2016年09月

第二京阪を経由して京都駅方面を短絡する京阪バス直Q京都号は、基本的に

京都駅八条口~松井山手~大阪国際大学 <京都松井山手線>
京都駅八条口~河内磐船・京阪交野市駅~なんば(OCAT) <京都交野なんば線>


の2系統が運行されている。このバリエーションとして、京田辺市役所・田ノ口・関西外大学研都市発着があり、京都市内では四条河原町・四条大宮・二条駅発着、大阪市内ではUSJまで乗り入れる便もある。本記事では、香里団地・枚方市駅を経由する便について簡単レポートする。

該当する系統は、

ホテル京阪ユニバーサルタワー~USJ~藤田川~枚方市駅南口~枚方車庫~高速京田辺~京都駅八条口

で、早朝の大阪行きと夜の京都行きの1往復だけ運転されている。<京都交野なんば線>の扱いだが、なんばOCATは通らず、枚方市内の走行ルートは、交野南ICでおりて、【10】号・釈尊寺団地線の経路に従って藤田川(香里団地車庫前)に停車、枚方市駅南口では4番のりばから発車、枚方車庫に停車したあと、枚方東ICから再び第二京阪に入って京都方面へ向かう。枚方営業所が運用担当している。

早朝にUSJ行き、夜に京都行きが設定されていることから、京都よりもUSJへの観光・行楽客を意識しているものと考えられるが、利用状況は・・・。

枚方営業所担当の直Qとして、ほかに、

田ノ口~長尾駅~松井山手駅~京都駅・二条駅
ホテル京阪ユニバーサルタワー~USJ~高速京田辺~京都駅八条口(~四条大宮)

がある。田ノ口発着便については、枚方市駅北口まで乗り入れても良さそうだ。

直Q京都号も系統のバリエーションが増えて、少しわかりにくくなっているように思う。一般路線と同様に系統番号を設定したほうがよさそうだ。


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1986年に登場した北大阪急行の「ポールスター」8000形。

従前の2000形は大阪市交30系と似ていて、また編成数が少ないこともあって、市交御堂筋線の車両(30系、10系)に埋没しがちだった。
しかし、この8000形は、アイボリーをベースに主張の強い赤と茶色のラインを配した外観塗装、および阪急電車と同じ木目調の落ち着いた内装という豪華スタイリッシュなデザインとなって、御堂筋線内においてもインパクト十分、大好評を博した。

今年でデビューから30周年を迎えるが、古さは感じらず、現在でも十分通用するデザインだ。
しかし、既に初期の編成から廃車が発生している。写真の8001編成も廃車された。おそらく機器の部品調達が難しくなっていることが理由だと思われるが、せっかくのスタイリッシュな車両なのに、廃車後あっけなっく解体されてしまうのはもったいない気がする。


1996年3月の福知山駅前です。
電化直前の山陰本線園部-綾部間、および廃止される急行「丹後」「但馬」などを名残惜しんで、「青春18きっぷ」の旅に出ました。

福知山駅は高架工事前で、旧・京都交通の古いバスも見れました。

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西工カマボコのMS512です(1976年式)。もともと京都国道線で活躍していて祇園・四条河原町・亀岡界隈で見かけることもあったが、1992年ごろより綾部・福知山ローカルに転用されました。1998年ごろまで現役だったようです。車体が長いですね~。

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同じく京都交通の日野RE121。京阪バスからの移籍車です。かつて、京都交通には京阪バスからの8~10年落ち中古が流れることも多かったようです。その後、京都交通の亀岡・南丹市以南の路線が京阪バスグループの「京阪京都交通」として生まれ変わるとは思いませんでした。

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福知山駅に到着したキハ58系の急行「みやづ」(大阪発宮津行き)です。電化後の福知山線を走行する気動車急行でしたが、かつての「丹波」「だいせん」とはちがってわずか2両の短い編成で、しかも毎日運転の臨時列車でした。これも1996年3月改正でなくなりました。

福知山駅には、京都交通のほか、西日本JRバス(園福線)および丹海バスも乗り入れています。かつては氷上方面から神姫バスも乗り入れていました。

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既報ですが、京阪バス男山営業所に新型ブルーリボン4台が入りました。
社番N-3295~3298です。

最近、主要駅構内およびショッピングセンター内でATMコーナーが整備され、ゆうちょ銀行のATMも設置されて便利になってきています。ただ、ここにも設置して欲しいと思うところは、まだまだあります。枚方・交野・寝屋川近辺でここにゆうちょATMが欲しいと思うところをリストアップすると、

TOP WOLRD 香里ヶ丘
ピーコックストア香里ヶ丘店(CORIO内)
ビバモール寝屋川
イズミヤ枚方店内
京阪香里園駅内
京阪光善寺駅前
京阪牧野駅前
京阪村野駅前
京阪八幡市駅前
JR東寝屋川駅前 または イズミヤ東寝屋川店内
JR河内磐船駅前
JR長尾駅前
JR松井山手駅前
関西外大キャンパス内
大阪工大枚方キャンパス内
摂南大学枚方キャンパス内
関西医大枚方病院内
八幡市役所内
阪急高槻市駅内
阪急茨木市駅前
JR茨木駅前
・・・

イズミヤ交野・八幡店にはゆうちょATMが置かれているのに、意外にも枚方店には置かれていないし、ビバモール寝屋川にあってもよさそうだと思っています。香里団地内の商業施設内に置かれていないのも意外ですね(香里ヶ丘郵便局はあるが、ATMの閉まる時間が早い)。また、JR学研都市線の長尾・松井山手駅近辺は郵便局とかなり離れているのでゆうちょATMは欲しいところですね。しかし、それよりも枚方東郵便局や山城八幡郵便局のATM稼働時間をもう少し延長できないものでしょうか?




紀伊半島の和歌山・大阪南部・奈良・三重および東海地方に広大な店舗網を持つ総合スーパー・オークワ。
もともと和歌山県および近隣の南大阪・奈良・三重を中心に営業活動を続けてきたが、1990年代末より大阪府北部の寝屋川・摂津・大東・高槻、そして東海地方の岐阜・愛知・静岡県や、さらには兵庫県南部(加古川、三田)にも店舗網を広げる。

しかし、紀伊半島から離れた大阪府北部および兵庫県からは大半の店が撤退する。
高槻大塚店は2011年にオープンしたが、隣のカインズモールにある万代に押され気味で、わずか3年ほどで閉店(→Joshinが入る)。寝屋川店は1998年ごろに府道18号線沿い・寝屋にオープンするが、ビバモール寝屋川および周辺に新しいスーパーが相次いで開店した影響を受け、客足が遠のくようになった。私も時々ここのオークワに行ったこともあるが、やはり客は少なく寂れていた。

実はオークワのポイントカードを持っていたが、近くの高槻と寝屋川が閉店となっては、その有効な使い道に困る。一番最寄のオークワは、生駒市や奈良市まで行くことになるが、ポイントだけのためにわざわざそこまで買い物に行くのも不経済で馬鹿馬鹿しい(自動車・バイクなら同じ府内の摂津・大東市よりも奈良県のほうが行きやすい)。おまけにポイント還元率も100円→200円で1ポイントに改悪され、私にはオークワのポイントカードを持つメリットはなくなった。

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閉店前のオークワ寝屋川店
(枚方つーしんさまより拝借)


大阪北部からオークワが撤退する一方、同じニチリウグループの平和堂(フレンドマート)が近年相次いで進出してきている。津田のアルプラザ枚方がオープンして以来、18年間ほど枚方市内には新しい平和堂の店舗が設置されなかったが、ここ2年ほど、牧野や樟葉、そしてニトリモール内に相次いで新店舗がオープンしてる。他方、福知山を拠点とする北近畿のさとう(フレッシュバザール)が枚方市に進出、既に2店舗が開店している。

しかし、近鉄沿線の東大阪・八尾市にオークワの店舗が未だ一つもないのは不思議だ。

大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の終点・門真南駅。
1997年のなみはや国体開催に合わせてなみはやドームが開設することに対応して、鶴見緑地-門真南間延長開業する。門真南駅付近には、第二京阪と近畿道とのジャンクションがある。

門真南開業に伴い、京阪バス門真営業所管内でダイヤ改正・路線再編が行われた。この改正では交野担当の田原線【18】号経路・<京阪交野市駅~大和田駅>も田原台で系統分割された。2001年ごろ、運転免許証を紛失して門真試験場へ再発行手続きに寄った帰りに門真南行きのバスに乗り(【6】号経路だったかな)、長堀鶴見緑地線で心斎橋方面まで向かったことがある。

現在、門真南駅前には、京阪バスと大阪市営バスが乗り入れている。過去には鴻池新田から近鉄バスも乗り入れたことがある。大阪市営バスは【36】系統・大阪駅前行きが15分間隔で発着している。京阪バスは以前は京阪大和田駅から【1】号経路などが乗り入れていたが、現在小型バスの【7】【7A】号経路・<門真市役所・古川橋駅~門真団地~地下鉄門真南>が主力となり、需要の低下を示している(このほか、平日1本だけ【3】号経路・京阪門真市駅行きもある)。

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なみはやドーム

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大阪市営バス【36】系統・大阪駅行き

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京阪バス【1】号経路・京阪大和田行き(2011年当時)

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近鉄バスのバス停柱も残っていた



京都駅八条口から阪神高速8号線(新十条通)を経て山科区および伏見区醍醐地域を結ぶ山科急行バス(山急)。2010年秋に運行開始し、今年で6年を迎えるが、実は私は未だ乗ったことがない。

さて、その山急には、2013年11月~15年8月までの2年余りだけ、香里園・香里団地方面まで直通する臨時便があった。その運行経路は、

醍醐寺~大石神社~(稲荷山TN)~京都駅八条口(ホテル京阪前)~<第二京阪>~三井秦団地~三井団地~京阪香里園~東香里~藤田川~新香里

という面白いものだった。土曜・休日ダイヤ(季節限定)の朝と夕方に各1往復ずつの運転で、主にブルーリボンIIのトップドア車(H-3244)が使用されていた。H-3244は直Q京都号の増発用として京田辺営業所に配属されたが、山急香里園系統に転用するため山科営業所に転属。山急香里園廃止後、ニート状態となり、一時は大阪ナンバーに登録替して門真に配置されるが、今春より運行開始した京都~学研都市急行バス(奈良交通と共同で試験運行)に使用するため、古巣の京田辺営業所に戻る。

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山急香里園で運用中のH-3244トップドア車 新香里にて
(S.Inoue Part2より拝借)

香里園・香里団地方面から醍醐寺方面への観光需要がどれだけあるのかはわからないが、京都駅までの潜在需要はそれなりにあるのではないか。なぜ香里園が選ばれたのかは疑問を感じるところだが、枚方市駅・寝屋川市駅付近の渋滞や道の狭さ、第二京阪のICの位置などを考慮した結果なのではないか、と以下のレポートにて指摘されている:

http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-entry-84.html


しかし、香里園・香里団地方面から京都駅までの直Q号はあってもよさそうだ。現在、USJ・京都線の一部便が藤田川・枚方市駅南口・枚方車庫経由で運用されているが(枚方営業所担当)、京都よりもどちらかといえばUSJへの行楽客を意識したダイヤ設定となっているようだ。例えば、大阪国際大学発着系統を香里団地方面まで延長運転するのはどうだろうか?

