2017年10月




1980年代ごろの京阪バス交野営業所の車両について、私個人的に印象に残っているものを思いつくまま書いてみたいと思います。

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昭和の交野営業所といえば、「グリーンシティ」の看板も忘れられない

◎B-13??
三菱ふそうの路線・観光兼用車でした。形式はMR470、1977年式。2段窓でしたが冷房付き、座席モケットは赤色で補助席もあって豪華仕様でした。サブエンジン冷房のため、冷房稼動の音はすごかったです。1960年代以降生産の続いたMR系末期、ヒューンという静かな音に変わりMP系の登場を予感させるものだったように記憶しています。納車当時、交野営業所開設(1978年)前なので、どこから転入してきたのか気になります。平日昼間の【10】号・釈尊寺団地線でよく見かけました。貸切運用に使用されることも多く、また休日は京都定期観光の応援等に出張していたようです。このタイプの車両は京阪バス各営業所に最低1台は在籍していました。

◎B-13??
1982年秋~83年春の一時期、なぜか枚方(営)から転入。上記B-13??とともに【10】号・釈尊寺団地線で見かけることが多かったと記憶しています(1983年正月の休日ダイヤでも運用に入っていました!)。交野では一時的にBタイプ車2台体制となりました。形式は例によって同じMR470ですが、こちらのほうが1976年式で少し古く、走行音はものすごかったです。このタイプの車両は枚方・山科・香里団地などに配置されていました。

◎A-12??
バス窓の三菱ふそう・呉羽ボディ車、形式はMR470でした。左側2人掛けシート、右側ロングという特徴的な座席配置だったかと思います。【18】号・田原線<京阪交野市駅~私市~田原地区~清滝団地~京阪大和田駅前>で使用されることも多く、もちろん非冷房車ですが、ロングシート車もまだ多く残っていた当時、この車両に当たると得した気になり遠足気分が味わえました。交野(営)開設前の配置は不明。1981年ごろまで活躍していました。

◎A-3224?(大阪22あ1798?)

日野RE120、1973~74年式、金産車体でした。窓は確か2段サッシ(「バス窓」時代の名残か、下段窓が大きかった)だったがロングシート。1982年まで活躍していました。これよりもう少し古いものになると「バス窓」で、1981年までには引退したかと思われます。

◎A-1005(大阪22あ2356)、
A-3001~3004(大阪22あ2357、2358、2359、2360)
A-1005は三菱ふそう・呉羽ボディ短尺車MR410(1976年式)。日野短尺車RE101の4台(A-3001~3004)とともに、笠松-正縁寺間の狭隘区間を走行する星田線【41】【43】号経路対応に投入。交野営業所開設前は枚方(営)の担当、交野(営)の開設とともにそのまま転属しました。A-1005には確か「ピザハット」の看板が付いていたようです。これらのグループは交野転入後も枚方(営)時代と同じ看板(「枚方自動車教習所」「(株)ヤツカ」「ひらかたパーク」・・・)だったようですね。1984年まで活躍ののち、日野レインボー中型車に置き換えられ、遅れていた冷房化も完了。

◎A-14??(大阪22あ3219)
初期の三菱ブルドック(三菱自工製)。前面方向幕小型の1978年式(MP117M)でした。もともと交野(営)は他の営業所と比較して三菱ふそう車は少なく、これはその貴重な1台でした。【18】号・田原線での運用を目的に配備されました。当時、田原線は三菱車限定でしたが、その理由は四條畷市清滝地区の急勾配対応だと思われます(当時の主力・日野RE系は平坦路線向けだったようだが)。門真(営)に三菱ふそう車がかなり多く配置されたのも同じ理由と考えられます。

◎A-1466(大阪22あ3470→滋22か1170)、1459(大阪22あ3454)
三菱ブルドックで前面方向幕大型化。1979年式、形式はMP117Mでした。翌年1980年以降のK-MP118系とは後面の窓形状が異なっていました。上記A-14??と同様、【18】号・田原線運用向けでした。1台の側面看板は「守口自動車教習所」、もう1台のほうは「香里自動車教習所」だったと記憶しています。田原線【18】号経路は閑散路線ということで1984年より中型レインボーに置き換えられ(ごく短期間だけふそうエアロミディA-1001が入ったが)、三菱ブルドックは撤退。1986年ごろ、A-1466は大津営業所へ転出。

◎A-1501(大阪22あ3750)
交野に1台だけ配置された三菱K-MP118Mです(MP118系はその後、2台転入)。同じブルドックでありながら上記3台とは異なり、こちらは田原線運用に入らず、他の一般路線で汎用的に運用をこなしていました。後面の広告看板は「グリーンシティ」だったと記憶しています。

◎A-3372(大阪22あ3780)、3373(大阪22あ3781)
汎用の日野K-RE121(1980年式)です。K-RE121は京阪バスではREとK-RC301シリーズの間の過渡的な位置づけの形式で、1980年のみ主に大阪地区(特に寝屋川・門真)へ集中投下。後面ルーバー(排気孔)は廃止され、エンジン音もK-排ガス規制以前のREとはかなり異なり、カリカリという音が特徴的でした。A-3372・3373は交野(営)に配置された日野車体純正で、意外に少数派でした。その代わりK-RE121の富士重3Eが4台ほど配置され、交野のK-RE121といえばどちらかといえば富士重というイメージがあります。

◎A-3393(大阪22あ4121)、3397(大阪22あ4136)
汎用主力の日野K-RC301ですが、交野(営)では意外に少なかった前面窓標準サイズの前期タイプ(1981年式)です。なぜかこの2台は印象に残っています。基本スタイルこそ旧来のRE系と同じだが、このあたりの車両よりエンジン音が大きく変わり、日野のイメージを刷新(RE系に比べてRC系は力強く高音域のうなりが特徴だった)。内1台の側面看板は「月桂冠」と星田にある「大阪病院」、もう1台の後方看板は1982年当初は「幸福米」だった記憶が今も残っています。

◎A-3377(大阪22あ3864)
上記A-3393・3397より少し古いK-RC301(1981年初頭あたり納車)で、スタイルは同じです。後面看板の枠の取り付け方が旧来のREと同じでした(A-3393ほか1981年後半期以降、RC系の後看板枠は車体密着型となり、排気孔も廃止されスッキリした後スタイルに!)。元々門真(営)の配置で後年交野に転入。1980年代後半~91年初頭まで時々見かけりするが、残念ながらこれに乗ったことはありません。側面広告は「守口自動車教習所」だったかと思います。

◎A-1548(滋22か909→大阪22あ5093)
三菱(K-MP118M)+富士重3E(1982年式)。交野管内では見慣れない車両で、1984年夏、突如大津から転入。交野での富士重といえば、日野RE120・121の印象が強く、三菱ふそう車はこれ1台だけでした。側面看板は「京阪スポーツセンター郡津」だったと記憶しています(ちなみに後方看板は「ステーキの赤とんぼ」だったとのこと)。

