国鉄末期~JR初期の頃、貨物列車の削減で余裕の生まれた線路を活用すべく、地方都市圏でも高頻度・等間隔のいわば「国電型ダイヤ」の導入が盛んに進められました。列車本数を大増発する代わりに、編成そのものは短くし、ただし財政的に新車導入は厳しいので既存の車両を改造で間に合わせる(その究極は583系寝台電車を近郊型化改造するなど)、という手法が流行りました。

大阪市内を中心とする関西圏も例外ではありません。

大阪市内におけるミニ編成の電車といえば、まず福知山線城崎電化に合わせて登場した113系800番台の2両編成を思い出します。福知山線は1981年宝塚まで電化され、黄色の103系が投入されるが、福知山・鳥取・米子方面への長距離列車も残り、宝塚以遠への直通普通列車は客車や気動車(キハ47ほか)で運用されていました。1986年11月の宝塚-福知山-城崎(温泉)間電化により、特急・急行は城崎までの485系<北近畿>に生まれ変わり、鳥取・米子方面直通列車は夜行<だいせん>1往復を除き廃止。普通列車は103系と113系に置き換えられ、113系は初期型を耐雪対応に改造した800番台として登場。しかし、113系は4両または2両という短編成で、客車時代は10両の長編成列車(気動車も最長で9両ぐらい)も多かったのに、本数倍増とはいえ大阪駅で2両編成ではやはり超満員で積み残しも連日発生する始末でした。さすがに国鉄・JRもこれを放置しておくわけにはいかず、113・115系を各地から急遽転用して混雑緩和対応に追われました。普通電車が207・321系の7両で運転される現在では少し信じがたいかもしれません。

大阪でのミニ編成でもう一つ忘れてはならないのは、片町線(学研都市線)の103系3両編成。
JR誕生から2年後の1989年、長尾-木津間の電化が完成、片町・京橋から同志社前・木津への直通電車を終日運転。新駅・松井山手以東への直通電車は主に快速電車で運行(長尾-木津間各駅停車)されるが、気動車時代の2両から一気に7両対応へのホーム拡張は難しく、103系の3両で運用されることになりました。松井山手駅で7両への増解結も一部行われるが、快速電車は3両編成のまま京橋・片町へ乗り入れました。さすがに京橋での3両編成では超満員で、翌年1990年春には4両に増強、そして1992年には新型207系に置き換えられました。1997年JR東西線開通後、JR神戸線や福知山線(JR宝塚線)との直通運転となり、同志社前・木津方面への電車は松井山手駅で増解結作業が必ず行われることになりました。5年後の2002年には7両運転区間は京田辺まで延長されるが、わずか一つ向こうの同志社前発着電車で増解結は常時行われ、これは何とかならんものかと問題になりました。2010年になって木津まで207・321系の7両運転が行われ、途中駅での増解結作業も解消されました(→こうなると207系の中間運転台はあまり意味をなさなくなる)。

関西本線(大和路線)普通電車の103系も1990年代前半までの一時期、3両編成がありました。
もともと6両編成での運転ですが、1986年11月改正で天王寺口にデータイム3両編成の普通電車が登場。これに合わせて103系先頭車の不足を補うべく、101系クハを改造しクハ103-2000番台が登場、1985年まで活躍していた101系を彷彿とさせる顔でした(同様に阪和線でもクハ103-2500番台が登場、101系顔の青色は一時期の京浜東北線を思い出させる姿、のちに天下のJR京都・神戸線普通電車に転用)。しかし、やはり天王寺口での3両では混雑しやすく、1993~94年ごろ6両編成に戻されました。