2017年01月


久しぶりに京阪バス高槻営業所関係のネタを書いてみたい。

高槻営業所管内は運用範囲が狭くて路線系統もあまり多くないので、趣味的な面白さには事欠ける(笑)。

しかし、高槻管内は収益性の高い枚方高槻線・枚方茨木線を主幹として運営しており、営業実績は良好だ。今までに廃止された路線系統も、【2】<香里団地~阪急高槻>ぐらいで、それだけ堅実な旅客需要に支えられていることを示していると言える。さらに、近年、寝屋川茨木線で寝屋川市にも進出を果たし、【直通】<寝屋川市駅~摂南大学>も担当している。一方、枚方営業所管轄の【早バス】が長尾方面から阪急・JR高槻まで運行するようになり、一つ賑やかになった。


さて、今回は、レアな路線系統【6】【6B】号経路についてレポートしてみることにした。

枚方茨木線の路線系統で朝と深夜のみに運行される。
運転区間・経路が実は少し複雑で、

【6】白川三丁目~白川二丁目~白川住宅口~阪急茨木~JR茨木
【6B】JR茨木→阪急茨木→白川住宅口→白川二丁目→白川三丁目→西切→竹ノ内町(東行きのみ)

であり、JR茨木始発の【6】号経路(東行き)も運転されていない(全て阪急茨木始発)。

白川住宅界隈は茨木市内でありながら、京阪バスの独壇場となっていることは、少し興味深い。高槻市との境界にあたり、すぐ近くの玉川橋団地には高槻市営バスも発着するが本数は非常に少なく、ほぼ京阪バスの独占状態となっている。もっとも、茨木から富田・石橋・忍頂寺・余野方面のバスも、昔(阪急京都線が新京阪だった時代)は京阪バス茨木営業所が運営していたが、終戦後に京阪神急行電鉄(現在の阪急と京阪が合併)から京阪が分離独立した(1950年)のに伴い、茨木営業所は阪急バスに譲渡され、今日に至る。

【6】【6B】号経路は、玉川橋団地を経由しないので、注意が必要だ。

P9050001


9000系9004Fに続き、今月9003Fも7連化されました。

今年は9000系デビューから20周年。
1997年ダイヤ改正では、特急の朝ラッシュ時淀屋橋行き限定で枚方市に初めて停車することになりました。朝の枚方市から大阪方面行きは混雑が激しいため、特別の対応が迫られ、9000系が8連×5本新造されました。

9000系は、2年前に登場した一般車7200系と同じ車体デザインで3ドア車としながら、昼間の特急運用にも対応するよう、車内はセミクロスシートとなりました(ほかに窓の寸法など細かい点で7200系と異なる)。ただし、転換式の8000系などとは異なり、固定式だったためあまり好評ではなかったようです(それでも急行・準急など下位種別では乗り得列車でしたが)。

P9050003
クロスシート時代の9000系車内

ただ、2008年中之島線開業に合わせて3ドア・転換クロスシート車の3000系が作られ、9000系の本来の役目は3000系に譲ることに。2011年ダイヤ改正までは主に枚方市折り返し特急などで活躍していました。9000系の新塗装化と同時に、全編成ロングシート化改造を受けることになりました(9005Fについては2002年に中間車4両を試行的にロングシート化)。

さらに、特急の枚方市・樟葉終日停車開始以降、一般車8連が余剰気味となり、この状況のもと2015年より9000系の7連化改造が順次行われています。2017年1月現在、9005Fのみが8連で、他は7連化されています。7連化された9000系は、他の一般車と共通で準急・普通を中心に下位種別で使用されています。

考えてみれば、9000系はかつての特急車1700・1800・1900系と似たような運命ですね。一時期特急運用向けに改造を受けた1300系(ただしロングシートのまま)にも似ているように思います。

9000系の後釜となった3000系も、中之島線の予想以上の不振ゆえ、本来の役目を発揮できず、8000系に混じって終日特急で使用されていますが、3000系特急は「はずれ」とされているみたいです。来月ダイヤ改正で8000系はプレミアム車改造のため全編成暫定7連化され、8連特急は3000系ほか一般車のみとなる予定です。





京阪バス山科営業所管内の路線は複雑に入り組んでいて、さらに狭隘区間も多くカオスだ。慣れない人には経由地がつかめず、戸惑いやすい(寝屋川・交野営業所管内もかなり複雑な路線系統が多い)。

実際乗ったことはないが、ちょっと面白そうな路線系統を一つ紹介してみたい。
それは、【86B】号経路・<三条京阪~醍醐寺~醍醐バスターミナル>。

運行経路は、

三条京阪~河原町三条~四条河原町~河原町五条<東行き>/祇園<西行き>~五条坂~馬町<西行き>~川田清水焼団地~大石神社~国道東野~椥辻駅~小野駅~醍醐北団地~醍醐寺前~石田~石田駅~醍醐駅~醍醐バスターミナル

で、小野駅・醍醐寺・石田界隈の経路が行ったり戻ったりしてこれまた複雑だ。ただし、国道1号線(五条通)においては河原町五条から国道東野までそのまま道なりに走行するので、他の系統に比べてわかりやすいだろう。京都市バス旧・【東8】系統<四条河原町~五条坂~国道東野~小野~石田~醍醐車庫>の流れを受け継いでいる。

この路線系統は、三条京阪・四条河原町から醍醐寺前・石田まで直通する唯一の路線系統という意味で、面白い。

運行本数は昼間時間帯(11~16時)毎時1本のみで多くない。三条京阪から五条通方面への京阪バスは、ほかに

【87B】西野山団地・醍醐駅・小栗栖団地経由 京阪六地蔵行き
【88B】清水焼団地・栗栖野・醍醐駅・小栗栖団地経由 京阪六地蔵行き

が昼間時間帯毎時各1本ずつ運行されている。夕方16時30分~17時台は【84B】醍醐バスターミナル行き(西野山団地経由)のみとなる。

一方、醍醐バスターミナルからの西行きは、夕方16・17時台は【86B】の代わりに【86】四条河原町行きとして運行される(都心部を循環運行して醍醐に戻る)。【86】号経路は市バス【東8】系統と完全に同一経路だ。

東行きは始発・三条京阪からの利用客は少なく、四条河原町から混み出す。西行き(三条京阪行き)は、観光客の多い五条坂~祇園~四条河原町間で特に混雑しやすい。


P3250021

P3250020

P3250019

P3250023

JR加古川線の西脇市駅。
かつては「野村」駅で、鍛冶屋線が分岐していました。
西脇市街地へは鍛冶屋線・西脇駅が一番便利だったため、鍛冶屋線は加古川線加古川-野村間と一体的に列車運行していました。せっかく西脇市街地へ便利だったにもかかわらず、鍛冶屋線は国鉄末期に廃止対象路線に選定され、1990年廃止されてしまいました。
鍛冶屋線廃止後、「西脇市」に駅名を改称しましたが、すぐ近くを通る神姫バスの停留所は「野村」のまま。
あとになって、西脇市駅前までバスが乗り入れるようになりましたが・・・。



枚方市東部にある一つの公立中学校、杉中学校。

杉中学校は1982年、杉四丁目にて開校。
大阪国際大学枚方キャンパスの近くにあり、王仁公園からも近い。

枚方市東部(国道1号&府道18号以東)、こと旧・津田町にあたる地域(郵便番号573-01)は、生駒山系(京阪奈丘陵)の麓にあたり、新興住宅地と田園地帯・里山が混在している。西側の京阪沿線に比べてのどかな地域で、1970年代後半まで津田中学校が枚方市東部唯一の公立中学校だった。しかし、東部地域においても工場団地(家具団地、既製服団地)設置および宅地開発の波が押し寄せて人口は増加の勢いを見せ、1979年長尾中学校が長尾北町三丁目に開校。その3年後の1982年、杉中学校が開校する。また1986年には、長尾谷町に長尾西中学校が開校(近くの「西長尾小学校」と混同しやすい)。

さて、杉中学校だが、この通学区域が驚くほど実に広い。

氷室小学校(尊延寺)、菅原東小学校(藤阪東町)の通学区域全域に加え、藤阪小学校からも一部杉中に進学する。言い換えれば、基本的に「JR学研都市線より東側の地域」のうちの北側であり(旧・菅原村、氷室村)、藤阪東町・長尾台・長尾東町・杉・氷室台・尊延寺・穂谷などが該当する。大阪府最東端のある地点(京田辺市との境界)までが通学区域ということになる。穂谷および大字尊延寺からはかなり距離があるため、自転車・バス通学が認められているとか・・・。ただ、あまり平坦な地域ではないので、自転車通学も少し大変だろう。

そればかりか、藤阪小学校の通学区域の一部も杉中学校に加わったため、学研都市線西側、藤阪ハイツ(藤阪西町)や長尾谷町三丁目からも杉中に通学することになっている(以前は長尾西中の通学区域だった)。

杉中の通学区域は、藤阪ハイツから穂谷・尊延寺まで、東西に長く広がっているわけだ。
京阪バス京田辺営業所がカバーしているエリア(藤阪ハイツ、枚方カントリー、大阪国際大学、穂谷)とほぼぴったり重なっている。

通学区域が広いため、友だち付き合いは少し大変かもしれない。
起伏の大きい地域ゆえ自転車は少しきつい、中学生なのでバイクに乗るわけにはいかず(非行防止の観点から、高校でもバイク免許取得が禁じられているところが多い)、バスも本数はあまり多くなく乗り継ぎに苦労する・・・。


久しぶりに京阪バス寝屋川界隈の記事を書いてみたいと思った。

今回は、廃止された【13】号経路についてレポートする。
寝屋川市駅と古川橋駅(門真市)を結ぶ路線系統だが、その運行経路がかなり複雑で、

寝屋川市駅(西口)~寝屋川車庫~菅原神社前~摂南大学~(国道1号バイパス)~点野~仁和寺~大久保~古川橋駅

というものだったようだ。寝屋川市駅~摂南大学~点野~仁和寺間は【5】号経路、仁和寺~古川橋駅間は府道15号線<八尾茨木線>を走行、【15】号経路・<京阪守口市駅~古川橋駅~仁和寺>(廃止)と同じだった。2004年3月廃止。古川橋駅はおそらく北口(試験場前方面行きのりばの南側ロータリーでないほう)だったと思う。