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諏訪バスに移籍した富士3E・K-MP118M


◎A-3436(大阪22あ4529)ほか
1983年初頭に納車されたK-RC301たちです。前面窓視野拡大化・セーフティ窓付きの後期タイプで、スタイリッシュな印象となり、1982年夏以降に納入されたグループと合わせ主力勢力群でした。1983年初頭のグループについては、後年寝屋川(営)との入れ替わりもかなりあったようですが、中でも香里団地けやき通りの写真(枚方市発行)に映りこんでいるA-3436、および側面看板が「月桂冠」「大阪病院」だった1台(A-3440あたりか)は今も印象に残っています。

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◎A-1579(大阪22あ5094)
A-1548と同時に交野に転入した三菱ブルドック(K-MP118M、呉羽、1983年式)。前配置は山科営業所。交野管内では貴重な呉羽製ブルドックでした(1982年以降、京阪三菱ふそう車のボディは呉羽製に一本化)。側面看板に「大阪病院」が付きましたが、交野・寝屋川エリアではあまり見慣れない車両だけに違和感がありました。末期は【43A】号経路・<枚方市駅~交野車庫>などの運用に入っているのを見かけたことがあります。

◎A-3465(大阪22あ5001)
1984年初頭に納車されたK-RC301。上記1982~83年式と基本スタイル・仕様は同じ(座席背面が大理石模様入りとなるなど細部の仕様変更が見られた)、モノコック車最末期であり、バスコレ第12弾のモデルにもなりました。その後、同グループのA-3466(大阪22あ5002)も門真から転入、最終のA-3470(大阪22あ5006)は香里団地配置でした。A-3465と同時期にスケルトンの中型P-RJ172BA(2代目A-3003・3004)も交野に納車、登録ナンバーはA-3465の手前の「あ4999・5000」で、モノコックからスケルトンへの移行期であることを示しています。

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◎2代目A-1001・1002(大阪22あ5250、4995)

京阪初の三菱ふそう中型車(呉羽車体)、K-MK116J、通称・エアロミディ。A-1002は交野に直接納車、A-1001は山科営業所から転入しました。京阪バス初めてのスケルトン車ですが、このA-1001・1002のみ排ガス規制はK代で、ともに交野営業所に配属したことになります。ただ、ほどなくして枚方営業所へ転出、交野管内には1年あまりしかいませんでした。星田線用1代目A-1005およびA-3001~3004の置き換えで、星田線の冷房化促進に貢献しました。星田線のほか田原線【18】号経路の運用に入ったこともあります。その20年後、交野営業所にはエアロミディ長尺(10.5m)ノンステップ車と中型車ワンステップ・ノンステップを大量導入して現在活躍中です。まさかエアロミディ系が交野管内の一大勢力になるとは思いもよりませんでした。

◎A-1025、1026(大阪22あ5199、5200)
上記2代目A-1001・1002と同じ三菱ふそう中型車、1985年式エアロミディ。形式はP-MK116Jで新排ガス規制に対応したものです。このグループは大津・山科・枚方に多かったが、交野にも2台配置されました。星田線などの運用で見かけた記憶があります。ただ、A-1001・1002と同様、交野に在籍していた時期は短く、ほどなくして枚方営業所へ転属。

◎A-3019、3020(大阪22あ5346、5331)
日野中型車P-RJ172BA(1984年式)。このグループは1984~86年にかけて交野営業所に多く配置されたが、A-3019・3020の2台は京都・洛南営業所から転入したため、登録ナンバーが少し離れています。洛南時代は京都奈良線や淀山崎桂線などで活躍していたものと思われます。

◎B-3486(大阪22あ5392)
日野ブルーリボン1986年式Bタイプ車、形式P-HU235BA。モノコック三菱B-13xxの代替。納入当初、京都定期観光使用も前提で路線・観光兼用にふさわしく、メトロ窓、座席モケット暖色と豪華仕様でした。Bタイプ車は1980年代半ばの頃のものが最高のグレードでした。ただし、通常の交野営業所管内一般路線では専ら釈尊寺団地線【10】号経路で限定運用されていた印象が強かったです。サブエンジン冷房のため、冷房稼動時の音はかなりすごかったです。

◎A-1757(大阪22あ6205→京都22か5185)、1765(大阪22あ6251→京都22か5186)
1990年、久しぶりに交野に納車された三菱ふそう車。形式はP-MP218M、新呉羽車体で通称「エアロスターK」。当時の主力・ブルーリボンHTとともに汎用でしたが、およそ半年後、山科営業所へ転属。津田香里線、釈尊寺団地線、寝屋川北部線ほかで見かけることも多く、一度乗ってみたかったが叶わず、交野を去りました。ちなみに、京阪のP代エアロスターKはバスコレ第19弾のモデルになりました。

◎W-3801(大阪200か476)
ブルーリボンシティ・ワンステップ車、KL-HU2PMEA、2000年式。2016年までの16年間、一貫して交野に所属。それまでのブルーリボンとは顔の印象が変わり(以前のブルーリボンのほうがイケメンだったように思う)、「キーン」というエンジン音に。このグループは2001~05年にかけて交野・香里団地・枚方営業所を中心にかなりの台数を投下、2003年のW-3831・3832以降はLED行先表示機となりました。その後、ブルーリボンIIなどが続々投入される中、いつ消えても不思議ではなかったが、2016年秋ごろまでしぶとく活躍を続けます。

◎N-3104(大阪200か966→京都200か2332→大阪200か3715)
日野レインボー中型長尺(10.5m)車(KL-HR1 JNEE)です。2002年夏、枚方営業所に投入、京阪バス初のノンステップ車でLED行先表示機が採用されました。2010年、樟葉長尾線の京田辺(営)移管に合わせ、京田辺へ転属。2014年秋、交野営業所へ転入しました。このタイプの車両は相当数交野営業所に配置されているが、N-3104は初期タイプ(前面「ノンステップバス」の字が青色)で登録ナンバーの数も後へ離れており、独特の遍歴をたどったことを物語っています。N-3104は現在も交野に在籍しているが、新型ブルーリボン・エルガに置き換えられるのも時間の問題でしょう。

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◎W-3831(大阪200か1290→京都200か2864→大阪200か4027)
2000年代前半の交野管内の主力、日野ブルーリボンシティ(ブルシチ)・ワンステップ車。2003年末に納車。ブルシチ・WタイプのLED行先表示機はこのW-3831・3832が初めてでした。2台とも交野に配置されたが、内1台W-3831は2014年、京田辺(営)に転属。京田辺唯一のブルシチでありながら、枚方尊延寺線、八幡田辺線、樟葉長尾線、淀長岡京線など満遍なく幅広い運用をこなしていたが、結局枚方(営)に転属、大阪ナンバーに再登録されました。しかし、枚方転属後のW-3831はすっかり影の薄い存在。なお、相方のW-3832は除籍された模様です。

