2018年04月
京阪バス【66】号経路・<枚方市駅~大阪国際大学~長尾駅>
本年4月1日ダイヤ改正で廃止された枚方尊延寺線【66】号経路・<枚方市駅~長尾駅>(大阪国際大学経由)。
運行経路は、
枚方市駅南口~津田西町~津田病院前~杉山手~大阪国際大学~長尾駅
だったが、今一つわかりにくいものだったように感じます。
新設されたのは4年前2014年4月ダイヤ改正。【75】号経路・<長尾駅~穂谷>減便を埋め合わせるべく、昼間時間帯のみ【65】号経路を長尾駅まで延長しました、というものでした。しかし、枚方市駅から長尾駅へは遠回りということもあり、大阪国際大学~長尾駅間は空気輸送だったようであり、わずか4年の短命に終わりました。長尾駅~大阪国際大学~穂谷方面は【89】【89A】号・<松井山手~長尾駅~穂谷口~新田辺>に一本化されました。
【66】号経路の運用担当は全便枚方営業所でした。
京阪2624号の顔
天保山ハーバービレッジにて
京阪バス 【1C】号経路・<枚方市駅~JR高槻~竹ノ内町>
久しぶりに京阪バス高槻営業所ネタを。
深夜バス【1C】号経路。運行経路は、
枚方市駅→大塚→松原→阪急高槻→市役所前→JR高槻→松原→大塚→竹ノ内町
で、一旦阪急・JR高槻まで行き、枚方方面へ戻り竹ノ内町で高槻車庫に入庫するという、少々ややこしいものです。京阪枚方市駅および阪急・JR高槻からの郊外への最終バスとしての両方の役目を兼ねているわけですが、複雑なのは運賃。枚方市駅から阪急・JR高槻までは2区260円ですが、折り返して春日町~竹ノ内町間は1区230円、すなわち終点まで乗ってしまえば逆に安くなるというもの。
本来、このような路線系統は、
【1A】枚方市駅→阪急高槻→JR高槻
【1C】JR高槻→阪急高槻→竹ノ内町
に分割するのがわかりやすいと思うが、阪急高槻に二度寄らなくてもよいよう松原~阪急高槻~JR高槻~松原を循環運転にすることで一本化していると見られます。
これと似たような例として、
【5A】JR高槻→阪急高槻→大塚→竹ノ内町→番田一丁目→大塚→阪急高槻→JR高槻
がありました(廃止)。
新・国道309号線 脳内旅行(その6)
行者還トンネルは1.5車線ほどの幅ですが、すれ違いは何とか可能です。このあたりも行楽・観光シーズンには意外に車の出入りが多いようなので注意。天川村から上北山村に入り、北山川流域に。北山川は大台ケ原南側を源流とし、和歌山県飛び地の北山村、絶景で有名な瀞峡などを経て新宮市(熊野川町)にて熊野川(十津川)に合流。R169合流地点の【天ヶ瀬】交差点まで距離は10kmほどだが、狭隘なつづら折りが続くため距離の割に所要時間を要します。
しかし、行者還林道区間と大阪市内の十三筋~なにわ筋が同じR309とは、どうなんでしょうか? もっとも兵庫阪神間と奈良県南部が一本の国道で結ばれることになると、大阪北摂および阪神地域方面から吉野大峰山地が心理的に近くなるメリットはあると思いますが・・・。そもそも私がこんな新・R309ルートを思いついたのも、ある日曜日に本当はバイクで奈良方面へ行きたかったところ、高槻・茨木方面のちょっとした所用のためゆえ奈良を断念した「悔しさ」が動機です。すなわち、北摂から奈良県へのうまい抜け道がないか探してみたところ、(やや遠回りになるが)R479(内環状線)~R309もなかなか使えそうだということに着目、せっかくなのでR309を大阪キタへ延長してみたらどうか、ということで。
天ヶ瀬から先、しばらくR169(東熊野街道)との重複区間となり、快適なドライブコースに。北山川の渓谷に寄り添うコースが続きます。道の駅・上北山などを通過し、かなり高度を下げたところで下北山村に差し掛かり、北山川は池原貯水池に。池原ダムが視界に入り、ちょうどダム手前で左手からR425と合流。下北山スポーツ公園・キャンプ場もすぐ隣、一気に高度を落とします。
R425は日本三大酷道で知られます。御坊市と尾鷲市を短距離で結んでいるが(田辺市龍神村・十津川村経由)、急峻な紀伊山地の中にあって全体的に整備状況は悪く、崖から転落する危険性も高く、また大雨や台風によるがけ崩れなどで通行止になることも多く、ドライブコースとしてはおススメできません(全区間完走には相当時間を要する。海岸線に沿うR42経由が実用的)。下北山村から尾鷲方面へは、遠回りであってもR169+R309+R42経由が安全です。
急坂が一段落した辺りR425は右手へ分岐(→十津川村へ)。七色貯水池まで来たところで三重県熊野市に。この県境の地点は、実は北山川対岸は和歌山県飛び地の北山村であり、「三県境」となっています。
【五郷】交差点でR169とR309が別れ、再び単独区間に。R169は右折し北山村(そして十津川村も少し掠り)を経てR168と合流、新宮市街地をめざします。かつて、R169は現在のR309+R42のルートが指定されていたが、1975年に現在のルートに変わりました。R169の北山村付近は最近まで酷道の状態だったが、さすが100番台国道だけあってかなり整備改良が進み快適に走行しやすくなっています。
阪急バス エキスポランドバス停
五月晴れの能勢電
京阪バス 大石小学校にて
京阪5557Fありし日
新・国道309号線 脳内旅行(その5)
新・R309も大淀・下市町から先は、いよいよ吉野・大峰山脈(紀伊山地)の酷道に様変わり、紀伊半島縦断国道というR309本来の姿がくっきり現われます。 紀伊半島縦断国道といえば、R168・169・309・371・422の5本あり、番号の若いR168・169は整備が行き届いているが、それ以外は不通(分断)区間があったりするなど、かなりな「酷道」の様相を呈しています。その一本、(新)R309は分断区間無し、天川村~上北山村間の行者還林道で辛うじて結ばれており、しかも大阪市内都心部を突っ切るばかりか兵庫県阪神都市部(もしくは阪急平野)にまで足を伸ばす面白い「酷道」で、整備改良は届いているほうです(実際には阪神間都市部国道+大阪市内大通り国道+大阪南部郊外国道+紀伊半島縦断国道を半ば無理矢理つなげたようなものだが)。
さて、大淀町【岡崎】交差点を右折、吉野川(千石橋)を渡ると下市町。しばらく下市町市街地の商店や住宅が続くが、町の外れに出るあたりから山岳道路らしく、ヘアピンカーブの連続となり一気に高度を上げてゆきます。吉野路らしく、所々で柿の葉寿司やこんにゃくなどのお店を見かけるようになります。天川村までは道路整備が進み、以前に比べて拡幅され快適に走りやすくなりました。
