2017年09月


実は2016年8月から別のブログを立ち上げています。

ブログのタイトルは「いい旅チャレンジ50000km」
 http://challenge50000.blog.jp/

です。今回、「いい旅チャレンジ50000km」を当ブログの姉妹ブログと位置づけることにしました。

こちらでは、風景写真やグルメ(食べログ)を中心として、健康・医療、節約術、ファッション、そして日本の未来を考える話題などをアップしています。

「いい旅50000km」のほうへも、遊びに来てあげてください。
どうか宜しくお願い申し上げます。



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2005~06年ごろに撮影したものを適当に集めてみました。
低運転台車はもう既に引退しています。

来月3日まで残り1本が最後の活躍をする予定ですが、一部の心無い輩の撮影マナーが問題になっています。先日の安治川口や野田の「動物園」と揶揄されるほどの異様な人だかりに駅員さんもさすがに堪忍袋が切れたようです。鉄道ファンの一人として誠に悲しい話です。

近いうちに引退することが予想されるのなら、早めに撮影することですね。
103系は大和路線・おおさか東線・奈良線などにまだ残りますが、引退もそう先のことでないことは想像できます。



先月、京阪バス香里団地および交野営業所(北部)管内の路線ダイヤ再編私案
http://katanogawara.blog.jp/archives/19809429.html
を投稿してから、ほどなくして運転手不足や利用客減少を理由に交野市内路線を大幅縮小する意向を交野市の某議員に伝えたとのことをtwitterで知り、衝撃的でした。その内容は、

a)妙見坂・南星台方面の路線撤退
b)津田香里線を香里園~交野市駅と交野市駅~津田・河内磐船方面に系統分割

です。この深刻な現状を踏まえ、路線再編私案を練り直してみました。


1)<枚方市駅~枚方公園駅前>系統(山之上線を除く)について、【8】号経路運転の時間帯を拡大

2)【7】号経路・<京阪香里園~香里団地循環>を公孫樹通経由に変更するとともに、20分間隔に増発

3)釈尊寺団地線【10】号経路のうち毎時1本を京阪交野市駅まで延長

4)津田香里線(京阪香里園~東香里~交野・津田・河内磐船・枚方市駅方面)の系統番号を全面的に見直す、香里園~交野方面系統については昼間時間帯は<香里園~京阪交野市駅>(現【9】号経路)のみとする

5)星田線【43】【43A】号経路は、<枚方市駅~星田北6丁目~星田駅>に一本化、京阪交野市駅経由は廃止

6)<星田駅~星田北5丁目~京阪交野市駅~西倉治~交野警察署前~河内磐船駅>を新設

7)津田サイエンス線を見直し、昼間時間帯は<京阪交野市駅~さくら丘住宅~河内磐船駅~津田サイエンス方面>として運転

8)<京阪交野市駅~住吉神社前~津田駅~枚方公済病院~長尾駅~松井山手駅>を新設

9)(早バス)<香里団地→枚方市駅→阪急・JR高槻>、<津田駅→京阪交野市駅→京阪香里園>を新設


香里団地および津田香里線は20分ヘッドをベースとしているゆえ、「40分間隔」というやや時刻を覚えにくい路線系統も存在します。以前の15分ヘッドのほうがダイヤ編成は容易なように思いますが、京阪電車のダイヤは10分ヘッドをベースとしていることもあって仕方ないのかもしれません。循環【7】号経路は今ひとつ中途半端と思っていましたが、かつてのダイエースーパー系統と同様、香里園→香里ヶ丘9→公孫樹通→五本松→開成小学校→藤田川→新香里→に経路変更すると同時に、むしろ20分間隔に増強するほうがよさそうです。

津田香里線・交野南部線をはじめ交野・星田周辺の系統番号は全面的に変更するほうがよいかと思われます。例えば、

【7A】香里園~香里ヶ丘9~香里ヶ丘8(現【13】)
【9】香里園~高田~藤田川・枚方市駅(現【9A】)
【9A】香里旭ヶ丘~高田~枚方市駅(現【9A】)
【10】枚方市駅~釈尊寺団地(現【10】)
【11】枚方市駅~釈尊寺団地~交野市駅
【12】香里園~高田(現【9】)
【13】香里園~交野市駅(現【9】)
【14】香里園~交野市駅~津田駅(現【9】)
【16】香里園~高田~交野車庫
【21A】(早バス)香里団地→枚方市駅→阪急・JR高槻
【26B】香里園~三井団地~ビバモール寝屋川~寝屋川団地(現【24B】を再編)
【40】交野市駅~住吉神社前~津田駅~長尾駅~松井山手駅
【41】枚方市駅~星田北6~星田駅(現【43A】)
【62B】寝屋川市駅~観音橋~ビバモール寝屋川~星田駅~コモンシティ星田(現【45B】を再編)
【63B】寝屋川市駅~観音橋~ビバモール寝屋川~星田駅~東寝屋川駅(現【47B】)
【72B】寝屋川市駅~秦公民館前~ビバモール寝屋川~星田駅~東寝屋川駅~梅が丘(現【41B】)
【75】寝屋川団地~星田駅(現【40】)
【76】星田駅~コモンシティ星田(現【51】)
【95】津田駅~西倉治~交野市駅(現【8】)
【96】津田駅~西倉治~交野市駅~河内磐船駅(現【17A】)
【97】星田駅~星田北5~京阪交野市駅~西倉治~交野警察署前~河内磐船駅

