2017年02月


京阪香里園から東香里経由枚方市駅・交野・津田方面を結ぶ津田香里線。

旧ブログのほうでも時々、ダイヤ改正・路線再編私案についての記事を投稿したが、今改めて以下の見直しを提案したいと思う。

◎行先をわかりやすくするよう系統番号を全面的に変更(枚方市・交野・津田行きとも同じ「9」の数字では間違いやすい)

◎香里園~交野~津田系統について、津田駅からさらに長尾駅まで延伸

◎香里園~京阪交野市駅以遠系統について、昼間時間帯は、津田駅経由長尾駅行き、幾野四丁目経由河内磐船駅行き、京阪交野市駅行きを毎時各1本、香里園~交野市駅間は20分間隔の発車とする(中途半端な40分間隔よりは30分や60分間隔のほうが覚えやすい)

JR学研都市線津田駅からのバスは本数が少なく、以前よりも不便となったように思う。
そもそも津田駅が津田の町の外れにあって場所が悪く、もう少し木津寄りのところ、すなわちアルプラザ枚方付近に駅があれば、ここで枚方市駅・長尾駅・穂谷の各方面へ乗り継ぎもしやすくなって良いのだが・・・。さらに言えば、直Q京都号も乗り入れやすくなりそうだ。
それ以前に、枚方尊延寺線枚方市駅~穂谷系統の津田駅経由(【72】号経路)の増便を望みたい。
とにかく、枚方市東部地域でバスの乗り継ぎをしやすくするよう、大幅な路線再編が望まれるところだろう。

さしあたって、現行の【9】号経路<京阪香里園~津田駅>を津田西町・藤阪方面長尾駅(枚方公済病院経由)まで延伸を望みたいところだ。長尾駅には快速電車も停車するし、バスの発着本数も津田駅より多い。また、津田西町で枚方市駅および尊延寺・穂谷方面へのバスに乗り換えることも可能だ。仮にこれが実現すれば、京阪バス大阪地区ではかなりの長距離路線系統となり、全区間の運賃は3区間となるかもしれない(東香里病院前~長尾駅間・2区、西倉治~長尾駅間・1区)。


京都市バスの【67】系統は運行経路がユニークでレアだ。

実際に乗車したことはないが、北区の西賀茂車庫から堀川通を南下し、かつ四条通を西へ進んで、右京区西院・梅津地区を結んでいることが特徴的だ。すなわち、中心部の主要ターミナルを経由せずに北区の郊外と右京区の郊外を結んでおり、阪急電車と接続する四条大宮および西院駅前(西大路四条)は通るが、平日朝夕のみの運転で本数は少ない。2001年以前は終日にわたってそれなりの運行本数が確保されていたが、中心部からやや外れているゆえ利用客は少なく、大幅減便に出たわけだ。

なぜ、このような路線系統が存在するのかといえば、四条通の日新電機および三菱自動車京都工場(南広町下車)への通勤需要があるから。しかし、今後の動向は予断を許せないだろう。

【67】系統は西賀茂営業所が担当しており、同営業所担当路線で右京区に乗り入れる唯一の路線系統という点でも特徴的だ。ただ、同じ西賀茂担当【12】【15】【51】【55】系統の通る衣笠・立命館大学界隈(北区)は右京区との境界に当たり、もともと現在の右京区と同じ葛野郡だった地域だ。





大阪駅前(梅田)と守口車庫を結ぶバスは幾つか存在する。
中でも、城北公園通を経由する【34】号系統は利用状況が好調で運行本数も多い。
私も梅田からの帰りに、この【34】号と京阪バス乗り継ぎの旅をすることがある。

【34】号の運行経路は、

大阪駅前~済生会病院前~地下鉄中津~天神橋筋八丁目~長柄東~毛馬橋二丁目~城北公園前~中宮~地下鉄太子橋今市~守口車庫

で、都島区・旭区の鉄道空白地帯、淀川沿いの地域をカバーしている。地下鉄谷町線(東梅田駅)が同じ区間を結んでいるが、谷町線は関目高殿から国道1号線(京阪国道)の真下を経由して守口・大日に至る。大阪駅前から守口までの運賃はバスが全線均一210円、地下鉄は280円で、バスのほうが所要時間はかかるが安く、町の景色を楽しみながら移動できるので、小旅行にはちょうど良い。

大阪駅前を発車後、少しだけ国道176号線を北へ走行する。JR環状線・東海道本線の下を潜り抜ける街中の「トンネル」を抜けたところ、左手にヨドバシ梅田、右手には阪急梅田駅。済生会病院前交差点を直進して阪急電車をアンダークロスし、城北公園通に入り、東~北東に進行方向を変える。新大阪発着特急「くろしお」「はるか」の通る梅田貨物線が左手から一瞬寄り添い、再びJR東海道本線(JR京都線)をクロス、天神橋筋と阪急千里線を跨ぐ。

大川(旧・淀川)を渡ったところ、毛馬橋東詰あたりは、リバーサイドにUR団地や高層マンションが集積、また庶民的で美味そうな飲食店も並び、郊外に抜け出したような雰囲気となる。城東貨物線(→「おおさか東線」になる予定)をアンダークロスし、大阪市北東部のオアシス、城北公園前を通る。大阪工大も近い。もう少し東方向へ進んで、今市交差点で国道1号線(京阪国道)と合流する。

守口市に入り、大阪中央環状線(国道479号)との交差点が地下鉄太子橋今市駅で、谷町線のほか今里筋線も通る(今里筋線はR479号の下を通る)。そして、終点・守口車庫に到着。守口車庫はかつて大阪市電の車庫だった。大阪市営バスで守口営業所所属車両のみ大阪ナンバー、他はなにわナンバーだ。ちょうど守口車庫の目の前に京阪バス「土居」バス停があり、大日・寝屋川方面へ乗り継ぐことは可能だが、本数が少なく、一つ先の守口市役所前まで歩いたほうが便利だ。ただし、守口市内から寝屋川市駅へは基本的に大日駅で乗り継がなければならなくなったので注意が必要だ。

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守口車庫のすぐそばに京阪バス「土居」バス停がある

この【34】系統を京阪守口市駅まで延長し、京阪沿線(寝屋川・枚方・京都方面)から大阪工大や城北公園方面へのアクセス改善を図ることはできないものか?



大阪駅前・梅田に乗り入れている阪急バス加島線(梅田~十三~加島駅前 / 加島駅前~阪急塚口)。

この加島線も来月のダイヤ改正で本数が削減される予定です。

https://www.hankyubus.co.jp/news/images/170217k.pdf

現在、15分間隔で運行されている【18】系統・<梅田~十三~淀川工業高校~加島駅前>は、20分間隔に減便されます。

同じく梅田に乗り入れている近鉄バス阪奈生駒線も、15分→20分→60分→という調子で順次大幅減便され、現在土曜日のみ1本運行、今年4月からは休止となる予定です。

阪急バスも近鉄バスと同じ轍を踏むことのないことを望みます。

加島線は、かつては梅田~塚口直通で運行本数は非常に多く、大型長尺車も投入されたが、JR東西線開通後、利用客は減っているようです。



近鉄バスと奈良交通の共同で竹内街道周遊バスが今月と来月の19日に運行される。
https://www.kintetsu-bus.co.jp/news/detail.php?no=20170214095436

羽曳野市の古市駅と葛城市・尺土駅を竹内街道(国道166号線)経由で結び、大阪・奈良府県境を跨ぐ路線ということで、面白そうだ。1日6往復の運転。

イベント日限定の臨時バスではあるが、近鉄バス一般路線の奈良県乗り入れは久しぶりのことだろう(信貴生駒スカイライン系統は奈良県に跨っているが)。かつての河内国分駅前~王寺系統を彷彿とさせるものがある。