かつて難所だった笠木峠や川合峠越え区間などはトンネルに付け替えられています。少しだけ五條市西吉野村を掠ったのち、黒滝村に入り道の駅・吉野路黒滝。吉野路黒滝の串こんにゃくは一度味わってみたいです。長い新川合トンネルを抜けると、紀伊半島・大峰山脈真ん中の秘境・天川村に。
意外と思われるかもしれませんが、天川村は熊野川(十津川)上流域にあたります。川合交差点を右折するとr53に入り熊野川の流れに従って西へ、五條市大塔村阪本でR168(十津川街道)に合流します。また、少し進んでr21を東に入れば洞川温泉へ。
川合の標高は615m(生駒山と同じ程度。参考までに能勢・天王峠500m、京都・佐々里峠750m)で、かなり山深いところまで来たことを実感。天川村の冬の冷え込みは厳しく、スキー・スノボーや神秘的な氷バクの芸術などが楽しめます。
いよいよここから、険しい行者還越え「酷道」区間に。かつて、R309は天川村~上北山村間が分断区間扱いだったが、行者還林道も国道指定区間に含まれることになり、一応大阪市(伊丹市)と熊野市が一本につながっている形となっています(もともとR309は大淀町以南R169と重複していたが、1975年改定で現在のルートに指定変更)。現在、R309は行者還区間を除いてほぼ整備されているが、それでもR309を完走ドライブするにはかなりの覚悟が必要でしょう。関西から熊野・尾鷲方面へのドライブはR169経由が一般的です。
r21と分岐したあたりから道幅は狭くなって路面の状況も林道っぽい感じになり、「酷道」の様相が一気に強まり、不気味な雰囲気に。熊野川の上流・川迫川の渓流に寄り添いながら行者還越えに挑みます。紅葉の名所・みたらい渓谷手前の駐車場を通り(氷バクのみたらい渓谷も見どころ)、徐々に高度を上げて川迫ダムに。このあたりから急峻なつづら折りとなり、一気に登りつめて行者還トンネル西坑口に。標高1200m。行者還トンネル付近は冬季通行止めとなるので注意。
GWの不愉快な経験
いよいよGWの大型連休を迎えます。
私の過去のGWについて、不愉快な経験をあえて1つ書いてみました。
4年前のGW中盤のことですが、この日「3Dayチケット」で阪急京都線~地下鉄堺筋線~南海高野線~JR和歌山線~近鉄吉野線~橿原・京都線を大回り。近鉄大久保から京都京阪バスで京阪宇治へ抜けたあと、京阪宇治線で中書島へ出て、準急・淀屋橋行きに乗り換えるのだが、この準急がものすごく混雑してて疲れました(丹波橋で特急連絡するので空いているだろうと思っていたのが甘かった)。とかく行楽シーズンの京都は混雑しやすく、夕方時間帯の電車は通勤ラッシュ並みの混雑率となります。この混雑を避けるよう、もう少し時間を遅くして帰るか、あるいは混雑ピーク時に京都を訪れるのは控えたいもの。
また、南海橋本駅ホームでも高野山方面への乗り継ぎ観光客で混みあい、まるで「青春18きっぷ」シーズンの熱海・大垣・敦賀ダッシュを連想するような光景でした。以前のように急行が高野山まで直通運転していたらよいのだが、橋本駅で基本的に系統分割、特急<こうや>も本数が少ないので困ります。せめて行楽シーズンだけでも高野山直通の(快速)急行を増発できないものでしょうか?
今思えば、大久保で京都京阪バスに乗り換えるのが失敗だったようです。京阪宇治バスから京都京阪バスに生まれ変わったばかりで試しに乗ってみたいという気もあって、上のコースを取ってしまいました。それよりは、竹田まで急行・京都行きにそのまま乗車、地下鉄烏丸線に乗り換え北大路とか国際会館へ寄り道し、市バスで出町柳駅へ向かうほうが良かったように思います(洛北郊外はさほど混雑していないようなので)。あるいは大和西大寺・近鉄奈良から快速急行で一気に神戸三宮へ抜けるのでも良いでしょう。もちろん神戸も混雑するでしょうが、京都の有名観光地の異様な混み方に比べたら・・・。
関西外大御殿山キャンパスへの直通バス
本年4月開校・関西外大御殿山キャンパスへのバス路線(直通便)は、以下の2系統が新設されました。
枚方市駅南口~御殿山キャンパス
長尾駅~御殿山キャンパス
長尾駅から御殿山キャンパスへの直通便が設定されたことは少し意外でした。長尾駅からの直通便は出屋敷線枚方市駅行きと同じ経路で、1往復のみの設定となっています。
また、枚方市駅からの便は、南口4番のりばからの発車です。運行経路は禁野口~市民病院前経由(ノンストップ)。なお、御殿山キャンパスから枚方市駅行きのバスはありません。枚方市駅へは徒歩可能圏に入っており、下校時は駅まで徒歩、もしくは近くのバス停(「中宮住宅前」)から枚方市駅行きに乗れば良い(長尾駅行きも同様)との判断なのでしょうか。
京阪京都交通【44】系統・園篠線
京阪京都交通の路線について一つレポートしたいと思います。
今回は園篠線【44】系統。
園部(南丹市)と兵庫県篠山市福住を結ぶ路線であり、かつての国鉄・JRバス園篠線を引き継いだものです。
昔、園部(京都)と篠山を鉄道で結ぶ計画があり、昭和戦時中に福知山線篠山口駅から国鉄篠山線が現在のR372に沿う形で敷設、福住まで開通。しかし、国鉄篠山線は篠山市の中心部から離れていたこともあって、利用客は少なく、園部への延伸もならず1972年に廃止。篠山市街地へはもともと路線バス(国鉄バス、神姫バス)利用が便利です。
園部と篠山を結ぶバスは京都方面からるり渓や篠山への最短交通ルートをなしていたが、2002年に西日本JRバスが運営から篠山地区の路線バス運営から一斉撤退。福住で系統分割した上、京都(園部)側は京都交通、篠山側は神姫グリーンバスがそれぞれ管轄。その後、京都交通が経営再建で京阪バスグループ傘下の「京阪京都交通」に生まれ変わり、園篠線も京阪京都交通が運営することに。京阪バスカラーの車両が兵庫県下へ乗り入れることになり、異色の存在となっています。
現在の園篠線【44】系統は福住で篠山市街地方面への神姫グリーンバスと連絡、1日5往復が設定されています。運行経路は、R477~R372(天引トンネル)経由です。
広河原
京都バス「広河原」バス停。
左京区山間部最果ての終点、京阪出町柳から【32】系統が1日3往復が乗り入れています。
【32】系統はほぼ左京区内(一部北区にもまたがる)の運行、京都産業大学・鞍馬・花背など府道38号・<京都広河原美山線>を経由。走行距離は30km以上、所要時間約2時間に及ぶ長距離路線です。同じ左京区の市街地から最果ての山奥を結ぶ面白いバス路線です。
実は私も一度だけ「スルッとKANSAI 3Dayチケット」で広河原まで往復したことあります(運転手さんと少し気まずい思いをしたなぁ)。
広河原バス停前には喫茶店とスキー場があります。
