京阪1000系。
京阪の通勤車の一形式ですが、どちらかといえば地味な印象を受けます。
しかし、1000系のルーツにはものすごい歴史が刻まれているんですよ。
1000系という形式自体、1977~78年に登場。7連×6編成の42両が2020年現在も運用中です。
京阪の通勤車の一形式ですが、どちらかといえば地味な印象を受けます。
しかし、1000系のルーツにはものすごい歴史が刻まれているんですよ。
1000系という形式自体、1977~78年に登場。7連×6編成の42両が2020年現在も運用中です。
700系の機器は戦前生まれの流線型1000・1100形などからの流用なんですね。当時、高度経済成長期にあって沿線人口が急増、戦前生まれの小さい車体では急増する旅客を捌ききれないことから、車体だけを大型化更新することで急場を凌いだわけです。
そこで新しく造られた700系は、吊り掛け駆動ながら7両固定編成を基本とし(これに加え600系増結用の2両を製造→700系消滅後600系に編入)、急行・準急などの優等種別を中心に運用されました。
700系の車体構造は、同時に並行して量産中の卵形通勤車2200・2400系とは異なり、角張ったスタイルで側面中間窓は、国鉄103系などと同じ「田の字」型が特徴です。ドア配置も他の3ドア通勤車と異なります。
京阪線の架線電圧1500V化(1983年)に合わせ、旧式の吊り掛け車は全廃することになります。700系もその対象に含まれるが、車体は新しいのでそのまま廃車するにはもったいない。
そこで、700系の車体を再利用し、走行機器・台車は新しいものに取り替え、合わせて冷房化・行先種別幕設置などの工事を施され、1000系として生まれ変わることになりました。いわゆる「代替新造」というものです。
この車両更新手法は、その後も昇圧に間に合わせるべく、2600系や2代目1800系の新造にも応用されました。
700系と瓜二つのスタイルだった600系は、車体が頑丈でなかったことから冷房化工事が難しいとされ、1983年の昇圧で廃車されました(一部は2代目1800系に生まれ変わるが、やはり冷房化が困難ゆえ、わずか6年ほどで全廃)。
1000系は1991~95年にかけて、車体更新が行われ、顔がスタイリッシュに変わりました。
コメント
コメント一覧 (9)
よく見たら同じ更新車の600系と側面の窓配置は同じです。
自分は700系時代は知らないですが7両で急行に使われていたそうですね。
車体を流用して床下機器を新造する方法は大津線の600・700形(ともに2代目)にも活用されましたね。
まさに京阪のお家芸です。
700系でも1000系に生まれ変わらなかった2両は600系に編入され昇圧時に廃車されましたね…。
当時の製造元が違ったからだったかな?
現行への更新の際にクーラーも6000系で更新されて(6000系の初期ロットのクーラーの性能が弱く載せ替えた)余剰になったクーラーを載せ替えた(不足分は新造?)と記憶してます。
余談ですがコロナの影響で車両の換気問題が話題になってますけど、京阪の車両は全て換気機能を持ってますので一応窓閉めても空気循環は行われてます。
冷房初期車の2400系も換気扇を増設してます(外から見てもよくわかる)
新幹線や特急は窓固定なので密室やと文句言う人いますが新幹線だと8分毎に完全に入れ替えてます…って換気せな呼吸困難起こすかと
旧型車の部品を再利用し車体を交換した例は昭和後期の京阪では伝統的でしたが、
他社では
小田急初代4000形(1966~2006)、
名鉄7300系(1971~2008。現在、大阪府河内長野市のサントー線沿いに1両静態保存されているらしい)、
近鉄名古屋線1010系(1972~。登場当時は京都線920系。現在、サハのうち1両は奈良線8600系に編入されている)
等があり、
旧国鉄も1970年代に仙石線や身延線で旧型国電の車体交換車(前者は103系後期車体、後者は115系300番台車体)が登場しています
(ともに廃車済み)。
1968~70年に製造された旧700系のうち旧600系に編入された2両(781、799)は車体交換からわずか13年で廃車されています。
