2020年01月02日 阪急 看板車残影 看板車のまま残った阪急車両の画像を集めてみました。比較的近年(2006年以降)に撮影したものです。嵐山線運用に入る2300系2309-2360編成(2006年)石橋に停車中の箕面線3100系3157F「石橋」駅は「石橋阪大前」駅に改称嵐山に停車中の2360号(2008年)松尾(→松尾大社)駅に入線する桂行き2309F(2008年)伊丹線運用に入る3000系3031-3077(2008年) 「阪急電車 / 能勢電鉄」カテゴリの最新記事 < 前の記事次の記事 > コメント コメント一覧 (10) 1. 安田 2020年01月02日 19:59 この後の世代の3300・5000系や5100・5300系も登場当初は看板車でした (3300・5300系は登場当初から種別幕がありましたが)。 1971年に冷房試作車として登場し平成初期に廃車となった5200系も看板車でした。 阪急で初めて行き先幕が導入されたのは1974年登場の2200系(阪神淡路大震災後に6000系へ編入)でした (種別幕は神宝線としては初めて)。 行き先幕の本格導入は1975年登場の6300系からで、 神宝線は1976年登場(運行開始は1977年)の6000系で本格導入となりました。 そう思えば、阪急は行き先幕の導入が大手私鉄にしては遅い方でした (阪神初の行き先幕導入車は1974年登場の旧3800系)。 2. 安田 2020年01月02日 23:05 阪神も阪急も行き先幕の導入は1974年でしたが、 南海も種別幕導入は早かったものの行き先幕導入は1974年登場の6200系でした (南海線は改造を別とすれば1985年登場の9000系から)。 といってもよく調べれば行き先幕導入は遅い方ではありませんでした。 近鉄は1972年登場の2800系が初めて行き先幕でした。奈良線は8600系(1973~)、南大阪線は6200系(1974~)からでした。 京阪は70年代に行き先幕を導入改造されたようですが、 準新製造車で行き先幕導入はかなり遅く1981年登場の2630系からでした。 ちなみに 名鉄は1976年登場の6000系から、 京急は1963年登場の旧1000形中期車から、 東急は1962年登場の旧7000系から、 小田急は1964年登場の旧2600系から、 京王は1969年登場の旧3000系中期車(両開き)から (京王線は改造を別とすれば1972年登場の旧6000系から)、 西武は1968年登場の101系から(現存形式だが現存するのは前面デザインが近代化された1979年以降登場の末期形のみ)、 東武は1963年登場で大量生産された8000系から、 京成は1968年登場の旧3300系から でした。 3. 交野が原 2020年01月03日 14:40 行先・種別幕の導入ですが、京阪は1976年新造の5000系(5555F)に始まったようです。その後、1977年の700系→1000系代替新造、78年の2000→2600系代替新造に続きます。もちろん5000系最終増備編成(1980年)は最初から行先・種別幕装備です。 4. 安田 2020年01月03日 22:41 交野ヶ原様 京阪初の行き先幕は1976年登場の5555Fでしたか。 1971年製造の5554Fは行き先幕はなかったが、御殿山置き石脱線に伴う1980年の代替製造時に行き先幕が設置されたと聞いたことがあります。 来月で御殿山置き石脱線から40年です 5. 真柴誠記 2020年01月04日 06:36 明けましておめでとうございます 今年も色々と楽しく読ませて頂きます で…側面の表示器に行き先が表示される様になったのも5555Fが最初だったかしら? 6. 真柴誠記 2020年01月04日 12:23 1800系もフロントに電動表示器や3000系と同じ尾灯識別灯で一時期7両で走ってた事もあったね。 昇圧対応だったと思ったけど非冷房故か昇圧時に廃車されてしまった。 2600系でも2629-2729-2829は併結する2200系に合わせた状態でしたね。 後に大規模更新で電動表示器を設置したものの2629は中間車化されて実質2700化されてたけどね。 この頃に通勤で京阪を利用していて、同じ2200系の大規模更新でも最初の時期とと最終の時期で内容が微妙に違ってたのが見ていて面白かった。 2400系の大規模更新が始まった頃、先頭車の大きな変化でイメージが変わったのを見た鉄道好きの子供達が「2400系の新型が出た!」と騒いでいたのを憶えてます。 阪急も電動表示器が設置される更新の頃、運転台の完全撤去や、色あせた化粧板が貼り替えられたりしましたね。 当然それ以外の見えない部分も大幅に修復更新してるんでしょうが… あ…話が逸れちゃいましたね。 7. 安田 2020年01月04日 12:45 阪急3300・5300系は当初から種別幕ではなく行き先幕がありました。 当初の5300系は側面に当時の近鉄2800・6200・8600系と同様の種別ランプがありました。 3300・5300系の前面種別幕は80年代後半になってからです (堺筋急行等の種別はホーロー板)。 8. 真柴誠記 2020年01月04日 14:57 電動タイプの話です。 当初からあったのは手動タイプで時々白幕で走ってました。 回送かと思ったけど、回送表示で走ってるのも見たので結構いい加減な時もあった様です…窓下にはちゃんと種別パネルを掲げてたりしてね。 国鉄も103系の表示は「普通」表示で何処まで行くのかパッと見でわからなかったです。 JRになってからか行き先を表示する様になってました。 9. 交野が原 2020年01月05日 01:02 安田さま、真柴誠記さま 3300・5300系のデビュー当初は、堺筋線直通用の小型方向幕ありましたね。