2017年06月


京阪電鉄の平成29年度鉄道事業設備投資計画が発表されました。
https://www.keihan.co.jp/corporate/release/upload/2017-06-28_h29_setsubi.pdf

主な内容は、

◎新型ATS導入
◎13000系を来年上期に14両2編成を新造
◎座席指定の特急車両「プレミアムカー」導入(本年8月20日開始)
◎6000系のリニュアル工事
◎伏見稲荷駅のリニュアル

などです。

2020年までに京橋駅ホームドア設置の予定があることから、5扉車5000系を置き換えることが確定しており、13000系の増備継続は予想通りでした。

13000系は製造開始の2012年から本年春までにかけて

4連口×7(13001~13007F)
7連口×5(13021~13025F)→中間車抜いて4連への短縮可能

の合計63両が出揃い、京阪の一大車両形式群に躍進しました。来年上期に7連×2本(たぶん13026・27F)が追加されると、総数77両となります。現時点で、かつて大勢力を誇っていた2200・2600系を既に上回っています。2020年までに5000系を全て置き換えるとなると、単純に計算して最低7連×4本を作る必要があり、100両を超える一大勢力に躍進するでしょう。

気になるのは、5000系よりも老朽化の進んでいる2200・2600系(0番台)の残りをどうするか。さらに2400系や大型化更新車1000系、そして2600系30番台の置き換えも課題でしょう。その頃に及んで13000系ばかりではさすがに飽きられるだろうから、モデルチェンジして新形式15000系でも起こすのかもしれませんね。

6000系の更新工事が終わった後、今度は7000系、7200系そして9000系の更新工事も視野に入るでしょう。

低迷している中之島線も、なにわ筋線開業後は活気が戻り、車両投資計画が大きく変わるのかもしれませんね。その頃になれば、特急車の置き換えもいよいよ本格的に検討されることでしょう(まずはプレミアムカーが成功するかどうかを見極める)。



三重県四日市市の鈴鹿山脈にある湯の山温泉

湯の山温泉界隈は「恋結びの温泉街」と言われ、開湯1200年を迎えるそうだ。鈴鹿山脈の最高峰・御在所山からは東側に伊勢湾、反対の西側には滋賀県・琵琶湖が遠望でき、スキー場もある。

湯の山温泉へは京阪神および名古屋からの日帰り旅行圏であり、道路交通は非常に便利だ。四日市市街地~湯の山温泉~滋賀県(土山・竜王・琵琶湖大橋方面)を結ぶ国道477号線(鈴鹿スカイライン)は見晴らしの良いドライブコースとして有名で、大阪方面からは、

名神(草津田上IC)~新名神~東名阪(四日市IC)~R477
西名阪~名阪国道~東名阪(四日市IC)~R477
名神(竜王)~R477(日野・土山経由)

など、経路の選択肢が多い。

公共交通も近鉄湯の山線が四日市から山麓まで乗り入れており、近鉄湯の山温泉駅からバス・タクシーを利用する。また、温泉街から御在所山へのロープウェイもある。

かつては大阪難波・上本町および近鉄名古屋から湯の山温泉直通の特急があったが、利用客の減少で廃止される(近年、イベントで臨時の直通特急が復活することもあるが)。鳥羽・志摩線などは別として、支線区に直通する数少ない特急だった(現在も毎月26日に名古屋・京都~天理直通特急が運転される)。御在所山は近鉄沿線では数少ないスキーのスポットとして有名だ(近鉄沿線のスキー場といえば、ほかに冬場の冷え込みの厳しい奈良県南部の吉野・大台ケ原・天川なども)。

一方、反対の滋賀県側からも、草津駅から特急バスが国鉄・滋賀交・三重交の3社共同で運行していたが、やはり自家用車普及による道路渋滞などの影響も大きく、1980年代前半ごろに廃止された。京都京北線など関西圏の国鉄・JRバス車体に湯の山温泉の広告が掲載されていたことを思い出す。湯の山特急用にせっかく納車された滋賀交通の三菱MAR470(1976年式)も持て余し気味となるが、同社では数少ない一般路線用冷房車として重宝され、1999年まで草津・野洲・湖南地域のローカル輸送で活躍を続けた。

今後、大阪・京都・名古屋から新名神経由で湯の山温泉行きの高速バスが新設されることは考えられる。ただ、新名神経由で京都と三重県各地(伊勢・津・四日市)を結ぶ高速バスも、思ったほど利用が多くなかったのか、大幅に縮小されていることから、実現する可能性は低い。一方、京都伊賀上野系統が去年新設され、大阪伊賀線とともに好評運行中だ。

