四條畷市清滝地区の近鉄バスについてかんたんレポートを書く。
四条畷(JR四条畷駅前)には近鉄バス四条畷線(産業大学・瓢箪山方面)と清滝線(清滝団地、四條畷電通大方面)のほか、京阪バス(大和田・イオンモール四條畷・寝屋川市駅)、そして田原地区への四條畷市コミュニティバス(京阪バスに委託)が発着している。近鉄バスは「四条畷」、京阪バスは「四条畷駅」が正確な名称である。
「しじょうなわて」の漢字表記は「四条畷」「四條畷」の2通りがあり、行政区域としての市の名称には「四條畷」を用いることになっているようだ。最近の道路の案内標識でも「四條畷」と表記されているし、大阪電通大のキャンパス名も「四條畷」が使われている。一方、JRの駅名は簡単な「四条畷」表記である。JR四条畷駅の所在地が四條畷市ではなく、大東市であることはかなり有名だ。
さて、近鉄バス清滝線はJR四条畷駅と清滝団地・四條畷電通大を結ぶ路線系統だ。
系統は忍ヶ丘駅を経由するものも含めていくつかあり、かなり複雑だ。
運行本数は毎時概ね最低2本は確保されているが、綺麗な30分間隔ではない。
運用担当は、瓢箪山方面からの四条畷線(枚岡営業所)とは異なり、稲田営業所であり、中型車(エルガミオ)で運用されている。
京阪バスと近鉄バスの運行エリアが入り組んでいるため、運賃体系は複雑で、四条畷~清滝団地・電通大までの運賃は250円。
このあたりは生駒山系中腹の急斜面にあたり、道路の勾配がきつい。
同地区を通る京阪バスは、かつて三菱ふそう車を優先的に充てていたほど(1980年代初頭までの日野REは出力が強くなく主に平坦路線に使用されていたが、近鉄バス清滝線ではREを使用していたとか)。
清滝団地はかなり高いところにあり、大阪都心方面の眺望が良い。ただ、急坂が多く、買い物は不便なようで、団地住民の高齢化が進む中、今後この地域がどうなるのか気になるところ。
かつては近鉄バスは清滝峠を越えて田原地区そして奈良県生駒市に越境して高山まで延びていたかと思うが、現在、「四條畷市コミュニティバス」が清滝峠を越えて田原地区と四條畷市街地を結んでいる。
コメント
コメント一覧 (5)
ということは、奈良県では貴重な三菱ふそう車運用路線バスでしたね。
京阪バス田原線の中番にある阪奈サナトリウムは1964年開業ですが、田原台が開発されるまでの約25年間はものすごく山の中だったでしょう。
近鉄バス清滝線は国道163号を東へ生駒市高山までありましたが、
国道168号生駒市山口川交差点は京阪バス・近鉄バス・奈良交通バスが走っていたうえ
奈良交通は1995年までは生駒駅~山田川駅(~木津駅)や山田川駅~上野市駅の路線バスがあったようです。
京阪バス田原線についてのネタもお願いします。拡張前の国道168号磐船隧道を走っていた京阪バス田原線ネタとか。
磐船隧道は1953年に枚方大和高田線のトンネルとして開通した当初は狭いトンネルだったようですが、
1982年の国道168号枚方延長に伴い88年に歩道付きに拡張されたからです
おはようございます。
いつも貴重な情報をいただきありがとうございます。
今回のコメントは特に興味深く感じました。
>奈良交通は1995年までは生駒駅~山田川駅(~木津駅)や山田川駅~上野市駅の路線バスがあったようです。
私も1990年代初頭まで上記路線があったことはぼんやり記憶しています。気づかぬうちに消えてしまいましたね。
>大和田駅発着時代の京阪バス田原線18系統は三菱ふそう車が運用されていたのでしょう?
1984年に中型車が導入される以前は三菱ふそう車が使われていました。バス窓のMR470と代わってブルドックのMP117が入っていました。大和田~田原地区~交野直通となったのは確か1978年のこと、以前は田原地区で系統が分かれていて、ボンネットバスが使用されていたそうです。
ありがとうございます。
京阪バス田原線は1978年4月の交野営業所開設前は大和田~森山と交野駅(現・交野市駅)~下田原(現・田原台1丁目付近)で分割されしかもボンネットバスだったとは。
枚方営業所か門真営業所かは不明ですが。
大和田~交野市が直通だった時期は生駒山地や府県境を2回越えたり、
清滝峠西側や磐船隧道北側のヘアピンカーブを走ったりでしたが。
1977年当時の四條畷市田原地区は飯盛霊園、阪奈サナトリウム、内外電機工場、大阪特殊自動車学校くらいしかなかったようで人口も少なく、ボンネット車で需要が足りたようです。
国道163号(現在は清滝生駒道路の開通で市道へ降格)は急勾配・急カーブの連続とはいえ大型車対応化されておりトラック街道となっていましたが
(当時の国道163号は笠置町役場前~笠置町有市を除き2車線以上化されていた。1980年の笠置トンネル開通で酷道が解消された)、
京阪バス田原線が走る枚方大和高田線(現・国道168号)は磐船隧道や磐船神社前が狭かったのもボンネット車に向いていたでしょう。
1977年当時の磐船越は奈良交通私市線・北田原線も京阪私市まで走っていましたが、
生駒市東新町(近鉄奈良線が竜田川を渡る辺り)にあった奈良交通生駒営業所の私市線・北田原線運用車もおそらく中型だったでしょう
(奈良交通生駒営業所は1978年4月に現在の北大和営業所へ移転)。
京阪バスのボンネット車は滋賀県の束塚線(当時の京阪宇治交通90系統とルートが被った)が最後かと思いましたが。
田原線のボンネット時代は枚方営業所が担当していたそうです。
運用は京阪私市→八の坪、八の坪→京阪大和田駅、大和田→八の坪、八の坪→京阪私市の順のようでした。1976年のワンマン化を機に京阪私市~京阪大和田駅の通し運行に変更、1978年交野営業所への移管の前後で京阪交野市駅発着に変更となったようです。
以下の掲示板での内山誠氏の書き込みをご参考いただければ幸いです。
http://102.teacup.com/seahawk/bbs/1798
また、田原地区のボンネットバスのレポートが『バスグラフィック vol.25』に掲載されています。
http://www.fujisan.co.jp/product/1281692669/b/1316059/
京阪バス田原線の歴史についてありがとうございます。
交野営業所開設前は枚方営業所管轄でしたか。
1976年以前のボンネット車時代は京阪交野発着も大和田発着も八ノ坪(内山氏いわく京阪バスでは八の坪)まででしたか。
八ノ坪は調べたところ中番バス停から府道701号中垣内南田原線(古堤街道)を西へ進んだ集落ですが、廃止から40年以上過ぎているのもあってか八の坪停留所跡の痕跡はありません。
京阪バス田原線が走る阪奈サナトリウム付近~滝寺の市道は1990年に入居開始された田原台の開発でルートが変わっています。
拡張前の国道168号(1982年3月以前は枚方大和高田線)磐船隧道も気になりますが画像を調べたところ拡張前の磐船隧道の画像は見つかりませんでした。