)・藤阪ハイツ行きと乗り間違える客もおられたそうだ。「藤阪ハイツ」と「藤阪」バス停はかなり離れていて(両者間の徒歩も不可能ではないが)、名前が名前だけに紛らわしいので、「藤阪」バス停は「王仁公園前」などと改称したほうがよいだろう。「藤阪」の所在地は藤阪元町、「藤阪ハイツ」は藤阪西町である。

王仁公園プールは2001年ごろまでは入場料は3時間まで300円という良心的な安さだったが、リニュアル工事後900円前後に値上げされたようだ。私は小学校~高校時代の頃まで時々王仁プールへ泳ぎに行ったりしたが(中学時代までは親に連れて行ってもらった)、リニュアル工事後全然行ったことがない。ただ、一人で行くときは自転車だった。

「王仁」という名の由来は、5世紀初頭に朝鮮半島の百済から渡来し、論語と千字文(=漢字?)を枚方・長尾界隈の地にもたらしたとされる王仁博士による。
https://www.city.hirakata.osaka.jp/uploaded/attachment/6062.pdf

かつて京田辺市大住にあった宿泊施設・中心山荘。

最寄り駅はJR学研都市線(片町線)の大住駅(徒歩)、バス停でいえば「松井ヶ丘」。
当時、片町線は長尾から先、非電化のローカル線で松井山手駅も開業しておらず、京阪沿線からほんのすぐのところにありながら、のどかな里山の中の旅館だった。とはいえ、大住ヶ丘・松井ヶ丘界隈は1970年代ごろから宅地開発も既に進んでいて、やがて片町線の全線電化、そして松井山手周辺に大規模な街開きの波が押し寄せる。

私も小学校の時、夏休みに家族連れで中心山荘に宿泊したことがある。
樟葉駅から旅館の無料送迎バスに乗った。路線バスなら京阪宇治交通(当時)の【16】・松井ヶ丘行きに乗ることになるが、私個人的には京阪宇治交通バスのほうが面白かった。京阪宇治交通(そして京阪バス)に冷房車が大量に投入される過渡期の頃だが、松井ヶ丘方面へのバスには未だ非冷房・バス窓の古い車両が使われていたように記憶している。ちなみに、中心山荘の送迎バスは富士重3Eの非冷房車だった。

中心山荘には温泉や川の流れる食事処のほか、テニスコートやプールなどのレクリエーション施設が充実していたが、小学生の私にとっては、枚方市からあまりに近すぎることもあって遠出したような気分になれなかったこともあって、物足りなさを感じた。翌日、午前中にチェックアウトが終わって送迎バスで樟葉駅へ、お昼ごろまでに家に帰り着いてしまった(笑)。

なお、送迎バスは樟葉駅のほか、長尾駅からも運行されていたようだ。最寄り駅は長尾の次の大住だが、長尾から先、非電化のため乗り換えないといけなかったし、列車本数も少なくてあまりに不便なので・・・。せっかくなので、近鉄新田辺駅からも送迎バスがあってもよさそうだったが(新田辺からは宇治交【65】・松井ヶ丘行きに乗車)・・・

中心山荘のことはその後、すっかり忘れていたが、2002年ごろに倒産したようだ。

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「京阪時刻表1982」に掲示されていた中心山荘のCM
5桁の市外局番と送迎バスがのどかな時代を表しているようだ




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南海線・空港線用7000系(普通銅製車)の兄弟関係と言える高野線用6000系(ステンレスカー)。
7000系は去年全廃となったが、それよりも古い高野線用の6000系(製造初年1962年)は、まだ1両の廃車も発生しておらず健在だ(製造初年から54年)。

南海6000・7000系は、4ドア通勤車でありながら片開きドアが特徴的で、古風な印象を与える。私個人的には京阪1900系(通勤車格下げ後)と少なからず似ているように見える。

さて、ここで以下の素朴な疑問をお持ちの方も多いだろう。

1)なぜ高野線にはステンレスカー、南海線には全銅製車が投入されたのか?
2)なぜ南海線用7000系が、古い高野線6000系よりも先に全廃されたのか?

まず、1)についてだが、南海の車両を受注してきた東急車輛が日本で初めてステンレス車体を開発・採用し、南海向けにももちろん売り込みをしていたと思われるが、ステンレス車体は当時高価で、しかも事故で損傷したときの修繕が難しいため、踏切の少なめの高野線に配置されることになったと言われている。

2)について、南海線は海岸沿いを走るゆえ普通銅製車は塩害のダメージを受けやすいゆえ老朽化が早まり、7000系が全廃されることになったという。反対に6000系はステンレス車体であることが幸いして、まだ1両たりとも廃車が発生していない。

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京都市営地下鉄烏丸線用10系。
京都-北大路間開通の1981年から、国際会館延伸の1997年までの16年にわたって製造された。
1988年の竹田延伸&近鉄京都線直通開始以降に製造されたものは「後期型」とされ、初期の1981年製とディテイルの差異が目立つ。また、1981年の開通当初は4両編成だったが、1988年竹田延伸のときに6両編成に増強される。
1997年の最終増備までチョッパー制御車だが、現在「後期型」編成を対象にVVVF化を含めたリニュアル工事が順次進められている。10系初期編成の今後が気になるところだが、仮に廃車されるなれば後継の新車も気になる。

