1989年(平成元年)前後の枚方・交野近辺について思いつくままに挙げてみることにしました。
1989年といえば、
○JR片町線(学研都市線)長尾-木津間電化、松井山手駅開業、片町線に快速電車本格運行開始
○京阪鴨東線三条-出町柳間開通、新型特急車8000系登場、京阪線冷房化率100%達成
○翌年の「花の万博」開催を前に、京阪のPRラッピング編成3本登場(1000・2200・6000系)
○枚方近鉄百貨店(→近鉄百貨店枚方店)大改装
○京阪バス夜行高速枚方~新宿系統運行開始
○翌年3月、枚方市駅本線大阪行きホーム高架化
○翌年4月、枚方ビオルネがグランドオープン
といったところでしょうか?
昭和から平成に変わり、折りしもバブル経済絶頂期。バブルのピークは翌年1990年までと言われるが、日経平均株価は1989年年末に40,000円手前でピークを付け、その後長期下落が続くことに。
枚方から新宿へ直通する夜行バスが登場したのは、私個人的にサプライズでした。その後、枚方から福岡・長崎・熊本方面へのバスも運行開始するが軒並み廃止、現在は枚方新宿線のみが存続しています。
近鉄百貨店のロゴマークは前年1988年あたりに刷新、枚方近鉄も店内大改装でした。確か改装と同時に6階ファミリー食堂はなくなり、うどんメニュー中心の「ファミリー四国」に変わりました。三越の大食堂も1989年の時点で既になくなっていたように記憶しています。
京阪電車については、唯一の非冷房車・2代目1800系がひっそり引退、冷房化率100%を達成。10月には鴨東線が開通、京都洛北へ飛躍的に便利になりました。新型特急車8000系は大好評を博し、旧3000系を置き換えることになりました。枚方市駅の高架化事業も進み、1990年春大阪方ホーム立体化完成に続き、1991年には交野線も仮設ホームで高架化(→この間、交野線と本線との乗り換えが不便だった)、1992年までに全ホームの高架化が完成しました。同時期、交野線全線複線化も完了、ローカル線の雰囲気だった河内森駅も近代的な地下改札口・エスカレーター・エレベーターが設置され、大きく変わりました。
この時期、世間は大阪・鶴見緑地で開催される1990年花博で盛り上がっていました。京阪電車ではラッピングPR編成を用意。鴨東線開通や枚方市駅高架化供用なども、花博開催までに間に合わせたような感じでした。会場最寄の百貨店・ショッピングセンターである京阪百貨店守口店および京橋の京阪モールなどは花博商戦ムード満開だったと思います。
枚方ビオルネのオープニングセールもやはり大盛況でした。以降、ここで服や家電製品を買ったり食事にも寄るようになるが、2008年の枚方ビオルネ破産前後あたりからか、以前に比べて魅力が落ちてしまったような感じがします。
1989年の時事ネタといえば、消費税導入(3%)と参院選での自民大敗・社会党大躍進が筆頭に浮かびます。当時の社会党党首だった土井たかこさんの「山が動いた」は1989年を代表する言葉でしょう。海外では「ベルリンの壁」崩壊=東西ドイツ統一を皮切りに旧・共産主義体制崩壊が始まり、1991年の旧・ソ連解体へと雪崩を打ちました。この世界情勢のあおりを受け、社会党躍進とは対照的に、旧・共産主義のネガティブイメージとダブる日本共産党は苦戦を強いられました(→最近になって、日本共産党は旧共産主義の抑圧体制とは無縁な「まっとうな野党」として、少なくない国民に認識されるようになったと思うが・・・)。
コメント
コメント一覧 (12)
あの頃は平成という新時代の到来とバブル景気で関西のみならず日本全体が盛り上がっていましたね。
大阪の花博がその象徴です。
京阪の輸送量もあの頃がピークでしたね。
その後地元経済の地盤沈下や競合路線の増加により京阪の利用客は落ち込みました。
あとビオルネと言えば上の方に滝の流れるレストランがありましたね。