なお、国道477号線は、近畿有数の「酷道」としても知られる。琵琶湖大橋から京都北山・丹波高地の中に入り込んで亀岡盆地の西の縁辺部を回って、大阪府最北端の能勢町に入り、少しだけ兵庫県も掠りつつ池田市が終点という、不可解なジグザグルートといい、百井越え(京都市左京区大原)の隘路といい、「酷道」の要素はかなり多い。しかし、百井越えなど一部区間を除いて、相次いで改良整備が進んでいて、大部分の区間では普通にドライブしやすくなっており、紀伊半島の4大酷道(309・371・422・425号)に比べたら、まだかわいい。それでも全区間完走しようと思えば、かなりの覚悟が必要だろう。




関西本線(大和路線)加茂・奈良から大阪環状線に直通する快速電車、「大和路快速」。

「大和路快速」の運転開始は1973年の関西本線奈良-湊町間電化開業のときだった。
したがって、本年で44周年を迎え、かなり年季の入った老舗列車だ。

大和路快速の走行経路は、

加茂・奈良-(大和路線)-天王寺-新今宮-(大阪環状線外回り)-大阪-京橋-天王寺

という、ユニークな「の」の字運転をしている。

時刻表上では「大阪行き」と記載されるが、実際には大阪駅から環状線をもう半周して京橋・鶴橋経由天王寺まで行くわけだ。ただし、大阪-京橋-天王寺間は各駅停車。
天王寺駅の環状線ホームで折り返し、今度は環状線内回りで一周してから大和路線に入り奈良方面へ戻る。

なぜこのような運転形態を取るのかといえば、大阪駅での折り返しが物理的に難しいためだ。
かつては環状線の電車も大阪駅折り返しがあったが、大和路快速に加え、関空・紀州路快速も乗り入れるようになった現在、大阪駅での折り返し列車は存在しない。

「大和路快速」運転開始の当初、113系赤帯が使用され、「快速・奈良-大阪」特製ヘッドマークを掲げ、大阪駅直通を大々的にPRしていた。
新設1年目は土曜・休日のみの運転だったが、翌年1974年7月より毎日運転(ただしデータイムのみ)となる。

国鉄からJRに変わり、1989年にはさっそく新型221系に置き換えられるとともに、列車種別も正式に「大和路快速」と命名されるようになる。

さらに、朝と夕方以降の時間帯には大和路線から環状線直通の「区間快速」(環状線内各駅停車)も設定、緑色103系のほか環状線用オレンジ色103・201系も使用される(→323系デビュー以降は221系に統一)。環状線用8両編成の電車がローカル色の濃い木津・加茂まで直通し、亀山行き気動車と接続するのはミスマッチだろう。

221系登場から28年が経過し、車両リニュアル工事が進められているが、そろそろ大和路快速の新しい顔を期待したいところだ。


今日、久しぶりに大阪環状線に乗った。

京橋から天王寺まで大和路快速(221系)に乗車する。
本日は大和路線車両故障のため、環状線のダイヤが少し遅れていた。
雨ということもあって車内は少し混雑気味だったが、森ノ宮で空いた席に座れて一息つく。

さて、問題は寺田町から終点・天王寺までのこと。
寺田町から乗ってきた一人の青年がいて、私の隣(通路側)に座る。 次の天王寺まで2~3分程度、天王寺到着後、折り返し環状線内回りを一周して奈良方面へ向かう。
 しかし、天王寺駅に着いても、隣の彼はなかなか降りようとしない。
仕方ないので、「すみません」と一声かけて通してもらうが、そのあと彼はそこに座るのだ。

 いわば「折り返し乗車」というもの。 座席確保のためなのか知らないが、これはマナーとしてはいかがなものなんだろうか? 折り返し乗車の場合、普通往復分の運賃が請求されることになる。
仮に折り返し駅までの定期を持っていたとしても、座りっぱなしではなく、一旦電車を降りるのが礼儀だろう。

それから天王寺到着直前、なんと阪和線の205系鳳行きが発車したばかり。
もし止まっていたら写真を撮りたいところなんだけど・・・。

(6月26日追記)
もしかしたら、あの大和路快速は天王寺が終点とは気づかず、そのまま新今宮・弁天町方面へ向かうものと思っていたのかもしれません。

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廃止の危機に直面する神戸電鉄粟生線。

実は一度だけ、「スルッとKANSAI3Dayチケット」で神戸電鉄粟生線に乗車したことがあります。
ただし、新開地からさっそく車内で爆睡してしまい、目が覚めた頃には加古川を渡って終点・粟生も近かったと記憶しています。よって、車窓の風景はほとんど覚えていません。

粟生から先、北条鉄道の旅をして、北条町駅から神姫バス姫路駅行きに乗車しました。


本年8月、4年ぶりに宇治川花火大会が復活する見込みです。
ただし、まだ具体的な日程は決まっていなくて、安全性を理由にイベントの規模を2013年以前よりも大幅に縮小する方向で計画が進んでいるようです。