釈尊寺団地線の交野延伸は、国道168号バイパスを経て逢合橋へ抜ける経路で良いでしょう。茄子作・釈尊寺町地区から交野駅前への通院・買い物および直Q号乗り継ぎの利便を図ります。

<交野~津田~長尾~松井山手>系統の新設は、香里園~交野方面系統の分割と同時に、津田駅の不便解消、長尾・松井山手でのバス乗り継ぎ(松井山手からは直Q号もある)の利便性アップが合わせて期待できます。

「早バス」路線の設定も期待されるところです。長尾口・出屋敷方面から高槻への「早バス」が運行中ですが、香里団地方面からの運行も欲しいところ。また、交野・東香里方面から香里園への「早バス」も現実的に考えられます(京阪交野線の始発は少し遅めなので)。


運用担当営業所の見直しももちろん必要でしょう。

香里団地循環【7】号経路がなぜか交野営業所の担当ですが、香里団地担当に持ち替えする。現【13】号・<香里ヶ丘8丁目→香里園>は香里ヶ丘8丁目付近の道路事情ゆえ中型車を使用せざるを得ず、交野担当となっていますが、これは仕方ないでしょう(【13】号経路だけのために香里団地車庫に中型車を配置するのは効率が悪い)。

<枚方市駅~高田~香里園>系統は基本的に交野営業所の担当とし、釈尊寺団地線などと共通運用を組む。枚方市駅南口のりばについて、高田・東香里方面行きは釈尊寺団地線と同じ<南3>、山之上線は<南2>に変更。

「早バス」<香里団地→高槻>系統は高槻もしくは枚方営業所の担当が最適でしょう。香里団地管内は全路線均一運賃ゆえ整理券対応でないし、かといって交野担当だと少し遠い。ちなみに<長尾口→高槻>系統および折り返しの【1A】・<JR高槻→枚方市駅>は枚方営業所の担当です。

<交野~津田~長尾~松井山手>系統は京田辺営業所の担当、<くずは~松井山手>および<松井山手~穂谷方面>系統と共通運用を組む。


昔のある旅行記について書きたくなりました。

今回は21年前の9月中旬、「青春18」シーズンが過ぎた頃のもの。

それは、片町線の河内磐船駅から八王子まで、片道きっぷの旅。
目的は八王子近辺の大学の学会を聴きに行くことでしたが、「青春18」も過ぎてしまい、かといって単純に新幹線の往復だけでは面白くない。

そこで、少し変わった経路で学割使って片道きっぷの旅をすることにしました。
経路は、

河内磐船→(片町線)→木津→奈良→加茂→亀山→名古屋→(新幹線)→静岡→熱海→茅ヶ崎→(相模線)→橋本→八王子

河内磐船駅の窓口に「八王子まで」と伝えたら、「新幹線ですね?」。

「木津まで出て関西本線で名古屋、そして東海道本線で茅ヶ崎から相模線で・・・」

駅員さんもさすがにびっくりしたらしく、しかしこの物好きな私に快くきっぷを発行していただいて感謝。当時の河内磐船の駅員さんは面白い人だったように記憶しています。

快速・木津行きに乗り込み、少し時間があったので奈良に寄ってみました。
木津-奈良間は2回通るので、正式には別の乗車券が必要となるところだが、確か折り返し乗車の特例があったように思います(急行<かすが>が木津を通過するため)。
奈良駅の売店で駅弁を1個購入。いわば普通の幕の内だったと思いますが、当時はJR奈良駅に駅弁販売があって有りがたかったですね。加茂発亀山行き普通列車の車内で食べました(キハ120のクロスシート)。

名古屋からは東海道本線普通・快速乗り継ぎを予定していたが、これだとさすがに疲れそうなので、静岡まで新幹線でワープ。普通乗車券使用なので、特急券だけを買えば良いのは助かります。浜名湖あたりの景色が一番印象に残ったかな・・・。