いかにもバブル、という感じでした。
メインテナントもビブレ→サティを経てイオンになりましたね。
翌年の大阪花博は小1でしたが行きました。懐かしいです。
1989年の阪神間は
阪神8000系(1984年登場)が増加傾向にあり、
JR琵琶湖線・京都線・神戸線は221系投入
(大和路線も)、
阪急神戸線・阪急宝塚線は8000系投入がありましたが、
阪急8000系は1989年1月1日登場でしたから1週間しかなかった昭和64年登場でした。
阪神高速に路線番号が導入されたのも1989年でした
(7号北神戸線箕谷延長、16号大阪港線全通に伴う)。
1990年3月18日に長崎屋火災があり、長崎屋が後に倒産する要因になりました。
政治については
1989年は4月に消費税導入で竹下氏(島根県)が首相退陣、
宇野氏が滋賀県出身初の首相となったが不倫スキャンダルが発覚、
6月25日の東京都議選と7月23日の参院選で自民党が惨敗し宇野氏は首相を3か月で退陣、
海部氏が愛知県出身初の首相に就任しました。
海部氏は年明けに衆院を解散、1990年2月18日に衆院選が行われました。
長崎屋火災の2日後、大阪市営地下鉄鶴見緑地線(現・大阪メトロ長堀鶴見緑地線)の京橋~鶴見緑地が飛び地開業しました。
長堀鶴見緑地線は大阪地下鉄7号線ですが、
6号堺筋線開業以来20年3か月ぶりの地下鉄新線でした
(現大阪メトロだと1981年3月にニュートラムが開業しているが、初代車両は1997年に登場16年で全廃しています)。
東京の地下鉄7号線は1991年11月29日に地下鉄初のホームドアを導入し開業した東京メトロ南北線ですが、
6号都営三田線開業から23年経っていたうえ飛び地開業でした
(その間、8号有楽町線、9号千代田線、10号都営新宿線、11号半蔵門線が開業したため)。
大阪駅から夜行急行「ちくま」に乗り長野駅へ、
善光寺を参拝、
レンタカーでR19を走り松本城を観光、
長野r67→R142で上諏訪町へ、
上諏訪町からひたすらR20甲州街道で東京駅まで行き
(高速料金節約のためE20中央道を走らず)
父が東京駅前でレンタカーを返却、
大手町から営団(当時)東西線で浦安へ行き京成バスでTDLへ行きました。
TDL観光後に浦安市で宿泊。
帰りは京葉線を乗るが当時は新木場が起点でしたから
(新木場駅と葛西臨海公園駅は当時は福知山線道場駅と同じ扱いだったから「都区内の駅」ではなかった)
新木場から営団(当時)有楽町線で有楽町へ、山手線内回りに乗り換え東京駅から新幹線100系で新大阪へ帰りました。
1989年は今よりずっとにぎやかな時代でした。
枚方市駅は京都方面が高架になり、岡本町はビオルネの建設真っ只中でした。ジョフランも踏切の手前にありました。
家近くのバス通りも結構流行っていた印象です。
●コンビニが珍しい時代、桑ヶ谷のバス停近くにファミマがあった。
●宮ノ前橋バス停前のマンションテナントにバイク屋、ピザ屋(シカゴ)、ファミコンショップが入っていました。
●山之上のドコモショップのマンションはまだなく(田んぼ)、キリン堂のところはサンブックス(本屋)でした。
●リカーショップ「DON」のところはかつては1階が靴屋(ザ・シューズ)、2階にフランス料理店が入ってました。
反対に茄子作・東香里方面は、
●消防署横にエルハウスというカフェがありました(今はガソリンスタンドの一部)。
●はっちんは「八珍」で今より手前にあった。
●今のはっちんの所にはステーキハウス兵六がありました。
今より飲食店がたくさんあって流行っていたのがよくわかります。上記で紹介した店の大半がなくなってしまい寂しいかぎりです。
花博は翌年でしたが、よく乗り物トラブルが起こり、唯一トラブルがほとんどなかったのが、JR西日本の義経号。当時はさすが鉄道会社と思った気がします(後に信楽や尼崎があり、いまだ色々叩かれるのですが...)
