2017年12月13日 札幌の駅弁 営業停止に Twitterで拾った情報によると、札幌の駅弁が12日から営業停止になっているとのこと。JR北海道の危機的状況といい、先が心配・・・https://twitter.com/nekonekocyan/status/940631928180375553 「JR北海道」カテゴリの最新記事 「駅弁」カテゴリの最新記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (7) 1. えびちゃん 2017年12月13日 11:17 今はコンビニの普及などで駅弁の衰退が進んでいますね…。 大阪駅や京都駅でも昔からの地元業者は撤退していますし。 企画駅弁なんかは神戸の淡路屋に一任している感じです。 何か寂しいですね…。 2. 交野が原 2017年12月13日 16:26 >えびちゃんさん 関西の駅弁は淡路屋さんが販売しているだけまだマシだと思います。 しかし札幌の駅弁が販売停止となると、JR北海道の将来を暗示しているようで深刻ですね。 3. 安田 2017年12月15日 17:49 2011年の特急おおぞら火災以来、JR北海道は不祥事や不採算問題が相次いでいます。 2015年1月の高波以来休止が続く日高本線、 2016年8月の台風以来休止が続く根室本線金山付近等は復旧の目処が立たないどころか廃止の見込みです。 日高本線については並走してE60日高道(国道235号バイパス)の建設が進みつつあります。 2016年12月に留萌本線の留萌~増毛が廃止されましたし、その直前にJR北海道の廃止計画リストができました。 学園都市線の汽車区間は朝のみの運行になりました。学園都市線は札幌市内区間は沿線人口の急増で2012年に電化されていますが、汽車区間は終点の新十津川駅は石狩川対岸に特急停車駅の滝川駅(函館本線・根室本線)があることもあり利用者が減っています。 新十津川から滝川へは国道451号(滝川市~留萌市)があります。 新十津川町は1889年の紀伊半島水害を機に奈良県十津川村からの移住者が開拓した地です。 4. 交野が原 2017年12月15日 18:43 >安田さま 日高本線復旧は絶望的のようですね。根室本線不通区間もしかり。 やっぱ国鉄分割民営化は失敗だったと思います。 学園都市線(札沼線)は関西圏の「学研都市線」と間違いやすいです(笑) 路線の特徴もよく似てるので・・・ 「新十津川町は1889年の紀伊半島水害を機に奈良県十津川村からの移住者が開拓した地」 →同様の地名として北広島市などが挙げられますね。元は「札幌郡広島町」だったのが市制化と同時に「北広島市」に改められました。 5. 安田 2017年12月17日 12:02 交野ヶ原様、 1996年に北広島市が市制したのは広島県人が開拓した広島町の人口が5万人を超えたからでした。 広島県には東広島市がありますが、1974年に加茂郡各町が合併時に新潟県加茂市や愛媛県西条市との重複回避から東広島市になりました。 2005年には北広島町が町制しています。 北海道で開拓地名といえば重複市名で有名な伊達市があります。 北海道伊達市は南東北を支配していた伊達家が開拓した地に由来、 1972年に伊達市となりました。 2006年には福島県にも伊達市が市制し、府中市と同様の重複市名になりました。 府中市は1954年3月31日に広島県府中市が、4月1日に東京都府中市が市制したことで重複市名になりました。 かつては若松市という重複市名の例がありました。 1898年に福島県若松市が市制、 1915年に福岡県若松市が市制。 1957年に福島県若松市が合併で会津若松市へ改称し重複市名が回避されたと思いきや 1963年2月10日に福岡県若松市は5市合併で北九州市となり1964年4月1日から北九州市若松区となっています。 守山市と八幡市も過去2ヶ所存在ですが重複市名だった時期はありません。 滋賀県守山市が市制したのは1970年10月であり、愛知県守山市が名古屋市に合併されてから7年半経っていました。 市制40周年を迎えた京都府八幡市は1977年11月に市制であり、読みは異なるが福岡県八幡市が5市合併で北九州市になってから14年9か月が経っていました 6. 安田 2017年12月17日 12:55 国鉄分割民営化はNTTのような東西2分割方式にした方がよかったと思います。 国鉄分割民営化計画について当時の中曽根首相は糸魚川~塩尻~辰野~富士を境に東西2分割の方針であり、 北陸本線(現在はときめき鉄道)青海、中央西線洗馬、飯田線宮木、東海道本線富士川から西の各国鉄線と東海道新幹線全線は西日本会社の予定でした。 しかし、第2次中曽根内閣(1983年12月~86年6月)当時の運輸大臣だった宮城県栗原市出身の三塚氏が「東西2分割だと東日本会社は西日本会社より小規模になる」と横槍を入れ6分割になり、 1986年7月の衆参W選挙大勝で国鉄の6分割が決まったようです。 この時、 北海道・四国・九州へは86年度内に大量の新車投入が行われています。 本州では 205系を山手線と京阪神緩行線へ (山手線への205系投入開始は1985年2月だったが、投入時期は国鉄分割民営化を挟んだ)、 207系900番台を常磐緩行線へ、 211系を東海道線東京口・高崎線・東北本線上野口(現在の宇都宮線)・中央西線へ、 213系を宇野線へ それぞれ投入されましたが、 北海道ではキハ183系後期型とキハ54系転クロ仕様を、 四国ではキハ32系・キハ54系ロング仕様・キハ185系を、 九州では415系ステンレス車とキハ31系 の投入が行われたからです 7. 安田 2017年12月17日 12:58 >86年度投入車 四国へは国鉄分割民営化の数日前に予讃・土讃線高松口が電化されたため121系(現在の7200系)も投入されています コメントフォーム 名前 コメント 評価する リセット リセット 顔 星 投稿する 情報を記憶
