京阪京津線各駅停車用(東山三条-日ノ岡間低床ホームに対応)に作られた80形。
80形は京阪電鉄では珍しく、近畿車輛製造です。1961-70年にかけて2両編成×8本が作られました。80形の顔は当時の近鉄電車に似ていますね。
さて、80形の近畿車輛からの搬送ルートですが、初期製造分についてはややこしいルートだったといいます。そのルートとは、
近畿車輛(徳庵)→(片町線)→放出→(城東貨物線)→久宝寺→(関西本線)→王寺→(和歌山線)→吉野口→(近鉄吉野線)→橿原神宮前→(近鉄橿原線、京都線)→丹波橋→(京阪本線)→三条→(京阪京津線)→浜大津→錦織車庫
です。当時、京阪本線と近鉄京都線(旧・奈良電鉄)が相互乗り入れしていたため、丹波橋でレールがつながっており、また三条駅構内では本線旧・1番ホームと京津線のりばがつながっていたため、このような搬送が可能でした。なお、国鉄線と近鉄吉野線は狭軌、近鉄橿原・京都線および京阪は広軌のため、橿原神宮前までは仮の狭軌台車を履き、橿原神宮構内で広軌用台車に載せ替えるという手間でした。
近鉄広軌線と京阪大津線(京津線・石山坂本線)はかつてレール1本で結ばれていたわけですが、現在、近鉄京都線と地下鉄烏丸線が相互乗り入れしているため、京阪大津線各駅から京都地下鉄経由近鉄各駅(けいはんな線を除く)までノーラッチで乗ることが可能な構造となっています。近鉄はさらに阪神と相互乗り入れしており、阪神から神戸高速鉄道を経て山陽電鉄、神戸電鉄、阪急、能勢電、そして大阪市営地下鉄へもノーラッチで乗車することが物理的に可能です。
なお、京阪線(本線・中之島線・鴨東線・交野線・宇治線)は他の私鉄とレールがつながっておらず、他の私鉄・JRへノーラッチで乗車することも不可能です。
コメント
コメント一覧 (8)
近鉄とJRの間のノーラッチもどんどん減っていますね。
今も残っている駅といえば、吉野口、松阪、伊勢市、鳥羽、伊賀上野(伊賀鉄道)・・・。
ノータッチで思い出したら、
九条駅は中央線を除く3駅すべて近鉄ノータッチ圏にあり
(中央線ホームはけいはんな線が乗り入れているが)、
桜井~桜井、
東山~東山、
松ヶ崎~松ヶ崎、
小野~小野
もノータッチで利用も可能ですね。
小野駅はJRだと湖西線や中央東線旧線にありますし、
JR豊橋駅経由だともう1つの桜井駅(名鉄西尾線)へも
(この手なら近鉄と名鉄で被る桜も。黒田は近鉄が孤立の田原本線、矢田や瓢箪山は名鉄が孤立の瀬戸線なので成り立たない)。
被る駅名ネタといえば、
関東だと入谷、大和、小川町、霞ヶ関、永田、足柄はそれぞれノータッチで行き来できます。
谷上経由で北神急行・神戸市営地下鉄へもノータッチで行けます。
もし淀屋橋の大阪市営と京阪がノータッチだったら(京阪)木幡~木幡の行き来をできたが。
粟生駅に自動改札がなかった頃は
木津~木津、
(JR)木幡~木幡
の行き来をできたが、
今はノータッチだと柏原や伊勢市まで迂回しなければ。
伊勢市まで来たなら栄~栄をノータッチできたかも
(伊勢市から豊橋までJR、豊橋から名鉄を知立経由赤池or上小田井or上飯田へ、名古屋市営地下鉄に乗り継ぎ)
確か阪神武庫川線には中間改札ありましたね。
近鉄田原本線もレールこそ他の広軌線と物理的につながっているが、営業路線図上は離れ孤島なので、改札を通らないと乗り換えできないことになります。
けいはんな線も生駒の中間改札を通る必要はあるが、近鉄奈良線→阪神→神戸高速→阪急→地下鉄堺筋線→同中央線を迂回すれば、けいはんな線へノーラッチで行くことが物理的に可能です。
1960年代のことなので、関西本線や和歌山線ではSLがまだ残っていましたね。おそらく80形もSLに牽引されて運ばれたのでしょうね。
京都市営地下鉄の東西線と烏丸線の線路は確かつながっていないのでは、と思います。もし仮につながっていれば、京阪大津線が近鉄・阪神・山陽・阪急・大阪市交ほかへレールがつながることになりますね。
ノータッチと書きましたがノーラッチの間違いでした。
4社の九条駅は全てノーラッチで行き来できますね。
阪急と近鉄で被る桜井駅同士も。
阪急宝塚線に石橋駅と山本駅がありますが、
近鉄大阪線にも旧国名付きながら山本駅と石橋駅があります。
神鉄と北神急行・神戸市営地下鉄は谷上でノーラッチですが、2001年までは谷上に中間改札がありました。
JRと名鉄は確か弥富もノーラッチで六軒(紀勢本線)→六軒(名鉄各務原線)をノーラッチも可能なようです。
烏丸御池は烏丸線と東西線は繋がっていません。もし繋げたら醍醐工場は竹田工場へ集約できるのに。
京阪80形が吉野口経由は意外でしたが、当時は柏原に関西本線(現・大和路線)と近鉄道明寺線の線路が繋がっていたから柏原→橿原神宮前は道明寺線→南大阪線経由も甲種輸送できたようです。
近鉄南大阪線系統の甲種輸送も1982年までは柏原経由で古市工場(同年10月廃止)へ甲種輸送されたようです。