広河原から先、r38をそのまま真っ直ぐ進めば、佐々里峠を越え南丹市美山町に至ります。佐々里峠は中央分水嶺にあたり、京都市側は桂川、美山町側は由良川水系となっています。なお佐々里峠区間は冬季通行止となります。
左京区山間部最果ての終点、京阪出町柳から【32】系統が1日3往復が乗り入れています。
【32】系統はほぼ左京区内(一部北区にもまたがる)の運行、京都産業大学・鞍馬・花背など府道38号・<京都広河原美山線>を経由。走行距離は30km以上、所要時間約2時間に及ぶ長距離路線です。同じ左京区の市街地から最果ての山奥を結ぶ面白いバス路線です。
実は私も一度だけ「スルッとKANSAI 3Dayチケット」で広河原まで往復したことあります(運転手さんと少し気まずい思いをしたなぁ)。
広河原バス停前には喫茶店とスキー場があります。
広河原から先、r38をそのまま真っ直ぐ進めば、佐々里峠を越え南丹市美山町に至ります。佐々里峠は中央分水嶺にあたり、京都市側は桂川、美山町側は由良川水系となっています。なお佐々里峠区間は冬季通行止となります。
新・国道309号線 脳内旅行(その4)
国道309号線の富田林市以東(以南)はローカル・山岳国道の様相が強くなります。
富田林市【川西南】交差点より先、もう少し片側2車線が続くが、大阪府唯一の「村」・千早赤阪村に入る手前、片側1車線の典型的なローカル国道に変わります。大阪市北部の東淀川区から千早赤阪村(→部分開通してるバイパス)までR479~309号経由で途中一度の「右左折無し」で走行可能であることは驚きです。近い将来千早赤阪村区間のバイパス整備が完成すれば、東淀川区から奈良県御所市まで右左折無しでドライブが可能となるでしょう。葛城・金剛山系の山道に差し掛かり、高度を上げて阪奈国境の水越トンネル(水越峠への旧道も健在)。金剛山は大阪最高峰の山で、標高1125m以上ゆえ冬場は雪化粧することも珍しくありません。晴れた日には関西空港・淡路島および吉野大峰山脈まで遠望できるそうです。R309に並行するような形で、金剛山を挟んでR310が河内長野市~五條市を結んでいるが、R310の奈良県側は道路状況が良くないため、五條市へはR309~奈良r30経由あるいはR371で一旦和歌山県(橋本市)へ迂回するルートが一般的です。
トンネルを抜けると奈良県御所市。山を下り、【室】交差点でR24とクロス、もう少し進んで京奈和自動車道御所南IC。再び緩やかな上り坂となり、JR和歌山線と近鉄吉野線の接続する吉野口駅前。吉野口駅は奈良県唯一の公式駅弁販売駅であり、柿の葉寿司などが名物です。和歌山線と近鉄吉野線を通り越し、吉野郡大淀町に。「大淀」といえば、大阪市北部・十三大橋南詰のR176と別れたあたりにも同じ地名がありました。これも何かの縁でしょうか(笑) ちなみに、かつて大阪市「大淀区」もあったが、北区と合併ゆえ消滅。再び下り坂となり、R370と少しだけ重複しながら吉野川(紀ノ川)に沿い、商店街の中に差し掛かると【岡崎】交差点。
京阪13026F運用開始ほか
さっそくですが、昨日より13000系13026Fの運用が始まりました。
休日ダイヤということもあり、臨時特急の運用にも入っていたようです。
続いて13027Fも寝屋川車庫へ搬入中であり、こちらも今月中に試運転が実施される見込みです。
今後、13000系の増備計画はあるのか気になるところ。
京橋駅ホームドア導入対応のため5ドア車5000系の引退は決まっているし、2200・2600系(0番台)も製造から55年以上(2600系という形式自体は1978年に登場)、2400系や1000系もリニュアル工事を受けてから30年近く経過(新製から50年近く経過)しており、置き換えペースを早めないと厳しいように見えます。
また、最近の13024Fは暫定8連になったり(すぐ7連に戻ったが)、4連になって交野線でK-ATS試運転を実施するなど、忙しいですね。
新・国道309号線 脳内旅行(その3)
大阪市平野区【平野警察署西】交差点より先は、現在のR309指定区間とほぼ同じです。
これまで<松虫通>を東へ進路を取ってきたところをここで右折、進行方向は南に転じ、しばらくの間R479・<内環状線>と重複。地下鉄平野駅前より阪神高速松原線の下道と化し、【瓜破】交差点でR479と別れます。すぐ傍に地下鉄喜連瓜破駅があります。「喜連瓜破」駅は喜連と瓜破の複合駅名で、阪神高速松原線のランプも「喜連瓜破」です。
R479・<内環状線>は豊中市~吹田市~東淀川区を経て、大阪市東部郊外を南北縦断ののち、【瓜破】交差点より西に進路を転じ、長居公園前を経て住之江区【浜口】交差点でR26と接続します。面白いことにR479は豊中市で尼崎市からのr606<西宮豊中線>と連続しており、新・R309も尼崎市の【若王寺】交差点でr606をぶった切っています。
さて、R309は【瓜破】交差点をそのまま南へ直進。この先、富田林市まで基本的に片側2車線が続き、特に堺市美原区~富田林市間は高速道路並みに整備され走りやすいです。大和川を渡ったあと、もう少しだけ大阪市内です。このあたりの大和川を挟んだ大阪市と松原市との境界は複雑に入り組んでおり、府立平野高校も所在地こそ大阪市平野区だが大和川の南岸にあって松原市との境界に取り囲まれています。
松原市に入って阪神高速三宅ランプ前を通過、松原市役所前を通り近鉄南大阪線をオーバークロス、さらに南へ進んで【丹南】交差点で大阪r2・<中央環状線>とクロスののち、堺市美原区に。美原区は2006年以前は南河内郡美原町だったが、堺市の政令都市化をめざして合併、堺市美原区になりました。美原区は堺市にあって独特な立場であり、旧国名は河内に属しているばかりか、町名も美原区だけ「○丁目」が使われています(ほかの区では「○丁」)。また、美原区には鉄道は通っていなくて、近鉄河内松原駅前から近鉄バスが乗り入れるほか、堺市内(地下鉄新金岡駅、中百舌鳥駅ほか)から南海ウィングバスも来ています。
松原市~美原町~富田林市あたりはため池や古墳が多いのも特徴で、南河内~泉州らしい風景が広がります。阪和自動車道と交差する【下黒山】付近には黒姫山古墳があります。【平尾】を過ぎたあたりから上り坂となって丘陵地帯に差し掛かり、大阪木材工場団地前、さらに進んで向陽台・金剛東団地など、近接の泉北ニュータウンと似た雰囲気に変わり、下り坂となってR170・<外環状線>と接続する【新家】に。
R170は高槻市八丁畷を起点に、大阪東部~和泉山脈麓を回って関西空港のある泉佐野市に至る文字通りの<大阪外環状線>(R171交差点を起終点とするのは新・R309と共通)。<外環状線>と並行して旧道のR170も国道指定されたまま残っています。【新家】交差点を直進したのち、近鉄長野線をアンダークロスすると【川西南】交差点でR170旧道と交差。
