2019年09月24日 高岡駅 1996年 20年以上昔の写真を1枚。高岡駅の氷見線のりばです。キハ23が活躍していました。隣の車両は12系客車から改造のキサハ34。キサハ34は、ラッシュ時間帯、キハ58系の中間に組み込まれ、輸送力アップに一役買いましたが、・・・。もっとも、12系客車は客用扉が折り戸、側面窓は二段とキハ65形と同じスタイルであり、キハ58系の編成に組み込まれても違和感はなかったように思います。画像右側に映る「SATY」も懐かしいですね。北陸新幹線開通で高岡駅の様子も大きく変わったことでしょう。 「JR西日本(北陸エリア)/ 北陸本線第三セクター」カテゴリの最新記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (5) 1. 安田 2019年09月24日 23:51 富山県第2の都市であり富山県呉西地方の中心地、高岡市といえば藤子F不二雄の出身地です (藤子A不二雄は隣の氷見市出身)。 銅やアルミといった金属工業が盛んだったりします。 北陸新幹線は高岡駅を通らず高岡市南部の城端線の新高岡駅が開業しましたが、 南砺市出身で元大物政治家だったW氏のパワーのようです。 国道8号は高岡市を通るが、E8北陸道は高岡市を通らず南隣の砺波市を経由しています。 北陸道の金沢市~富山市はほぼR359(サンゴク)沿いのルートです。 高岡市を走る高速道路はE41能越道(一般国道470号)が通っています。 もしサンダーバード・しらさぎが共通運用かつ一部がIR・あいの風とやま鉄道へ乗り入れ高岡停車だったら(2023年まで暫定的に)良かったのですが (北陸新幹線の駅がない小矢部市の石動にも停車で)。 2. 安田 2019年09月25日 19:43 高岡駅といえば万葉線を忘れてはいけません。 高岡市と射水市新湊地域を結ぶ万葉線は2000年3月まで加越能鉄道の運営でした。 万葉線はR156~富山r24との併用軌道区間があり、 安全地帯がない電停があったようです。 北陸新幹線・城端線新高岡駅前は北陸では数少ないイオンモールがあります。 城端線に福野駅と福光駅があり、両駅を間違えそうです。 南砺市福光町はE41東海北陸道の福光ICがありますが、 隣県の石川県白山市にあるE8北陸道の徳光SA(徳光といえば某元アナウンサータレントを連想しますが)と間違えられやすいです。 さらにあいの風とやま鉄道に福岡駅があります(福岡ということで九州と間違える外国人観光客がいたり。埼玉県ふじみ野市の東武東上線上福岡駅もですが)。 3. 大和飛鳥 2019年09月25日 19:44 七尾線電化で余剰となった車両が60-70両ほど有って、当時は非冷房車が健在でしたから余剰車は置換に転用されましたね。 キハ58は姫路へ転属、5500番台へ改造、12系はキサハ34へ改造されて氷見線、城端線へ転用されました。 12系の有効活用は良いとして、けん引車がキハ58・28では電車へいえば1.5M2.5Tでせう・・低出力で使い勝手が悪く短命で終わりましたね。 JR北海道は強出力エンジンのキハ143を作ってキサハ144を電化まで有効に使ったのに。 札沼線は昼間でも3-4連なのが幸いしましたかね。 キハ65とキクハ34、もしくはキハ33の強出力エンジン版キハ34?とキクハ34の1M1Tなら使いこなせたような。 もっともキハ65はドア幅が狭く、折戸でせう・・ラッシュ向きぢゃ有りませんな。 高岡のサティ・・いまあすこはホームセンターでんな・・元々はサティでっか。 高岡駅北側の大和百貨店が8月に閉店しましたな。 高岡の駅前は昔からパッとしませんな・・。 新幹線も通りませんし・・このまま廃れていくのかねぇ・・。 4. 交野が原 2019年09月26日 08:54 安田さん >高岡市といえば藤子F不二雄の出身地です ありがとうございます。大事なことを忘れていました。 そういえば、城端線にキハ40の忍者ハットリ君ラッピングがありましたね。 ちなみに、スネ夫の名字・「骨川」は、富山県の「滑川」に由来しているみたいですな。 5. 交野が原 2019年09月26日 09:25 大和飛鳥さん >当時は非冷房車が健在でしたから JR西日本においては、キハ40系とキハ52は冷房化改造を受けるが、他の国鉄一般型気動車は冷房化の対象外でしたね(古いキハ52が冷房化されたのは意外と思われるかもしれないが、2エンジン・両運転台が買われて2010年まで大糸線で活躍)。