国道166号線は羽曳野市から桜井・大宇陀・東吉野・高見峠経由松阪市を結ぶ国道だが、竹内街道と呼ばれる羽曳野市~大和高田市間は狭隘区間も多く、旧街道の面影を色濃く残していて、一つの「酷道」でもある。




少し意外と思われるかもしれないが、三重交通のバスは和歌山県に乗り入れている。

三重交通の乗り入れる和歌山県内の地域は、主に三重県境にあたる新宮市内であり、
かつては新宮市内に営業所・車庫を保有し、和歌山ナンバーの三重交通バスも存在した。
現在、新宮・熊野・尾鷲方面路線は熊野市の南紀営業所が管轄している。

和歌山県に乗り入れる三重交通の路線系統といえば、東京高速バス(大宮・東京-勝浦線)と名古屋南紀高速バス(名古屋-新宮駅前)、そして一般路線の熊野新宮線【13】系統がある。

かつては南海グループの熊野交通バスも新宮駅前-鬼ヶ城系統を運行し、三重県熊野市まで足を伸ばしていた。

新宮-熊野市間は三重県最南端の地域にあたるが、市外局番は和歌山県扱いの073xであり、関西電力の管内で、関西の影響はかなり大きいようだ。ただしJR東海のエリアである(逆に、西部の伊賀地方は関西圏の一部で、JR西日本エリアであるにもかかわらず、市外局番は059x、中部電力の管内)。

ちなみに、かつて新宮駅から熊野市を経て国道169号下北山方面への奈良交通バスも運行されていて、新宮市内に奈良交通の営業所も設置されていた(したがって和歌山ナンバーの奈良交通バスも存在)。日本一の長距離路線バスで知られる八木新宮線(168号十津川経由)は現在も運行されており、ちょうど今、旧型のブルーリボン専用車(1992年式)引退を前に、ファンたちで賑わっている。


大阪市営地下鉄谷町線が来月25日、20年ぶりのダイヤ改正を実施すると発表された。

http://www.kotsu.city.osaka.lg.jp/general/announce/w_new_info/w_new/list_h28_all/20170222_r2dia_henko.html

このダイヤ改正の大きなポイントは、平日の昼間時間帯および土曜・休日ダイヤの都島~文の里間列車(いわゆる小運転)を全区間直通の大日~八尾南間(大運転)に延長することだ(一部の便を除く)。これに合わせて、ラッシュ時間帯以外の全駅の発車時間間隔は7分30秒に統一される。今回のダイヤ改正で、都心部の都島~文の里間の列車本数は全体的に減って若干不便になるものの、郊外区間では10分間隔からの増発で便利になる。


阪急バスのかつての京阪急行線の残滓と思われる【65】系統・茨木富田線。

運行経路は、

JR茨木-茨木警察署前-上穂積-春日-(国道171号線)-国道富田-JR富田

で、走行経路から往年の急行線の面影を残していると言える。高槻市内に乗り入れる阪急バスの数少ない路線系統だ。これとは別に、高槻市南西部に阪急バス柱本車庫があり、淀川に近い大阪府道16号・<大阪高槻京都線>経由摂津市およびJR吹田方面の路線を担当している。

【65】系統は茨木営業所が担当しており、1997年までは富田から先、さらに国道171号をひたすら東へ進んで水無瀬(島本町)まで運行していた。水無瀬から大山崎・長岡京方面へのバスが運行されており、京都方面へ乗り継ぐことももちろん可能だった。さらに昔は水無瀬から京都市中心部の河原町御池まで行くバスもあったようだ。

阪急水無瀬駅前には、ほかに京都競馬開催時に京阪バスのシャトルバスも乗り入れ、淀から京都市街地や久御山・宇治方面へのバスに乗り継ぐことも可能だった。現在、水無瀬からの競馬シャトルバスは西山天王山駅発着に代替されている。

ただ、現在も富田から水無瀬経由京都方面へのバス乗り継ぎの旅をするのは一応可能だ。高槻市営バスに乗り継いで上牧まで出て、水無瀬駅まで徒歩連絡となる。

【65】系統の運行本数は1日3往復のみと非常に少ない。10年ほど前は毎時1本程度あったように記憶しているが・・・。






京阪バス寝屋川営業所に新車2台が入ったとの報告がありました。
大型車エルガLV290で、社番N-6260・6261です。

寝屋川営業所に大型車の新車が配備されるのは、2007年のエアロスターW-1227・1228以来。
(W-1227はその後高槻に転属)。

代替は幕エアロスターW-1979・1980あたりのようです。

京阪バス大阪地区の2016年度の新車は、KV290は枚方・男山・京田辺、LV290は高槻・香里団地・交野・門真・寝屋川と綺麗に分かれました。

門真営業所にはN-6259の1台だけ配備され、幕ブルーリボンシティ(W-3818)を置き換えましたが、中型10.5m車も同じLV290で置き換えるのか気になるところです。寝屋川の10.5m車HRの動きにも目が離せません。



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近鉄通勤車「シリーズ21」の一種、9020系。

9020系は、2連ユニットで製造され、奈良線と大阪線にそれぞれ所属している。
ただし、大阪線には1本のみの配置で、他は全て奈良線所属(19本)だ。

9020系の6連仕様として9820系がある。
9820系は5820系のロングシート仕様でもある。
9820系は奈良線のみの所属で、大阪線所属の分はない。

9020系の狭軌仕様(南大阪線用)として6820系がある。

さて、問題の9020系だが、奈良線所属車については、は9820系や5820系とともに、全て阪神電鉄乗り入れ対応となっている。したがって、9020系は阪神直通列車に優先的に使用されるが、阪神乗り入れとはつながっていない京都・橿原・天理線でも見かけることが多い。京都・橿原線においては、プツ2連×2本の4両編成運用(主に普通)に組み込まれることも意外に多く、綺麗な9020系同士のペアもしばしば見かける。近鉄のことだから、もちろん9020系の相方が丸屋根車8000・8400系という、凸凹編成のこともある。

9020系は大阪線にも1編成だけ所属しており、急行・快速急行で山田線の宇治山田・鳥羽まで足を伸ばすこともある。なお、「シリーズ21」は名古屋線には1編成も在籍しておらず、今までのところ名古屋線で運用されることはない。

9020系の運用範囲は、奈良・京都・天理・橿原神宮前・尼崎・神戸三宮のほか、名張・宇治山田・鳥羽までの広範囲に及ぶ。




くずはモールの店舗入れ換え・リニュアルが進行中です。

来月3月10日には、JEANS FACTORYが「ミドリのモール」に関西初出店する予定です。
JEANS FACTORYは、高知市に本社があり中国・四国地方に店舗網を展開する、ジーンズセレクトショップ。

枚方・交野・寝屋川近辺には、大手チェーン店のジーンズショップしかなかなか見当たらず、くずはモール内でもライトオンぐらいしかなくて困っていましたが、久しぶりに個性的なジーンズセレクトショップが枚方市に出店することになって、私個人的にうれしいです。

各店舗の外観・内装とも芸術性の高い大人の雰囲気のようで、アラフォー以上も落ち着いて買い物しやすそうですね。

くずはモールには、このほか、4月までにSUITS COMPANYやLEGAL SHOESなども出店する予定です。くずはモールも少しずつ洗練されレベルアップしているようで、今後が楽しみです。



