最近、京阪バス一般路線用の初期冷房車について、少し気になっています。

京阪バス一般路線の冷房サービス開始は、路線・観光兼用のBタイプについては1975年ごろから始まったかと思われます。私が今も印象に残っているのは、1976~77年式の三菱ふそうMR470・三菱自工(名古屋)車体で、車体中央側に太い柱のあるサブエンジン式冷房、観光兼用ながら通常の一般路線と同じ2段サッシ窓をしていて、大阪・京都・滋賀地区各営業所に最低1台は配置されていました。日野車の独壇場だった香里団地営業所にも1台(社番B-1344、大阪22あ2277)配置され、快速【1】号経路・<枚方市駅~新香里>などでの運用を見かけたように記憶しています。交野営業所にも同タイプのものが1台、平日昼間の釈尊寺団地線【10】号経路でよく見かけました。また、枚方営業所管内では末期は樟葉・牧野循環系統に入ることが多かったようです。京都・滋賀地区は観光路線も多いため、Bタイプ車は多めに配備され、特に大津営業所(B-136X・滋22か628、ほか)では【46】【47】・京津国道線や【10】・宇治川ライン線など広範囲の運用をこなしていたようです。当時、各営業所に配置されたBタイプ車は、団体・貸切や京都競馬場シャトルのほか、休日には京都定期観光に結集していたそうです。

一般路線Aタイプの冷房化は1977年試験導入、翌年1978年より本格導入が始まり、1985年2月までに冷房化100%を達成します。

まず、確か1977年ごろ香里団地営業所に冷房付き日野RE120?が1台配置されました。1978年以降の直結式冷房付きRE121と同様、車体後部にクーラーユニットはあるが、試験的要素が強く、細かい部分で違いが見られ、77年式のほうが古っぽく見えました。

同時期の三菱Aタイプ車については、三菱自工車体でサブエンジン式冷房を試験的に採用、当時人気のBタイプと同じ外観だったが、観光兼用のBタイプとちがって後扉の幅は広かったです。1978年以降、車体はいわば「ブルドック」なる斬新な車体デザイン、形式もMP117となります。三菱自工と並行して導入された呉羽(富山)車体については、1977年式は知らないが(たぶん非冷房車ばかりだったかな)、1978~79年には車体は旧来のMRタイプながら「ブルドック」と同じ新形式MP117となって冷房も搭載されます。冷房付き呉羽Aタイプ・Bタイプとも外観スタイルは1976~77年式三菱自工Bタイプと似ているが、丸みの濃い呉羽ボディよりも三菱自工のほうが新しくて重厚な印象があります。ちなみに、呉羽車体は1980年以降、「ブルドック」を導入して三菱自工と図面デザインを共通化、外観上の区別が困難となりました(→1984年のエアロスター以降、再びそれぞれ異なるデザインとなるが、のちに「三菱ふそうバス」に一本化)。

あと、富士重3Eも忘れてはなりませんね。
京阪バスでは富士重3Eの日野・三菱も購入していました。
富士重3Eは日野・金産車体のイメージに近いスタイルなのに、三菱ふそう車のエンジン音のする車両もあって不思議に思っていました。1978年より富士重3Eの冷房車も登場。富士重についてはクーラーユニットが車体中央に搭載される直結冷房ながら、車体中央に太い柱があり、特徴的なスタイルで、また1979年の前面方向幕大型化以降のものは、方向幕周りが特注でカマボコ形となり、西工42MC(いわゆる「カマボコ」)をイメージするスタイルでした。

1986年以降、京阪の初期冷房車(方向幕大型化前のもの)は長野県・川中島バスや山陰の日の丸自動車などに移籍。川中島へ嫁いだのは、三菱車が多かったが、少しだけ日野車も転入。MR470・BタイプやMP117(三菱自、呉羽)のほか、特徴的な富士重3E・MP117や日野RE120試作冷房車などが川中島で第二の活躍を続けました。日の丸自動車へは日野車が大量に移籍、富士重3Eや非冷房車も一部含まれていました。

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枚方市駅南口おりばに停車中の日野RE121冷房車
香里団地または交野営業所の所属、1980年代前半ごろと思われる
枚方近鉄や三和銀行も懐かしい