小学校の時の思い出エピソードを一つ。
低学年~中学年の頃は中耳炎あるいは外耳炎を罹患しやすく、バスで枚方市駅前の耳鼻科に通院することも時々ありました。
実を言うと、私はバスでの通院を楽しんでいました。特に香里団地界隈では少ない三菱ふそう車に当たると得した気分でした。回復まで概ね1週間、毎日駅前までバスに乗れるので、得した気分でもありましたな。さらに診察が終われば、三越や近鉄百貨店で見たいものも見れるし、美味しい1週間でした。交通費や医療費を支給してくれる親としては呆れたものでしょうが(笑)
恥ずかしい話ですが、この経験に味を占め、「仮病もどき」を演じたことさえあります。
高学年の頃、喉が腫れて風邪を引きやすく、「耳が痛い」と訴えてみました。すると、仕方なく親と同伴で、あの耳鼻科を受診。診断結果は「大したことはありません」で終わり、以降の通院は無しに。本来、これは喜ぶべきことなんですが、妙なことを考えていたガキの私には「不服」でさえありました。
同じ手口を中学校(1年)の時にも使ってみました。
その頃、「いじめ」や友達関係がうまくいかず、できれば学校に行きたくはなかった。ちょうど耳が痛くなったので、あの耳鼻科にかかることを理由に早退を願い出ました。クラスメートには「それぐらいのことで早引きするんかいな」と変な目で見られ、馬鹿にされましたな。
やはり健康であることは有り難いこと。仮病もなるべく使わないほうが良いでしょう(たまにずる休みするときに使うのはあり)。中学時代に受けた「いじめ」も、それまでの私自身に原因があるはずだということに、今頃気づきました。小学校の時にもっと人間的にしっかり成長できていれば、中学校時代およびその後の自分自身も違うものになっていたでしょう。
コメント
コメント一覧 (10)
誰もが少なからず経験したのかもしれません。
自分も中学生時代いじめに遭っていましたが自分にも原因があったのかもしれませんね。
101系電車が殆どで、103系が稀に…位の時代で電車に乗れるのと、病院の横のパン屋さん(名前失念…今は理容店になってる)で砂糖がけのパンと牛乳を買って、駅に歩きながら食べるのが楽しみで何とか足を向けてました。
ま、遥か昔のお話ですな。
そうですね、仮病を使って学校や会社を休むということは、誰もが少なからず経験することだと思いますよ。
ちなみに、私は中学校時代、全くの「非モテ」な奴でした。これも小学校時代の自分の行いに原因があると反省しています。その反動もあって、高校以降は恋愛などには及び腰で避けるようになってしまいました。周りから「お前、彼女いるか」「恋愛も大事やで」と説教されたりしましたね(→私には嫌味なお世話にしか思えなかった)。
>101系電車が殆どで、103系が稀に
ということは1980年前後の話ですね。
確か、四条畷-長尾間複線化開通に合わせて、片町線電化区間の駅で自動改札機が導入されたはずですが、往復乗車券は窓口でしか購入できなかったんでしょうか?
あ、津田駅が今の駅舎じゃなくって、今のタクシー乗り場+バスロータリーの一部があるところに『日本通運』の支店があり、その脇から駅に入って行きました。
ちなみに空港バスも着発する今の津田駅のバスターミナルですが、元は広大な無料駐輪場でした。
また駅前には小さな雑貨屋さんがあり、そこにあった『ピカデリー・サーカス』ってメダルゲームがあって親にお小遣いもらってよく遊びに行っていたものです、ら
遅くなりましたが、明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
小学校3年の秋〜冬ごろ中耳炎にかかりました。当時通っていたスイミングスクールを2カ月ほど休みました。嫌々通っていて、男子に厳しく女子に甘い指導をするコーチ陣にうんざりしていました。
学校が終わると親から医療費とバス賃(ちぎった回数券)をもらい、枚方市駅ちかくの加藤耳鼻科(枚スポ近くのビルにあった)に通ってました。たまに来るBタイプの観光用バス(カーテンつきでシートがふかふか)に心がときめきました。
耳鼻科に行くと鼻の中を消毒し、喉の奥に甘い薬(ルゴール液?)を塗り、耳の奥に薬を染み込ませた脱脂綿を入れ替え、耳を器具で温めて終了。喉に塗る薬の甘さがたまらずよく通っていました(笑)。週3で通っていたと思います。
そして病院を出ると、当時大好きな温かいジョージアのカフェオレを飲むのが日課でした。思えば一人で過ごすのが好きだったのはこの時からだったと思います。
あの耳鼻科はなくなり、耳鼻科の名前を冠したビルも違う名前に変わりました。家以外で初めてできた拠り所でした。治療費とバス賃を出してくれた親にも感謝しています。
長文失礼いたしました。
昔の津田駅前広場といえば、確かバスはバックで出入りするぐらい狭かったようですが、如何に。
あけましておめでとうございます。こちらこそ宜しくお願いいたします。
当時、Bタイプ車は昼間の【10】釈尊寺団地線によく入っていましたね。観光兼用にふさわしい豪華仕様で乗り得感ありましたな。
私が中耳炎に罹ったのは、小2の3月ごろだったと記憶しています。耳が痛くて夜寝られず、翌朝学校を遅刻して、そこの耳鼻科にて初診。完治まで2週間ぐらいだったでしょうか。その後、小4の時に何度か外耳炎をやってしまい、同じ耳鼻科のお世話
になりました。
枚方市駅前への病院通いといえば、サンプラザ2号館の眼科にもお世話になりました。小3の1学期に結膜炎にやられたとき、中2のときには視力低下で眼鏡購入の準備のために、バスで通院していました。そのときに、桑ヶ谷から【9B】高田・東香里循環を大回り乗車したこともあります。
2台も入れば身動きが取れない位のバス停駐車場でした。枚方市系統12号用1台、香里園系統9号用1台が止まれるだけで。舗装すらされてなかったように記憶しています。また誘導のおっちゃんがいて左右から来る車を器用に止めてました。
また村野循環14号経路が倉治側から来たらバス停に入れず、早着してたら片側1車線の府道736号で時間調整してました。おおらかな時代でした。逆に倉治方面に向かう循環14号は駐車場に入らず、そのまま駐車場の前で乗り降り(早着等のイレギュラーで駐車場に入ったバスもあったように思います)してました。
ありがとうございます。
確かに、当時の津田駅バスのりばは舗装もされていなかったように記憶しています。
バスループが整備されるのは1980年代末頃だったようですが・・・。
村野循環【14】号経路は、結局一度も乗らずでした。