大阪・京都・滋賀・奈良の近畿2府2県にまたがる京阪バス一般路線は、大阪地区京都・滋賀地区に大きく分けられる。

淀川対岸の阪急バスのほうは、大阪・兵庫エリアと京都エリア(水無瀬地区を含む)の路線網の間が高槻市営バスによって隔てられている。かつては、京阪国道線の残滓である茨木-水無瀬系統で辛うじてつながっていたが、現在は完全に分離されてしまった。それでも、関西有数の広域バス事業者としての地位を誇る。

さて、京阪バスのほうはどうだろうか?

京都府に営業所を持つ男山・京田辺管内(旧・京阪宇治交通)も大阪地区路線として扱われることが多い。ただし、京田辺管轄の淀・山崎・長岡京以北は「京都・滋賀地区路線」とするほうが自然だろう(淀・山崎・竹田・宇治地区については、以前枚方営業所が担当したこともあるが、伝統的に「京都地区」として扱われている。「1Dayチケット」京都・滋賀版の範囲に入っている)。

実は、京阪バスの大阪地区路線と京都・滋賀地区路線は何とかつながっている。

まず、毎年正月のみに運行される臨時・八幡山崎線を介して、大山崎町でつながっていると見なせる。大山崎には【13】号・<京阪淀駅~JR山崎>が乗り入れている。八幡山崎線は本来最寄の男山営業所が担当しても良さそうだが、Bタイプ車を使用するため、伝統的に枚方営業所が担当している。

直Q京都号の発着する松井山手・京田辺市役所・大阪国際大学・京阪交野市駅などにおいても、大阪・京都両エリアの路線がつながっていると見なすことができる。直Q京都号は大阪市内のなんばOCATやUSJまで乗り入れる。

京都京阪バスを含めば、新田辺~宇治田原~宇治~大久保~中書島のルートで大阪・京都両エリアがつながっていると見なせる。

過去には、直近の例として、山科急行線(山急)臨時便が醍醐寺から京阪香里園・三井団地・香里団地まで乗り入れたり(山科営業所担当)、2005年までは【52】号・<樟葉駅~中書島>も運行されていた。

しかしそれよりも、滋賀地区と京都地区路線とのつながりが細っていることが気になる。
かつては京都市内から京津国道線として浜大津や琵琶湖大橋、石山方面に乗り入れていたし、宇治川ラインで大津市内と宇治方面が結ばれていた。現在は、

◎161号西大津バイパス経由、【48】号・<山科駅~大津京駅>が平日1往復、
◎比叡平地区で百万遍・三条京阪方面と大津京・石山駅方面との乗り継ぎ

の2つのルートでの移動が可能だ。

台風や秋雨前線の停滞で雨模様のぐずついた天気が一段落し、今日は京阪バス「1Dayチケット」(大阪版)で高槻・枚方・くずは方面へ乗りまわってきた。

高槻方面は良かったが、枚方市駅から【39】くずは行きに乗ってから、嫌なことばかりが連続する。
まず、1,100円カットの理容店を目当てに「藤原」で降りたが、この店がどうも閉店したようだ。2ヶ月前にこのお店でカットしてもらったんだが、・・・。

仕方ないので次のくずは行きのバスに乗り、「くずはモール」で下車し、モール南館に入る。
さっそく、2階のRight Onでリーバイスのホワイトパンツ(デニム)を物色したところ、若い男性の店員に声を掛けられ、試着させてもらうことに。ただ、どうも気に障ることがある。
まず、「(青の)デニムが似合いそうですが」と言われたのが気になる。そして、この店員の方には少し強引さを感じ、下手したら無理やり買わされるところだった。大人の綺麗めカジュアルにこだわるのなら、この店で買うべきではないと思った。同じリーバイスのデニムを入手するにしても、私だったら梅田や心斎橋のセレクトショップとか江坂のRex Oneで購入したいところだ。

その直後、トイレに入るが、日曜日で家族連れが多いため個室がいっぱいだったし、私個人的にくずはモールで落ち着いて買い物するのは難しいようだ。

そして、京阪樟葉駅のATMコーナーで入金しようと通帳を入れるが、なぜか使えなくなったみたいだ。


大阪北部でおススメのジーンズセレクトショップ
http://katanogawara.blog.jp/archives/6799426.html

京阪の区間急行(区急)は、公式には淀屋橋・中之島~樟葉間の大阪府内の運転(守口市以東各駅停車)ということになっている。区間急行は萱島・香里園・枚方市・樟葉発着で、萱島発着が一番多い。1980年以前は終日枚方市発着の区間急行が運転されていたが、準急に格上げされ、区間急行は朝と夕方~夜のみの運転となる(2006~11年の間、昼間の区間急行が大増発されたこともあるが)。樟葉から先、京都府へ乗り入れる区間急行が運転された例は知らない。

しかし、冷房改造後の1900系(廃車)のシーケンス式側面幕(種別・行先一体型)には、なぜか

区急|三条
区急|出町柳


が入っていた。1900系用の幕は、短編成での支線運用も想定して急行・区間急行・普通の行先表示コマは一通り揃い、「急行|宇治」とか「急行|枚方市」なんかも入っていた(「急行|宇治」は1989年まで使用されていた。枚方市発着の急行は2006~08年までの短期間だけ設定されたことはあるが、7両編成以上ゆえ1900系が使われることはなかった)。一方、準急については種別単一表記の「準急」だけしか入っておらず、宇治急に代わって登場した準急・<出町柳→樟葉>、そして後年になって登場した交野線直通「ひこぼし」運用時などには「準急」表示で対応していた。

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1900系の側面表示機
「おりひめ」私市行きで「準急」表示

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1900系で使われていた側面幕
(「倶楽部2600」さまより拝借)

時刻表には載っていないが、事実上の「区間急行|出町柳」なる列車は運転されたことがある。
それは区間急行・樟葉行きとして運用ののち、樟葉で普通・出町柳に化けるというもの(京阪時刻表2000あたりで、それを明示する列車が掲載されていたように記憶している)。それなら、初めから「区間急行|出町柳」と案内しても良いと思うが・・・。

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2007年7月、門真市駅にて。
昼間時間帯に運転されていた区間急行・天満橋行きの5連です。
2600系2810号が大阪側先頭ということは、たぶん2612-2912+2610-2710-2810でしょう。

京阪の区間急行はかつては昼間時間帯に樟葉・枚方市以西の大阪口における準速達列車として終日運転されていたが、1980年3月ダイヤ改正以降、準急に格上げされ、昼間の区間急行の運転はなくなりました(準急と区間急行のどちらが列車種別として上なのかは私鉄各社により異なるが、一般的には区間急行のほうが停車駅は少ない。しかし、京阪の場合、区間急行は準急よりも停車駅が多く、守口市以東各駅停車)。
しかし、2006年3月には驚異の区間急行大復活を果たし、さらに昼間時間帯の天満橋発着列車も再登場。
ただ、2008年10月の中之島線開業後、天満橋発着の列車は消滅しました。昼間の区間急行は中之島発着となるが、2011年5月のダイヤ改正で昼間の区間急行はなくなりました。

樟葉駅と近鉄新田辺を結ぶ路線系統が設定されたのは、それほど古い時代ではない。

現在、本郷・山手幹線経由の【31】【67D】号経路が合わせて毎時4本運転されているが、初めて設定されたのは、

【18】 樟葉駅(くずは)~中央センター~水珀~南八幡高校(現・京都八幡高校南学舎)~美濃山口~大住~三野~田辺本町~新田辺

だった。1980年代前半ごろの運行開始、京阪宇治交通男山営業所の担当で、主に京都府立南八幡高校(現・京都八幡高校南キャンパス)通学生のために設定されたようだ。1996年4月のダイヤ改正で、樟葉駅~南八幡高校間は廃止、南八幡高校~新田辺間のみが残るが、主に近鉄京都線を利用する通学生のために残ったものだと考えられる。しかし、京都府公立高校の統廃合が進めらた影響もあって、2007年11月改正で廃止。京阪バスへの合併後も1年少しだけ運行されていたことになる。

1989年の学研都市線電化および松井山手駅開業に合わせて、今度は

【67B】 樟葉駅~中央センター~水珀~南八幡高校~美濃山口~松井山手駅~JR大住駅~田辺本町~新田辺

が新たに設定される。こちらも上記【18】号経路と半分以上は共通していて、やはり南八幡高校通学生を意識したものとなっている。現在も1往復だけ運行されているが、朝の樟葉駅行きは京田辺営業所、午後の新田辺行きは男山営業所がそれぞれ担当。特に府道736号線・交野久御山線の美濃山口~きんめい台西間を通るバスはこの【67B】号経路1往復だけだ。京阪宇治交通田辺営業所(現・京阪バス京田辺営業所)が設置されたのは1989年のことであり、【67B】号経路は当初から田辺営業所が担当していた(2007年11月より片道のみ男山営業所が担当)。

67Bくずは行き


1990年代以降、松井山手周辺(京阪東ローズタウン)の街開き・開発に合わせ、八幡市と学研都市を結ぶ「山手幹線」の整備が始まる。1992年9月11日ダイヤ改正では、「山手幹線」の部分開通に合わせた路線再編が行われ、上記【67D】号経路が新たに設定された。大部分は【67B】号経路と共通しているが、旧集落地帯を通る【67B】とは異なり、【67D】号はくずはと松井山手方面を山手幹線経由で短絡することを目的に設定されたものだろう。このダイヤ改正では、京阪バス出屋敷線旧・【21】号(現【26】)の松井山手乗り入れも始まり、枚方市駅方面とも結ばれることになる。一方、山城大橋より東、宇治田原方面への路線をも受け持っていた男山営業所は、1992年9月のダイヤ改正以降田辺営業所に移管。