静岡から先の東海道本線についてはあまりよく覚えていません。

茅ヶ崎で電化開業から5年余りの相模線に乗り換えました。少し昔までは神奈川県最後の非電化路線としてキハ35系が活躍していたし、寒川支線なんかもあったようですね。日が暮れる時間に乗ったので、沿線風景はよくわかりません。

八王子駅で夕飯用に駅弁を購入。どんなものだったかは定かではないが、おかずの鶏肉が美味しかったように記憶しています。


豊岡・城崎温泉の駅弁販売業者、たで川さんが撤退して6年ほど経過。

北近畿エリアの駅弁は相次いで撤退しており、牛肉系弁当で有名な和田山駅が残るだけとなっていました。

しかし、この夏より、城崎温泉駅に神戸・淡路屋さんの駅弁が販売されるようになった模様。

近年、淡路屋さんは神戸ばかりか大阪や京都にも進出しており、近鉄難波駅などでも販売されています。「しまかぜ」車内で販売の「しまかぜ弁当」も、大阪・京都発は淡路屋の製造です。

そして、カニと温泉の奥座敷・城崎にも進出。

今や淡路屋さんは関西一円の駅弁業者となりましたね。

いっそのこと、奈良の駅弁も手がけたらどうでしょうか(笑)



1977年より地方都市圏の通勤通学向けローカル列車用に作られた50系客車。
塗装は国鉄規格「赤2号」とされ、「レッドトレイン」とも呼ばれました。
車内は当時製造中のキハ40系気動車と同様、扉付近をロングシートとし、車内の雰囲気はキハ40・48と同じです。

さて、関西圏(近畿)でのレッドトレイン50系客車といえば、まず思い出すのは草津線(京都-草津-柘植)。
1980年3月の電化まで活躍していた旧型客車を置き換え、113系に混じって朝夕ラッシュ時に運用に就きます。
草津線用には亀山客貨車区と向日町運転所に配置。
亀山からの出庫も兼ねて、1984年2月改正まで早朝1便のみ亀山発京都行きもあり、亀山-柘植間という短い区間ながら関西本線亀山以西では唯一の客車列車でもありました。

向日町に配置された50系は、山陰本線京都口(京都-福知山)でも活躍。

50系客車といえば、和歌山線も忘れてはなりませんね。
王寺-五条間は草津線などと同時に電化されるが、電化後も王寺-和歌山・和歌山市間を通す客車列車が1往復だけ残りました。1982年5月改正の頃までは旧型客車を使用、亀山-新宮間を含めた紀勢本線と共通運用でした。その後、50系客車に置き換えられ(竜華機関区配置)、和歌山線専用となるが、1984年10月の全線電化で廃止。奈良県では貴重な客車普通列車だっただけに残念です。

旧型客車の天下だった福知山線にも1984年2月より50系客車が活躍。
大阪-香住間というかなり長距離の列車にも50系が入ったそうです。
しかし、非冷房が災いして福知山線での50系も長くなく、翌年1985年には12系客車に置き換えらるが、その翌年1986年11月には全線電化、客車列車は急行<だいせん>1往復を除いて全廃されました。

紀勢本線亀山-新宮間でも1985年3月~86年10月までの1年半余りだけ50系客車が進出。亀山区配置で草津線と共通でした。おそらく和歌山線で活躍していた分が回されたのでしょう。

このほか播但線・姫新線でも50系が活躍していました。

JR発足後、関西圏の50系客車は全てJR西日本管轄となります。

JR発足当時、近畿地方で50系客車が残る路線は、草津線、山陰本線(京都-福知山、豊岡-鳥取-米子ほか)、播但線、姫新線ぐらいだったかと思います。草津線の分は東海道本線草津-京都間にも乗り入れ、異彩を放っていました。

やはり電化区間の拡大や非冷房ゆえ50系の活躍は長くなく、草津線は1989年3月改正で全て電車に置き換えられ、翌年1990年の山陰本線京都-園部間電化で京都-福知山間の客車列車は全廃(それに先駆け、1988年秋には京都-園部間の50系3往復を残して気動車化)。

播但線は1990年代に入っても客車列車の本数が多く残っていたが、冷房化サービスを目的に12系に置き換えられるも、1992年には全列車気動車化されました。これに合わせて、キハ58・28をオールロングシート化した5500番台を投入したことは有名です。その6年後、姫路-寺前間が電化、103系3500番台に置き換えられます。



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昨年秋にオープンした牧野駅前の拉麺開花(らーめんかいほう)です。

枚方にはなかなか美味いラーメン店に恵まれないと思っていたが、ここ牧野の拉麺開花さんはとても良かったです。スープは鶏と魚介のあっさり系、醤油や調味料なども天然・無添加のものにこだわっておられ、好感が持てました。


