東北新幹線開通前の東北本線優等列車について一つレポートしたいと思います。
急行【くりこま】。
【くりこま】は東北本線北半分の仙台-青森間を走破する電車急行。運用車両は交直流急行型電車455・457系。「くりこま」の由来は、宮城・秋田・岩手3県境にまたがる栗駒山(標高1626m)。東北新幹線盛岡開通前(1982年)のダイヤでは、【くりこま】は3往復の運転でした。 交直流急行型電車も東北地方北部ではどちらかといえば数は限られ、電化区間も含めて急行列車は気動車(キハ58系)のほうが圧倒的だったようです。盛岡まで到達していた電車急行(455・457系使用)は、【くりこま】3往復のほか、【いわて】(上野-盛岡、2往復)、【もりおか】(上野-盛岡、常磐線経由、2往復)のみで、盛岡以北は【くりこま】だけでした。
実を言うと、私個人的に青森での455・457系電車は想像しづらいです。同じ交流電化の羽越本線や奥羽本線米沢以北では、急行列車は気動車または客車の独壇場で、かのロングランの日本海縦貫【しらゆき】(金沢-青森間)も気動車でした。【しらゆき】は455系電車での運用が可能だったのではとの見方もあるが、北陸本線は交流60Hz、羽越・奥羽本線は50Hz、その中間の信越本線などは直流電化と、3つの異なる電気方式を跨ぐことになるため、充当できる急行型電車がなかったことも一つの理由だとされています(もっとも、非電化支線区直通の【白馬】【千秋】などと併結できるメリットもあるが)。
コメント
コメント一覧 (5)
これより後に製造された急行型新形式はキハ65系のみ、
急行型電車は1970年2月を最後に製造を打ち切られました
(気動車のキハ65系は1972年2月まで製造)。
以後に製造された3電圧対応電車は
1971年に登場した415系と489系のみです。
平成になってから製造された3電圧対応車は415系ステンレス車の一部とEF81の老朽代替に製造されたEH510のみです。
旧東北本線の上野~青森は740km、
仙台駅は上野駅から365km、青森駅へは375km(ともに在来線時代)で中間点に近いです。
東海道・山陽本線で例えた場合、
東京駅から365kmは清洲(愛知県清須市)付近、
東京駅から740kmは金光(岡山県浅口市)付近
となります。
普通車は全席指定、6号は瀬峰でたざわ4号を追い越す「急行を追い越す急行」としても有名でおました。
盛岡へ顔を出す交直流急行と言えば、いわて、もりおかの他に、あぶくま、ひめかみ、臨時ではエコーもりおかなどがおましたな。
しらゆきの電車化なら457系を使えば可能ですが、当時はキハ58が元気だし併結や労働組合の問題とか一筋縄で行かない問題が多かったからねぇ・・。
交直流急行と無縁と言えば、秋田と長崎ですかね。
長崎への急行と言えば出島ですが、佐世保行き弓張や、ちくご、西九州、島原鉄道直通などを併結してましたから簡単に電車には出来ませんな。
盛岡へ顔を出す電車急行はひめかみでは無く、きたかみでした。
(`ω´)お詫びして訂正いたします。
(交野)アホでんなアンタ。
(つω´)そんな言い方って無いと思うの。
ひめかみときたかみ・・どちらも上野ー盛岡間急行なんですよね。
どちらも「かみ」がつくし・・。
大体きたかみちゅうと、上野ー青森間の寝台急行か、仙台ー秋田、青森間を北上線経由で結ぶ急行ちゅうイメージが強すぎでんがな。
上野ー盛岡間の電車急行はわずか3年、それも夜行ではね・・。
(`ω´)つい失念してもうた。
(交野)やっぱりアホでんなアンタ。
(つω´)そんな言い方って無いと思うの・・。
3電圧対応電車が普及する頃には、既に急行列車が整理縮小される時期に入っていたため、それに対応した急行型電車が製造されなかったわけですね。3電圧方式を跨いで電車で運転された営業列車は、大阪発着の特急【白鳥】(485・489系)と、583系の臨時列車【東北夏祭り】など、数えるほどしかありませんな。
ちなみに、常磐線の415系が九州に転属するという事例はしばしば見られたが(JRになった近年でも)、東北・常磐系統の急行型電車が北陸や九州に転出または転入した例は知りません。
【くりこま】は特急並みの速度を出す俊足急行として有名でしたね。東北新幹線開通後、快速に格下げとなって好評だったみたいだが、新幹線利用促進のためなのか2・3年ほどで廃止されたのは惜しいですな。
盛岡へ顔を出す電車急行といえば、【あぶくま】などもありましたね。それでも、全体的に数は多くなかった印象を受けます(仙台以北の急行列車は、気動車の比重が大きかった)。