1980年代ごろの京阪バス交野営業所の車両について、私個人的に印象に残っているものを思いつくまま書いてみたいと思います。
昭和の交野営業所といえば、「グリーンシティ」の看板も忘れられない
◎B-13??
三菱ふそうの路線・観光兼用車でした。形式はMR470、1977年式。2段窓でしたが冷房付き、座席モケットは赤色で補助席もあって豪華仕様でした。サブエンジン冷房のため、冷房稼動の音はすごかったです。1960年代以降生産の続いたMR系末期、ヒューンという静かな音に変わりMP系の登場を予感させるものだったように記憶しています。納車当時、交野営業所開設(1978年)前なので、どこから転入してきたのか気になります。平日昼間の【10】号・釈尊寺団地線でよく見かけました。貸切運用に使用されることも多く、また休日は京都定期観光の応援等に出張していたようです。このタイプの車両は京阪バス各営業所に最低1台は在籍していました。
◎B-13??
1982年秋~83年春の一時期、なぜか枚方(営)から転入。上記B-13??とともに【10】号・釈尊寺団地線で見かけることが多かったと記憶しています(1983年正月の休日ダイヤでも運用に入っていました!)。交野では一時的にBタイプ車2台体制となりました。形式は例によって同じMR470ですが、こちらのほうが1976年式で少し古く、走行音はものすごかったです。このタイプの車両は枚方・山科・香里団地などに配置されていました。
◎A-12??
バス窓の三菱ふそう・呉羽ボディ車、形式はMR470でした。左側2人掛けシート、右側ロングという特徴的な座席配置だったかと思います。【18】号・田原線<京阪交野市駅~私市~田原地区~清滝団地~京阪大和田駅前>で使用されることも多く、もちろん非冷房車ですが、ロングシート車もまだ多く残っていた当時、この車両に当たると得した気になり遠足気分が味わえました。交野(営)開設前の配置は不明。1981年ごろまで活躍していました。
◎A-3224?(大阪22あ1798?)
日野RE120、1973~74年式、金産車体でした。窓は確か2段サッシ(「バス窓」時代の名残か、下段窓が大きかった)だったがロングシート。1982年まで活躍していました。これよりもう少し古いものになると「バス窓」で、1981年までには引退したかと思われます。
◎A-1005(大阪22あ2356)、
A-3001~3004(大阪22あ2357、2358、2359、2360)
A-1005は三菱ふそう・呉羽ボディ短尺車MR410(1976年式)。日野短尺車RE101の4台(A-3001~3004)とともに、笠松-正縁寺間の狭隘区間を走行する星田線【41】【43】号経路対応に投入。交野営業所開設前は枚方(営)の担当、交野(営)の開設とともにそのまま転属しました。A-1005には確か「ピザハット」の看板が付いていたようです。これらのグループは交野転入後も枚方(営)時代と同じ看板(「枚方自動車教習所」「(株)ヤツカ」「ひらかたパーク」・・・)だったようですね。1984年まで活躍ののち、日野レインボー中型車に置き換えられ、遅れていた冷房化も完了。
◎A-14??(大阪22あ3219)
初期の三菱ブルドック(三菱自工製)。前面方向幕小型の1978年式(MP117M)でした。もともと交野(営)は他の営業所と比較して三菱ふそう車は少なく、これはその貴重な1台でした。【18】号・田原線での運用を目的に配備されました。当時、田原線は三菱車限定でしたが、その理由は四條畷市清滝地区の急勾配対応だと思われます(当時の主力・日野RE系は平坦路線向けだったようだが)。門真(営)に三菱ふそう車がかなり多く配置されたのも同じ理由と考えられます。
◎A-1466(大阪22あ3470→滋22か1170)、1459(大阪22あ3454)
三菱ブルドックで前面方向幕大型化。1979年式、形式はMP117Mでした。翌年1980年以降のK-MP118系とは後面の窓形状が異なっていました。上記A-14??と同様、【18】号・田原線運用向けでした。1台の側面看板は「守口自動車教習所」、もう1台のほうは「香里自動車教習所」だったと記憶しています。田原線【18】号経路は閑散路線ということで1984年より中型レインボーに置き換えられ(ごく短期間だけふそうエアロミディA-1001が入ったが)、三菱ブルドックは撤退。1986年ごろ、A-1466は大津営業所へ転出。
◎A-1501(大阪22あ3750)
交野に1台だけ配置された三菱K-MP118Mです(MP118系はその後、2台転入)。同じブルドックでありながら上記3台とは異なり、こちらは田原線運用に入らず、他の一般路線で汎用的に運用をこなしていました。後面の広告看板は「グリーンシティ」だったと記憶しています。
◎A-3372(大阪22あ3780)、3373(大阪22あ3781)
