かつて京阪宇治交通が信楽まで乗り入れていた件について、コメントでご質問をいただいたので、もう少し詳しくレポートを。

京阪宇治交通が信楽まで乗り入れたのは、1963~68年のわずか5年のみでした。

もともと宇治田原町東部の茶屋村まで路線が延びていたが、隣接する信楽町(現・甲賀市)の府県境付近・朝宮地域は宇治田原や和束と並んでお茶の生産が盛んで、宇治田原から信楽への公共交通が望まれていたとのこと。京阪宇治交通として信楽までの乗り入れをめざし、まず1963年には茶屋村から府県境を越えて石倉橋まで延伸。信楽へは石倉橋で国鉄バス近城線乗り換えという形が取られました。そして1965年には待望の信楽まで開通。

しかし、実際に信楽まで通す利用客は少なかったみたいで、わずか3年後の1968年には信楽町から撤退、茶屋村以東が廃止されました。

その後、1990年代末ごろ、宇治田原町東部から京阪宇治交通が撤退、奥山田・茶屋村方面へは町営バスに代替されます。

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茶屋村バス停 京阪宇治交通時代のバス停標識は残っていた(2012年)


【参考資料】
『京阪宇治交通~地域愛をのせて~』 三浦 理司(1993年)