さて、そこでふと気になったのは京阪宇治線の臨時増発列車。

5両編成の列車が大幅に減る中、宇治川花火大会の時だけ2600系(0番台)の編成組み換え、および7200系7201・02Fの中間3両抜いて5連に仕立てて対応していましたが、2013年より宇治線のワンマン運転が開始、交野線「おりひめ」「ひこぼし」廃止で5連での営業列車は消滅。

今や2600系0番台の5連への分割は事実上不可能だし、7200系も7201・02Fが7連化改造を受け5連での運用が不可能な構造となってしまい、今後仮に5連口が必要となったときにどうするんだろうか、と気になりました。

しかし、13000系20番台があるじゃないですか!
13000系20番台は7両編成ですが、4・5連での運用が可能な構造となっており、実際4連に短縮して交野線・宇治線のワンマン運用に就くことが時々あります。
そうそう、今思い出しましたが、2014年宇治川花火大会の時、13021・22Fの4連化でスタンバイしていたところ、台風の大雨で中止となってしまい、交野線の運用に少し入った程度で、7連に戻されました。



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2006~09年ごろに撮影した能勢電の写真を適当にアップしてみました。
1500系は5100系に置き換えられて引退済みですね。
近々7000系が譲渡される見込みで、1700系もいよいよでしょう。


しばらく滋賀県の話題から外れていたので、滋賀交通(滋賀バス)の路線について一つレポートを作ってみることにした。

滋賀交通といえば観光・貸切バスおよびタクシー事業のほうが有名で、大阪・京都・名古屋・東京などにも営業所がある。ほかにボウリング場や不動産業なども営んでいるようだ。

しかし、一般路線バスについては非常にマイナーだ。

かつて、水口(甲賀市)を拠点としてJR草津線沿線の湖南地域にかなり広大な路線網を有し、浜大津や京都市内、さらに鈴鹿スカイライン経由湯の山温泉(三重県)にも足を伸ばしていたが、現在では草津~石部間(草津伊勢落線)と野洲~湖南市方面(湖南野洲線)と甲賀市・湖南市コミュニティバスに規模が縮小されている。

実は私は滋賀交通のバスについては一度か二度乗ったきりだ。
滋賀交通のバスはかなり遅くまで古ぼけた車両が現役で活躍していて、興味を惹く存在だった。
1990年代初頭まで、1960~70年代の三菱MR520(バス窓・非冷房)がまだまだ多く残っていた(新しい車両も1976年式の路線・観光兼用車MAR470と某公営発注流れのブルドック(MP118)ぐらい。MAR470は湯の山温泉系統用に投入されたようだ)。
同じ草津駅前から発着する近江鉄道や帝産湖南交通の車両に比べ、田舎っぽい塗装デザインで、一昔前にタイムスリップしたかのような印象を受け、「動くバス歴史博物館」のような状態だった。

草津駅前からの滋賀交通バスは、国道1号線経由水口までの路線が発着していたが、1993年ごろより石部駅までに短縮される。JR草津線に並行していることや国道1号線の慢性的渋滞などが理由だろう。

路線短縮とともに、非冷房のMR520は淘汰されはじめ、中型エアロミディに置き換えられる。残った観光兼用車MAR470も1999年までに引退、発注流れブルドックMP118は2004年ごろまで存続した。


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1990年代初めごろま現役だった三菱MR520
(「バス三昧」さまより拝借)



久しぶりの京都市バス路線レポートの記事を書く。

今回は洛西営業所管内、【33】系統についてレポートする。

【33】系統は、京都駅前と右京区西京極および西京区桂・川島・洛西ニュータウン地域を七条通経由で結ぶ一つの路線系統であり、運行経路は

京都駅前-下京区総合庁舎前~七条堀川~七条大宮・京都水族館前~梅小路公園前~七条千本~西大路七条~西京極小学校前~葛野大路八条~桂小橋~桂大橋~桂離宮前~桂駅東口~川島粟田町~樫原~<旧山陰街道>~三ノ宮~国道中山~境谷大橋~洛西高校前~洛西バスターミナル

【33】系統と類似する路線系統として、京阪京都交通【2】【14】【15】【26】【28A】号系統(洛西・亀岡方面行き)などがあり、京都駅前~桂駅東口間はほぼ同じ経路を走行している。

また、京都駅前と洛西NTを結ぶ市バスとしては、ほかに五条通(国道9号線)経由の【73】系統がある。【73】系統は大型車使用に対して、狭隘区間を通る【33】系統は中型車で運用されている。ただし、並走する京阪京都交通は大型車が使われる。【33】系統は【73】系統に比べて距離が短いにもかかわらず、後者は国道9号線を通ることもあって所要時間はほぼ同じ。