あとプロ野球で近鉄バファローズの10.19、ダブルヘッダーで、当時中間テストだった気がしますが、時間含めて極限の勝負で、あの時ほど近鉄を応援していたのはなかった気がします。
翌年、2001年の優勝といつも劇的な球団でした。
阪急ブレーブス、南海ホークスと鉄道会社の球団がなくなったのもこの年でした。在阪大手私鉄で京阪だけがプロ野球球団を持たずでした。
やっぱり花博はバブルを象徴するイベントでしたね。
確かにあの頃が京阪の輸送量のピークでしたよね。
今、大阪で再び万博誘致の動きが活発だけど、果たして・・・。
ビオルネのレストラン街ですが、2008年ごろには全部閉まっていて廃墟でしたよ。バブルの賑わいはいずこへ、という感じでした。今、そこには確かハローワークが移転してきています。
長崎屋尼崎火災事件ありましたね。これが長崎屋倒産への引き金になるとは思いもしませんでした。枚方にも長崎屋があったが、2002年に閉店しました。長崎屋の入っていた建物は今も健在です。
社会党が強かったのは1990年衆院選の頃まででしたね。その後、連立政権入りをするなどワケのわからぬことをやらかし、支持を失って社民党に改め、弱小政党に転落しました。
山之上界隈はまだ田んぼが多く、わりと長閑な風景でしたよね。
山之上のリカーショップ「DON」ですが、あそこに靴屋さんがあったことは覚えていません。サンブックへはよく立ち読みに寄ったりしていました。桑ヶ谷のファミマは2002年ごろまであったように記憶しています。
宮ノ前橋バス停前のマンションのバイク屋さんは今もありますよ。
消防署横のエルハウス、全然覚えていません。
茄子作口交差点から釈尊寺方面へ行く道なりにローソンがありました。確か現在のアカカベ付近で1980年代前半ごろから営業していました。
ジョフラン、懐かしいですね。郡津や高槻にもありましたね。
花博ですが、乗り物トラブルが多かったこともあって、実は私個人的にあまり良い印象を持っていなかったです。JR西日本の義経号はがんばっていたみたいですが、調子に乗りすぎたのか、さっそく翌年に信楽事故をやらかしてしまいましたね。ちょうど信楽で陶芸博覧会が盛況だった矢先に、この悲惨な事故で全て台無しになりました。信楽事故はバブル経済の終焉を象徴するニュースでした。
宮ノ前橋のバイク屋は今もありますね。失礼いたしました。山之上から東田宮はバス通りでもまだ田んぼが結構残ってましたね。
桑ヶ谷のファミマはかつてバイトしていたので知ってますが、2005年に閉店→取り壊し→今の建物で酒屋に戻りました(ファミマの前身は酒屋)。
茄子作北町のローソンは今のセブンイレブンの敷地内だったと思います。ローソンは茄子作口側にもありましたが、いずれも2000年代には閉店していたと思います。アカカベ薬局はハッピーというスーパーでした。
一時期、茄子作住宅の通りにはローソンが2軒存在したことになりますね。
そういえば、茄子作東交差点(釈尊寺口)に一時期ファミマとかリカーショップが建ったこともあるが、跡形も無く消えてしまいました。
あのとき(2000年以前)はまだR168のバイパス線や第二京阪がなかったので、茄子作東交差点はまだT字路でした。茄子作南町や高田、星田北のあたりは一面田んぼや畑が広がっていました。
T字路の突き当たりにファミマがあって、少し寝屋川寄りにヴルドッグというリカーショップがありました。山之上あたりにもあったような気がしましたが、あまりよく覚えていません。
交野が原さんの言うように、茄子作口から釈尊寺に抜ける道には、かつて2軒のローソンがありました。ただ近すぎて互いの客を奪い合って潰したような気がします。