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京田辺在籍時代のW-3831

◎W-1204(大阪200か1359→京都200か2206)
2004年初頭にデビューした三菱エアロスター・ワンステップ車。2001~04年にかけて、交野(営)にはエアロスター車がかなりの数が配備されたが、この1台だけ行先表示機がLEDでした。ただ、エアロスターが交野に在籍していた時期は短く、寝屋川および枚方営業所に全て転属。このW-1204が交野にいたのはわずか半年間、枚方(営)→京田辺(営)の順に転属しています。W-1204は交野・枚方・京田辺配属時代のいずれも津田駅に顔を見せており、興味深いです。また、2013~14年の一時期、津田サイエンス線関係で河内磐船駅や京阪交野市駅に乗り入れたこともあり、まるで交野に里帰りしたかのようでした。

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枚方時代のW-1204


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枚方市長尾の菅原公民館・図書館前(京阪バス「長尾口」下車)にある多田製茶
今月初め、ここの喫茶室(茶通仙)で抹茶シフォンケーキセットを味わってみました。
夏の間はかき氷が人気メニュー、訪問当日はかなり蒸し暑かったのでかき氷もかなり売れそうでしたが、10月ということでかき氷の販売は終了でした。
価格は概ね500~700円ですが、テイクアウト限定で300円の抹茶ソフトクリームもあります。モーニング・ランチのお値打ち軽食セットメニューもあり、今度の機会に味わってみたいと思います。


前からずっと気になっていましたが、近畿(関西)の政治勢力について、京都・滋賀~大阪北部~兵庫阪神地区は左派・リベラル系、大阪南部(大和川以南)・奈良・和歌山は保守系が強いという構図が見られます。

まず、京都は昔から共産党が日本一強い地域で、かつて7期28年間(1950-78年)も故・蜷川虎三が知事を務め、共産党与党の京都府政が続きました。現在、京都で共産党が特に強い地域は、左京・北・右京区と乙訓(向日・長岡京・大山崎)ぐらいで、八幡・城陽市以南の南山城、および亀岡市以北の地域はあまり強くはないようです。亀岡・南丹市など口丹波地域(京都4区)は自民党の実力政治家・野中広務、中丹・丹後地域(同5区)は福知山を拠点とする谷垣氏が強いところです。南山城の京都6区は、民主党系の候補が連続当選していましたが、今回希望の党から立候補し、自民党の若手に競り負けました。京都南部は意外に民主党(民進党)が強い地域です。2区(左京・東山・山科区)はあの前原氏が強いですからね。

近畿の水がめ・琵琶湖を抱え、また原発銀座の若狭湾に隣接していて環境問題への意識が非常に高いと言われる滋賀県は、近畿で唯一非自民・非維新系の知事で、2006年の嘉田由紀子初当選はサプライズでした。2006年知事選では、草津線と交差する場所に新幹線新駅が一大争点となりましたね。嘉田氏が2期8年間務めたあと、同じ民主党系の三日月氏が当選。滋賀県は東海地方と北陸地方に隣接しており、東海地方は民主党が強い反面、北陸地方は自民党が圧倒的に強い地域です。

大阪はかつては京都・蜷川知事の影響も相当に受け、共産党・社会党の支援する黒田了一氏が2期8年間(1971-79年)知事を務めていました。全国人口の4割(主に大都市圏)が「革新自治体」と言われた時期でもあり、新幹線の止まる駅はほぼ革新自治体でした。しかし、1970年代末より革新自治体は徐々に後退、その後は自民党(オール与党)、そして橋下徹以降の「大阪維新」へと続き、とりわけ大阪では左派リベラル系は苦戦を強いられています。ただ、大阪はもともと反権力、自民党が全国で一番弱い地域で、基本的に野党系が強いところ。横山ノック氏や西川きよし氏のような無所属タレントの知事や国会議員を輩出し話題を呼んできたのも、大阪独自の「お笑い」文化に支えられてのことでしょう。橋下徹知事および市長が誕生したのも、一面ではもちろんその延長線上だとは思われます。自民党の補完勢力で右翼的とされる大阪維新の支持者も、元は共産・社民・民主系支持だった人たちも多いようです。

大阪は北部へ行くほど左派リベラル系が強いと見えます。特に高槻市を含む大阪10区は、旧・社民党系の辻元清美氏が強く、今回も立憲民主党で当選。高槻市は大阪北摂の主要都市でありながら京都の影響力が強く、独特の風土があり、共産党の大阪府会議員もいる数少ない地域です。辻元氏は兵庫阪神地域を拠点とする憲法学者、故・土井たか子氏の後継者とも見られ、コープこうべ(旧・大阪北生協も統合)の影響力もバックにあると言われています(というか、コープこうべが全国で一番規模の大きい生協なのは、神戸・阪神地域のリベラルな市民に支えられてのものだろう)。

淀川対岸の大阪11区(枚方・交野)も伝統的に社会党→民主党の強い地域ですが、10区とはかなり事情が異なり、パナソニック城下町であることがかなり大きいです。今回も平野博文氏が無所属で当選。枚方・交野地域は、大阪市内や京都南部と比べて残念ながら共産党はあまり強くはないようです。

なお、大阪市内では共産党の強い行政区(西淀川・福島・此花・大正区など)も結構あります。福島区出身の清水ただし氏は元・漫才師のユーモアな方で、「お笑いの大阪」に見事マッチ、従来の共産党のイメージを打ち破る期待の存在です。

兵庫県の阪神地域は、憲法学者・土井たか子氏で有名であり、リベラルなインテリ層が多いと言われるところ。宝塚市長もリベラル系であり、また公明党の牙城で工場地域の尼崎の市長も野党系若手が当選したこともあります。尼崎(兵庫8区)といえば、2009年衆院選で田中康夫(元・長野県知事)が公明党に殴り込みをかけて当選したことも特筆すべきでしょう。今回、8区には共産党の堀内照文氏が立候補したが、残念ながら及ばずでした。

兵庫県南西部の西播地域でも共産党首長の町が複数存在した時期があります。特にひまわり畑で有名な旧・南光町(→佐用町)で共産党員町長が1980年から25年余り続いたことは有名です。

大阪南部の政令都市・堺は自治都市の伝統を受け継いで、都構想に反対する非維新系の竹山氏が3期連続市長を続けています(初当選の時は橋下徹氏の支持があったが)。ただ、左派リベラルと言うよりは保守色が強く、それゆえに「住民目線で大切なものを守る」を貫いておられ、共産党の応援・協力があっても全然不思議ではなく、良い意味での保守政治家だと言えます。保守系の強いイメージのある泉州地域も、岸和田や貝塚では共産党与党の市政が20~30年続いたかと思います。