反面、【33】系統は、西本願寺、京都水族館、梅小路公園(京都鉄道博物館)、桂離宮などの観光・レジャー施設へ便利で、旧山陰街道を経由することもあって、バス旅を楽しむ分には【33】系統のほうが面白いだろう。

運賃は桂小橋以東は均一区間内230円、以西は整理券対応区間である。

現在、市バス洛西営業所管内では全路線が近鉄バス委託となっている。



関西本線名古屋口の急行列車といえば、気動車の<かすが><紀州>などを連想されることだろう。
ほかに東京直通の寝台急行<大和><紀伊><伊勢>などもあり、かなり賑やかだった。

しかし、1985年3月ダイヤ改正以降、関西本線名古屋口の優等列車は、<かすが>1往復を除いて特急<南紀>に一本化され、寂しいものとなる。<かすが>はその後も細々と往年の気動車急行の面影を伝えながら21世紀初頭まで活躍を続け、キハ75系に置き換えられて将来への期待を滲ませたものの、2006年に廃止される。

さて、今回は1980年代前半の一時期、関西本線名古屋口に現われた10両編成の気動車急行について書いてみたいと思った。

1982年5月、名古屋-亀山間の電化に合わせて南近畿地区のダイヤ改正が行われる。これにより、紀伊半島の急行列車はかなり整理縮小され、関西本線名古屋口においては、<かすが>(名古屋-奈良)2往復、<紀州>(名古屋-紀伊勝浦)2往復、<平安>(名古屋-京都、草津線経由)1往復だけとなる。しかも名古屋-亀山間では<かすが><紀州><平安>の併結運転が行われるため、急行の実質的な本数は2往復だ。

ただ、併結運転ゆえ、名古屋-亀山間では、紀勢本線新宮電化前の殿様<紀州>を思い起こさせる10両編成という長編成の急行が登場する。

該当する列車は、

朝の下り<かすが1号>・<平安>・<紀州1号>
夕方の上り<かすが4号>・<平安>・<紀州4号>

編成の内容は、<かすが><平安>はキハ58・28のモノクラス3両編成(天ナラ)、<紀州>はキロ28込みの4両編成(名ナコ)。<紀州>についてはキハ65とかキハ57も連結され、気動車急行のオーソドックスな編成とはやや風変わりな形式組成だった。

間合いで武豊線の朝ラッシュ輸送をこなしたあと、急行運用に入って奈良・京都・紀伊勝浦の各方面へ向かう。途中、亀山と柘植で分割併合作業が行われる。

紀勢本線へ直通する優等列車は既に伊勢線(→伊勢鉄道)経由が基本となっていたが、急行<紀州>は亀山経由でスイッチバックをしていた。寝台特急<紀伊>(1984年2月廃止)も同様(名古屋・亀山で2度のスイッチバックが行われる)。

1982年当時、名古屋発着の長編成気動車急行は、中央本線経由ロングラン<赤倉>(名古屋-新潟)が最長だったと思うが、11月ダイヤ改正で165系電車となる。高山本線への<のりくら>が一番本数が多く編成もバラエティに富んでいたが、さすがに10両編成まではなかったのではないか。11月改正で廃止となった山陰へのロングラン<大社>も4~5両の短い編成だった。したがって、関西本線の<かすが><平安><紀州>の3層建て10両は、当時の名古屋における気動車急行の編成長として、<赤倉>電車化後は最大規模を誇っていたことになろう。

ちなみに、<かすが1号>の乗務を担当していた名古屋車掌区の車掌は、奈良到着後、奈良-湊町(現・JR難波)間普通電車もアルバイトで乗務していたようで、国鉄時代の広域乗務は実に興味深いものがある。



久しぶりの京阪バス山科営業所管内の路線レポートをでっちあげる。

今回は伏見区内を東西に結ぶ【6】号経路・<醍醐BT~中書島~西大手筋~竹田駅西口>

運行経路は、

醍醐BT~醍醐駅~石田駅~石田団地~新六地蔵橋~東町~桃山南口~観月橋北詰~京阪中書島~中書島~西大手筋~伏見警察署前~パルスプラザ前~城南宮東口~竹田駅西口

【6】号経路は京都外環状線(府道7号線を含む)を走行して、伏見区中心部の中書島・大手筋界隈を経由、油小路通(第二京阪副道)を北へ進む。数年前まで基本的に竹田駅まで乗り入れていたが、現在1本を除き、西大手筋折り返しとなっている。中書島~西大手筋~竹田駅へは京都南部線【24】【24A】号(男山営業所)に乗車することになる。

