2014年07月

高槻営業所担当の【16】号経路・枚方出口線ですが、現状の利用状況を鑑みて、枚方営業所に移管の上、中型車で運行したほうがよいのでは、と思ったりします。

すなわち、同じ枚方市駅北口に乗り入れる招提線【38】号経路との共通運用を組む。
枚方管内で中型車(エアロミディ)が使われているのは、この【38】号経路のほかは、【87】号経路、そして時折出屋敷線【23】号経路に入るぐらいです が(かつては樟葉八幡線や樟葉中書島線などにも入っていた)、この際、出口線【16】号経路と共通の運用を組んだほうが、効率的のように思われます。

ただし、運行ダイヤについて、35分とか40分間隔というのは少々わかりにくいので、できれば30分ヘッドにしてほしいですね。招提線【38】号経路も同様で、時間帯によっては40分間隔になったりしますが、なるべく30分間隔に揃えてほしい。

仮に【16】号経路が枚方営業所持ちとなれば、「早バス」【1A】号経路とともに、枚方公園口へ乗り入れる同営業所担当の路線ということになり、かつて 1970年代後半の一時期、受け持ったことのある、京阪国道線の残滓・【16】<枚方市駅~寝屋川市駅>を髣髴とさせることにもなります。

http://naohiko.exblog.jp/22645553/

紀勢本線の326D列車、こと朝の新宮発亀山行き普通列車(現在は多気行き)は、沿線の鉄道ファンには何気に有名だと思われます。

その国鉄時代の326D列車について、ちょっと興味があります。
それは、1982年5月17日ダイヤ改正~84年1月(もしくは85年3月?)までのこと。

当時の編成は、亀山または伊勢区のキハ30・40の2両に、和歌山区のキハ58・28の2両を連結するというものだったようです。キハ58系のほうは急行 【きのくに】編成から切り離されたもののようですが、なぜわざわざこんな広範囲運用をこなしていたのか、今でも気になるのです。もっとも、1980年代の 当時、気動車の普通列車は基本的に非冷房だったので(急行用車両の間合い運用などを除く)、キハ58・28が連結されると、一般旅客には歓迎されたことで しょう(この心理は、地元の学研都市線長尾-木津間非電化時代のときに身近に経験した)。

さらに、亀山到着後、和歌山のキハ58・28はどんな運用で新宮へ戻って、急行【きのくに】に復帰したのか。

ちなみに、当時の和歌山機関区のキハ58・28は、急行【きのくに】【はまゆう】(最長で参宮線鳥羽まで)のほか、和歌山線(五条-和歌山間)普通列車のアルバイトに入ったり、上記の新宮-亀山間普通列車に増結されるなど、紀伊半島をほぼ一周する運用をこなしていました。

http://naohiko.exblog.jp/22448194/



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