以前、京阪バス交野営業所管内において、穂谷までの路線が運用されたことがある。
それは、【8】号経路・<京阪交野市駅~穂谷>

運行経路は、

京阪交野市駅~幾野四丁目~西倉治~倉治~津田駅~杉~尊延寺~穂谷

で、1992年の枚方尊延寺線ダイヤ改正の時に新設されるが2000年春(香里団地・交野地区ダイヤ改正)に廃止。

1992年枚方尊延寺線ダイヤ改正(枚方営業所)の内容は、

◎「三ツ池」、「上渡場橋」バス停新設

◎【12】号経路・<枚方市駅~新田辺>を廃止

◎【16】号経路ほか(現【79】【80】【81】)・<穂谷~新田辺>新設、毎時1本運転

◎昼間時間帯の【12】号経路(現【72】)・<枚方市駅~穂谷>(津田駅経由)は
【12】(現【70】)・<枚方市駅~穂谷>(津田駅経由無し)
【8】・<京阪交野市駅~津田駅~穂谷>(<津田駅~穂谷>系統は現【76】号ほか)
に系統分割

などだったと記憶している。今度のダイヤ改正で交野営業所が【8】号によって初めて穂谷へ進出することになる。なお、津田駅~穂谷の区間系統は枚方営業所担当だったものの同じ【8】号経路とされ、当時の枚方管内では珍しい1桁系統番号だった。当時の枚方尊延寺線は10番台の系統番号だったが、【8】号経路はもともと津田香里線であって、津田駅~穂谷系統は例外的に【8】号とされた。

1980年代初頭の津田駅バスのりばは非常に狭く、バックで出入りしていたように記憶している。津田駅前ロータリーは1990年代初頭までに整備された。

なお、尊延寺~穂谷間は、大阪地区の特殊区間制運賃とは異なって対キロ区間制運賃であり、旧・京阪宇治交通田辺地区の運賃に合わせて決定される。交野営業所車両の車内で穂谷直通【8】号経路のみの運賃改定の案内が掲載されたとき、「京阪宇治交通の運賃改定により」との表記を見て「あれっ?」と違和感を覚えたような記憶がある。

【8】号・交野穂谷直通系統の廃止後、幾野四丁目・西倉治を通る路線系統は、昼間時間帯については以下のような変遷をたどる:

【17A】津田駅~西倉治~京阪交野市駅~河内磐船駅~南星台~星田駅(~2008年10月)
【9C】京阪香里園~京阪交野市駅~西倉治~津田駅(2008年10月~2012年6月)
【9C】京阪香里園~京阪交野市駅~西倉治~交野警察署前~河内磐船駅(2012年6月~)。

朝と夕方~夜の時間帯は、

【17A】津田駅~西倉治~京阪交野市駅~河内磐船駅
【8】津田駅~西倉治~京阪交野市駅

が主に中型車で運用されている。【17A】については、2013~14年の一時期、津田サイエンス線送り込みを兼ねて、朝の1本だけ京田辺営業所が担当したこともある。

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京阪バス高槻営業所に新型エルガが続々投入され、中型長尺(10.5m)車を置き換えている。
高槻配属時代のレインボーN-3146の写真があったのでアップしてみた。
N-3146は今回の置き換えの対象ではないが、去年寝屋川営業所に転属し、寝屋川唯一のブルーリボンシティW-3800を置き換えた。W-3800は大津に転属した。

阪急京都線沿線にありながら、高槻市内においては阪急バスの存在感が薄い。

高槻市内のバスは主に高槻市営バスと京阪バスがシェアを占めている。JR高槻、阪急高槻市駅、JR富田から高槻市内各地へは高槻市営バス、そして高槻・茨木駅前と淀川対岸の枚方市を結ぶ京阪バス(高槻営業所)がそれぞれ分担している。阪急バスは市西部のJR富田駅付近と南西部の柱本付近へ細々と乗り入れているにすぎない。ただし、柱本には阪急バス柱本営業所を構えている。なお、モノコック車時代(1983年以前)の市営バスは阪急バスと似た塗装をしていて、阪急バスと間違ったりした(その後、緑と白の新カラーに変更されたモノコック車もある)。

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高槻市営バス旧カラー
(高槻市営バス通信より拝借)


阪急京都線は「新京阪」だった事情ゆえ、もともと京阪バス(京阪自動車)が茨木や箕面・池田方面にも足を伸ばし、茨木にも営業所(現在は阪急バスの車庫)を構えていた。しかし、戦後京阪電鉄の分離独立に合わせ、茨木以西および長岡京・向日町方面の路線の大部分は阪急バスに譲渡され今日に至る。

一方、高槻市営バスは阪急バスから譲り受けた日の出バスが前身であり、1954年大阪府下郊外都市唯一の市営バスとして営業開始する。

さて、高槻市内の阪急バスについてだが、まずJR富田に乗り入れるバス(【65】・<JR茨木~JR富田系統>)は、なんと1日3往復だけに減ってしまった。以前は毎時1本ぐらいあったように記憶しているが・・・。かつては、京阪急行線の残滓としてJR茨木~阪急水無瀬系統(国道171号経由)もあり、高槻市役所および阪急高槻市駅付近を通過していたが、1997年に富田以東が廃止され、大阪・兵庫エリアと京都エリア(島本町を含む)の阪急バス路線網は分離してしまう。

一方、摂津・茨木市との境界に近い柱本地区については、JR千里丘・阪急茨木東口からのバスが柱本団地へ乗り入れている。かつてはJR吹田まで乗り入れる系統もあったが、近年の路線再編で見直された(なお、摂津市に入ったところにある上鳥飼からはJR吹田行きのバスがある)。千里丘(【33】【35】)および阪急茨木東口(【141】【144】)へは毎時各2本は確保されている。なお、柱本付近には近鉄バスも茨木から乗り入れているほか、京阪バス寝屋川茨木線も通っている。


参考までに、高槻市の東側に隣接する三島郡島本町の事情にも少し触れる。
島本町内においては阪急水無瀬およびJR島本から若山台センターへの路線系統(【40】【50】)が主力となっており、大山崎営業所が管轄している。大山崎営業所への入出庫系統として、【40】・<新山崎橋~阪急水無瀬・若山台センター>系統がある。
ちなみに、島本町の市外局番は大阪府内でありながら075で、京都府乙訓郡大山崎町との越境合併の話も出たほどだ。JR山崎駅ホームにも大阪・京都府境が通っていることで知られている。
また、2年前まで、阪急水無瀬から京都競馬場(淀)へのシャトルバス(京阪バス)も運行されていたが、阪急西山天王山駅開業後、距離の短い同駅への乗り入れに変更となった。さらに、前記のように、茨木からの阪急バスも発着していて(茨木営業所担当)、大阪・兵庫エリアと京都エリアの境目でもあった。

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JR東海伊勢車両区は本年3月で閉鎖され、紀勢本線・参宮線・名松線の気動車(キハ25系など)は名古屋車両区が管轄することになった。

そういえば、2007年、赤福の社長が「参宮線を廃止して、伊勢車両区跡地を駐車場にする」と発言して大ニュースになった。あの当時はまさか伊勢車両区が廃止されることはないだろうと思っていたが、武豊線電化で名古屋車両区の気動車配置に余裕が生まれたため、伊勢車両区の廃止が現実のこととなる。

本来、国鉄時代末期に伊勢運転区(当時)が亀山機関区と統合されるはずだった。しかし、亀山駅にJR東海とJR西日本の境界が置かれるため、JR東海管内となる紀勢本線や参宮線の気動車車庫が必要となったことから存続が決まる。

仮に三重県内の国鉄線が全てJR西日本管内となるのなら話は簡単だったはず。亀山機関区が関西・紀勢本線などを運用する気動車を一括管理し、今もなおそれなりの数の車両数が必要なことから、広大な車両基地を有効活用していたことだろう(2016年の時点では、希望的観測だが、姫新線に投入されたキハ122・127を標準仕様として、東海・北陸・紀伊半島から山陰・広島・山口までの広範囲にわたって大量配置され、キハ40系を置き換えることだろう)。早い話、名古屋近郊付近までの在来線と東海道新幹線全線をJR西日本が所有すれば、財務状況はもっと良かっただろう。

先日の記事でJR東海においてキハ47は5両だけの少数派ということについてコメントした。

http://katanogawara.blog.jp/archives/6951529.html

国鉄時代、キハ40系の1形式であるキハ47は近畿以西の西日本各地に配置され、東海地方には配置されなかった(JR西日本管内の北陸地方にも国鉄時代はキハ47が配置されなかった。一方、東日本でも水戸・新潟に少数だけ配置)。しかし、実は国鉄時代にも名古屋駅まで定期列車としてキハ47が乗り入れていたことはある。それは亀山機関区(天カメ)配属分の4両(80、81、1053、1054)で、関西本線電化前(1982年5月)のことだ。名古屋-奈良間直通の普通列車などで運用されることが多かったようだ。

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名古屋駅で発車を待つ奈良行き普通列車キハ47ほか
(「’80年代鉄道写真館」より拝借)


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名古屋駅ホームに停車中の普通奈良行きキハ47 所属表記「天カメ」が見える
(DEJI@気動車ファンのページより拝借)

関西本線名古屋-亀山間の気動車普通列車は奈良・亀山区のほか、美濃太田(名ミオ)もアルバイトに入り、このあたりでは見慣れなかったキハ48も姿を見せていた(1980年以前は、殿様「紀州」の間合いで天ワカの58系もあったが、天ナラに移管)。

キハ35系およびキハ45のイメージの強い天王寺鉄道管理局管内だけあって、キハ47が配置されたことは少し意外な感じもする(両運転台のキハ40 2000番台は亀山・伊勢にかなりの数が配置されたが)。ただ、国鉄末期を迎えた1985年、豊岡・米子からキハ47が新たに6両亀山に転入してきた。豊岡からの分の4両(3、4、1109、1110)は翌年伊勢に転属しJR東海所属となる(このほか1両1027号が福知山から伊勢に転入)。他はJR西日本に継承、1989年の学研都市線(片町線)電化までは亀山区で引き続き活躍したが、その後山陰・中国山地など各地へ散らばって行った。