六地蔵付近には大型ショッピングセンターが集中しているが、府道7号線は片側1車線ずつのため渋滞しやすい。去年の日曜の昼間、西大手筋から醍醐BTまで【6】号経路に乗車したが、観月橋~六地蔵付近まで長い渋滞が続いた。なお、【6】号経路は、JR六地蔵および京阪六地蔵は経由しないので注意。

【6】号経路は地下鉄東西線開通の1997年、市バス【21】系統・<横大路車庫~小野>を引き継いで設定される。【21】系統は山科区まで乗り入れる横大路管内唯一の路線だった(醍醐・山科地区は基本的に醍醐営業所が管轄していた)。

地下鉄東西線開通前、現【6】号経路と似た京阪バス路線として、【8】号経路<日野~石田~桃山南口~観月橋~御香宮~桃山南口循環>が運行されていたが、1995年ごろ京阪六地蔵発着に短縮される。御香宮前には同じ京阪バス京都奈良線【2】号経路も発着していたが、1996年廃止(奈良交も同時に撤退、近鉄バスは1998年まで免許維持路線として運行を継続)され、桃山南口・観月橋界隈から一時的に京阪バス路線が消失していた。

なお、2012年より、【直通】<丹波橋駅東口~京都橘高校~京都橘大学>系統が運行開始となり、かつての【8】号経路を彷彿とさせるもの。

醍醐と竹田駅を結ぶ路線としては、ほかに【2】号経路・<勧修寺・藤ノ森経由・竹田駅東口発着>がある。


昨年夏、京阪バス高槻営業所に新エルガLV290が5台(N-6249、6250、6251、6252、6253)が納車されたが、先月下旬より相次いで京田辺営業所に転出しています。既にN-6249・6250・6251の3台が京都ナンバーに登録替の上で転属済が報告されています。

これと入れ換えに、古いブルーリボンIIが高槻営業所(N-3879・3880・3881)に転属。

せっかく期待の新車にもかかわらず、なぜ今回相次いで転出するのかということですが、TWや掲示板でも報告されているように、やはり終日利用客の多い高槻営業所管内では使いづらいとのこと。特に枚方市駅から西行きについて、朝ラッシュ時の満員の時、枚方大橋手前のループ坂の上がるところでは失速しそうなほどしんどいようです。

エルガだけでなくブルーリボンKV290も従来の車両に比べて力が弱く、困ったものですね。

さて、今後の高槻営業所への新車はどうするんでしょうか??
やはり力の強い三菱エアロスターでしょうか?
長年、高槻管内ではエアロスターが好まれてきただけに、どうもその方向が見えてきたかもですね。

そういえば、門真に1台だけ配備されたLV290(N-6259)も、四條畷電通大系統(【30A】)に入る運用は報告されていません。代わりにエアロスターBタイプなどが優先的に使用されている模様です。やはりLV290では清滝地区の坂もしんどいみたいですね。清滝地区の路線系統も、交野【18】号経路(田原線)を含め、どちらかといえば昔から三菱ふそう車が好まれるようです(競合する近鉄バス清滝線は平坦路線用の日野REが使用されていたが)。一時期は日野車で統一されていましたが、旅客需要の低下によるダウンサイジングと合わせ、近年ではエアロミディでの運用が多くなっています。

(6月17日追記)
N-6252は交野に転属した模様です(N-3899と交換)。



一時期南海バスにお世話になったことがある。

しかし、南海バスは、とにかく運賃が高いこと。
南海電車の運賃も割高感がある。
例えば、難波-河内長野間では500円を超え、京阪の淀屋橋-出町柳間などに比べて高い。
やはり、都市間連絡の京阪・阪急・阪神とちがって、南海沿線は京阪神都市間に比べて人口が少なく、他社線との競合もさほど激しくないため、運賃は割高に設定せざるを得ないということなのだろうか?

何はともあれ、南海バスの路線についてレポートを一つ書いてみようと思う。
今回は比較的長距離の天野山線【1】系統・<河内長野駅前~光明池>

この【1】系統は、「スルッとKANSAI 3Dayチケット」で何度か乗車したことがある。
天野山線【1】系統の特色は、河内長野(南海高野線・近鉄長野線)と泉北ニュータウン南側の光明池駅を国道170号旧道&480号経由で結んでいること。運行経路は、

河内長野駅前-野作(のうさく)-清崎-天野山-南面利(なめり)-横山高校前-国分峠-和泉青葉台-柑橘試験場前-公団西口-光明池駅

で、天野山サイクルセンターへはこの路線系統が便利だ。170号線旧道はやや山岳道路のようであり、旅行気分になれる(運転士にとってはなかなか厳しい路線環境だろう)。国分峠から先、480号線を泉大津方面へ下る。片側1車線ゆえ、自動車試験場のある光明池付近を中心に渋滞しやすい。

