京阪バス寝屋川営業所の過去路線について一つレポートさせていただきます。
今回はロングラン路線【1】号経路・<寝屋川市駅~京阪京橋>。
運行経路は、
寝屋川市駅~寝屋川車庫前~仁和寺~黒原~大久保~大庭住宅前~佐太二番~大日~八番~八雲~地下鉄守口~京阪守口市駅~土居~太子橋~千林~高殿~蒲生四丁目~京阪京橋
で、かつての京阪国道線を系統分割したもの。寝屋川市駅~守口市駅間~土居間は現在の【1】号経路と同じ経路、守口市~京橋間は国道1号線(京阪国道)を走行するというものでした。大阪市内区間(太子橋~京阪京橋)はもちろんのこと大阪市営バス(現【35】系統<守口車庫前~今里筋~杭全>ほか)との共同区間で、京阪バスは事実上の快速運転でした。守口市から南下する国道1号線は蒲生四丁目で右折して西へ進路を取り、梅田新道で同2号線に繋いで神戸方面へ。蒲生四丁目をそのまま南へ直進すると今里筋、東住吉区の杭全(くまた)や住道矢田(すんじやた)などへ至ります。蒲生四丁目~京橋間は大阪駅・梅田と鶴見区・大東市方面を結ぶ大阪市営バス(【36】系統など)や近鉄バス阪奈生駒線と競合していました。
運行本数は1982年当時は1日6往復程度の運転だったが、末期は平日ダイヤのみの3往復に減便、2008年10月廃止。1980年~90年代前半当時、大阪・京都間を路線バスのみで移動する際、
京阪京橋~【1】~寝屋川市駅~【16】~枚方市駅~【28】~樟葉駅~【52】~中書島~【81】(京都市バス)~京都駅
といった乗継が可能でした。【16】号経路は同じく京阪国道線の残滓でBタイプ車で運用されることが多く、樟葉中書島線【52】号経路(枚方営業所担当)も時折Bタイプ車が入ることがあり、かなり豪華な乗り継ぎ旅が可能だったことになります。
コメント
コメント一覧 (4)
私も京橋から寝屋川市駅まで【1】号経路に乗車したことがあります。1990年代初頭の頃で、乗った車両は大型車P-HT235の2段窓でした。末期はほぼ中型車ばかりだったようです。旧【16】号経路には残念ながら乗ったことはないが、枚方市駅北口で時折ブルドック(メトロ窓でない)のBタイプ(B-1508,1509)とかメトロ窓のRC(B-3461)を見かけた記憶があります。
寝屋川市~守口市は昼間は寝屋川市~大日まで(経由バリエーションは増えましたが…)と大日~守口市(~吹田駅)にわかれてしまい、またしても『京阪グループバスカード』の出番になってしまいますな。
地下鉄谷町線の守口・大日延伸は京阪バス守口・寝屋川地域の低迷ばかりか、京阪電車や京阪守口市駅前、土居商店街にも大きな影響をじわじわもたらしていると改めて感じました。谷町線と大阪モノレールの接続する大日は梅田や大阪空港へ便利な地点となり、イオンモールが開業して既存の京阪百貨店や商店街は吸い取られる形に。バスも大日を中心とする路線に再編され、京阪守口市駅の求心力は低下。京阪が梅田に乗り入れていたら・・・。