2016年08月

JR西日本の少数派形式の車両といえば、

1)205系通勤型電車
2)キハ48
3)101系通勤型電車(廃車済)
4)キハ53(廃車済)

などが挙げられる。

1)205系通勤型電車

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JR西日本に在籍している205系は、国鉄時代末期にJR京都線・神戸線普通電車用に投入された0番台(7両×4本)と、JR発足1年後に阪和線用に作られた1000番台(4両×5本)の2タイプがある。現在、205系は全て阪和線にまとめられているが、225系5100番台に置き換えられる予定で、今後の動きが注目されている。上の写真はJR神戸線で活躍していたときのもの。下の写真は、阪和線用に作られた1000番台。0番台とはフロントの窓の形が異なっている。

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2)キハ48
高山本線および東北地方など寒冷地向けに作られたキハ40系の仲間で、出入り口デッキ(仕切り)付きが大きな特徴だ。JR西日本には5両のみが受け継がれた。敦賀機関区に投入されたもので、小浜線および交直セッションを控える北陸本線米原口・湖西線ローカルで活躍していた。

しかし、京阪神からの新快速の北陸本線長浜までの直通運転を可能にすべく長浜以南直流化工事完了後、敦賀のキハ48は、遠く離れた山陰本線西部のローカル運用に活躍場所を移す。そして、2003年より津山線内に1往復だけ残った急行「つやま」専用編成にも仕立てられる。急行列車にふさわしくデッキ付きではあるものの、所詮一般型気動車ゆえ車両の両端部はロングシートであり、しかも快速「ことぶき」と停車駅・スピードもほぼ同じ、これで急行料金が取られるのは納得いかないということで、2009年「つやま」が廃止される。キハ48に置き換えられる前は「砂丘」に使用していたキハ58系が使われ、グリーン車も付いていて、急行らしさがあった。


3)101系電車(廃車)
国鉄時代、大阪環状線で101系が活躍していたが、103系に置き換えられ、関西本線(大和路線)普通および片町線(学研都市線)、桜島線に転用される。しかし、101系は老朽化が進んでいて、国鉄時代末期までに大和路線から引退、学研都市線でもJR京都・神戸線普通で使用していた103系が大量転入してくるものの、冷房改造を受けた101系7両×2本(中間車1両だけが非冷房車もあった)だけが残ったまま、JR発足を迎える(首都圏でも101系は相当廃車が進み、中央・総武緩行線および南武・鶴見・武蔵野線に残っていた)。

大阪では貴重な存在となった101系だが、1989年の学研都市線全線電化後、6両化されて再び桜島線で活躍する(全線電化後もごく一時期だけ松井山手駅まで営業運転していた)。しかし、2年後の1991年、大阪環状線全通30周年記念で最後の華舞台を見せたあと、ファンに惜しまれて引退する。

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JR発足後も2年余り学研都市線で活躍を続けた101系
(「J鉄局の鉄道管理局さま」より拝借)

4)キハ53(廃車)
キハ53は一般型気動車キハ45系の一員であり、両運転台車キハ23を2エンジンにしたものだ。これとは別に、国鉄時代末期、北海道・東北で急行型キハ58またはキハ56を両運転台化したものとして「キハ53」を名乗るようになる(オリジナルのキハ53とは番台で区別)。JR発足後、JR西日本管内でも北陸地方ローカル用にキハ58を両運転台化した「キハ53」が登場する。

キハ45系はキハ20系とキハ40系の間の過渡期に製造されたものであり、大都市近郊のローカル線での使用を意識して113系近郊型電車などと類似のレイアウトとされたが、少数派にとどまった。両運転台のキハ23はそれなりの数が作られ、JR西日本管内でも結構見られたが、キハ53は全国的にも少数派であり、急勾配路線のローカル線向けに亀山・米子などに少しだけ配置されるにとどまる。亀山は主に信楽線、米子は木次線でそれぞれ運用されるが、JR発足から数年経過して、キハ53は小浜線や津山線・因美線などに活躍場所を移す。その後、ほどなくしてキハ120などに置き換えられた線区も多いが、小浜線のキハ53は2003年の電化まで奇跡的に生き残り、21世紀になっても残った貴重な「非冷房車」だった(キハ53よりも古いキハ52でさえ冷房化工事を受けた)。

JR発足当初、亀山のキハ53はキハ35・47などと連結して、学研都市線(長尾-木津間)でも使用された。

なお、国鉄時代末期、木次線のキハ53の1両が事故廃車となり、はるばる遠い東北からキハ52(キハ20系の仲間)のオリジナルツートンカラー、キハ52 128号がやってきて、1999年の廃車までツートンカラーの姿を保ったまま、米子地区で活躍を続けたことは有名だ。128号がツートンカラーで残った理由は、只見線直通の急行「いなわしろ」に使用するためだった(1982年11月改正で廃止)が、米子に転属した後も後藤工場のご好意なのか、ツートンカラーの姿がそのまま保たれた。

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21世紀まで活躍を続けた小浜線カラーのキハ53
キハ23と姿かたちは同じ
(ITRENI.NETさまより拝借)


上記のほか、JR西日本の少数派形式は

123系電車
167系急行型電車
キハ41(キハ47を両運転台に改造)
キハ33(50系客車を気動車に改造)
キハ37

などが挙げられる。

国鉄急行型気動車を代表するキハ58系。
キハ58系には使用線区・地方などによっていくつかの形式があるが、一番代表的なものは本州以南用で汎用的なキハ58・28形だ。キハ28・58のちがいは、エンジン搭載個数であり、キハ28形は1エンジン、キハ58形は2エンジンで、通常はキハ58とキハ28の混結で編成を組むことが多かったが、房総地区など平坦路線ではキハ28だけの編成で運用されていたようだ。また、キハ28に冷房電源装置が付けられたため、車両の冷房サービスにも欠かせなかった(キハ58だけでは冷房稼動は不可能)。
また、キハ58系の後継として、強力エンジンのキハ65も製造され、主に西日本地区に配置されるが、急行から特急への格上げが始まり、少数だけにとどまった。

各形式の細かいことはさておき、キハ58系の特徴といえば、前面の平窓だ(北海道用キハ56系も同様)。
同時期に作られた急行型電車および近郊型電車は「パノラミック」と呼ばれる窓で、153系準急「東海」のイメージから「東海型」とも呼ばれている。今も全国各地で活躍中のキハ40系も「東海型」の顔だ。パノラミック=東海型の顔は、国鉄のみならず私鉄の車両にも広く採用され、京阪旧3000系特急車や山陽電車3000系もパノラミック窓だ。

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「東海型」と呼ばれる顔の代表 153系と113系電車
(「時々 撮りバス」さまより拝借)

これに対してキハ58系急行型気動車だけはなぜかパノラミック窓ではなく平窓の顔となった。パノラミック窓に比べてやや古風な印象がある。

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キハ58系(最終増備車を除く)だけは平窓の顔となった

ただし、マイナーチェンジが行われた最終増備車だけは異なる。キハ58・1100番台、キハ28・1000番台(→冷房改造車には車両原番号+2000とした3000番台)が該当し、キハ58・1100番台は43両、キハ28・1000番台は24両製造された。従前に製造されたものとの大きな違いは顔であり、153・165系や113系電車などと同じ「東海型」、近代的なスタイルとなった。


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キハ58 1100番台
「東海型」の窓が特徴
キハ65もこの顔と同じスタイル

「東海型」の顔をしたキハ58・28だが、車両の需給関係のためか近畿地区に集中投下された。特に「きのくに」などを担当していた和歌山機関区(天ワカ)に大量配備される。また、キハ28・1000番台は福知山機関区(福フチ)にもまとまった数だけ配置された。

1985年3月ダイヤ改正で「きのくに」全廃後、亀山・福知山・豊岡など近畿地方各地へ散らばっていく。パノラミック型のキハ58・28はその多くがJR西日本に継承される。特に福知山地区ローカル用(ワンマン化)のキハ58・28はパノラミックばかりだったようだ。

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電化前の山陰本線園部-福知山間普通列車などで活躍するキハ58・28
福知山のワンマン改造車はパノラミック型が多かった


阪急京都線沿線と高島屋とはなぜか不思議な縁がある、と私は思っている。

まず、京都線の終点・京都河原町には高島屋京都店がある。河原町通りの向かい側に阪急百貨店もあったが、高島屋に比べて売り場面積は狭く、しかも後発だったこともあって、京都では阪急ブランドはあまり功を奏でなかったようだ。しかし入口の豪壮な装飾はさすが阪急ブランドだけのことはあり、待ち合わせ場所の目印には大いに役立ったようだ。阪急百貨店が一時期、高島屋と経営統合するとかとでマスメディアを賑わせ、河原町阪急が閉店になったのも経営統合のためだとも言われているが、これも立ち消えになった。河原町阪急の後釜にマルイが出店しているが、やはり高島屋に比べたらカジュアルっぽくて今一つな印象を持ってしまう。

同じく京都市の洛西ニュータウン(西京区)には高島屋洛西店がある。洛西ニュータウンへは阪急桂もしくは洛西口駅前からバスだが、とにかく交通の不便な「陸の孤島」だ。そういえば、地下鉄東西線が洛西ニュータウンへ延伸する構想もあったが、実現の目処は全く立たず、事実上凍結している。洛西の高島屋は京都店の分店で、ラクセーヌ内にある。