奈良・和歌山は基本的に自民党の強い「保守王国」。奈良は高市氏、和歌山は二階氏が有名。しかし、奈良県生駒市からは民主党系の若手、中村てつじ氏が何度か国政選挙に当選、2014年には小政党の「生活の党」から奈良2区に立候補、高市氏に善戦しています。その後、佐賀県に国替えしました。現在の生駒市長も非・自民系だったかと思います。


今週、エルガ・LV290の新車が京阪バス交野営業所に2台納車、運用開始した模様です。
社番はN-6266・6267です。

唯一の幕車となったブルーリボンシティ・W-3815と他1台が代替するものと見られます。

また、高槻営業所からエアロミディ・ロングN-1093が交野に転属しています。
交野のブルーリボンIIあたりとトレードするものと思われます。

高槻営業所からはせっかくの新車LV290がいなくなる一方、幕エアロスターやエアロミディ・ロングも徐々に数を減らしています。

(10/31 追加)
交野にN-1094が転入、N-3961・3974と交換となりました。


2017年11月6日(月)に近鉄バス茨木地区のダイヤ改正が実施されます。

http://www.kintetsu-bus.co.jp/news/detail.php?no=20171024114233

主な内容は、まず【100】番・<JR茨木~エキスポシティ>の大幅減便です。
阪急バスとの共同運行ですが、平日ダイヤの近鉄バス担当便は撤退、阪急バス【90】系統のみで運行本数は半減(毎時2本)となります。なお、土曜・休日ダイヤはほぼ現在と同じです。阪急バス【90】系統は途中、日本庭園前と記念公園南口のみ停車の快速運転です。

このほか、【14】番・<JR茨木~茨木弁天>、【2】番・<阪急・JR茨木~春日丘>系統の減便、朝時間帯の<阪急茨木市駅~阪大本部前>系統の一部が記念公園南口経由となるなどの変更があります。



JR九州の筑肥線。

筑肥線は福岡市の姪浜と佐賀県の伊万里駅を博多湾~玄界灘に沿って結ぶ路線です。

この路線は、JR(九州)路線の中ではいろんな意味で異色の存在です。

まず、筑肥線は唐津付近を境に東西で全く違う性格を持っています。
姪浜-唐津-西唐津間は福岡市営地下鉄空港線(福岡空港・博多方面)と相互乗り入れして関係上、九州内のJR在来線では唯一の直流電化区間となっています。姪浜-筑前前原間は福岡市近郊の通勤路線で複線区間、都市鉄道そのもの。筑前前原-唐津-西唐津間は電化はされているものの単線区間となり、ローカル色が濃くなります。博多湾の浜辺に沿い景色の良いところです。福岡市交車が乗り入れるのも筑前前原・筑前深江までで、それより先、JR九州の直流通勤型電車(103系1500番台、303系、305系)の独壇場です。なお、唐津-西唐津間は正式には唐津線(久保田-西唐津間)の一部であり、唐津線は唐津-西唐津間のみ直流電化、他は非電化となっています。

筑肥線の残る西側、山本-伊万里間は内陸山間部の単線非電化のローカル線。唐津-山本間は唐津線で結ばれていて、筑肥線は分断された状態です。なお、この区間の列車は唐津・西唐津から発着しており、福岡空港・博多方面からの電車との接続が考慮されています。

かつては、筑肥線は博多駅から伊万里まで一本の非電化路線として成り立っていたが、博多-姪浜間は福岡市営地下鉄開通に合わせ1983年廃止。廃止前の博多-姪浜間は地下鉄福岡空港線とは異なる迂回ルートでした。姪浜-唐津-西唐津間は地下鉄乗り入れを前提に電化され、ローカル線から都市近郊鉄道に生まれ変わりました。電化に合わせて103系1500番台を新製、車体構造は当時量産中の201・203系、顔は105系という、東京・大阪を中心に活躍中の103系とは違うものでした。

電化と引き換えに、国鉄線としての博多駅乗り入れはなくなり、筑肥線は福岡市内の他の国鉄・JR線とは接続しない形となります。すなわち、「離れ孤島」状態。そのため、福岡市内の筑肥線各駅は国鉄・JR指定の「福岡市内の駅」から除外されました。


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亀岡市南西部の外れのほうにある土ヶ畑(とんがはた)バス停。
府道731号<天王亀岡線>の道なり、京阪京都交通・亀岡市ふるさとバスの終点です。
運動公園ターミナルから湯の花温泉・本梅(ほんめ)を経て、ここまで【F32】【F34】系統が乗り入れています。

土ヶ畑バス停から先、府道731号線をそのまま西へ進むと、尾根にあたる土ヶ畑地先の交差点、そこを北方向へ右折すると府道54号線で南丹市のるり渓、西方向へさらに直進すれば大阪府能勢町天王へ至り、国道173号線と接続します。

かつて、篠山から能勢町へ国鉄バス西能勢線が国道173号線経由で乗り入れており、府道731号線との交差点付近に「土ヶ畑口」バス停がありました。この「土ヶ畑」とは、亀岡市土ヶ畑のことですね。1987年JR発足直前に国鉄バス西能勢線は撤退、阪急デマントバスに代替、10年後の1997年に天王地区から路線バスが消えました。

ちなみに、土ヶ畑地区は猪名川支流・一庫大路次(ひとくらおおろじ)川の流域、能勢町天王地区は武庫川の源流に当たります。


衆院選投票日(22日)前後に合わせるかのように日本列島を直撃中の大型で強い台風21号。

投票日と同日開催予定の京都・時代祭は中止となりました。残念ながら順延もありません。
https://www.kyokanko.or.jp/jidai/

時代祭が中止になるのは何年ぶりのことでしょうか?
10月半ばだというのに連日冷たい雨。
しかも投票日当日に台風が接近。

天気も政治も社会もとにかくおかしなことばかりですね。



阪急バス伊丹営業所管内(尼崎線・桃源台線・岡町線・園田線)ダイヤ改正が11月1日に実施される予定です。

今度のダイヤ改正の注目の一つは、JR尼崎駅前に乗り入れる阪急バス唯一の路線系統、【58】・<JR尼崎~阪急塚口>。運行経路は、

JR尼崎(北)~尼崎東警察署前~尾浜~阪神水道前~西坂部(市民健康開発センター)~尼崎北警察署~阪急塚口

の短距離系統、阪神バス(尼崎市内線)と共同運行です。

今度の改正で、阪急バス運行便は平日4往復のみ、土曜・休日の運行は取り止めとなります。阪神バス運行便の変更はありません。

https://www.hankyubus.co.jp/news/images/171018a.pdf

改正前は阪急・阪神バスが交互に毎時合計2本の運行ですが、改正後は平日の朝夕を除き、阪神バスが毎時1本程度の運行となります。

JR尼崎と阪急塚口を結ぶ路線系統は、このほか阪神バス【12】系統(若王寺・JR塚口経由)もあります。



江若交通に京阪バス交野営業所の幕ブルーリボンシティ・W-3812が移籍しました。
社番は201号です。

交野(営)に残る幕車はW-3815のみとなった模様です。


今月、京阪バス京田辺営業所に新車LV290が2台納車しました。
社番はN-6263・6264です。

代替は、N-3117(レインボー・ロング)とN-3883(ブルーリボンII)。
N-3117は除籍、N-3883は高槻のエアロミディ・ロングN-1097とトレードです。
また、高槻の幕エアロスターW-1976は除籍となったようです。