泉北ニュータウンは確か西日本最大のニュータウンで、北の千里を上回る規模のようだ。
ただ、泉北ニュータウン内の南海バスは中型車もかなり多く見られ、運賃は京阪・阪急バスに比べて割高感があり、あまり利用しやすいとは言えない。

天野山線は河内長野営業所の担当で、基本的に大型車で運用されている。

170号旧道を通るバスといえば、京阪バス高宮四条畷線<寝屋川市駅~四条畷駅>および近鉄バス四条畷線<四条畷・住道-瓢箪山駅前>などがある。



久しぶりに阪急バス関係のレポート記事をアップする。

今回は兵庫県猪名川町北部の里山をのんびりゆく長距離路線、杉生線【41】【61】系統について、解説レポートする。

PB040008

運行経路は、

【41】日生中央-猪名川高校前-紫合(保健センター前)-北田原-川床口(道の駅いながわ前)-猪名川町スポーツセンター前-木津-町営北プール前-杉生(すぎお)-杉生新田-猪村-後川(しつかわ)

【61】日生中央-猪名川高校前-紫合(保健センター前)-北田原-川床口(道の駅いながわ前)-猪名川町スポーツセンター前-木津-町営北プール前-杉生(すぎお)-島-柏原

で、県道12号<川西篠山線>を経由する。【41】系統は国境を越えて丹波の篠山市に越境する。

2002年までは、川西バスターミナル(川西能勢口駅前)から発着する長距離路線だったが、系統分割により現在の形となった。

運行ダイヤは能勢営業所担当時代は【41】【61】系統がセットで交互に日生中央から毎時1本発着していたが、現在、基本的に【61】系統のみが1~2時間おきの運転となり、【41】系統は5往復に減便。さらに摂丹国境を越えて篠山市の後川まで直通する便は2往復だけとなっている(他は杉生新田で折り返し)。

日生中央発着に変わってから2012年までは能勢営業所が担当していたため、大阪ナンバーの車両で運用されていたが、同営業所の廃止により猪名川営業所に移管される。

川西バスターミナル発着時代、終点・後川までの片道運賃は1,000円を超えていたと思われ、そのため、猪名川地区の車両に装備される旧式運賃表はコマ数も多く4桁表示が可能な仕様だった。


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最果ての終点・後川(篠山市)

後川バス停から少し北へ歩いて、神姫グリーンバス「後川上」から篠山市街地・籠の坊および小柿(→乗り継いで三田へ)方面へ乗り継ぐことは可能。
ただ、こちらも本数が少ないため、時刻表を事前に調べておくほうが無難だろう。

杉生線系統のバス停を見るや、他で見覚えのある地名も結構ある。

「杉生」は高槻市の最北端、京都府亀岡市との府県境にもある。
高槻市営バスはJR高槻駅北からここ杉生まで乗り入れている。
同じ摂丹国境にあたるところだが、高槻市の北部は実は旧・丹波国であり、かつては京都府樫田村だった。

「柏原」は近畿地方の各地で見られる。JRでは「柏原」駅が関西本線(大阪府柏原市)、東海道本線(滋賀県米原市)、福知山線(兵庫県丹波市)の3つもあるが、読み方はそれぞれ異なり、順に「かしわら」、「かしわばら」、「かいばら」である。猪名川町の「柏原」は同じ県内の丹波市「柏原」と混同しやすい。

「木津」といえば、私個人的に京都・奈良の境目にあたる木津川市(関西本線・奈良線・片町線の「木津」駅)のことをまずイメージするが、猪名川町、そして篠山市(旧・今田町)にもあるし、神戸電鉄粟生線や京都丹後鉄道(丹後木津→木津温泉)にも「木津」駅がある。

そして「北田原」は奈良県生駒市のことが思い浮かぶ。奈良交通の終点(京阪バスと共同)であり、かつては大阪府交野市に越境し磐船街道経由で私市まで乗り入れていた(京阪バスが交野から田原地区まで乗り入れている)。



久しぶりに京阪バス寝屋川営業所管内の路線を一つレポートする。

今回は【14】号経路・<寝屋川市駅~京阪大和田駅>

運行経路は、

寝屋川市駅(西口)~寝屋川車庫~高柳住宅前~中神田~京阪萱島駅前~天辻工場前~京阪大和田駅

で大阪府道149号<木屋門真線>を経由する比較的短距離の系統である。寝屋川市南部の高柳・神田・萱島地区住民の足としての役割を担っているものの、利用状況は多くなく、近年毎時1本に減便されている。京阪萱島駅前の北側手前には近鉄バス「萱島」バス停があり(京阪バスのりばとは離れているので注意)、ここから住道駅前・荒本駅前・近鉄八尾駅方面へのバス(近鉄八尾まで2時間以上かかることもある)が発着している。萱島駅前はちょうど寝屋川市と門真市との境界にあたる。

