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京都市長選挙はある意味、とても面白い大型選挙と言えます。 

京都といえば共産党が全国で最も強い都道府県であり、かつて共産党推薦の蜷川虎三が京都府知事を7期28年間(1950-1978)務められました。蜷川知事の実績について、「憲法を暮らしに生かす」をモットーに、住民の暮らし・福祉が第一の地方自治実現にどこよりも熱心だったと高く評価されています。

京都府政が自民党など「オール与党」に変わって以降も、京都では共産党の強い地盤をバックにした政治戦が繰り広げられ、とりわけ参院選では共産党が議席を取れる数少ない「自共対決」の選挙区として、全国的に注目を浴びてきました。京都市長選も自民党その他「オール与党」 対 共産党という構図を展開し、しかも僅差の勝負になることも珍しくありません。

私個人的に1996年2月の市長選が、今でも強く記憶に残っています。
桝本頼兼(オール与党) vs 井上吉郎(共産党)の対決で、

桝本 225,597
井上 218,487
(投票率41.59%)

という、まさに数千票差の勝負でした。

共産党系の候補が僅差で惜敗したわけだが、この結果はその後の国政に強いインパクトをもたらしたと言えます。


同年10月の衆院選は小選挙区制導入後初の選挙であり、共産党など少数野党にはきわめて不利とされる制度のもとでも共産党は大躍進。比例代表で26名、小選挙区でも唯一京都3区で当選。得票数でいえば700万票に及び、確か躍進の時期だった1970年代を上回るものでした(1970年代当時は中選挙区制、共産党は40近くの議席を獲得していた)。

共産党が20数年ぶりの大躍進したことにより、共産党が自民党政治に代わる「民主連合政府」構想を打ち出し、私個人的にこれに大いに期待してみました。

当時、野党再編の途上にあり、小沢一郎を中心とし創価学会をバックとする新進党と、菅直人・前原誠司・枝野幸男らが中心の「さきがけ」→民主党が有力で、議席大幅増の共産党もかなり存在感を発揮していました。他方、旧来の野党第一党だった社会党は自民党やさきがけと連立政権入りしたことにより支持を失い、社民党に名を改めると同時に弱小政党に転落(→共産党躍進の背景に、旧・社会党支持層からの流れ込みもかなり多かったと言われている)。

共産党を除く野党のゴタゴタ(離合集散)が続く中、新進党は空中分解(→その後、小沢一郎らは自由党を結成)。1998年参院選では民主党と共産党が大躍進し、自民党は苦戦。前年1997年の消費増税5%への痛烈な批判を反映したものでした。共産党は東京・神奈川・埼玉・愛知・京都・大阪・兵庫など大都市圏を中心に選挙区で議席を獲得しました。とりわけ京都で野党系2人が当選、自民党が落選したのは印象的でした。この選挙結果を受け、橋本龍太郎内閣は退陣に追い込まれました。

参院選と同日投票の東大阪市長選で共産党員市長が誕生したことも嬉しかったです。人口50万・中小企業都市での野党系市長の登場は、民主連合政府実現へ大きく一歩踏み出したという期待感を高めたものと思います(ただ、その後は長く続かず、4年後に落選。さらに4年後の2006年には返り咲くが、自民・公明議員らの不当攻撃により翌年再選挙となり、またしても市長の座を失う)。


ただ、2000年以降、共産党は国政・地方選とも苦戦が目立つようになります。

自民党は1998年参院選での敗北に危機感を強め、公明党と連立政権を組むことに。公明党は「自民党の暴走を止めるブレーキ役」などと言ってるが、ここ20年間でどうなったのかは改めて言うまでもないでしょう。自民党の得票も公明党・創価学会に支えられているのが現状のようです。

2001年の小泉純一郎内閣誕生後、「弱肉強食」「自己責任」などを煽る小泉ブームにあやかって自民党が勝つことも多くなります。
一方、共産党除く野党のほうでは、民主党一本にほぼ収斂(2003年民主党と自由党が合流)、小沢一郎らが主導して政権交代を目指します。マスメディアの「自民か民主か」「二大政党制」宣伝の煽りを食らい、共産党は苦戦気味。

そのうち、度重なる共産党の苦戦および旧態依然とした組織体質などに嫌気するようになりました。
自民党が圧勝した2005年「郵政解散」衆院選前後からか、「共産党は民主党他の野党との協力に前向きでなく、反自民票を分断している」、との不満の声が野党支持者の間で強まり、「共産党は自民党の補完勢力だ」との論難がネット等で多く見受けられるようになります。私個人としても、やはり同様のことを真面目に思うようになりました。


その後、2007年参院選で民主躍進・自民党大敗、2009年民主党政権実現と頓挫、自民党政権復活と顕著化する独裁政治、野党多弱化という経過をたどるのは周知の通り。

一方、安保国会の2015年になって、共産党もようやく野党共闘に前向きの姿勢を見せるばかりか、熱心に野党共闘勢力を育て上げリードする立場に。共産党が小沢一郎・岡田克也ら他の野党党首と街宣などで仲良く並ぶことは、かつて見られなかった光景で、「共産党を見直した」という野党支持者も多かったと思われます。

野党共闘の市民運動の動きが強まる中、2017年衆院選直前の民進党身売り・野党共闘破壊騒動を機に、枝野幸男が「枝野立て!」の声に押され立憲民主党を結成。「反自民」の有力な受け皿になりうる大きな野党勢力が一つ生まれたのは嬉しかったです。旧来の社会党・民主党・民進党とは異なり、労働組合や大組織に頼らず、いわば野党再編や離合集散には与せず、草の根の市民を対等なパートナーと位置づけて政権を預かれる政党に育て上げるという、今までになかった試みがなされています。


京都政界の最新のニュースとして、本年2018年1月、自民党の実力政治家で知られる野中広務(南丹市園部町出身)が逝去。長年共産党とは対峙し、オール与党体制の京都府政を支える一翼を担っていたが、今時の反知性主義な2世3世議員たちとはちがい、確固たる政治理念や道徳観のあるまともな方であり、敬意を表したいです。

他方、京都出身の野党政治家について残念な話もあります。それは前原誠司(京都2区)。もともと”共産党嫌い”、そして「反小沢」の一人として知られ、菅直人や枝野幸男らとともに、さきがけ→民主党→民進党という道を歩まれてきました。2016年北海道補選のときには、犬猿の仲だったはずの共産党と同じ宣伝カーで一緒になって野党共闘に前向きになったのかと思いきや、2017年衆院選直前になって小池百合子(都知事)との密約で野党共闘を裏切り、民進党をネオリベラルの「希望の党」に身売りすると打ち出し、野党支持者の怒りを買うことに(その後、枝野・菅らはすぐ立憲民主党を立ち上げ、野党共闘破壊の危機から間一髪で救ったが)。