関西本線(大和路線)・奈良線・桜井線・和歌山線で運用されていた113系(赤帯)について、 一つ気になること。
それは、編成の向き。
もともと赤帯113系は阪和線・紀勢本線用青帯と共通の鳳電車区→日根野電車区所属。赤帯車は阪和線系統で運用されることもありました。関西本線系統で運用される分は阪和貨物線(廃止)経由で回送していたため、天王寺駅での阪和線と関西本線(・大阪環状線)では編成の向きが逆になっていたはずです。環状線に直通する関西本線快速(元祖・大和路快速)の、大阪駅での東海道・山陽快速用(湘南色)との向きの関係はどうだったのかも気になります。
のちに奈良線・和歌山線も全線電化され、赤帯113系は奈良線京都駅や和歌山線経由で和歌山駅にも顔を見せるようになるが、和歌山駅での阪和・紀勢系統と和歌山線用の編成も確か逆向きだったはず(京都駅での本線系統・湖西線用とも向きは逆だったのでは)。
奈良電車区開設後、関西本線系統の113系は同区所属となるが、おそらく日根野から阪和貨物線経由で転属回送したものと思われ、その後も阪和線用と逆向きである状態は変わっていないはずです。国鉄末期に静岡地区から奈良へ111系が貸し出されたとき、転属回送は日根野電車区に寄り、スイッチバックして奈良へ向かったそうです。
JR発足後、大和路快速が221系に置き換えられ、113系は阪和線(日根野)および東海道山陽筋(網干)へ転用されるが、網干転属編成も向きを揃えるために日根野へ寄った可能性はありそうですね。
同時期に、阪和線~和歌山線五条直通の快速電車(青帯113系)も設定されるが、和歌山線内での赤帯113系(奈良区)とはやはり編成の向きも逆だったでしょう。
奈良の221系はのちに阪和線快速の運用に入っていた時期もあるが、阪和線への回送は阪和貨物線ではなく、直接天王寺駅大和路線・阪和線渡り線、または和歌山線経由で入線していたため、大和路線と編成の向きが異なるということはありませんでした。
コメント
コメント一覧 (2)
本線快速(T電)ではなく大和路線に先に投入したのは本線快速や阪和線と比べて冷房化率が低かったからです。
桜井・五条電化に合わせてその直前の1979年に製造された113系2000番台は当然冷房車ですが、
全体では1973年10月(ヨンパチトオ改正)の阪奈電化時に大船電車区(現・鎌倉車両センター)から転入された113系0番台非冷房車(1963~1967年製)が多く占めていました。
国鉄は阪奈電化時にその名目で113系1000番台冷房車を発注し製造されましたが、その冷房車は東京トンネルを走る総武線快速との直通が予定されていた横須賀線に投入され
(横須賀線の総武線快速直通は1980年10月に実現)、
余剰になった0番台を関西本線へ転属させました。
余談だが、1980年9月30日以前の横須賀線は東京~大船は東海道線の線路を走っていました。
横須賀線は東京、新橋、品川、川崎、横浜から各駅(当時、東戸塚は未開業)に対して、
東海道線(湘南電車)は東京、新橋、品川、横浜、大船から各駅でした。
東海道線は1980年10月のゴーゴートオ改正から川崎と戸塚に停車するようになりました。