一度だけ、摂南大学から寝屋川市駅までこの【13】号経路に乗車したような記憶がある。1980年代末のことだったかと思う(何かの模試を受けに行った帰りだったはず)。

1980年代当時、寝屋川市駅(西口)から菅原神社前方面へは、この【13】号経路のほか、

【12】寝屋川市駅~木屋~ダイエースーパー~寝屋川市駅(循環)
【16】寝屋川市駅~木屋~枚方公園口~枚方市駅北口

など、いろいろ面白い路線系統が発着していた。

かつて、寝屋川営業所は、京阪急行線(→その残滓が【1】<京阪京橋~寝屋川市駅>、【16】<寝屋川市駅~枚方市駅>)を担当していたらしく、交野営業所開設以前は寝屋川市東部の太秦・高宮・寝屋川団地・三井団地方面なども管轄していたようだ。なお、狭隘区間のある星田線【41】号経路は枚方営業所が担当していた(上記【16】号経路も一時期枚方営業所が担当)。


先日、京都市の行政区全面的に再編したほうがよいのでは、という記事をエントリーした。

http://katanogawara.blog.jp/archives/12551534.html


京都府全体についても、やはり市町村再編が望まれるのではないか(他の都道府県についても同様だが)。

まず、大きなポイントは

◎綾部市以北の中丹・丹後地域を兵庫県但馬地方と合わせて、「豊岡県」をつくる

明治初期の廃藩置県の頃、北近畿一帯が一つの「豊岡県」だった時期がある。現在の福知山市・舞鶴市以北の丹後半島および兵庫県北部の丹波・但馬地方全体で「豊岡県」を構成していた。当時、綾部市(旧・何鹿郡)以南の現在の京都府にあたる地域が、「京都府」だった。

新・「豊岡県」は基本的には明治初期の豊岡県と同じものでよいと思うが、篠山市・丹波市の加古川流域については、むしろそのまま兵庫県のほうが理にかなっている(丹波市の旧・春日町と市島町を豊岡県にすればよい)。明治初期の京都府がなぜ「綾部市以南」までだったのかは少し気になる。また、「京丹後市」はもちろん名称の変更が必要だし、やはりいくつかの町単位に分けるほうが、住民生活者の目線で理想的だろう。「京都丹後鉄道」も当然のことながら、元の「北近畿丹後鉄道」などに改称する必要がある。また、福知山市も豊岡市もとにかく広くなりすぎたので、ここもやはり住民目線での再編が必要だろう(観光地のネームバリューを高めるべく、大江・出石・城崎の町名復活も望まれる)。

ついでに兵庫県も、南東部・猪名川流域の尼崎・伊丹・川西市および猪名川町は大阪府に編入するほうが自然ではないかと思う(現に市外局番は大阪府扱い)。


新・「京都府」は、現在の船井郡京丹波町および南丹市以南とする。

まず、南丹市の再編が必要だろう。中央分水嶺をまたいで日本海側と瀬戸内海側の両側の地域を抱える南丹市だが、やはり

(旧)八木町・園部町・日吉町(+亀岡市の一部縁辺部) → 新・園部市
(旧)美山町 → 新・美山町

あたりが、地理的条件からして一番自然だろう。

京都市の縁辺部については、先の記事でコメントしたように、

伏見区醍醐一ノ切町~三ノ切町(郵便番号520の地域) → 滋賀県大津市
伏見区桂川右岸 → 向日市、長岡京市
伏見区淀 → 久御山町 または 新・淀町
伏見区向島 → 久御山町 または 宇治市
南区桂川右岸 → 向日市
西京区府道6号線付近 → 大阪府高槻市
右京区嵯峨堀畑 → 亀岡市
右京区京北町 & 左京区花背・広河原 → 新・京北町
左京区久多 → 滋賀県新・朽木町(旧・朽木村と合併)

ぐらいが、地域的つながりの観点から自然だろうと思われる。

八幡市の男山丘陵西側の地域は、典型的な大阪のベッドタウン住宅街であって大阪府枚方市樟葉(くずは)の生活圏にあたり、枚方市(ただ、これだと枚方市が広くなりすぎるので、枚方市北部と一体で「くずは市」もあり)に越境編入するほうがまとまりがよいだろう。実際、八幡市制化(1977年)直後の1980年代、枚方市との越境合併を求める住民運動が活発だったという。ただし、石清水八幡宮のある男山山上は、地形的に京都盆地の縁辺部にあたり、「平安京を裏鬼門から守る」ための神社としての歴史的文脈からして、京都府のままのほうがよいだろう。

一方、淀川・桂川対岸の大阪府島本町は、京都府(大山崎町)に越境編入しても違和感はなさそうだ(市外局番、郵便番号とも京都府扱い)。

「平成の大合併」が一段落する頃に誕生した木津川市(相楽郡木津・山城・加茂町を合併)については、やはり不自然さは拭えない。(旧)木津町と精華町を合併して一つの市を構成するのならともかく(精華町は結局合併に参加せず)、木津川対岸の山城町までを巻き込むのはいかがなものか。山城町は井手町(綴喜郡)と合併するほうが良かった。浄瑠璃寺・岩船寺などのある東側の加茂町も単独のままのほうがよかったように思う(あるいは相楽郡東部の笠置・南山城と合併するほうがまだよい)。

木津川市や相楽郡など、奈良に近い最南端の地域は、奈良県と思われやすく、いっそのこと奈良に編入したほうがよいかと思いきや、地形的には京都盆地の南縁辺部であり、微妙なところだ。


「枚方つーしん」の記事で、

「中学校のとき、どこで服を買っていましたか?」


という、面白いアンケートがありました(2016年11月~12月)。

http://www.hira2.jp/statistics/20161212.html


回答結果について年代別にレポートされているのがこれまた興味深いです。

10代では、全体の回答数は少ないが、

「しまむら」

がトップで、さすが今時の子どもなんだなぁ、と思いましたね。

しかし、20代30代では、

ビオルネ(ビブレ・サティ・イオン)

が首位。

ただ、どの年代も、イズミヤで買った人は多かったです(特に40代以上は「イズミヤ」がトップ)。


私(管理人)個人も、やはり中学時代はイズミヤまたはダイエーで両親と探して買ってもらっていました。
大学時代~20代になると、ビオルネが多くなるが、イズミヤで買うこともまだまだ多かったです。
また、単価の高いスーツやコート類などアウター系を中心に、枚方近鉄百貨店で買っていました(これも両親に見てもらったりした)。

最近は、カジュアルな普段着は基本的にユニクロもしくは通販(楽天市場)で購入することが多いです。
スーツやコート類、靴など第一印象を左右するアイテム、あるいはよそゆきな綺麗めのものにはそこそこお金を掛けたいもので、梅田・心斎橋・四条河原町の百貨店や専門店へ探しに行きます。
ジーンズ・デニム類も、通販で買う前にやはり試着してサイズを合わせるほうが望ましいですが、枚方・寝屋川近辺にいいデニムショップがなかなか見つからなくて困っています(くずはモールやイオンモール内の大手チェーン店で買うことももちろん可能だが、40代以上の大人向けな雰囲気ではなさそうだ。昔はビオルネのジーンズショップで買うことが多かった。ユニクロのものは安くて良くできているが、やはり世界的ブランドのLevi'sなどにあこがれる人も多い)。実は、去年秋、電車で尼崎の店まで行って、Levi'sのホワイトデニムを買いました。


関西 大人のための推薦デニムショップ
http://katanogawara.blog.jp/archives/8420594.html

京阪間郊外における大人のメンズカジュアル店について
http://katanogawara.blog.jp/archives/5662959.html



Twitterで拾った情報によると、京阪バス京田辺営業所に新車2台が入ったとのことです。
日野ブルーリボンKV290で社番N-3306と3307。

京田辺営業所の新車は2014年春のエルガN-6238以来のこと。
代替が気になるところですが、京田辺には幕車は既にいないので、レインボー10.5m車(うなぎ)あたりでしょうか?

2016年度の新車は、ブルーリボンKV290は枚方・男山・京田辺、エルガLV290は高槻・香里団地・交野・門真にそれぞれ配置されたことになります。寝屋川の幕エアロスターにも近いうちに動きがありそうですね(もしかしたら、ここだけふそうエアロスターMP38で置き換えるのか?)。


京都市の行政区を見ると、地域的まとまりの実態と合わない例が目立つようだ。

特に東西方向に広がりすぎている伏見区。
伏見区の分区構想は昔からいろいろあるようだが、まず東山丘陵の東側、山科盆地の醍醐・小栗栖地区は地形的・文化的に山科区とのつながりが強く、あの地域は山科区に編入するほうが自然だろう。ほかに、宇治川左岸の向島地区、桂川右岸の久我・羽束師地区などは隣の市・町に編入するほうがまとまりが良さそうだ。

とにかく京都市は、縁辺部を中心に近隣市町村、地域によっては他府県へ越境編入するなど、行政区の再編が必要のようだ。市の境界が直線・直角を描いているところも目立つが、やはり人工的な不自然さを感じる。行政区の数と名称自体は現状のままとして、例えば、


伏見区醍醐・小栗栖地区→山科区に編入
伏見区醍醐一ノ切町~三ノ切町→滋賀県大津市に編入
伏見区向島地区→宇治市または久御山町に編入
伏見区淀地区→久御山町に編入、または新「淀町」に(八幡市飛び地も吸収合併)
伏見区久我地区→向日市に編入
伏見区羽束師地区&淀地区の一部(桂川右岸)→長岡京市に編入