このほか、9月30日山科・大津営業所ダイヤ改正に合わせ、エルガN-6220・6221が大津から山科に転属しています。

(10/20 追加)
N-6265も京田辺に入りました。代替はN-3124です。



奈良交通の路線についてレポートを一つでっちあげる。

今回は奈良市街地と京都府木津川市加茂町を結ぶ「加茂線」について。

加茂線は旧・木津町(木津駅前)をショートカットする形で主要地方道44号<奈良加茂線>を経由、昔の大仏鉄道線(関西鉄道の一部)に沿う形である。主幹系統は【109】【209】系統で、運行経路は

JR奈良駅西口~油阪船橋商店街~近鉄奈良駅~法蓮仲町~法蓮佐保山三丁目~木津川ソレイユ~梅美台二丁目(【109】) / 関西光科学研究所(【209】)~下梅谷~浄瑠璃寺口~南加茂台5丁目~加茂駅(東口)


JR加茂駅に乗り入れるが、主にJR・近鉄奈良駅と木津川市の木津川ソレイユ・梅美台および南加茂台などの住宅街を結ぶための路線、という意味合いが強いと見える。かつて関西本線(大和路線)奈良・木津以東非電化の頃は近鉄奈良駅利用が圧倒的多数だったことだろう。今でこそ加茂から天王寺・大阪駅直通の大和路快速が発着して便利になり、区画整理された加茂駅前東口には高層マンションも建っているが、やはり奈良市街地へ向かうほど乗客が増加することには変わりない。

JR加茂駅(東口)からはエヌシーバスの浄瑠璃寺・当尾方面行き、西口からは旧・西日本JRバス近城線を引き継いだ奈良交通和束町小杉行きが発着している。

また、奈良と浄瑠璃寺を結ぶ【急行112】系統(JR奈良駅、近鉄奈良駅、木津川ソレイユ、浄瑠璃寺口、西小、浄瑠璃寺前に停車)も昼間時間帯60分または120分毎に運行されている。

かつては、JR奈良駅~加茂駅系統で浄瑠璃寺を経由する便もあったが、2010年3月ダイヤ改正で廃止。

浄瑠璃寺は京都府木津川市加茂町に所在するが、奈良の観光ガイドブックに紹介されている。浄瑠璃寺は九体寺とも呼ばれ、西の本堂には横に長く九体の阿弥陀如来(国内に唯一現存!)を安置、庭園の池の向こう側、東には三重塔が配されている。京都市内の寺院とはちがう素朴で優しい雰囲気がまた良い。

PB070120

PB070118


浄瑠璃寺の南側に奈良市ゴミ焼却場を建設するという計画もあるが、明らかに景観破壊で撤回してもらいたい。
https://save-joruriji.org/



大阪南部のバス路線について一つレポートを試みる。

今回は堺市と松原市方面を結ぶ南海バス布忍線と近鉄バス堺線について。

まず、南海バス布忍線(【23】【24】【25】【28】系統)の運行経路は、

堺駅前~宿院~安井町~一条通~堺東駅前~阪和堺市駅前~蔵前西~蔵前町~南花田町~布忍駅筋~高見の里駅前~河内松原駅前

で、堺市北部を府道12号線<堺大和高田線>経由で東西に結んでいる。「堺駅前」で南海本線、「宿院」で阪堺電車、「堺東駅前」で南海高野線、「阪和堺市駅前」でJR阪和線、そして「布忍駅筋」「高見の里駅前」「河内松原駅前」で近鉄南大阪線にそれぞれ接続する。蔵前西~蔵前町間で交差する府道28号線<大阪高石線、通称:ときはま線>の地下には地下鉄御堂筋線も通っているが、御堂筋線の駅には乗り入れていない。

御堂筋線の北花田駅と河内松原駅を結ぶ北花田線【29】系統もあり、運行経路は、

地下鉄北花田駅前~蔵前町~南花田町~布忍駅筋~高見の里駅前~河内松原駅前

で、事実上布忍線の一系統となっている。

運行ダイヤは布忍線は概ね20分毎、北花田線【29】系統は1時間毎である。

布忍線・北花田線とも堺営業所が担当している。


かつては近鉄バス堺線が柏原市の近鉄大阪線河内国分駅前から堺東駅前までロングランで乗り入れていた。堺東駅前~河内松原駅前間は南海バス布忍線と同経路だがノンストップだった。廃止時期は1990年代。運行経路は、

堺東駅前~(ノンストップ)~布忍~河内松原駅前~藤井寺駅~土師ノ里~国分駅前

で、河内松原駅以東は近鉄南大阪線と並行する。近鉄大阪線と同南大阪線のほか、南海高野線とも結ぶ路線系統(阪和堺市駅前乗り入れ無し)だが、近鉄バスが堺東駅前まで乗り入れていたとは少し信じがたい。



全国的にIC乗車券化の流れが進む中、高槻市営バスもICカードに移行、磁気カード・紙製回数券廃止の予定です。1Day・2Day磁気乗車券ももちろん廃止となります。

来年4月1日より、ICカード(ICOCA・PiTTaPaほか)は均一運賃区間内も含め、乗車時・降車時の「2回タッチ」が必要になるとのことです。この「2回タッチ」方式を活用して、乗継割引などのサービスも導入する予定です。

http://www.city.takatsuki.osaka.jp/kurashi/bus_kotsu/bus/oshirase/1505368416477.html

乗継割引は「2回タッチ」にしなくても、京都市バス均一区間のように1回タッチでも可能だと思いますが・・・。


大阪市営地下鉄8路線のレール・電気方式は、以下の3つに分類されます。

(A)広軌・第三軌条方式750V
御堂筋線、谷町線、四つ橋線、中央線、千日前線

(B)広軌・架線方式1500V
堺筋線

(C)広期間・架線方式1500V(リニアモーター方式)
長堀鶴見緑地線、今里筋線

大阪市営地下鉄各線どうしの線路のつながりについて時に興味を感じるが、実は上のグループ(A)と(B)に該当する全ての路線は、何らかの形でつながっています。

(A)の第三軌条式路線について、かつて<御堂筋線、四つ橋線>と<谷町線、中央線、千日前線>のグループに分かれていました。車両検修もこれら2つのグループに分かれ、前者は緑木町工場、後者は森之宮工場がそれぞれ担当していました。しかし、森之宮工場施設の老朽化に伴い緑木町に統合することになり、2015年に中央線と四つ橋線の本町連絡線が開通しました。この結果、四つ橋線には御堂筋線だけでなく谷町線・中央線・千日前線用の回送車両も通過するようになりました。

