国鉄時代の旧型客車列車について、国鉄最後の1986年11月ダイヤ改正までに、和田岬線(山陽本線兵庫-和田岬)を除いて定期列車から引退したことは、ご存知の通りです。

さて、国鉄末期の旧型客車列車について思いつくままに書いてみたいと思いました。


旧型客車の整理は1984年2月ダイヤ改正から本格的に始まったものと思われます。

このダイヤ改正で、まず福知山線の旧型客車使用の普通列車は一部50系化されました。小浜線・舞鶴線にも1980年代前半まで客車列車が残っていましたが、廃止(→気動車化)時期は1984年2月ダイヤ改正だったと思います。

紀勢本線でも1984年2月ダイヤ改正で紀伊半島一周の夜行<はやたま>(天王寺・和歌山市ー亀山間、天王寺-新宮間は寝台車を連結)は12系化されると引き換えに、新宮以東の直通は廃止されました。合わせて新宮以西(紀勢西線)は12系化(→2年後1986年11月改正で紀勢本線の客車列車は全廃)。

なお、この改正の2年前、1982年5月ダイヤ改正で和歌山線に1往復だけ残っていた客車列車は50系化されました(1984年10月全線電化と同時に廃止)。


1985年3月ダイヤ改正では東北地方に多く残っていた旧型客車列車は、東北本線一ノ関以南および常磐線では電車化(455系ほか)、他は12系・50系に置き換えられ、旧客は全廃。

北陸本線でも客車普通列車は支線区直通を除いて全廃されます(→電車化)。

山陰本線については、京都口で50系化と同時に福知山で系統分割され、京都発着福知山以西への直通普通列車は廃止。福知山線は一部を除いて12系に置き換えられ、冷房化サービスの実現となります(50系の運用はわずか1年で廃止)。

紀勢本線新宮-亀山間も50系化され、亀山機関区所属で草津線と共通使用となります。


1985年3月ダイヤ改正以降、旧型客車列車が残るのは山陰本線福知山-米子・出雲市間、福知山線篠山口-福知山間、函館本線、および和田岬線のみとなります。私個人的に1986年夏、福知山-和田山間のみで旧型客車に乗りました。旧型客車のデッキ外客用扉は常に開きっぱなし(または手動式)で、安全性の問題が指摘されていました。


1986年11月ダイヤ改正では福知山線・山陰本線(宝塚ー城崎間)電化開業により、夜行<だいせん>1往復を除き電車化され、山陰から旧型客車は全廃。京都-福知山間と豊岡以西に残る客車列車は12系または50系化されます。

函館本線については函館-札幌間直通の夜行普通列車などもあったが、旧型客車全廃と同時に、優等列車(特急)は全て室蘭本線・千歳線経由となり、長万部-小樽間(通称・山線)は本線とは名ばかりのローカル線となってしまいました。


JR発足後も唯一旧型客車の残った和田岬線。和田岬線は港町の工場通勤者のための路線と化していて、列車は通勤時間帯に合わせ朝夕のみの運転となっています。さすがの和田岬線も1990年10月にはキハ35×6連に置き換えられ、さらに2001年には電化、103系で運用され今日に至ります。