JR東海発足当初(1987年4月)の旧・伊勢車両区(伊勢運転所)に在籍していた気動車をリストアップしてみました。


(キハ28)
 2080 2100 2126 2130 2175 2303 2323 2345 2398 2407(10両)

(キハ58)
102 126 173 181 234 249 257 572 573 597
599 600 642 653 672 685 737 738 1025 1101(20両)

(キハ65)
72 73 83 84(4両)

(キハ30)
44 51 52 74 75 81(6両)

(キハ40)
2030 2031 2032 2057 2058 2059 2111 2112 2113(8両)

(キハ47)
3 4 1027 1109 1110(5両)



国鉄時代より、三重県内の紀勢本線(亀山-新宮)・参宮線・名松線のローカル運用をこなし、JR東海に継承されました。JR発足の時点で既に定期急行列車の運用はなかったものの、急行列車の廃止で余剰となったキハ58・28・65形が伊勢区に在籍、普通列車オンリーの運用に就きました。

国鉄時代末期まで、同じ三重県内の亀山機関区(→亀山鉄道部)の気動車も紀勢本線・参宮線・名松線の運用に混じっていたが、同区はJR西日本に継承(→関西本線亀山-奈良間、信楽線、片町線を中心に運用)されることが決まり、紀勢本線系統の分はほぼ伊勢区に集約される形に。伊勢運転区は亀山機関区と統合する話もあったそうだが、亀山駅を境にJR東海とJR西日本に分割されるため、存続という経緯です。

亀山・伊勢の両区は、国鉄時代は天王寺鉄道管理局管内だったが、JR発足を前に紀勢本線・参宮線・名松線は名古屋鉄道管理局に移管。また、JR誕生間際まで、伊勢線(→伊勢鉄道に転換)の運用も担当し、キハ30またはキハ40の単行運転でした。

JR発足当初、亀山-多気間には奈良から直通の列車が1本だけ残り、多気折り返しの亀山行きとペアで、JR西日本亀山区の気動車による運用でした。当時の亀山区に所属する気動車は、やはりキハ58系が主力だけど、関西本線では縁深いキハ35形もあり、キハ40・47形、そしてキハ53形(キハ45系の両運転台&2エンジン)もいました。

一方、伊勢区の気動車も亀山からJR西日本管内に乗り入れ、関西本線奈良(or 加茂)までの運用もあったようです。

伊勢にキハ47形が配属されたのは、国鉄末期1986年11月~1991年3月までのわずか4年余りでした。しかもこれがJR東海所属キハ47形の全てであり、少数派ゆえに後年注目度が高まりましたね。転属前は全て福知山鉄道管理局管内(福知山、豊岡)所属で、伊勢を去った後は名古屋に転属して武豊線で活躍したり、その後美濃太田に配転、2015年の引退まで終生の棲家としました。

キハ28形およびキハ58形200番台以前について、JR発足当初は山陰地区(福知山・米子管理局)からの転属組が大半の一方、キハ58形500番台以降は天王寺局管内和歌山・奈良などからの転入車が多数を占めました。と思えば、キハ58 1025号については、広島生え抜きで亀山を経て伊勢に転属というユニークな遍歴です。

キハ30は44号のみが県内の亀山・伊勢生え抜き、50・51は加古川から亀山を経て伊勢、74・75は1982年に米子から奈良へ転属ののち亀山を経て伊勢、81は米子から直接伊勢へ転入という経歴です。1989年までに最新悦キハ11に置き換えられました。そのうち51号だけ保留車として美濃太田へ転属、2008年まで車籍が残りました。