新・国道309号線 脳内旅行(その2)
R2と交差する大阪市福島区【浄正橋】交差点から<なにわ筋>をそのまま南下、さっそく堂島・中之島エリアに入り、ABCホール、福沢諭吉誕生地、大阪大学中之島センター、京阪中之島駅、大阪市科学館ほか、大阪を代表する歴史・文化・科学などの施設が集積し、近い将来なにわ筋線開通とともに今後の発展の期待が膨らむ地域となっています(京阪中之島線は現状閑散としているが)。もう少し南下すると大阪市内の貴重なオアシスで親しまれる靭公園を縦にぶった切り、【靭本町1】交差点で港国道・R172とクロス。そして、【阿波座1】交差点で阪神高速大阪港線&<中央大通>とクロス。<中央大通>の一部は暗峠の酷道で知られるR308の指定区間に含まれており、奈良市から先、木津川市~和束町~甲賀市~湖南市などを経て彦根市まで新たな指定区間となっています。
<なにわ筋>をそのまま南へ直進、地下鉄長堀鶴見緑地線西大橋駅、若者ファッションの街として賑わう堀江地区を通って道頓堀川を渡り、【幸町1】交差点(地下鉄千日前線・阪神なんば線桜川駅前)で阪神高速堺線&<千日前通>とクロス。桜川駅の西側は南海汐見橋線(正式には高野線の一部区間)汐見橋駅と隣接しています。私個人的にこの近くを通ると、なぜかミュージシャンの上田和寛君のことを連想してしまいます(笑) さらに進んで大阪環状線芦原橋駅をアンダークロス。西成区に入り【中開】交差点でR43と交差、さらに南へ直進すると、やがて南海汐見橋線が西側から寄り添ったあたりで進路を東に転じ、【岸里】交差点(地下鉄四つ橋線岸里駅)でR26と交差。
ここから先、そのまま直進し<松虫通>に入ります。南海本線・高野線をアンダークロス(天下茶屋駅が近い)、阪堺電車阪堺線を踏切でクロス、上町台地に差し掛かり閑静な高級住宅街で知られる帝塚山が近いです。やがて阪堺電車上町線を平面クロスし、【松虫】交差点(大阪r30・<阿倍野筋>と接続)。さらに東へ直進し、【昭和町駅前】(地下鉄御堂筋線)、阪神高速松原線およびその下を通る地下鉄谷町線、そしてJR阪和線をクロス。かつて地下鉄谷町線と同じルートで南海の軌道線・平野線(現在の阪堺電鉄上町線と阿倍野駅から分岐)が通っていたが、谷町線八尾南開業と代替する形で廃止。近鉄南大阪線をアンダークロスし、そのまま直進すると【平野警察署西】交差点でR25およびR479<中央環状線>と接続。
新・国道309号線 脳内旅行(その1)
先日、国道309号線(三重県熊野市~大阪市平野区)の指定区間を松虫通・なにわ筋・十三通に延長、大阪市西淀川区加島までにしたらどうか、という記事を投稿しました。
http://katanogawara.blog.jp/archives/25349683.html
その後、加島からもう少し西へ伸ばして、兵庫県に越境し尼崎市を経て伊丹市北村交差点(R171と接続)を終点にしてもよいのでは、と思いました。
さっそく、新・R309を伊丹市から尾鷲市まで脳内旅行してみたいと思いました。
伊丹市【北村】交差点。
R171と兵庫r13(→新・R309&R477)との交差点です。
兵庫r13<尼崎川西線>はR477の新たな指定区間(三重県四日市市~兵庫県尼崎市)にもなっています。
兵庫県と三重県を通過する国道はR309とR477の2本。R477は鈴鹿スカイラインを越えて滋賀県南東部をジグザグ迷走しつつ、琵琶湖大橋を渡って京都市左京区・右京区山間部を迷い込み、亀岡盆地縁辺部を回って大阪府能勢町・兵庫県川西市を南下、R173と重複して大阪府池田市(現・終点)。池田市から尼崎市までR477の指定区間を延長、R176~【小花1丁目】~兵庫r13・57~【西本町・R43接続】を新たに追加します。ちなみにR477は滋賀県湖南市にて新・R308(大阪市中央区心斎橋~奈良市~滋賀県彦根市)とも重複しています。
R309は伊丹市から尼崎市までしばらくR477と重複したのち、大阪市西部の十三筋~なにわ筋を南下、そのあと進路を東に転じ松虫通で平野区、松原・美原・富田林・千早赤阪など南河内から奈良県南部の下市・黒滝・天川、そして上北山・下北山村などを経て三重県東紀州・熊野路をめざします。新・R309は兵庫県と奈良県を通過する唯一の国道です。
もっとも兵庫県とはいえども、尼崎・伊丹・川西市および猪名川町の猪名川流域は神戸よりも大阪とのつながりのほうが強く、大阪府に含まれていても違和感はありません。
伊丹市の【北村】交差点からさっそく南下。最寄り駅はJR福知山線(宝塚線)北伊丹駅。東側にJR福知山線と並行し、ほどなく伊丹市街地に。大阪国際空港(伊丹空港)や兵庫県阪神運転免許更新センターも近く(【伊丹1】交差点を左折→r99)、このあたりより西側に阪急伊丹線ともしばらく並行することに。山陽新幹線とアンダークロスしたところ、【南町4】交差点で左折(=兵庫・大阪r41)。新・R477はこの交差点をそのまま直進し阪神尼崎駅前を経てR43と接続。R309はさっそくJR福知山線をクロスし、【猪名寺】交差点で右折、山陽新幹線を再びアンダークロス、三菱電機伊丹製作所の東側にあたり、尼崎市立園田小・中学校前を通過したのち阪急神戸線、そして名神高速をアンダークロス、進路を南東に変えて神崎川を渡ると大阪府(大阪市西淀川区)に入り、<十三筋>に。山陽新幹線をまた通り越したのち、阪神高速池田線&新・R173(大阪市西淀川区~福井県おおい町)とクロスする【加島】交差点。<十三筋>には大阪市営バスのほか、阪急バス阪北線(梅田~加島・西川)も通っています。
【加島】交差点をそのまま直進し、またもや山陽新幹線(そして今度は北方貨物線)を通り越し、【十三】交差点に。阪急十三駅が目の前にあり、ここで右折してR176と少しだけ重複します。阪急京都・宝塚・神戸線の3複線と並行、十三大橋で新淀川を渡り、北区に入り【中津浜】交差点で右折しR176と別れます。
ここから例の<なにわ筋>に入ります。【大淀中1】交差点でR176十三バイパスをアンダークロスしたのち、ほどなく福島区に入り、JR東海道本線、阪神高速池田線をクロスしたのち、すぐJR大阪環状線福島駅(および<はるか><くろしお>の通る梅田貨物線の踏切)。ほどなく、【浄正橋】交差点で天下のR2と接続。
神崎川を渡る阪急バス・梅田行き
神崎橋より山陽新幹線を眺める
JR東海道本線とクロス
大阪環状線福島駅と梅田貨物連絡線踏切
JR総持寺