昨日、雨模様の天気の中、久しぶりに京阪バス「1Dayチケット」(京都・滋賀版)を使った。

四条河原町に行くつもりだったが、急に伏見桃山で下車、大手筋商店街を歩いて「西大手筋」から京阪バスに乗りまわることにした。西大手筋発の【6】号経路・醍醐バスターミナル行きの時間に合わせて、商店街で時間をつぶす。さっそく【6】号経路に乗り込み、運転手さんから「1Dayチケット」を購入。定刻に発車し、中書島、京阪中書島あたりまでは良かったが、その後節々の痛みや体の熱っぽさを感じ始め、どうも風邪をひいてしまったようだ(1時間ほど前に下痢をしたが、腹からくる風邪のようだ)。車内は冷房が効いていて長袖シャツ1枚でも寒いぐらいだった。

観月橋を過ぎたあたりから道路渋滞に巻き込まれ、「東町」(イズミヤ六地蔵前)付近まで長々と続く。そうこうしているうちに醍醐バスターミナルに到着し、そこから乗り継いで四条河原町まで行く予定にしていたが(できればその前に上花山花ノ岡町にも寄るつもりだった)、体がだるいのであきらめ、三条もしくは祇園四条から京阪で帰ることにする。

とりあえず、醍醐バスターミナルから【87B】号経路・三条京阪行きに乗る。小野駅、西野山団地、川田を経て国道1号(五条通)に入り、東山TNを抜け、東山通~祇園~四条通を回る。雨にもかかわらず観光客が多くて、東山通は渋滞していた。五条坂・東山安井から乗車する人も数名いて、車内はかなり混みあっていた。


先月末より、交野・高槻営業所に新型エルガが合計6台投入された(N-6248~6253)。交野にはN-6248、他は高槻営業所の配属となり、高槻の中型ロング車を置き換えた模様だ(N-1089、1092、3149、3150だったかな)。N-1089は枚方営業所へ転属となり、6年ぶりにエアロミディ10.5m車が在籍することになった(2010年9月の樟葉長尾線京田辺営業所移管前は、N-1086・1087が配置されていた)。N-1092は廃車、N-3150は大津営業所へ転属となった模様。

そして、先週末より男山営業所に新型ブルーリボンN-3295・3296の2台が登場。旧・宇治交のブルーリボンシティが置き換えられた模様だ。

ともすると忘れられがちだが、京田辺唯一のブルーリボンシティW-3831は先月、枚方営業所に転属した。W-3831は交野営業所に配属されたが、2014年春、京田辺営業所に転入する。京田辺管内では、枚方尊延寺線、津田サイエンス線、樟葉長尾線、八幡田辺線、淀長岡京線など広範囲にわたって満遍なく運用をこなしていたが、使いづらかったのか、枚方営業所に転出した。

なお、古参となった幕ブルーリボンシティ・エアロスターは今も大阪地区各営業所(枚方・香里団地・交野・高槻・男山)で現役活躍中のようだ。


(9/19追記)
男山にN-3297、3298が入りました。

2008年の新名神高速・亀山JCT-草津田上IC間開通を機に、京都から三重県方面への京阪高速バスが運行されるようになった。次の3路線系統

京都-伊勢
京都-津
京都-四日市

が新設され、三重交通・近鉄バスと3社で共同運行体制が敷かれる。京都市内では京都駅八条口(ホテル京阪前)と五条京阪に停車する。

京都伊勢線の新設は、近鉄の京伊特急にも大いに影響を与えたものと思われる。2012年の近鉄ダイヤ改正で京伊特急は大幅減便、京奈・京橿特急が大和西大寺まで併結という運行体系となった。しかし、2014年秋、京都「しまかぜ」が新たに設定され、京伊特急復活への布石として期待されている。これとは対照的に、高速バス京都伊勢線は2014年3月に運行終了となった。

京都-津・四日市系統については、鉄道では遠回りでやや不便なこともあって重宝されている。鉄道では遠回りの近鉄よりもむしろJR(関西本線・草津線経由)のほうが多いようだ。所要時間ではJRは普通列車のみで乗り換えは多いが、運賃は近鉄特急利用(大和八木乗り換え)とあまり変わらず、所要時間も距離が短い分、近鉄特急とほぼ互角だ。日帰りも十分可能で、「青春18」シーズンにはJRで往復すると非常にお得だ。

現在、近鉄バスは京都・三重高速線から撤退しており、京阪バスも四日市系統のみを担当している。

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1989年正月、「青春18きっぷ」で岡山を訪れる途中、姫路で途中下車。
駅前に面する大通り向こう側の姫路城をバックとする構図は変わらないが、神姫バスのモノコック車、大和銀行、ダイエー、山一證券など、すっかり過去のものとなってしまいました。姫路市営バスもなくなったし、神姫バス姫路駅前ターミナルも変わったみたいです。
ただ、ヤマトヤシキ百貨店と山陽百貨店は今も残っていますね。

先日、阪急京都線の冷房化率100%達成は1994年と遅かったという記事を書いた。
http://katanogawara.blog.jp/archives/5463423.html

あることから、能勢電鉄の冷房化率100%も1992年と知り、これまた少し驚いた。

1980年代初頭まで吊り掛け小型車のたまり場だった能勢電。もちろん元・阪急の車両だった。

もともと能勢妙見山への参拝客を運ぶことを目的に開業したローカル私鉄だった。今でこそ阪急と一体化した経営をなされているが、かつては独自色が強く、沿線の住宅地開発が進む1970年代には西武系ニュータウンが造成されることから西武資本の傘下に置かれるところだった(そういえば、川西能勢口に西友があるが、これも西武グループが能勢電を傘下に置こうとしたことと関係?)。しかし、阪急電鉄にとっては黙って見過ごせない件であり、危機感を持って能勢電の株を大量購入することでこれを阻止。そして、1978年には山下-日生中央間(日生線)が開業、大阪への通勤客が急増し、車両の近代化改善(大型化と冷房設置)が望まれるようになる。ニュータウンの中に作られた日生中央駅に古風な小型車はミスマッチな光景と映る。

1983年、阪急2000系が能勢電に譲渡され、冷房化工事と600V化対応の改造を受けて1500系としてデビューする。

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能勢電初の大型車かつ冷房車としてデビューを果たした1500系(廃車)


その後、1986~88年には阪急1000系が能勢電に転入される。

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1000系も能勢電に譲渡された
1500系に比べて古めかしいスタイル
(Wikipediaより拝借)

さらに1990年より、阪急2000・2100系の譲渡が再開する。今度の分については1700系という新形式とされる。外観および基本仕様は1500系と同じだが、1700系は阪急時代に冷房改造済みだった点が異なる(阪急電鉄自体の冷房化率100%は1986年に達成するが、京都・千里線については地下鉄堺筋線と相互乗り入れしていて大阪市交60系だけが非冷房のままだった)。

1992年には最後まで残った小型・非冷房車610型がファンたちに惜しまれて引退、能勢電の冷房化率100%が実現する。

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能勢電に最後まで残った非冷房車610型
(「トコトコ日記」さまより拝借)


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1日3往復だけの京阪バス出屋敷線【15】号経路・<枚方市駅北口~総合スポーツセンター>。
運行経路は、

枚方市駅北口~禁野口~関西外大~須山町~田ノ口~総合スポーツセンター

で、終点は枚方市立総合体育館前である。近くに京阪バス枚方車庫があることから、【96】号経路と同様、総合体育館利用者のためというよりは入出庫のために設定されているという意味合いが強い。枚方市駅北口ロータリー周辺を歩いていたら、たまたま【15】号経路を見かけることもある。

(9/17追記)
男山営業所に新型ブルーリボンN-3295、3296が登場しました。

JR学研都市線(片町線)の京都府内は、周辺の他の鉄道線に比べてある意味贅沢なローカル線だと言える。

京都府下の学研都市線(長尾-木津間)は1989年までは非電化で気動車2両が1~2時間に1本行き来していた。電化後、片町(廃止)・京橋方面からの直通電車が終日運用されるようになる。基本的に快速電車だが、長尾以東は各駅停車。初めは103系を改造して3~4両運転をすることで対応していたが、JR東西線(尼崎-京橋)開業を前に207系が作られて学研都市線の103系を全て置き換えてしまう。1997年のJR東西線開通後、学研都市線の電車は終日宝塚・神戸方面へ直通するようになり列車本数も大幅に増えるが、松井山手以東は7両から4両に切り離されて運用する。その後、2002年には京田辺駅まで7両編成の電車が乗り入れるようになる(ただし松井山手以東は単線のまま)。

このとき、次の同志社前まで行く電車が一つ手前の京田辺駅での増解結のために所要時間がかかる、という非効率性が問題視されるようになる。せめて同志社前までは7両運転が望まれていたが、2010年に木津駅まで7両編成で運用されることになった(207・321系が共通で運用)。

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7両対応が完了した祝園駅ホーム
7両編成の電車が留置されている

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非電化時代の祝園駅
キハ10・20系の2両が停車中


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同志社前駅ホーム
以前は折り返し用ホームもあったが撤去された


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同志社前到着前の207系
このあたりは随所にローカル線の雰囲気が垣間見られる

京都府下の学研都市線は、周辺の他路線に比べて電車の編成だけは長い7両編成となる。

一方、並行する近鉄京都線はもともと学研都市線には本数・スピードで圧勝しているが、電車は6両編成が最高だ。それでも、近鉄のほうは奈良・橿原神宮前・賢島への特急があり、伊勢志摩ライナーやしまかぜも来るし、京都市営地下鉄烏丸線も乗り入れてくる、そして時には5200系やあおぞらなどの団体臨時列車も姿を見せ、やはり賑やかだ。大和西大寺まで行けば、阪神電車も終日やってくるので、さらに活気がある。

木津駅で接続する奈良線、大和路線(関西本線)はどうか。
奈良線(京都-奈良)も電車の編成は最高6両(221系、103系)だが、「みやこ路快速」および普通電車が毎時2本ずつ運転されており、近年外国人観光客も多く見られ、学研都市線よりも賑わっているように感じる。さらに複線化工事も進む。
大和路線(加茂-JR難波)のほうは、快速電車は最大8両編成(221系、103・201系)で運転されるが、加茂-木津間は毎時2本で少ない。しかし、行楽シーズンの休日は、加茂以東の非電化区間へ乗り継ぐ行楽客(笠置、伊賀上野方面)も多く、1~2両の気動車は満員となる。

こう見ていくと、207・321系で統一された学研都市線は、近未来都市のイメージを与えながら、ローカル線の雰囲気が随所に垣間見られるという、違和感いっぱいの空間と言うか・・・。近年、四条畷以東の列車本数が減らされ、昼間時間帯は宝塚方面への直通がなくなったりして、学研都市線は再び寂れてきているようにも感じる。