南区久世地区→向日市に編入
南区吉祥院地区の一部(JR東海道本線より北側)→下京区に編入

中京区西ノ京地区→右京区に編入

北区杉坂・中川・小野地区→右京区に編入

右京区京北町&左京区花背・広河原地区→新「京北町」に
右京区嵯峨堀畑地区→亀岡市に編入

西京区大野原出灰地区→大阪府高槻市に編入

左京区岡崎・南禅寺地区→東山区に編入
左京区久多地区→滋賀県大津市に編入、または旧・朽木村と合わせて新「朽木町」に


京都市の現在の行政区構成が確立したのは、山科区・西京区の誕生した1976年(昭和51年)のこと。1970年代までの京都府・市政は非自民の共産党系が与党で、80年代以降全国的に広がった自民党中心の「オール与党」体制、そして現在の大阪府・市のなんでも「民営化」に熱心な維新系よりは、住民の立場に立って暮らし・教育・福祉に力を入れてはるかにマシだったかと思いきや(70年代は京都だけでなく大阪・東京など大都市圏を中心にいわば「革新自治体」が広がった。しかし、今では大都市圏ほど「保守化」傾向が顕著だ)、昭和の市町村合併の歴史を見ると、果たして昔からの地域的つながりの実情を重視していたかどうか疑問だ(平成の市町村合併はそれ以上に問題だらけの杜撰さが目立つ)。その中で、亀岡の南側、旧・南桑田郡樫田村の大阪府高槻市への越境編入は、京都における市町村再編の数少ない良い例だろう(あの故・蜷川虎三知事のもとにあって、京都市に近くて遠い陸の孤島状態の樫田村は芥川の大水害で苦しんでも満足な救援施策が得られず、村民全員高槻との合併を望んだことのようだ。もっとも当時の蜷川知事だけに責任を押し付けるのは酷で、明治期の廃藩置県にまで遡る必要がある)。あと、1980年代ごろ、八幡市の大阪府枚方市への越境合併を望む住民運動も熱心だったようだが・・・。


ちなみに、南丹市に吸収された美山町は、やはり茅葺の里・美山ブランドを守るべく「美山町」として独立するほうが理想的だろう。同じ丹波国・亀岡市の北側に位置してて「南丹市」というのも違和感がある。似たような地名・町名のある兵庫県側(「丹南篠山口」はドライバーに有名)も困惑していることだろう。南丹市の再編も望まれるところだ。やはり、

旧園部町・八木町→園部市
旧日吉町→日吉町
旧美山町→美山町

ぐらいが一番自然ではないか? あるいは、日吉町を新・京北町(旧・京北町+左京区花背・広河原)と合併するなら、同じ桂川上流域でつながっているので、まだ悪くないだろう。




京阪バス枚方営業所は車庫の規模(収容台数)が最も大きく、一般路線のほか関西空港リムジン専用車も配置されている。また、枚方発着高速バス(東京方面)の終点でもあり、関東方面からやってきた高速車は日中、枚方車庫で休む。

一般路線バスでは、現在枚方市駅を拠点として枚方市北部・東部を中心に担当している。

P1150001
枚方市駅北口からは出屋敷・長尾・くずは・牧野方面の路線が発着

PA300001
枚方市駅南口からは津田・長尾・穂谷方面系統が発着
ほかに「100円バス」や直Q京都号、クボタ送迎バスも乗り入れる

かつては枚方尊延寺線で新田辺とか(京阪宇治交通の樟葉・男山・八幡進出以前、八幡田辺線の運用にも入っていた)、樟葉駅から八幡・中書島方面、さらに一時期洛南営業所が担当していた淀・宇治・山崎・竹田方面の路線も広域運用をこなしていたし、交野営業所開設(1978年)以前は【16】・<枚方市駅~寝屋川市駅>や星田・四條畷方面、そして私市~田原地区~大和田など、やはり広範囲の運用を受け持っていた。

P9020013
かつては八幡地区の路線も担当していた

20071028122
新田辺で発車を待つ【81】天王・穂谷行き(W-3850)
現在、京田辺営業所が担当

しかし、現在の枚方営業所の一般路線運用範囲はさほど広くはなく、枚方市駅発着路線が主力となっている。
以前、八幡・中書島・京都南部方面の路線を受け持っていたときは中型車(三菱エアロミディ)も多く配置されていたが、現在大型車(ノンステップ)が大部分を占めている。大型車は旅客需要の高い枚方市駅北口発着の出屋敷線(関西外大・北片鉾・藤阪ハイツ・長尾駅・くずは方面)、および南口発着の尊延寺線(星ヶ丘病院・津田・長尾・穂谷方面)で主に運用されている。尊延寺線は以前、全て枚方営業所が受け持っていたが、津田駅・長尾駅以東~新田辺系統については基本的に京田辺営業所の担当となっている。

異色の路線系統として、早バス・<長尾口→枚方市駅→阪急・JR高槻>と折り返しの【1A】・<JR高槻→枚方市駅>がある。また、ユニークな「100円バス」(枚方市駅~田宮~星ヶ丘病院~ひらかた市民病院~枚方市駅)の運用にも入る。このほか、毎年正月3が日のみ運行の臨時・八幡山崎線もBタイプ車運用により担当している。

P1020011
【臨時】八幡山崎線も担当(B-1236)

中型車(10.5m長尺車を含む)は、主に枚方市駅北口・樟葉駅から牧野・招提方面系統(【38】【87】)で使用されている。以前は樟葉長尾線と共通運用だったが、こちらも大半の便は京田辺営業所に移管されている。長尺10.5m車はたまに尊延寺線や出屋敷線の運用に入ることもある。

P7250002
招提線【38】号経路の運用を担当するレインボー・ロング
(枚方市駅北口にて)

小型車も配置されており、樟葉駅発着なみき・招提・牧野方面(【84】【87】)系統にて使用されている。以前は津田サイエンス線も担当していたが、やはり京田辺営業所に移管されている。また、車両需給の関係で、時々香里団地営業所管内【い】【ろ】系統に貸し出されることもある(【い】【ろ】の行先表示コマも入っている)。

P5290022
【87】号の運用に入るエアロミディ(N-1144)
小型車と共通で運用されている

関空リムジンでは寝屋川・枚方線を担当している。今月28日のダイヤ改正より守口線も門真営業所から移管される模様だ。

さらに直Q京都号の一部便も補完している。入出庫を兼ねた田ノ口~長尾駅経由の便と、USJ~香里団地~枚方市駅~枚方車庫~京都駅系統、そして京都市中心部の四条河原町・四条大宮・二条駅発着便は、枚方営業所の担当だ。

DSC_0008

P4200047


阪急バス路線について一つレポートを書いてみようと思った。
今回は「3Dayチケット」を使って乗ったことのある【24】系統・<江坂~園田>についてかんたんレポートする。

大阪北部のビジネス街・副都心として賑わう吹田市江坂(地下鉄御堂筋線、北大阪急行)から、豊中市南部の庄内駅前(阪急宝塚本線乗り換え)や日出町(阪急バス本社前)、上津島などを経て兵庫県に越境し、尼崎市の阪急園田駅(神戸本線)を結ぶ路線だ。途中、庄本付近で阪急神戸線の踏切前を通るが、神戸線もほんの少しばかり豊中市を掠っている(ただし豊中市内に駅はない)。

江坂園田線は【24】系統を基本に、江坂発着の循環系統や区間便の【21】【22】系統などもある。運行本数は全体的にあまり多くなく、概ね1時間に1本程度だが(ただし等時隔ではなくて覚えにくい)、園田発着系統については2時間以上バスが来ない時間帯もある。尼崎市方面から豊中・江坂方面への通勤にも使えると思いきや、何しろ本数が少なく、電車(梅田経由)もしくはバイク・自転車を使うほうが早そうだ。

なお、尼崎市は兵庫県でありながら、市外局番は大阪市や吹田市・豊中市などと同じ06であることは有名だ。尼崎市が兵庫県であることに意外感を持つ人も多く、猪名川流域の尼崎・伊丹・川西市などは大阪府に編入するほうがまとまりが良さそうだ(市外局番も大阪扱いだし、電車で神戸市へは不便)。


P1120020

2600系2624号は旧・2000系1次車流用。

2600系(0番台)の廃車が進み、旧2000系1次車体流用はこのMc2624とTc2718の2両だけとなりました。
以前、これに関する記事を投稿しましたが、比較的最近撮影した2624号(新塗装)の写真を見つけたので、改めて記事にしてみました。

2624号は1次車流用で唯一の京都側先頭車、かつ2段車掌窓であり、2000系時代の原型をとどめていることで地味に注目です。

残りわずか2両となった2000系1次車流用の2600系
http://katanogawara.blog.jp/archives/4767845.html


丹波橋駅が京阪沿線から東日本各方面・近鉄沿線および滋賀県方面へのハブとしての意味を持っている、いう記事を書いた。
http://katanogawara.blog.jp/archives/12011475.html

大阪側で同様の意味を持つ駅といえば、京橋だろう。京橋は大阪市北東側のターミナルであり、京阪電車、JR環状線・学研都市線・東西線、そして地下鉄長堀鶴見緑地線が乗り入れている。京阪電車トップの乗降客数を誇り、JR(西日本)のほうも上位にランクインしている。京阪の大阪側の主要ターミナルと位置づけられ、京阪モールなどを核とするショッピングセンターが併設されている。

京橋駅は、JRで関西空港にも直結しているため、北海道から沖縄までの全国各地、さらには世界各国へのハブとしての役割を持っている。京阪京橋駅でJRに乗り換える主な旅客の流れとしては、

1)JR環状線経由大阪駅・梅田・USJ方面
2)JR環状線または東西線経由西宮・芦屋・神戸・宝塚方面
3)関西空港経由(JR関空快速利用)航空機で日本全国および世界各国
4)大阪駅から特急「サンダーバード」で北陸方面
5)大阪駅から特急「こうのとり」・「はまかぜ」で北近畿(福知山・丹後半島・城崎方面)
6)大阪駅から特急「はくと」で鳥取・倉吉方面
7)関空快速・紀州路快速で堺・泉州・和歌山方面(阪和線)
8)鶴橋から近鉄沿線各地(伊勢志摩ほか三重県各地および名古屋方面、生駒・奈良方面)
9)天王寺駅から特急「くろしお」で南紀
10)阿部野橋(天王寺駅)から近鉄(南大阪線藤井寺・富田林・吉野方面)
11)新今宮から南海(堺・泉州・和歌山・河内長野・高野山方面)
12)JR大和路快速で王寺・奈良・五条方面
13)JR学研都市線住道・四条畷方面