大阪側では阪急と高島屋とは直接の関係はないが、京都線・千里線と相互乗り入れをする地下鉄堺筋線にも注目すると、すぐ近くの南海なんば駅前(日本橋駅から徒歩可能圏)に高島屋大阪本店がある。終点・天下茶屋駅では南海電車と接続しており、関西空港・泉州・和歌山・高野山から京都・高槻・千里方面への中継地点であり、南海の特急全列車が停車する。南海と高島屋の関係は深く、大阪本店のほか、堺店(堺東)、泉北店(泉北高速泉ヶ丘)がある。泉北の高島屋は京都洛西と同様、ニュータウン型の百貨店だ。

また、2014年まで南海和歌山市駅ビルに和歌山店もあったが閉店、駅ビルも老朽化のため建替えられる予定だ。和歌山の地盤沈下は著しく、南海和歌山市駅前は寂れている。現在、近鉄百貨店和歌山店(JR和歌山駅前)が和歌山県内唯一の百貨店だ。

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京阪バス高槻営業所に新型エルガ投入により除籍されたエアロミディ10.5m車N-1092。
ハードディスクの中の写真を探していたら出てきたのでアップしてみました。

一時期、大阪地区の各営業所に中型ロング車が集中的に配置されました。これも低コストでノンステップバスを増やすことが一つの目的だったかと思いますが、混雑しやすい路線系統で大型車と混用で運用されることについては問題ありだと思います。10.5mという大型車並みの車体長となっているものの、中型車に分類されるゆえ車体幅は狭く窮屈、前の降車扉も幅が狭くて混雑時の降車に手間取ります。

大型ノンステップ車が一般化・低価格化し全国的に急速に普及するようになると、馬力の小さい中型ロング車の需要は低下、バス車両メーカー各社とも製造中止となったようです。




主要地方道枚方亀岡線(大阪・京都府道6号線)。
高槻市街地から北摂山地を南北に突き通して京都府亀岡市に至る道路のこと。正式の指定区間は枚方市の枚方大橋南詰~亀岡市緑橋交差点(JR亀岡駅付近)だが、枚方-今城交差点(高槻市)間は国道170・171号線と重複するため、枚方市内において府道6号線の標識(ヘキサ)を見ることはできない。

枚方亀岡線は、大阪北東部の枚方・交野・高槻方面から京都府北部および福井県若狭地方への最短経路としてドライバーやライダーたちに重宝されている。さらに、亀岡から国道372号線とセットで、湯の花温泉から大阪府の最北端・能勢町、そして篠山を経て加東・西脇・姫路など兵庫県南西部への快適な抜け道としても使える。

枚方亀岡線の単独区間は、国道171号線と接続する今城交差点から始まる。
名神高速をアンダークロスした辺りまでは、住宅地・大型チェーン店と田畑の入り混じる、典型的な郊外の風景が広がる。その後、住宅密集地帯に差し掛かるとともに少しずつ勾配がきつくなってカーブも増え、山間部へ近づいたことを実感する。この辺りから少し西へ分け入ると、名勝・摂津峡などがある。安岡寺・松ヶ丘など、丘陵地帯の住宅街の真ん中を突き抜け、小さな峰に達したところに、高槻市営バス「上の口」バス停がある。摂津峡へはここからも近い。JR高槻駅北からのバスの大半はここで折り返す。

ここから短い下り坂をゆくと、視界が開けるが、住宅街はすっかり途切れ、長閑な里の風景が広がる。原という地名で、どぶろく(濁酒)が有名だ。

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清流・芥川が寄り添い、原大橋バス停から先、本格的な山道に変わる。
原大橋より先の山間部(樫田地区)へ行くバスは1日数本しかない。この付近には、原養魚場があり、川遊びと鯉料理が楽しめる。しかし、ほどなくして、のどかな里山の雰囲気をぶち壊す採石場が現れる。そのため、この府道はダンプが多いので、自転車・バイクは特に注意が必要だ。なお、この付近に新名神(高槻-神戸間)が通る予定となっていて、現在工事が進んでいる。

やがて京都府に一旦越境する。高槻市営バスも京都府に踏み入れることになる。京都市西京区大野原という地名だが、事実上の飛び地であることから、道路は大阪府茨木土木事務所が管理しており、公立小中学校も高槻市に委託する形となっている。かつて、この辺りにおいしい湧き水があったが・・・

再び大阪府(高槻市)に戻ったところで、出灰バス停。ポンポン山へのハイキングコースの出発点でもある。
もうひと踏ん張りすれば高槻森林観光センターへ達し、やがて視界が開けると、田能集落。

これより先、樫田トンネルを抜けると、亀岡市街地まで下り坂が続く。急な下りが一段落したところで、高槻市最北端の集落、杉生。市営バスの終点であり、最果ての雰囲気満点だ。

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もう少し進んで左から茨木亀岡線(府道46号線)と合流すると、すぐに府県境。ここから先、京都府亀岡市。

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田能・樫田界隈は、大阪府でありながら「丹波国」。
その昔、ここは京都府南桑田郡樫田村だったが、亀岡よりは高槻との結びつきが強いことから、住民の要望を受けて大阪府高槻市に編入されることとなった。

かつて亀岡市内区間の道路は1~1.5車線幅で狭隘だったが、現在改良が進み両側2車線で走りやすくなっている。それだけスピードの出しすぎには注意しないといけない。やがて開けたところで亀岡盆地、国道9号線との交差点に到達する。

府道6号線はここで終点かと思いきや、この先もう少し続き、JR亀岡駅前をめざして交差点を直進する。旧城下町を通り、道は旧街道の雰囲気で曲がり角が多く、少しわかりにくい。

1983年まで高槻市営バスが亀岡市街地まで乗り入れていた。原大橋-亀岡間の運行だったが、亀岡乗り入れ廃止後、高槻駅から田能・樫田地区まで直通するバスが運行されるようになり、現在に至る。

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このほど、京阪バス大阪地区に新型エルガ(QDG-LV290N1、J-BUS)が登場しました。
現在のところ3台投入されており、配属先は

N-6248        交野
N-6249、6250     高槻

です。上の2枚の写真は高槻に配置されたN-6250。

これによる代替は高槻については10.5mエアロミディのN-1089、1092と報告されています。N-1089は枚方営業所に転属、N-1092は大塚車庫でナンバーを外されて除籍のようです。高槻営業所では使いづらそうな10.5mレインボーもしくはブルーリボンシティあたりが置き換えられるかと思っていましたが、エアロミディが流出するとは少し意外でした。交野N-6248の分については不明です(私の予想ではN-3104あたりが怪しいか)。

枚方に10.5mエアロミディが配属されたのは2010年9月以来6年ぶりのことです(N-1086、1087→京田辺)。

(9月2日追記)
高槻にN-6251が入った模様です。高槻の新エルガは3台目です。

(9月3日追記)
レインボー10.5m車N-3149が大津営業所へ転属になったと見られます。


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白系統(多区間運賃)時代の京都市バス【93】系統の写真を見つけたのでアップしてみました。
2012年4月に嵐山で何気に撮ったものです。
2014年より均一運賃区間が嵐山地区に拡大したので、現在嵐山地域を通る市バスは全て青系統です。

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2011年5月ダイヤ改正から2016年3月改正前までの間、枚方市駅での交野線発車ホームは終日、5・6番線を交互に使用していた。もともと、交野線の電車は早朝と夜の時間帯(そして「おりひめ」「ひこぼし」など)を除き、基本的に行き止まりの6番ホームから発車することになっていて、5番ホームは入出庫の関係および朝ラッシュ時間帯の枚方市駅始発淀屋橋行き準急などに限られていた。昼間は休んでいるわけだ。

ところが、2011年5月のダイヤ改定では、なぜか5・6番ホームを交互に使用することになる。
枚方市駅に電車が到着したら、隣のホームに停車していた私市行きがすぐ発車、というダイヤ体系となった。ある意味で贅沢な使い方だったように思う。仮に私市行きの電車に1本乗り遅れたとしても、すぐ隣のホームに来ているので、暑いときや寒いときなどホームに立って待たなくても済んだ。

これが、今年3月のダイヤ改正では、以前の形に戻されたわけだ。

(追記)
2016年8月28日より13000系13023Fが営業運転を開始しました。

京阪バス出屋敷線【26】号経路・<枚方市駅~松井山手駅>についてかんたんレポートする。

この路線系統は、京阪バスとして松井山手へ初めて足を伸ばした記念すべき路線だ。1992年9月のダイヤ改正で、従来の旧【21】号・<枚方市駅北口~長尾駅>を松井山手駅まで延長する。走行経路は府道736号(交野久御山線)~大阪・京都府境~山手幹線で、設定当初、長尾駅~松井山手駅間に途中の停留所はなかった。当時、松井山手駅が開業してから3年余りで、街びらきは始まったばかりだった。その後、宅地開発が進み、途中区間の停留所が開設される(京阪宇治交通と共用、京都府内区間のみ京阪宇治交通と同じ対キロ区間制運賃となった)。