地下鉄東西線開通前の京阪バス山科営業所管内路線を一つレポートする。

今回は、当時の山科営業所管内を代表するドル箱路線だった【12】号・<三条京阪~京阪六地蔵>とその派生系統について。

運行経路は、

三条京阪~蹴上~日ノ岡~御陵~五条別れ~外環三条~東野~蚊ヶ瀬~小野(現・小野駅)~醍醐三宝院(現・醍醐寺前)~石田~町並~京阪六地蔵

で、三条通~外環状線~奈良街道経由で六地蔵へと向かう分かりやすい経路だった。三条京阪~小野間の経路は現在の京都市営地下鉄東西線そのものだ。醍醐寺は五大力さんで有名、毎年2月に餅上げ奉納が催される。町並~京阪六地蔵間付近で少しだけ宇治市に越境、運賃は旧・京阪宇治交通(→京都京阪バス)に合わせて対キロ区間制、JR奈良線の六地蔵駅もこの付近に後年設置される。JR六地蔵駅は宇治市、京阪六地蔵駅は京都市伏見区にある。

運用車両は旅客需要が高いゆえ、高槻営業所管内などと同様に三菱ふそう大型車(主にAタイプ)を総動員。私個人的にはブルドックK-MP118およびエアロスターK(P-MP218、U-MP218)が今もなお記憶に残っている。

三条通では京阪京津線(軌道併用区間あり)と並行しているにもかかわらず利用客は多く、平日ダイヤは20分、休日ダイヤでは10分間隔の運転だった。三条通を通るバスも、この【12】号経路以外に、浜大津方面への京津国道線【46】【47】号、京都市バス【5】系統・岩倉行き(神宮道で左折し平安神宮へ向かう)や【東】シリーズ・醍醐方面行き、そして滋賀県湖東方面への近江鉄道・帝産湖南交通・滋賀交通と、非常に賑やかだった。

地下鉄東西線開通後、京阪京津線三条-御陵間が代替廃止される(浜大津からの電車は東西線の京都市役所前まで乗り入れる形となる)ほか、市バス醍醐営業所廃止、山科区および伏見区醍醐地区は京阪バス山科営業所に一元化され、三条通神宮道以東へのバスは京阪バス【17】【19】号経路が毎時各1本程度のみの寂しいものとなる。現【19】号経路・<山科駅~三条京阪・四条河原町>はこの【12】号経路の代替とも言えよう。

【12】号経路の派生系統として、

【10】三条京阪→石田→小栗栖団地(深夜のみ運転)
【16】三条京阪~醍醐三宝院
【18】三条京阪~石田

があった。

三条京阪から醍醐方面への京阪バスは、ほかに五条通経由もあり、三条通経由と区別するためか系統番号は【11】【13】など奇数だった。現在でも、昼間時間帯のみ三条京阪~醍醐・六地蔵方面へのバスが四条河原町~五条通経由で毎時3本程度(【84B】【86B】【87B】【88B】)運転されているが、運行経路は複雑で少々わかりにくくなっている。

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1992年9月、東北のある駅での撮影です。
どこの駅だったかは忘れました。
701系電車が登場する1年前のこと、東北地方の本線系普通列車は客車列車の天下でした。

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1994年8月訪問しました。
富山港線は北陸地方では珍しく直流電化で、かつては青の直流型旧型国電が活躍していたが、北陸本線と共通の457・475系に置き換えられました。
富山港線は2006年、富山ライトレールに転換されました。


国鉄・JR 大阪市内でのミニ編成電車
http://katanogawara.blog.jp/archives/20528560.html

につづき、私鉄についても取り上げてみたいと思います。

関西私鉄・地下鉄の長編成電車(有料特急を除く)は、地下鉄御堂筋線(10両)、近鉄奈良線・大阪線快速急行(10両)などが挙げられます。関西では8両編成は長いほうですが、朝ラッシュ時には阪急や南海高野線でも10両に増結運転が行われています。阪神はなんば線での近鉄直通快速急行が最大10両であるほかは6両以下、京阪と南海本線は最大8両、御堂筋線以外の大阪市営地下鉄各線は堺筋線の8両が最大です。

大阪市内の私鉄でもわずか2両の短い編成の電車があります(阪堺電車を除く)。
近鉄特急と南海汐見橋線が該当します。

近鉄特急は大阪線を走行する名阪特急アーバンライナーが8両、伊勢志摩方面への特急は閑散期は4~6両が基本ですが、正月や観光シーズンには最大10両で運転されます。また、通勤時間帯の特急も着席需要に応えて10両に増結されます。