阪急バス エアロスター 宝塚にて
京都「洛西」の範囲について
京都洛西といえば、西京区の洛西ニュータウン付近を連想されるかと思います。
しかし、観光ガイドなどでの「洛西」とは、一般的に太秦・嵯峨野・清滝・高雄など右京区(旧・京北町を除く)を中心に、北区の金閣寺・衣笠周辺および西京区の嵐山・松尾・桂付近まで、すなわち旧・葛野郡の地域を表し、洛西ニュータウンや大原野など旧・乙訓郡の地域は「洛西」よりも、向日・長岡京などと同様に「西山」と表現されることが多いように思われます。
「洛西」の範囲は(南北に)なかなか広いですね。
実は1976年まで現在の西京区は右京区に含まれていたのです。
すなわち、当時の右京区は、北は愛宕山・高雄および立命館大学衣笠キャンパス西側(北区・京北町・八木町・亀岡市と隣接)、東は概ね西大路通(阪急西院駅、西大路三条)まで、南は南区・向日市・長岡京市そして大阪府高槻市・島本町との境界にまで及んでいました。主要地方道6号<枚方亀岡線>および高槻市営バスは右京区を掠っていたことになります。それが、大原野・境谷地域に洛西ニュータウン街開きのタイミングに合わせ、桂川の西側が西京区に分区されることに。以降、左京区が京都市で面積トップの区となるが、2005年に右京区が京北町と合併後、右京区がトップとなっています(しかも右京区と左京区が隣接することに)。
なお、「嵐山」について、嵐電の嵐山駅およびJR嵯峨嵐山駅は右京区、阪急嵐山駅は桂川を隔てて西京区となっているが、正式地名としての「嵐山」は阪急嵐山駅のある西京区側のほうです。
京阪バスW-3840が枚方に里帰り
京都市バス【203】系統
京都市バス【203】系統・<四条・今出川循環線>。
四条通~今出川通間の市街地を東西に広く循環する路線系統で、運行経路は、
錦林車庫前~熊野神社前~(東山通)~祇園~(四条通)~西大路四条~(西大路通)~北野白梅町~(今出川通)~銀閣寺道~錦林車庫前
となっています。繁華街の四条通を通り、市内の主要鉄道路線の多くと接続、加えて祇園・八坂神社・銀閣寺・京都御所・北野天満宮といった主要観光施設を経由するため、曜日を問わず終日混雑しやすい印象があります。鉄道路線との接続については、以下の通り:
地下鉄烏丸線(四条烏丸、烏丸今出川)
地下鉄東西線(東山三条、西大路御池)
阪急京都線(四条河原町、西大路四条)
京阪電車(四条京阪前、出町柳駅)
JR嵯峨野線(西ノ京円町)
京福電鉄嵐山本線(四条大宮、西大路三条)
京福電鉄北野線(北野白梅町)
叡山電鉄(出町柳駅)
阪急電車から左京区・京大方面へは、この【203】系統および【3】系統が便利で、運行経路などから【3】系統<北白川仕伏町~四条河原町~松尾橋>と類似していると言えます。
運用担当は烏丸営業所錦林出張所。かつては錦林営業所で【5】系統なども担当していたが、現在【203】系統のほか【17】系統、急行【102】系統など、市街地~左京区方面の利用状況の好調な路線のみに絞られています。
JR境界を越境する在来線列車(その6:九州)
九州と本州を結ぶ在来線列車は、山陽新幹線博多開通(1975年)前は東京・名古屋・大阪方面および山陰本線から特急・急行列車が旺盛に運転されていました。しかし、博多開通後、昼間の本州~九州直通列車は大幅に削減、東海道・山陽寝台列車は残るものの、これも2009年までに全廃。
現在、本州と九州を結ぶ、すなわち関門海峡を渡る在来線列車は普通列車のみとなっています。
少し以前までは、九州から415系などが山陽本線~宇部線宇部新川まで直通していたし、山陰本線から関門海峡を渡って小倉まで直通する列車もありました。JR発足当初は米子から博多までの特急<いそかぜ>(ロングラン・大阪<まつかぜ>の残滓、キハ181系)が1往復あったが、運転区間は徐々に短縮、九州内では小倉以西が打ち切られるほか、最終的には益田-小倉間のみの運転となり、かつての長編成<まつかぜ>の見る影もない惨めな状態で2005年に廃止(→山陰本線益田-下関間は優等列車のないローカル線に転落)。
ほかに、国鉄末期~JR発足初期のころ、485系<にちりん>の下関直通もあり、485系の本州乗り入れは山陽新幹線博多開通以来の復活となるが、1992年ごろに廃止。
関門海峡を通る415系の今後も気になります。
交直流境界区間にあたるため、JR九州の交流専用電車で運用することは不可能。かといって短編成の気動車では北九州都市圏だけあって輸送力不足な感じも・・・。
四條畷神社参道より
瀬戸大橋1000t 荷重試験列車
瀬戸大橋開通直前に実施された1000t荷重試験列車の動画です。
電気機関車9重連の珍編成です。
列車が通るときレールのたわみが観測され、相当な重量があることがわかります。
そのため、瀬戸大橋のレールは中央が盛り上がって造られています。
電気機関車9重連の珍編成です。
列車が通るときレールのたわみが観測され、相当な重量があることがわかります。
そのため、瀬戸大橋のレールは中央が盛り上がって造られています。
JR境界を越境する在来線列車(その5:四国)
四国各線が全国とレールがつながったのは、1988年瀬戸大橋開通の時。今年は開通から30周年を迎えます。
四国内の優等列車(特急)は四国島内で完結するものもあるが、新幹線連絡なども兼ねて本州へ渡り岡山発着が多くなっています。また、海を挟んだ岡山・高松都市間連絡の快速<マリンライナー>も多くの本数があり、人々の行き来は活発です。 瀬戸大橋を渡る特急列車は全てJR四国所有、<マリンライナー>もかつてはJR西日本213系を使用していたが、海を渡る瀬戸大橋という特殊条件ゆえ老朽化が早く、JR四国5000系に持ち替わりとなりました(5000系の普通車はJR西日本223系と全く同じスタイル、グリーン車のみハイデッッカーとなった)。岡山から瀬戸大橋を渡って観音寺・琴平へ直通する普通列車も運転されており、JR西日本115系もしくはJR四国6000系が充当されます。
瀬戸大橋開通ブームで賑わう頃は、特急<やくも>が高松に乗り入れたり、また瀬戸大橋を渡って高松
への臨時列車も多く運転されていました(117系、165・167系、221系などを使用)。
四国と東京を結ぶ寝台列車<サンライズ瀬戸>【東京-高松】(285系)もあります。全国的に寝台特急が廃止される中、直流電化区間のみで完結する<出雲><瀬戸>を電車化して生き残りを図り、<サンライズ瀬戸><サンライズ出雲>に生まれ変わります(<出雲>は京都から山陰本線経由だったが、伯備線経由に変更、<サンライズ出雲>となる)。専用の285系電車はJR西日本の設計ですが、車両はJR西日本とJR東海が所有しています。近年、金比羅山が心霊スポットとして人気を集め、<サンライズ瀬戸>は琴平まで延長運転されるようになっています。
