京阪バスの思い出の車両について一つレポートしたいと思います。
今回は三菱ふそうK-MP118M(富士重3E)の1台、社番A-1548について。
この車両は1982年の納車当初、大津営業所の配属だったが、1984年夏交野営業所管内に突如姿を現し、サプライズだった思い出があります。
富士重3EのMP118は大津と枚方に数台ずつ配備されたようです。
枚方市駅南口では津田・長尾・穂谷方面行き(枚方尊延寺線)で見かけることも多かったです。
交野営業所における富士重3Eといえば、日野RE121およびK-RE121のイメージが強く、三菱+富士重は異色の存在でした。なぜか交野に1台だけ転入してきて、1991年の除籍まで終生交野管内で過ごしました。車体側面には「京阪スポーツセンター郡津」の広告看板が掲載されていたと記憶しています。主に釈尊寺団地線や香里園、寝屋川団地、三井団地方面で主力の日野大型車に混じって活躍していました。もともと優先的に三菱車を充当していた田原線【18】号経路などには入らなかったようです(→日野中型車RJに置き換えられる)。除籍後は長野県の諏訪バスに移籍したものと思われます。
諏訪バスに移籍したK-MP118・富士重3Eボディ
(「バス三昧」さまの画像を拝借)
京阪バス仕様富士重3Eの日野車と三菱車との見分け方(例:1982年式RC301とMP118を比較)は、
1)後面スタイル(ウィンカーの高さ位置、ルーバーの形状、ほか)
2)側面窓の数(三菱車のほうが窓の数が多い)
京阪バス1983年以降の新車では富士重車体の採用は基本的に中止、1999~2000年に中・小型車8E(日産ディーゼル)が3台(S-5001・5002、W-5003)が納入されるにとどまりました。