国鉄時代は廃止されても不思議ではないローカル線だったのが、JR発足前後になって電化・本数増発などの輸送大幅改善が行われ都市鉄道として急成長を遂げた路線。片町線(学研都市線)、福知山線、奈良線、筑肥線、川越線、札沼線、・・・。このうち、奈良線については、同じ大阪近郊の片町線や福知山線などと比べると、やや独特の意味での急進を成してきたのではないかと思いました。

奈良線は二大観光都市の京都・奈良を結ぶ路線(正式な区間は京都-木津間、京都府内のみで完結しているが、列車は全て京都-奈良間を通して運転)。にもかかわらず、国鉄時代は並行する近鉄京都線や京阪宇治線とは競争相手にもならない単線非電化のローカル線。新幹線から奈良大和路へは京都駅で近鉄乗り換えというのが昔からの定番ルートとなっています。

その奈良線も1984年10月にようやく電化され、キハ35系などの気動車から105系・113系電車に代わりました。ただ、依然として単線だったこともあって近鉄などから旅客の流れを変えるには至らず、普通電車オンリーでローカル線のムードが残ったままでした。それでも、京都-宇治・城陽付近までは沿線の住宅地開発が進んで列車本数を大増発、利用客は徐々に増加。1991年より快速電車の運転も始まります(当初は117系)。その後新駅の設置も進み、少しずつ都市鉄道への脱皮を図ります。普通電車は基本的に103系に統一されます(105系は桜井・和歌山線用、113系は廃止)。複線化工事も始まり、2001年には東福寺-JR藤森間と宇治-新田間の複線化が完成。快速電車も増発され<みやこ路快速>になると同時に221系を投入。1990年代半ばの一時期、奈良線に短距離の特急を走らせる構想もあったが、快速電車の増発に落ち着いたようです。

近年のインバウンドで奈良線には外国人観光客も多くなり、特に伏見稲荷大社は大繁盛で京都-稲荷間は大混雑が常態化。気動車がのんびり行き来していた国鉄時代から大飛躍を成し遂げたものです。まだ単線区間が残るとはいえ、少なくとも京阪宇治線を追い抜いたようです(ただ、奈良大和路方面へは依然として近鉄が優勢のようだ)。京都駅の奈良線のりばは国鉄時代は1本しかなかったのが、列車本数に合わせて3本に増設され、以前よりも柔軟にダイヤを組みやすくなりました。京都-長池間の完全複線化工事も本格的に始まり、2022年ごろまでに完成する予定です。また、平成初期に開業した六地蔵駅には京都市営地下鉄東西線と接続、JR六地蔵駅前は嵯峨野線の二条駅とともに交通の便利な地点として人気急上昇のようです(反対に京阪宇治線の六地蔵駅は寂れているように見える)。

ここ35年ほどのJR奈良線の急進は、同じ木津から発着する片町線(学研都市線)とはその内容がかなり異なるように思います。片町線は京都府内区間にあたる長尾-木津間が長年非電化で1・2両の気動車が行き来するローカル線だったが、奈良線に5年遅れて1989年全線電化。その後、JR東西線(京橋-尼崎間)開通を前に207系電車を投入、1997年の開通以降は片町線からJR東西線経由宝塚・三田・神戸方面への直通電車が終日運転。京都府南山城地域(および大阪府北河内)と兵庫県阪神間が一本の電車で結ばれるようになるのは夢のようでした。これも同志社大学京田辺キャンパスの恩恵と言えるでしょう。そして2010年には木津まで7両編成の207・321系が入線。ただ、片町線の快速電車も京都府内区間(単線区間)は各駅停車となり、奈良線に比べるとさほど賑わっていないように見えます。近年、片町線ではダイヤ改正ごとに列車本数の削減(昼間時間帯快速の塚口打ち切り、四条畷以東各駅停車の「区間快速」化、ほか)が続き、合わせて片町線各駅に乗り入れるバスの本数も減便され、特に津田駅はかなりひどいものです。枚方市東部・交野市や片町線沿線が寂れるのも、やはり2005年の福知山線尼崎事故と無関係ではないでしょう。ただ、奈良線ほど観光資源に恵まれているわけでなく、平成初期ごろまでに街開きとなった沿線の新しい住宅街(星田・妙見坂、ポエムノール北山、ほか)も少子高齢化が進み、大学キャンパス撤退の動きもあることなどの要因は大きいと思われます。

ついでに言うと、片町線の京都府内区間は近鉄京都線と並行しており、やはり近鉄のほうが最大6両編成でありながら列車本数は多くて車両の顔ぶれもバラエティに富み(伊勢志摩ライナー、しまかぜ、汎用特急車、京都市営地下鉄烏丸線10系、ほか)、賑やかですね。