鉄道で全国規模の移動をする場合(東京・東北・新潟・岡山・広島・島根・四国・九州方面)、新大阪駅から新幹線を利用することになる。新大阪へは京橋で乗り換えるよりも、淀屋橋から地下鉄御堂筋線経由のほうが楽だろう(ただし、京橋からJRに乗ると、大阪駅での乗り換えの手間はかかるが運賃は少し安くなる)。

枚方・交野・寝屋川方面からわざわざ京橋まで出てJR学研都市線四条畷付近以東へ電車で移動することは、迂回的ルートで実用上考えにくい。しかし、学研都市線(主に四条畷以西)から京都市内への通学・レジャー等を目的に、京橋へ出て京阪特急に乗車する人は珍しくないだろう。京阪京橋駅は、日本および世界各地から京都伏見・東山・洛北・比叡山方面への玄関でもあるのだ。

近鉄沿線および奈良方面へは、寝屋川市以東からの場合だと、丹波橋乗り換えが一般的だが、大阪府内の東大阪・八尾・藤井寺・富田林市方面へは京橋・鶴橋(または天王寺)乗り換えが早い。名古屋や伊勢志摩へ向かう場合も、鶴橋から特急に乗るほうが本数も多くて便利だろう(丹波橋からの場合は基本的に大和八木で別の特急に乗り換えることになる)。

大阪駅・梅田へは淀屋橋で地下鉄御堂筋線乗り換えも可能だ。特に阪急電車方面、および阪急梅田駅周辺・ヨドバシ方面へは、御堂筋線梅田駅下車が便利だ。阪急電車を利用する場合、枚方市駅からバスで高槻・茨木に出るほうが安い。

関西から「青春18きっぷ」で北海道旅行する場合、JR関空快速+航空機で新千歳到着後、新千歳空港駅から「青春18」で道内各地を回る、というプランも人気だ(大阪近郊区間においても出発地によっては関空までの片道だけで青春18きっぷ一日分のモトがとれる)。関西の駅スタンプの押されたきっぷをJR北海道の駅員・車掌に呈示する瞬間を一度経験してみたいものだ。


JR東日本新潟地区に残る115系の引退も、時間の問題となったようだ。

このほど、注目の「懐かしの新潟色」115系が大宮工場を出場した。
https://twitter.com/i/moments/821954166801068033

塗装デザインはおなじみの湘南色と同じで、赤と黄色のツートンカラー。
ただし、115系でのこのカラーは「ありそうで実現しなかった」ものであり、115系以前の旧型国電80形をイメージしたもの。新潟に115系がデビューしたときは、湘南色だった。

19780429b05
新潟地区で活躍した旧型国電80形
(画像:「線路配線図とともに」さまより拝借)

今回、デビューした115系の「懐かしの新潟色」について、Twitterの写真などを見たところ、私個人的に修学旅行色の155・167系などと似ているように感じた(光線の加減にもよるが)。

Mock-up-JNR167
167系修学旅行色モックアップ
(Wikipediaより拝借)

ただし、修学旅行色の「赤」の部分は、濃いオレンジ色に近く、新潟旧国電色とは異なるようだ。

せっかくなので、修学旅行色155・167系たちのことも思い出してあげてください(笑)。



旧・京阪宇治交通(→現・京都京阪バス)から受け継いだ京阪バス男山営業所。

男山営業所は1974年(昭和49年)、八幡市男山団地内に設置される。

当時、大阪市内側からみて鬼門とされていたため、発展の遅れていた京阪沿線(特に寝屋川・枚方市)の人口が急増、これまで寒村だったくずは(漢字表記は樟葉または楠葉)・男山地区(枚方市と八幡市にまたがる大阪・京都府県境付近)において、京阪電鉄および住宅公団などによる大規模宅地・団地造成(くずはローズタウン、男山団地、ほか)と新しい街づくりの官民プロジェクトが成し遂げられる(千里や泉北NTほどの規模ではないが)。京阪樟葉駅はその表玄関として大規模改築がなされ、急行停車駅となり(→現在は特急が停車)、バスターミナルおよびショッピングセンター(くずはモール)を併設、一つの大きな街に生まれ変わる。

従来、京都府南部の宇治市~宇治田原方面地域輸送を担ってきた京阪宇治交通バスはローカル色が強かったが、新たにドル箱路線が見込まれる枚方市くずは地区への進出を果たす。くずは~男山団地~八幡市内および八幡田辺線輸送の拠点として、男山営業所が設置される(くずは地区路線設定の当初、宇治営業所が担当)。その後、宇治市にあった京阪宇治交通本社は枚方市楠葉朝日に移転する(1980年)。

KT2267F
京阪宇治交通男山営業所に配置された初期冷房車(画像は拝借)

男山営業所の運用範囲も、1980年代までは樟葉を中心とする枚方市北部(くずは・船橋・家具団地)および男山団地・八幡市・京田辺市のほか、山城大橋以東の城陽市や宇治田原方面をもカバーしていた。特徴的な路線系統として、【17】・<くずは~宇治車庫>などがあり、久御山町・宇治市への長距離路線だった。【17】号はもともと宇治営業所からくずは地区路線への送り込みを兼ねて設定されたものと思われるが(ほかにくずは・男山団地から久御山町の工場通勤利用なども見込まれた)、のちにくずはの本社から宇治営業所に社内書類等を送り込むための便として活用されるようになる(京阪バスへの合併の翌年、2007年に廃止)。

田辺営業所(現・京阪バス京田辺営業所)設置(1989年)以前、近鉄新田辺を拠点とする京田辺方面の路線系統の大半は男山営業所が受け持っていた。新田辺から東へ山城大橋を渡って城陽市および宇治田原方面、国道307号西方向へ枚方市(尊延寺→大阪府最東端にあたる)との府県境手前の河内峠、さらに近鉄大久保(宇治市)から城陽・宇治田原方面路線などの運用もこなす。

1980年代後半から90年代以降になって、京田辺市北西部の松井地区に大規模住宅開発(京阪東ローズタウン)・街開きプロジェクトが進行する。1989年春、JR学研都市線(片町線)全線電化と松井山手駅が開業する(松井山手駅の設置費用は京阪が全額負担)。これに合わせ、京田辺市内のバス路線再編を見越し、さらに老舗の宇治営業所(2015年廃止→京都京阪バス八幡営業所に移転)が手狭になったこともあって、京田辺市草内(山城大橋手前)に前述の田辺営業所が開設される。営業所開設以前から、草内はバス転回場として活用されていたようだ。

その後、松井山手の街開きに合わせてメインストリート・「山手幹線」が部分開通する(将来的に八幡市橋本・男山と精華町の学研都市を一本で結ぶ計画で、半分以上完成しているが・・・)。1992年9月、山手幹線の部分開通などを機に路線再編とダイヤ改正が実施され、【67D】号・<くずは~松井山手駅~新田辺>系統などを新設すると同時に、新田辺・大久保~城陽・宇治田原方面路線は田辺営業所に移管された(現在、京都京阪バスが運用担当)。同改正で、京阪バスも出屋敷線の枚方市駅北口~長尾駅~松井山手系統を新設(枚方営業所)、初めて松井山手への進出を果たす(→現在、松井山手からのバスは全て京阪バス)。


大阪府枚方市の南西部に「蹉跎」(さだ)という地名がある。

この「蹉跎」という文字は常用漢字ではなく、パソコンで入力しても漢字変換が出てこない。
実は「蹉跎」という町名(街区表示)は存在せず、京阪光善寺駅近くの北中振~南中振および出口近辺の地域の呼び名である。実際、明治から昭和初期の間、この地域は北河内郡茨田郡蹉跎村(および出口村)だった。現在も、この地区に蹉跎小学校、蹉跎中学校、蹉跎西小学校、蹉跎神社(天満宮)などがある。「蹉跎」という地名の由来は、蹉跎神社にあると言われる。


「蹉跎」は本来、「さた」と読む漢語で、意味は「つまづいて志を実現できないさま」である。
中国唐代前期の詩人・張九齢(673~740年)の有名な漢詩に、この語句が出てくる:

宿昔(しゅくせき) 青雲(せいうん)の志、

蹉跎(さた)たり白髪(はくはつ)の年。

誰(たれ)か知らん 明鏡(めいきょう)の裏(うち)、

形影(けいえい) 自(おのずか)ら相憐(あいあわ)れまんとは。


現代語訳は

その昔、若いときは、偉くなってやろうと大きな志を抱いていたものだが、
その志を実現できないまま、いつのまにか白髪をいただく年になってしまった。
あのころ誰が思ったことか、今こうして鏡に向かって、われとわが身を憐れむことになろうとは


(守屋洋『大人の国語力がつく漢詩100選』 67ページ)

である。

「蹉跎」という漢語の意味については、以下の記事に詳しい解説レポートがある:
https://www2.chuo-u.ac.jp/philosophy/kishida/kango2-107.html


枚方の蹉跎(神社)に話を戻す。
蹉跎神社は「蹉跎天満宮」とも呼ばれ、菅原道真が祀られている。
道真公は京の都から九州・大宰府に左遷を命ぜられ、その旅の途中、枚方・中振の地で休息されたとき、娘の苅屋姫が父を見送るためにこの地まで来たが、父は既に出発した後で、姫は思わず足摺り(さだ)して=蹉跎して(つまずいて)悲しんだ、と伝えられている。その後、いつしかこの地は蹉跎と呼ばれるようになったそうだ。

ちなみに、蹉跎小学校は枚方市で最初に開校した小学校である(明治5年開校)。開校当初、光善寺の中に仮校舎が設けられるなど、歴史的由緒は深い。





昔懐かしの動画を見つけました。
京阪三条-七条間の地下開通前日(1987年5月22日)のときに撮影されたとのこと。

京阪三条駅の非・自動改札、更新工事進行中の1900系、方向板使用の2400系、五条の踏切音、
モノコックの市バスほか、昭和の懐かしいカットがいっぱい詰まっています。