汎用の日野K-RE121(1980年式)です。K-RE121は京阪バスではREとK-RC301シリーズの間の過渡的な位置づけの形式で、1980年のみ主に大阪地区(特に寝屋川・門真)へ集中投下。後面ルーバー(排気孔)は廃止され、エンジン音もK-排ガス規制以前のREとはかなり異なり、カリカリという音が特徴的でした。A-3372・3373は交野(営)に配置された日野車体純正で、意外に少数派でした。その代わりK-RE121の富士重3Eが4台ほど配置され、交野のK-RE121といえばどちらかといえば富士重というイメージがあります。
◎A-3393(大阪22あ4121)、3397(大阪22あ4136)
汎用主力の日野K-RC301ですが、交野(営)では意外に少なかった前面窓標準サイズの前期タイプ(1981年式)です。なぜかこの2台は印象に残っています。基本スタイルこそ旧来のRE系と同じだが、このあたりの車両よりエンジン音が大きく変わり、日野のイメージを刷新(RE系に比べてRC系は力強く高音域のうなりが特徴だった)。内1台の側面看板は「月桂冠」と星田にある「大阪病院」、もう1台の後方看板は1982年当初は「幸福米」だった記憶が今も残っています。
◎A-3377(大阪22あ3864)
上記A-3393・3397より少し古いK-RC301(1981年初頭あたり納車)で、スタイルは同じです。後面看板の枠の取り付け方が旧来のREと同じでした(A-3393ほか1981年後半期以降、RC系の後看板枠は車体密着型となり、排気孔も廃止されスッキリした後スタイルに!)。元々門真(営)の配置で後年交野に転入。1980年代後半~91年初頭まで時々見かけりするが、残念ながらこれに乗ったことはありません。側面広告は「守口自動車教習所」だったかと思います。
◎A-1548(滋22か909→大阪22あ5093)
三菱(K-MP118M)+富士重3E(1982年式)。交野管内では見慣れない車両で、1984年夏、突如大津から転入。交野での富士重といえば、日野RE120・121の印象が強く、三菱ふそう車はこれ1台だけでした。側面看板は「京阪スポーツセンター郡津」だったと記憶しています(ちなみに後方看板は「ステーキの赤とんぼ」だったとのこと)。
諏訪バスに移籍した富士3E・K-MP118M
◎A-3436(大阪22あ4529)ほか
1983年初頭に納車されたK-RC301たちです。前面窓視野拡大化・セーフティ窓付きの後期タイプで、スタイリッシュな印象となり、1982年夏以降に納入されたグループと合わせ主力勢力群でした。1983年初頭のグループについては、後年寝屋川(営)との入れ替わりもかなりあったようですが、中でも香里団地けやき通りの写真(枚方市発行)に映りこんでいるA-3436、および側面看板が「月桂冠」「大阪病院」だった1台(A-3440あたりか)は今も印象に残っています。
◎A-1579(大阪22あ5094)
A-1548と同時に交野に転入した三菱ブルドック(K-MP118M、呉羽、1983年式)。前配置は山科営業所。交野管内では貴重な呉羽製ブルドックでした(1982年以降、京阪三菱ふそう車のボディは呉羽製に一本化)。側面看板に「大阪病院」が付きましたが、交野・寝屋川エリアではあまり見慣れない車両だけに違和感がありました。末期は【43A】号経路・<枚方市駅~交野車庫>などの運用に入っているのを見かけたことがあります。
◎A-3465(大阪22あ5001)
1984年初頭に納車されたK-RC301。上記1982~83年式と基本スタイル・仕様は同じ(座席背面が大理石模様入りとなるなど細部の仕様変更が見られた)、モノコック車最末期であり、バスコレ第12弾のモデルにもなりました。その後、同グループのA-3466(大阪22あ5002)も門真から転入、最終のA-3470(大阪22あ5006)は香里団地配置でした。A-3465と同時期にスケルトンの中型P-RJ172BA(2代目A-3003・3004)も交野に納車、登録ナンバーはA-3465の手前の「あ4999・5000」で、モノコックからスケルトンへの移行期であることを示しています。
◎2代目A-1001・1002(大阪22あ5250、4995)
京阪初の三菱ふそう中型車(呉羽車体)、K-MK116J、通称・エアロミディ。A-1002は交野に直接納車、A-1001は山科営業所から転入しました。京阪バス初めてのスケルトン車ですが、このA-1001・1002のみ排ガス規制はK代で、ともに交野営業所に配属したことになります。ただ、ほどなくして枚方営業所へ転出、交野管内には1年あまりしかいませんでした。星田線用1代目A-1005およびA-3001~3004の置き換えで、星田線の冷房化促進に貢献しました。星田線のほか田原線【18】号経路の運用に入ったこともあります。その20年後、交野営業所にはエアロミディ長尺(10.5m)ノンステップ車と中型車ワンステップ・ノンステップを大量導入して現在活躍中です。まさかエアロミディ系が交野管内の一大勢力になるとは思いもよりませんでした。
