京阪5000系第二編成(5552F)が引退しました。
5000系は日本初の多扉通勤車である5ドア車として、1970~80年に7両×7本製造されました。
しかし、京橋駅ホームドア導入が予定されているために、5000系の引退が決まっています。5000系よりも古い1000・2200・2600系0番台が既に50年を超えながらまだまだ現役で活躍しているのに、5扉であることがホームドア導入の障害となっているがゆえ、早期引退を強いられたわけです。既に最終編成5557Fは2016年に生涯36年の短命にて一足お先に引退しました。
さて、5552Fといえば、もともと4両と3両に分割できる仕様となっていて中間に運転台も設けられていました。これまで、5000系は原則として7両固定編成で運用されてきたが(初期の第1・2編成のみ3+4に分割可能の仕様だったのは、当時稼働中だった深草車庫への長編成入庫が不可能だったこともあるほか、5ドア・アルミ車体の特殊構造ゆえ製造コストが高いため、両数を必要最小限にすべく先頭車の予備を確保するためだったとされている)、5552Fについては、一時的に短い4両編成(5552-5152-5252-5652)として宇治線の運用に入ったこともあります。それは1980年の枚方置石事故で5554号が大破したことにより、大阪方4両(5854-5104-5204-5604)が暫定的に3連口5002-5202-5602と暫定的に7連を組み、余剰となった4連口5552~5652が営業運用に入ったためです。1980年の年末に2代目5554号が製造され、元の編成に戻りました。
ちなみに5554Fも近々引退すると見られています。
5000系は日本初の多扉通勤車である5ドア車として、1970~80年に7両×7本製造されました。
しかし、京橋駅ホームドア導入が予定されているために、5000系の引退が決まっています。5000系よりも古い1000・2200・2600系0番台が既に50年を超えながらまだまだ現役で活躍しているのに、5扉であることがホームドア導入の障害となっているがゆえ、早期引退を強いられたわけです。既に最終編成5557Fは2016年に生涯36年の短命にて一足お先に引退しました。
さて、5552Fといえば、もともと4両と3両に分割できる仕様となっていて中間に運転台も設けられていました。これまで、5000系は原則として7両固定編成で運用されてきたが(初期の第1・2編成のみ3+4に分割可能の仕様だったのは、当時稼働中だった深草車庫への長編成入庫が不可能だったこともあるほか、5ドア・アルミ車体の特殊構造ゆえ製造コストが高いため、両数を必要最小限にすべく先頭車の予備を確保するためだったとされている)、5552Fについては、一時的に短い4両編成(5552-5152-5252-5652)として宇治線の運用に入ったこともあります。それは1980年の枚方置石事故で5554号が大破したことにより、大阪方4両(5854-5104-5204-5604)が暫定的に3連口5002-5202-5602と暫定的に7連を組み、余剰となった4連口5552~5652が営業運用に入ったためです。1980年の年末に2代目5554号が製造され、元の編成に戻りました。
ちなみに5554Fも近々引退すると見られています。
コメント
コメント一覧 (4)
5552~5554Fは1971年に製造されましたが、
1971年は京阪電車が激変した年で、
6月に守口駅が守口市駅へ改称、新門真(現在の門真市)駅が開業、樟葉駅が移転、中宮駅が宮之阪駅へ改称、
8月に基本ダイヤを20分パターンから15分パターンへ変更(これを機に旧3501Fが登場)、
11月に5552~5554Fの運行開始
が行われています。
京阪5552~5554F運行開始とほぼ同じ1971年11月1日に北河内郡交野町が市制し交野市になりましたが、
交野駅が交野市駅へ改称されたのは6年後の1977年11月(八幡町駅が八幡市駅へ改称と同時)でした。
5553F以降は分割できない編成になりましたが、旧深草車庫が淀へ移転するまでは寝屋川車庫と旧守口車庫に制限されていたようです
激しい音だったので付近を走る枚方バイパスでの事故かと思って見に行ったけど、事故など起きて無くやがてテレビのテロップに京阪電車が脱線して付近の家に突っ込んだと表示されてました。
当事者達が考え無しで行ったチョットしたイタズラが、取り返しのつかない大惨事を引き起こした瞬間でした。
5000系は5枚扉故の工夫もあり、閑散時に2つの扉を閉じて座席を下ろすだけで無く、クーラーも5台搭載しており、その内の3台(2台か?)は暖房機能も備えていて、冬季使用時には温風が出るようになってました。
床下ヒーターだけじゃなかったようです。
7200系以降は冷暖房対応になったようですが…
7両固定編成は旧・深草車庫への入場が不可能でしたね。
旧3000系特急車は分割併合可能(3+3、3+4)となっていて、深夜時間帯には深草車庫入庫のために3両編成の特急も運転されていました。これは深草車庫廃止後も京都地下線開通まで残りました。
置石事故では死者が出なかったのは不幸中の幸いでしたね。
これ以降、線路内に立ち入りができないよう高いフェンスや塀が設置され、撮り鉄の難易度が上がったのは残念ですが、不届き者のいたずらを防止するためには仕方ありません。
5000系の温風は温かくよく暖房が効いていますね。5000系はラッシュ用ドアの両側に昇降レールの柱が付いているため、壁にもたれかかって寝れるので、私個人的にお気に入りです。