国鉄一般型気動車キハ40系。
キハ40・47・48の3形式で総数888両、北海道から九州まで全国各地にばら撒かれたのは周知の通りです。ただし、都道府県によってはばらつきがあります。
まずキハ40系定期運用のなかった都道府県は、
千葉県、神奈川県、山梨県、静岡県
の4県が挙げられます。キハ40系が登場する頃、千葉県内は支線の久留里線・木原線を除いて電化済み、両線ではキハ35系が活躍していました(キハ40系製造終了後、少数のみ製造のキハ37が配置)。神奈川県も非電化区間は相模線のみであり、こちらもキハ35系が主力。山梨県は小海線だけが非電化ですが、標高日本一の野辺山駅を抱えるだけあって急勾配対応にキハ52・55・58の2エンジン車を専ら使用。あと、静岡県は二俣線(→天竜浜名湖鉄道)のみが非電化で、キハ20の独壇場でした。
キハ40系の運用がなさそうで過去に定期運用の存在した都道府県は、
東京都、埼玉県、群馬県、茨城県、長野県、滋賀県、福井県、大阪府、奈良県、和歌山県
が挙げられます。
まず、東京~埼玉~群馬3都県に及ぶ八高線では例によってキハ35系が主力でしたが、キハ45やキハ40も時折組み込まれていました(その後、八王子-高麗川間電化直前にはキハ35系およびキハ38オンリーとなり、1996年同区間電化以降、非電化区間はキハ110系に置き換え)。群馬県については足尾線の運用もありました。茨城県については水郡線があり、東日本では珍しくキハ47(0・1000番台)も投入。水郡線ではキハ40系のほかキハ45やキハ35、そしてキハ58系など雑多な形式が見られました。長野県は標高の高い山岳地帯ゆえキハ52やキハ58など2エンジン車が多い印象を受けるが、飯山線には豪雪地帯ゆえかキハ40-500番台・キハ48も投入されました。
滋賀・福井両県にまたがる北陸本線彦根・米原-敦賀間と湖西線近江今津以北では、交直流セクションを控えるため、普通列車では気動車運用(敦賀機関区)もあり、主にキハ40・48が使用されました。雪の多い地域にもかかわらずキハ40は暖地向け2000番台が投入される一方、キハ48は準寒冷地仕様の0番台・1000番台のみを配置(キハ48-0・1000番台の両数はごくわずか)。また、福井県若狭湾沿いの小浜線には敦賀区のキハ58系やキハ48のほか福知山区のキハ47も乗り入れていました。このほか、滋賀県内では三重県と結ぶ草津線でも1980年電化までのわずかな間だったが、キハ40系(亀山機関区)の運用が存在していました(草津線についてはキハ35系が主体。一方、信楽線は急勾配路線ゆえ2エンジン車のキハ58・55・53などを中心にキハ35も連結)。
大阪府内でも過去にキハ40系の定期運用列車は存在しており、片町線長尾-木津間(大阪府区間は京都府境までのわずか1kmほど)と福知山線普通列車(大阪府内区間は東海道本線大阪-尼崎間のみ)が該当します。さすがに大阪駅にキハ40系(キハ47)が定期列車で乗り入れていたとは驚きでしょう。臨時列車も含めば、関西本線湊町(現・JR難波)発着伊賀方面ハイキング号にキハ40系が連結されることもあったらしく(キハ58系とキハ35が主体だが)、したがって天王寺駅にキハ40系が乗り入れていた可能性もあります。
奈良県についてはキハ35系という印象が強く、キハ40系は馴染み薄いようです。実際、キハ40系が製造される頃は県内の桜井線・和歌山線も電化開業(1980年)、非電化で残った奈良駅以北の関西本線・奈良線・片町線(主に京都府南部)でキハ40系の運用がありました。奈良県内からキハ40系が姿を消したのは関西本線亀山-加茂・奈良間普通列車が全てキハ120系に置き換えられたとき(1994年)。奈良線・片町線はもちろん電化されています。
和歌山県内の一般型気動車はやはり和歌山線キハ35系のイメージが強いが、紀勢本線新宮以東・三重県内区間普通列車ではキハ40系がキハ35系やキハ58系ほかと混結で運用されていました。2016年春に紀勢本線からキハ40系が引退、キハ25系に置き換えられたことは記憶に新しいですね。
コメント
コメント一覧 (3)
製造時期は50系客車も同じく1977~83年でしたが、
平成になってから大量に廃車となった50系客車とは異なりキハ40系シリーズはほとんどが21世紀になってからも大活躍で今も東海を除く5社はキハ40系が現役です。
1957~63年に大量に製造されたキハ20・22・52系の置き換え時期だった事情もありました。
最初にキハ40系シリーズが投入されたのは福知山地区だったのも意外でした。
新線開業について1977年は気仙沼線開業(12月)がありましたが、その後の国鉄新線にローカル線開業はありませんでした
(非電化新線は1981年10月の石勝線のみ。しかも旧楓駅~新狩勝信号所は特急しか走らない)。
キハ37系は1983~84年、久留里線と加古川線系統(加古川・高砂・三木・北条・鍛冶屋の各線)に投入されましたが、
古い車両を長く使うはずのJR西日本にしては珍しくキハ37系の扱いはよくなかったようです。
加古川線キハ37系は1999年に山陰本線松江地区へ転出されたものの2003年に休車、米子運転所に長らく放置された後の2009年に廃車となりました
キハ37系は皮肉にもJR東日本の方が長生きし、しかも現在はJR西日本エリアの倉敷市にある水島臨海鉄道へ譲渡されています
キハ37は量産の計画もあったそうだけど、わずか数両だけで製造が打ち切られましたね。
加古川線のキハ37は加古川色に塗装変更されるが米子へ転属したとき首都圏色に戻り注目を集めました。
加古川線キハ37が米子へ転属した時は首都圏色に戻り話題となったものの4年で休車は想定外だったでしょう。
山陰本線鳥取~益田間の高速化事業が原因ですが、
当時キハ45が走っていた山陰本線山口区間(益田~下関)、
当時キハ52が走っていた大糸北線、
当時キハ28・58系の天下だった氷見線・城端線
へ転属してもよかったのではと思いました。
加古川線キハ40にはリニューアル車もありましたが、
2004年12月の電化後は氷見線・城端線(キハ28・58系を置き換え)や姫新線姫路口(姫路~上月。後にこの区間はキハ127を投入)へ転属しています。
キハ37が量産化されなかったのは、急行の相次ぐ廃止でキハ28・58・65が余ったこと、
国鉄末期で特定地方交通線の廃線・3セク化がかなり進められたこと
(皮肉にもキハ37が登場した時期に北海道の白糠線が開業からわずか11年で廃止された)、
川越・越後・弥彦・福知山・奈良・和歌山の各線の電化時期と重なった
のもありました。