私が初めて阪急神戸本線に乗ったのは、確か1979年(昭和54年)だったと記憶しています。
梅田から神戸線に乗ると、西宮北口駅での今津線(宝塚-今津間)との平面十字交差(ダイヤモンドクロス) にはカルチャーショックを受けました。(路面電車を除く)大手私鉄でのダイヤモンドクロスは確かここ西宮北口だけだったようですが、他にあったのでしょうか? 私鉄同社線の複数の路線が交差するという例は、関西では近鉄大和西大寺・大和八木駅などが挙げられるが、ダイヤモンドクロスとは道路の交差点のように2つの鉄道路線が同一平面上で直交する形のもので、これは西宮北口独特の光景でした。当時、今津線には吊り掛けの旧型車も多く、一度乗ってみたいと思ったりしました。
西宮北口のダイヤモンドクロスは1984年3月、同駅の神戸本線ホーム10連対応工事などを含めた改築工事開始とともに廃止。神戸本線のレールを堂々と跨いで南北に行き交っていた今津線は西宮北口駅で系統分断され、事実上2つの支線が存在することになります。今津線は終点・今津駅で阪神本線と接続。今でこそ阪急と阪神は同じ経営グループとなっているが、もともと両社は犬猿の仲。それでもかつては今津で阪神とレールがつながっていたが、共に高架化工事が進められ、レールは完全に切り離されました。
西宮北口には旧・阪急ブレーブス(パ・リーグ)の西宮球場もあり、阪神甲子園球場(セ・リーグ)とはやはり天敵のライバル関係でした。西宮球場は1988年オリックスへのブレーブス球団売却ののち、競輪・アメフト・コンサートなど多目的での利用を標榜して「阪急西宮スタジアム」に名称を改めるも、老朽化により2002年閉鎖で取り壊され、2008年跡地に西宮ガーデンズがオープン。
1980年春、阪急神戸線の特急に乗って須磨浦公園まで潮干狩りに連れて行ってもらいました。当時、阪急は阪神とともに神戸高速鉄道を介して山陽電鉄の須磨浦公園まで直通する特急を走らせており、さらに明石・姫路への直通運転実現への期待感を持たせるかのようでした。しかし、1984年5月の阪急六甲での山陽電車との衝突事故あたりからか、阪急と山陽との相互乗り入れに難色ムードが醸し出されるようになります。1988年に久しぶりに阪急神戸線に乗ったときには、須磨浦公園行きの特急は少なくなっており、山陽直通はほとんど普通で戸惑いを覚えました。折りしも阪急神戸本線では8両編成以上への統一(今津線直通を除く)が進み、かたや山陽電鉄ではホーム対応長6両が限界で運用上の制約が生じやすいという事情なども絡み、1998年2月阪神・山陽の梅田・姫路間直通運転開始と引き換えに、阪急の山陽電(新開地以西)乗り入れは廃止(山陽電車のほうも阪急三宮以東は打ち切り)。ライバル同士だった阪急・阪神の電車が山陽電鉄内で顔を合わせる光景も、過去のものになってしまいました。
コメント
コメント一覧 (5)
35歳になりましたが、国鉄も昭和も阪急ブレーブスも南海ホークスも知らない世代ですから。
だが、西宮スタジアムは競輪・アメフト・コンサートの会場でしたから懐かしいです。
住宅展示場になっていた南海の大阪球場(現・なんばパークス)も懐かしいです。
高架化前の今津は阪神と阪神が並んでいたのは懐かしいです。阪急は高架化で移転しましたが。
阪急今津南線は当時犬猿の関係だった阪神本線に阪急車が乗り入れてしまったことから1950年に阪神本線とは線路を外されました。
以来、神戸高速鉄道開業まで18年間は阪急と阪神の線路は繋がりませんでした。
阪神の西宮東口駅(2001年3月廃止)も懐かしいです。
阪神競馬場がある仁川は宝塚市ですが、小学生時代は西宮市と思い込んでいました。
仁川の上流は兵庫r16明石神戸宝塚線(六甲ドライブウェイ)と兵庫r82大沢(おおぞう)西宮線が重複する辺りですが、
兵庫r16は仁川ではなく逆瀬川で阪急今津線と踏切で交差しています(逆瀬川のアンダーパスは市道)
過去には暴走事件もあった今津駅ですが、まさかそれから60年以上を経て、能勢電譲渡のため、その今津を通り(さすがに今津乗り入れは出来ませんが)阪神尼崎へ阪急電車が回送されたのは衝撃の出来事でした。
神戸へ行くとき、私の家族はどちらかといえば阪急好みです。枚方からだと高槻までバスで出て、阪急一本で(十三乗り換えで)神戸まで行けるという便利さもあるが、庶民的な阪神よりも高級感のある阪急文化にあこがれている面もあるように思います。
阪急神戸線はカーブが少ないということもあって(岡本-御影間のS字カーブは有名ですが)、スピードが出しやすいですね。
阪急の車両が阪神尼崎工場で能勢電譲渡改造工事を受けるために阪神本線を走行したのは衝撃的でしたね。さらに尼崎での近鉄車との対面は新聞記事にもなりましたね。
私が小5(1982年かな)の夏に初めて関西に1人旅した際(千葉県から寝台急行銀河に乗って大阪まで来ました)、このダイヤモンドクロスを見てびっくりしました。何度も見返して線路が十字にクロスするなんてって頭が固まった記憶があります。
ただその後、このダイヤモンドクロスを調べようにも当時はインターネットはないし、特段これを書いているものも知らなかったのでずっと何処だったんだろうと気になっていました。今は過去のことも皆さんがこうやって書いてくれるのでありがたいです。
それと当時思ったのは阪急の電車は関東の私鉄と違ってお洒落な感じを受けました。
記憶では座席が鮮やかな緑?黄緑色?で、日除けがアルミ?を下から上に上げるタイプだったように思います。
こんばんは。懐かしい思い出を書き込んでいただいて有難うございます。
私が初めて阪急神戸線に乗ったのは1979年ごろだったと記憶しています。やはり西宮北口での平面交差にはとても珍しく感じてびっくりしました。神戸線には1981年ごろまで何度か乗り、家族揃って六甲山へハイキングに行ったこともあるが、以降数年間疎遠でした。
久しぶりに神戸線に乗った時には、あのダイヤモンドクロスは消えてしまったし、山陽(須磨浦公園)直通の特急も減便されてしまい、戸惑いを感じましたね。
阪急の電車のお洒落さには全国から羨望の眼差しが向けられていますね。内装は木目調の壁面、座席の色は「ゴールデンオリーブ色」と呼ばれる黄緑色で落ち着いた雰囲気に好感が持てます。