奈良線については事実上最上位の優等列車は快速急行であり、平日昼間は特急がない時間帯もあります。距離が短い上に快速急行とほぼ同じ停車駅では有料特急が邪魔者扱いされがちで、もともと昼間の利用は少なく、少し前までは2両で運転されることさえありました(現在は最低4両編成)。しかし、朝と深夜の通勤時間帯は本数は多く、主に学園前方面からの着席需要が高く10両編成に大化け、アーバンライナーも間合いで入ったりします。土曜・休日ダイヤでは快速急行がほぼ終日10両で運転されるにもかかわらず昼間時間帯も特急が毎時1本設定され、観光・レジャー客の着席需要を意識したものとなっています。

大阪阿部野橋を起点とする南大阪線の吉野特急は、昼間は「さくらライナー」を除いて2両のミニ編成が多く(最大で「さくらライナー」2本連結の8両)、寂しいです。名阪特急や伊勢志摩方面に比べ、吉野特急はあまり華がないですね。吉野線内はカーブの多い単線区間で停車駅も多く、遅いです。天王寺・大阪阿部野橋よりはどちらかといえば新幹線・京都方面から(橿原神宮前乗り継ぎで)飛鳥・吉野・大台ケ原方面への観光客のために設定されているようなものですね(その意味では京奈・京橿特急と共通)。

南海汐見橋線は正式には高野線の汐見橋-岸里玉出間です。
汐見橋駅はかつて高野山へのターミナル駅として賑わっていたらしいが、南海本線連続立体化によって完全に系統分割され、2両編成の電車が30分に1本発着するのみとなっています。
汐見橋駅は地下鉄千日前線・阪神なんば線の桜川駅と隣接していて京セラドーム大阪にも近く、利用客数は一時期に比べて盛り返しているようですが、なにわ筋線開通へ具体的に動き出し、存続が危ぶまれている状況です。


国鉄末期~JR初期の頃、貨物列車の削減で余裕の生まれた線路を活用すべく、地方都市圏でも高頻度・等間隔のいわば「国電型ダイヤ」の導入が盛んに進められました。列車本数を大増発する代わりに、編成そのものは短くし、ただし財政的に新車導入は厳しいので既存の車両を改造で間に合わせる(その究極は583系寝台電車を近郊型化改造するなど)、という手法が流行りました。

大阪市内を中心とする関西圏も例外ではありません。

大阪市内におけるミニ編成の電車といえば、まず福知山線城崎電化に合わせて登場した113系800番台の2両編成を思い出します。福知山線は1981年宝塚まで電化され、黄色の103系が投入されるが、福知山・鳥取・米子方面への長距離列車も残り、宝塚以遠への直通普通列車は客車や気動車(キハ47ほか)で運用されていました。1986年11月の宝塚-福知山-城崎(温泉)間電化により、特急・急行は城崎までの485系<北近畿>に生まれ変わり、鳥取・米子方面直通列車は夜行<だいせん>1往復を除き廃止。普通列車は103系と113系に置き換えられ、113系は初期型を耐雪対応に改造した800番台として登場。しかし、113系は4両または2両という短編成で、客車時代は10両の長編成列車(気動車も最長で9両ぐらい)も多かったのに、本数倍増とはいえ大阪駅で2両編成ではやはり超満員で積み残しも連日発生する始末でした。さすがに国鉄・JRもこれを放置しておくわけにはいかず、113・115系を各地から急遽転用して混雑緩和対応に追われました。普通電車が207・321系の7両で運転される現在では少し信じがたいかもしれません。

大阪でのミニ編成でもう一つ忘れてはならないのは、片町線(学研都市線)の103系3両編成。
JR誕生から2年後の1989年、長尾-木津間の電化が完成、片町・京橋から同志社前・木津への直通電車を終日運転。新駅・松井山手以東への直通電車は主に快速電車で運行(長尾-木津間各駅停車)されるが、気動車時代の2両から一気に7両対応へのホーム拡張は難しく、103系の3両で運用されることになりました。松井山手駅で7両への増解結も一部行われるが、快速電車は3両編成のまま京橋・片町へ乗り入れました。さすがに京橋での3両編成では超満員で、翌年1990年春には4両に増強、そして1992年には新型207系に置き換えられました。1997年JR東西線開通後、JR神戸線や福知山線(JR宝塚線)との直通運転となり、同志社前・木津方面への電車は松井山手駅で増解結作業が必ず行われることになりました。5年後の2002年には7両運転区間は京田辺まで延長されるが、わずか一つ向こうの同志社前発着電車で増解結は常時行われ、これは何とかならんものかと問題になりました。2010年になって木津まで207・321系の7両運転が行われ、途中駅での増解結作業も解消されました(→こうなると207系の中間運転台はあまり意味をなさなくなる)。