阪急線内で完結する列車には方向板を使用してましたね。5300系の看板車スタイルはかなり遅くまで残ったようです。 国鉄の京阪神緩行103系「普通」表示ですが、サボもなかったので行先はわかりにくかったでしょう。片町線101系の「片町線」も然り。 10. 安田 2020年01月05日 04:53 交野ヶ原様 京阪神緩行103系の行き先幕ですが、冷房車(1972年3月改正から運用された前面ライトがシールドビームの車両)は「京都」「吹田」「甲子園口」「西明石」と表示かつローマ字入りだったようです。 「普通」(ローマ字なし)は非冷房車だったようです。 天王寺鉄道管理局管轄の関西本線や阪和線は「○○↔️○○」(ローマ字なし)だったようです。 阪急5300系は平成になってからも阪急完結(梅田発着)はホーロー板使用でした。 コメントフォーム 名前 コメント 評価する リセット リセット 顔 星 投稿する 情報を記憶
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コメント一覧 (10)
(3300・5300系は登場当初から種別幕がありましたが)。
1971年に冷房試作車として登場し平成初期に廃車となった5200系も看板車でした。
阪急で初めて行き先幕が導入されたのは1974年登場の2200系(阪神淡路大震災後に6000系へ編入)でした
(種別幕は神宝線としては初めて)。
行き先幕の本格導入は1975年登場の6300系からで、
神宝線は1976年登場(運行開始は1977年)の6000系で本格導入となりました。
そう思えば、阪急は行き先幕の導入が大手私鉄にしては遅い方でした
(阪神初の行き先幕導入車は1974年登場の旧3800系)。
南海も種別幕導入は早かったものの行き先幕導入は1974年登場の6200系でした
(南海線は改造を別とすれば1985年登場の9000系から)。
といってもよく調べれば行き先幕導入は遅い方ではありませんでした。
近鉄は1972年登場の2800系が初めて行き先幕でした。奈良線は8600系(1973~)、南大阪線は6200系(1974~)からでした。
京阪は70年代に行き先幕を導入改造されたようですが、
準新製造車で行き先幕導入はかなり遅く1981年登場の2630系からでした。
ちなみに
名鉄は1976年登場の6000系から、
京急は1963年登場の旧1000形中期車から、
東急は1962年登場の旧7000系から、
小田急は1964年登場の旧2600系から、
京王は1969年登場の旧3000系中期車(両開き)から
(京王線は改造を別とすれば1972年登場の旧6000系から)、
西武は1968年登場の101系から(現存形式だが現存するのは前面デザインが近代化された1979年以降登場の末期形のみ)、
東武は1963年登場で大量生産された8000系から、
京成は1968年登場の旧3300系から
でした。
京阪初の行き先幕は1976年登場の5555Fでしたか。
1971年製造の5554Fは行き先幕はなかったが、御殿山置き石脱線に伴う1980年の代替製造時に行き先幕が設置されたと聞いたことがあります。
来月で御殿山置き石脱線から40年です
今年も色々と楽しく読ませて頂きます
で…側面の表示器に行き先が表示される様になったのも5555Fが最初だったかしら?
昇圧対応だったと思ったけど非冷房故か昇圧時に廃車されてしまった。
2600系でも2629-2729-2829は併結する2200系に合わせた状態でしたね。
後に大規模更新で電動表示器を設置したものの2629は中間車化されて実質2700化されてたけどね。
この頃に通勤で京阪を利用していて、同じ2200系の大規模更新でも最初の時期とと最終の時期で内容が微妙に違ってたのが見ていて面白かった。
2400系の大規模更新が始まった頃、先頭車の大きな変化でイメージが変わったのを見た鉄道好きの子供達が「2400系の新型が出た!」と騒いでいたのを憶えてます。
阪急も電動表示器が設置される更新の頃、運転台の完全撤去や、色あせた化粧板が貼り替えられたりしましたね。
当然それ以外の見えない部分も大幅に修復更新してるんでしょうが…
あ…話が逸れちゃいましたね。
当初の5300系は側面に当時の近鉄2800・6200・8600系と同様の種別ランプがありました。
3300・5300系の前面種別幕は80年代後半になってからです
(堺筋急行等の種別はホーロー板)。
当初からあったのは手動タイプで時々白幕で走ってました。
回送かと思ったけど、回送表示で走ってるのも見たので結構いい加減な時もあった様です…窓下にはちゃんと種別パネルを掲げてたりしてね。
国鉄も103系の表示は「普通」表示で何処まで行くのかパッと見でわからなかったです。
JRになってからか行き先を表示する様になってました。
3300・5300系のデビュー当初は、堺筋線直通用の小型方向幕ありましたね。阪急線内で完結する列車には方向板を使用してましたね。5300系の看板車スタイルはかなり遅くまで残ったようです。
国鉄の京阪神緩行103系「普通」表示ですが、サボもなかったので行先はわかりにくかったでしょう。片町線101系の「片町線」も然り。
京阪神緩行103系の行き先幕ですが、冷房車(1972年3月改正から運用された前面ライトがシールドビームの車両)は「京都」「吹田」「甲子園口」「西明石」と表示かつローマ字入りだったようです。
「普通」(ローマ字なし)は非冷房車だったようです。
天王寺鉄道管理局管轄の関西本線や阪和線は「○○↔️○○」(ローマ字なし)だったようです。
阪急5300系は平成になってからも阪急完結(梅田発着)はホーロー板使用でした。