また、枚方市駅~長尾駅方面系統(出屋敷経由)について、松井山手行きのほか、ポエムノール北山・家具団地・摂南大学枚方キャンパス方面行きも新設され、全体の本数も増える。

2006年の京阪宇治交通と京阪バスとの合併後、従来京阪宇治交通(男山、田辺営業所)だった路線は全て京阪バス管轄となる。この【26】号経路については、松井山手駅に乗り入れる枚方営業所管内の唯一の路線であり、なおかつ松井山手発着の路線で唯一「1Dayチケット」が使える(松井山手から樟葉方面へのバスでは「1Dayチケット」は本郷まで有効範囲外)。また、2014年より、松井山手から【82】【83】穂谷行き(第二京阪~杉山手経由)が新設されるが、杉山手~松井山手間は「1Dayチケット」の有効区間内に入っていないようだ。

長尾駅~きんめい台西間の府道736号線(長尾播磨谷・長尾荒阪)も、近年中村病院が移転したり、コンビニ・レストランの開店、そして長尾台方面への新しい道路工事も始まっていて、のどかな田園風景もかなり変わってきている。中村病院付近にバス停新設も望まれるだろう。

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府道736号線 長尾播磨谷・長尾荒阪にて
新しい道路を敷設するための工事が進んでいる
奥の緩やかな坂を越えると府境を跨いで松井山手へ
(「枚方つーしん」さまより拝借)


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1979年以降、御堂筋線のシンボルとして活躍してきた10系。
デビュー当初、特徴的なフェイスとともに第三軌条初の冷房車として注目を集めた。
10系は1989年までの10年間にわたって量産される。
その後、21系(正式には20系)が量産され、非冷房車30系を置き換え、御堂筋線の冷房化率が100%となる。御堂筋線以外の各路線にも冷房車(22~25系、66系)が投入され、1995年までに大阪市営地下鉄の冷房化率100%を達成する。また、新路線の長堀鶴見緑地線も開業する。
その裏側で、大阪市営地下鉄を代表する御堂筋線の主役である10系の老朽化が目立ち、1998年よりリニュアル工事が進められる。御堂筋線は10両編成であり、10系の編成数も多いことから(最終的に26編成まで作られたが、10両化対応のため、第1~3編成がバラされて中間車化され、一部廃車も発生)、リニュアル工事完了は2011年と12~13年がかりの長期にわたった(さらに2004~05年度の間、近鉄けいはんな線延伸に伴い、中央線用20系の95km/h対応などの改造工事が行われたため、10系の改造は中断)。なお、第4編成は改造工事の対象外であり、第5~26編成までの全ての改造工事を終了した時点で廃車された。

さて、問題の10A系だが、10系のうち、1986年以降に作られた第17編成以降を対象にVVVF化改造も工事メニューに追加され、それらを「10A系」とされる。第17編成以降(1986年以降に製造された車両)は並行増備の進んでいた中央線用20系と同じ車体構造となり、1984年までに製造されたものからマイナーチェンジされている(10両化を実現するために中間車1両だけ1984年以前の古い車両が組み込まれた編成もある)。また、第17編成は2004年にリニュアル工事を受けたあと、2006~07年に追加でVVVF化改造を受けた。

2011年以降、谷町線に続き御堂筋線にも30000系が投入され、「10A系」とならなかった10系(第16編成以前)は2018年までに廃車されることになっている。既に一部の編成は廃車されており、今後廃車のペースは早まるだろう。


枚方・交野など京阪沿線から名古屋市方面へのドライブコースといえば、高速道路(名神または新名神)、または国道1号線経由が思い浮かぶだろう。しかし、高速道路を使わない、より快適なドライブコースがある。それは、


枚方→[R307]→東近江市→[R421]→桑名市→[R23]→名古屋

カギは、国道421号線。
国道421号線は、滋賀県東近江市から、永源寺を経て鈴鹿山脈を越え、三重県桑名市にいたる一般国道。
県境にあたる石榑峠(いしぐれとうげ)付近が幅員狭小の「酷道」状態であるほかはほぼ快適な一般国道だったが、2011年にトンネルのバイパスが開通し、全区間にわたって快適にドライブできるようになった。

もちろんひたすら国道1号線をたどって行くことは可能だが、距離的に遠回りな上に、終日混雑しやすく疲れそうなので、できれば避けたいところ。
国道307号線で京田辺、宇治田原、信楽を経て、水口から1号線に入って鈴鹿峠、というのはいい線と言えるが(鈴鹿スカイラインこと477号線を使って四日市に抜けることも可能だが、運転に自信のない人は避けたほうが無難)、水口からさらに307号線を北東へ進み、421号線を使って桑名へ抜けるのが一番快適で時間的にも早いだろう。ただし、R421の滋賀県側では道幅の狭い区間があるので運転に注意が必要だ。

ちなみに、石榑峠は、名古屋急行電鉄がトンネルを建設する計画があったところで、実は京阪電鉄とも縁がある。
名古屋急行電鉄は、現在の阪急京都線西向日付近から分岐して伏見、大津などを経て鈴鹿山脈を突き通し、名古屋に至る鉄道線建設を目的に、戦前に設立された もの。阪急京都線の前身・新京阪鉄道は、名阪間を結ぶ遠大な計画を持っていたが、昭和大恐慌の影響で頓挫。
結局、名阪間直結は、戦後になって現在の近鉄大阪線・名古屋線がその役を担うことになった。

それと、伊賀上野から名阪国道・東名阪を使うのもなかなか良いだろう(ただし125cc以下のバイクは不可)。伊賀上野までは、R168(磐船街道)+R163だと渋滞も少なく、快適にドライブできる。R307経由で京田辺市を経て木津川市へ抜けるルートももちろん一般的だが、杉1丁目交差点付近で渋滞しやすいので、R168経由のほうが良いだろう。

京阪バス【27】号経路・<寝屋川市駅~太間口>(廃止)は、かなり特色ある路線系統だった。

運行経路は、

寝屋川市駅(東口)~寝屋川市役所~寝屋川警察署前~緑町~石津~太間口

で、鉄道では不便なグリーンシティ(ジャスコ→イオンモール寝屋川、8月31日閉店予定)を通る、数少ない路線系統だった。運用担当は寝屋川営業所だったが、一時期交野営業所が担当していた時期もある。ただ、運行本数はあまり多くなく、決して利用しやすい路線系統ではなかった。

2003年ごろから寝屋川市内のコミュニティバス「タウンくる」が各地域に設定されるようになり、特に寝屋川市駅(東口)~京阪香里園西口系統の設定によって緑町・グリーンシティ方面への利便性が大幅に向上した。一般路線バスより安い運賃(150円)の「タウンくる」が毎時2本(現在は3本に増強)確保されていては、本数の少ない【27】号経路の存在意義が薄れ、2008年10月のダイヤ改正で廃止されることになる。

【27】号経路の廃止と引き換えに、石津地区に「タウンくる」(京阪香里園西口~太間公園~点野~石津~市役所~寝屋川市駅)が運行されるようになった。


※高槻営業所に新型エルガ(N-6249)が投入されました。

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2620F

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2620Fの中間M2720 運転台簡易撤去跡があった 


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新型クーラーを試験的に採用された2621F
車内の回転グリルも他の2600系と異なるものだった


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中書島に到着する2615F宇治行き


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同じく2615F


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4連口で唯一新塗装化された2623F
宇治線ワンマン運転開始後も予備車として2015年まで残存




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国鉄時代末期の1986年に1編成だけ試作製造されたVVVF制御車の207系900番台。
常磐快速~地下鉄千代田線に配置されました(→JR東日本に継承)。
サイドビューは当時量産中の205系と同じ、顔は四国向けの近郊型電車121系(→7200系に改造中)と似たようなスタイルです。

その後、JR発足から5年経過して、JR西日本において片福連絡地下線(=JR東西線)開通を前後して207系を名乗る新型通勤型電車が量産投入されるようになりました。国鉄→JR東日本に1編成だけ在籍している900番台とは形式番号は同じで、地下線乗り入れ用であることと制御方式もVVVFという点では共通しているが、車体デザイン・インテリアなどは全然違うスタイルで、まるで別物です。

この207系900番台は既に廃車され、E233系に置き換えられました。

京阪寝屋川市駅とJR四条畷駅を結ぶバス路線系統は、現在、

【33】寝屋川市駅~高宮口~砂~四條畷市役所~塚脇~四条畷駅(国道170号旧道経由)
【37】寝屋川市駅~高宮口~小路北町~教育センター~正縁寺~忍ヶ丘駅~塚脇~四条畷駅


がある。ただし、【33】号経路は、平日ダイヤ1本のみの免許維持路線だ。

過去には、

【32】寝屋川市駅~電気通信大学前~巣本~国道中野~四條畷市役所~四条畷駅(国道163号経由)
【41】寝屋川市駅~秦公民館前~寝屋~南旭町~東寝屋川駅~忍ヶ丘駅~塚脇~四条畷駅(星田経由)