南海の高速バスは面白い路線が多い。

和歌山・和泉中央・堺・なんば~東京
神戸・なんば・京都~立川・昭島・玉川上水
大阪(なんば、大阪駅前)~秋葉原・成田空港・銚子
堺・大阪(なんば、大阪駅前)・京都~小田原・藤沢・鎌倉
神戸・大阪(なんば、大阪駅前)・京都~長野・湯田中
堺・大阪(なんば、大阪駅前)・京都~柏崎・長岡・三条
大阪(なんば・梅田)~鳴門・徳島
大阪(なんば、大阪駅前)~高松

が運行されている。近鉄や阪急の高速に比べて地味だが、和歌山・和泉中央・堺・なんばなど南海・阪和沿線各地から、鎌倉・立川・銚子といった関東の中小都市を結ぶ個性的な路線系統が多い。さらに、大阪・京都間は名神経由の阪急・近鉄とは異なり、第二京阪を経由して高速京田辺に停車する(長野・湯田中系統を除く)のも面白い。

第二京阪を経由する高速バスは、このほか

なんば~交野・河内磐船~高速京田辺~京都駅八条口(京阪バス直Q京都号)
八尾~京都(近鉄バス)
東大阪~高速京田辺~京都(大阪バス)
京都~高速京田辺~みなべ・田辺・白浜(明光バス)

なども挙げられる。近鉄バスグループは基本的に名神経由だが、八尾京都線および京都白浜線は第二京阪を通る。和歌山県の明光バスは南海グループではなく近鉄の系列だ。以前、近鉄バスも京都白浜線の運用を担当していた。一方、京阪の直Q京都号は「高速バス」ではなく、一般路線としての扱いになっているようだ(京阪交野市駅~河内磐船駅間のみの乗車も他の一般路線と同じ運賃で可能)。


橋本駅前へ乗り入れる和歌山バス那賀がおととしより激減したようだ。

少し前まで南海和歌山市駅と橋本駅前を結ぶ長距離系統もかなり本数があったように記憶しているが、時刻表を調べてみたら、なんと平日1往復だけになっているではないか! 2014年5月に橋本市を訪れたときは、駅前に停車中の和歌山バス那賀を見ることができたが、この間急激にリストラされたことを知ってショックだった。

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和歌山バス那賀(左)と南海りんかんバス(右)が並ぶ橋本駅前
2014年5月




京都府福知山市に本社を持つ総合スーパー・さとう

「さとう」グループは、京都・兵庫北部および福井県若狭地方など北近畿一帯に店舗網を広げている。近年、兵庫県南部の三木・加西・姫路市とか京都府南部(亀岡、長岡京)、そして大阪にも新たに進出。大阪府第1号店は、枚方市のフレッシュバザール山田池店。大阪へ進出するのなら、亀岡市や篠山市と隣接する能勢町・豊能町や茨木市・高槻市から始まるものと思っていたが、北河内の枚方市に店舗を構えるのは意外だった。

なぜ枚方市が選ばれたのかということだが、これは流通ルートと関係していると思われる。すなわち、京都縦貫道+京滋バイパス+第二京阪によって枚方市と京都府北部が短時間で結ばれるようになったためではないだろうか。実際、長尾口バス停付近で時々「さとう」のトラックを見かけるが、第二京阪の枚方東ICを経由しているものと推測できる。

そして、今年夏には同じ枚方市に大阪府2号店がオープン。フレッシュバザール松ヶ丘店で、中宮病院(宮之阪3丁目交差点)の東側にある。なぜ2つとも枚方なのかが気になるが、第二京阪に沿ったドミナント戦略を取っているんだろうか。そうすると今後は交野市や四條畷市、京田辺市への進出も考えられそうだ。

1991年12月下旬、生まれて初めて東京旅行をする。
大きな目的は、東京圏のJR各線をできるだけ多く乗りつぶすこと。関西の青年鉄道ファンなら、一度東京を訪れ、複雑な首都圏の各路線を乗り回ってみたいと思うことだろう。

大掃除や正月準備で忙しい時候にもかかわらず、学生だった私はこの慌しさから逃れようと、親や家族に嫌味を言われながらあえて旅行に出た。周りの空気を読まずに行動してしまったが、少なくとも正月を迎えて落ち着いてから旅行すれば、周りの人たちもそれほど角が立たなくて済んだのではないか。いかに当時の私自身が非常に幼稚だったのかを思い出すと情けなくなる。

さて、この旅行は確か3泊4日の行程だったのかな。
初日は京阪高速バス枚方新宿線で車中泊。枚方市駅までのバスで運転手と少し談話になって、「東京へ行くんやったら新幹線が一番ですわ」と運転手がおっしゃってた。

翌朝、定刻より早めに新宿バスターミナルに到着したのち、さっそく「青春18きっぷ」1日目を使用。
具体的にどういう経路を巡ったのか、どんな食事をしたのかは覚えていないが、秋葉原駅から総武緩行線103系に乗り込んで、さっそく首都圏の通勤地獄を体験。首都圏の通勤ラッシュは大阪の比ではないということを知る。

その後、山手線、埼京線、京葉線、東金線、川越線、横浜線は乗車したように記憶している。千葉は113系が多く(非冷房車も残っていた)、八高線は当時全線非電化でキハ35系がまだ活躍していた。

宿泊は学生の身分なので、ユースホステスに泊まる。宿泊地はなぜか交通の不便な山梨県富士吉田を選び、大月から富士急行に乗ったと思う。富士吉田は雪が積もっていた。1991~92年冬は1980年代後半から続く暖冬傾向だったが、91年年末は厳しい寒波が訪れた。観光シーズンは終わって年末の忙しい頃なので宿泊客は私一人だけで寂しかった。

翌朝、中央線の電車で再び東京都心へ向かうが、とにかく時間がかかる。東京都市圏は広いと実感(近年、「東京近郊区間」が福島県や長野県にまで及んで巨大化)。


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京葉線205系

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埼京線205系

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川越線103系と八高線キハ35系との顔合わせ
(高麗川駅)


最終日前日の晩は横浜→上野(京浜東北線?)と回り御徒町近辺を徒歩で散策したかと思うが定かではない。その後、「大垣夜行」続行便を待つために東京駅ホームに座って並ぶ。来た電車は167系アコモ改造車(リクライニング)だったような記憶がある。明朝名古屋到着後、さっそく武豊線の気動車に乗り込む。朝の通勤ラッシュに備え、急行「かすが」用キハ58+65にキハ47などを連結した長い編成だった。

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武豊線の気動車(キハ47が先頭)

武豊駅からそのまま同じ車両で折り返す(名古屋到着後、「かすが」編成は切り離され、8時40分ごろ発の奈良行き「かすが」となる)。
その後、名古屋市街地を少しバスで回ったあと、太多線に乗るために、名古屋→多治見→美濃太田→岐阜→名古屋と回り、昼時を迎える。武豊線も太多線も、風光明媚な観光路線というわけではなく、景色を楽しむというよりは列車に乗るということが目的だった。

午後からいよいよ大阪への帰路につく。関西本線経由で湊町(現・JR難波)に寄り道することにした。

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キハ11と奈良行きキハ58とのツーショット(亀山にて)

亀山-加茂間は既にワンマン運転が始まっていたが、キハ58系がまだ残っていた。しかも数少なくなった奈良直通列車に乗れた。加茂到着前までほぼ爆睡していたように記憶している。奈良で乗り継いで終点・湊町到着後、なんばウォークを通って御堂筋線→京阪で枚方へ戻る。

三重交通の長距離系統・上野山添線【60】・<天理駅前~国道山添~上野駅前>が10月1日から廃止されるという。

天理と伊賀上野(伊賀市)の間は名阪国道(国道25号線、自動車専用道)が通っているが、これに一般道の国道25号線が並行している。しかし一般道の25号線は2桁国道とは思えぬほど整備状態の悪い「酷道」であり、高速道路規格の名阪国道に対比して「非名阪」と呼ばれている。三重交通の上野山添線は主に名阪国道を経由しながら、途中の国道山添~五月橋~治田インター間は「非名阪」を走行する。

かつて、奈良交通でも天理と上野市駅を結ぶバスを運行していたが、2006年9月に廃止された。現在、三重交通が土曜・休日ダイヤのみに運行している。土日限定とはいえ、このような長距離路線系統が残っていることが奇跡的だ。

改正後も、国道山添で乗り継ぎながら、天理と伊賀市をバスで移動することは可能の模様。

これとは別に、三重交通の大阪伊賀高速線<新大阪BT・東梅田~上野市駅>が2005年より運行されている(阪神高速+西名阪+名阪国道経由)。

大阪市内から伊賀上野へは鉄道だと乗り換えが多く、やや遠回りとなって不便なので、直通バスの設定が望まれていた。かなり昔にも、近鉄バスの大阪阿部野橋~天理・伊賀上野系統(西名阪経由)があったらしい。特に阿部野橋~天理系統は1989年ごろまで一般路線車で運行されていて、阿部野橋で「天理ゆき」案内表示を時々見かけたような記憶がある。


月ヶ瀬といえば梅で有名なところだ。

奈良市東部の山あいの渓谷にあり(かつては月ヶ瀬村だったが奈良市と合併)、奈良・三重・京都3府県の境界付近にあたる。梅の見ごろにはJR・近鉄奈良駅およびJR月ヶ瀬口駅から臨時バスが運転される。JR関西本線の月ヶ瀬口駅は京都府南山城村にある(月ヶ瀬口駅からの臨時バスは三重交通)。月ヶ瀬村へは駅からかなり距離があって、高山ダムを経由して徒歩2時間以上かかる。

さて、問題の月ヶ瀬カントリークラブだが、このゴルフ場の所在地は意外にも京都府南山城村。
京都府にありながら、大阪方面からは西名阪+名阪国道、、もしくは近鉄大阪線名張駅からタクシーと案内されているのが興味深い。

http://www.tsukigase.co.jp/info.html


つまり、大阪上本町から伊勢志摩方面行きの電車に乗って一旦三重県に踏み入れながら、実は現場が京都府だったというオチ。あるいは近鉄京都・丹波橋から賢島行き特急に一時間以上も旅行気分に揺られて名張に着いたはよいが、この先のゴルフ場が同じ京都府だとは・・・。