関西本線(大和路線)普通電車の103系も1990年代前半までの一時期、3両編成がありました。
もともと6両編成での運転ですが、1986年11月改正で天王寺口にデータイム3両編成の普通電車が登場。これに合わせて103系先頭車の不足を補うべく、101系クハを改造しクハ103-2000番台が登場、1985年まで活躍していた101系を彷彿とさせる顔でした(同様に阪和線でもクハ103-2500番台が登場、101系顔の青色は一時期の京浜東北線を思い出させる姿、のちに天下のJR京都・神戸線普通電車に転用)。しかし、やはり天王寺口での3両では混雑しやすく、1993~94年ごろ6両編成に戻されました。


京都駅とけいはんな学研都市を結ぶバス(京阪バス、奈良交通)ですが、10月2日より新名神高速経由に変更となる予定です。

https://www.keihanbus.jp/announcement/detail.html?news_id=248

第二京阪~八幡京田辺JCT~<新名神>~城陽JCT~学研都市という経路に変わります。

これにより所要時間は約5分の短縮、運賃は据え置きです。

新しい共通回数券も発売(9月15日より)、来年9月30日まで利用可能です。

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兵庫県篠山市河原町にあるバスターミナル、「本篠山」バス停。
ここからJR篠山口駅をはじめ篠山市内各方面への神姫グリーンバスが発着しています。
かつては、国鉄バス(→西日本JRバス)が園部(京都府南丹市)方面とか大阪府能勢町に越境する路線などもあったが、全て撤退しました。
本篠山バス停は、まるで鉄道駅ホームのような雰囲気ですね。

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西日本JRバス車庫の跡地
広大な駐車場となっているようだ



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本年8月の休日に訪問しました。
京阪バスとそっくりの京都京阪交通LV290が止まっています。
運動公園のプールで泳いだ家族連れの方々で賑わっていました。

運動公園には東別院・西別院・本梅・広野・土ヶ畑など亀岡市南西部各方面へのバスが発着しており、一つのターミナルとなっています。

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近鉄8600系8619F(編成略号X69)。
正面から見ればごく普通の近鉄電車ですが、この編成は近鉄丸屋根車唯一の固定6両編成です。
写真は京都線の急行(「タテ急」)に入っていたときです。

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もともと高野線橋本以南の山岳区間対応に投入された17m車2100系(新・ズームカー)。
10年ほど前より、高野線の列車系統は基本的に橋本で分断、山岳区間には転換クロス2300系が投入される代わりにワンマン運転となり、余剰となった2100系が南海本線に転用されました。本線では主に普通で運用されています。



最近、京阪バス一般路線用の初期冷房車について、少し気になっています。

京阪バス一般路線の冷房サービス開始は、路線・観光兼用のBタイプについては1975年ごろから始まったかと思われます。私が今も印象に残っているのは、1976~77年式の三菱ふそうMR470・三菱自工(名古屋)車体で、車体中央側に太い柱のあるサブエンジン式冷房、観光兼用ながら通常の一般路線と同じ2段サッシ窓をしていて、大阪・京都・滋賀地区各営業所に最低1台は配置されていました。日野車の独壇場だった香里団地営業所にも1台(社番B-1344、大阪22あ2277)配置され、快速【1】号経路・<枚方市駅~新香里>などでの運用を見かけたように記憶しています。交野営業所にも同タイプのものが1台、平日昼間の釈尊寺団地線【10】号経路でよく見かけました。また、枚方営業所管内では末期は樟葉・牧野循環系統に入ることが多かったようです。京都・滋賀地区は観光路線も多いため、Bタイプ車は多めに配備され、特に大津営業所(B-136X・滋22か628、ほか)では【46】【47】・京津国道線や【10】・宇治川ライン線など広範囲の運用をこなしていたようです。当時、各営業所に配置されたBタイプ車は、団体・貸切や京都競馬場シャトルのほか、休日には京都定期観光に結集していたそうです。

一般路線Aタイプの冷房化は1977年試験導入、翌年1978年より本格導入が始まり、1985年2月までに冷房化100%を達成します。

まず、確か1977年ごろ香里団地営業所に冷房付き日野RE120?が1台配置されました。1978年以降の直結式冷房付きRE121と同様、車体後部にクーラーユニットはあるが、試験的要素が強く、細かい部分で違いが見られ、77年式のほうが古っぽく見えました。