(B)グループの堺筋線は阪急千里線・京都線との相互乗り入れを前提に架線方式で開通、(A)グループのどの路線とも(直接は)線路がつながっていません。

(C)グループは1990年以降に開通した路線で、(A)(B)グループとは線路がつながっていません。


さて、(A)グループと(B)グループは直接線路はつながっていないが、実は間接的につながっているのです。
どのようにつながっているのかといえば、

中央線~近鉄けいはんな線~(東生駒車庫)~近鉄奈良線~阪神なんば線~阪神本線~神戸高速鉄道~阪急神戸線~阪急京都線~阪急千里線~堺筋線

というルートです。

中央線~近鉄けいはんな線は第三軌条、近鉄奈良線ほかは架線方式ゆえ、両者間の直通運転は不可能ですが、東生駒車庫で線路がつながっています。けいはんな線用7000・7020系の定期検修を受けるために大阪線五位堂工場まで搬送することが理由です。

近鉄と阪神が相互乗り入れしており、阪神が神戸高速を介して山陽・阪急・能勢電そして堺筋線と線路がつながっていることは今更改めて述べるまでもないでしょう。ただ、最近、阪急車を能勢電譲渡用に阪神尼崎工場で改造工事を受けるため、阪神本線を自走回送する例もあり、尼崎車庫内で阪急と近鉄の顔が並ぶ光景に期待してみたくなります。

なお、阪急京都線用の車両は堺筋線に合わせて車体幅が広いため、神戸線・宝塚線などを走行することは不可能となっています。逆に神宝線用車両は京都線に乗り入れることも可能で、正雀工場への回送・試運転で京都線を走行することも日常茶飯事、また行楽シーズンには神戸・宝塚方面から嵐山への臨時列車が運転されます。


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京阪京津線各駅停車用(東山三条-日ノ岡間低床ホームに対応)に作られた80形。

80形は京阪電鉄では珍しく、近畿車輛製造です。1961-70年にかけて2両編成×8本が作られました。80形の顔は当時の近鉄電車に似ていますね。

さて、80形の近畿車輛からの搬送ルートですが、初期製造分についてはややこしいルートだったといいます。そのルートとは、

近畿車輛(徳庵)→(片町線)→放出→(城東貨物線)→久宝寺→(関西本線)→王寺→(和歌山線)→吉野口→(近鉄吉野線)→橿原神宮前→(近鉄橿原線、京都線)→丹波橋→(京阪本線)→三条→(京阪京津線)→浜大津→錦織車庫

です。当時、京阪本線と近鉄京都線(旧・奈良電鉄)が相互乗り入れしていたため、丹波橋でレールがつながっており、また三条駅構内では本線旧・1番ホームと京津線のりばがつながっていたため、このような搬送が可能でした。なお、国鉄線と近鉄吉野線は狭軌、近鉄橿原・京都線および京阪は広軌のため、橿原神宮前までは仮の狭軌台車を履き、橿原神宮構内で広軌用台車に載せ替えるという手間でした。

近鉄広軌線と京阪大津線(京津線・石山坂本線)はかつてレール1本で結ばれていたわけですが、現在、近鉄京都線と地下鉄烏丸線が相互乗り入れしているため、京阪大津線各駅から京都地下鉄経由近鉄各駅(けいはんな線を除く)までノーラッチで乗ることが可能な構造となっています。近鉄はさらに阪神と相互乗り入れしており、阪神から神戸高速鉄道を経て山陽電鉄、神戸電鉄、阪急、能勢電、そして大阪市営地下鉄へもノーラッチで乗車することが物理的に可能です。

なお、京阪線(本線・中之島線・鴨東線・交野線・宇治線)は他の私鉄とレールがつながっておらず、他の私鉄・JRへノーラッチで乗車することも不可能です。


日根野の103系HK607編成が網干(明石)へ転属となった模様です。
和田岬線の古い103系を置き換えると見られます。

HK607編成は元・宮原区所属でJR宝塚線用のカナリア色だったが、JR京都線との直通運転が始まり、車両色を本線(JR京都・神戸線)系の青色に統一。その後、日根野に転属し、同じ青色のまま阪和線で最後の活躍を続けました。

今回和田岬線用への転属という形であるが、本線に復帰したことになります。

ちなみに奈良の6連NS618も、今朝の運用を最後に運用離脱しました。


keihan80


京阪京津線三条-御陵間廃止からちょうど20年を迎えました。
非冷房時代の80形の写真が1枚あったので、UP!


去年11月、

枚方・交野からの快適ドライブ・ツーリングコース
http://katanogawara.blog.jp/archives/9178354.html

を投稿しましたが、あれ以来の新たな実走経験から気づいたことも踏まえ、書き直してみました。


日帰りで快適に移動できる地域方面として、以下の4つの地域が挙げられます。

1)滋賀県・福井県(小浜以東)および三重県北中部(四日市、北勢、桑名)

2)奈良大和路および三重県(伊賀、鈴鹿、津、松阪、伊勢志摩)

3)京都府北部・丹後半島・福井県若狭および兵庫県北東部(丹波・東播・但馬)

4)和歌山・高野山方面

以下、それぞれの方面について考察します(ただし125cc以下の走行可能な一般道のみに限定)。


1)滋賀県へは、国道307号線を抜け道に利用するのが賢明でしょう。枚方市内の杉1丁目前後では第二京阪と交差しているため渋滞が発生しやすいが、京田辺市以東は概ね快適に走行しやすいです。大津・草津・守山・近江八幡方面へは宇治田原からr782経由で大石・南郷へ抜ければよいし、湖西の比良・高島方面へも湖岸道路を快走して琵琶湖大橋を渡り(ただし本堅田交差点付近の渋滞が課題)、あるいは花折峠から比良山の裏側へ回って清流・安曇川を堪能しながらR367号(鯖街道)で若狭・小浜を目指すのもよいでしょう。

信楽・水口・東近江・彦根・長浜方面へはひたすらR307を走りぬきます。また、信楽からR422経由で伊賀上野、水口からR1経由で亀山・鈴鹿・四日市、八日市(東近江市)からR421経由でいなべ・桑名へ抜けることも可能です。なお、三重県へは、概ね2)のR168+R163経由が一番早いと思われます。