兵庫県は近畿で一番面積が広く、瀬戸内海・日本海両方に跨っているため、本州を縦断するためには必ず通らなければならない県だ。

兵庫県内の鉄道電化率は、実は近畿で一番低い。
神戸市街地および阪神間の都市間鉄道(JR、阪急、阪神)、地下鉄などは当然電化されているが、県の西部および北部のローカル線は大半が非電化のままだ。過疎化の進む奈良県や和歌山県で100%に近い電化率だが(奈良県南部の山間部は鉄道空白地帯ということもある)、兵庫県においても西部の中国山地や北部の日本海側(但馬)で過疎化が進んでいる。

東海道本線に比べて山陽本線西明石以西の電化は遅れていて、1960年までに兵庫県内区間の電化が完成する。県内の国鉄では山陽本線の次に赤穂線が電化される。そして1972年に山陽新幹線新大阪-岡山間が開通。

山陽本線・新幹線と赤穂線以外の県内国鉄線は1970年代まで全て非電化だった。

1980年代に入って少しずつ電化区間が拡大してゆく。その皮切りは、1981年4月の福知山線尼崎-宝塚間。阪神間の都市部にありながら、列車本数は非常に少なく、客車列車や気動車がのんびり行き交うローカル線で、阪急平野と呼ばれる地域ではミスマッチな光景だっただろう。電化後、関西で初めての黄色103系が投入されるが、阪急とは勝負にならず利用客は伸び悩んだ。その代わり、福知山線は大阪と北近畿・山陰を結ぶ陰陽連絡幹線としての役割を担っていた。

5年後の1986年11月、福知山線宝塚以北および山陰本線福知山-城崎間が一気に電化され、福知山線の客車普通列車は廃止される。大阪と鳥取・米子方面を結ぶ長距離列車は夜行「だいせん」を残して全廃され、大阪-城崎間の485系「北近畿」(のちに183系化改造を受ける)に生まれ変わる。普通電車は113系800番台が投入されるが、初期車からの改造で非冷房車も多くて老朽化が目立ち、しかも4両とか2両編成の短編成ゆえ積み残しが発生しやすく、不評だった。また、宝塚電化当初から活躍してきた103系は新三田まで運用されるようになる。JR発足後、西宮名塩や三田の住宅地開発が進み、福知山線の利用客が少しずつ増えて列車本数の大幅増、快速電車運転(117系を転用)、さらに207系通勤型電車を投入するなど、旅客サービスも徐々に改善されてゆく。1995年の阪神大震災以降、JR神戸線(東海道・山陽本線)とともに阪急からJRへの旅客移転が顕著化する。さらに1997年のJR東西線開通後、大阪北東部の片町線から福知山線宝塚・三田方面へ直通電車が終日運転され、福知山線(篠山口以南)は都市鉄道に大きく脱皮する。

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福知山線快速で活躍する223系6000番台

1998年には播但線の姫路-寺前間が電化。寺前-和田山間はトンネルの高さの都合から電化工事が困難ゆえ、非電化のままで残される。播但線の電化区間には103系3500番台が投入される。国鉄時代末期の105系などとはちがってN40改造を受けるなど、気合いの入った車両改造だった。寺前電化後も、気動車特急「はまかぜ」は残り、姫路・神戸と但馬地方(香住・浜坂・鳥取)を結ぶ県内優等列車として重宝されている。普段は閑散としているが、かにシーズンの時は混雑しやすく、近年は竹田城への観光客も結構乗っているようだ。

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播但線の103系

京阪神と鳥取を高速で結ぶことを目的に国鉄時代から建設され未成線となりかけた智頭線(上郡-佐用-智頭間)は、1994年に智頭急行として開通する。非電化だが高規格の地上設備を有し、特急「スーパーはくと」が好評だ。これに引き換え、京都から山陰本線経由鳥取・米子方面直通の優等列車は、1996年3月の電化を機に、東京からの寝台特急「出雲」(2往復、内1往復は1998年「サンライズ」となって伯備線経由に変更、残りの1往復は2006年廃止)を残して全廃される。

阪神大震災で不通となったJR神戸線の迂回ルートとして俄かに賑わった加古川線(加古川-谷川)も電化されることになる。かつては加古川線から三木線や北条線、鍛冶屋線、そして高砂線が枝分かれしていたが、第三セクター化あるいは廃止され、北条鉄道(旧・北条線)のみが残っている。2004年12月に加古川線の電化が完成し、103系3500番台と125系が投入される。ただし、加古川線北部の西脇市-谷川間は列車本数の非常に少ない閑散区間だ(加古川線西脇市以北よりは廃止された鍛冶屋線のほうが西脇市街地を通るため利用客は多かった)。谷川駅での福知山線との直通運転や接続改善も望まれるが・・・。

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加古川線の125系と103系

このほか、神戸市街地のローカル線、山陽本線和田岬支線(兵庫-和田岬)も2001年に電化。和田岬支線は、港湾地区の工場通勤者専用の路線となっていて、旅客列車は朝夕のみの運転。1990年まで旧型客車が残っていたが、合理化を目的に気動車に置き換えられる(キハ35をラッシュ輸送向けに改造)。しかし、キハ35も老朽化が進み、さらなる合理化を図って電化が決まり、103系6連(青色)で運用されることになった。地下鉄湾岸線の開通と引き換えに和田岬線廃止も取り沙汰されたが、JR西日本有数の黒字路線(通勤時間帯のみしか旅客列車が運転されないため)ということもあって、急ピッチで電化工事して生き残った。


京都府内の鉄道電化は近畿の他府県に比べて遅れていたほうだ。
大動脈・東海道本線は1950年代までに全線電化完成するが、他の国鉄線はどこも非電化路線ばかりだった。それでも1970年代から少しずつ電化路線が広がる。

まず、1964年の東海道新幹線が開業(新幹線は別か?)。
10年後の1974年には、関西と北陸・日本海縦貫の短絡線として湖西線(山科-近江塩津)が開通。湖西線はその名の通り、琵琶湖湖岸に西側に伸びて大半が滋賀県だが、起点・山科駅からわずかな区間だけが京都府(京都市山科区)だ。同じ滋賀県内の東海道本線や草津線沿線の湖東・湖南方面から湖西線沿線へJRのみで移動する場合、一旦トンネルを抜けて京都市に越境することになる。同様に、滋賀県西部から新幹線で東京方面へ向かう場合、京都駅に出向いて乗り換える人が多い(県内に米原駅があるが、停車本数が少なく不便なので)。

京都府内で電化路線が本格的に広がるのは1980年代半ば以降だ。

既に1970年代後半から山陰本線京都-園部間の電化工事が始まり、1980年代前半に完成する予定だったが、保津峡付近の複線化と新線付け替え工事が遅れていたため、電化開業はずれ込んだようだ。

山陰本線よりも先に、府南部の奈良線(京都-木津)が1984年10月に電化された。合わせて関西本線木津-奈良間も電化される。JR奈良線の正式区間は京都府内の京都-木津間で奈良県に至っていないことで有名だ(ただし電車は全て奈良駅まで乗り入れる)。

その後、1988年3月には関西本線加茂-木津間、翌年1989年には片町線木津-長尾間(→全線)が電化され、府南部の電化が進捗する。ただ、その後も関西本線加茂以東は非電化のままだ。

1984年奈良線電化の時点で奈良県、1989年片町線全線電化で大阪府内の鉄道電化率100%をそれぞれ達成する(大阪府内については旅客線のみ)。

電化の遅れていた府北部(日本海側)も、1980年代後半以降、少しずつ電化工事が進む。まず1986年11月の福知山線~山陰本線(宝塚-福知山-城崎間)が電化される。京都-園部間よりも福知山以西の電化が先だったのは意外だ。なお、福知山線は大部分が兵庫県内で福知山駅の手前付近のみ京都府だ。

