京都京阪バスに残る旧・宇治交色(クリーム色に紫色のラインのカラーデザイン)も本年秋に引退する模様です。
この宇治交色が登場したのは1983年。
京阪宇治交通(株)の創業60周年を記念したものであり、既存の車両も順次この新しいカラーに変更され、以降2000年までに導入された車両がこのカラーとなりました。
京阪宇治交通は2006年に解散、樟葉・男山・京田辺地区は京阪バス(男山、京田辺営業所)、宇治地区は京阪宇治バス(宇治営業所)→京都京阪バス(八幡営業所)にそれぞれ継承されます(正式に言うと、京阪宇治バスは京阪宇治交通の子会社として設立。親会社の「京阪宇治交通」運行エリアが京阪バスに吸収され、京阪宇治バスが京阪宇治交通の事実上の後継会社となった)。京阪宇治交通の創業地・宇治田原方面に路線を持つ京都京阪バスが、宇治交の伝統を受け継いでいます。
京都京阪バスには年式の古い一部車両に旧・宇治交色が残っていたが、最近は京阪バスからそのままの色で移籍するものもあったりして、少々複雑になっています。一方、京阪宇治バス時代に京阪バスから移籍した古い車両たちは旧・宇治交色に塗装変更されたが、大半は既に引退したものの、日野ブルーリボン1台(社番2314)だけが本年夏まで現役でした。2314は1992年式(社番1桁目の「2」が年式を示している)で、およそ26年間にわたって活躍していたことになります。
コメント
コメント一覧 (4)
京阪宇治→京阪バスに1992年製が26年も現役だったとはびっくりします。昔の京阪バスは7~8年で新車へ代替だったのに。
くずはから消えた物といえば、京阪宇治交通だけでなく同じ京阪グループだったK-CAT(関電へ売却しeo光テレビへ統合消滅)を思い出しました。
実家が旧K‐CAT→eo光テレビの加入世帯であり、
リモコン「11」を押してK‐CATチャンネル(現・eo光チャンネル)を見たことが頻繁にありました。
大阪r18沿いジョーシンの斜め向かいにあった旧K‐CATの特徴的な建物は現在は塾になっているようですが
京阪バス・京阪宇治交通はかつては10年以内で車両代替でした。
今ではバス車両の平均寿命と言われる15~16年間使用されることも当たり前になり、その後地方のバス事業者へ嫁いで第二の人生を歩むものも多く、全体的に20年以上の長寿化しているように思います。
岩手県・高知県・沖縄県は21世紀になった時点でもモノコックバスの天国と呼ばれていました
(青森県八戸地域や佐賀県唐津地域も。近隣の奈良交通もこの時点では少数となっていましたがまだモノコックバスが残っていました)。
しかし、それから10年後の2011年には定期運行のモノコックバスがほぼ消滅し、
モノコックバスは動態保存車がイベントで走るくらいになりました。
>懐かしのK-CAT
京阪電鉄のケーブルテレビ事業は2008以前は枚方市以外の北河内地域(四條畷市田原を除く)でも
岩手県・高知県・沖縄県は21世紀になった時点でもモノコックバスの天国と呼ばれていました
(青森県八戸地域や佐賀県唐津地域も。近隣の奈良交通もこの時点では少数となっていましたがまだモノコックバスが残っていました)。
しかし、それから10年後の2011年には定期運行のモノコックバスがほぼ消滅し、
モノコックバスは動態保存車がイベントで走るくらいになりました。
>懐かしのK-CAT
⑪eo光テレビに吸収される前の旧K‐CATは京阪電鉄が運営したケーブルテレビ事業であり、
八幡市と京田辺市に跨がる京阪東ローズタウンは全世帯が加入、
枚方市東部の尊延寺・穂谷地区は9割の世帯が加入だったと思います。
KCATチャンネル→eo光チャンネルは地デジもそのまま11chですが、
全国的にCATVのコミュニティチャンネルは地デジ11chが使われる傾向となっています。
アナログ親局11chだった民放は全国9局ありましたがどの局も地デジは11を踏襲せず8以下の若い番号を獲得したため、
空いた11がCATV用になったようです。
2007年以前のK‐CATは枚方市以外の北河内地域(四條畷市田原を除く)でも展開していましたが、そちらは⑪JCOM北河内になっています。
そういえば実家から大阪r17→大阪r18経由でくずはへ向かう場合、大阪r18に樟葉駅への案内標識がないため旧K‐CATの建物を左折の目安にしていました
(市道を右折した場合は京都r735やR1を経て京都r736→京都r282を走り八幡市岩田で京都r22に交差。r282終点は京都r69城陽市役所前交差点だが木津川で分断されている)