なお、高島・若狭・敦賀方面へは、洛北の修学院からR367に入るほうが最も安全・快適でしょう。R161は大津市内は渋滞しやすく、また京阪神と北陸を結ぶ最短経路ゆえ大型トラックその他交通量も非常に多いため、のんびり走りたい人にはしんどいかもしれません。問題は京都市内までの経路ですが、旧1号線(r13)+(西大手筋)+R24が一番快適に走行しやすいように思われます。


2)奈良大和路へは、R168(磐船街道)を使うのが一般的。天理・桜井・明日香・吉野・宇陀・名張方面へは、北田原大橋からR163+r7で富雄・大和郡山を経て、結崎工業団地からr36を東に進んで、R169(山の辺の道)に入るほうが渋滞に巻き込まれることも少なく、また景色ものどかで快適だと思います。R24バイパス(京奈和道副道)や大和中央道などは渋滞しやすいので避けるほうがよいでしょう。

吉野・大台ケ原方面へは、桜井市からr37で抜けるほうが一番早いでしょう。

松阪・伊勢志摩方面へは桜井市からR166(高見峠経由)のほうが渋滞も少なく快適です。近鉄大阪線と並行するR165だと、名張市街地付近の渋滞がちょっと・・・。

五條・十津川方面へは素直にR168をひたすら走れば良さそうに見えるが、竜田大橋~大和高田市街地間は、法隆寺前からr5で抜け、葛城市~五條市間は金剛山麓のr30へ回るほうが早くて快適です(R168の王寺-香芝-大和高田間は香芝IC付近を中心に渋滞しやすいのでおススメできません)。R168の五條以南(十津川街道)は絶景の山道が続いて最高のドライブ・ツーリングコースです。少しがんばって本宮(田辺市)や新宮までぜひ到達したいものですね。

伊賀上野・津・鈴鹿・四日市方面へは、前述のように北田原大橋からR163をひたすら東へ真っ直ぐ進むほうが一番早いと思われます。京都府と三重県の隣接する唯一の市町村を通過するのも興味深いです。このコースは、前述のようにR307の枚方市内での渋滞を回避するため、R168+R163+r5(和束経由)で滋賀県の甲賀・東近江・彦根方面への迂回路にも応用できます。


3)北近畿・丹後半島方面へは高槻からr6で亀岡へ抜けると、さほど遠くはありまん。高槻市街地および亀岡市街地の渋滞さえクリアすれば、概ね快適なドライブコースです。亀岡市・下矢田交差点手前はかなり長い渋滞が発生しやすいので、その回避は課題です。茨木からr46+r407経由、亀岡運動公園(R372と合流)へ抜けるほうが良いかもしれません。

福井県若狭地方へは、r25とr19を経由して美山へ抜け、R162を使えば良い(亀岡市内のR9はロードサイド店も多く渋滞が発生しやすいので、桂川対岸へ回る)。福知山・天橋立・丹後半島・但馬へは亀岡からR9をひたすら疾走するが、亀岡市内を抜ければ交通量は多くはなく快適に走れます。枚方からだと和歌山市や神戸よりもむしろ行きやすいように思います。丹後半島へは福知山からR176(加悦谷経由)、但馬へはR426(出石経由)が最短経路でしょう。

また、亀岡からR372を使えば、兵庫県の篠山・丹波・加東・西脇へも快適に移動できます。同じ兵庫県の阪神間や神戸市内よりも、北側の丹波・東播地域のほうが、渋滞に巻き込まれることが少ない分、移動のストレスも小さいでしょう。湯の花温泉から大阪最北端・能勢町への回り道にも応用可能です。それから、亀岡市内の渋滞を避けるため、R372+R173を迂回して京丹波町もしくは三和町(福知山市)からR9に入るのも良いでしょう。

丹波・若狭・丹後半島方面へのもう一つの快適なルートとして、門真・守口からr2(大阪中央環状線)+R173(能勢町経由)ももちろん良いでしょう。課題は豊中~池田~川西市街地の渋滞回避ですが、これは中央環状線大阪空港手前をそのまま直進してR176バイパスに入り、久代1丁目交差点を右折、r13~r12バイパスを迂回して一庫ダムからR173に合流、あるいはそのままr12経由で篠山市へ抜けるルートが良いでしょう。


4)和歌山方面へは、R170(外環状線)+R480が一番快適に走行しやすいかと思います。もちろん、R170は交通量も多く、ロードサイド店の連続ゆえ、所々渋滞にはまりやすいでしょう。河内長野からR371よりもむしろ、和泉市からR480でかつらぎ町へ抜けるほうが良さそうです。

高野山方面へも少々迂回的だがR480が一番走りやすいようです(R371だと橋本市~高野山間は狭隘酷道だし、R370も)。高野山からの竜神スカイライン(R371)は1000m級の高い峰を通る最高のコースです。奈良県の野迫川や十津川へ抜けることも考えられるが、かの有名な酷道・R425は避けるほうが無難でしょう。大回りでもR311(中辺路)経由で本宮へ抜けるほうが一番安全だと思われます。



旧・マイカルグループの総合スーパー、「ニチイ」。

確か関西系列の小売業だったが、ダイエー・イズミヤ・ジャスコに比べてローカルな印象でした。
マイカルグループには「ニチイ」とは別に、衣料品主体の高級店という位置づけの「ビブレ」がありました(ビブレ1号店は確か京都河原町だったかな)。「ニチイ」は後に「サティ」に順次名称を改めます。マイカルグループは2011年イオン(旧・ジャスコ)の傘下に飲み込まれました。

京阪沿線のニチイは枚方店と伏見店がかなり古くからありました。
枚方のニチイは岡本町商店街にあって現在のビオルネの核店舗であるビブレ(→サティ→イオン)枚方店にあたります。ビオルネができる前、岡本町商店街を訪れる機会は少なく、ニチイの存在すらあまり知られていなかったかもしれません。

1980年代前半、京阪沿線の交野・八幡・大久保(宇治市)にニチイが相次いで新規開店しました。特に交野に初めて大型ショッピングセンターができたことは、私個人的にとても嬉しかったです。

しかし、1990年代末ごろから「食料品・衣料品・家具・家電何でもそろう」総合スーパー全体そのものが陳腐化、京阪沿線の旧マイカル店舗は一部を残して軒並み撤退しました。交野店は2002年閉店ののちイズミヤが新規出店。旧マイカル系の後釜にイズミヤが入るのはかなり異例でしょう。八幡店は中小食料品スーパーに代わり、最近までがんばり続けた大久保店も閉店。伏見店は現在「イオン」の店舗で営業中、大手筋商店街と共存しています。ビブレ枚方店は「サティ」にダウングレードののちイオン(旧・ジャスコ)の傘下に入りイオンの店舗として残っているが、ビブレ時代に比べて店舗全体の魅力は落ちたように感じます。ビブレの頃は、あそこでよく服や家電製品・趣味のものを買っていましたが、今は・・・。