なども存在したが、2006年8月ダイヤ改正までに廃止され(巣本付近の「タウンくる」化など)、以降【33】号経路に一本化される。そして、2015年10月のイオンモール四條畷オープンに合わせたダイヤ改正では、新たに【37】号経路が登場する。【33】号経路は事実上【37】号に代替される形となった。【37】号経路の運行本数も90分間隔で少ない。

国道170号線といえば、高槻市と関西空港のある泉佐野市を結ぶ「大阪外環状線」でお馴染みだが、これに並行する形で寝屋川市以南は旧道も国道指定されたまま残っている。旧道は場所によってはすれ違いも困難な狭隘区間もあったり、近鉄瓢箪山駅前の商店街(昼間は自転車・歩行者専用道)があり、旧・東高野街道の面影を残す軒下国道であり、酷道ファンにとっては面白さ満点だろう。近鉄バスの瓢箪山~四条畷系統も170号旧道を走行する。京阪バス【33】号経路の走行する区間は1~1.5車線の狭隘区間で、旧道をトレースしようとすればどこから入ったら良いかわからずミスコースしやすい(道路標識も旧道について親切な案内表示をしていないので)。170号線旧道(寝屋川市~四條畷市)がどんなものなのかは、例えば以下の記事をご覧いただければ幸いだ。

国道170号旧道の走行レポート(四條畷市→寝屋川市) (by 「3ケタ国道放浪記」さま)

http://road.uroneko.com/onr170_3.htm#%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%9B%9B%E6%9D%A1%E7%95%B7%E5%B8%82%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E5%AF%9D%E5%B1%8B%E5%B7%9D%E5%B8%82%EF%BD%9E%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%BA%9C%E9%AB%98%E6%A7%BB%E5%B8%82

なお、1981年までは国道170号線は河内長野市から先、紀見峠を越えて和歌山県橋本市までの指定区間だった(現在、371号線に指定されており、紀伊半島の3大酷道の一つで有名)。

近年、梅田・難波など都心部の百貨店改築・増床・高層化が過熱する反面、郊外の百貨店は寂れて閉店する事例が相次いでいる。枚方市駅前でも、かつては三越・近鉄百貨店(旧・丸物)があったが、全部なくなってしまったし、樟葉の松坂屋も「くずはモール」リニュアルを前に閉店。

さて、大阪の郊外(大阪市以外)で今どれだけ百貨店が残っているのか、リストアップしてみた。

高島屋堺店(南海堺東駅前)
高島屋泉北店(泉北高速泉が丘駅前)
千里阪急(千里中央)
川西阪急(阪急・能勢電川西能勢口、JR川西池田)
宝塚阪急(阪急・JR宝塚駅前)
西宮阪急(阪急西宮北口駅前)
三田阪急(三田駅前)
北花田阪急(地下鉄御堂筋線北花田駅前)→2017年閉店予定
阪神百貨店尼崎
阪神百貨店西宮(阪神西宮駅前)
京阪百貨店守口本店(京阪守口市駅前)
京阪百貨店ひらかた店(京阪枚方市駅前)
京阪百貨店くずは店(京阪樟葉駅前・くずはモール内)
京阪百貨店すみのどう店(JR住道駅前)
近鉄百貨店東大阪店(近鉄布施駅前)
近鉄百貨店生駒店(近鉄生駒駅前)
近鉄百貨店奈良店(近鉄大和西大寺駅前)
近鉄百貨店橿原店(近鉄大和八木駅前)
松坂屋高槻店(JR高槻駅前)
西武百貨店高槻店(JR高槻駅前)
西武百貨店八尾店(近鉄八尾駅前)→2017年2月閉店予定

電鉄系百貨店が各私鉄沿線の主要駅に店舗網を展開する一方、松坂屋・三越や西武百貨店などは店舗網縮小の動きが続いている。特に松坂屋はなぜか京阪沿線のくずは・天満橋に店舗を構えていたが、今は高槻店のみが残り、さらに大丸の傘下に入って大丸京都店の分店扱いとなっている。なお松坂屋高槻店は、大阪府下で唯一屋上遊園地の残る百貨店となっている。西武百貨店もかつてはつかしん(尼崎市)などにも店舗を持っていたが、来年西武八尾が閉店予定、全国的にも凄まじい規模の閉店計画で、関西では高槻と大津の2店舗だけとなる。

電鉄系百貨店の郊外駅前店舗は、線路の高架下という限られたスペースを有効に活用していて、食料品および婦人服だけに絞った小規模なものも多い。京阪百貨店ひらかた店、阪神百貨店西宮、近鉄百貨店東大阪店などが好例だ。これに対して阪急百貨店はどの店舗も紳士服のフロアなどもあって、小規模ながら一通り百貨店にふさわしいラインナップを有している。

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京阪百貨店ひらかた店
京阪電車高架下にある

南海沿線には高島屋の店舗がいくつかあるが、和歌山店(南海和歌山市駅ビル)が閉店した。和歌山市内の百貨店は他に丸元などがあったが、現在JR和歌山駅前の近鉄百貨店だけが残っている。和歌山の街の衰退は著しい。なぜか和歌山に近鉄百貨店があるのだけど、かつてJR和歌山線を近鉄が買収して和歌山に進出することを目論んだ名残とも言われている。

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高島屋の入っていた南海和歌山市駅ビル
老朽化により建替えられる予定

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和歌山県唯一の百貨店となった近鉄百貨店和歌山店

近鉄沿線と無関係な近鉄百貨店といえば、枚方店もあったが、これは元・丸物だったことによる(閉店した京都近鉄も同じ。なお、京阪交野線と近鉄生駒線がかつて信貴生駒電鉄であったことから、枚方近鉄はその名残とも思えるが、偶然そうなっただけのこと)。ほかに近鉄とは縁のない滋賀県草津市(もう一つの「近鉄」なら滋賀県にあるが)にもなぜかかなり遅い時期に開店したり(今も営業中)、かつては東京や山口県にも店舗を構えていた。

あと、京都市の洛西ニュータウン内・ラクセーヌにも高島屋が入っている。面白いことに阪急京都線はなぜか高島屋とも縁がある。四条河原町の高島屋、洛西NTの高島屋(桂駅からバス)、そして地下鉄堺筋線に相互乗り入れして天下茶屋で南海に接続しているため、なんばや堺の高島屋も近い。


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四条河原町の阪急百貨店閉店(2010年8月22日)から6年。
実はこの日、「3Dayチケット」で大阪・奈良近辺を回っていたが、ふと四条河原町阪急の閉店日だったことを思い出し、せっかくなので閉店間際の様子を見届けようと竹田から地下鉄烏丸線経由四条烏丸まで少し急ぎ足で駆けつけました。

四条河原町の阪急百貨店は河原町通り向かいの高島屋に比べて売り場面積が狭く、集客力は今一つという印象でした。しかし阪急ブランドだけあって、入口の豪華な装飾は圧巻でしたね。阪急百貨店の建物にはその後マルイが入りましたが、やはり高島屋に比べてチープな印象を受けます。

京都駅前にJR伊勢丹が開業して京都の百貨店に大きな影響をもたらしました。京都近鉄百貨店(旧・丸物)はJR伊勢丹の影響をモロに受け、2007年に閉店、その後建物は取り壊されてヨドバシカメラがオープン。もともと売り場面積の狭かった四条河原町阪急も苦戦気味だったでしょう。これに対して高島屋と大丸は売り場面積を広げ、四条河原町の繁華街という地の利を生かして、何とか凌いでいます。

四条河原町阪急に続き、神戸阪急(ハーバーランド)も閉店しました。神戸のハーバーランドの商業施設はどうも苦戦しているようで、先日イズミヤも撤退したばかりです。

ご存知の方も多いと思いますが、今月31日で寝屋川のグリーンシティ(ジャスコ→イオンモール寝屋川)が一旦閉店となる予定です。私も今日、閉店前のイオンモール寝屋川を見届けに訪れてみました。


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昭和時代の頃のグリーンシティ周辺



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グリーンシティ開店10周年記念(1988年)セールのチラシ



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京阪バスに掲示されていたグリーンシティのCM


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吹き抜けのところ


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グリーンシティ南入口


かつては、京阪・阪神・近鉄・南海など民営の路線バス(高速バス、深夜バスなどを除く)も大阪市内に乗り入れていた。しかし、慢性的な道路渋滞および地下鉄の郊外延伸などにより、大阪市内から余儀なく撤退することになった例が多い。現在も阪急・近鉄バスが大阪キタの梅田まで乗り入れているが、近鉄バス(阪奈生駒線)は先日のダイヤ改定で本数が減らされ、今年12月からは年1本だけになる予定だ(一方、上本町~あべのパスカルを結ぶ路線が新設され、上本町界隈ではがんばっているようだ)。

さて、京阪バスはどうか。

かつては、本町・天満橋から三条京阪までの京阪急行線があったが、道路渋滞の影響を受けやすいため寝屋川・枚方などで系統分割され、その後跡形も無く廃止されたものも多い。その残滓であろう【1】号経路・<京阪京橋~寝屋川市駅>が近年まで乗り入れていたが、2008年に廃止される。

