JR四国のローカル線、予土線。
予土線は、 愛媛県と高知県を結ぶ唯一の鉄道で、土佐くろしお鉄道中村線の若井駅と予讃線北宇和島駅を連絡。「日本最後の清流」で知られる四万十川の上流部に沿って走ることから、「しまんとグリーンライン」の愛称が付いています。
実際に予土線沿線を訪問したことはないが、予土線といえば、面白いネタの詰まった路線だということを知りました。具体的に、
◎「土佐大正」「土佐昭和」駅と元号の付く駅名が2つ連続
◎「半家」(はげ)駅を見て、「サザエさん」の磯野波平がショックを受けた
◎国鉄・JRとして最初のトロッコ列車が運行される
◎列車は窪川-若井間だけ土佐くろしお鉄道に乗り入れ、窪川で土讃線と接続、「青春18きっぷ」の「関所」にもなっている
◎単線非電化のローカル線なのに新幹線が走っている
などが挙げられます。
「半家」(高知県四万十市西土佐半家)の由来ですが、この地に住み着いた平家の落人が源氏方の追討を逃れるために「平」の横線を移動させて「半」にしたためと言われています。「半家」の反対を表す駅名に、「増毛」(留萌本線)(廃止)や「上大井」(御殿場線)が存在します。
予土線を走る新幹線は、「鉄道ホビートレイン」ことキハ32を0系新幹線に模した外観に改造したもの。トロッコ列車とともに、予土線の集客を図って好評運行中です。本物の新幹線とは異なり、乗車券のみで乗車できます。
予土線の全通は1974年と意外に遅く(三江線全通の1年前)、優等列車の運行実績はないようです。ただし、急行【あしずり】の1往復が予土線内快速列車として、高松-窪川-宇和島間の直通が設定されたことはあります。
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宇和島線は宇和島~江川崎を開業したものの、
江川崎~川奥信号所は日本鉄道建設公団(当時)規格で1974年に開業し宇和島線は予土線へ改称されました。
改正鉄道敷設法での予土線はこれとは別に土讃線の佐川(さかわ)駅から伊予鉄の松山市駅までで、
ほぼR33に沿ったルートでした。
砥部町~松山市は伊予鉄森松線がありましたが、
1965年に廃止され、
現在はR33松山南バイパス(R379・R440重複)へ活用されています。
予土線全通は1974年3月1日でしたから、伊勢線(→伊勢鉄道)開業(1973年10月1日)と湖西線開業(1974年7月20日)の間でした。
当時は前年末の石油ショックで景気が急落し、ボウリングブームも終焉しボウリング場がかなり廃墟になった時期だったようです。
高知県ではこの1974年の3月31日に土佐電鉄(→とさでん交通)安芸線が廃止され
(28年後の2002年、ほぼ同じルートで土佐くろしお鉄道なはり線が開業している)、
その翌日に予土線と並走する主要地方道宇和島窪川線(愛媛・高知県道2号)が一般国道381号(高知県須崎市~愛媛県宇和島市)へ昇格されています。
しかし、R381は高知県側が20世紀末まで酷道だったのもあり、予土線は名松線と同様に廃止を免れました
(同様の扱いだった岩泉線や三江線は2010年代になってから廃止されましたが)
予土線と類似の条件にある岩泉線や三江線は既に廃止されてしまったが、予土線についてはトロッコ列車やホビートレインを運行するなど、活性化に向けての取り組みに熱心であるように感じます。