同時期の三菱Aタイプ車については、三菱自工車体でサブエンジン式冷房を試験的に採用、当時人気のBタイプと同じ外観だったが、観光兼用のBタイプとちがって後扉の幅は広かったです。1978年以降、車体はいわば「ブルドック」なる斬新な車体デザイン、形式もMP117となります。三菱自工と並行して導入された呉羽(富山)車体については、1977年式は知らないが(たぶん非冷房車ばかりだったかな)、1978~79年には車体は旧来のMRタイプながら「ブルドック」と同じ新形式MP117となって冷房も搭載されます。冷房付き呉羽Aタイプ・Bタイプとも外観スタイルは1976~77年式三菱自工Bタイプと似ているが、丸みの濃い呉羽ボディよりも三菱自工のほうが新しくて重厚な印象があります。ちなみに、呉羽車体は1980年以降、「ブルドック」を導入して三菱自工と図面デザインを共通化、外観上の区別が困難となりました(→1984年のエアロスター以降、再びそれぞれ異なるデザインとなるが、のちに「三菱ふそうバス」に一本化)。

あと、富士重3Eも忘れてはなりませんね。
京阪バスでは富士重3Eの日野・三菱も購入していました。
富士重3Eは日野・金産車体のイメージに近いスタイルなのに、三菱ふそう車のエンジン音のする車両もあって不思議に思っていました。1978年より富士重3Eの冷房車も登場。富士重についてはクーラーユニットが車体中央に搭載される直結冷房ながら、車体中央に太い柱があり、特徴的なスタイルで、また1979年の前面方向幕大型化以降のものは、方向幕周りが特注でカマボコ形となり、西工42MC(いわゆる「カマボコ」)をイメージするスタイルでした。

1986年以降、京阪の初期冷房車(方向幕大型化前のもの)は長野県・川中島バスや山陰の日の丸自動車などに移籍。川中島へ嫁いだのは、三菱車が多かったが、少しだけ日野車も転入。MR470・BタイプやMP117(三菱自、呉羽)のほか、特徴的な富士重3E・MP117や日野RE120試作冷房車などが川中島で第二の活躍を続けました。日の丸自動車へは日野車が大量に移籍、富士重3Eや非冷房車も一部含まれていました。

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枚方市駅南口おりばに停車中の日野RE121冷房車
香里団地または交野営業所の所属、1980年代前半ごろと思われる
枚方近鉄や三和銀行も懐かしい




北陸本線(米原-直江津)は交流電化路線のイメージが強いですが、両末端区間は直流電化となっています。
もともと東側の糸魚川以東(→現・越後トキめき鉄道)が最初から直流電化、西側の米原口は1991年に長浜、2006年に敦賀まで順次直流化され、京阪神から新快速電車が敦賀まで直通運転しています。

さて、ふと気になった北陸本線での115系ですが、直江津側の直流区間に谷浜や能生への海水浴臨時列車で乗り入れた可能性はあるようです。実際、JR東日本管内の長野および新潟地区115系の方向幕で北陸本線の「谷浜」・「能生」コマが入っているのはかなり有名で、山国の信州から直江津経由能生まで海水浴臨が運転されたこともあります。使用車両はもちろん電車ですが、どんな車両が使われたのかが気になります。115系の可能性が濃厚ですが、165・169系の可能性ももちろんあります。

ちなみに、米原口でも1990年代の一時期、長浜まで115系が乗り入れたことがあります。米原口での115系は京阪神快速電車の113系チームの一員として岡山から転入したもので、113系と共通運用でした。



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2012年8月当時の写真です。
確か2614-2914+2603-2703-2803+2628-2828の7連でした。
特に2626-2826は2000系1次車体なのが注目ポイントでしょうか・・・
2614号の2段車掌室窓も昭和の京阪の面影をどとめていい感じですね。

2626-2826は廃車され、
2624-2924+2614-2914+2603-2703-2803
に変わり、今も活躍中です。Mc2624のみ2000系1次車体です。

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高槻市営バスの原大橋バス停。

JR高槻駅北から府道6号<枚方亀岡線>で住宅地の坂道を上り上の口バス停の小さな峠を過ぎると、扇状地のあるのどかな原集落の先が「原大橋」。多くの便はここで折り返します。この先、山間部に入り、樫田地区(田能・中畑・二料・杉生方面)へのバスが1日数本あります。運賃も原大橋を境目に均一区間から山間部対キロ制に変わります。

かつては原大橋から樫田地区を経て亀岡までのバスが発着していましたが、1983年ごろ廃止されました(これと引き換えに高槻駅北から樫田地区へのバスが運行開始)。

原地区を貫く清流・芥川では魚釣り・バーベキュー・花見などが楽しめます。
原地区では昔から寒天づくりやどぶろくが盛んでした。現在、寒天干しは見られなくなり、どぶろくづくりも農家一軒(大阪唯一)となったそうです。

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元・京阪宇治交通のエアロミディ小型車(社番U1149)です。
新製当初は田辺営業所に投入、松井山手循環路線で運用されていたかと思いますが、男山営業所に転属し【4A】号・市民の森線で活躍していました。
現在もまだ残っているのでしょうか?