◎A-1025、1026(大阪22あ5199、5200)
上記2代目A-1001・1002と同じ三菱ふそう中型車、1985年式エアロミディ。形式はP-MK116Jで新排ガス規制に対応したものです。このグループは大津・山科・枚方に多かったが、交野にも2台配置されました。星田線などの運用で見かけた記憶があります。ただ、A-1001・1002と同様、交野に在籍していた時期は短く、ほどなくして枚方営業所へ転属。
◎A-3019、3020(大阪22あ5346、5331)
日野中型車P-RJ172BA(1984年式)。このグループは1984~86年にかけて交野営業所に多く配置されたが、A-3019・3020の2台は京都・洛南営業所から転入したため、登録ナンバーが少し離れています。洛南時代は京都奈良線や淀山崎桂線などで活躍していたものと思われます。
◎B-3486(大阪22あ5392)
日野ブルーリボン1986年式Bタイプ車、形式P-HU235BA。モノコック三菱B-13xxの代替。納入当初、京都定期観光使用も前提で路線・観光兼用にふさわしく、メトロ窓、座席モケット暖色と豪華仕様でした。Bタイプ車は1980年代半ばの頃のものが最高のグレードでした。ただし、通常の交野営業所管内一般路線では専ら釈尊寺団地線【10】号経路で限定運用されていた印象が強かったです。サブエンジン冷房のため、冷房稼動時の音はかなりすごかったです。
◎A-1757(大阪22あ6205→京都22か5185)、1765(大阪22あ6251→京都22か5186)
1990年、久しぶりに交野に納車された三菱ふそう車。形式はP-MP218M、新呉羽車体で通称「エアロスターK」。当時の主力・ブルーリボンHTとともに汎用でしたが、およそ半年後、山科営業所へ転属。津田香里線、釈尊寺団地線、寝屋川北部線ほかで見かけることも多く、一度乗ってみたかったが叶わず、交野を去りました。ちなみに、京阪のP代エアロスターKはバスコレ第19弾のモデルになりました。
◎W-3801(大阪200か476)
ブルーリボンシティ・ワンステップ車、KL-HU2PMEA、2000年式。2016年までの16年間、一貫して交野に所属。それまでのブルーリボンとは顔の印象が変わり(以前のブルーリボンのほうがイケメンだったように思う)、「キーン」というエンジン音に。このグループは2001~05年にかけて交野・香里団地・枚方営業所を中心にかなりの台数を投下、2003年のW-3831・3832以降はLED行先表示機となりました。その後、ブルーリボンIIなどが続々投入される中、いつ消えても不思議ではなかったが、2016年秋ごろまでしぶとく活躍を続けます。
◎N-3104(大阪200か966→京都200か2332→大阪200か3715)
日野レインボー中型長尺(10.5m)車(KL-HR1 JNEE)です。2002年夏、枚方営業所に投入、京阪バス初のノンステップ車でLED行先表示機が採用されました。2010年、樟葉長尾線の京田辺(営)移管に合わせ、京田辺へ転属。2014年秋、交野営業所へ転入しました。このタイプの車両は相当数交野営業所に配置されているが、N-3104は初期タイプ(前面「ノンステップバス」の字が青色)で登録ナンバーの数も後へ離れており、独特の遍歴をたどったことを物語っています。N-3104は現在も交野に在籍しているが、新型ブルーリボン・エルガに置き換えられるのも時間の問題でしょう。
◎W-3831(大阪200か1290→京都200か2864→大阪200か4027)
2000年代前半の交野管内の主力、日野ブルーリボンシティ(ブルシチ)・ワンステップ車。2003年末に納車。ブルシチ・WタイプのLED行先表示機はこのW-3831・3832が初めてでした。2台とも交野に配置されたが、内1台W-3831は2014年、京田辺(営)に転属。京田辺唯一のブルシチでありながら、枚方尊延寺線、八幡田辺線、樟葉長尾線、淀長岡京線など満遍なく幅広い運用をこなしていたが、結局枚方(営)に転属、大阪ナンバーに再登録されました。しかし、枚方転属後のW-3831はすっかり影の薄い存在。なお、相方のW-3832は除籍された模様です。
京田辺在籍時代のW-3831
◎W-1204(大阪200か1359→京都200か2206)
2004年初頭にデビューした三菱エアロスター・ワンステップ車。2001~04年にかけて、交野(営)にはエアロスター車がかなりの数が配備されたが、この1台だけ行先表示機がLEDでした。ただ、エアロスターが交野に在籍していた時期は短く、寝屋川および枚方営業所に全て転属。このW-1204が交野にいたのはわずか半年間、枚方(営)→京田辺(営)の順に転属しています。W-1204は交野・枚方・京田辺配属時代のいずれも津田駅に顔を見せており、興味深いです。また、2013~14年の一時期、津田サイエンス線関係で河内磐船駅や京阪交野市駅に乗り入れたこともあり、まるで交野に里帰りしたかのようでした。