JR東海発足当初、紀勢本線・参宮線・名松線でキハ30形(キハ35系の両運転台)が主にキハ58系との混結で活躍していましたが、ワンマン化を目的にキハ11の投入後、キハ30は営業運用から撤退。その後もキハ30 51号のみ車籍を残したまま美濃太田区に動態保存されるが、2008年に廃車手続きが取られました。
ここでは、JR東海に継承されたキハ30形たちについて、国鉄時代末期の動きをレポートしてみたいと思います。
JR東海に継承されたキハ30形は、
44、51、52、74、75、81
の6両だったと思います。
もともとキハ35系(キハ30・35・36形)グループの多かった関西・紀勢本線系統(天王寺鉄道管理局管内)ですが、両運転台のキハ30形は、もともと旅客需要の低い三重県の亀山と伊勢の2車両区に配置、草津線・紀勢本線・伊勢線・参宮線・名松線を中心に活躍していました。国鉄時代末期までに天王寺局管内キハ35系の大半は廃車もしくは関東鉄道などへ譲渡、キハ36形(片運転台・便所無し)は1両もJRに継承されず、キハ35形は5両だけがJR西日本亀山運転区、キハ30形は6両が上記の通りJR東海伊勢運転区の所属となりました。
JR東海に生き残ったキハ30形のうち、キハ30 44号は亀山区生え抜きののち、1979年に伊勢へ転属、そのままJR東海へ。
キハ30 51・52号の2両は加古川気動車区の所属で、1984年2月ダイヤ改正で伊勢線(→伊勢鉄道)普通列車1両運転に合わせ亀山へ転属、キハ40形ともども片町線(長尾-木津)などと共通運用をこなしていました。1986年3月片町線の単行運転解消後、伊勢へ転属。伊勢区の伊勢線運用が復活するが、JR発足直前の1987年3月に伊勢線は伊勢鉄道に転換。キハ30 51号が動態保存とはいえ2008年まで車籍があったことは特筆に値します。
キハ30 74・75・81形の3両は山陰の米子に配属、主に境線で活躍していたが、伯備線電化に合わせた1982年7月ダイヤ改正で米子を離れ、74・75号は奈良、81号は伊勢へそれぞれ転属。74・75が転入した奈良区はキハ35系の大所帯で、キハ35系たちは関西本線および周辺の各線(一時期紀勢本線和歌山市-新宮間も)で広範囲の運用をこなしていたが、両運転台のキハ30形が奈良に配属されるのは初めてのことでした。奈良周辺各線の電化も進み、非電化で残っていた奈良線・片町線(長尾-木津)を中心とする運用に入っていました。キハ30形2両の玉突きで奈良に残っていたキハ20形(470・471号)は二俣・志布志へ転属。奈良線では朝ラッシュ時、急行<紀ノ川>編成に増結する運用もありました。1984年10月奈良線電化後、奈良の気動車配置は廃止、亀山区へ転属。亀山時代は、51・52号ともども片町線・伊勢線の単行運転、あるいはキハ58系などと混結で関西本線(亀山-奈良)・紀勢本線(亀山-新宮)・参宮線の運用をこなしていたが、1986年3月に伊勢へ再転属ののちJR東海の所属に。