現在でも大阪市内を通る系統がある。その一つは【9A】号経路・<京阪守口市駅~JR吹田>。淀川両岸の守口市と吹田市を結ぶ郊外都市連絡路線だが、途中大阪市東淀川区をぶった切っている(中央環状線こと国道479号線)。なお、守口市内の「土居」バス停すぐのところに大阪市営バス守口車庫がある(守口車庫所属車両のみ大阪ナンバー)。地下鉄谷町線の守口・大日延伸の影響もあって、守口地区の京阪バス路線はあまり元気がない。

このほか、京阪守口市駅から寺方・鶴見緑地方面への守口南部線【19】【29】【30】号も、大阪市鶴見区と守口市との複雑な境界を掠っている。なお、「鶴見緑地」バス停は地下鉄鶴見緑地駅前に設置されており、もちろん鶴見区にある。

大阪市内を通る京阪バスといえば、北東の郊外縁辺部のみ細々と走る路線系統(全て寝屋川営業所管轄)ばかりだったが、2012年よりなんば(OCAT)やUSJにも堂々と乗り入れるようになった。それは「直Q京都号」であり、使用車両および走行経路からして高速長距離バスの範疇に含めてもよさそうだが、京阪バス当局においては一般路線扱いになっているそうだ(ただし、「1Dayチケット」などは使用できない)。

なんばからの直Q京都号は、第二京阪経由、京阪交野市駅・河内磐船駅・高速京田辺などに停車し、京都駅八条口まで行く(ほかに京田辺市役所発着便もあり)。かつて近鉄特急で難波~京都系統(阪京特急)があったが廃止された。大阪市内からの直Q京都号は、ほかにUSJ発着系統もあり、交野には寄らずに香里団地・枚方市駅・枚方車庫を経由したり、あるいは京都駅からさらに四条烏丸や四条大宮まで行く系統もあったり、バリエーションが増えて少しわかりにくくなっている。運用担当は主力の<なんばOCAT~京都駅>系統は京田辺営業所だが、USJから枚方市駅経由および四条大宮行きなど一部の便は枚方営業所が受け持っている。

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直Q京都号京都交野なんば線
(京阪交野市駅にて)



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183系(485系からの改造)はおろか381系も去年までに福知山から引退しました。もう福知山・北近畿地区で国鉄型特急車両を見ることはできません。

2012年12月、山崎で撮り鉄にチャレンジしていた時に、「こうのとり」送り込み中の183系が来たので、記録用にと撮影しました。


京阪バス山科営業所の路線系統について一つレポートを。

山科管内は五条通~四条河原町~四条烏丸界隈を通る路線系統が非常に複雑に絡み合っていて、慣れないとわかりにくいので、正直レポートを書くのが億劫だ。今回は、特色のある竹田駅東口発着の【2】号経路についてレポートを書くことにした。

まず、【2】号経路の運行経路は、

竹田駅東口~藤ノ森~京都医療センター~勧修寺~小野駅~北団地東~醍醐天皇陵~醍醐寺前~石田~石田駅~醍醐駅~醍醐バスターミナル

で、勧修寺~醍醐寺間~石田駅あたりがかなり迂回してて複雑だ。勧修寺といえば、ぶどう園でも有名だ。

この【2】号経路は、1988年の地下鉄烏丸線竹田延伸時に新設された【40】号経路・<竹田駅東口~石田>に由来するものと思われる。竹田駅・藤ノ森など伏見区北部から名神高速沿いの下道を通って山科盆地(山科区および伏見区醍醐地区)を結ぶ京阪バス唯一の路線系統という意味で特徴的だ。1997年の地下鉄東西線開通前までは、京都市バスも同じ経路上を通る路線系統(【南7】系統ほか、醍醐営業所担当)を運行していた。さらに1981年の地下鉄烏丸線開業前までは、京都駅まで乗り入れる(確か【57】系統だったかな?)ロングラン系統が走っていた。かつては京都市バスも山奥の僻地(最長で高雄から先の北区中川)まで乗り入れていたものだが、1997年の山科・醍醐地区からの完全撤退以降、市バス路線網が全体的に縮小傾向にあるのは残念だ。

実は旧【40】号経路に2度ほど乗車したことがある。もちろん、目的は単なる寄り道(笑)。初めて乗った時は、引退が迫るブルドック(K-MP118)が来たと記憶している。

なお、「藤ノ森」には、京都奈良線【2】号経路(1996年廃止)も発着していた。全然違うところへ行ってしまうため、仮に乗り間違えたらえらいことになってしまっただろう。

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2009年10月、「スルットKANSAI 2Dayチケット」で名張へ旅行した帰りに、次の赤目口駅で途中下車してみました。赤目口駅は、赤目四十八滝への最寄り駅であり、三重交通バスが発着しています。

写真のバスは今もいるのでしょうか? 古めかしい車両だけど既に行先表示機がLED化されていますね。

赤目四十八滝から湧き出る水は、名張川・木津川を経て淀川へ合流し大阪湾に注ぎます。

かつて、毎年夏休みに枚方市駅・樟葉駅から藤阪にある王仁(わに)公園プールへの臨時バスが運行されていた。

最寄のバス停は「藤阪」であり、【63】【64】号経路・<枚方市駅南口~長尾駅>系統の通るところだ。
ただし、枚方市駅からの便は北口からの発車で、須山町・出屋敷・長尾口経由(当時運行されていた大循環系統【20】・<枚方市駅北口~長尾駅~枚方市駅南口>とほぼ似ている)だった。私も一度だけこの臨時便に乗車したことがある。

また、樟葉駅発着便についてはよく知らないが、運行経路は企業団地(現・中の池公園)・招提大谷・既製服団地・長尾口だった。運行経路が樟葉長尾線とほぼ同じでしかも「藤阪」行きゆえに、定期運行の【35】(現【95】)・藤阪ハイツ行きと乗り間違える客もおられたそうだ。「藤阪ハイツ」と「藤阪」バス停はかなり離れていて(両者間の徒歩も不可能ではないが)、名前が名前だけに紛らわしいので、「藤阪」バス停は「王仁公園前」などと改称したほうがよいだろう。「藤阪」の所在地は藤阪元町、「藤阪ハイツ」は藤阪西町である。

王仁公園プールは2001年ごろまでは入場料は3時間まで300円という良心的な安さだったが、リニュアル工事後900円前後に値上げされたようだ。私は小学校~高校時代の頃まで時々王仁プールへ泳ぎに行ったりしたが(中学時代までは親に連れて行ってもらった)、リニュアル工事後全然行ったことがない。ただ、一人で行くときは自転車だった。

「王仁」という名の由来は、5世紀初頭に朝鮮半島の百済から渡来し、論語と千字文(=漢字?)を枚方・長尾界隈の地にもたらしたとされる王仁博士による。
https://www.city.hirakata.osaka.jp/uploaded/attachment/6062.pdf

かつて京田辺市大住にあった宿泊施設・中心山荘。

最寄り駅はJR学研都市線(片町線)の大住駅(徒歩)、バス停でいえば「松井ヶ丘」。
当時、片町線は長尾から先、非電化のローカル線で松井山手駅も開業しておらず、京阪沿線からほんのすぐのところにありながら、のどかな里山の中の旅館だった。とはいえ、大住ヶ丘・松井ヶ丘界隈は1970年代ごろから宅地開発も既に進んでいて、やがて片町線の全線電化、そして松井山手周辺に大規模な街開きの波が押し寄せる。

私も小学校の時、夏休みに家族連れで中心山荘に宿泊したことがある。
樟葉駅から旅館の無料送迎バスに乗った。路線バスなら京阪宇治交通(当時)の【16】・松井ヶ丘行きに乗ることになるが、私個人的には京阪宇治交通バスのほうが面白かった。京阪宇治交通(そして京阪バス)に冷房車が大量に投入される過渡期の頃だが、松井ヶ丘方面へのバスには未だ非冷房・バス窓の古い車両が使われていたように記憶している。ちなみに、中心山荘の送迎バスは富士重3Eの非冷房車だった。

中心山荘には温泉や川の流れる食事処のほか、テニスコートやプールなどのレクリエーション施設が充実していたが、小学生の私にとっては、枚方市からあまりに近すぎることもあって遠出したような気分になれなかったこともあって、物足りなさを感じた。翌日、午前中にチェックアウトが終わって送迎バスで樟葉駅へ、お昼ごろまでに家に帰り着いてしまった(笑)。

なお、送迎バスは樟葉駅のほか、長尾駅からも運行されていたようだ。最寄り駅は長尾の次の大住だが、長尾から先、非電化のため乗り換えないといけなかったし、列車本数も少なくてあまりに不便なので・・・。せっかくなので、近鉄新田辺駅からも送迎バスがあってもよさそうだったが(新田辺からは宇治交【65】・松井ヶ丘行きに乗車)・・・

中心山荘のことはその後、すっかり忘れていたが、2002年ごろに倒産したようだ。

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「京阪時刻表1982」に掲示されていた中心山荘のCM
5桁の市外局番と送迎バスがのどかな時代を表しているようだ




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南海線・空港線用7000系(普通銅製車)の兄弟関係と言える高野線用6000系(ステンレスカー)。
7000系は去年全廃となったが、それよりも古い高野線用の6000系(製造初年1962年)は、まだ1両の廃車も発生しておらず健在だ(製造初年から54年)。

南海6000・7000系は、4ドア通勤車でありながら片開きドアが特徴的で、古風な印象を与える。私個人的には京阪1900系(通勤車格下げ後)と少なからず似ているように見える。

さて、ここで以下の素朴な疑問をお持ちの方も多いだろう。

1)なぜ高野線にはステンレスカー、南海線には全銅製車が投入されたのか?
2)なぜ南海線用7000系が、古い高野線6000系よりも先に全廃されたのか?