私個人的にこの【14】号経路を(近鉄バス萱島線と同じ経路で)JR住道駅前まで延伸できないものか、と思っている。具体的には、(門真)【2】号経路・<京阪大和田駅~江端~御領~門真団地>と一本化の上、もう少しがんばって住道まで延ばす、という形が現実的に考えられよう。住道駅前は大東市の中心部であり、京阪百貨店も出店している。ただ、行政区分上は枚方・寝屋川などと同じ北河内地域の扱いでありながら、大東市だけは近鉄バスの勢力下にあるゆえ、他の北河内地域とは雰囲気が少し異なり、東大阪市以南と同じ近鉄沿線の色が濃い。

【14】号経路は現在、寝屋川営業所の担当だが、以前門真営業所が受け持っていた時期もある。

なお、高柳・萱島地区には、コミュニティバス「タウンくる」も小まめに運行されている。「タウンくる」の萱島駅ののりばは【14】号経路と場所が異なるので注意。



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「ワイドビュー」で知られるJR東海の特急型気動車キハ85系。
1989~92年にかけてキハ80系「ひだ」「南紀」を置き換え、今日まで好評活躍中ですが、
デビューから30年前後を迎え、さすがに老朽化が目立ち、いよいよ置き換えも視野に入りつつあります。

このほど、次世代のハイブリッド式特急車両の新造がJR東海から公式に発表されました。

http://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000034155.pdf

2019年に試作車を投入して各種試験を重ね、得られた実績データをもとに、2022年を目標に量産車を製造する予定とのことです。





久しぶりに近鉄バス関連の記事をでっちあげることにする。

今回は、近鉄奈良線瓢箪山駅前とJR学研都市線を国道170号線旧道(東高野街道)経由で結ぶ四条畷線。

四条畷線は、主に次の2系統をベースにして運行されている:

【40】瓢箪山駅前~枚岡車庫~新石切駅前~石切神社前~産業大学前~野崎観音前~四条畷
【30】瓢箪山駅前~枚岡車庫~新石切駅前~石切神社前~産業大学前~大東市役所前~住道駅前


基本的に【40】【30】番が各15分間隔で運転されており(他に幾つかの区間系統あり)、瓢箪山駅前~産業大学前間は2系統合わせて毎時8本の運転となり、近鉄バス一般路線では数少ないドル箱路線だ。大阪産業大学への通学のほか、石切神社・野崎観音・四條畷神社などへの参詣にも便利だ。

四条畷線は、戦前に大阪電気軌道(→近畿日本鉄道)が買収した四条畷-柏原間の一部であり、近鉄の歴史を語る上で欠かせない由緒あるバス路線と言える。

四条畷線は枚岡営業所が担当している。利用客の多い主幹系統ゆえ、基本的に大型車で運用されている。

瓢箪山駅付近では、大阪外環状線(170号線)を少しだけ走行する(170号線旧道の瓢箪山駅付近は商店街アーケードのため深夜時間帯を除いて自転車・歩行者専用道という「酷道」区間で有名)。
新石切駅前では近鉄けいはんな線(・地下鉄中央線)に接続する。新石切駅前は枚岡車庫に近く、運転士の交代が行われる。
170号線旧道は片側1車線ずつあるが、道幅が狭く、大型車では運転に苦労しているようだ。さらに起終点の瓢箪山駅前・四条畷とも手狭で、折り返しにも一苦労。

四条畷からは清滝団地・四條畷電通大方面への路線系統(稲田営業所)も発着している。
また、京阪バス(大和田・寝屋川方面 / 四條畷市コミュニティバスで田原地区)に乗り継ぐことも可能だ。
京阪バスはかつてここから交野・枚方への路線も運行していた。

四條畷市内はどちらかといえば京阪バス(門真・交野営業所)の存在感が大きいが、狭隘区間も多いゆえ中型車での運用が多い。

ちなみにJR四条畷駅の所在地は大東市である。四條畷市役所へは、四条畷駅よりも一つ木津寄りの忍ヶ丘駅からのほうが便利だ(京阪バスも市役所前を通る)。

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すっかり影が薄くなった枚方営業所のブルーリボンシティ。
去年秋、新ブルーリボンKV290の納車により、幕ブルーリボンシティの大半が引退しましたが、
どっこい1台(W-3821)だけ今も残っています。

W-3821は2003年初頭に投入された京阪バス最後の幕車のようです。
前年夏にLED行先表示機のレインボー・ノンステ10.5m車が枚方・寝屋川営業所に配置され、このW-3821より後の新車は全てLED表示機となって納車されます。

