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高度経済成長期に大量に製造された国鉄113系近郊型電車。
東海道・山陽本線の普通電車、および東京・名古屋・大阪近郊の快速(中距離)電車といえば、この113系電車。
もともと、東海道本線東京口の混雑が激しくなってきたため、
旧型の80系電車を置き換えるべく、通勤と中長距離移動の両方に使えるよう、
3ドア・セミクロスシートの113系が投入されたことに始まる。
113系は東海道本線の湘南色と横須賀線&房総地区用の横須賀色が標準カラーとされたが、
関西圏では灰白色に青帯または赤帯を巻いた独特なカラーリングの113系も存在した。
このカラーデザインは、153系新快速に始まる。
1972年、山陽新幹線岡山開業により山陽本線急行列車廃止で余剰となった153系が、
京阪神(東海道・山陽本線、現JR京都線・神戸線など)の新快速に活用されることとなる。
私鉄王国関西に一石を投じるべく、京都・大阪・神戸三都間のスピードを売りに、
特別料金不要の新快速専用として独特のカラーリングを施した153系が用意される。
同時に、阪和線にも新快速電車が設定され、阪和線快速・新快速用に同じ青帯の113系も登場、阪和間45分で結んだ。

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翌年1973年、関西本線奈良-湊町(現・JR難波)間(大和路線)が電化され、
キハ35系などに代わって、快速電車用に赤帯の113系(6両編成)が投入される。
この赤帯は奈良の春日大社をイメージしたものと言われ、「春日塗り」とも呼ばれる。
阪和線の青帯(阪和色)と塗り分けは一緒で、阪和線の鳳電車区に配属となる。
赤帯113系は、関西本線~大阪環状線直通の快速電車(元祖・大和路快速)のほか、
アルバイトで阪和線の快速・新快速の運用にも入った。
ただ、赤帯113系は各地から転属した中古車であって非冷房車が多く、
あまりパッとしなかったようだ。

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しかし、この赤帯113系には、近鉄王国の奈良県において、
国鉄の存在感をPRする特別な意味があったと思う。
奈良県は近鉄特急が便利なため、もともと優等列車に恵まれず(奈良県はJRの特急が存在しない県として有名)、特に関西本線奈良以西電化後、優等列車は大幅に減らされる。
それだけに、この113系の独特のカラーデザインには、奈良の国鉄を象徴する存在として、新快速(阪和)カラーとともに当局の強い思い入れがあったことだろう。
合わせて、環状線直通の快速には、特製ヘッドーマーク「快速 奈良-大阪」まで掲げられ、奈良から乗り換え無しで大阪駅まで行けることのPRに一役買った。

1978年の紀勢本線和歌山-新宮間電化に合わせ、日根野電車区が開設され、
紀伊半島西側を運用する電車を全て担当することとなり、鳳電車区の車両は全て日根野に移転(関西本線用の電車は日根野電車区から阪和貨物線経由で送り込まれていた)。
利用状況の悪い阪和線の新快速は廃止、代わりに快速電車の紀勢本線御坊・紀伊田辺への直通運転が始まる(紀勢本線内は各駅停車)。
紀伊田辺-新宮間の普通電車には、青帯113系4両編成(全て非冷房)が充てられる。
赤帯の113系は引き続き阪和線快速の運用にも入り、紀伊田辺まで新たに進出。

1980年3月には奈良県内の支線である桜井線と和歌山線王寺-五条間が電化、
同線の普通電車に113系赤帯(4両編成、全て非冷房車)が投入される。
赤帯の4両編成は、紀勢本線ローカルと共通運用が組まれ、はるばる新宮まで顔を見せたりもする。

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また、桜井・和歌山線電化名目で、113系2000番台の赤帯車6両編成3本が新造される。
主に関西本線快速電車で運用されるが、朝夕には湊町から桜井・和歌山線への直通運転も行われるようになる。

113系赤帯が桜井・和歌山線への進出を果たすことにより、奈良・大和路の国鉄を全体的に君臨する存在となる。

1982年8月の台風10号で、王寺駅留置線が浸水し、関西本線および周辺路線に大きな被害をもたらした記憶は、今でも鮮烈だろう
(ほかに、東海道本線富士川橋梁の流失・単線化、名松線一部区間不通・廃止の危機、など各地で爪痕を残した)。
王寺留置線にいた101系は廃車、113系は吹田・鷹取・名古屋の各工場へ送り込まれ修理を受けた。
車両不足を補うために、片町線と首都圏から廃車予定だった101系混色編成(翌年103系に置き換え)、東海道・山陽線から113系湘南色などが応援に入る。

1984年10月には、奈良線、関西本線木津-奈良間、和歌山線五条-和歌山間などが電化。
奈良・桜井・和歌山線用には105系2両編成(常磐線~地下鉄千代田線用103系1500番台からの改造)が投入されるが、113系赤帯も105系を補うような形で混用される。
この結果、113系赤帯の京都駅への進出を果たし、奈良を中心に紀伊半島西部を制覇することになる。
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今回の電化工事竣工により、奈良県内の鉄道電化率は全国でも数少ない100%を達成
(当時は東京都、神奈川県や大阪府内でさえも電化率は100%に到達していなかった!)。
さらに、2006年の急行<かすが>廃止で、奈良県を通る定期列車は全て電車となる
(同県を走るJRの優等列車消滅と引き換え)。