まず、1)についてだが、南海の車両を受注してきた東急車輛が日本で初めてステンレス車体を開発・採用し、南海向けにももちろん売り込みをしていたと思われるが、ステンレス車体は当時高価で、しかも事故で損傷したときの修繕が難しいため、踏切の少なめの高野線に配置されることになったと言われている。

2)について、南海線は海岸沿いを走るゆえ普通銅製車は塩害のダメージを受けやすいゆえ老朽化が早まり、7000系が全廃されることになったという。反対に6000系はステンレス車体であることが幸いして、まだ1両たりとも廃車が発生していない。

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京都市営地下鉄烏丸線用10系。
京都-北大路間開通の1981年から、国際会館延伸の1997年までの16年にわたって製造された。
1988年の竹田延伸&近鉄京都線直通開始以降に製造されたものは「後期型」とされ、初期の1981年製とディテイルの差異が目立つ。また、1981年の開通当初は4両編成だったが、1988年竹田延伸のときに6両編成に増強される。
1997年の最終増備までチョッパー制御車だが、現在「後期型」編成を対象にVVVF化を含めたリニュアル工事が順次進められている。10系初期編成の今後が気になるところだが、仮に廃車されるなれば後継の新車も気になる。

上の写真は初期型の第9編成(竹田にて)。下の後期型とは顔立ちが異なる。


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後期型第13編成(近鉄奈良にて)


かつては日野大型車の多かった京阪バス門真営業所。

近年、門真営業所管内の需要低下に伴い、大半が中型車となり、日野大型車はブルーリボンシティのW-3818だけとなっています。しかもW-3818は今では貴重となった方向幕車。ここ数日、【臨時】京阪守口市駅・大和田駅~飯盛霊園系統の運用に入ったことがTwitterで報告されており、私もこのW-3818の写真を見て、「おやっ?」と思いました。

門真営業所の幕車は、もうこのW-3818だけなのかと思っていたのだが、最古参の小型車S-1072・1074(三菱エアロミディ・KK-MJ23HE)がいたことを忘れていました。この2台はもともと大津営業所に配属されたが、S-1074はその後交野→寝屋川→門真の順に転属、S-1072は大津から直接門真に転属、という経歴です。おそらく四條畷市コミュニティバスで使用されてきたと思われますが、いずれにせよ、そろそろ動きがありそうです。

S-1074
S-1074(大津時代)
撮影劇場さまより拝借

なお、W-3818は通常、【5】古川橋駅~試験場前系統などで出会う確率が高そうです。


京阪バス過去路線のレポートを久しぶりに書く。

今回は、枚方尊延寺線の旧【14】号経路・<枚方市駅~村野浄水場・津田循環>。
運行経路は、

枚方市駅南口~四辻~津田駅~倉治~西倉治~出鼻橋~村野浄水場前~四辻~枚方市駅南口(両方向回りあり)

で、枚方営業所が担当していた。1999年まで運行していた。津田駅~倉治界隈で交野市内に跨っており、枚方営業所管轄の路線系統で唯一、交野市内に乗り入れていた。ただし、1978年の交野営業所開設以前は、星田線【41】【43】号経路、そして田原線(京阪交野市駅~一の坪、一の坪~京阪大和田駅の2系統、ボンネットバス使用)なども枚方営業所が広域的に担当していた。かつて、1970年代には、京阪村野駅前~四条畷駅系統(倉治、住吉神社前、天の川経由?)もあったようで、この【14】号経路はその名残とも見れそうだ。

【14】号経路は、枚方市駅-津田駅間は【12】号経路(現【62】【72】号ほか)を補完、村野浄水場および周辺の工場通勤者を意識して設定されたものだと思われる。ただ、村野浄水場~出鼻橋~西倉治界隈は住宅地が少ないゆえ利用客は少なかったようで、1999年9月の枚方尊延寺線ダイヤ改正の時に廃止されることになる。その後、枚方営業所管轄路線は交野市内から撤退。

なお、1989年ごろ、【8】号経路・<京阪交野市駅~幾野4丁目~西倉治~津田駅>が新設され(交野営業所管轄)、【14】号経路の廃止後も、西倉治~倉治間のバス路線は残る。現在、この区間は主に【9C】・<京阪香里園~京阪交野市駅~西倉治~河内磐船駅>および【17A】・<津田駅~西倉治~京阪交野市駅~河内磐船駅>が走行している。

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2007年1月に撮影しました。
行先は「11 日出町経由 上津島・阪急園田」。
日出町といえば、豊中市の阪急バス本社前です。

阪急バスの梅田のりばは、大阪駅北口(ヨドバシ向かい側)と阪急百貨店前の2ヶ所あります。
大阪駅北口からは加島経由阪急塚口行き(【18】系統)、阪急百貨店前からは日出町・豊中・箕面方面行きがそれぞれ発着。

梅田・大阪駅前には大阪市営バスのほか、阪急バス・近鉄バスも堂々と乗り入れていますが、近鉄バス(高速除く)は今年12月で年1本のみの超・免許維持路線と化する予定です。なお、近鉄バスも一時期、大阪駅北口まで乗り入れたことがあります(ただし降車のみ)。

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2009年に撮影しました。
特にエアロスターKが古めかしく見えますね。神姫バスの三菱車といえば、どちらかといえば新呉羽は少なく、三菱自工または西工ボディ架装のほうが多かったようです。
回送車の行先表示機に「すみません回送中です」を表示させるようになったのは、確か神姫バスが初めてでしたね(撮影当時は従来の「回送」表示だったが)。

最近まで明石市営バスもあったが、神姫バスに譲渡されました。
兵庫県内の公営バス(神戸市を除く)は、姫路・明石に続き尼崎もなくなり、伊丹市営バスだけとなりました。

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2005年に国鉄急行色に復元されたJR四国のキハ58・65。

わずか2両だけだが、この復元作業は塗装のみならず、窓周りの灰色ゴムなど細部にまで国鉄時代らしさが再現されており、各地のリバイバル塗装とは一味ちがう。さすがに車内まで国鉄時代の雰囲気を再現、というわけにはいかなかっただろう。普通列車専用となったゆえ一部ロングシート化されたままなのは仕方ない。

なお、方向幕もこの頃になって、全国各地で行先表示を入れるのが当たり前となってきたが、どうせなら、「普通」と表示して、行先表示は出入り口上部のサボ受けに表示板を差し込むようにすれば、いっそう引き立たったのではないか。

JR四国のキハ58系は2008年までに引退した。

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阪神車使用の近鉄線内のみ運用の列車といえば、「急行」・大阪難波-奈良がまず思いつくでしょう。阪神線内での「急行」は梅田-甲子園・西宮間ぐらいの脇役的存在で、1000・9300系の「急行」表示は貴重です。しかし、近鉄奈良線では終日「急行」も運転されていて、阪神車もアルバイト運用に入り、あたかも主役のように「急行」表示を掲げて生駒山系の勾配区間を駆け抜けてゆきます。

阪神車使用の近鉄線内のみの運用としては、大和西大寺発近鉄奈良行き「普通」などもあります。
西大寺車庫で休んでいた阪神車が奈良行き普通の運用に入り、快速急行・神戸三宮行きで折り返してきます。


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京阪バス高槻営業所所属のレインボー・ロング車。
珍しく枚方茨木線の運用に入っていたときの写真です(社番N-3150)。
JR茨木での撮影ですが、去年11月よりのりばが変わったので、これも過去の風景となってしまいましたね。



明日8月11日より、近鉄バス一般路線の梅田乗り入れ系統(阪奈生駒線・梅田~稲田車庫前)が削減される。
明日からの時刻表は、
http://www.kintetsu-bus.co.jp/search/pdf/54_1468567319.pdf

本日までは30分間隔だったのが、明日からは60分間隔に半減される。さらに、4ヵ月後の12月17日からは土曜日1便のみの運行になるという。

今年に入って、近鉄バス一般路線において、えげつないほどの極端な減便が目立つ。新石切~石切駅前、南茨木駅~野々宮系統につづき、梅田~稲田車庫(・住道)・・・。

長年にわたって大幅路線縮小の続く近鉄バスだが、その動きの中にあって梅田発着の阪奈生駒線は比較的堅調だった。過去には生駒山上や近鉄奈良駅までの長距離路線もあったが、JR住道(大東市)までに短縮される。そして、2011年ごろより阪奈生駒線にも大鉈を振るうようになる。生駒山・奈良はおろかJR住道への直通系統さえ土曜のみの1便に減らされ、15分間隔の運行本数も、ここ数年の間で20分、そして30分間隔に大幅後退し、今年の12月からは土曜のみの1便になるという。