このほか、「青春18きっぷ」シーズンには京都-高知間の夜行快速(14系客車)も運転されていました。
JR境界を越境する在来線列車(その4:JR東海・西日本)
JR東海と西日本を跨ぐ在来線列車も昔はかなり多かったが、大幅に減っています。現在残っているのは
<しらさぎ>【名古屋-金沢】(683系)
<ひだ>【名古屋-富山】(高山本線経由)、【大阪-高山】(キハ85系)
<南紀>【名古屋-紀伊勝浦】(キハ85系)
<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)
のみであり、会社境界をまたぐ普通・快速列車は皆無となっています。
2年前・2016年ダイヤ改正までは
<しなの>【長野-大阪】(383系)
東海道・山陽本線快速【大垣-姫路・網干方面】(221・223・225系)
がありました。さらに2006年ダイヤ改正では
急行<かすが>【名古屋-奈良】(キハ75系)
寝台特急<出雲>【東京-出雲市】(24系客車)
が廃止、「葬式鉄」が盛り上がったことは記憶に新しいです。
それ以前にまで遡れば、高山本線普通列車について会社境界の猪谷を越えて高山-富山間直通も多く残っていてキハ120が高山まで乗り入れていたし、大阪~信州方面列車は北陸本線経由中心で設定されるようになる中、細々と中央西線経由の急行<ちくま>が存続、12系客車から383系に置き換えられ先は安泰かと思われたが、臨時化されひっそりと消滅。
さらに面白いものとして、JR発足当初、関西本線奈良・加茂発多気行き普通列車もありました(折り返しの多気→亀山行きも含めJR西日本亀山区の気動車で運用。逆に亀山-加茂・奈良間普通列車の一部はJR東海伊勢区が担当していた模様)。もし、本州がJR東日本・西日本2社折半体制だったら、三重県内は全てJR西日本管内となることは容易に想像され、広大な設備敷地を有する亀山機関区も紀伊半島東部のローカル列車を担当する拠点としてもう少し有効に活用されていたことと思います。なお、2009年紀勢本線全通50周年記念イベントでは、亀山-白浜間直通の臨時列車がキハ85系で1往復、またJR西日本キハ181系を借りて新宮発亀山行き臨時急行を運用するなど、かなり意欲的なものでした。加えて、関西地区(姫路・和歌山方面)から伊勢への修学旅行列車も2010年まで毎年運転されていたが、キハ181系引退とともに事実上廃止。
ほかには、国鉄時代から毎年夏の海水浴シーズンに運転されていた急行<エメラルド>(名古屋-東舞鶴、北陸本線・小浜線経由、キハ58系)があります。こちらも1995年の運転を最後に消滅。キハ75系の方向幕に「東舞鶴」が入っているのも、<エメラルド>運用を想定したものと思われます。それから、北陸本線長浜直流化完成当初、名古屋方面から長浜までの臨時列車(311系など)もありました(それ以前も気動車による臨時列車を設定するというかなり思い切ったものだった)。
JR境界を越境する在来線列車(その3:JR東日本・西日本)
JR東日本と西日本を跨ぐ列車について見ましょう(JR東海経由は除く)。
かつてJR東日本と西日本を直接結ぶ在来線列車は北陸・信越地区を中心に多かったが、北陸新幹線開通後は皆無となりました。
JR東日本と西日本の会社境界は、在来線では北陸本線・信越本線直江津駅と大糸線南小谷駅の2つですが、北陸本線金沢以東は第三セクター化されたこともあって、直江津駅にJR西日本の列車は1本も乗り入れなくなりました。
JR発足当初、北陸特急<雷鳥><白鳥><北越><白山>、急行<きたぐに><能登>、寝台特急<日本海>ほか、数多くの優等列車が会社境界をまたいで活発に行き来していました。しかし、1997年長野新幹線(→北陸新幹線)開通時に長野経由首都圏-北陸間の列車が廃止(信越本線碓氷峠区間も廃止)。さらに長距離旅客の減少および北陸新幹線金沢開業準備の情勢を反映して、昼間特急として日本最長距離を誇っていた<白鳥>【大阪-青森】は2001年に金沢・新潟で系統分割、新潟<雷鳥>は金沢もしくは富山止め、数少なくなった定期急行<きたぐに><能登>も2012年までに廃止、そして大人気の<トワイライトエクスプレス>【大阪-札幌】なども2015年までに惜しまれながら引退・・・。
JR発足当初のバブル期は、京阪神地区さらには岡山や和歌山方面から信越方面へのスキー臨列車が北陸本線経由で旺盛に運行していました。白馬・栂池方面へは糸魚川からスイッチバック、14系客車<リゾート>からキハ181系やキハ65エーデルなどを総動員してまで大糸線(JR西日本区間のみ非電化)に直通、南小谷を跨いでJR東日本エリアに乗り入れたり、また軽井沢方面へは直江津から信越本線(現・えちごトキメキ鉄道、しなの鉄道)に直通運転するなど、思い切った運行体制が取られていました。国鉄時代なら名古屋から中央西線での運転になると思われるところを、JR東海を敬遠してまでわざわざ北陸回りのルートを取るような格好でした。仮に本州がJR東日本・西日本で折半される形なら、関西から信州へのシュプール列車は中央西線経由のルート中心で設定されることでしょう(これならわざわざ気動車まで用意する必要はないだろう。ただ、キハ181系などを使ってJR難波・天王寺・奈良から関西本線経由のルートで設定される可能性は考えられるし、あるいは長野から飯山線直通もありそうだ)。
国鉄時代は大糸線糸魚川から南小谷を跨いで信濃大町まで気動車が直通(1982年以前は金沢-松本間の急行<白馬>、さらに昔は新宿や名古屋からの急行が糸魚川まで直通)、JR発足当初も残っていたが、JR西日本(非電化)区間のワンマン化とともに南小谷折り返しとなりました。
このほかの面白い列車として、JR東日本「夢空間」を使用した臨時列車もありました。特に上野~出雲市間を信越・北陸・小浜・舞鶴・山陰本線経由で結ぶ「夢空間山陰路」号は最高の傑作列車だったと言えます。
JR境界を越境する在来線列車(その2:JR東日本・東海)
JR東日本とJR東海を跨ぐ列車は、信州地区を中心にかなり多く存在します。
JR発足当時に比べて両社間を跨ぐ列車は相当減りましたが、現在残っているものとして
特急<しなの>【名古屋-長野】(383系)
中央西線普通列車【中津川-松本】(313系、211系)
飯田線【豊橋-上諏訪】(213系、313系)、快速<みすず>【天竜峡-松本-長野】(211系)