上の写真は初期型の第9編成(竹田にて)。下の後期型とは顔立ちが異なる。


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後期型第13編成(近鉄奈良にて)


かつては日野大型車の多かった京阪バス門真営業所。

近年、門真営業所管内の需要低下に伴い、大半が中型車となり、日野大型車はブルーリボンシティのW-3818だけとなっています。しかもW-3818は今では貴重となった方向幕車。ここ数日、【臨時】京阪守口市駅・大和田駅~飯盛霊園系統の運用に入ったことがTwitterで報告されており、私もこのW-3818の写真を見て、「おやっ?」と思いました。

門真営業所の幕車は、もうこのW-3818だけなのかと思っていたのだが、最古参の小型車S-1072・1074(三菱エアロミディ・KK-MJ23HE)がいたことを忘れていました。この2台はもともと大津営業所に配属されたが、S-1074はその後交野→寝屋川→門真の順に転属、S-1072は大津から直接門真に転属、という経歴です。おそらく四條畷市コミュニティバスで使用されてきたと思われますが、いずれにせよ、そろそろ動きがありそうです。

S-1074
S-1074(大津時代)
撮影劇場さまより拝借

なお、W-3818は通常、【5】古川橋駅~試験場前系統などで出会う確率が高そうです。


京阪バス過去路線のレポートを久しぶりに書く。

今回は、枚方尊延寺線の旧【14】号経路・<枚方市駅~村野浄水場・津田循環>。
運行経路は、

枚方市駅南口~四辻~津田駅~倉治~西倉治~出鼻橋~村野浄水場前~四辻~枚方市駅南口(両方向回りあり)

で、枚方営業所が担当していた。1999年まで運行していた。津田駅~倉治界隈で交野市内に跨っており、枚方営業所管轄の路線系統で唯一、交野市内に乗り入れていた。ただし、1978年の交野営業所開設以前は、星田線【41】【43】号経路、そして田原線(京阪交野市駅~一の坪、一の坪~京阪大和田駅の2系統、ボンネットバス使用)なども枚方営業所が広域的に担当していた。かつて、1970年代には、京阪村野駅前~四条畷駅系統(倉治、住吉神社前、天の川経由?)もあったようで、この【14】号経路はその名残とも見れそうだ。

【14】号経路は、枚方市駅-津田駅間は【12】号経路(現【62】【72】号ほか)を補完、村野浄水場および周辺の工場通勤者を意識して設定されたものだと思われる。ただ、村野浄水場~出鼻橋~西倉治界隈は住宅地が少ないゆえ利用客は少なかったようで、1999年9月の枚方尊延寺線ダイヤ改正の時に廃止されることになる。その後、枚方営業所管轄路線は交野市内から撤退。

なお、1989年ごろ、【8】号経路・<京阪交野市駅~幾野4丁目~西倉治~津田駅>が新設され(交野営業所管轄)、【14】号経路の廃止後も、西倉治~倉治間のバス路線は残る。現在、この区間は主に【9C】・<京阪香里園~京阪交野市駅~西倉治~河内磐船駅>および【17A】・<津田駅~西倉治~京阪交野市駅~河内磐船駅>が走行している。

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2007年1月に撮影しました。
行先は「11 日出町経由 上津島・阪急園田」。
日出町といえば、豊中市の阪急バス本社前です。

阪急バスの梅田のりばは、大阪駅北口(ヨドバシ向かい側)と阪急百貨店前の2ヶ所あります。
大阪駅北口からは加島経由阪急塚口行き(【18】系統)、阪急百貨店前からは日出町・豊中・箕面方面行きがそれぞれ発着。

梅田・大阪駅前には大阪市営バスのほか、阪急バス・近鉄バスも堂々と乗り入れていますが、近鉄バス(高速除く)は今年12月で年1本のみの超・免許維持路線と化する予定です。なお、近鉄バスも一時期、大阪駅北口まで乗り入れたことがあります(ただし降車のみ)。

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2009年に撮影しました。
特にエアロスターKが古めかしく見えますね。神姫バスの三菱車といえば、どちらかといえば新呉羽は少なく、三菱自工または西工ボディ架装のほうが多かったようです。
回送車の行先表示機に「すみません回送中です」を表示させるようになったのは、確か神姫バスが初めてでしたね(撮影当時は従来の「回送」表示だったが)。

最近まで明石市営バスもあったが、神姫バスに譲渡されました。
兵庫県内の公営バス(神戸市を除く)は、姫路・明石に続き尼崎もなくなり、伊丹市営バスだけとなりました。

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2005年に国鉄急行色に復元されたJR四国のキハ58・65。

わずか2両だけだが、この復元作業は塗装のみならず、窓周りの灰色ゴムなど細部にまで国鉄時代らしさが再現されており、各地のリバイバル塗装とは一味ちがう。さすがに車内まで国鉄時代の雰囲気を再現、というわけにはいかなかっただろう。普通列車専用となったゆえ一部ロングシート化されたままなのは仕方ない。

なお、方向幕もこの頃になって、全国各地で行先表示を入れるのが当たり前となってきたが、どうせなら、「普通」と表示して、行先表示は出入り口上部のサボ受けに表示板を差し込むようにすれば、いっそう引き立たったのではないか。

JR四国のキハ58系は2008年までに引退した。

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