堅調と思われていた阪奈生駒線がなぜここまで急激にリストラされるのか?
その一つには、大阪市営バス【36】系統・<大阪駅前~地下鉄門真南>とほぼ同じ経路であるにもかかわらず、大阪市営地下鉄・バス各種乗車券が近鉄バスで利用できないゆえ、乗客がは市営バスに集中、近鉄バスは閑古鳥が鳴くといった状況だという。住道直通の大幅減便もショックだったが、地下鉄長堀鶴見緑地線およびJR東西線開通の影響も決して小さくないだろう(北新地から住道まで電車1本で行ける)。

近鉄バスの梅田乗り入れは、近鉄(旧・大阪電気軌道)四条畷線計画の名残だと言われている。石切から四条畷・森ノ宮・梅田への鉄道線を敷設するというもので、大正~昭和初期に具体化と着工までは進んだが、JR片町線(学研都市線)電化実現により、鉄道敷設の意味が乏しくなり、宙に浮いた。以降、完成した路盤を利用して路線バスが運行されるようになった。なお、この構想に近い鉄道路線が、後年地下鉄中央線~近鉄けいはんな線で実現している。

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京阪2600系2621F(4連口)は非常に特徴的な異端車だった。
2621Fは2000系からの2600系への代替新造が大詰めを迎えた1982年夏~秋に登場する。
まず、屋根のクーラーユニットの形が他の2600系と異なり、むしろ6000系に近い。
というのも、新型クーラーを性能確認のため試験的に搭載したものだったからだ。
また、2621Fは光ファイバーによる列車モニタの試験車でもあった。

2621Fは登場から4連のままであり、他の2600系と編成を組むことはほとんど無かった。
ただし、2621Fの登場当初、中間の2922・2722号が未完成だったため、2連口とされ、同じ新型クーラーを搭載して1981年末に登場した兄分?の2622Fと暫定的に6連を組成したことがある。2922・2722号が出場してからは専ら4連となって、主に交野線・宇治線で活躍する。晩年は交野線ワンマン運転開始および本線普通は7連統一されたため、専ら宇治線の運用に入り、旧塗装のまま2012年に廃車された。

なお2622Fは2621Fと同じ仕様設計ながら(2700、2900とも運転台簡易撤去だったことも共通)、Mc2622号だけは2000系1次車(しかもトップナンバー2001号が種車)だった。しかも2622Fに至っては、なぜかほぼ交野線専属となり、2600系廃車初期の2001年12月に廃車される。竣工からちょうど20年というのも興味深い。

活躍の場がほとんど交野線しかもらえず先に引退するという不遇な運命だった2622Fに対して、2621Fが2622Fよりも10年生きながらえることができたのは幸運だったと言えよう。


近鉄の京阪間直通列車といえば、昔の特急・<難波-京都>(通称・阪京特急)を思い出すだろう。

大阪難波駅から奈良線生駒・学園前経由、大和西大寺でスイッチバックして京都線に入るというものだった。京都線内はノンストップ(当時)だった。運転本数は1日3往復ぐらいだったと思うが、1992年ダイヤ改正で廃止される。

JR新快速、京阪特急、阪急京都線特急に続く、第四の京阪間速達列車だったということだが、奈良県を遠回りしている上に本数が少なくて不便というイメージが強く、そもそもこの阪京特急の存在を知らない人も多かったのではないか。ただ、大阪ミナミへ(難波、道頓堀、心斎橋)は一番便利だったことには違いなく、また京都駅にも直通するゆえ、生駒・学園前界隈から新幹線で東京方面へ向かうための御用達列車としての役目も担っていただろう。もっとも、生駒・富雄・学園前付近から名古屋へは、鶴橋もしくは大和八木まで赴いて名阪特急に乗るのが一般的のようだが、遠回りとなって時間もかかるのが泣き所だ(その代わり、新幹線より運賃・料金が安いのは最大のアドバンテージ)。静岡・横浜・東京へ急ぐとなれば、やはり京都駅から新幹線に乗るほうがずっと早い。

阪京特急が廃止されて25年近く経過したが、近年、イベントで大阪・京都間を結ぶ面白い列車が運転されるようになっている。

その一つは、観光列車「つどい」を使用したビール列車(2014年)。大阪上本町(地上ホーム)発大阪線・八木西口短絡線経由で橿原神宮前に立ち寄り、折り返して大和西大寺から京都駅をめざすというものだったようだ。所要時間約3時間程度。このビール列車を実際に乗車された方が、面白いブログ記事を載せてくださったので、ここで紹介する。

ビール列車に乗ってきた~上本町発 つどい~
http://blog.livedoor.jp/oton_no/archives/40667738.html

「つどい」は鳥羽・志摩線の観光列車に使用、通勤車2000系から改造された。

上本町から京都駅までこのビール列車に乗り通した客はどれだけいたのか興味ある。どうせなら、京阪沿線通勤客にも利用しやすくするため、丹波橋に停車しても良かったのでは・・・。


もう一つ面白い列車を紹介する。
それは2012年秋の京都発三宮行き直通列車。
http://www.kintetsu.co.jp/all_news/news_info/120913kyoutosannomiyachokutuu.pdf

京都駅から大和西大寺、大阪難波経由阪神直通という、比較的シンプルなルートだったが、途中宮津駅(京田辺市)入れ換え線と東花園車庫に入線するなど、いかにもイベント列車らしい走行経路だった。しかし何よりも、京都・奈良・大阪・神戸の4都市を通る営業列車という点で興味深い。使用車両は5800系だったようで、もちろんクロスシートでの運用だったことだろう。乗車時間3時間なので当然のサービスだろう。ちなみにトイレ休憩は東生駒駅(14分間停車)だった。

あと、阪神尼崎車庫に入線したら、もっと面白かっただろう。尼崎車庫で能勢電譲渡予定の阪急車と顔合わせでもできれば、これは超貴重な記録になるだろう。

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2003年9月の残暑の折、「青春18きっぷ」で名古屋へ小旅行してきたときに撮影した、211系(5000番台)の写真をアップしてみました。

JR東海の211系は国鉄時代末期に登場した0番台4両×2本のほかは、全てJR時代に製造された5000番台でロングシート車です。中央西線名古屋近郊区間と東海道本線静岡界隈を中心に活躍中です。

2003年は、1993年以来10年ぶりの「大冷夏」だったが、8月下旬より太平洋高気圧の勢力を盛り返し、一転厳しい残暑だったと記憶しています。また、阪神タイガースが18年ぶりにセ・リーグ優勝した年でした。

2005年の愛知万博を控え、自動車工業を土台とする名古屋経済、および食文化(みそかつ、きしめん、みそ煮込みうどん、えびふりゃー)も全国的に注目されるようになり、いわば「名古屋バブル」の前座のような時期だったようです。また、2004年より三重・亀山にはシャープの液晶モニタ新工場が稼動開始、これも名古屋経済の牽引役となり、「世界の亀山」と言われるようになります。

そういえば、中央西線中津川-塩尻間にもJR東日本長野色の211系0番台が乗り入れるようになったが、JR東海所属のそれとの顔合わせが実現したら面白いでしょうね(笑)


1993年5月某日のことだった。

所用で西大津(現・大津京駅前)に伺った帰りに、京阪バス【47】号経路・四条大宮行きに乗って寄り道した。

当時、京都市内(京都駅、四条大宮、三条京阪)から浜大津・西大津駅・びわこホテルへ京阪バス(京津国道線)が運行されていた。もっとも、特に浜大津方面行き(【46】号経路)は京阪京津線と完全並行していることもあって、利用客は少なかったようだが、1980年代以前の最盛期には、琵琶湖大橋とか大津市南部の大石・外畑方面から四条大宮までの便もあったそうだ。西大津駅行き(【47】号経路)は、国道161号西大津バイパスを通って大津市街地に抜けるルートで、現在も山科駅発着でその成れの果ての路線系統が運行されている(【47】【48】号)が、大津京駅まで直通するのは平日1往復のみとなってしまい(したがって、京都・大津間をバスだけで移動するのは非常に難しくなった)、他は全て藤尾・小金塚(京都市山科区と大津市との府県境が複雑に入り組む住宅地内)で折り返す。

さて、1993年の当日、私が乗車したときは、大津営業所担当で路線・観光兼用BタイプのエアロスターKだった。もともと大津営業所の担当だったが、実はその翌月、大津営業所の移転に伴うダイヤ改正・路線再編があり、【46】【47】号経路は山科営業所に移管された。大津営業所所属のBタイプ車などが山科に転属、京都ナンバーに登録替される。

このダイヤ改正は、京津国道線および大津市内路線縮小への布石だったと言える。4年後の京都市営地下鉄東西線開通(→京阪京津線の三条-御陵間は地下鉄に代替、京津線の併用軌道区間は上栄町-浜大津間のみとなる)を機に山科・醍醐地区から京都市バスが撤退(醍醐車庫廃止)、京阪バスに一元化されるが、東西線と並行する三条京阪発着系統は大幅に削減され、京津国道線は山科駅以西が廃止される。大津市内路線も石山駅および大石小学校で系統分断されるし、その後北部の比叡山坂本地区からも撤退する。

