国鉄時代末期頃の片町線非電化区間(長尾-木津)で活躍していた気動車たちについて。

JR発足(1987)から全線電化開業(1989)までについては、JR西日本亀山運転区のキハ58系やキハ35、キハ47、キハ53が運用されていたことはよく知られるところですが、その少し前の国鉄時代1984~86年頃に片町線の運用に入っていた気動車たちの足跡に興味があります。

もともと、片町線長尾-木津間の気動車は奈良気動車区(→運転所)が担当、1970年代までは主にキハ10系およびキハ20、1980年代に入ってキハ35系やキハ45、そしてキハ40などが活躍するようになりました。関西本線や奈良線・桜井線・和歌山線などと共通で使用されていました(桜井・和歌山線は1980年3月電化)。1980年代前半当時、片町線では、昼間時間帯は

キハ35+キハ36、キハ35+キハ40、キハ35+キハ45

というペア編成が多く、時に

キハ40+キハ20、キハ35+キハ20

といった組み合わせも見られたようです。キハ20は1982年に奈良から姿を消しました。

1984年10月奈良線電化により、奈良運転所の気動車配置は廃止(→奈良電車区を新設)、非電化で残った関西本線(亀山-木津-奈良間)および片町線の気動車は亀山機関区に移管されました。当時、亀山機関区にはキハ58系が各地から相次いで転入、1983年までにキハ55形などを置き換えました。もともと亀山区には急行運用は存在せず、キハ58形は初期車や非冷房車も多く、2エンジン車の性能を生かし急勾配路線の信楽線・名松線などで使用。加えて1984年10月より、奈良区が受け持っていた急行<かすが><平安>が亀山に移管され、同区からもキハ58・28が転入。亀山区には、キハ47形や両運転台のキハ30形、キハ53形なども配置されており、同じ天鉄局管内、キハ35系の大所帯だった奈良区とはかなり異なる陣容でした。

片町線にキハ58系が姿を現すようになったのは、1985年3月ダイヤ改正の頃でした。紀勢本線の<きのくに>廃止で余剰となったキハ58・28が亀山・伊勢などに転属し、従来キハ35系の多かった普通列車にもキハ58系が使用される機会が増えました。片町線では、

キハ58+キハ35、キハ58+キハ47

という2両編成が一般的でした。時に、

キハ58+キハ30、キハ58+キハ40

という組み合わせも見られたかもしれません。朝夕の単行運転ではキハ30形またはキハ40形を使用。私個人的に、キハ58形の非冷房車(キハ58 643・651号ほか)が片町線の運用に入ったことがあるのかが気になります(亀山の非冷房車は1986年、小海線へ転出→JR東日本所属に)。亀山区所属ののちJR東海(伊勢区)に継承されたキハ58形やキハ47形(3・4・1109・1110)も、片町線に入線した経験はあるはずだと思いますが・・・。

1986年3月ダイヤ改正では、同志社大学京田辺キャンパス開校を控え、片町線長尾-木津間の列車本数増発を実施。合わせて単行運転は解消され、全列車2両編成での運用に。この時よりキハ53形が片町線に姿を見せるようになり、電化開業まで続きます。キハ53形はキハ45系の両運転台・2エンジン(すなわちキハ23形の2エンジンタイプ)として登場したが、全国的に少数派。もともと信楽線用に亀山区に配置されていたが、1984年に伊勢へ転属ののち(伊勢線単行運転のためにキハ30が亀山に追加転入、キハ40ともども片町線単行運用の分と共通化、キハ53形を勾配区間の紀勢本線に回すためのやりくりと考えられる。信楽線については主にキハ58を使用)、1986年3月亀山にカムバック。キハ53形は両運転台車にもかかわらず、キハ35またはキハ47と2両編成を組むことが一般的でした。