京阪バス寝屋川営業所管内の過去の路線について、一つレポートさせていただきます。
【15】号経路<仁和寺~京阪守口市駅>。
運行経路がこれまた面白く、大阪府道15号<八尾茨木線>経由で古川橋駅(旧【13】号経路と同じルート)を通るのかと思いきや、
仁和寺~大久保~大庭住宅前~梶南口~門真北小学校~門真市役所西詰~門真市駅~西三荘~京阪守口市駅
で、今ではバス空白地帯となった大庭住宅前~梶南口~門真市役所西詰~京阪守口市駅をカバーしていました。
2008年10月廃止。京阪守口市駅から古川橋・大和田駅経由四條畷・清滝団地方面の門真【23】【24】号経路(門真市駅まで【15】号と同じルート)とともに消えました。松下電器(パナソニック)工場通勤者をも意識した路線系統と言えるが、四條畷方面の路線と同時に廃止になるとは、電機産業のまち・守口門真の衰退を示唆するようでした(ちょうど同じ時期に松下電器からパナソニックに社名変更。さらに、守口に本社を持つ三洋電機はパナソニックの子会社化)。
【15】号経路は、かつて京阪香里園~土居までの長距離路線だったようです。香里園~仁和寺間は、おそらく交野【22】号経路と同ルートだったと思われます(香里園からの【22】号経路も仁和寺直通は廃止)。ちなみに、交野営業所開設(1978年)当初、寝屋川市駅からの【2】【4】号経路も交野営業所が担当していたそうですが、実際のところはどうなのでしょうか? 当時、寝屋川市駅から寝屋川団地・星田・太秦・四條畷方面の交野管轄路線系統も、西口から発着していました(東口ロータリーは1986年併用開始)。交野営業所開設前は、星田線・寝屋川団地線は枚方営業所が担当していました(ほかに【16】<寝屋川市駅~枚方市駅>も一時期枚方管轄だった)。
コメント
コメント一覧 (11)
守口市駅から京阪沿いに門真市まで進み、そこから北上して大庭住宅前・仁和寺を結ぶ系統でしたが往復でルートが異なっていたのを覚えています。
仁和寺行きは門真市と古川橋両駅の間にある道を北上するのに対し守口市行きは梶南口から一旦西に進み今のイオンモール大日の南側を通りそこから中環を南下するルートでした。
パナソニックの工場への通勤用だったようですが個人的には1983年の地下鉄谷町線大日延伸が大きかったと思いますね。
それで京阪バスの守口エリアの利用客が地下鉄に奪われました。
その割には2008年と遅くまで路線が残っていたのですね。
1984年頃、守口市駅ターミナル完成時には「仁和寺↔守口市駅」に短縮。
ただし、中間だけを取った、
「仁和寺↔門真市駅」
「大庭住宅前↔門真市駅」
「大庭住宅前↔守口市駅(昔は土居)」
が存在していました。
便数は基本30分ヘッドでしたが、「仁和寺↔土居」は、片道25分は要するので、短時間の休憩での折り返しを強いられた事と思われます。
1984年頃(当時0~1歳かつ尼崎市民でした)までは京阪バスに土居~清滝団地といった長距離路線もあったのでしょうか?
おそらく旧四日市線(大阪r158守口門真線)~R163を走られたと思われます。
1984年以前ならおそらくふそう車で田原線18系統(当時は大和田駅~交野市駅)と共通運用だったと思われます。
守口市の中心商業地は土居→(1985年の京阪百貨店開店)守口市→(2006年のイオンモール大日開店)大日へと年々シフトしたと感じます。
私も一度だけ乗ったことあります。廃止直前の頃、京阪守口市駅から仁和寺まで乗りましたが、途中の経路は覚えていません。
やはり地下鉄谷町線の大日延伸は長年にわたってじわじわ影響していますね。挙句の果てに、大日駅で系統分断され、京阪守口市駅発着のバスですら大幅減便になるとは思いませんでした。
守口市駅ターミナル完成のおよそ1年後に京阪百貨店が開店しましたね。
30分ヘッドで運転されていたとは、今では信じられません。
四条畷駅・清滝団地~土居(→京阪守口市駅発着に短縮)という長距離路線もありましたね。私も守口市駅→清滝団地を2度ほど乗車したことあります。守口市駅~四條畷・清滝団地系統は門真営業所、【18】田原線は交野営業所担当でしたが、清滝団地系統関係には1980年代前半まで三菱ふそう車が優先的に使用されていました。
これは当時寝屋川管轄であった22や25の送り込みあるいは間合い運用ではないかと推測されます。
22や25は交野開設時に交野に移管され一旦は寝屋川車は京阪香里園より撤退(その後2004年のタウンくる移管で復活)。
ありがとうございます。
交野営業所開設前の三井団地方面は寝屋川営業所管轄でしたね。
ちなみに、【21】寝屋川団地線は枚方営業所の担当だったそうです。おそらく、寝屋川団地からr18経由で枚方車庫まで回送したのでしょう(あるいは、一時的に枚方管轄だった枚方寝屋川線【16】号で送り込みを兼ねていたのかもしれません)。
星田線【41】【43】は正縁寺の狭隘区間対応として短尺車限定だったので、他の路線系統とは基本的に独立運用だったと思います。ただ、間合いで【21】寝屋川団地線の運用に入っていた可能性は考えられます。
安田さま
ご返事が遅くなり申し訳ございません。
この【15】号経路についての補足事項を。
往路(守口方面ゆき)は途中、一方通行を走行するため、復路(仁和寺方面ゆき)とルートが異なります。
※梶南口↔門真市駅間
使用車は1984年以降、長らく中型車のみ。朝7時台にS-1067が固定運用されていた事も。末期は【9B】経路の「帰り荷」的な役割で、大型車も20時台、21時台に運用されていました。
ありがとうございます。
「【9B】経路の「帰り荷」的な役割」
守口上新庄線【9A】のことではないでしょうか? その送り込みを兼ねて【15】号経路の運用に入っていたということですね。実は、廃止直前の頃、大型車エアロスターの【15】号経路に乗車した記憶があります。途中区間の経路と沿線風景ははっきり覚えていません。