非冷房のまま遅くまで残ったのは、キハ23・53と、和田岬線のキハ35系でした。 キサハ34は確かに使い勝手は悪かったと見えます。牽引車がキハ65形だったら確かに良かったのかもしれませんが、そもそも数自体少なかったですからね(JR西管内では大半がエーデルに改造、残り少ない原形のキハ65は津山・因美線の【砂丘】に使用)。 高岡駅で降りたことはないが、駅前は寂れているみたいですね。大和百貨店が今年8月まで残ったのも、むしろ奇跡的と言えるかもしれません。地方の百貨店はどんどん消え、寂れるばかりですな。 コメントフォーム 名前 コメント 評価する リセット リセット 顔 星 投稿する 情報を記憶
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コメント一覧 (5)
(藤子A不二雄は隣の氷見市出身)。
銅やアルミといった金属工業が盛んだったりします。
北陸新幹線は高岡駅を通らず高岡市南部の城端線の新高岡駅が開業しましたが、
南砺市出身で元大物政治家だったW氏のパワーのようです。
国道8号は高岡市を通るが、E8北陸道は高岡市を通らず南隣の砺波市を経由しています。
北陸道の金沢市~富山市はほぼR359(サンゴク)沿いのルートです。
高岡市を走る高速道路はE41能越道(一般国道470号)が通っています。
もしサンダーバード・しらさぎが共通運用かつ一部がIR・あいの風とやま鉄道へ乗り入れ高岡停車だったら(2023年まで暫定的に)良かったのですが
(北陸新幹線の駅がない小矢部市の石動にも停車で)。
高岡市と射水市新湊地域を結ぶ万葉線は2000年3月まで加越能鉄道の運営でした。
万葉線はR156~富山r24との併用軌道区間があり、
安全地帯がない電停があったようです。
北陸新幹線・城端線新高岡駅前は北陸では数少ないイオンモールがあります。
城端線に福野駅と福光駅があり、両駅を間違えそうです。
南砺市福光町はE41東海北陸道の福光ICがありますが、
隣県の石川県白山市にあるE8北陸道の徳光SA(徳光といえば某元アナウンサータレントを連想しますが)と間違えられやすいです。
さらにあいの風とやま鉄道に福岡駅があります(福岡ということで九州と間違える外国人観光客がいたり。埼玉県ふじみ野市の東武東上線上福岡駅もですが)。
キハ58は姫路へ転属、5500番台へ改造、12系はキサハ34へ改造されて氷見線、城端線へ転用されました。
12系の有効活用は良いとして、けん引車がキハ58・28では電車へいえば1.5M2.5Tでせう・・低出力で使い勝手が悪く短命で終わりましたね。
JR北海道は強出力エンジンのキハ143を作ってキサハ144を電化まで有効に使ったのに。
札沼線は昼間でも3-4連なのが幸いしましたかね。
キハ65とキクハ34、もしくはキハ33の強出力エンジン版キハ34?とキクハ34の1M1Tなら使いこなせたような。
もっともキハ65はドア幅が狭く、折戸でせう・・ラッシュ向きぢゃ有りませんな。
高岡のサティ・・いまあすこはホームセンターでんな・・元々はサティでっか。
高岡駅北側の大和百貨店が8月に閉店しましたな。
高岡の駅前は昔からパッとしませんな・・。
新幹線も通りませんし・・このまま廃れていくのかねぇ・・。
>高岡市といえば藤子F不二雄の出身地です
ありがとうございます。大事なことを忘れていました。
そういえば、城端線にキハ40の忍者ハットリ君ラッピングがありましたね。
ちなみに、スネ夫の名字・「骨川」は、富山県の「滑川」に由来しているみたいですな。
>当時は非冷房車が健在でしたから
JR西日本においては、キハ40系とキハ52は冷房化改造を受けるが、他の国鉄一般型気動車は冷房化の対象外でしたね(古いキハ52が冷房化されたのは意外と思われるかもしれないが、2エンジン・両運転台が買われて2010年まで大糸線で活躍)。非冷房のまま遅くまで残ったのは、キハ23・53と、和田岬線のキハ35系でした。
キサハ34は確かに使い勝手は悪かったと見えます。牽引車がキハ65形だったら確かに良かったのかもしれませんが、そもそも数自体少なかったですからね(JR西管内では大半がエーデルに改造、残り少ない原形のキハ65は津山・因美線の【砂丘】に使用)。
高岡駅で降りたことはないが、駅前は寂れているみたいですね。大和百貨店が今年8月まで残ったのも、むしろ奇跡的と言えるかもしれません。地方の百貨店はどんどん消え、寂れるばかりですな。