後半部分は未更新車1900系7連の普通・淀屋橋行き車内から地上時代最後の記録が残されています。
七条-東福寺間ではJR113系電車がオーバークロス。
1900系・113系ともに過去のものとなりました。
最終日ゆえ駅・ホームにはカメラ姿のファンたちの姿も目立ちます。


京阪と近鉄京都線の接続する京都市伏見区の丹波橋駅。

かつて、京阪と近鉄(旧・奈良電)が丹波橋駅から相互乗り入れしていた。今も丹波橋駅での京阪・近鉄乗り換え利用が多く、両者とも特急が停車する。

さて、京阪沿線(八幡・枚方・交野・寝屋川市)住民にとって、丹波橋駅には鉄道で遠方各地(主に東日本方面)へ出向くときの一つの重要なハブとしての意味を持っている、と感じた。目的地で一番多いのは、新幹線で京都駅から名古屋・東京方面へ向かう場合だろう。ほかにも、

1)新幹線東京乗り継ぎ東北・新潟方面
2)近鉄沿線各地(奈良、天理、橿原、飛鳥、吉野、伊勢志摩ほか三重県各地)
3)JR琵琶湖線または湖西線経由滋賀県(大津、草津、栗東方面)
4)「サンダーバード」で北陸方面
5)山陰本線(嵯峨野線)経由福知山・舞鶴・丹後半島方面
6)地下鉄烏丸線沿線
7)京都駅から各地へ高速バス

などが可能だ。

新幹線または近鉄沿線へ向かう場合が多いと思われるが、ほかに滋賀県大津・草津方面、または嵯峨野線沿線の右京区や亀岡市方面への通勤・通学に利用する人もかなりいるだろう(琵琶湖線・湖西線は山科からの乗車も可能だが、三条京阪での地下鉄東西線乗り換えが煩わしい上に運賃がバカ高いのが困る)。

京都駅からの「サンダーバード」や「きのさき」「まいづる」など在来線特急利用ももちろん可能だ。かつては、京都駅から日本海縦貫の新潟・秋田・青森まで直通する長距離特急「白鳥」などもあったが、北陸新幹線開通後、全て金沢止まりとなってしまったのは残念だ(せめて富山まで直通してほしいんだが)。新潟・山形・秋田など東日本日本海側へも、今は新幹線東京経由のほうが早く到着する。

近鉄沿線へは奈良・大和路・伊勢志摩への観光・レジャー利用が多いが、京阪沿線から丹波橋乗り換えで奈良県内の大学へ電車通学する人も少なくないだろう。ただ、枚方・交野・寝屋川からだと遠回りだ(もちろん磐船街道経由でバイク通学する人もいるだろう)。JR学研都市線経由京田辺で近鉄(新田辺駅)に乗り換えることも可能だが・・・。

それと、地下鉄烏丸線沿線への旅客需要もかなりあろう。烏丸通へは丹波橋・竹田で乗り換えが一般的ルートとなっている(近鉄から烏丸線に直通する列車もある)。ただ、七条・清水五条・祇園四条・三条・丸太町・出町柳各駅から烏丸通への徒歩も可能だ(バスは渋滞しやすいのであまりおススメできない)。

東福寺駅乗り換えでJR奈良線経由京都駅へ出ることももちろん可能だ。京阪とJRの運賃だけで済むので安い。奈良線の快速も停車するようになり、一昔前より便利になったが、単線区間が残っているゆえ等時隔ダイヤではなく、また近年伏見稲荷大社への外国人観光客が急増して混雑しやすいのが難点だ。


先日、京阪沿線から新幹線東京方面行きを利用するとき、京都駅または新大阪駅のどちらから乗るか、ということについて記事をエントリーした。
http://katanogawara.blog.jp/archives/11636260.html

今回は、京阪沿線からJRで北近畿・山陰方面へ旅行するときの経路について、考察を加えてみたい。
この場合も、京都駅・大阪駅両方からのスタートが可能だが、実用的な目的(「青春18きっぷ」での鉄道旅行とかではなく)での場合についてのみを検討する。

実用的な場合、すなわちビジネス・出張・その他用務、あるいはグループ・団体での旅行の場合、もちろん特急利用中心のプランを立てることになるだろう。その場合、次の経路が現実的に可能だ。

(1)福知山・舞鶴・丹後半島・豊岡・城崎方面
A)京都駅から山陰本線「きのさき」「まいづる」「はしだて」
B)大阪・尼崎駅から福知山線経由「こうのとり」
C)大阪駅から播但線経由「はまかぜ」

(2)鳥取・倉吉周辺
D)京都・大阪駅から智頭急行経由「はくと」

(3)米子・松江・出雲
E)新幹線~(岡山)~伯備線経由「やくも」

舞鶴市を訪れる場合、京都駅から山陰本線経由のほうが早い。福知山線経由だと、福知山駅で普通列車に乗り換える必要があり、やや不便だろう(かつては大阪-舞鶴直通の優等列車もあったが)。高槻・茨木方面からの場合、また大阪市内からJRに乗車する場合も、JR京都線に乗って京都駅経由山陰本線に入るほうが、距離が短く、早くて安い。

天橋立および丹後半島の峰山・網野・久美浜方面(京都丹後鉄道)へも、どちらかといえば京都駅から直通の「はしだて」に乗るほうが便利だろう(福知山線経由の場合も、福知山駅でうまく接続するダイヤとなっているが)。

京阪電車各駅から山陰本線京都口へは、三条京阪・地下鉄東西線経由二条で乗り換えることも可能だが、三条京阪での地下鉄への乗り換えの手間は煩わしい。(丹波橋または東福寺乗り換えで)始発の京都駅から乗るほうが無難だろう。

JR学研都市線沿線から北近畿へは、JR東西線経由尼崎で福知山線に乗り換えるルートが一般的だろう。尼崎には「こうのとり」など福知山線の特急列車が全て停車する。直Q京都号+(京都駅)+山陰本線経由も可能で、特に舞鶴方面へは京都駅経由のほうが早い。

神戸・姫路から播但線経由の「はまかぜ」は、本数が少ない上に所要時間もかかるが(尼崎は通過)、ちょっと寄り道してみたいときにはおススメだ。気動車で運転のため、城崎から先、香住・浜坂そして鳥取まで足を伸ばす。普段は閑散としているようだが、カニシーズンやGW・お盆・正月のときなどは混みやすい。最近では、竹田城への観光利用も目立つようだ。学研都市線方面から「はまかぜ」を利用する場合、三ノ宮から乗車すればよい(三ノ宮へは普通電車1本で到達可能だが、尼崎で快速・新快速に乗り換えるほうが早い)。

鳥取・倉吉方面へは、かつては京都駅から山陰本線、大阪駅から福知山線または播但線経由の優等列車が多く運転されていたが、智頭急行開通後、京阪神と鳥取が高速で結ばれるようになり、智頭急行経由「はくと」利用が一般的だ。「青春18きっぷ」使用の場合も、智頭急行をワープに重宝することが多い。



1980年代国鉄に関する記事を書き続けているうちに、南海電鉄に485系を譲渡する話があったことを思い出した。

1985年3月ダイヤ改正まで、南海難波駅から和歌山市駅経由、国鉄紀勢本線の白浜・新宮へ直通する急行「きのくに」があった。車両はキハ5500で、外観・内装は国鉄準急用キハ55系と基本的に同じだ。国鉄和歌山駅(和歌山市駅ではない)で阪和線天王寺発着の「きのくに」(キハ58・65系)と連結・解放作業を行い、南紀をめざす運行体系が取られていた。1978年の紀勢本線和歌山-新宮間電化後も、急行「きのくに」は南海直通列車と連結する関係などもあって(南海と国鉄和歌山駅を結ぶ和歌山-和歌山市間は1984年に電化)、気動車のまま残された(ほかに、一部熊野市・鳥羽発着列車もあったり、また1980年9月までは京都・名古屋発着の桜井・和歌山線経由「しらはま」にも連結していた)。

しかし、1982年5月南近畿地区ダイヤ改正(関西本線名古屋口電化)で、急行列車は大幅に整理され、「きのくに」は鳥羽直通(下り天王寺行きのみ)廃止、および一部列車4両編成も現れ、縮小傾向にあった。さらに1984年10月の奈良・和歌山線電化に合わせ、紀勢本線末端区間の和歌山-和歌山市間(「和歌山市内線」「紀勢支線」などと呼ばれる)も電化され、気動車のままで残る「きのくに」の不経済性がますます際立つようになる。

「きのくに」の電車特急「くろしお」(381系)一本化の計画が具体化される中、国鉄は東北・上越新幹線開通で余剰となる485系を南海電鉄に売り渡すという話があった。1982年当時の新聞で「南海が485系購入を検討している」と報道されたが、国鉄側が乗り入れを継続するかどうかを迫ったのが真相だったようだ。つまり、南海の「きのくに」あるいはそれに代わる南紀直通列車を継続させたかったら485系を買いなさい、ということだったらしい(もっとも、和歌山市内線電化を前提にした話だろうが)。

現に国鉄のキハ58系に比べ、併結相手の南海キハ5500は依然として非冷房のまま、接客設備の格差が目立つばかりで、特に南海線内はガラガラだった(南海線内においては特急扱いで特別料金が必要だった。国鉄のキハ55系は既に普通列車中心で運用されていたのに、これと同じレベルの設備で特別料金を取られるのでは、ファン以外誰も乗らない)。気動車急行を整理したい国鉄側としても厄介な存在だったにちがいない。南海側としては南紀直通列車を存続させるべく車両更新を望んでいたらしいが・・・。

1985年3月ダイヤ改正で「きのくに」は「くろしお」に格上げされる。ただし、置き換えた分は振り子式の381系ではなく、各地で余剰となった485系だった。南海に485系の話をぶつけてきたのは、この件と大いに関係がありそうだ。やはり南海側は485系の購入に難色を示したようで、結局、南海の南紀直通列車は廃止される。