その後、1990年3月にようやく山陰本線京都-園部間電化が完成する。前年の1989年に保津峡付近の新線に切り替わり同区間のみ複線化となるが、京都-園部間複線化を達成するのは20年後の2010年。この電化により、山陰本線京都口から客車普通列車が姿を消す。

1990年代になって府北部の電化も進捗する。
まず、1995年4月に山陰本線綾部-福知山間。園部-綾部間は電化工事中だったが、複線区間の綾部-福知山間の電化を先行開業させた。翌年1996年3月に園部-綾部間が電化され、山陰本線の京都-城崎(現・城崎温泉)間は電化区間で一本につながる。合わせて、北近畿タンゴ鉄道(→京都丹後鉄道)の福知山から宮福線経由天橋立まで電化され、大阪・京都駅から特急電車が乗り入れるようになる。
この電化により、急行「丹後」(キハ58系)と特急「あさしお」(キハ181系)がファンに惜しまれながら廃止される。

その後、京都府北部を代表する都市、舞鶴市が非電化のままでは、ということで、舞鶴線電化の要望が高まる。実際、園部-福知山間電化後、京都駅と舞鶴市を直通する定期列車が廃止され、舞鶴市の求心力低下が心配された。3年後の1999年、舞鶴線がようやく電化され、京都駅から特急「まいづる」が終日運転されるようになる。

そして小浜線(敦賀-東舞鶴)も2003年に電化。
これにより、京都府内のJRは関西本線加茂以東を除いて電化されたことになる。
なお、北近畿タンゴ鉄道→京都丹後鉄道に転換された宮津線は宮津-天橋立間を除いて非電化のままだ。

昭和の頃に比べて鉄道の電化区間は大きく広がったが、鉄道全体往時に比べて華がなく、むしろ非電化時代のほうが賑やかだったようだ。


関西・紀勢本線を主軸とする近畿南部、こと紀伊半島の国鉄・JRは、電化が遅れていた。
さらに、この地域(特に奈良・三重県)には日本最大の私鉄・近畿日本鉄道が縦横に路線網を張り巡らして名阪ノンストップおよび奈良・伊勢志摩方面への特急の高速運転が行われ、大部分が単線非電化の国鉄は軒並み惨敗する。
初めから電化されていたのは、阪和電鉄という私鉄として開業した阪和線(天王寺-和歌山)のみで、他の国鉄線はもともと非電化だった。

しかし、1970~80年代にかけて、大阪近郊区間周辺を中心に紀伊半島の西半分は電化工事が急速に進んだ。

その皮切りは、1973年の関西本線奈良-湊町(現・JR難波)間。
沿線人口急増により大阪への通勤客で混雑するにもかかわらず、木津以西は既に複線化されていたものの電化は意外に遅く、1960年代はキハ35系通勤型(3ドア・ロングシート)気動車を大量に投入して毎時3~4本以上のパターン化した等時間隔運転を断行するなど、気動車では異例の「国電型ダイヤ」を導入、通勤輸送に対応していた。「国電型ダイヤ」は1980年代に入って広島シティ電車をはじめ地方都市圏にも広まるが、非電化区間での国電型ダイヤは珍しい。キハ35系は奈良-湊町間を中心にして運用されていたが、亀山や名古屋までのロングラン列車に使用されることも多く、長距離利用者には明らかにサービスダウンだった。さすがに気動車では本数増発・スピードアップに限界があり、1972年秋ごろ急遽電化が決まる。
地上設備状況の良好な平坦区間ということもあって電化工事は急ピッチで進み、翌年1973年9月に完成。普通電車用101系(黄緑色)と快速電車用113系(赤帯)が各地から転用される。電車の所属は阪和線の鳳電車区だった。この電化により、関西本線を全線直通する列車は奈良で打ち切られ廃止される。
仮に電化が10年早かったら、阪和線や片町線と同様、旧型国電の巣窟となっていたのではないか。

湊町電化後、キハ35系は周辺支線区の奈良・桜井・和歌山・紀勢本線などに転用される。特に紀勢本線においては、和歌山-新宮間200km余りのロングラン普通列車でキハ35系オンリーすらあったようだ(これは関西本線全区間名古屋-湊町間よりも長い)。当時の紀勢本線は大阪方面から南紀への優等列車(キハ80系「くろしお」、キハ58系「きのくに」ほか)について利用状況が好調で、スピードアップが望まれ、西側の和歌山-新宮間の電化工事が始まる(一方、東の三重県側、亀山-新宮間は名古屋からの優等列車はあるが近鉄と並行していることもあって本数は非常に少ない)。

1978年10月には和歌山-新宮間が電化完成。この電化に合わせて阪和線の日根野電車区が開設(鳳電車区からの移設)、関西・阪和・紀勢本線など近畿南部で活躍する電車を一手に引き受けた。特急「くろしお」には381系が新製投入された。普通電車用に113系(ブルーライナー)非冷房車4連口が各地から転用されるが、2000番台も6連口1本だけ(主に阪和線快速で使用)新車で納入される。ただし急行「きのくに」などは気動車のまま存置されたほか、客車列車も数本残る(竜華機関区に電化路線用牽引機としてEF58が転属)。

続いて1980年3月、支線区の桜井・和歌山(王寺-五条間)・草津線が電化。
桜井線・和歌山線には赤帯113系(日根野電車区所属)が充当される。この電化名目で2000番台が6連×3本新製されるものの主に関西本線快速で使用され(ただし朝・夕ラッシュ時間帯には和歌山・桜井線への直通運転を実施)、線内ローカル用に非冷房車4連を転用。赤帯4連口は紀勢本線ローカルと共通運用だった。

一方、草津線(柘植-草津)は三重県伊賀市と滋賀県南部を結ぶローカル線で、三重県内の国鉄では最初の電化路線となったが(県内区間はわずか1km程度だが)、他の天王寺鉄道管理局管内の電化路線とは離れ孤島状態であり、普通電車には湖西線と共通の113系700・2700番台(高槻電車区所属)が投入される。桜井・和歌山線用113系とはちがって、草津線使用の113系は新しくて全編成冷房付き、天鉄局管内としては車両面では優遇されていたほうだ。ただ、線路状態など地上設備は良くなく、電車はガタガタ揺れて乗り心地は意外に悪いようだ(草津線は直線区間の多い平坦路線で、特急電車がやってきてもおかしくないような風景なんだが・・・)。

1982年5月には、関西本線の東側、名古屋-亀山間が電化される。これにより、三重県内国鉄線の電化率はアップするが、それっきりのままだ。名古屋鉄道管理局管内で、電化当初は神領電車区の113系(湘南色)が使用されるが、1985年3月改正では急行列車の廃止で余剰となった165系3両編成(大垣電車区所属)が充当されるようになる。

1982年夏に台風10号が直撃して、近畿~東海地方に大きな被害をもたらしたのは記憶に新しい。王寺駅電留線に大和川から溢れ出した水が流れ込んで浸水し、関西本線・和歌山・桜井線で活躍する電車の多くが被災する。車両不足の非常事態となり、浸水被害を受けた101系は廃車され、首都圏で廃車予定だった101系が急遽応援に回り、関西では見慣れない黄色がデビューしたり混色編成が現われて、ファンの目を楽しませた。113系は吹田・鷹取・名古屋工場に分担して修理を受け(ディーゼル機関車牽引で非電化区間の奈良線や関西本線経由で搬送された)、その間東海道山陽から113系湘南色が応援に入ったり、阪和線用青帯も使用されたりと、賑やかな顔ぶれだった。