昨日、イズミヤ伏見店が建て替えのため閉店したそうです。

https://minaju.info/ichigo/86%E3%80%80%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%B8%82%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%8C%BA%E3%80%80%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E9%A7%85%E3%80%80%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%80%8C%E3%82%A4%E3%82%BA%E3%83%9F%E3%83%A4/

イズミヤ伏見店は近鉄伏見駅前、国道24号線のロードサイドにあります。京阪墨染駅からは西へ徒歩一直線でたどり着きます。
実は私も20数年ほど前の一時期、ここのイズミヤに立ち寄ったりすることもありました。
とにかく建て替え後が楽しみです。

最近、イズミヤ店舗の建て替えが各地で進んでいるようですね。住道店(大東市、JR駅前でないほう)も建て替え工事中ですし。枚方店も1970年の開店から47年経ちましたが、ここも近いうちに建て替えとなりそうな予感がします。


以前、岐阜県大垣市の名阪近鉄バスに移籍した京阪バス中古車についての記事を投稿しました。
http://katanogawara.blog.jp/archives/10752714.html

名阪近鉄に在籍していた京阪バス中古車の全容と写真について、「名阪近鉄バス情報室」(にしみの鉄道情報局分室さま)に掲載されています。モノコックのK-RC301(1981年式)が、1991年に10台転入。内、3台は直結クーラーユニットが前側という特徴的なスタイルで、枚方営業所のみの配置でした(全部で5台、京阪バス時代の社番はA-3387~3391と思われる、残り2台は関東鉄道へ)。他の7台は標準スタイルで、京阪時代の社番はA-3381~3386あたりかと思われます。これより少し古いRC(A-3376~3378が該当すると思われる)は1990~91年前半の時点で和歌山県の明光バスへ移籍しています。

なお、RCシリーズは1998年ごろ、87~88年式の同じ京阪中古P-HT系に置き換えられました。HT系も2003年までに引退、以降京阪からの中古はありません。


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京阪10000系前期車(2002年製造)唯一の4連となった10003F。

10001・1002Fは7200・9000系の余剰中間車を活用し7連化されました。
今後、もしかしたらこの10003Fも7連化されるかもしれません。

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以前に比べて烏丸線から近鉄奈良へ直通する急行は減ったが、やはり大和西大寺での京都市交10系は目立ちますね(^-^)

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神戸市街地某所にて、神姫バスエアロスターを見かけました(2012年8月撮影)。
社番・ナンバーは不明です。


10syakusonji
A-3671 日野U-HT2MMAA(1992年式) 交野所属

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A-1059 三菱U-MK218J(1995年式) 枚方所属

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A-1786 三菱U-MP218M(1991年式) 山科営業所所属

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A-3634 日野U-HTHT2MMAA(1991年式) 交野→山科

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おまけ


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ジャスコ・旧ロゴマーク時代のグリーンシティ寝屋川です。


大阪環状線の103系引退でタイムリーな話題になっていますが、JR東海エリアの103系について書いてみました。

JR東海から103系が引退したのは1999年。
JR東海の103系は、名古屋近郊の中央西線用そのものでした。

名古屋都市圏の国鉄は東京や大阪と異なり、汽車型ダイヤが主体でしたが、中央本線(中央西線)沿線は高蔵寺周辺などを中心に大規模団地・ニュータウン開発が進んで人口急増、混雑も激しく普通電車用に首都圏(京浜東北線ほか)から103系が神領電車区に転入しました。車体色は京浜東北線時代と同じ青色で、関西圏で言えば東海道山陽緩行や阪和線と同じでした。ただ、方向幕は使用されず(前面幕は「中央線」と固定表示)、サボ受けが取り付けられ、113系や気動車ほかの列車と同様、サボで行先表示をしていました。

しかし、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正を機に、名古屋地区の電車・気動車のサボ使用は廃止、103系ももちろん方向幕が使用されるようになります。JR東海発足の2年後、103系は当時量産中の211系と同じイメージの「JR東海カラー」に変更、キハ40系および同時期に登場したキハ11などの全銅製車両は103系と同じ「JR東海カラー」となりました。

さて、その103系ですが、中央西線のほか一時的に関西本線(名古屋-亀山間)の運用に入ったこともあります。

関西本線名古屋口は1982年の電化から年月は浅く、国鉄~JR初期には普通列車に165系3連口が使用されていたが、並行する近鉄名古屋線から少しでも旅客移転を図るべく、軽快な213系5000番台でイメージチェンジ。朝ラッシュ時の混雑は年々激しくなって213系だけでは対応しきれず、165系や103系が助っ人に加わります。

実は私・管理人は、一度だけ関西本線名古屋口の103系に乗車したことがあります。
1995年夏のことだったかと思います。木曽福島の帰り道、名古屋からの関西本線でやって来た電車は、夕方ラッシュ時間帯とあって、なんと103系の3両編成でした。亀山まで1時間強の短い旅で、日が暮れる時間とあって、あまり印象に残っていません。



Twitterの情報によると、205系1000番台が奈良に転属となった模様です。

本日、HH404編成が大和路線経由奈良へ回送されました。

噂の通り、いよいよ奈良線の103系を置き換えそうですね。

帯の色が山手線と同じ緑色になるのかも注目ですが、もしかしたら阪和線時代の青色のままという可能性もありそうです。

(2017.10.6追記)
本日、HH401編成が奈良へ回送しました。

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本日午前、大阪環状線から103系営業列車が終了しました。
阪和線からも103系が既に撤退しており(羽衣線を除く)、今後奈良線が103系最後の楽園として注目を浴びそうです。
ほかには播但線(姫路-寺前間)でも103系3500番台が活躍中です。
ちなみに来年、播但線電化20周年を迎えます。

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いよいよ明日10月3日、大阪環状線の103系が運用終了です。
引退を惜しんで2年前の京橋でのツーショット写真をアップします。
内回り電車201系と、奥に天王寺行き103系が映りこんでいます。
103系につづき201系も来年度までに引退予定です。



昭和~平成初期の頃の京阪バス車内放送(テープ放送)で使われていた曲です。
終点バス停のアナウンスの後にオルゴールで流れていました。
枚方市駅や京阪香里園、阪急・JR高槻など主要ターミナルの場合は、後年京都定期観光のCMに変わったものと記憶しています(平成7年ごろには英語アナウンスも追加)。

平成6~8年(1994~96年)に、各営業所単位で順次合成音声に機器更新、案内放送が一新されました。
合わせて車内運賃表示機も幕式からLEDデジタル式に取り替えられました。
ただし、全線均一運賃の香里団地営業所管内では、いち早く合成音声化されたものの、運賃表示機器は無く(アクリル板に固定表示)、平成12年(2000年)のスルッとKANSAI対応時にLEDデジタル機(12コマ表示)が取り付けられました。

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