485系「くろしお」はカーブの多い紀勢本線でのスピードアップは難しく、なおかつ「きのくに」を引き継いだゆえ停車駅も多めで、所要時間は気動車「きのくに」とあまり変わらず、評判は芳しくなかった。ただ、381系に酔う乗客も少なくなかったそうで(「ゲ○しお」と揶揄されるぐらいだった)、485系は381系に酔いやすい人に喜ばれたのかもしれない。「くろしお」の485系は結局1年半しか続かず、「やくも」編成短縮で余剰となった381系に置き換えられた。485系は福知山線の「北近畿」などに転用されるが、初めからその計画があったらしい。

ちなみに485系の私鉄乗り入れは、2006年になって東武鉄道直通列車によって実現している。


参考記事

国鉄旅客輸送今昔 47 南海電鉄乗入れきのくに号(加藤好啓氏)
http://ameblo.jp/blackcat-kat/entry-11971437191.html



P7190002

Twitterで拾った情報によると、5557Fの解体作業が始まったとのことです。
写真は2年前2015年夏の元気だった姿です。
もう二度とこのように5557Fを駅ホームから拝むことはできません。
さよなら、お疲れ様でした、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏・・・



1982年11月国鉄ダイヤ改正では、西日本各地においてもかなり大規模な変更が実施された。

◎北陸本線電車急行(455・475系)「立山」「ゆのくに」廃止、「くずりゅう」1往復だけ残存

◎長距離気動車急行「大社」(名古屋-出雲市、小浜・宮津線経由)廃止→「はしだて」(福井-天橋立間)に縮小

◎気動車急行「赤倉」(名古屋-新潟間、中央本線・篠ノ井線・信越本線経由)を165系電車化、上越線「佐渡」と共通運用に

◎山陽本線(広島・下関地区)から153系電車引退→「広島シティ電車」115系3000番台登場

◎「広島シティ電車」を皮切りに、以降地方都市圏に国電型ダイヤが導入される

◎長崎本線・佐世保線の気動車急行「出島」「弓張」を特急電車化

◎急行「比叡」153系を165系に置き換え

◎紀勢本線夜行急行「きのくに」(天王寺→新宮)季節列車化

本改正に先駆け、同年5月には南近畿地区(関西本線名古屋口電化)、7月に山陰・北近畿地区と周辺(伯備線・山陰本線一部区間電化開業)でそれぞれダイヤ改正が実施された。急行「大社」は、実は7月ダイヤ改正で名古屋-天橋立間に短縮されており、11月改正までのわずか4ヶ月間だけ「出雲大社に行かない『大社』」が運転されたことになる。「大社」は名古屋発着と別に、福井-天橋立間の編成もあって敦賀駅で分割併合していたが、改正後は福井編成だけ「はしだて」に名を改め残存する。

急行「赤倉」は改正前は架線下DC急行として有名だったが、新潟気動車区のキハ58系が使用され、南東北方面のローカル急行と共通で広域運用をこなしていたようだ。また、名古屋地区においても、間合いで中央西線~太多線普通列車の運用に入り、国鉄時代の気動車急行の広域運用は実に興味深い。ちなみに「大社」号は、美濃太田区が担当していた。美濃太田区のキハ58系は(紀勢本線新宮電化の)1978年以前、名古屋・岐阜を拠点に「たかやま」で東海道本線大阪駅(宮原で停泊)、高山本線~北陸本線~七尾線経由能登半島、「かすが」で関西本線奈良、殿様「紀州」で紀伊半島一周して阪和線天王寺、「大社」で山陰本線出雲市~大社線までに及ぶ運用をこなしていた。

長崎本線・佐世保線の架線下気動車急行も面白そうな存在だった。当時、交流電化幹線の閑散区間では、電車は特急(485系)のみ、急行は気動車、普通列車は客車(または気動車)という運行体系が基本的だった。国鉄の苦しい財政を反映しているものと言われており、急行を近い将来電車特急に置き換えることを前提に(新幹線開業により余剰となる485系などを回す計画だった)、また周辺の非電化支線区との共通運用も可能なため、気動車のまま存置されていた。近畿圏においても、電化開業当初の紀勢本線で同様のパターンだったが、直流電化であり、急行「きのくに」が気動車(参宮線鳥羽発および南海乗り入れ列車を連結していたため)だったものの、普通列車は大半が113系電車だった(客車列車も残っており、特に夜行寝台「はやたま」は有名だった)。

広島シティ電車は前向きの動きとして評価できる。国鉄の普通列車は、無駄と思える長距離列車が多くて過度に編成が長く、地域輸送の実情に合っていないのではと問題視されていた(長距離普通列車は郵便・荷物輸送を兼ねてのものだったが)。しかし、在来線優等列車および貨物列車の減少により線路容量に余裕が生じたこともあって、地方都市圏においても東京・大阪の国電と同様、列車本数の大増発、なおかつ等時隔の利用しやすいダイヤを実現する動きが広がった(その代わり、電車の編成は短くする)。その先頭を切ったのが広島シティ電車だった。1970年代後半ごろ、広島市および周辺の住宅地・団地造成が大規模に進んで人口は急増、1980年に政令都市としてのスタートを切ったばかりで、広島のイメージアップに貢献したことだろう。老朽化した153系は115系3000番台に置き換えられた。115系3000番台は従来の115系とちがって117系の仕様と同じ2ドア・転換クロスシートとなり、地方向け近郊型電車としては画期的なものだった。


東北・上越新幹線大宮暫定開業を目玉とする1982年11月15日国鉄白紙ダイヤ改正。

東北本線・上越線を初めとする東日本を中心に大規模ダイヤ改正が行われた。東日本方面について、私個人的に関心の強いものは、

◎東北地方気動車急行の多層立て&グリーン車連結廃止、運用大幅縮小

◎長距離気動車急行「しらゆき」(金沢-青森間)および併結相手の「白馬」(金沢-松本間、大糸線経由)廃止

◎上野駅に乗り入れる気動車急行は常磐線「ひたち」「奥久慈」のみとなる

◎田沢湖線電化および新幹線連絡電車特急「たざわ」(盛岡-秋田間)運用開始

◎常磐線上野直通客車普通列車廃止(客車列車は水戸以北のみの運用に)、普通電車(415系ほか)15両編成運用開始

◎房総地区急行列車(153・165系)全廃→特急格上げ

などが挙げられる。

距離の短い房総半島の優等列車は本来急行のほうが合理的だろう。房総地区に限ったことではないが、急行列車を特急に「格上げ」したからといってさほどスピードアップしたわけでもなく、急行廃止を埋め合わせるために停車駅が増えるケースさえ目立ち、「料金だけ値上げ」であまり歓迎されるものではなかった。もっとも車両設備面では、4人掛けボックスシートの急行型車両よりもリクライニングシートの特急のほうが居住性に優れていて快適と言えるが、料金値上げ分を吸収するだけの魅力はあったのかは、疑問だ。むしろ、本来「特別な優等列車」のはずだった特急列車は、食堂車が廃止されるし、長距離運行はどんどん減って、列車編成も短くなり、優等列車としての貫禄を失ったような印象を持つ。

常磐線の上野直通客車列車は、東京都内に乗り入れる最後の客車普通列車だった。また、上野発着の東北本線~奥羽本線・磐越西線方面への長距離気動車急行も数本あったが廃止され、常磐線から水郡線に直通する一部の列車のみが残る。

なお、このダイヤ改正では、新幹線上野未開通だったため、上野発着東北・上越線系統の電車急行はかなり残ったが、2年半後1985年3月上野開業と同時にほぼ全て廃止された。

会津若松方面の単行DC急行「いなわしろ」も廃止され、余剰となったキハ52のうち1両(128号)は、ツートンカラーのまま、翌年はるばる遠い山陰の米子に転属し、主に木次線で活躍することになる(理由はキハ53が事故で廃車されたための救援)。キハ52 128はJR西日本に継承された後もツートンカラーを保ち、ファンから人気を集める。

DSCF0008

P8220012

京阪2600系2602Fの写真を探してみたので、アップしてみました。

2602F(2602-2702-2802)は2601F(2601-2701-2801)とペアで、2600系(2000系からの代替新造)のトップを切って1978年デビューしました。デビュー直後は京都側2601Fの後に2602Fをつないで6連を組成して、主に本線の普通・区間急行で活躍していました。2602号は編成の中間に組み込まれ、先頭に立つ機会はあまり多くありませんでした。

しかし、支線区(交野線、宇治線)で5両編成の需要が増えた1990年代半ばごろから、2602Fは大阪側に2712-2812ユニット(4連口の2612Fを分割)と組んで5連を組むようになったため、2602号が晴れて先頭に立つことが多くなります。2602Fは3両ユニットゆえもともと4連主体の支線運用に入ることはなかったが、5連を組むようになって宇治線そして交野線にも顔を出すようになりました。この2602-2812編成は、2009年末に営業運転から離脱、2010年に京阪電車開業100周年記念として、戦前の緑一色の1500形をイメージした「ミュージアムトレイン」に改装して主要駅ホーム(中之島、枚方市、中書島)で展示イベントを開催し人気を集めました。イベント終了後は営業運転に復帰することなく廃車されました。

かつて2602Fと手をつないでいた2601Fは、7連を組んで今も現役で活躍中です。
2601Fに比べて、2602Fのほうは営業列車ではあまり先頭に出られず、なおかつ新塗装にならずに廃車されてしまって薄幸のように思えるが、100周年記念イベントで最後の花道を飾ることができ、幸福な生涯だったとも言えるでしょう。


久しぶりに国鉄時代の懐かしいネタを一つ書く。

今回は1984年2月ダイヤ改正について。
このダイヤ改正は前回1982年11月の東北・上越新幹線開業と、翌年1985年3月大改正の谷間にあって、どちらかといえば比較的地味なダイヤ改正だった印象だ。近畿圏を中心に私が知っていることを思いつくまま列挙すると、

