2020年4月、大阪青凌中学・高校(学校法人 浪商学園)が高槻市前島から島本町に移転しました。
JR島本・阪急水無瀬から徒歩15分圏内の場所で、交通アクセスは便利になりました。
https://www.namishogakuen.jp/100th/project/detail-1/
キャンパス移転に伴い、京阪バス高槻営業所の青凌スクール運用が廃止された模様です。
青凌スクール関係には、ブルーリボンシティW-3842・3843などが任に就いていたが、余剰となったため、流出。W-3842は枚方、3843は男山にそれぞれ転属です。同じブルーリボンシティのW-3811・3840が高槻に配置される時期もありました。
浪商学園関係といえば、茨木市の学園町に浪商幼稚園があり、京阪バス枚方茨木線「学園町」、または寝屋川茨木線「学園南町」下車です。「学園町」という町名は、かつてこの地に浪商高等学校・大阪体育大学附属中学校が設置されたことによるもの、と察しがつきます。浪商高校普通科は1983年、高槻市前島に移転ののち、85年に「大阪青凌高校」に改称。体育科なども1987年、泉南郡熊取町に移転。浪商学園の本部は熊取町に置かれています。
コメント
コメント一覧 (7)
その後PL学園、大阪桐蔭にとって変わられました。
浪商学園が高校野球の常連だった時代を知らない世代ですが、高校野球で知名度は全国区です。
浪商本部は1987年から和歌山県に近い泉南郡熊取町ですが、
大阪青凌は高槻市から三島郡島本町(郵便や電話は京都府扱い)への移転に伴い浪商が大阪府の両端を攻める感じです。
熊取町で思い出したのは、長らく南海ネタが出ていませんが、
南海高野線の主力6200系について取り上げて欲しいです。
昇圧化直後の1974年に製造が始まった南海6200系は6250Fを除き前面デザインが当時製造されていた東急8000系
(現在は東急から全廃され一部が伊豆急へ譲渡。派生形式の8500系は今も田園都市線の主力だが2020系投入に伴い2023年までに全廃される)
とそっくりであり、
1975~89年に製造された泉北高速鉄道3000系(一部は南海へ譲渡され南海線へ運用)はOEMですが、
6521F(初代8000系。1編成6両)と
6551~6553F(旧8200系。3編成18両)
は特徴的です。
浪商の高校野球が強かった頃のイメージは、私には薄いですね。
もともと北摂(東淀川区)を拠点としていた学校なのに、なぜか遠く離れた泉南に本部を設置するのは、何かの理由があるんでしょうかね?
中日の牛島は大東市出身じゃないですか!
ちなみに泉南に本部があるのは学校法人の都合ですね。
経営している大学が熊取町にあります。
やはり少しでも多くの生徒を集めるためでしょうか、交通の便利な駅チカへの移転が多いそうですね。私の地元でも、関西外大の穂谷キャンパスが御殿山に移転したり、大阪国際大学も守口キャンパスに集中するなどがありますね。