W-3821と同時期、香里団地営業所に初めて三菱エアロミディ10.5m車が4台配備され、サプライズでした。

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京阪9000系で唯一の8連となった9005Fです。
「9000系20周年」ヘッドマークを掲げた一コマですが、20周年を迎えて登場当時の編成をとどめている貴重な姿ですね(残りの4本は全て7連化。抜き取られた半端車は10000系の7連化に活用)。
9005Fといえば、中間4両が2002年に試験的にロングシート化改造を受けた編成です。
デビュー当初は特急の増発用などに重宝されていたが、結局全車両がロングシート化され、現在は準急・普通中心の運用をこなしています。



京都市内から宇治方面への道路といえば、国道24号線、または府道7号線がメインルートだろう。
第二京阪(油小路通)経由久御山町から宇治市へ抜けることも可能だ。

しかし、メインルートは渋滞しやすく、あまり走りやすいとは言えない。
特に府道7号の六地蔵付近は大型商業施設が集積しているため、渋滞が発生しやすい。

宇治へは宇治川左岸の築堤を通る府道241号<向島宇治線>が快適な抜け道としておススメ。
観月橋南詰を左折し、そのまま道なりに進むと、宇治橋西詰に至る。
交通量が少ないため、途中信号は1箇所しかなく、心地良い川の風を浴びながらの走行は何よりだ。
JR奈良線の踏切を跨いで宇治橋西詰に到達する。

宇治から城陽市へは、府道15号線<宇治淀線>(→JR新田駅踏切付近で渋滞)よりも、琵琶台・宇治市植物公園・立命館宇治高へ回るほうがよいだろう。

そういえば、宇治川花火大会は2014年の台風で中止になって以来、去年まで河川水没などによる安全確保を理由に中止が続いていたが、今年は3年ぶりに再開する見通しがついたそうだ。開催日程は従来の8月10日よりも早めて8月5日ごろの方向で進んでいるらしい。

折りしも2013年の福知山花火大会では爆発事故で死傷者が出たため無期限休止となり、京都府下の大規模な花火大会が消えて意気消沈としていたが、今年の宇治川の再開に期待したい。


久しぶりに京阪バス路線関係のレポートをでっちあげる。

今回は、男山営業所管内【90】号経路・<樟葉駅~藤阪ハイツ>についてコメント。

運行経路は、

樟葉駅~中の池公園~高野道~家具町1丁目~家具町2丁目南~長尾駅~既製服団地~藤阪ハイツ


で、2007年11月に新設される。

路線名は「樟葉長尾線」だが、【93】【95】【97】号経路(国道招提・ぽえむ南橋経由)ほかとは異なり、実際には【2】【2A】【大2】<樟葉駅~家具団地・北山方面>を補完する立場でデータイム毎時1本のダイヤを組んでいる。樟葉駅~長尾駅間は、【93】号経路などよりも高野道・家具町経由【90】号経路のほうが距離が短く早い(ニトリモール枚方開業後、【93】【95】号経路は国道招提付近の道路混雑で遅延が増えているようだ)。

この路線系統の新設により、元・宇治交通男山営業所の長尾駅・藤阪ハイツ方面への進出を果たす。

【90】号経路の前身として、枚方営業所【89】号経路(樟葉長尾線)<樟葉駅~ぽえむ南橋~長尾駅~家具町2丁目南~摂南大学薬学部>および出屋敷線【23】号経路<藤阪ハイツ~長尾駅~ぽえむ南橋循環>がある。【90】号の運行開始と同時に【89】号経路はわずか5年余りの短命に終わり、【23】号経路は朝夕のみの運転となる。

末端区間の家具町2丁目~長尾駅~藤阪ハイツ間の利用は少ないが、JR学研都市線と接続しているのだから枚方ハイツ経由に変更するなり、また家具町2丁目南~長尾駅間にバス停を新設する(出屋敷線【23】【27】【29】号ほかと共通)などの改善点は考えられよう。

なお、本年3月より、男山営業所はもう一つの【90】号経路を担当することになる。
それは、淀長岡京線(阪急バスと共同運行)で、従前京田辺営業所の担当だったところ、回送距離が長いなどの問題もあって男山に持ち替えとなった。
代わりに、男山の担当だった【直通】・<長尾駅~大阪工大~摂南大学枚方キャンパス>は京田辺担当に変更される。

男山営業所と【90】号経路は、従来になかった地域への運用拡大という因縁めいたものがありそうだ。



久しぶりに上田和寛の動画をアップしてみました。
今年の新作「再勇記」です。

グループ名を"TANEBI"に改めてから、地元のFMひらかたに出演される機会も増えているようですね。

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