◎寝台特急「紀伊」(東京-紀伊勝浦間)廃止

◎東海道本線電車急行「比叡」(名古屋-大阪間)廃止

◎福知山線普通電車(大阪-宝塚間)103系(黄色)を6両→4両に短縮

◎草津線朝1本の亀山発京都行き客車列車を柘植始発に短縮

◎紀勢本線の寝台普通列車「はやたま」(天王寺-亀山間)を天王寺-新宮間に短縮すると同時に、寝台車連結を廃止

◎寝台普通列車「ながさき」廃止

◎山陰本線客車長距離普通列車824列車(門司→福知山)を出雲市で系統分割

◎伊勢線(現・伊勢鉄道)の気動車普通列車(四日市-津間)を1両に

ぐらいだったか。

関西・紀勢本線を中心とする南近畿においては、寝台特急「紀伊」および紀勢本線を全通する「はやたま」が廃止され、3年後1987年の分割民営化(JR西日本とJR東海に二分)を意識した動きを見せたと言える。東海道本線「比叡」の廃止も同様だ。在来線の長距離輸送がどんどん減らされて行き、これが延いては日本の鉄道の衰退につながっているとも言えようか。「比叡」は朝の下り・大阪行きは、新幹線から離れている岐阜・大垣方面から京都への直通需要で利用状況は好調だったようだが、上り・名古屋行きは大阪発昼前という中途半端な時間帯のため、閑古鳥が鳴く状態だったらしい。

福知山線103系の編成短縮は、3年前1981年の宝塚電化にもかかわらず、思ったほど利用が伸びなかったためだと言われる。今でこそ並行する阪急からかなり客を移転させているが、沿線に深く根付いた阪急文化を切り崩すのは容易ではなかっただろう。103系電車と三田・福知山以遠方面への客車・気動車列車が共存していた。捻出されたモハユニットは、片町線(学研都市線)のほか、首都圏の常磐線に転用された。しかし、10年後の1994年、福知山線(宝塚線)103系は6両に復活、さらに1997年JR東西線開通後には7両に増強され、JR京都線高槻・京都までの直通も行われる。

京阪神緩行線(JR京都線・神戸線)への201系投入が続き、捻出された103系は片町線や関西本線(大和路線)(奈良-湊町間)に転用され、冷房化率アップに貢献する。この過程で両路線において青色の103系が見られ異彩を放っていた(その後も大和路線では阪和線とトレードでしばしば青色103系が姿を現したりする)。103系は1984年まで製造されたが、編成単位としては1981年福知山線電化用が事実上最後だった(その後、1983年に筑肥線・福岡地下鉄直通用の1500番台が登場するが、それは別として。1984年製造分については、赤羽線編成増強用の中間車のみ)。

このほか南近畿では、およそ半年後の1984年10月、奈良線・和歌山線(五条-和歌山間)などが電化、105系(常磐線・千代田線直通用103系を改造)が投入される。奈良・桜井・和歌山線唯一の優等列車・急行「紀ノ川」、および和歌山線に1往復だけ残った客車列車は廃止される。

伊勢線は名古屋鉄道管理局管内だったが、普通列車用気動車は天鉄局管内亀山機関区が担当していた。伊勢線単行運転に合わせ、加古川のキハ30が亀山に転属し、片町線非電化区間(長尾-木津)などでも運用されるが、両運転台のキハ30は伊勢運転区に転属ののちJR東海に移管される。伊勢線は国鉄最後の直前に伊勢鉄道に転換された。



京阪沿線から新幹線で東京方面へ向かう場合、京都もしくは新大阪から乗るのが一般的だろう。特に、寝屋川市以北の沿線住民には、丹波橋経由近鉄で京都駅まで出るという経路が定着しており、JR学研都市線沿線においても、交野市の星田以東からは河内磐船もしくは松井山手で直Q京都号のバスに乗り継いで京都駅へ直行するほうが便利だ(→おおさか東線新大阪延伸後は、放出経由新大阪へ回るほうが便利になるだろう)。

しかし、新大阪から始発列車に乗れば確実に座れるメリットがある。京阪沿線からの場合、

→淀屋橋→(地下鉄御堂筋線)→新大阪
枚方市駅→(京阪バス)→JR高槻→(JR京都線)→新大阪

が一番行きやすいだろう(京橋から環状線大阪駅経由ももちろん可能だが、乗り換えが多いのが難点。ただし、「大阪市内」発のJR乗車券が買えるので、運賃は少し安くなる)。かつて、半年間ほど守口市駅から新大阪までの「新幹線シャトルバス」が試験的に運行されたこともあるが、利用状況が思わしくなかったのか、短命に終わった。

東京からの帰りは、京都・新大阪どちらで降りても特に問題はないだろう。
唯一の問題は、東京発最終「のぞみ」新大阪行きに乗る場合だ。新大阪から御堂筋線で淀屋橋へ回って、最終の深夜急行・樟葉行き(24:20発)に乗ることになるが、香里園以北の急行通過駅(光善寺、枚方公園、御殿山、牧野)および交野線への接続列車はなく、最終列車だけに混雑しやすい(特に週末は避けたいところ)。京都駅で下車して丹波橋回りのほうが確実に帰れるだろう。



大阪府茨木市の地名には興味深いものがある。

まず、県名そのものである地名が複数存在すること。
それは、

奈良、福井

だ。「奈良」は、大阪中央環状線・近畿道沿いにあって、南茨木駅に近いところだ。中央環状線に「奈良」という交差点があり、道路情報の電光表示でも「奈良」の文字を見ることも珍しくなく、知らない人は本家・奈良県のことと間違いやすいだろう。さらに、かつて近鉄バスに「奈良」バス停があって、私もバイクでそのバス停前を通ってふと「あれっ?」とびっくりしたことがある。バス停標識の写真だけを見れば、「なんや、近鉄バスが奈良市を通っているのは当たり前やんか」、と思うだろう(近鉄バスの奈良市内乗り入れは1998年に廃止された)。

「奈良」の地名の由来は、奈良春日大社にあるようだ。
http://blog.livedoor.jp/ahisats3/archives/51625887.html


「福井」は国道171号(西国街道)の北側、北摂山系の麓にある。JR茨木からの阪急バス忍頂寺・余野(豊能町)方面行きが通っているところだ。道なりに「福井」バス停もある。大阪府立「福井高校」があって、地元茨木市周辺以外の人なら、「えっ?大阪に福井高校?」とびっくりするだろう。ちなみに福井高校は京都府亀岡市にある「茨木台」からの越境通学も認められているという。しかし、亀岡市民にとって「福井高校」といえば、普通真北にある福井県のことだと思うのではないだろうか?

茨木市・福井の地名の由来は、西福井の新屋坐天照御魂神社(にいやにますあまてるみたまじんじゃ)=福井神社にある。すなわち、福井神(さくいのかあみ)=井水の神(幸福と反映の井戸水の神)が祀られており、これが福井県の由来にもなっているのではないか、ということ。この件についての面白い解説の記事があるので紹介する:
http://ruri87.blog18.fc2.com/blog-entry-1476.html



平成初期の頃、JR東日本では、「夢空間」という、今流行りの豪華寝台車・クルージングトレインの走りというべき車両が作られた。

この「夢空間」を使用して、東北・北海道など東日本各地へ数多くの臨時寝台特急が運行される。北海道においては、トマム方面へのスキー客向けに石勝線・根室本線にも足を伸ばしたそうだ。

東日本だけでなく、(JR東海を避けて)日本海・北陸経由で関西や西日本へも運転されていたようだ。その一つに、1992年4月に運行された「夢空間TAP山陰路」(上野~出雲市間)がある。運行経路が非常に面白く、

上野-(高崎線、上越線)-長岡-(信越本線、北陸本線)-敦賀-(小浜線、舞鶴線)-福知山-(山陰本線)-出雲市

というルートだったという。当日、実際に乗車された方によるレポート記事があるので、ここで紹介する。

http://ameblo.jp/twilight-express80018002/entry-12073220431.html

「夢空間山陰路」の情報について、私は鉄道雑誌立ち読みで知ったように記憶している。時刻表1992年4月号あたりに、この列車の時刻が記載されているようなので、興味のある方は調べていただければ幸いだ。

これと似たようなルートで、かつて名古屋から出雲市まで気動車急行「大社」が運転されていた。宮津線(現・京都丹後鉄道)経由だったので、途中米原・敦賀・豊岡で3度もスイッチバックしていた。「夢空間山陰路」は長岡駅1回のみのスイッチバックで済ませている。

また、国鉄末期の1986年秋、日本三大美祭として知られる高山祭の臨時として、上野-高山間の寝台急行列車が上越・信越・北陸本線を経て、富山から高山本線に入るという、これまたユニークな経路で運行された。









今月28日に、京阪沿線発着関空リムジンバスのダイヤ改正が実施されます。
改正後のダイヤが京阪バス公式ページで発表されています:

https://www.keihanbus.jp/limousine/

ざっと見たところ、守口系統では門真団地発着の廃止、枚方・寝屋川系統では増便される一方で樟葉駅乗り入れの大幅減便、などが実施されるようです。

門真団地発着が運行されるようになったのは、一昨年2015年で、門真車庫への入出庫を兼ねてのものだと思われるが、やはり利用客が少なかったのでしょうか?

