(その2)
http://katanogawara.blog.jp/archives/35468947.html
しかし、転んでもただは起きない受験生だった自分。
前回の抜け道は失敗だったと反省。遠回りではあっても走りやすい道から回るほうが、確実に目的地にたどり着けるはずだ。受験でも同じだろうが、とお説教を食らったようでした。
ということで、8月上旬、予備校の夏期講習休みの日に、再度名張へ挑戦。受験勉強そして文化祭の準備練習よりも、サイクリングへの執念は尋常ではありませんでした。2年前の高1のとき、風邪で寝込んだり雨の多い天候不順とかであまり思うように動けなかったりして、その私怨は根強かったと思います。
実は、この日、家族で映画を観にいこうと誘われたんだけど、断りました。しかし、後になってみればこの選択に悔いを残すことに。
今度は、R168~奈良r5~奈良r14~R165、すなわち法隆寺・田原本・桜井・榛原経由で、近鉄大阪線に沿うわかりやすいルートを往復しました。R165はもちろん坂道も多いが、比較的走りやすかったです。宇陀市榛原以東は宇陀川(淀川水系・名張川の支流)の流路に従い、名張までは標高を下げてゆきます。目の前を近鉄特急が賑やかに行き交い、小さい頃、志摩半島まで海水浴に連れて行ってもらったことを懐かしみながら、ひたすら国道を走り続けました。
目的地・名張への到達はめでたく達成。名張市は伊賀盆地南西部の都市(人口7万人)で、三重県にして珍しく大阪のベッドタウン。近鉄の列車ダイヤも一般列車は大阪志向で、特急での着席通勤も珍しくありません。大阪通勤圏のほぼ東限に当たるため、名張以東はローカルムードが濃厚です。名張といえば、探偵小説家・江戸川乱歩(1894-1965)の生誕地として有名。名張市周辺の見どころとして、赤目四十八滝や香落渓などがあります。
さて、問題はその後。行きで燃え尽きたのか、今度は帰り道で死にそうになりました。炎天のもと熱射病寸前のヘトヘトで、地獄でしたね。目的達成の喜びよりも孤独感と疲れだけが残り、家族との誘いを断って遠くへ飛び出したことを後悔する始末でした。みんなで揃って出かけたほうが美味しくて涼しい楽しみを満喫できたのに、後の祭り・・・。
* * * *
しかし、これに懲りることなく、夏休み最後の日には、また別のところへ自転車で走ったのです。
やはり丸一日炎天下を走ったため、今度も「疲れるだけの旅」でしたね。
本当は文化祭の練習に来るように電話があったんだけど、サボりました。炎天下の孤独のもと、後ろめたさもあって、結局疲労感だけが残りましたね。
今思えば、当時の自分の不徳が実に恥ずかしい限りです。自分のやりたい目標を意地でも達成しようという姿勢は良いが、現実社会においてやるべきことは多く、TPOを弁える必要があります。そもそも、あの酷暑のもと、一人無理を押し通しても、寂しい思いをして疲れるだけでいいことはなかった。それよりも高校最後の文化祭の練習にみんなで力を合わせるほうが利徳が大きいはずで、悔いを残すことなく高校を卒業、幸先の良い大学生活のスタートを切ることもできたでしょう。
目的地・名張への到達はめでたく達成。名張市は伊賀盆地南西部の都市(人口7万人)で、三重県にして珍しく大阪のベッドタウン。近鉄の列車ダイヤも一般列車は大阪志向で、特急での着席通勤も珍しくありません。大阪通勤圏のほぼ東限に当たるため、名張以東はローカルムードが濃厚です。名張といえば、探偵小説家・江戸川乱歩(1894-1965)の生誕地として有名。名張市周辺の見どころとして、赤目四十八滝や香落渓などがあります。
さて、問題はその後。行きで燃え尽きたのか、今度は帰り道で死にそうになりました。炎天のもと熱射病寸前のヘトヘトで、地獄でしたね。目的達成の喜びよりも孤独感と疲れだけが残り、家族との誘いを断って遠くへ飛び出したことを後悔する始末でした。みんなで揃って出かけたほうが美味しくて涼しい楽しみを満喫できたのに、後の祭り・・・。
* * * *
しかし、これに懲りることなく、夏休み最後の日には、また別のところへ自転車で走ったのです。
やはり丸一日炎天下を走ったため、今度も「疲れるだけの旅」でしたね。
本当は文化祭の練習に来るように電話があったんだけど、サボりました。炎天下の孤独のもと、後ろめたさもあって、結局疲労感だけが残りましたね。
今思えば、当時の自分の不徳が実に恥ずかしい限りです。自分のやりたい目標を意地でも達成しようという姿勢は良いが、現実社会においてやるべきことは多く、TPOを弁える必要があります。そもそも、あの酷暑のもと、一人無理を押し通しても、寂しい思いをして疲れるだけでいいことはなかった。それよりも高校最後の文化祭の練習にみんなで力を合わせるほうが利徳が大きいはずで、悔いを残すことなく高校を卒業、幸先の良い大学生活のスタートを切ることもできたでしょう。
コメント
コメント一覧 (4)
小学校へ入学した1990年、GWの家族旅行で武庫川駅から阪神本線→千日前線経由で難波から近鉄特急を利用し鳥羽へ行ったのを思い出しました。
鳥羽水族館へ行ったり、賢島へ行ったりでした。
父があまりにも伊勢志摩に気に入ってしまい、
同年の夏休みに車で伊勢市へ海水浴に行きました。
それまで海水浴は
明石市の林崎松江海岸、
揖保郡(現たつの市)御津町の新舞子海水浴場
といった近場、
鳥取県岩美郡岩美町の浦富海岸
くらいでしたが、
初めて伊勢湾の二見浦へ海水浴に。
この時、阪神高速(3号神戸線→大阪都心→14号松原線)→西名阪道→名阪国道→伊勢道を走り、
当時の伊勢道は久居ICが終点でしたから久居からR165久居バイパス→R23→R167(現在はR42重複区間)経由でした。
R23南勢バイパスは対面通行だったのを思い出します。
すごい体力ですね。
若いからできることです。
自分は大阪府内の石切がやっとでした。
自分のやりたいことを猪突猛進でやるのもいいですがなかなかそうもいかないのが現実ですね…。
私の小学校の修学旅行は伊勢志摩でした。京都駅から伊勢市まで近鉄特急に乗り、外宮を見物のあと、二見浦まで国鉄参宮線に乗車、夫婦岩などを見て宿泊。2日目は参宮線で鳥羽まで短いながらも気動車の旅を楽しみ、ミキモト真珠島などを見学しました。
志摩半島は長いことご無沙汰ですね。2年前の夏、バイクで紀伊長島からR260を走り志摩市の近くまで来ましたが(実はこの日、伊丹市からr41→なにわ筋→松虫通→R309(行者還林道含む)経由で熊野・尾鷲まで走った)。
私が自転車で遠出したのも10代後半~20代初めごろがピークでしたね。その後、体力低下もあって自転車に乗るのが面倒になり、30歳を過ぎたら「疲れやすい」と嘆くばかり・・・。
しかし、いつものママチャリで近場を回るのも良いものです。昔のように1日100kmは無理でも、京阪沿線の町をゆっくり走るのも、なかなか面白いですよ。