もっとも、近鉄で遠回りして名張からタクシーという手段を使わなくても、JR月ヶ瀬口駅から送迎バスが発着しているので、JRを使うほうが安い(ただし本数が少ないので事前に時刻表を調べるほうがよい。送迎バスは予約必要)。しかし、何よりもマイカーが渋滞は別として一番安くて早いことにはちがいない。大阪市内からなら無料の阪奈道路+名阪国道経由で行くことも可能だ(そういえば、名阪国道+阪奈道路が名古屋-大阪間割安ルートのため、奈良公園付近がトラックで渋滞しやすいことでニュースになった)。


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2006年夏に訪問しました。
いかにも山あいの小さな駅という雰囲気ですね(^-^)
能勢妙見山へは、妙見口駅からバスでケーブル前まで移動します。
妙見口駅前には、以前京都交通バスも乗り入れていました(バス停名は「吉川」)。

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livedoorブログ編集画面が重たいようなので・・・

今月初めのダイヤ改正で阪神バスの西宮神戸線(阪神西宮~神戸税関前)が毎時4本から3本に減便された。

西宮神戸線は国道2号線をひたすら走行する路線系統で、かつては尼崎から運行されていた。
2002年夏、所用で神戸に行った帰りに、三宮から尼崎まで阪神バスに乗車したことがある。阪神バスは基本的に距離に関係なく220円均一運賃(当時は200円だったかな?)のため、神戸~尼崎間という長距離でも200円台の格安運賃だったわけだ。もっとも神戸~尼崎間は電車に乗ったほうが早く、バスを全区間乗り通す人は少ないだろう。

さて、今回の西宮神戸線減便の件だが、近鉄バス阪奈生駒線と同じ轍を踏まないか心配だ。
阪奈生駒線も15分間隔(毎時4本)だったのが、ここ10年ほどの間毎時3本→2本に急激に減らされ、先月のダイヤ改正では毎時1本に半減、そして12月からは土曜日1便のみの運行になる予定だという。「住みやすい地域」として人気のある阪神間エリアだけに利用客が極端に少ないということは考えにくく、さすがに近鉄バスのようなえげつないリストラはしないとは思うが・・・。


かつて枚方市藤阪に京阪バスの車庫を新しく作る計画があったようだ。
建設予定地は枚方公済病院(旧・長尾病院)に近いところにある。

この情報を知ったのは確か1990年代前半ごろの「広報ひらかた」だったように記憶している。

当時、京阪バス枚方営業所の管轄範囲は非常に広く、枚方市内(東部・北部)はもとより八幡市や京田辺市のほか、もともと洛南営業所の管轄だった淀宇治線や山崎、竹田駅、京都駅八条口、阪急桂駅までの路線を運用担当していた。ただし、1978年の交野営業所開設以前は、星田線四条畷や田原線(京阪交野~一の坪、一の坪~京阪大和田駅)、そして【16】号・<枚方市駅北口~寝屋川市駅>なども担当していた。

さて1990年代前半当時、JR学研都市線全線電化および快速電車大増発が行われ、その後のJR東西線開通も控えて枚方市東部および学研都市から大阪・神戸方面への利便性が大幅に向上、同地域において宅地開発や大学誘致などが盛んに進められた。将来的に京阪バス枚方営業所だけでは手狭になると予想されたのか、藤阪に新しい車庫を作る計画が出たものと考えられる。

仮に藤阪車庫が開設されたら、主に津田・穂谷・新田辺方面の枚方尊延寺線などを運用担当することになったものと予想される。

しかし、現実には枚方営業所のカバーする路線は年々縮小されるばかり。
まず、1996年2月、淀宇治線および京都南部線が洛南営業所担当に復帰する(→その後、「京阪シティバス」となって17年間経過したのちシティバスは解散、一部は再び京阪バス路線となる。ただし京田辺営業所が担当)。

2005年7月末に【52】号・<樟葉駅~中書島>が廃止され、中書島から撤退。

2006年4月には京阪宇治交通(男山、田辺営業所)が京阪バスに合併吸収され、路線調整が行われた結果、八幡地区路線は男山営業所に移管統合される。また、男山営業所が長尾駅・藤阪ハイツに進出、枚方営業所担当の【89】号・<樟葉駅~長尾駅~家具町2丁目南~摂南大学>は男山【90】号に振り替えられ、枚方営業所管内の家具町2丁目南への営業運転もなくなる。

その後、山城大橋近くの草内にあった田辺営業所を改め京田辺営業所が茂ヶ谷に移転開設し、今度は枚方尊延寺線の一部路線系統が京田辺営業所に移管される(枚方営業所の新田辺への乗り入れは外大直通便を除いて無くなる)。さらに、樟葉駅から藤阪ハイツ・長尾方面(国道招提経由)への路線系統も大半の便が京田辺営業所担当に変わる。

すなわち現在の京田辺営業所が、藤阪車庫構想を別の形で実現したものと言える。

一方、枚方営業所では、関空リムジンバス枚方線などを新たに受け持つようになる。そして、直Q京都号の一部(USJ~枚方市駅~京都駅、田ノ口~長尾駅~京都駅など)、立命館大学直通バス(茨木~衣笠間)なども担当している。

また、2014年4月より、長尾口から高槻への「早バス」が運転開始する。JR高槻からの折り返し【1A】枚方市駅行き1便も枚方営業所が担当している。このダイヤ改正では、枚方・京田辺営業所管内の行先表示機に「京阪枚方市」と表示されていたところ、高槻営業所の仕様に合わせるためか、2002年以前の「枚方市駅」表記に戻された。


先月末から京阪バス大阪地区に新型エルガ(QDG-LV290N1、J-BUS)が続々投入されています。
本日9月10日の時点までに、N-6248からN-6253までの6台が報告されており、最初のN-6248は交野営業所、残りの5台は全て高槻営業所のようです。

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代替は中型長尺車(10.5m)で、

N-1089→枚方
N-1092→廃車?
N-3149、N-3150→大津?

の模様です。

今年度、一般路線に30台の新車を投入するとのことなので、近いうちにまた動きが見られそうですが、このペースだと高槻の10.5m車が消えるのも時間の問題でしょう。男山営業所の緑の車両も近いうちに置き換えられそうですね(既にブルーリボンシティの廃車も発生している)。幕車が意外にもう少しがんばりそうな感じもします。


大阪府内に乗り入れる奈良交通バスといえば、四條畷市田原台関係の系統がまず挙げられる。

四條畷市東部の田原地区は生駒山系の東側(四條畷市街地とは生駒山系で隔てられている)に位置しており、地理的に奈良県生駒市とのつながりが強い。市外局番も生駒市などと同じ0743で、遠く離れた京都府笠置町・南山城村へも市外局番無しで通話できるようだ。ただし、自然地形的には星のまち・枚方~交野を流れる天野川の上流側にあって淀川水系に属していたりして、交野・四條畷・生駒3市の境界付近はなんとも複雑だ。

田原台から大阪方面への通勤ルートは、JR学研都市線の四条畷駅よりも、奈良交通バスで近鉄生駒まで出るほうが早くて一般的だ。田原台関係の系統では、前から乗車して運賃先払いという、関西では異例の乗降方式が採用されており、初めての人は戸惑うだろう。

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田原台1丁目バス停に停車中の奈良交通生駒駅行き

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京阪バス【18】号も交野から田原台1丁目にやってくる

田原地区から清滝TNを抜けて四條畷市街地および忍ヶ丘・四条畷駅へは、「四條畷市コミュニティバス」(京阪バス門真営業所に運用委託)が運転されている。以前は、京阪大和田駅から田原台への一般路線バスが乗り入れていたが、「四條畷市コミュニティバス」に代替された。四條畷市内東西住民の交流を図ることが目的とされており、田原地区住民の市役所および公共施設利用を意識したものとなっているが、奈良県生駒市に越境合併したほうが自然だろう。

かつては、磐船街道を経て京阪私市(交野市)にも奈良交通が乗り入れていた。京阪私市からひたすらR168を走行して近鉄東生駒駅を結ぶ路線系統があったが、2002年廃止。磐船街道を通るバスは、京阪交野市駅から京阪バス【18】号経路もあって、かつては田原地区から清滝峠を越えて京阪大和田駅までの長距離系統として運転されていたが、田原台1丁目で打ち切りとなり、現在は土曜・休日のみ2往復となっている。生駒方面へは田原台1丁目から奈良交通に乗り継ぐことになる。

ちなみに、近鉄バスもかつては四条畷からR163(清滝街道)を走行して生駒市高山まで乗り入れていたようだ。

また、富雄駅(奈良市)から主要地方道7号を交野・枚方方面へ向かい、生駒市高山を経て北上、くろんど池に近くて交野市との府県境手前の「ホウ示」というところまでのバスもある。r7号はこの先、峠を越えて交野市に入り倉治へ降りるが、交野市内は急坂で道路状態が悪く、枚方方面へ向かうドライバーは一般的に穂谷・尊延寺への抜け道からR307へ迂回する。穂谷とくろんど池を結ぶバスもあってよさそうだが・・・。


JR東海に在籍する在来線用のマイナーな車両形式を考えてみた。

廃車されたものも含めて、次のものが挙げられる。

1)211系0番台
2)キハ47(廃車)
3)103系通勤型電車(廃車)
4)キハ30(廃車)

JR東海における国鉄時代の車両は、本年3月までに211系0番台を残して全廃された。

211系近郊型電車は1985年、首都圏の東海道線(0番台)および東北・高崎線(2000番台)に初めて登場、翌年1986年11月国鉄最後のダイヤ改正で名古屋にも0番台が4両編成×2本だけ投入された。初めは中京快速など花形運用に就いていたが、JR発足後311・313系の登場により、各駅停車中心の運用となる。211系そのものはJR東海発足後、5000番台という新番台を起こして老朽化した113系を置き換えるために大量に投入されるが、0番台とはちがってロングシート。211系0番台と5000番台の外観上のちがいは、先頭車貫通扉の窓で判別できる(ほかにクーラーユニットの形状のちがいなどもある)。211系5000番台は「青春18」ユーザーにとっての一つの「関所」、静岡地区ローカルなどを中心に運用されている。

一方211系0番台のほうは、最近ラッシュ時の関西本線(名古屋-亀山間)にも入ることが多いようだ。また、同じJR東海管内において、中央西線中津川-塩尻間ローカルにもJR東日本長野色の211系0番台?が足を伸ばすようになった。