東海道本線【東京-沼津】(E231系)
寝台特急<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)
臨時快速<ムーンライトながら>【東京-大垣】(185系)
が挙げられます。
かつては、東海道本線東京-静岡間を直通する普通列車および急行<東海>などもありました。<東海>165系引退により373系特急に生まれ変わると同時に、「青春18きっぷ」シーズンに大人気の大垣夜行を座席指定の<ムーンライトながら>に代替して存続するが、その後東京-静岡間直通列車が大幅に削減、<東海>も廃止され、<ムーンライトながら>は臨時化。113系引退に合わせ、会社境界の熱海で基本的に乗り換えることになりました。臨時<ムーンライト>は現在185系(JR東日本所属)で運転されているが、185系の引退も決まっており、その後の存続は厳しいと見られています。
東京から西日本・九州各方面への寝台特急(ブルートレイン)もJR発足当時はかなり多く運転されていたが、客車の老朽化などを理由に相次いで廃止、需要が旺盛と思われていた急行<銀河>【東京-大阪】すらもまさかの廃止とは驚かされたものです。現在残っているのは、<サンライズ瀬戸・出雲>(285系)のみとなっています。ただ、近年、出雲大社が心霊スポットとして大人気で<サンライズ出雲>の利用客が多く、GW・帰省ラッシュ時などを中心に臨時便も設定されたり、また<サンライズ瀬戸>は金比羅山への観光利用を見込んで土讃線琴平まで延長運転されています。
<ワイドビューしなの>(383系)も2016年まで1往復だけ大阪直通があったが、これも廃止。俗に言う「大阪しなの」であり、JR東日本・東海・西日本3社を跨ぐ唯一のロングラン特急として注目でした。
JR境界を越境する在来線列車(その1:北海道)
JR発足から31年が経過しました。
かつては国鉄として全国各地を広域に結ぶ列車も数多く運転されていたが、1987年の分割民営化以降、 新幹線を除きJR会社境界を跨ぐ列車は減少傾向にあります。現在、JR会社を越境する在来線の列車がどれだけ存在するのか、ここで挙げてみたいと思います。
まず、JR北海道とJR他社を結ぶ列車。
JR発足1周年の1988年に青函トンネルが貫通、瀬戸大橋開通とともに北海道から四国・九州までレールがつながる記念すべき年でした。さっそく青函トンネル経由青森と函館を結ぶ快速<海峡>(50系客車+電気機関車牽引)の新設、東北本線<はつかり>の函館直通、上野~札幌間の寝台特急<北斗星>および札幌~青森間の急行<はまなす>登場、そして大阪からの寝台特急<日本海>函館直通など、バブル経済の最盛期もあって華々しい内容でした。その後、JR西日本が不定期で<トワイライトエクスプレス>を大阪-札幌間に運行、なかなか予約の取れない人気列車として有名でした。
その後、2002年東北新幹線新八戸延伸に伴うダイヤ改正で快速<海峡>は特急に格上げとなり、本州・北海道連絡列車は全て特別料金が必要となります。
さらに、青函トンネルには東北新幹線を新青森から延長する形で北海道新幹線が通ることに決まります。2016年の新幹線新函館開通以降、本州と北海道を在来線で結ぶことは困難となりました。これに先行して、2006年に函館<日本海>廃止、人気の<トワイライトエクスプレス><北斗星>は2015年春のダイヤ改正で廃止。そして2016年春には最後の定期急行<はまなす>が廃止されました。よって、本州・北海道間の在来線直通列車は皆無となりました。
一時期、JR東日本が今流行りの豪華寝台特急の走りとも言うべき「夢空間」を作り、上野から北海道各地へのスキー列車(トマム方面へ石勝線・根室本線にまで直通)などに使用されました。なお「夢空間」は上野から上越・北陸本線経由関西や西日本へも遠征しており、山陰の出雲市まで営業運転したこともあります(小浜・舞鶴・山陰本線経由)。
485系雷鳥 新潟色
嵐電 北野白梅町にて 2012年
ちょうど桜満開のころだったかと思います。
超満員でした。
実はこの日、「3Dayチケット」で直Q京都号・京都交野なんば線になんばOCATから京都まで初めて乗ってみました。十条で地下鉄烏丸線に乗り換え、今出川から市バス【203】系統で北野白梅町へ出たかと記憶しています。やはり【203】系統は超満員でした。
超満員でした。
実はこの日、「3Dayチケット」で直Q京都号・京都交野なんば線になんばOCATから京都まで初めて乗ってみました。十条で地下鉄烏丸線に乗り換え、今出川から市バス【203】系統で北野白梅町へ出たかと記憶しています。やはり【203】系統は超満員でした。
京阪バス リエッセ E-3099
JR学研都市線から枚方・中央図書館へのバスを
以前より、JR学研都市線津田駅または長尾駅から枚方市立中央図書館(北片鉾)へのバスがあればと思っていました。本年4月より樟葉駅から【84】号経路・<船橋・牧野循環>を経路変更、北片鉾へ乗り入れるようになったので、樟葉方面から中央図書館へ便利になりました。 せっかくなので、津田・藤阪・長尾方面から中央図書館への路線系統を改めて望みたいと思います。
運行経路としては、JR学研都市線沿線の星田・四条畷・住道方面からも利用しやすいよう、例えば
長尾駅~枚方公済病院~藤阪駅~(バイパス)~総合スポーツセンター~甲斐田東町~北片鉾
あたりでどうでしょうか? これだと、山田池公園や枚方市立体育館(総合スポーツセンター)へも便利になって理想的だと思いますが・・・。総合スポーツセンターへは枚方市駅・樟葉駅から発着しているが本数は少なく、どちらかといえば枚方車庫への入出庫という意味合いが強いです。
あと、枚方市立図書館への要望ですが、枚方市駅・樟葉駅・長尾駅などに図書返却ポスト設置はできないものでしょうか? 同じ北河内の某市立図書館では主要駅前ターミナルに返却ポストを設置しているところもあり、もちろん枚方市でも実現可能だと思うのですが。
急行<くまの>
久しぶりに国鉄時代の急行列車について一つレポート。
今回は京都と南紀を草津線経由で結んだ急行<くまの>。
急行<くまの> の前身、準急<くまの>は1963年に気動車で運転開始。運転区間は京都-紀伊勝浦間に1往復。
草津線には古くから京阪神および西日本各地と伊勢を結ぶ優等列車(急行<志摩>ほか)が運転されてきたが、紀勢本線全通(1959年)後、草津線は京都と東紀州(尾鷲・熊野市方面)を短絡するルートとしても脚光を浴び、南紀観光が賑やかで新婚旅行地として人気のある昭和30~40年代の時代背景に、準急<くまの>が誕生しました。
