振り返れば、1990年代後半(1996~2000年)は京都周辺の鉄道もかなり大きく変わったと言えます。
まず、1996年3月の山陰本線園部-綾部間電化。これにより、気動車特急<あさしお>と急行<丹後>は廃止、183系電車特急(485系からの直流化改造)に代わりました。また、山陰本線(嵯峨野線)京都市内区間の連続高架化工事も完成、 荘厳な寺院風で知られる旧・二条駅舎は移築、梅小路蒸気機関車館→京都鉄道博物館に保存されています。二条駅前は、後述の地下鉄東西線開通後、京都市街地の西のターミナルとして大きな変貌を遂げます。また、2000年には、二条-花園間複線化と同時に、両駅間に「円町」駅が開業。その後、嵯峨野線は京都洛西郊外の通勤通学路線、および嵯峨野・嵐山方面への観光路線として、利用客がさらに増加します。
京都市営地下鉄東西線(二条-醍醐間)が1997年10月開業。東西線開通と引き換えに、路面併用軌道の京阪京津線三条-御陵間が廃止されました。御陵-浜大津間は、地下鉄東西線に乗り入れる形で、三条京阪での京阪本線との接続が維持されます(開業当初は京都市役所前までだったが、現在は二条から西へ延伸した太秦天神川まで直通運転を行っている)。東西線開通に合わせ、京阪京津線御陵-浜大津間と石山坂本線は架線電圧が600Vから1500Vに昇圧、京津線準急で使用していた600・700形は石山坂本線専用となります。
阪急京都線の特急は1997年ダイヤ改正より、終日高槻市に停車。淀川対岸のライバル・京阪特急も平日朝ラッシュ時限定で枚方市に停車開始となりました。京阪間速達列車のノンストップ運転史の「終わりの始まり」であり、既にJRの新快速は高槻に停車していました。京阪特急の枚方市停車に合わせ、9000系車両を8両×5編成を投入。車内はセミクロスシートとされたが、のちに一般車と同じ扱いでロングシート化されました。なお、京阪特急では、翌年1998年にかけて、8000系全編成にダブルデッカー車を連結、スピード面で阪急・JRにハンディを負っている分、豪華路線で勝負をかけます。
1997年といえば、JR京都駅ビル開業も忘れてはなりません。京都駅ビルには東京の伊勢丹が関西初の出店、周辺の京都近鉄百貨店はおろか、四条河原町の百貨店や商店街にも大きな影響を与えたように思います。京都駅前周辺の景観は大きく変わり、古都らしい優しく落ち着いた雰囲気が失われてしまったのは残念です。
1997年のニュースとしては、このほか、京都市営地下鉄烏丸線の北山-国際会館間延長開業、叡山電車の観光用車両「きらら」の新造、などもありました。京阪特急ダブルデッカー+「きらら」乗り継ぎで、大阪都心部から洛北(八瀬・貴船・鞍馬)への快適な旅が楽しめるようになりました。
2000年には、近鉄京都線のダイヤが大きく変わりました。2001年のJR奈良線部分複線化への布石とも言われています。まず地下鉄烏丸線-近鉄奈良間を直通する急行の運転開始が大きな目玉だったと思います。加えて、京都-近鉄奈良間に快速急行を新設。快速急行は途中、竹田・丹波橋・大和西大寺・新大宮のみの停車だったが、停車駅数があまりにも少ないゆえ利用客が少なく、2003年に廃止されました。
京阪特急も2000年より、終日丹波橋・中書島に特急停車となり、いよいよ京阪間ノンストップ特急終焉へと向かいます(近鉄も2002年より丹波橋に特急停車)。
2001年の阪急京都線ダイヤ改正では、特急停車駅の大幅増加(茨木市・長岡天神・桂)の一方、京都市街地西側のターミナルである「大宮」駅(四条大宮)は通過となりました。四条大宮は京福嵐山本線(嵐電)も発着していて、また各方面へのバスも賑やかに行き来しているが、四条大宮発着の京阪バスが大幅に減っています(かつては四条大宮に京阪バス本社があった)。京都市の西のターミナルは、今や二条駅前にとって代わったと言っていいでしょう。
広大な四条大宮ロータリーも、今は京阪バスが毎時1本発着する程度
コメント
コメント一覧 (5)
阪急京都線は21世紀幕開け改正でかなり激変、特急停車駅の大幅再編だけでなく急行は南茨木停車とともに高槻市以北各駅停車となり(6年後の2007年から南方、上新庄停車で準急となる)、
15分パターンから神宝線と同じ10分パターンになりました
(堺筋線は7分半間隔から5分間隔へ増発。後に谷町線都島~文の里が利用者数の割に間引きで逆転するとは)。
大宮は1963年まで終点だったにも関わらずこの改正で急行→準急が毎時6本だけになり利用者数は神宝線の園田、武庫之荘、庄内、服部天神、曽根等を下回りました。
2010年3月に西院と大宮へ停車する通勤特急が設定されるまでの9年間、大宮は平日朝ですら普通(高槻市以北各駅停車の急行→準急含む)しか停車しない駅となっていました。
京阪も2003年9月改正では32年ぶりにダイヤパターンを変更、15分パターンから10分パターンになりました。
解体されたのが残念でなりません。
大阪高島屋とかと並ぶ重厚な建物ですね。
阪急京都線2001年ダイヤ改正での新「急行」は、以前とは全くの別物ですね。京都線も平日昼間ダイヤは1989年改正で20分サイクルとし、特急減便・急行増発をしました。
近鉄京都線の快速急行は誤乗も多かったそうですね。末期は丹波橋に停車するようになった特急とほとんど停車駅が同じだった(違いは竹田に停車することだけ)というオチです。急行と違って4両編成でしたね。
レトロな建物が解体されたのは残念ですが、耐震問題とかで存続させるのも難しかったのかもしれません。JR伊勢丹に対抗しようと若者向けに重視すべく「Plats Kintetsu」に改装するも、後手との印象が拭えず、閉店に追い込まれたのは残念ですね。
あと、京都近鉄(丸物)の建物は、高島屋大阪店と同じ設計者なんですよね。