この2両がもし1000系に編入されていたら今も活躍していたでしょう。
昇圧化の9か月前(1983年3月)に登場した6000系の当初の効きがよくなかったクーラー、1900系の冷房改造にも再利用されましたね。
1900系のうち昇圧化時点で老朽化していた1810系編入車は廃車になるべきなのを6000系から流用のクーラーを取り付けたものの莫大な費用がかさみ、後に旧3000系(1971年登場)の多くが製造から20年たたずに廃車となる原因となりました。
7両の輸送力と、高速運転に向かない吊りかけ駆動ということで、ラッシュ輸送や、一番活躍した写真が多いのは、いわゆる馬急(馬蹄のイラストで真ん中に急と入った種別板)の京都競馬輸送の淀-天満橋輸送が適任の車両と言われたみたいです。花形運用として今も写真が多い気がします。
車内写真なんかをみると、見た目は明らかに1000系ですね。クーラー部やグリル部などもそのままですね。1000系は特徴的(ぼっちシートなんかもありますね)ですが、5000系や抵抗制御の2200系や車歴が古い(といっても、車体は700系と考えると1000系も昭和40年代、そんなことを言えば2000系由来の2600系は昭和30年代ですが)車両がまだまだありますので、まだまだ引退は先になりそうですね。
実は私も700系の現物を見た記憶はありません。
1000系と600系の側面窓配置が似ていることについて不思議に思いました。1000系の元は700系の車体を継承したもので、もともと600系と同類形式だということを後になって知りました。
700系とは対照的に、600系は4~7両まで自由自在に編成を組み、急行や準急から交野線・宇治線まで幅広い運用をこなしていましたね。
600系の中間車で1000系そっくりなものを見かけた記憶があると思ったら、実は700系からの編入車(690、691)だったんですね。
1000系といえば、客用扉の窓ガラスが大きいのもポイントですね。そのため、ドアの乗車位置表示板はガラス面に貼付されています。
あと、更新後のクーラー機器が一部車体からはみ出しているのもネタ要素ですね。
旧700系の中間半端車(690、691)ですが、せっかく600系の反省を生かして車体は頑丈に作られたのに、600系とともに廃車はもったいないですね。1000系の8連化を見越して残すこともできたように思いますが、改造する余裕はなかったのかもしれません。2代目1800系の種車に使われなかったのがむしろ不思議なくらいです(そうしたとしても、やはり短命で廃車される運命には変わりないが)。
690、691はもし廃車時に車体を1900系の1810系編入車(1955~58年製)へ交換していたら21世紀(早くて2002年、遅くて2008年)まで走っていたでしょう。
1900系は1810系編入車と1963年に製造された準新車がありましたが、
1810系編入車は2両(初代1800系へ編入され1982年廃車)を除き冷房改造され長生きしました。
2002~08年に廃車となりましたが、
銘板が「昭和31年、川崎車両」(1956年製)という車両(1991号車)を乗った時は「いつまで走らせるんやろ」と思いました。
2004年、「昭和28年」と書かれた銘板入りの八高南線103系3000番台(元仙石線72系)を乗った時は父の同い年と思いました。
700系~1000系(更新前)の顔は1900系新造車に一番似ていると思います。
600系はヘッドライトがおでこ中央だったのが、700系は2000系シリーズや1900系と同じ大目玉2つのいわゆる昭和の「京阪顔」スタイルに変わり、印象がだいぶ異なりますね。
吊り掛け7連といえば、末期(1980~83年)は朝ラッシュ時の樟葉急行が一番の花形運用でしたね。輸送力確保のため、車体長の短い1300・1700系は極力外され、18m車の600系が優先的に充当されたそうです(1900系と共通運用)。他に準急の運用などもあり、一度だけリアルで600系の準急を見たことがあります。
1000系も700系時代から数えて50年が経過しているが、ホームドア対応として5ドア車5000系の代替が迫られていることからも、引退はまだ先のようですね。