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コメント一覧 (7)
大阪駅や京都駅でも昔からの地元業者は撤退していますし。
企画駅弁なんかは神戸の淡路屋に一任している感じです。
何か寂しいですね…。
関西の駅弁は淡路屋さんが販売しているだけまだマシだと思います。
しかし札幌の駅弁が販売停止となると、JR北海道の将来を暗示しているようで深刻ですね。
2015年1月の高波以来休止が続く日高本線、
2016年8月の台風以来休止が続く根室本線金山付近等は復旧の目処が立たないどころか廃止の見込みです。
日高本線については並走してE60日高道(国道235号バイパス)の建設が進みつつあります。
2016年12月に留萌本線の留萌~増毛が廃止されましたし、その直前にJR北海道の廃止計画リストができました。
学園都市線の汽車区間は朝のみの運行になりました。学園都市線は札幌市内区間は沿線人口の急増で2012年に電化されていますが、汽車区間は終点の新十津川駅は石狩川対岸に特急停車駅の滝川駅(函館本線・根室本線)があることもあり利用者が減っています。
新十津川から滝川へは国道451号(滝川市~留萌市)があります。
新十津川町は1889年の紀伊半島水害を機に奈良県十津川村からの移住者が開拓した地です。
日高本線復旧は絶望的のようですね。根室本線不通区間もしかり。
やっぱ国鉄分割民営化は失敗だったと思います。
学園都市線(札沼線)は関西圏の「学研都市線」と間違いやすいです(笑)
路線の特徴もよく似てるので・・・
「新十津川町は1889年の紀伊半島水害を機に奈良県十津川村からの移住者が開拓した地」
→同様の地名として北広島市などが挙げられますね。元は「札幌郡広島町」だったのが市制化と同時に「北広島市」に改められました。
1996年に北広島市が市制したのは広島県人が開拓した広島町の人口が5万人を超えたからでした。
広島県には東広島市がありますが、1974年に加茂郡各町が合併時に新潟県加茂市や愛媛県西条市との重複回避から東広島市になりました。
2005年には北広島町が町制しています。
北海道で開拓地名といえば重複市名で有名な伊達市があります。
北海道伊達市は南東北を支配していた伊達家が開拓した地に由来、
1972年に伊達市となりました。
2006年には福島県にも伊達市が市制し、府中市と同様の重複市名になりました。
府中市は1954年3月31日に広島県府中市が、4月1日に東京都府中市が市制したことで重複市名になりました。
かつては若松市という重複市名の例がありました。
1898年に福島県若松市が市制、
1915年に福岡県若松市が市制。
1957年に福島県若松市が合併で会津若松市へ改称し重複市名が回避されたと思いきや
1963年2月10日に福岡県若松市は5市合併で北九州市となり1964年4月1日から北九州市若松区となっています。
守山市と八幡市も過去2ヶ所存在ですが重複市名だった時期はありません。
滋賀県守山市が市制したのは1970年10月であり、愛知県守山市が名古屋市に合併されてから7年半経っていました。
市制40周年を迎えた京都府八幡市は1977年11月に市制であり、読みは異なるが福岡県八幡市が5市合併で北九州市になってから14年9か月が経っていました
国鉄分割民営化計画について当時の中曽根首相は糸魚川~塩尻~辰野~富士を境に東西2分割の方針であり、
北陸本線(現在はときめき鉄道)青海、中央西線洗馬、飯田線宮木、東海道本線富士川から西の各国鉄線と東海道新幹線全線は西日本会社の予定でした。
しかし、第2次中曽根内閣(1983年12月~86年6月)当時の運輸大臣だった宮城県栗原市出身の三塚氏が「東西2分割だと東日本会社は西日本会社より小規模になる」と横槍を入れ6分割になり、
1986年7月の衆参W選挙大勝で国鉄の6分割が決まったようです。
この時、
北海道・四国・九州へは86年度内に大量の新車投入が行われています。
本州では
205系を山手線と京阪神緩行線へ
(山手線への205系投入開始は1985年2月だったが、投入時期は国鉄分割民営化を挟んだ)、
207系900番台を常磐緩行線へ、
211系を東海道線東京口・高崎線・東北本線上野口(現在の宇都宮線)・中央西線へ、
213系を宇野線へ
それぞれ投入されましたが、
北海道ではキハ183系後期型とキハ54系転クロ仕様を、
四国ではキハ32系・キハ54系ロング仕様・キハ185系を、
九州では415系ステンレス車とキハ31系
の投入が行われたからです
四国へは国鉄分割民営化の数日前に予讃・土讃線高松口が電化されたため121系(現在の7200系)も投入されています