翌年1983年には、東海道山陽緩行線に201系が投入されることにより、関西本線普通電車の103系への置き換えが始まり、1985年までに101系は引退する。電化以来、101系は非冷房車ばかりだったが、転入してきた103系は冷房車も多く、サービスアップする。また、阪和線では1983年10月より快速電車の8両運転を開始する(103系使用)。

1984年10月には奈良・和歌山線(五条-和歌山間)が電化される。これに合わせて、関西本線木津-奈良間と紀勢本線末端区間の和歌山-和歌山市間も電化。従来の路線でいけば113系が投入されるかと思いきや、財政状況の厳しい国鉄末期を反映して常磐線~地下鉄千代田線直通用103系1500番台を改造した105系2連口が使用されることになる(中国地方ローカル線向けに作られた105系とは扉数など相違点が多い)。しかし、これだけでは足りないので赤帯113系も奈良・桜井・和歌山線で混用する。

これにより、奈良県内の電化率は全国でも数少ない100%という名誉を獲得する。隣の和歌山県も国鉄線に限ればほぼ100%に近いが、新宮から東側のわずかな区間だけが非電化だ。一方、京都府内については、山陰本線など中・北部地域は全て非電化のままだった。大阪府内でさえ、電化率100%達成は片町線全線電化の1989年だ(ただし旅客線のみ)。また、滋賀県については、信楽線の第三セクター転換後、JR線に限って100%の電化率を達成している。そういえば、1990年代の京都府知事選で府内のJR線電化率が周辺他府県に比べて低く、1978年の府政転換後山陰本線の電化工事が予定より遅れている、と共産党系陣営が批判していたような記憶がある。

キハ35系などが大量配置された馴染みの奈良運転所は奈良線電化をもって廃止となる。代わって翌年3月平城山駅隣に奈良電車区が新たに設置され、関西本線・奈良・桜井・和歌山線用の103・105・113系が配属となる。奈良・和歌山に所属していた気動車(キハ35系、キハ58系ほか)は亀山機関区に集約される。

1985年3月ダイヤ改正で急行「きのくに」は全廃、紀勢本線西部の優等列車は電車特急「くろしお」に一本化される。381系だけでは足りないので、東北・上越新幹線開通で余剰となった485系が一時的に転用された(翌年1986年11月には福知山線電化で新たにデビューの「北近畿」に転用)。和歌山機関区も廃止され、和歌山県内における気動車列車は紀勢本線紀伊勝浦以東のみとなる。
また、関西本線では木津-湊町間直通の快速も登場する。

1987年の国鉄分割・民営化では紀伊半島エリアはJR西日本とJR東海に二分され、三重県内の大半はJR東海(関西本線亀山以西を除く)、残りはJR西日本がそれぞれ管轄することに決まる。

JR西日本管内における非電化区間は、1987年当時の時点で関西本線亀山-木津間と信楽線(そして片町線木津-長尾間)のみ、残りは全て電化済みだった。翌年1988年3月には加茂-木津間が新たに電化され、天王寺・湊町・大阪から直通電車(103系、113系)が終日運転されるようになる。1年後の1989年にはJR西日本初の新型近郊型電車221系が晴れ晴れデビュー、東海道・山陽本線のほか関西本線快速(「大和路快速」ほか)にも投入される。特に大和路快速は3ヶ月余りで全て221系に置き換えられ、113系赤帯は阪和線や東海道・山陽へ転属。


仮に三重県内および名古屋までが全部JR西日本のエリアだったらどうなるか?

三重県内の電化についてはたぶん現状維持だろうが(紀勢本線新宮-熊野市間は可能性がありそう→和歌山県内のJR線電化率は100%に)、少なくとも名古屋-四日市間の複線化工事は進捗していただろう(名古屋近郊においては武豊線の電化は早く実現しただろう、ほかに高山本線岐阜口~太多線電化も)。関西本線唯一の優等列車、急行「かすが」は意外に早く廃止されていたかもしれない(特に東海道新幹線をJR西日本が管轄するのなら、京都駅経由奈良線利用のルートに誘致するだろう)。その代わり、亀山・加茂での列車系統分断はもう少し緩やかなものとなり、木津での奈良線・片町線との乗り継ぎを考慮して一部の気動車列車は奈良までの直通運転を継続するなどの柔軟な運営体制は期待できるのではないか。

伊勢運転区(→JR東海伊勢車両区、2016年廃止)は国鉄時代末期の時点で亀山機関区に統合、紀伊半島東部のローカル列車運用の拠点として気動車を一括管理することは容易に想像できよう。また、キハ58系およびキハ40系など国鉄型気動車の後継車両としては、キハ120とか(JR東海の)キハ25系ロングシートではなく、セミクロスシートのキハ122・127あたりを期待したいところだ。

紀勢本線紀伊田辺-新宮間のローカル列車にしても、105系は論外で、223系5500番台もしくは227系タイプの車両に早く置き換えていただろう。合理化を図りたいのなら、亀山の気動車を回す手も有りだ(→紀伊田辺~多気・松阪直通といった長距離普通列車の実現可能性もあり)。




京阪バス枚方尊延寺線【75】号経路・<長尾駅~穂谷>。

運行経路は、

長尾駅~長尾台住宅~大阪国際大学~杉山手~杉~氷室台~尊延寺~穂谷口~穂谷

で、1999年に新設される(設定当初は【41】号経路→2002年【75】に変更)。

もともと枚方営業所が担当していたが、2009年11月より京田辺営業所が大半の便を受け持つようになる。

2014年3月までは毎時2本の運転だったが、4月ダイヤ改正で【82】【83】<松井山手駅~穂谷>新設(第二京阪副道経由)と引き換えに、【75】号経路は毎時1本に削減される。松井山手発着系統が設定された理由は、JR学研都市線のほか、直Q京都号との乗り継ぎをも図るためだと思われる。実際、朝の通学時間帯には、直Q京都号の一部が関西外大学研都市(穂谷)キャンパスまで直行している。

また、【75】号経路本数削減の代替措置として、【66】号・<枚方市駅南口~大阪国際大学~長尾駅>も新設される(【65】号を長尾駅へ延長した形)。【66】号経路は現在のところ、全便枚方営業所が担当している。

2014年3月までは基本的に大型車または中型10.5m車で運用されていたが、利用状況を反映して(関西外大生以外の利用は少ない)、最近は中型車での運用も珍しくないようだ。

私個人的に、【75】号経路は【79】【80】【81】<穂谷~新田辺>と統合し、長尾駅~穂谷~新田辺直通にすればよいかと思っている。実際、新田辺から穂谷に到着後、長尾駅行きとして折り返す便もあり、それならばいっそのこと系統を統合できないものか。あるいは、出屋敷線【25】号・<枚方市駅北口~長尾駅~大阪国際大学>を穂谷まで延長するか。

長尾駅東出口への利便および渋滞待ち回避を図って、JR踏切東側に西行き(長尾駅行き)のおりば専用の新設も望まれるだろう。もっとも、市道牧野長尾線の中村病院(長尾播磨谷1丁目)~長尾東町~長尾台間延伸工事が始まっており、併用後、新道経由に変更される可能性もありそうだ。

【75】号経路関連の面白い運用として、朝の穂谷発の便が長尾駅到着後、樟葉長尾線【94】号・樟葉駅行きに変わるものがある(京田辺担当)。京田辺営業所管内の運用範囲は実に広く、直Qや小型車運用など一部の例外を除いて路線ごとに運用車両が特に限定されているわけではないようで、大型車が1日2本だけの京都南部線【26】号経路で京都駅八条口に顔を出したり、旧・宇治交色のレインボーHRが【90】淀長岡京線の運用に入って阪急電鉄公式Twitterでも話題になるなど、非常に興味深い。