JR東海に在籍したキハ40系について、キハ40・48が大半、キハ47は5両だけだった。
キハ47は両運転台・両開き2ドアで、いわば近郊型電車417・717系などと同じスタイル。国鉄時代、近畿以西の西日本各地に配置される。もともと東海地区にはキハ47の配置はなかった。JR東海のキハ47は、旧天王寺鉄道管理局管内の伊勢運転区から引き継いだものによる。伊勢にいたキハ47は、当初福知山に配置され、豊岡→亀山→伊勢の順に転属。JR発足後、しばらく伊勢所属でキハ58などと混結編成を組んで紀勢本線・参宮線などで活躍ののち、名古屋に転属して武豊線、そして最終的には美濃太田に転じて高山本線・太多線で最後の活躍をし、2015年に廃車。

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高山本線で活躍していたキハ47×4連
(「姫ココの気ままに撮り鉄ブログ」さまより拝借)

キハ30も同じく天鉄局の伊勢区から引き継がれた。ロングシート・3ドア車・キハ35系の両運転台で、同系列は未だ非電化だった関西本線奈良-湊町間の混雑緩和を目的に製造されたため、天鉄局管内では大所帯を誇っていた。しかし、電化路線の広がりおよび老朽化のため国鉄時代末期までにかなり廃車されたこともあり、JR東海では異色の存在だった。しかし皮肉なことに、2015年よりキハ25系1000番台という3ドア・ロングシート車が登場、特に紀勢本線においては、キハ35系が活躍してた頃を彷彿とさせるものだろう。1989年ごろまでキハ30も紀勢本線・参宮線・名松線で活躍するが、キハ11の登場により大半が廃車、キハ30 51号のみ保存目的で美濃太田に2008年まで在籍していた。

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JR東海に6両受け継がれたキハ30
(「絶対!乗り物中心主義」さまより拝借)



103系通勤型電車は東京・大阪都市圏の通勤型電車でお馴染みだが、名古屋でも通勤客の急増する中央西線用に一定数投入され、JR東海に受け継がれた。中央西線では大阪でも実現しなかった最大10両編成で運用されていた。国鉄時代は京浜東北線や京阪神緩行などと同じ青色だったが、JR東海誕生から2年ほど経過してJR東海オリジナルカラーに塗り替えられると同時に、当時増備中の211系5000番台に準じた内装アコモデーションにリニュアルされた。その後、一時期関西本線ローカルにも進出したこともあるが、1999年から313系の大量製造が始まり、103系は早くも全廃に追い込まれた。




2006年12月、所用で堺市に行くため、「スルッとKANSAI 3Dayチケット」を使った。
その帰りは、光明池・河内長野・橿原神宮前などを寄り道する大回りの旅に出た。

まず、泉北ニュータウンの南側にある光明池駅から南海バス【1】河内長野行きに乗る。この路線系統は河内長野営業所担当で、光明池・泉北ニュータウンでは少し異色の存在とも言える。R480~R170旧道を走行、ローカル国道の旅が楽しめる路線だ。R480に入るや、ニュータウンの風景から一転、田舎道の雰囲気に変わる。全区間乗り通して600円ぐらいだったと思うが、南海バスの運賃は京阪・阪急バスでは信じられないほどの割高感がある。冬の夕方だったので既に日は傾いていた時分だったかと思う。

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河内長野営業所管轄の【1】系統だが、珍しく三菱ふそうエアロスターが入っていた


河内長野からは近鉄電車乗り継ぎの旅となる。河内長野駅では南海高野線と近鉄長野線が接続しているが、近鉄の行先表示には「長野」と旧国名を略して表記され、一瞬長野県と勘違いしてしまいそうだ(→最近、旧国名も省略せず「河内長野」と表示案内する例が増えている)。まず、古市まで準急|大阪阿部野橋行きに乗る。古市で橿原神宮前行きに乗り換える。列車種別は普通なのか準急、急行なのかは覚えていない。南大阪線でも、古市以東の普通はワンマン運転が行われていて、支線の長野線よりもローカル化している印象さえある。古市を境に旅客需要が大きく変わるため、古市駅では電車の増・解結作業を見る機会が多く、阿部野橋へ向かう電車は古市で増結される。

橿原神宮前の駅ナカはなかなか楽しい。橿原線と南大阪・吉野線とでは出自が異なるゆえ、レール幅も違うままで直通運転が不可能なので、乗り換えが必要だ。しかし、両のりば間の連絡通路には、喫茶店・食堂・土産物屋・ベーカリー・コンビニ・ドラッグストアなどが並んでいて、乗り換えの間に一息つくのも良い。急行|京都行きに大久保まで乗る。大久保から京阪宇治まではバス(京阪シティバス【21】号経路)で移動。

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「京阪シティバス」も過去のものに


宇治からは、2600系0番台の乗り継ぎの旅となる(笑)。宇治線中書島までは試作クーラーの異端車2621F、隣の2番ホームにやってきた急行|淀屋橋行きも7連化された2600系0番台で、京都側先頭車はなんと2601号だった!

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地下鉄烏丸線の10系初期車(1981年製造)6両×9編成が2021年に新型車両に置き換えられることになったようだ。Twitterで拾った情報によると、最終的に8連化(4連×2本に分割可能)を目指すようだ。

烏丸線のホームは8連運転が可能なようになっているが、問題は近鉄への乗り入れがどうなるか。
近鉄京都線内は最高で6両編成なので、今から8両対応工事をするとなると相当大掛かりな設備投資になりそうだ。
もしかしたら、近鉄との相互乗り入れは廃止なのか、と思ったりもしたが、「4両に分割可能」というのがミソで、近鉄線内は4両編成で運用という見方が有力だ。

現状では近鉄乗り入れは30分に1本(普通|新田辺行き)が基本的だ。せっかく近鉄奈良まで乗り入れる急行も増発されたが、2012年ダイヤ改正で大幅削減され、1988年の相互乗り入れ開始の時に戻ったかのようだ。近鉄との相互乗り入れもあまり意味をなしていないようで、近鉄線内から京都駅でJR・新幹線に乗り換える人はそもそも追加運賃の必要な烏丸線直通電車には乗らないし(間違って乗ってしまって地下鉄京都駅に着いたら不足運賃が請求されるということはよくあるが)、近鉄京都線のダイヤを複雑化しているだけで、むしろ廃止したほうが良いかもと思ったりした。

しかし、竹田から先、近鉄線内を4両編成で運転するということなら、現実的な対応策として考えうる。近鉄京都線内での6連普通は特に昼間は輸送力過剰なように見える。4両運転となると、近鉄側としても当然、3200・3220系の編成組み換えが行われることになろう。

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先日、大阪・梅田へ出かけたついでに大阪市営バスの写真を久しぶりに撮影。
まだ方向幕車が意外にも多かったことに少し驚きました。

全国各地のバス事業者で行先表示のLED化がかなり進んでいるが、その中でも頑として方向幕使用を守っている公営バスがあります。それは京都市バス。京都市バスにもLED車は少し導入されているが、行先表示を色で分けるようにしたため、見やすいように方向幕使用を続けているようです。

大阪府最北端の能勢町内には阪急バスのほか、かつては旧・京都交通も亀岡方面から乗り入れていた。

実はもう一つ、兵庫県篠山から国鉄バス(園篠線の支線・園篠南線または西能勢線)も乗り入れていた。
篠山市(当時は多紀郡篠山町)の中心部・本篠山からR372を東に進んで福住(かつての国鉄篠山線終点。国鉄バス園篠線は園部および篠山口駅から篠山市内中心部への路線をはじめ、市内および周辺各地への支線系統によって一つの路線網を形成していて、西能勢線はその一つ)というところから、R173を南進、天王峠を越えて、能勢町の最北端・天王集落からはらがたわ峠を越えて能勢町の中心部へ下り、西能勢(阪急バス「森上」バス停と同じ場所)というところまでの路線バスがそれだ。

しかし、能勢町に国鉄バスが乗り入れていたことを知ったのは、かなり後になってからのこと。
1987年のJR発足直前になって国鉄バス(→西日本JRバス)園篠線もかなり整理され、能勢町への路線系統が廃止されたとのこと。そもそも府県境をまたいで能勢町と篠山市の間を利用する人は少なかったようで、主に天王集落から能勢町中心部への地域住民の足として重宝されたことだろう。実際、天王(国鉄バスのバス停名は「摂津天王」)までの能勢町内区間便もあったようだ。国鉄バス廃止後、森上~天王間に阪急デマントバスが運行されるようになるが、10年後の1997年、天王への路線バスは廃止されたようだ。その後、過疎化がさらに進み、2015年春、140年間続いた天王小学校も閉校となった。

現在、篠山市内から西日本JRバスは完全撤退、神姫グリーンバスが一括管轄している。ただし、園篠線の残滓である園部~福住間は京都交通に譲渡されたのち京阪京都交通に引き継がれ、現在も運行中だ(福住で神姫グリーンバスの本篠山行きに接続)。

<参考記事>
園篠南線(Wikipedia)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%92%E7%AF%A0%E5%8D%97%E7%B7%9A

【摂津天王】ほか(阪急バス路線物語)
http://hkbusst.blog106.fc2.com/blog-entry-2589.html

能勢町立天王小学校ホームページ
http://www.town.nose.osaka.jp/tennou_es/tennotop.htm


かつて、京都交通バス(現・京阪京都交通)は亀岡から府県境を越えて大阪府豊能郡豊能町・能勢町、そして能勢妙見山をめざして少しだけ兵庫県川西市にも乗り入れていた。

広大な能勢町においては町内をかなり満遍なく路線網を有していて、亀岡市の湯の花温泉に近い本梅(もとめ)車庫を拠点に、R477号を南下して能勢町に踏み入っていた。南は能勢電妙見口駅(川西市を跨いで豊能町)、西は能勢町役場よりさらに進んでR173沿いの今西というところまで足を伸ばしていた。

能勢町内にはもちろん阪急バスも乗り入れていて、能勢営業所を構えていたが、経営環境悪化のため2012年猪名川営業所に統合される。阪急バスは能勢電山下駅前(1985年以前は池田発着が多かった)からR173経由で能勢町宿野を結ぶ経路が主力で、一部は倉垣・杉原方面にも乗り入れている。

これとは別に、亀岡からR423を南下して豊能町に入り妙見山までの路線系統もあった。現在も、大阪府境手前まで京阪京都交通のバスが運行されており、池田からの阪急バス終点・「牧」バス停にも近く、乗り継ぎしようと思えば可能だ。面白いのは、休日のみ運行の京都駅から妙見山までの長距離バスだ。京都駅から亀岡までR9(五条通)経由、亀岡からはひたすらR423を南下、牧・余野を経て、野間から妙見山に分け入るという経路で、少しだけ兵庫県川西市にも越境していた(2003年ごろまで運行)。