なお、赤帯・青帯の113系は、紀勢本線和歌山-新宮間以外ではトイレ使用停止だったことも特筆に価する。

奈良・和歌山線電化開業に合わせて奈良電車区が開設され、1985年3月ダイヤ改正以降、関西本線・奈良線・桜井線・和歌山線用車両(113系赤帯、103系黄緑色)は日根野電車区から奈良へ移転する。
この改正で、関西本線快速の一部、木津駅(京都府木津川市)への延長運転が行われる。
翌年、国鉄最後のダイヤ改正での福知山線電化に対応して一部の113系が転用・改造されるため、
関西本線快速電車の一部は103系で運用されるようになったり、
奈良・桜井・和歌山線用には静岡から湘南色111系が一時的に転入するなどの動きが見られた。

JR発足から1年後の1988年3月ダイヤ改正では、関西本線加茂-木津間電化開業。
従来奈良発着だった関西本線大阪口(大和路線)の電車は加茂まで延長および本数増発、
加茂駅から大阪環状線直通の快速電車も運転されるようになる。
113系赤帯ももちろん加茂まで乗り入れるようになるが、113系だけでは足りないため103系の快速も終日設定される。

ただ、翌年1989年には、東海道・山陽本線快速・新快速と関西本線快速電車に
3ドア・転換クロスシートの新型221系が華々しくデビュー。
113系に比べて格段に快適な車両で大好評を博し、関西私鉄各社には大きな衝撃だった。
関西本線快速(221系投入に合わせ、環状線直通の快速には<大和路快速>と命名)は、
夏までに早々と全て221系に置き換えられ、113系は引退。
(したがって、加茂駅での113系はわずか1年余りだった。)
これは113系赤帯の終わりの始まりだった。
大和路快速などから退いた彼らは、東海道・山陽本線快速電車や阪和線・紀勢本線に転属する。
転属直後は各線でも赤帯113系が見られたが、やがて湘南色または阪和色に塗り替えられる。

奈良電車区に残った赤帯113系は、奈良・桜井・和歌山線で引き続き活躍するが、
依然として全て非冷房車のままで、冷房化が急がれるところだった。
と思ったら、1990年の山陰本線京都口(嵯峨野線)電化以降、
奈良地区の113系に変化が見られるようになる。
なぜか、湘南色113系の非冷房車が網干から奈良に転属、赤帯に混じって運用。
翌年1991年になって、ようやく冷房付き赤帯113系4両編成が奈良・桜井・和歌山線に入る。
湘南色から塗りなおされたものだが、その中には大和路線快速で活躍していた車両もある。
同時期に、奈良線でも快速電車の運転を開始、
(新快速への221系投入で余剰となった)117系が投入される。

また、同時期、大和路線103系の冷房改造工事が目白押しだったため、
車両不足を補うために113系が湘南色のまま大和路線に復帰し、
普通電車の運用に入っていた。

ただ、奈良地区の113系も先は長くなかった。
1994年3月に、東海道・山陽線(JR京都線・神戸線)普通に207系が投入された玉突きで
103系が奈良区などへ転属、奈良・桜井・和歌山線の113系運用を置き換えた。
これにより、赤帯113系の営業運用を失い、使命を終える。

赤帯113系の一部はその後、関西空港線開通の訓練用に活用され、
古巣の鳳電車区に常駐。
(その後、関西空港開業に合わせた9月ダイヤ改正では、
奈良線の105系は103系に置き換え、105系は桜井・和歌山線用となる。
3年後の1997年に和歌山電車区へ移転ののち、紀勢本線紀伊田辺-新宮間ローカルにも運用を広げる)

1995年の阪神大震災特別輸送では、赤帯113系にも思いがけぬ出番が回った。
福知山線(JR宝塚線)普通電車にこの113系も加わる。
確か編成組み替えて6両化されたようで、大阪駅での赤帯6両は1989年の大和路快速以来ということになる。
福知山線での113系赤帯は、これが初めてではなく、
JR発足前後にも阪和色との混色4両編成が見られた
(先頭車クハ111が赤帯、中間車モハが青帯)。
大阪駅での奈良行き快速電車との誤乗を防ぐために、
「福知山線」ヘッドマークを掲げていた。

特別輸送も一段落した頃、今度は嵯峨野線の運用に入る。
嵯峨野線では、瀬戸内色115系と連結するなど、異彩を放った。
たぶんこれが赤帯113系の最後の営業運用だったように思う。

赤帯113系の歴史は短命に終わる不遇な存在だった。

貴重な国鉄色の急行列車、165系<東海><富士川>と
キハ58系<丹後>のさよならお祭りイベントが盛り上がる裏側で、
春日塗り113系はひっそり消え去った。

しかし、優等列車用の車両というわけでもなく、決して華やかではないが、
近鉄に押されがちな奈良大和路の国鉄のシンボルとして、
末期には関西空港開業準備や阪神大震災特別輸送に加わるなど、
地味な仕事に生きた存在だったと言える。

一方、阪和色113系は、その後数は少ないながらも活躍を続ける。
岡山に転属し、瀬戸大橋を渡って四国に乗り入れたり、
同じ旧天王寺鉄道管理局管内ながら電化区間では離れ小島の草津線の運用にも入ったことがある。
しかし、225系の大量投入により、登場から40年を迎えた2012年、阪和色113系も歴史のピリオドを打つこととなった。
多くのファンに惜しまれながら、天王寺-周参見間でさよなら運転が行われた。

そして、お馴染みの湘南色113系もJR東日本・東海管内からは既に姿を消し、
JR西日本でも113系の廃車が急速に進んだり、残る車両も「ご当地単色」に改められ、
消滅の危機にある。