※京田辺営業所にN-3308、3309が追加されました。


京阪バス枚方営業所管内の過去の路線について一つレポートする。

【47】号経路・<樟葉駅~京阪牧野駅前~摂南大学薬学部>。

運行経路は、

樟葉駅~モール街(現・くずはモール)~樋ノ上~牧野北町~京阪牧野駅前~歯科大学前~関西医大前~招提口~新池~国道招提~ぽえむ南橋~ポエムノール北山~家具団地~峠~摂南大学薬学部

で、樟葉駅からポエムノール北山、家具団地方面へ少し遠回りの経路だった。京阪牧野駅前より先は現在の【38】【85】号経路と同じ走行ルート。

それほど古い路線系統ではなく、1994年7月に新設されたが、2002年3月ダイヤ改正で廃止され短命だった。

この路線系統の特徴として言えることは、大阪歯科大学、関西医大、大阪工大、摂南大学の4つの大学を結んでいることだろう。現【38】号経路も同様だ。枚方市は意外に大学が多く、特に東部地域は1980年代半ば以降に移転開校したところばかりだ。北山地域の住宅街(ポエムノール)整備と大阪工大キャンパスの開校に合わせ、枚方北部地区のバス路線は大きく変わった。

なお、樟葉駅からポエムノール北山~家具団地~峠までの運賃は、1997年の京阪バス大阪地区運賃改定以降、旧・京阪宇治交通くずは地区が安く据え置かれたため、北山線【2】【大2】号経路などと異なっていた。
(もちろん、京阪バスも樟葉駅周辺の運賃は京阪宇治交通に合わせて据え置かれた)。


近鉄バスの気になる過去路線について一つレポートする。

枚岡線【60】【61】番。

上本町六丁目と東大阪市(旧・枚岡市)枚岡・石切地区を、近鉄奈良線に並行する形で以下の経路で運行:

上本町六丁目(バスターミナル)~鶴橋~新深江~長栄寺(布施営業所前)~新家~菱江~花園ラグビー場前~枚岡~新石切駅前~石切神社前(【61】番は枚岡止め)


戦前に布施駅~枚岡間にて開設され、近鉄バス(近畿日本鉄道自動車部)の歴史を語る上で重要な路線系統だ。戦後、大阪市内への乗り入れが実現し、上本町六丁目、さらに本町四丁目へ延長。1984年に上本町バスセンターができてからは、そこを起終点とする。上本町バスセンターは現在、大阪空港行きリムジンバス乗り場となっている。

石切神社に参拝する利用客も多く、正月には増便も行われるほどの盛況だったそうだ。花園ラグビー場への利用客も多かったことだろう。1960年代には2階建てバス「ビスタコーチ」も導入され(→近鉄特急「ビスタカー」のバス版)、さらにノンステップバスも活躍するなど、先進的サービスが導入された路線でもある。

しかし、道路渋滞や近鉄奈良線と完全並行していることなどの事情により利用客が減少。ただし、近鉄奈良線と少し離れて並行するけいはんな線(旧・東大阪線)新石切界隈から布施・上本町方面へは便利だっただろう。1990年代前半にはえげつないほどの大幅減便を実施、1997年に休止、2000年に廃止になった。

枚岡線廃止から6年後の2006年、石切線【70】系統・<新石切駅前~石切駅前>が新設される。かつての枚岡線の末端区間を復活させたような形だが、狭隘路を通るため小型車で運用。短距離ではあるものの急な坂道があり、なおかつ住宅地も多いことから旅客需要はあって、毎時2~3本程度運行されてきた。しかし、運転士不足を理由に2016年6月1日より土曜日のみ1往復のみの免許維持路線となった。


阪急バスの面白い路線系統はないものかと探してみた。
今回は【96】系統・石橋西宮線についてレポートを書いてみる。

石橋西宮線は阪急バスの歴史的由緒ある路線系統で、かつての京阪バス枚方~茨木~石橋と関係が深いようだ。石橋西宮線【96】系統の運行経路は、

石橋北口~阪急石橋~中之島~新開橋~体育館・市民プール前(伊丹市)~伊丹市役所前~甲武橋西詰~西宮中央病院前~西宮北口


で、国道171号線(西国街道)をほぼひたすら走行する。石橋営業所の担当で、兵庫県に乗り入れる大阪ナンバー車運用の数少ない路線系統だ。

かつては茨木石橋線(【92】系統)と一本化され茨木~石橋~西宮間を結んでいたようだ。現在も、石橋乗り継ぎで茨木~西宮間をバスで移動することは可能だ。さらに、枚方・寝屋川方面から神戸までのバス乗り継ぎの旅にも、この【96】系統は便利だ。かつては京都市内(河原町御池)や水無瀬から西宮まで、R171経由で阪急バス乗り継ぎも可能だったが、水無瀬~摂津富田間のバスが廃止され、京都地区の阪急バスは完全に分断されてしまった。

茨木石橋線【92】系統とは対照的に、【96】系統は1~2時間に1本の運行で本数は少ないので、予め時刻を調べるほうがよい。【96】系統を豊中発着にした【97】系統も1日1往復だけ運転されている。






1992年春、「青春18きっぷ」で名松線の旅をする。

名松線(松阪-伊勢奥津間)は行き止まりローカル線だ。

もともと松阪と名張、さらには奈良県の桜井を結ぶことを目的に建設されたことから、「名松線」という路線名が付けられた。しかし、関西急行電鉄が大阪-伊勢間の路線(=近鉄大阪線)を開通させ、さっそく高速運転を始めたことから、国鉄名松線の名張延伸は実現せず、奈良県境手前の伊勢奥津(津市美杉町)で行き止まりとなった。

未成線区間の伊勢奥津-名張間は三重交通バスで結ばれてきたが、年々本数は減らされ、現在同区間のバスは1日1往復のみだ。

さて、名松線に乗ったのは1992年春の1度きりだった。
伊勢奥津駅で確か、名張行きのバスを2~3時間近く待った。
学生時代の当時、山の中の小駅で長時間待つのは、正直退屈以外のなにものでもなかった。
さらに、この日は天気もあまり良くなく、夕方から雨が降り出した。

しかし、今だったら、むしろ無人駅で途中下車して、1時間ほど景色を眺めたり周りをぶらりと散策するのも楽しいと思う。


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伊勢奥津駅前(2015年、バイクで訪問)


2015年秋、バイクで伊勢奥津駅前を訪れたときは、名松線は不通だったが、
駅舎は綺麗に改装され豪華になって観光センターを併設、観光客で賑わっていた。
ただし、駅構内の線路は棒線化され、往時に比べて寂しくなったようにも思う。

せっかくなので、SL時代の面影が残っていた当時の伊勢奥津駅構内をもっと味わっておけばよかった。

伊勢奥津駅前からのバスは、概ね名張川の流れに沿って国道368号線を走行し、一旦奈良県(御杖村)を掠りながら、名張市に踏み入れる。名張川はこの先、奈良県の月ヶ瀬村を経て京都府南山城村で木津川に合流する。伊賀盆地を源流とする木津川は八幡市付近で宇治川・桂川と合流して淀川となり、大阪湾に注ぐ。意外にも名張川は淀川水系であり、三重県の伊賀地方は関西圏だ。