それよりも、樟葉駅乗り入れの減便が気になりました。現在、樟葉駅発は3本、同駅着は5本の運行ですが、改正後は樟葉駅発2本、同駅行きは1本のみとなります。

枚方市からのリムジンバスは、京阪枚方市駅から少し離れたラポール枚方前に発着しているが、大きな荷物を抱えて歩かされるのは問題でしょう。南口4番のりばからの発車も不可能ではないと思うのですが・・・。


20150619214502342

高槻市営バスではマイナーな車両、三菱エアロミディ・ロング車(10.5m車)。
2003年、芝生営業所に5台導入される(形式:KK-MK27HM)。
JR高槻駅南および阪急高槻駅以南の地域で時々見かけるが、市内北部地域(JR京都線より北側)の成合~川久保、および美しが丘~日吉台口~寺谷町に顔を見せることもある。

同じ時期に、京阪バス高槻営業所にもこのエアロミディ・ロング車が集中的に投下され、大型車と混用で運用されている。また、2004年末には同営業所に日野レインボー・ロング車も配置された。しかし、旅客需要の高い高槻営業所管内において、中型ロング車はやはり使いづらいようで、昨年秋ごろに投入されたエルガIIの玉突きで、中型ロング車が優先的に置き換えられた。

※上の写真は、「バス三昧」さまより拝借させていただきました。

P5060004

中型10.5m車の通称「うなぎ」です。
細長い車体であることから「もやし」とも呼ばれたりします。

近鉄バス、京阪バスでも、ノンステップ車普及を急ぐべく、このタイプの車両が一時期大量に導入されました。大型車並みの収容力は確保されているものの、車体幅・通路が狭くて快適ではなく、また中型車のエンジンを搭載しているゆえ馬力も弱く、運用現場および一般旅客にはあまり歓迎されていないようです。中型ロング車の製造は中止となり、今後は大型車もしくは中型車に分化しそうです。


大阪と若狭・小浜方面を結ぶバス(わかさライナー)は少し前まで近鉄バスが参入したこともあり、かなり華やかな印象がある。同じ若狭湾・日本海側でも、京都府の丹後半島を結ぶバスは、わかさライナーとは対照的に地味な感じがする。

大阪と丹後方面を結ぶバスは、現在阪急バスと丹海バスによる共同運行で3往復運行されている(阪急1往復、丹海2往復)。運行経路は、

阪急梅田-新大阪-千里ニュータウン-宝塚IC-西宮北IC-(舞鶴若狭道、京都縦貫道)-宮津・天橋立IC-宮津高校-宮津駅-天橋立駅前-野田川丹海前-峰山駅-京丹後市役所前-峰山案内所

で、宮津市および京丹後市内を小まめに回って地域住民を少しずつ拾っていくような感じだ。大阪から丹後半島への観光というよりも、むしろ丹後半島の地域住民が大阪へ向かうために運行されているような印象を受ける。所要時間は大阪(梅田)から宮津・天橋立ICまで2時間25分、天橋立駅まで2時間40分、峰山案内所まで3時間25分程度だ。

阪急バス・丹海バスとも、阪急阪神グループの傘下にある。丹海バスの京丹後市内一般路線では、過疎の地方では珍しく、距離に関係なく基本的に「一乗車200円以下」のユニークな運賃制度が導入されており、住民に好評を博しているようだ。京丹後市は2004年に平成の市町村合併で誕生、丹後半島の西半分全域をカバーすることになった。この「平成の大合併」により役所が遠くなって住民に行き届いた行政・福祉サービスの機能低下が全国的に心配されているが、京丹後市については現在のところ、住民福祉サービスにはかなり知恵を出して一生懸命取り組んでいるようだ。


大阪と福井県西部・若狭地方を結ぶ昼間高速バス「わかさライナー」。

わかさライナーは2003年9月より運行開始する。
2003年といえば、若狭路の交通が大きく変わった年だった。JR小浜線の電化と同時に、舞鶴若狭自動車道の小浜以西が開通。JR小浜線は電化後も特急列車は臨時を除いて運転されることはなく、列車本数も少なくて相変わらず不便だ。やはり延伸する高速道路には叶わないということだろう。

「わかさライナー」は舞鶴若狭道を経由し、近鉄バスと福井鉄道との共同運行の体制がとられた。運行経路は、

なんば(OCAT)-大阪駅前(地下鉄東梅田駅)-大阪国際空港(伊丹空港)-(中国道、舞鶴若狭道)-和田駅前-道の駅・シーサイド高浜-本郷駅前-小浜駅前-道の駅・若狭おばま

で、所要時間約3時間30分程度。近鉄バスの若狭地方への進出は意外だった。当初はあべの橋バスステーション(JR天王寺駅)に乗り入れていたが、のちに廃止される。一方、伊丹空港への乗り入れは2008年に開始。最盛期には1日5往復以上あったが、2013年には4往復に減便され、さらに2016年6月より、近鉄バスが撤退、福井鉄道の単独運行となり、1日2往復に減便される。

福井県若狭地方は事実上関西文化圏にあり、関西電力の原子力発電所が林立しているが、行政関係は名古屋を中心とする中部地方の管轄下で、三重県伊賀地方と同様の立場だ(名鉄グループの福井鉄道バスが若狭地方をもカバーしているのは少し違和感がある)。かつて、名古屋から米原・敦賀経由小浜線に直通する気動車急行「大社」「エメラルド」が運転されていた。


阪急と京福電鉄(嵐電)の接続する、京都の西側のターミナル、四条大宮。

かつて、四条大宮には、京阪バス本社があり、ここから山科・六地蔵・大津方面へのバスが盛んに行き来していた。現在、四条大宮に発着する京阪バスは、一般路線は【82】号経路のみとなり、寂れているようだ(他に関空リムジンバスも3本発着し、直Q京都号も四条大宮行きのみある。また四条大宮行きのみの【83】号経路もある)。

四条大宮発着の京阪バス一般路線としてほぼ唯一となった【82】号経路・<四条大宮~大宅>について、簡単レポートする。

運行経路は、四条大宮から東方向へ順に、

四条大宮→大宮五条→烏丸五条(四条大宮←四条烏丸←烏丸五条)~五条京阪→五条坂(五条京阪←馬町)~山ノ内町~川田道~国道東野~国道大塚~大宅(山科営業所前)

で、ほぼひたすら国道1号線(五条通)を東西方向にまっすぐ走行する経路を取っている。東行きと西行きでは一部区間経路が異なる。また、一部の便は途中、山科団地を経由する。国道大塚から先、狭い旧・奈良街道(京都府道35号)を南下し、終点・大宅に至る。

京都市中心部(四条烏丸・河原町方面)から五条坂を経て山科・醍醐方面へ向かうバス路線は、実は運行経路は迷路のように複雑、狭隘区間もあってかなりカオスで、さらに四条烏丸や河原町などののりばもわかりにくく、慣れていない人には不案内だろう。その中にあって、この【82】号経路は、国道1号線をほぼ真っ直ぐ走行するので、比較的わかりやすい。


四条大宮
http://katanogawara.blog.jp/archives/7854367.html


京都駅に発着していた国鉄型車両の写真(ここ10年ほどの間に撮影したもの)を集めてみました。

DSCF0006
JR京都線・神戸線各駅停車用201系

P7200037
485系「雷鳥」(新大阪にて)

P8300001
嵯峨野線(山陰本線)113系


P8300003
特急「きのさき」「まいづる」183系(旧・485系)

P9150006
湖西線・草津線113系(草津にて)

PB020036
琵琶湖線普通列車の運用に入った117系(瀬田にて)


P6210002


DSCN0584_02
奈良線103系


もう少し昔に遡れば、琵琶湖線・JR京都線・神戸線快速電車の113系、JR京都線・神戸線各駅停車用の青い103系、キハ58系「丹後」「たかやま」、381系「くろしお」「しなの」、ブルートレイン(寝台特急)24系、奈良線117系快速電車・113系春日色・105系などもありました。

今では残り少なくなった113・117系はほとんど「お抹茶色」の単色ばかりだし、奈良線の103系も黄緑色で、統一感はあるが何だか寂しいですね。


P1020030

P1020031


昨日、近鉄京都駅を訪れたとき、国鉄型車両が3本止まっているのに驚いた。
奈良線103系、抹茶色113系、そして117系。

大阪駅では見られなくなった車両たちだが、京都駅では今もまだ見ることができる。
しかし、JR京都線・琵琶湖線の電車および北陸本線「サンダーバード」はもちろんのこと、嵯峨野線(山陰本線)からは国鉄型車両が撤退し、残るは湖西線・草津線の113・117系、および奈良線の103系だけとなった。
首都圏やJR東海に比べて新車の投入が遅れていたJR西日本の近畿圏も、ここ数年の間で急速に変わりつつある。


PA260005

P1020011


毎年、正月3が日には、石清水八幡宮初詣客のために臨時・<京阪八幡~JR山崎>が運行される。

八幡山崎線は従来から京阪バス枚方営業所が担当していて、京阪宇治交通を吸収合併した今も、最寄の男山営業所ではなく枚方営業所の担当に変わりはない。座席数の多いBタイプ車(路線・貸切兼用)で運用するためのようだが、それなら男山営業所にBタイプ車を転属移管すればいいのでは、と思える。しかし、他にも用途があって、そうはいかない事情があろうと推察できる。

枚方営業所には伝統的にBタイプ車が多めに配置されている。もともと、京都定期観光や京都競馬、びわこ競輪場シャトルバス、円福寺臨時バス(京阪八幡-円福寺)で使われることが多かったが、最近ではクボタ製造所送迎バス(枚方市駅南口発着)、関西外大・摂南大学直行便、枚方霊苑(尊延寺)シャトルバスなどにも使用されている。


P1020006

京阪7202Fが昨年秋、7連化されました。
ちょうど一年前の正月、8連姿だった7202Fの写真があったので、アップしました。
八幡市を発車する急行・出町柳行きです。

京阪の急行は今やほぼ正月ダイヤのためだけのものになりました。
八幡市駅も初詣のときは賑わうが、普段は準急・普通のみの停車で閑散としており、
1番ホームも使用停止となったばかりです。
八幡市駅よりは、急行通過駅(競馬臨時および淀始発を除く)である隣の淀駅のほうが
賑やかですね。


P4050003

12月24日の運用修正で阪和線の4ドア車4連口の運用がなくなったようだ。
すなわち、205系1000番台の営業運用が消えたということ。
既に一部は向日町へ疎開しているが、果たして次の転属場所はあるのだろうか??

205系1000番台はJR西日本発足後の翌年1988年、阪和線に4両×5本だけ投入された。
国鉄型車両から221系以降のJR西日本オリジナルモデルへ移行する過渡期のものだった。
国鉄時代末期に東海道・山陽線に配置された0番台とはフロントガラスのレイアウトなどが異なる。
私個人的に、フロントの顔は0番台のほうが、バランスが整い安定感があって好感が持てる。

0番台も阪和線に転用され、その後一時期JR京都線に復帰するが、再び阪和線へ戻る。
現在、6両編成4本が残っており(中間サハは余剰のため廃車)、12月24日以降も活躍中だが、
引退は時間の問題だろう。


P9250013


新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願いいたします。

2017年 元旦

↑このページのトップヘ