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2006年8月まで運行されていた京阪バス星田線【43】【43A】号経路<枚方市駅~四条畷駅>についてレポートする。

枚方市駅と交野市星田、寝屋川市東部(打上、東寝屋川駅)および四條畷市(「四条畷駅」のみ大東市)を結ぶ長距離路線で、かなり歴史のある路線系統のようだ。1978年の交野営業所開設以前は枚方営業所の担当(【41】号・<寝屋川市駅~寝屋~四条畷駅>と共通運用)、以降交野営業所に移管される。2006年8月の廃止後、<枚方市駅~星田駅>までの運行に短縮された上に減便、おまけに土曜・休日ダイヤは運行休止という免許維持路線に成り果てた。

詳しい運行経路について、開設当初(設定時期・不明)は

【43】枚方市駅南口~藤田川~高田~野口~逢合橋~臨港(現・星田北5丁目)~星田(現・星田4丁目)~大阪病院前~笠松~正縁寺~忍ヶ丘駅~四條畷神社~四条畷駅

だったが、1985年3月より京阪交野市駅経由に変更される。その後、1990年には、「交野車庫」バス停が新設され、

【43A】枚方市駅南口~藤田川~高田~野口~星田北6丁目~交野車庫(~星田~忍ヶ丘駅~四条畷駅)

を運行開始。一時期、【43A】・<枚方市駅~交野車庫>は昼間時間帯に増発されたこともあり、せっかくなので星田駅(1993年7月よりバス乗り入れ開始)まで延長してもよさそうだったが、利用客が少なかったみたいで減便される。その後、四条畷行きは星田駅・東寝屋川駅にも乗り入れるようになるが、結局四条畷直通は廃止される。<枚方市駅~四条畷駅>直通便は1日7往復程度の運行だったが、やはり利用客は少なかったようだ。

運用車両も、旧・東高野街道の狭隘区間である笠松~正縁寺間に対応するため、短尺車や中型車に限定されていた。この区間では添乗員も乗務していた。枚方営業所担当時代も含め、1984年までは非冷房車の日野RE100(社番A-3001~3004)および三菱MR410(A-1005)が充当されていた。1977年より京阪バス一般路線に冷房車が投入されるようになって(路線・観光兼用のBタイプには1976年から冷房車を導入)、運用車両の限定される星田線【41】【43】号経路の冷房化の遅れが際立つ。1984~85年になって、中型車の日野レインボーに代替され(当初、三菱エアロミディも2台ほど使用)、1985年には京阪バス一般路線車の冷房化率100%を達成する。そして2006年の廃止直前には、交野営業所に大量配置されたばかりの三菱エアロミディ(PA-MK25FJ)も使用された。

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バスコレのモデルにもなったRE100
方向幕も「43 枚方市駅-国鉄四条畷駅」となっている


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2006年の廃止直前にはエアロミディ(PA-MK25J)も使用された
(枚方市駅南口4番のりばにて待機中)





最近つくづく思うが、どうも京阪間の郊外都市においてキレイめなメンズカジュアル(休日着)のお店を見つけるのはなかなか難しい。

もっとも普段着・ご近所着などを買う分には、全国至るところにあるユニクロでも構わないし、通販で安く購入することだって可能だ。ただ、デートや同窓会とか、電車に乗って遠出、「青春18きっぷ」などを使って旅行といった晴れのときに、仕事着もしくは野暮ったい普段着ではテンションが上がらない。それに30・40代になっても休日着は学生時代のファッションとあまり変わらない、というのではかえって年老いて見えてしまい(20代の頃に比べて体型が大きく変わるし、30代半ばごろになって急に似合わなくなった、と感じるのもそのため)、若く綺麗に見せようなら年齢に比例しておしゃれにも相応のお金をかけたいものだ。かといって、三越や高島屋、阪急百貨店とかで何でも高級ブランド品ばかりを買い揃えるとかということまではしなくてもよく(あまり華美すぎるおしゃれだと、周りに違和感を与え浮いてしまう)、ジャケット、コート、長袖シャツ、パンツ(ボトム)、靴といった目立つアイテムにはそこそこお金をかけ、良い店を探して少数精鋭で選びつつ、インナーやご近所着などはユニクロもしくは通販で間に合わせる、といった組み合わせで良いかと、私個人的に思っている(→大山旬さんの考え方に支持)。

さて、京阪沿線周辺に「大人の綺麗めな休日着」を揃えるような理想的なお店はあるのだろうか?
京橋の京阪モールは婦人服ばかりだし、ダイエー(現・イオン)も全然、「大阪府下最大級規模のショッピングセンター」を誇るくずはモールも、メンズカジュアルに関しては残念ながらあまり冴えないように感じる。
どうも、京阪沿線、および阪急・JR京都線周辺は寂れているように感じる。JR学研都市線沿線に至っては、四条畷以東の列車本数が減らされる始末で、京都市内のJR奈良線や嵯峨野線(さらには関西本線非電化区間)よりも寂れているんじゃないか、とすら思ってしまう。

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2014年にリニュアルオープンしたくずはモール(京阪樟葉駅前)


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2012年2月末で閉店した近鉄百貨店枚方店
この跡地に今年T-SITEがオープンした


私が子供~学生時代以前の頃は、イズミヤやダイエーで服を買うことが多かった。また、枚方ビオルネができてからはビオルネ(ビブレ)を重宝していたし、スーツやコートなどは枚方近鉄で探して買うこともあった。
しかし、枚方市駅前の百貨店は京阪百貨店(食料品と婦人服中心)以外全てなくなったし、ビオルネも核店舗がイオンになってからは・・・。 イズミヤや平和堂(アルプラザ)などもどうも野暮ったいものばかり(まともに買えるのはせいぜい肌着ぐらい)。対岸の高槻では松坂屋と西武百貨店が今も頑張っているが、昔ほどの賑わいは感じられず、郊外の百貨店だけあってイマイチな感じもする(梅田・京都までJR新快速で15分のところだからなぁ)。実は先日、西武高槻の紳士服売り場のフロアでちょっと嫌な思いをした(ちなみに西武八尾は来年3月閉店することになったようだ)。

京阪沿線住民にとって、大人の綺麗め休日着を探すのなら、大阪市内(梅田、心斎橋、なんば)、四条河原町、もしくは阪神間や三宮まで電車に乗って行くほうが良いようだ。通販でも良いものは手に入るが、衣料品の場合、実際に着用したときのサイズ感や色・素材感が非常に重要で、もし届いたものがイメージと違って気に入らないとなって返品・交換不可なら、お手上げだ。その煩わしい負担や浪費を考えたら、電車に乗って梅田・なんば・西宮北口・神戸三宮まで足を伸ばしてお店を探し、実際に試着してサイズ合わせ、良いものを購入するほうが、経済的で賢明だろう。もっとも、洋服店での煩わしい声かけがイヤだという人も多いのもわかる(→その交わし方については、大山旬さんのブログ記事が参考になる。店員の対応の悪い店は外せばよい)。


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阪急西宮ガーデンス(西宮北口)

<参考記事・ブログ>

関西の「住みやすい街」は阪神間と北摂だけ?
http://realestate.yahoo.co.jp/magazine/corp_communitylab/20160803-00000001

So Styling(大山旬のブログ)
http://4colors-ps.com/

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寝屋川市内「タウンくる」の一つの系統、寝屋川市駅~京阪香里園西口。

運行経路は、

寝屋川市駅(東口)~寝屋川市役所~平池町南/桜木町北~桜木町ポンプ場~石津南町~音羽町~田井小学校~友呂岐中学校~日新町(アルプラザ香里園前)~西北コミュニティ~京阪香里園西口

で、運賃は通常の京阪バス路線とちがって150円。

2003年ごろより寝屋川市内バス空白地帯解消をめざして、「タウンくる」路線が市内各地に相次いで新設される(同時に需要の少ない一般路線の縮小撤退)。この寝屋川市駅~香里園系統は2003年春より運行開始する。運用車両は「タウンくる」専用の小型車(社番E、Fタイプ)が使用される(寝屋川営業所管轄)。開設当初は交野営業所担当だったが、翌年2004年より寝屋川営業所に移管された。

寝屋川市駅~緑町~香里園系統は、京阪電車線路沿いの西側をほぼ並行するが、両駅間の距離はかなり長く、バス路線の新設が望まれていたところだ。緑町のグリーンシティ(イオンモール寝屋川、今月一旦閉店予定)およびアルプラザ香里園へ便利で、住宅や新しいマンション、病院、学校も多く、旅客需要はかなり大きいと言える。運行開始当初は30分間隔だったが、せっかく買い物や通院に便利なところを走っているだけに増便への要望も強く、2013年3月より20分間隔に増発される。

なお、2005年までダイエー香里店(最寄バス停・西北コミュニティ)もあったが閉店、建物は取り壊されマンションに変わった。



去年引退した南海7000系の写真を何枚かアップしてみました。


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2011年4月 なんばにて 区間急行|みさき公園


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2005~06年に登場したリバイバルカラー 7037F


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7037Fリバイバルカラーのサイドビュー


ちなみに、7000系の兄弟にあたる高野線6000系は今も現役活躍中です。

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