名張駅前に到着後、近鉄電車の区間快速で桜井までワープし、桜井線に乗り換えて帰路につく。


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京阪深草駅(京都市伏見区)の改築工事が進んでいる。
この改築工事に合わせてホームが8両対応化されるのか注目されていたが、やはり8両対応の延長工事も行われているとのこと。

深草は準急・普通のみの停車だが、通過待避可能な構造となっており、ホームは島式2面4線。ホームそのものは7両以下だが、待避線への8両編成の入線は可能となっている。かつては深草車庫があり、運行ダイヤ上の重要拠点で、深草発着列車もあった。

深草駅前周辺は龍谷大学や京都府警察学校はじめ学校が多く、通学客で混雑しやすい。
伏見稲荷大社にも近く、伏見稲荷駅とは徒歩可能な至近距離にあり、駅間距離の短さでは滝井-土居間といい勝負だ。伏見稲荷駅は昔からの急行停車駅のためホームは8両対応済みだ。ただし、近年、特急の停車駅増加により急行の運転本数が大幅に減ったため、深草とほぼ同様、ほとんど準急または普通のみしか停車しない(快速急行は通過)。伏見稲荷より深草のほうが乗降客数は多い。ただし、並行するJR奈良線の稲荷駅は伏見稲荷大社がすぐ傍にあるため、近年外国人観光客で大混雑しやすく、京都駅に直通していることもあって京阪の両駅よりも賑わっているようだ(ただし快速は通過)。



さて、深草駅ホーム8両対応化の有効な使い道だが、特急・(快速)急行の停車以外に良い案は思いつかない。
伏見桃山・墨染・藤森・鳥羽街道・東福寺のホーム長が7両編成ゆえ、準急・普通の8両化は不可能だし(車両新造・改造も7両編成を増やす前提で進んでいる)、まさかドアカットで運用するわけにもいかないだろう。
特急の深草停車も、スピードアップの観点からして、ちょっと考えにくい。

参考までに、伏見稲荷折り返しの列車が運行されたことはある。
それは1987年5月、京都地下線(東福寺-三条)開業日だった。当日午前中の2時間ほど、伏見稲荷-三条間は地下線切り替え作業のため、列車運行を休止し、バスで代替輸送していた。残り少なくなった方向板の「三条」の部分を「伏見稲荷」(紙で印刷したもの)に張り替えて使用していたようだ。方向幕には「伏見稲荷」コマは入っていないので(「深草」はちゃんと入っているのに)、特別に「伏見稲荷」を貼付された方向板を使用したという。また、伏見稲荷駅には折り返し施設はないので、大阪行きの始発列車はどのように仕立てのか気になる。
地下線開業の1週間後にダイヤ改正が行われ、急行の8両運転が本格的に開始した。



久しぶりに京阪バス交野営業所管内の路線についてレポートする。

今回は、廃止された【32】号経路・<寝屋川市駅~四条畷駅>。

【32】号経路の運行ルートは、

寝屋川市駅~秦北口~電気通信大学前~高宮口~木田~巣本~堀溝~国道中野~四條畷市役所~塚脇~四條畷神社~四条畷駅

で、府道21号線(枚方八尾線)&国道163号線の主要幹線道路を走行するものだった。

寝屋川と四条畷駅を結ぶ路線系統は、ほかに、

【33】寝屋川市駅~高宮口~砂~四條畷市役所~四条畷駅(国道170号旧道経由)
【41】寝屋川市駅~秦公民館前~三井秦団地~寝屋~南旭町~笠松~正縁寺~忍ヶ丘駅~四条畷駅

などもあったが、【41】は東寝屋川駅・忍ヶ丘駅折り返しに短縮および経路変更、【33】号経路1往復のみを残して(→免許維持)全廃された。

イオンモール四條畷オープン(2015年10月)に合わせたダイヤ改正では、【33】の代替として、

【37】寝屋川市駅~高宮口~小路北町~教育センター前~忍ヶ丘駅~塚脇~四条畷駅

が設定されるものの、やはり本数は少ない。

さて、問題の【32】号経路だが、2006年8月に廃止される。狭隘区間を走行する【33】号などと異なり、幹線道路を走行することもあって、廃止まで大型車の運用はあったが、住宅地が少ないこともあってやはり利用客は少なく、中型車で運用されることも珍しくなかったようだ。

【32】号経路の代替として、寝屋川市の「タウンくる」河北線が新設される(寝屋川営業所担当)。寝屋川市南端部にあたる巣本・堀溝・河北界隈は門真市・四條畷市・大東市との境界が複雑に入り組んでおり、寝屋川市がこの境界付近に深く突き出ている。R163は少しだけ寝屋川市を通ってるし、外環状線(R170)にいたっては四條畷市に入ったかと思いきや四條畷警察署付近で再び寝屋川市、といったカオスである(ちなみに寝屋川市内全域、寝屋川警察署の管内)。

高宮口以南は「タウンくる」に代替され通常の路線バスの乗り入れがなくなったが、2015年のイオンモール四條畷オープンに合わせ、【30】号・<寝屋川市駅~イオンモール四條畷>が新設され、9年ぶりにこの地区へのバス路線が復活する。【32】号経路時代は本数は多くなかったが、現在の【30】号経路は15分間隔の運行で、基本的に大型車で運用されている。寝屋川市南部地域において久しぶりに路線バスが増強されたことになる。


京都市バスで馴染み深い路線系統の一つ、【5】系統。

京都市街地東側(洛東)を南北に縦断する長距離系統で、運行経路は、

京都駅前~烏丸五条~四条烏丸~四条河原町~河原町三条~三条京阪前~東山三条~神宮道~岡崎公園(美術館・平安神宮前)~南禅寺・永観堂道~東天王町~錦林車庫前~銀閣寺道~北白川校前~上終町(京都造形芸大前)~修学院離宮道~宝ヶ池~花園橋~国際会館駅前~岩倉操車場前

烏丸通~四条通~河原町通~三条通~神宮道~白川通を走行、主要ターミナル・繁華街やビジネス街および洛東・東山の有名観光地(平安神宮、美術館、動物園、南禅寺、銀閣寺、一乗寺、修学院、ほか)を経由するため、終日混雑しやすく、運行本数は多い。2016年3月まで、上終町以北は均一運賃区間外のため整理券発行路線だったが、現在全区間均一運賃となり、方向幕の系統番号は青色に変更された。

担当営業所は長い間、錦林営業所(廃止)が管轄していたが、1999年から数年ごとに梅津・九条・西賀茂などと入れ替わりやすく、現在は再び九条営業所(京阪バス委託)が担当している。西賀茂担当時代(2007~2014年)は京都バス委託で、従来均一運賃系統オンリーの担当だったところ、京都バス委託路線に限って多区間車(整理券車)が充てられていた。

全体的に利用状況は良いほうだが、京阪鴨東線および地下鉄烏丸線国際会館開業の影響で、北部末端区間の利用客は減少傾向にあり、一時期京都駅前から錦林車庫折り返しの便(【57】系統)が設定されることもあった。しかし、銀閣寺道へ行かない【57】系統の利用状況は良くなく、【5】系統に統合される。そして、最近、岩倉まで通す便が再び増発されている。

この路線系統について、東山、岡崎や岩倉など、愛知県と同じ地名の場所を複数個所通っているのは興味深い。京都市内には、ほかに伏見、赤池など、なぜか名古屋と同じ地名が多く見られる。

また、2015年より四条通歩道拡幅によって2車線化されたため、四条通の渋滞がひどくなっているようで、渋滞回避を図るため、五条通経由の【特5】系統が新設された。

三条通の神宮道以東、蹴上方面へは、現在京阪バス【17】【19】号経路しかなく、不便だ。地下鉄東西線が通っているとはいえ、やはり観光客で賑わうので蹴上を通るバスは増発して欲しいところだ。この【5】系統の一部を蹴上~(仁王門通)~南禅寺前~(白川通)に変更した路線系統を新設するのはどうだろうか?