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北陸鉄道浅野川線の終点・内灘駅。
北鉄金沢駅から浅野川に沿って海岸側へ伸びる7kmあまりのローカル私鉄です。
内灘海水浴場へは内灘駅前から内灘町コミュニティバスが便利です。
駅前周辺は金沢近郊の住宅地が広がっており、金沢医科大へのバスも発着しています。


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2016年4月より尼崎市営バスは阪神バス(尼崎市内線)に移管されました。
神戸市以外の兵庫県内の公営交通バスは、伊丹市営バスのみとなりました。

尼崎市営バスの乗降方法は関西では珍しい前乗り・先払い方式です。
阪神バス移管後も変わっていません。

関西圏での前乗り方式といえば、ほかに奈良交通の一部路線などがあります。


来る9月9日(土)、京阪バス高槻営業所管内でダイヤ改正が実施される予定です。

https://www.keihanbus.jp/news/sysimg/00245/link_GDu6y.pdf

主な改正内容は、

(1)枚方市駅~阪急・JR高槻(平日昼間)
【1】枚方市駅~JR高槻(毎時2本)
【2】枚方市駅~阪急高槻(毎時4本)
【1A】枚方市駅~阪急高槻~市役所前~JR高槻(毎時2本)

(2)【5A】・<JR高槻→阪急高槻→番田一丁目→阪急高槻→JR高槻>廃止

(3)JR茨木→玉川橋団地→白川二丁目(昼間時間帯)
【4A】・<JR茨木→玉川橋団地→白川二丁目>と【4】・<玉川橋団地→JR茨木>を統合、
【4A】・<JR茨木→玉川橋団地→白川二丁目→JR茨木>として運行


今回、枚方高槻線についてかなりメスが入れられている印象です。

平日昼間の枚方市駅の発車時間としては、

(阪急高槻方面行き) 10分間隔(JR高槻行きを含む)
(JR高槻行き) 【1】【1A】が各30分間隔、合わせて毎時4本


で、阪急高槻およびJR高槻へ行く便数自体は現在と同じですが、JR行きの15分間隔が崩れ、高槻方面行き全体的に1時間あたり2本減少です。

JR高槻の発車時間は阪急高槻経由を含め15分間隔が維持されています。

土曜・休日ダイヤの運行本数は現在と大きく変わりません。

平日昼間の運行本数が変更されるのは、高槻市役所への利便性を図る意味もありそうですが、同時に【5A】号経路を整理廃止する目的とも読み取れます。

私個人的に、JR高槻発着の便も毎時6本、内2本は阪急高槻経由の【1A】号経路として運転、ということを望んでいましたが、JR高槻行きの本数増はなりませんでした。


今回のダイヤ改正で高槻営業所管内の運用本数が減ることになるはずなので、車両の動きも気になります。エアロミディ10.5m車および幕エアロスターなどの動向、合わせて今年度以降の新車がどうなるのか、目が離せません。

今年の夏に導入されたKV290はN-3319まで運用開始しており、N-3319は交野営業所に配置されました。


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高槻に残る幕エアロスターの動きにも目が離せない

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常磐線と運用のつながっている成田線(成田-我孫子)にもE233系が入っています。
成田駅にて2005年3月撮影。

(追記)
この写真の車両はE231系のようですね。
最近の首都圏の車両の移り変わりにはついていけません・・・


京阪宇治交通(→京阪宇治バス→京都京阪バス)は何気に富士重ボディの車両が多くいました。

1978年以前の京阪宇治交通では三菱ふそう+呉羽車体が大多数を占めていましたが、冷房車導入の1979年以降、宇治営業所(廃止)に富士重+日産ディーゼルも配備されるようになりました。1995年の7Eになるまで宇治と田辺(→京阪バス京田辺営業所)に富士重+日産ディーゼルの投入が続きます。

京阪バスに継承されたくずは・男山地区(男山営業所)においては、ほぼ三菱ふそうの独壇場であり、富士重はなじみの薄い車両でした。

しかし、男山営業所に富士重3E+三菱MR470が配置されたこともあります。
1976年式で社番166、登録ナンバーは京22か1400だったかと思います。
当時、樟葉近辺に住んでいて、この車両によく当たったように記憶しています。
同じ三菱ふそう車であっても主力の呉羽車体とはちがって全体的に丸みがあり特徴的な印象でした。

166号は1986年に引退した模様です。
ちなみに京阪宇治交通の車両冷房化100%達成は、京阪バスに1年遅れて1986年のことでした。

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