天王寺駅阪和線ホームに停車中の103系普通|鳳行き。この当時は大阪圏でもまだまだ103系が多かったが、阪和線から103系は姿を消し、大阪環状線・大和路線からも103系は撤退、残りは奈良線・和田岬線・加古川線・播但線となりました。本日、奈良に残る103系の団体列車が桜井線・和歌山線経由で橋本まで運転されたそうですね。
京阪旧3000系特急。新3000系の登場により1編成だけ残った旧3000系は8000系8531編成に形式変更されるが、翌年春の引退が発表され、3000系時代の車両番号を復刻表示するなど1971年登場時の姿を再現、有終の美を飾りました。
2012年春に登場した13000系。宇治線の運用に入っていた13005Fです。当初は支線用4連のみだったのが、2年後には本線用7連の13020番台も登場します。
京阪バス山科営業所の方向幕。山科特別仕様の青地幕ですが、赤い車体には不似合いのようです。
2011年春竣工の京阪香里園駅前新バスロータリー。当初、駅前広場に併設される「かほりまちテラス」にマクドナルドなどが入っていたが、相次ぐ不祥事による業績悪化で閉店してしまいましたね。
コメント
コメント一覧 (7)
もうそんなに経ったのかと思います。
時の流れは早いですね。
かなり昔のことみたいに感じてしまいます。
十年一昔ならぬ五年一昔ですね。歳月人を待たずです。
当たり前だった存在でこの間に消えたものも多く、日頃から何気ないものの写真を残すことの大切さを改めて感じました。
2004年5月以前の松坂屋時代が懐かしいです。
2012年といえば旧民主党が「1票の格差」を放置したまま野田前首相が衆院を解散し違憲解散となった12月の衆院選にて自民党が政権を奪還、第2次安倍政権が発足した時でした。
あれから6年にもなるんですねえ。京阪旧3000系の引退イベントにて、富山地鉄や大井川鉄道の旧京阪3000系とのコラボ記念乗車券も発売され、翌年にかけて足を運んだりもしました。
大井川鉄道移籍車両は、すぐに引退。2年くらい野ざらしになってたとも聞きます。
富山地鉄移籍車両は、車体カラーを復刻、テレビカー復活。さらに後にダブルデッカー車を移籍。3両編成のプラレールのような編成で、今も現役のようです。
関西からのファンも当て込んだ移籍だったかもしれませんが、北陸新幹線開通で、富山へ直通が無くなり、関西から来訪しにくくなってしまってます。
103系も大阪からは撤退。時の流れの速さを感じます。
京阪沿線には松坂屋が天満橋・くずはの2つあったが、いずれも閉店してしまいましたね。今関西に残っているのは高槻のみです。
2012年当時、旧民主党政権は消費増税8%を強行するなど崩壊過程でしたね。挙句の果てに野田佳彦が自爆解散し、自民党政権復活を許してしまったことはとても恨めしい限りです。
富山地鉄は本当にがんばっていると思います。旧3000系のダブルデッカー改造車が今もここで大事に使われているとは、物持ちの良さに感服するばかりです。富山への搬送のときには、車両高さの都合上陸路での搬送が困難なため、海路で瀬戸内海~関門海峡~日本海大回りの北前船ルートが取られたみたいですね。
JR西日本の103系も残るは奈良線用NS3編成と和田岬線、加古川線、播但線のみとなりました。
野田自爆解散は小選挙区減を先送り(2014年12月の衆院選で適用)しましたが、
減員対象に輿石氏の山梨、先日死去された仙石氏の徳島、原口氏の佐賀があったことも当時の野田首相が1票の格差を放置したまま自爆解散したのでしょうが、
2003年衆院選で適用された5増5減は2014年衆院選で5減した県を含めた10県で減らすとともに東京と愛知を各1増員した7増10減にすべきでした。
もし2003年に衆院小選挙区の7増10減が実現していたら
2017年衆院選では0増6減ならぬ7増11減(東京3増、神奈川2増、愛知・埼玉1増、宮城・新潟・山口・愛媛・長崎も1減)が実現しただろうと思います。
大井川鐵道は京阪旧3000系置き換えに東急7200系を入れました。
2012年3月に青森県の十和田観光電鉄が廃止されたためですが、
十和田市から大井川鐵道まで880kmも陸路(R4、埼玉r3、R16、R129、R246、R1等)で輸送されたことはびっくりします。
880kmといえば東京都心~岩国市に匹敵する距離です。
千葉県松戸市の自宅から青森県十和田市へは680km、
これは自宅から兵庫・岡山県境までに匹敵するくらい遠いです