格安イタリアレストランの大手チェーン店、サイゼリヤ。

ワイン1グラス100円とお得感もあって、2・3年ほど前、よくサイゼリヤに寄らせていただいた。

しかし、最近、枚方市内近辺で閉店が相次いでいる。
昨年、国道1号線(枚方バイパス)沿い、枚方自動車教習所近くの店が閉店。
そして、今月末限りで、イズミヤ近くの宮之阪店も閉店するという。

http://www.hira2.jp/close/saizeriya-20170202.html

宮之阪の店が閉店したあと、枚方市内の店舗は枚方市駅近く(T-SITE南側)の一つだけとなる。
どこにでもあるのかと思いきや、枚方市内は何気に少なかったわけだ。
周辺地域では、寝屋川市の香里園駅前店やビバモール寝屋川店などがある。


京阪バスの磁気カード乗車券の発売・利用終了とICカードの新サービスが発表されました。

https://www.keihanbus.jp/local/pdf/ic_20170203.pdf

現在の磁気式1Dayチケット(大阪版、京都・滋賀版、各600円)は、本年9月で発売終了、来年3月限りで利用終了。

これに代わって、本年4月1日より、IC式1Dayチケットが650円で発売・利用開始となります。
50円分の値上げですが、京阪バス全線(大阪・京都・滋賀地区)で利用可能となり、行動範囲が大きく広がります(枚方市100円バス、四條畷市コミュニティバス、京都比叡山線など一部の路線を除く)。もちろん、現在の1Dayチケットでは「利用可能範囲外」の京田辺地区でも、新たに使用できるようになります。

IC式1Dayチケットを利用するためには、ICOCAまたはPitapaを用意する必要があります。
与信審査や身分証明書の不要なICOCAカード(2,000円分チャージ)が手軽に購入しやすいでしょう。
ICOCAカードは、鉄道駅やコンビニで1,000円単位のチャージが可能です。
1Dayチケットの利用当日、1回目のバスに乗車の際、乗務員に伝えることで、2回目以降のバスで利用可能となります。

ICカードは、もちろん関西の鉄道・バス各社で使えるので、バスの本数の少ない地域を鉄道でハシゴするのにも便利です(運賃は別途必要)。



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大阪市営地下鉄の谷町九丁目駅。
谷町線と千日前線が接続して、近鉄電車の乗換駅(大阪上本町駅)である。
谷町線と千日前線との乗り換えは便利だが、地下鉄から上本町駅までは距離があり、長い地下道を歩かされ、意外に不便だ。

近鉄の大阪上本町駅は谷町筋の東側にある上町筋に面している。京阪天満橋駅からは谷町線よりも、市バス【62】系統などのほうがむしろ便利だろう。

大阪上本町駅は近鉄の一大ターミナルでありながら、地下鉄との乗り換えが不便で、特に御堂筋線と接続していないのが泣き所だ。近鉄大阪線の一般列車(大和高田・榛原・名張方面)は上本町(地上ホーム)発着のため、他の私鉄主要路線に比べて御堂筋線沿線へは不便で、大阪駅・梅田へは一つ手前の鶴橋でJR環状線に乗り換えるのが一般的だ。同じ近鉄であって、奈良線や特急列車は大阪難波で御堂筋線に乗り換えることが可能だ。上本町始発の特急は鳥羽行きが毎時1本程度のみで、他は大阪難波からの発着となっている(特にビジネス色の濃い名阪特急は全て大阪難波からの発車)。旧・大鉄系の南大阪線も起点の大阪阿部野橋駅(天王寺駅前)で御堂筋線に接続している。確か、大阪阿部野橋駅の乗降客数は上本町を超えていたはず。



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大阪市営バスの路線系統について一つレポートを書いてみたくなった。

今回は、大阪市街地を南北に縦断する長距離路線、【62】系統についてエントリーする。

運行経路は、

大阪駅前~淀屋橋(市役所前)~天満橋~京阪東口~大阪城大手前~上本町六丁目~上本町九丁目~天王寺警察署前~あべの橋~松虫~北畠公園前~播磨町~万代東二丁目~府立総合医療センター~住吉車庫前


で、土佐堀通(京阪電車の上)~上町筋~谷町筋~あべの筋を走行する。大阪駅前~淀屋橋間は御堂筋・四ツ橋筋が一方通行のため、南行き(梅田新道、御堂筋経由)と北行き(肥後橋から四ツ橋筋経由)では運行経路・バス停が異なっている。

「京阪東口」は交差点の名称でもあって、かつて天満橋駅が京阪電車の地上ターミナルであったときの名残だ。すなわち、ここに京阪天満橋駅東口の降車用改札口があって、大阪市電・バスに乗り換えていた。現在、京阪東口にはOMMビルが立地している。天満橋・大手前周辺は大阪府庁を核とする官庁街で、名門・大手前高校もある。大阪城公園の西側の入口にも面している。

天満橋~あべの橋(天王寺駅)間は地下鉄谷町線と並行しているが、バスは谷町筋の一つ東側、京阪東口から上町筋に入って、地下鉄から少し離れた上町地域をカバーしている。谷町線(谷町九丁目)と近鉄上本町駅(上本町六丁目)の乗り換えは意外に不便で、長い地下通路を歩かされる。近鉄上本町駅へは、谷町線よりも市バス【62】系統などのほうが意外に便利で、乗り降りがラク(路面電車も同様)だし、車窓から町の景色を楽しめるのが何よりだろう。

あべの橋(天王寺駅前)から松虫付近までは阪堺電車上町線の軌道併用区間だ。阪神高速松原線とアンダークロスする阿倍野交差点より、谷町線は南から南東に向きを変え、高速松原線の真下に沿って平野・喜連瓜破方面、八尾南に至る。かつて、上町線の阿倍野駅から平野線(南海)が分岐して谷町線延伸区間に沿って平野を結んでいたが、八尾南開業と同時に廃止された(阪堺電車はかつて南海電鉄直営の軌道線だった。平野線廃止後、軌道線を経営分離して阪堺電車となる)。

谷町筋~阿倍野筋は大阪府道30号線(大阪和泉泉南線)の指定区間に含まれており、大阪市北区(国道1号線東天満交差点が起点)から泉南市まで45km以上に及ぶ。熊野街道の流れを継承している(熊野街道の起点は天満橋)。阿倍野筋の西側には帝塚山で知られる閑静な高級住宅街がある。阪堺上町線は帝塚山界隈を通って、住吉神社前で阪堺線に合流し、我孫子道・浜寺公園まで直通する。

市バス【62】系統は阿倍野筋をひたすら南下し、やがて終点・住吉車庫に到着、梅田・大阪駅前からの小旅行を終える。阿倍野筋こと府道30号線はこの先、大和川を渡って南海堺東駅前などを経て、鳳付近からJR阪和線に寄り添いながら和泉府中・熊取・日根野方面に至る。堺東駅前~鳳間には南海バスのシャトルバスが専用車両でピストン運行されている。

【62】系統は住吉営業所が主に担当しており、運用車両については、少し前まで日産ディーゼル(富士重ボディ)や日野が多かったように記憶しているが、最近は三菱エアロスターなどもよく見かける。利用状況が堅調で終日運行本数は多い。特にあべの橋付近では混雑しやすいようだ。全区間乗車すれば1時間はかかるだろう。


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