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京都駅発妙見口行きのバス(西急安普さまより拝借)


京都交通の経営悪化に伴い、2003年ごろより豊能町・能勢町内への乗り入れが完全撤退する。もちろん本梅車庫も廃止。その後、2005年には京阪バスグループの救済により「京阪京都交通」が発足、南丹市(園部町)以南の路線を引き取って運営することになる。北部の福知山・舞鶴方面は日本交通グループの新「京都交通」に継承される。

能勢町内の旧・京都交通路線は、妙見口駅を拠点に阪急バスが再編担当する。能勢営業所が担当していたが、同営業所の廃止により、現在猪名川営業所が管轄している。

(追記)
京都駅発妙見口行きバスの写真をGoogleで探し、追加で貼らせていただきました。
「五条通経由」と書いてしまいましたが、えびちゃんさんのコメントを読んで、七条通から阪急桂駅を経由するということを思い出しました。ありがとうございます。


2014年5月、バイクで亀岡市(西別院)のR423から府道732号を西に進んで能勢町を回ってみた。
京都・大阪府境から少し行ったところに、阪急バスの停留所が現われ、さっそく能勢町に入ったことを実感。
「杉原」というバス停であり、能勢町の中心部にあたる宿野というところから発着している(1本だけ、宿野から先、兵庫県川西市の能勢電山下駅前まで直通)。もちろんのこと、バスの本数は下の写真の通り、1日3本だけで土曜・休日運休。

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ここ杉原地域から宿野など能勢町の中心部へ行くには、峠を2つ越えなければならない。杉原は能勢町の東の外れのところにあって亀岡市街地・保津峡へ下る桂川支流・犬飼川の流域だ。さっそく杉原から西へ進むと堀越峠に差し掛かり、倉垣という地の谷間へ下る。さらに西へ進んで、今度は逢坂峠を越える。

能勢町内の阪急バスは現在、猪名川営業所が担当しているため、全て神戸ナンバーだ(2012年まで能勢営業所があったが合理化で廃止)。かつては旧・京都交通も亀岡方面(本梅車庫)から能勢町および妙見口駅(豊能町)まで乗り入れていたが、能勢町内の路線は妙見口駅を拠点に阪急バスに移管整理される形で廃止された。京都交通バスは大阪府能勢町ばかりか兵庫県川西市にも少しだけ越境していた。


今回は近場のジーンズ(デニム)ショップについて書いてみる。

最近のジーンズセレクトショップといえば、大手チェーン店のRightOnなどが思い浮かぶだろう。
もっとも、安いので良いのならユニクロとかでも買える。ユニクロのデニムもなかなか作りはしっかりしていて、国産最高級・岡山児島産のものにも負けない。

しかし、Levi'sとかLee、およびその他高級ブランド品にこだわる人には、もちろん物足りないだろう。私個人としては、今1万円前後のホワイトパンツ(デニム)が欲しいと思っているが、ホワイトデニムの品が豊富に揃っているお店はそう多くないようだ。

独立系のジーンズセレクトショップを探すのも近頃はかなり難しいようだが、大阪北部(北摂・北河内)でおススメのセレクトショップを一つ紹介する。それは、吹田市江坂にあるRex One(レックス・ワン)

http://www.rakuten.ne.jp/gold/rex-2nd/

楽天市場にも出店していて、実際に購入したことがある。このお店は楽天スーパーポイント10倍を開催することも多い。しかし、できれば、一度実店舗まで足を運んで試着することをおススメする。

江坂駅前からR479号(中央環状線)を西へ進んだところにある。
店舗は作業服の店のような雰囲気だが、店員さんは親切丁寧で親身になって相談に乗っていただける。
多くのアパレルショップにありがちな、「何をお探しでしょうか?」とかといった煩わしい接客がないので好感が持てる(店員の「ウザい接客」がイヤで通販で購入する人も多いが、実際に試着しないことには素材感・サイズ感がつかめず、サイズが合わないときやイメージと違っていたというときの返品・交換手続きに余分な費用がかかり面倒。セール品などは返品できないことも多く、高くつくことも)。

ここのお店は、Levi's、Lee、Edwinなど主要ブランドのアイテムが豊富に揃っているのが何よりだ。例えばLeeのカラーパンツが欲しくても売ってない店が多かったりするが、Rex Oneなら手に入りやすい。運悪くサイズ切れの場合でも再入荷することが多いようだ。

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先月末から営業運転を開始した京阪13000系13023編成。
きのう、13023Fの準急が来たので、感激して乗車しました。
続く13024Fも搬入を終え、試運転が始まりそうですね。

かつて、大津市石山から宇治川(瀬田川)に沿って宇治までを結ぶ路線バスがあった。

石山駅から京阪石山寺、南郷洗堰、曽束、天ヶ瀬ダムを経て京阪宇治に至る、宇治川渓谷の観光ドライブのための路線だった。かつて石山~宇治間に宇治川汽船の遊覧船があったが、天ヶ瀬ダム完成および道路の整備に伴い、風景も大きく変わって利用客は減少、1977年ごろに廃止され、路線バスに転換される。京阪宇治交通と京阪バス(大津営業所)との共同運行。系統番号は京阪宇治交通担当便は【90】号系統、京阪バスは【10】号経路(快速)だった。宇治川ライン線についての詳しい歴史などは、「青いバス停」ブログに興味深い記事が沢山掲載されている。

http://contrapunctus.blog103.fc2.com/blog-category-16.html


私は実際に宇治川ライン線を全区間乗り通したわけでもないのでよくわからないが、1984年のGWに家族で天ヶ瀬ダムへ遠足に行ったときに京阪宇治~天ヶ瀬ダム間だけ乗車したことがある。当時天ヶ瀬ダムにアスレチック公園があり、そこで遊んだ。帰りはなんと石山からやってきた【90】号系統で、行楽客で混雑していたように記憶している。

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天ヶ瀬ダム

しかし、1980年代後半より、宇治~石山直通系統は太陽ヶ丘・宇治田原・小田原経由に変更され(京阪宇治交通のみ)、天ヶ瀬ダムから宇治川ラインを経由する便は年々減らされるようになる。京阪バス【10】号経路も、1980年代前半まではBタイプ大型車(三菱MR470)が使用されていたようだが、需要低下により中型車(三菱P-MK116J)で運用されるようになる。そして、1993年6月の大津営業所移転に伴うダイヤ改正で、【10】号経路は廃止。その後も京阪宇治交通担当便は残るが、確か冬季を除く休日のみの運転となり、1998年ごろまでに消滅する。

一方、1997年には、京阪宇治交通グループが天ヶ瀬ダムに地ビール「ガーデンズ天ヶ瀬」をオープン、樟葉駅・松井山手など宇治交通エリア各所からガーデンズ天ヶ瀬までの直通バスを運行する。しかし、利用客は伸び悩み、2005年ごろまでに閉鎖されてしまった。

現在、天ヶ瀬ダムへの路線バスさえもなくなってしまった。


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「京阪時刻表1982」より 宇治川ライン遊覧バスの時刻表と路線イラスト


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天ヶ瀬ダムへの路線バス廃止後、貸切バスが来ていた(2010年5月)



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京阪京都交通に継承された旧・京都交通のブルーリボンです。
ナンバーが「京22」であり、昭和を感じさせますね。

ちなみに、京阪宇治交通からナンバーそのままで京都交通に移籍したエアロスターMもありました。

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残り少なくなった環状線103系。
森ノ宮の103系(オレンジ)先頭車は現在、高運転台車ばかり、低運転台車は過去のものとなってしまったようです。環状線での低運転台車は大和路線から区間快速で乗り入れてくる奈良の103系(ウグイス色)で今も見られます。
いよいよ323系の営業運転も始まり、環状線からは103・201系が撤退する予定です。103系はおそらく廃車、201系はおおさか東線新大阪延伸を控えて奈良へ転属することが予想されています。


宇治市北部の玄関、六地蔵。

山科川を挟んで京都市伏見区との境界にあたり、京阪宇治線とJR奈良線、京都市営地下鉄東西線の接続する交通の要衝でもある。京阪六地蔵駅は伏見区、JR・地下鉄の六地蔵駅は宇治市にそれぞれ所在し(京都市営地下鉄の駅なのに宇治市にあるとは面白い)、少し離れている。京阪六地蔵駅から醍醐、山科、御蔵山方面へのバス(京阪バス、京都京阪バス)が発着している。もともと京阪六地蔵駅しかなかったが、1992年にJR六地蔵駅が開業、そして2004年には地下鉄東西線が六地蔵まで延伸、JRと地下鉄は直接乗り換えが可能となる。JRは快速も停車するようになり、JR・地下鉄の駅のほうが賑わっているようだ。

六地蔵周辺には大型商業施設が3つあって競合している。イズミヤ、momoテラス、イトーヨーカドー。
しかし、周辺の人口規模の割には供給過剰なように思われる。もともとイズミヤ一つだけだったが、1997~98年にmomoテラス、イトーヨーカドーが相次いでオープン、イズミヤもこれに対抗すべく増床。momoテラスには近鉄百貨店桃山店も入る。ただでさえ渋滞しやすいところだが、これら3つの商業施設のためにさらに渋滞しやすい道路環境となっている。

しかし、2014年にmomoテラスから近鉄百貨店が撤退、そして来年2月ごろイトーヨーカドーも閉店予定となる。
私も時々バイクでこの付近に寄ることもあるが、イトーヨーカドーはあまり流行っているようには見えなかった。紳士衣料品についてはイズミヤ・ダイエー・イオンのものよりはもう少し洗練されていると個人的に感じているが、あえてここで買うほどでもない。momoには行ったことはないが、地元・枚方の近鉄百貨店も閉店するぐらいだし、桃山店も苦しかったことだろう(→京都からは近鉄百貨店は完全撤退)。衣料品を買うなら、京都駅もしくは四条河原町まで行くだろう。

1988年ごろのGWに、どういうわけか「ふれあいスポーツDAIGO」の迷路へ家族連れで行った。京阪六地蔵駅から徒歩、そこは現在momoテラスの入っているところ。迷路で遊んだ後、イズミヤのフードコートで昼食を取って帰宅。実はこの年のGWには運悪く、風邪の下痢で寝込むことになって遠出ができず、体調の回復するGWの終盤に六地蔵へ行くだけだった。でも、せっかく六地蔵を訪れたのなら、当時の京阪バス・京阪宇治交通(→京都京阪バス)も味わっておきたかった。

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