準急<くまの>は1966年に急行列車となり、以降大きな変化は見られないまま推移したが、1980年10月ダイヤ改正で廃止されました。途中の亀山駅では名古屋からの急行<紀州>と併合、紀勢本線内は<くまの>と<紀州>の2層建て列車となります。廃止までの間、1978年には紀勢本線新宮-和歌山間電化、1980年3月には草津線が電化。
廃止直前の頃の列車編成はキロ28連結だったが、紀伊勝浦行きと京都行きでは両数が異なっていたようです。向日町運転所(大ムコ)のキハ58系(キハ65含む)が使用されるが、同じ草津線経由の<志摩>と共通運用を組み、鳥羽と紀伊勝浦を結ぶ<はまゆう>で行き来し、<くまの>と<志摩>をトレードする運行体系だったそうです。なぜわざわざこのような煩雑な運用をしていたのかは謎です。さらに、午後の京都発<くまの>の間合いで、山陰本線の臨時快速<丹波路>(京都-園部間)の運用をこなしたり、紀伊勝浦到着後、間合いで新宮-串本間の普通列車にも入るなど、かなり興味深い広域運用をなしていたとのことを鉄道雑誌等で見た記憶があります。
京都と南紀を結ぶ急行列車としては、奈良・桜井・和歌山線経由の白浜行き<しらはま>もあったが(和歌山以南<きのくに>と併結)、1980年10月ダイヤ改正で<紀ノ川>に改め、京都-和歌山間に短縮(併結相手の<きのくに>は特急<くろしお>に格上げ)。<紀ノ川>は1984年10月奈良・和歌山線電化の時に廃止されました。ちなみに<しらはま>(→<紀ノ川>)の車両も向日町区が担当、<くまの><志摩>と共通の編成でした。
三宮そごう 2009年
京阪交野線と桜
京阪バス【82】【83】号経路・<松井山手駅~穂谷>
本年4月1日で廃止となった京阪バス枚方尊延寺線【82】【83】号経路・<松井山手駅~穂谷>。
運行経路は、
松井山手駅~山手中央~(第二京阪側道)~杉山手~杉~尊延寺~穂谷口~(【83】関西外大学研都市C経由)~穂谷
2014年4月に新設されるが、関西外大学研都市(穂谷)キャンパス閉鎖に伴い廃止されました。
松井山手駅と関西外大穂谷キャンパスを結ぶバスは2012年4月に直通バスとして初めて設定。
直Q京都号京都方面からの通学客を意識したものと思われます。その2年後、2014年には【82】【83】号経路の新設とともに、直Q京都号の一部便が関西外大穂谷キャンパスまで直通するようになります(ただし登校時間帯のみ片道運行)。
ダイヤは30分間隔の運転でしたが、少なくとも休校日には本数過剰のように見え、外大キャンパス閉鎖とともに廃止もしくは減便となっても不思議ではないと思っていました。実際、今度のダイヤ改正で、長尾駅・松井山手駅~穂谷系統および穂谷~新田辺系統は、【89】【89A】号経路・<松井山手駅~長尾駅~穂谷口~(天王)~新田辺>主体に整理されました。穂谷口~穂谷は経由しないので注意(朝夜は穂谷折り返し便もあり)。合わせて、出屋敷線【26】号経路・<枚方市駅北口~長尾駅~松井山手駅>も廃止(→長尾駅折り返しに変更)。
【89】【89A】号経路は京田辺営業所が運用担当しています。【75】【79】【81】号経路も全便京田辺営業所担当。一方枚方尊延寺線の枚方市駅・津田駅発着系統は全便枚方営業所担当に戻っています。
【82】【83】号経路廃止の代替措置なのか、直Q京都号の大阪国際大学~松井山手間のみの乗車も可能となりました。
姫路・相生 日帰りバイクの旅 2001年4月
今から17年前、2001年4月初旬、バイク(100ccスクーター)で兵庫県南西部、姫路・相生方面へひたすら往復する旅に出ました。
走行経路は、往路はR2~R250、復路はR250~R2~R43だったと記憶しているが、正直疲れました。さらにこの日は花冷えで、長時間バイクに乗ってて体が寒く風邪引きそうでした。道中で海が見えたのも須磨海岸~明石ぐらい、典型的な郊外国道そのものであまり楽しくなかったです。引き返そうかなとも思ったりしたが、ここまで来て今更引き返すわけにもいかず、とにかくひたすら西へ進むのみ。
それでも、姫路城の門前、および春の播磨灘海岸と室津漁港の歴史的景観は一番印象に残りました。寒い思いをしてわざわざここまでやって来た甲斐はあったと思いました。
京阪バス 洛南営業所に転入した車両
先月17日のダイヤ改正で醍醐竹田線【2】と醍醐中書島線【6】【6A】が洛南営業所管轄となりました。
これに伴う車両の転入は 、
山科→洛南 N-3900・3902・3903・3260
交野→洛南 N-3987・3988・3202
大津→洛南 N-6247
と報告されています。このほか、洛南営業所に新車2台(LV290)納車されたとの報告もあるが、社番は不明です。
京阪バス 4.1ダイヤ改正に伴う運用担当変更など
京阪バス4.1ダイヤ改正に伴い、運用担当が大きく変わっています。
◎枚方尊延寺線の京田辺営業所担当は、【75】【79】【81】【89】【89A】のみ。すなわち、津田駅・枚方市駅乗り入れは廃止。
◎招提線【84】【87】号経路は男山営業所に移管。男山営業所として初めてなみき・牧野・北片鉾への運用。
◎【直通】長尾駅~大阪工大・摂南大枚方キャンパスは枚方営業所に移管(男山または京田辺との共同管轄の可能性もある)。
◎津田サイエンス線は全系統交野営業所に移管、したがって河内磐船駅・津田駅東口への京田辺営業所運用は廃止(直Q京都号を除く)。
◎【タウンくる】寝屋川音羽町線<京阪香里園西口~寝屋川市駅>は交野営業所に移管。
これに合わせ、F-3038・3039が京田辺、E-3156・3173が寝屋川から交野に転属、交野に唯一残る幕エアロミディS-1071とともにさっそく寝屋川音羽町線の運用に入った模様です。
なお、枚方営業所所属車両も4月1日より行先表示に英語が入りました。唯一残った幕車W-3821の動きが気になります。また、枚方営業所管内の中型車(長尺含む)運用は、招提線【38】【85】号経路と樟葉長尾線(ごく一部の便)、出屋敷線【23】号経路にほぼ限定されているが、中型ロング車の代替がどうなるのか、目が離せません(これらの路線系統で大型車の運用は問題ないが)。
※W-3821は本日運用に入っているとの報告。幕はそのままのようです。
※N-1104 高槻→枚方
※E-3172 寝屋川→交野
※N-6249・6250 京田辺→寝屋川
案の定、京田辺営業所管内路線の縮小により転属車両が発生しました。寝屋川に転属し、摂南大学関係の輸送力増強に充当されています(さっそく【9A】【12】などの運用に入る。寝屋川茨木線【12】号経路は、高槻所属時代に充当されていた路線でもある)