小学校時代の思い出のある行事の一つに、遠足があります。
遠足は毎年春と秋に実施されました。特に印象に残ったものから、
1)ひらパー(小1・春)
2)宇治(小3・秋)
3)奈良(小4・春)
4)神戸(小5・秋)
を選んで書いてみたいと思います。
1)ひらパー
小学校入学後、初めての遠足でした。行先は、一番近くて手頃な「ひらパー」。交通手段は京阪バス(貸切)でした。私たちのときは一般車(Aタイプ)でした。香里団地営業所所属だったと記憶しています。後輩たちは貸切・観光専用Cタイプだったようですが、一般Aタイプのほうがかえって面白かったです。ひらパー内では、確か「モンキーランド」(猿山)でお猿さんを見物したと思います。「モンキーランド」は1994年、「ワンダーガーデン」としてリニュアルされました。
2)宇治
交通手段は京阪電車でした。宇治線の旧型車が特に楽しかったです。往路は1900系でした。京阪宇治から天ヶ瀬ダムまで徒歩。宇治川沿いの「おとぎ列車」線路跡地を歩いたように記憶しています。「おとぎ列車」は軌道法による鉄道ではなく、観光客向けの遊戯鉄道だったが、1960年天ヶ瀬ダム完成とともに消えたそうです。天ヶ瀬ダムに着いて弁当のあと、確か関西電力の天ヶ瀬発電所を見学しました。周辺にはアスレチック園もあり、後年家庭内行事で訪れました。帰りの京阪宇治から乗った電車は、吊り掛け・600系でした。
3)奈良
京阪沿線から奈良へは、丹波橋で近鉄乗り換えが一般的なルートですが、わざわざ不便な国鉄片町線(→学研都市線)に乗りました。距離的には確かに最短経路ではあるが・・・。列車ダイヤの都合で、通常の登校時間よりも早めの集合でした。河内磐船から長尾まではオレンジ色101系、長尾から先は非電化なので気動車に乗り換え。キハ20あたりを期待していたが、やってきたのはキハ35系の2連でした。田辺(現・京田辺)-祝園間は近鉄京都線と並行、あちら側の電車には何本も追い抜かされます。木津で関西本線(奈良線)に乗り換え。京都から来た奈良線の奈良行きはキハ35系の4両だったと思います。奈良駅から三条通を東へ徒歩。猿沢池・東大寺大仏殿などを見学したあと、奈良公園の草原で鹿と戯れながら弁当タイムに。その後、奈良公園で自由時間ののち、帰路につきました。木津駅ホームで片町線長尾行きをかなり長いこと待ちました。ようやく到着したのはキハ40+キハ35の2連。快適なキハ40のボックスシートに座りました。ちなみにキハ35のほうは絶滅寸前のツートンカラーでした。
4)神戸
神戸の遠足はユニークなものでした。往復の交通手段は貸切バスですが、途中神戸港から大阪までフェリーの旅でした。往路は確か近畿道~名神~阪神高速神戸線経由だったと思います。実を言うと、往路では車酔いで気分悪くなりました。鉄道だと、乗り換えが多くて不便なので、バスになったものと思われます(現在なら学研都市線~JR東西線経由のルートも考えられるが)。神戸市内で見学したものははっきり覚えていません。神戸港・ポートアイランド付近だったと思いますが。フェリーの道中で弁当タイムでした。爽やかな秋晴れで何よりでした。フェリーの旅もなかなか楽しいものです。大阪はたぶん北港(もしかしたら、大阪港・天保山だったかも)の寄港だったかと思います。その後、確か科学館を見学したのかな・・・。
小2の遠足については、なぜかあまり印象に残っていません。秋の遠足は伏見桃山城だったが、残念ながら私は風邪で欠席してしまいました。
コメント
コメント一覧 (12)
自分も小4だったか神戸に遠足に行った時神戸港→弁天ふ頭まで船で移動したのを覚えています。
その後弁天町にある交通科学館に行きましたね。
冬の耐寒遠足は小学校3年までが私市の市大植物園、4年生からは府民の森くろんど園地でした。耐寒遠足は目的地まで徒歩でしたが、そのくろんど園地へは3年生の時に電車(京阪・枚方市乗り換えで私市まで)で移動したのが記憶にあります。
学校の場所の都合で、遠足はほとんどが京阪電車での移動でしたから、当時電車好きだった私には楽しみなイベントだったのが記憶にあります。
ちなみに、いつかは忘れましたが奈良への遠足は丹波橋乗り換えでしたよ。
ほかは、宇治、藤森の青少年科学センター、伏見桃山城など京都方面への遠足が多かったですね。
仁川を連想する阪神競馬場は西宮市かと思いきや二級河川仁川が市境なため宝塚市だったりします。
仁川は武庫川水系ですが、武庫川は一級河川と思いきや意外にも二級河川だったりします。二級河川にしては流域面積は広大な方ですが。
宝塚市の市外局番は原則0797だが、
阪神競馬場を含む仁川地域だけは西宮市中南部と同じ0798だったり
(通話区域は西宮MA管内。宝塚市には東部の雲雀丘花屋敷地域に072-7もある)。
奈良公園への遠足は阪神なんば線全通以前とあって阪神電車→四つ橋線→近鉄奈良線でした。母の実家が奈良公園の近くであり母の実家へ行った気分でしたが、大仏殿、春日大社、二月堂はもちろん若草山を登りました。
帰りは大和路線を乗り(221系大和路快速)、西九条から西大阪線(当時)でした。
京都の清水寺、八坂神社へ散策の時は阪神電車→梅田から阪急京都線6300系特急でした。当時は十三~大宮がノンストップでした
(桂と大宮の特急停車駅トレードは21世紀最初の改正から)。
帰りは京阪本線8000系特急でしたが、七条~京橋がノンストップでした。その後、小6で京阪沿線へ移住は想定外でした。
交通科学館は小4の堺・泉北工業地帯の帰りに寄りました。
私も京都方面への遠足はわりと多かったです。
宇治、嵐山、清水寺、藤森の青少年科学センターだったかな。嵐山のときは四条河原町から阪急電車(桂で嵐山線乗り換え)でした。あと、1年秋の遠足は石清水八幡宮でした。
私も、冬の耐寒遠足がありました。毎年、私市・府民の森で、学校から徒歩で往復でした。学年が上がるにつれて行動距離も長くなり、5・6年はくろんど池でした。
学校の遠足で往路と復路で乗車経路が異なるのは珍しいと思います。鉄道ファンはきっと喜んだことでしょう。
遠足等で京都市内をバスで走った時って、まだ路面電車が走ってたなぁ…
急行はもしかしたら2610系でしょうか?
2610系のボックス席は狭くて乗り心地悪かったそうですが・・・。
形式は流石に覚えてませんです。
ありがとうございます。さすがに2時間以上もロングシートはしんどいですね。
「大好きな電車に乗れるからテンションが高かったです。」
これ、全く同感です! 小学校の遠足そして社会科見学は、電車利用が多かったので楽しかったです。私の場合、京都方面では嵐山(3年)の遠足が忘れられません。四条河原町で京阪から阪急に乗り換え、桂まで元特急車2800系の急行・梅田行き、乗り換えて嵐山線は吊り掛け駆動の710系で、乗り鉄にはテンションが高いルートでした。